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【考古学】海の倭人「海人(あま)」はどこからやって来たのか 幻の大陸スンダランドからやってきた海人たち [ごまカンパチ★]

621 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/17(月) 06:05:18.13 ID:7p8D+tat0.net
>>620
戦前からの定説です


喜田貞吉「我が国を日の本と称することは、邦人自身ではなく、百済人らの間に始まった。」

「国号の由来」 喜田貞吉 1937年
https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49809_44666.html

されば我が国を日の本と称し始めたことは、実は邦人自身ではなく、当初は朝鮮半島の住民が、その東方なる我が国を呼んだものであったに相違ない。日本紀引くところの百済本紀など、古代朝鮮の書に既に我が国を指して「日本」と書いた例がある。

朝鮮そのものも、また、実は支那から見て日の本であった。朝鮮の地誌なる東国輿地勝覧に朝鮮の名義を解して、「東表日出の地に居るが故に朝鮮と名付く」とある。漢の楊雄が、武帝の徳を頌したる賦に、「西圧二月※一??、東征二日域」とあるのも、西方には西域月氏の地を服し、東方には朝鮮日域の地を平らげたことを述べたもので、ここに「日域」とは朝鮮を目して日出処と呼んだのであった。

叙述するところを通観するに、我が国を日の本と称することは、つとに百済人らの間に始まり、我が国ではそれをヤマトの枕言葉として、「日の本のヤマト」なる熟語が用いらるるに至ったのであったが、推古天皇の国書には支那がクレすなわち日没処であり、また西方の国なるに対して、この日の本の義を表わすに「日出処」或いは「東」の文字を用い給い、ついで大化の改新に際してヤマトに当つるに始めてその枕言葉なる「日本」の文字を以てするの例が始まり文武天皇の御代大宝令の制定に至りて、初めて我が国号として、翌年遣唐使の入唐に際し、これを彼に通告したという順序となるのである。

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