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【年越しそば】「かけそば」派が全体の75.6% 山形・長野・鳥取県は「ざるそば」派が優勢

19 :名無しさん@1周年:2019/12/31(火) 15:25:39 ID:JWNSfSCI0.net
■年越しそば(としこしそば)とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の日本の風物詩ともなっている、日本の文化であり風習である。
地域による特色があり、呼び方も晦日蕎麦、大年そば、つごもり蕎麦、運蕎麦、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くある。

江戸時代には定着した日本の文化であり、ソバは他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる蕎麦である。
日本各地に見られる文化であり、地域の特色の現れたさまざまな形式のそばが存在する。

■歴史と由来
1814年の大坂繁花風土記には、年越しそばに関する以下のような記述が残っている。

十二月三十一日 晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。
— 大坂繁花風土記

正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝う。この日そば切を食ふ人多し。
— 大坂繁花風土記

このことから、遅くとも1814年には大坂で年越しそばが、日本の文化として定着していたことが窺える。
さらに年越し蕎麦の起源をさかのぼると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があり、これが転じて大晦日だけに行われる年越し蕎麦になったと考えられている。
年越し蕎麦に関する記録は江戸中期ごろまで遡ることができ、その当時の江戸では江戸患い(脚気)が流行しており、「そばを食べている人は脚気にならない」という巷説が江戸での蕎麦の流行を後押しした。
年越し蕎麦に関する伝承としては、年を越してから食べることは縁起がよくないとするものや、蕎麦を残すと新年は金運に恵まれず小遣い銭にも事欠くことになるといったものがある。

1756年(宝暦6年)の眉斧日録には「闇をこねるか大年の蕎麦」と記述されている。
明治時代・大正時代の大阪うどんの老舗では、商家でも「年越し蕎麦は注文が殺到した」と記述されている。
1812年(文化9年)の旅行記によると、東北や甲信越では正月に祝い蕎麦を打つところもあった。

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