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【社会問題】<賛否両論>「だから『いじめられている人にも原因がある』って俺は言います」★10 [Egg★]
- 820 :ニューノーマルの名無しさん:2021/06/11(金) 03:07:07.40 ID:jv7z65DJ0.net
- 虐めの原因はひとえに、虐める側の「多様な個性を受け入れる包容力・寛容さ・忍耐・思いやり・表現力・想像力・慈愛」の欠如である
「虐められる側にも原因が」という理屈は、「虐めたくなる理由」のすり替えであり、虐める側の欠陥から目を逸らすための言い訳に過ぎない
「虐められる側が変わったら虐めが無くなった。これは原因が虐められる側にあった証拠だ」という解釈はよくある錯誤である。この場合、本当の原因は「虐める側に虐めたくなる理由がなくなったこと」である
虐める側の思考パターンは本人が精神的に成長しない限り変わらないので、虐めたくなる要素を持った別の相手が現れる度に、虐めたくなる
仮に虐められる側を変えても、表面的な解決になるだけで根本的な解決には全くならないということである
「学校を何度変わっても虐められるのは虐められる側に原因がある証拠」にはならない。何故なら「どの学校にも異なる個性を認められない未熟者がいること」が真の原因だからである
「多数派は正しい」などの安直な誤謬を妄信して物事の本質・因果を見誤ってはならない
「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」という理屈も、それ以外の手段を知らない無能者の典型的な逃げ口上である
何らかの欠点や落ち度があったとしても、その矯正法が虐めでなければならない必然性はない
「周囲を不快にさせたから虐められても仕方ない」も責任転嫁である。そもそも不快感の原因は、それを感じる個々人の持つ固定観念であり、他人のせいにするのは筋違いである(虐められた側の不快感について同様。
従って、加害者をただ感情的に非難する人も己の未熟さに気付かねばならない。安易な厳罰化や一時的な対処は、問題の陰湿化・冗長化を招くだけである
行為の原因は常に行為者自身にある。自分の行為の原因を被行為者に求めるのは、行為者の甘えであり、責任転嫁以外の何ものでもない
以上を読んでも尚「虐められる側にも原因が」と正当化する人は、結局「自分自身の非(心の狭さ・貧しさ)を認めたくない」か、さもなくば読解力がないのである
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