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【JBP】元寇での幕府軍の一騎打ちや神風は八幡愚童訓の創作か 大正期に疑義も皇国史観にかき消される [みの★]

299 :ニューノーマルの名無しさん:2021/06/21(月) 15:30:24.12 ID:KMN/gcaB0.net
少数の軍でも余裕でボコボコにしてたが追い込み過ぎると
兵法の定石では厳しいだろうと会議をして撤退したのが第一回目の元寇

>クドゥン「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』[192]とあって、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、
>多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。
>疲弊した兵士を用い、日増しに増える敵軍と相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」[174][190]

> このような議論があり、また左副都元帥・劉復亨が戦闘で負傷したこともあって、軍は撤退することになったという[174]。
> 当時の艦船では、博多-高麗間の北上は南風の晴れた昼でなければ危険であり、
> この季節では天気待ちで1か月掛かることもあった(朝鮮通信使の頃でも夜間の玄界灘渡海は避けていた)。
> このような条件の下、元軍は夜間の撤退を強行し海上で暴風雨に遭遇したため、
> 多くの軍船が崖に接触して沈没し、高麗軍左軍使・金?が溺死するなど多くの被害を出した[174]。

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