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【日本史】『豊臣秀頼の実の父親』という説も…大坂の陣の“A級戦犯”大野治長は無能な家臣だったのか [ボラえもん★]
- 119 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/12(水) 23:40:02.15 ID:v5faXGyN0.net
- >>72
豊臣とスペインがもう少しうまくやれば相当に長引いた可能性があった(銀の枯渇も早まっただろうが)
(某記事より)
≫豊臣方の大坂城下では「火縄銃の弾」の生産がおこなわれていたが、それを可能にした
≫原料の鉛を海外から提供したのは、スペインと繋がるキリシタンの商人であった
対して家康側は、イギリス・オランダ(プロテスタント)からカルバリン砲輸入で大坂の陣に勝利、で
やっと国内が治まった
(元HP:)http://taigon-net-rekisi.seesaa.net/article/476102544.html
しかし、オランダは家康にスペインの策略の裏側を知らします。
オランダの責任者が、ヤックス・スペックス
スペインは、技師を派遣する代わりに、キリスト教を保護し布教の許可をすることを求めていました。
オランダは、
実はその布教こそ、家康が亡くなった後、キリスト教徒を使ってスペインが日本を征服する目的があるのだ。と進言。
激怒した家康は、スペインを追い出します。
そこで、スペインがとった手が、豊臣秀頼に近づき、秀頼を勝たせること。
〜
秀吉の次の代の代理戦争で、
家康(側のイギリス・オランダ)が秀頼(側のスペイン)に勝ったが、銀が枯渇するほど持ってかれたのが痛い
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