2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【終焉】「日本に絶望した日本人増加」コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン ただただ戦いから逃げてきた結果、日本は大変なことに ★2 [ネトウヨ★]

406 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/04(火) 11:15:17.11 ID:Sx0eZzFw0.net
■あの人いま 元サッカー日本代表 浅野琢磨さん(30歳)

2026年、ヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝。 それを、TVで見つめる男がいた。
22歳で将来を嘱望されアーセナルに入団した、浅野さんは今……

「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する浅野は、どこか寂しげだ。
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。アーセナルで、俺がオーバメヤンと快速ツートップを組んで大活躍する夢を」

高校サッカーの名門・四日市中央工業を卒業後、サンフレッチェ広島に入団。ルーキーイヤーから自慢の快足を生かし活躍した。
その後、リオデジャネイロオリンピック代表に選ばれ、ついにイングランドの名門アーセナルの扉を叩くことになった。
しかし、アーセナルでは出場機会を得られず、ブンデスリーガ下位のクラブを転々とする。
選手生活の転機が訪れたのは2019年。アーセナルからセルビアのパルチザン・ベオグラードへ完全移籍してからだった。
パルチザンでは快足を生かして大活躍し、20‐21シーズンには18ゴール8アシストを記録しその才能を証明した。
しかし、契約問題でクラブと衝突し、電撃的に退団を決意。
それに伴いクラブとの法廷闘争に発展し、選手資格をはく奪された。
約2年間のブランクを経て帰国し、古巣のサンフレッチェ広島に加入するものの、周囲からの白い目に耐え切れず退団。
その後、地元のJFLクラブであるヴィアティン三重に活躍の場を求めるものの、故障がちになり、若手選手の台頭で目立った活躍が出来ず30歳の若さで引退を決意。
今は和食店を営む傍ら、地元のサッカー少年団のコーチを勤めている。

●暖簾の屋号の文字は元日本代表監督 森保一氏の手によるものだ
「いらっしゃい!!」。近鉄湯の山線菰野駅から歩いて30分。
「大衆和食 浅野」のえび茶色の暖簾をくぐって店内に入ると、白い割烹着を着た浅野さんの元気な声に迎えられた。
「去年の4月にオープンしました。暖簾の『浅野』という文字は森保さんに左手で 書いていただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった
おかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」

●とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
「和食好きは新幹線に乗って本場・京都まで食べ歩きに出かける時代でしょ。
ボクが修業した地元の『広喜』の和食は肉じゃがのような家庭的なものが特徴だから、
懐石料理が和食だと信じ込んでる人にはモノ足りないようなんです。
それで怒られちゃったこともあるけど、それも修業のうち。我慢、我慢です」

●かつてのライバルで現リバプールの南野や、パリサンジェルマンに移籍した鈴木武蔵について尋ねると……
「あいつら俺より下手やったんですけどね(笑) 」と、おどけ
「クラブに恵まれるのも才能だと思いました」
「怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど。」
「今はもう現役に未練はありません。今度は、教え子でチャンピオンズリーグを狙いますよ(笑)」

(写真) 自身のニックネームにちなんだオリジナル料理「肉ジャガー」を手に持つ浅野さん

総レス数 1001
268 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★