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【考古学】古代越国の王侯級陵墓、中国浙江省で見つかる 「呉越同舟」「臥薪嘗胆」の故事で知られる国

1 :しじみ ★:2019/11/06(水) 02:47:00 ID:L7T8cTkb9.net
【11月5日 Xinhua News】中国春秋時代後期の越王・句践(Gou Jian、こうせん)による「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事は日本でもよく知られるが、中国東南部の沿海地域にあった越国の歴史は、いまだ多くの謎に包まれている。しかしこのほど、考古学者による3年余りの調査により、浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)安吉県(Anji)で越国の上級貴族のものと思われる陵墓が初めて発見された。少なくとも2500年以上前のもので、句践が没したとされる紀元前465年よりも古いという。

 中国の多くの考古学者は、同陵墓が君主クラスの墓である可能性を指摘。今回の発見は越文化の研究だけでなく、中国帝王陵墓の制度の研究にも役立つとの認識を示した。その影響は日本にも伝わったとする意見もある。

 陵墓は安吉県逓舗(Dipu、ていほ)街道古城村で見つかった。地上に盛り土をした大型の土墩墓(どとんぼ)で、周りには三十数基の陪葬墓が配置されており、その外側には長さ630メートル、幅21〜23メートル、深さ1.4〜1.7メートルの空堀がめぐらされていた。これらは安吉古城遺跡の「竜山越国貴族墓群」の一部に当たる。

「八畝墩」大型墓は2011年と2014年に2回盗掘に遭った。警察は事件解決後に4点の原始磁器を押収。文化財部門はこれらを春秋時代後期の副葬品と暫定的に判断した。2016年3月、国家文物局は同遺跡に対する緊急発掘調査を許可した。

 浙江省文物考古研究所は3年余りの年月を費やし陪葬墓31基の発掘調査を完了させた。遺跡からは土器や磁器、玉器、石器などの副葬品346点が出土した。主墓の発掘では東西方向に甲字形をした坑道を発見。墓口は長さ15メートルで幅5メートル、墓道は西に開口し、全長9メートル、幅2.5〜2.7メートルであることが分かった。

 主墓の北側には長さ23メートル、幅1メートル以上の器物坑も見つかった。中には印紋土器と原始磁器が整然と置かれていた。

 発掘を主管した同研究所の田正標(Tian Zhengbiao)研究館員によると、器物坑はこれまで発掘された越国墓の中でも規模が最大で、一部の印紋陶器には動物の骨や貝殻が残されているなど極めて研究価値が高いという。

 考古学者は、多くの証拠をもとに主墓の年代を春秋後期、被葬者の身分を王侯クラスの越国の大貴族と特定した。主墓の造営年代は、句践の父で最初に越王を称した允常(Yun Chang)のものとされる紹興(Shaoxing)の印山大墓よりも古いとされた。北京大学(Peking University)の徐天進(Xu Tianjin)教授や中国国家博物館の信立成(Xin Licheng)研究員、江蘇省(Jiangsu)文物考古研究所の林留根(Lin Liugeng)所長らは、今回見つかった墓の主人も越国君主または王クラスの人物ではないかと推測している。

 土墩墓は古代中国の南方で長く用いられた埋葬方式の一つ。地下水位が浅いため、古代の人々は地面に高く盛り土をし、そこに墓穴を掘った。

 林氏は、江南地方に土墩墓は多いが、呉越両国の王クラスの墓は少ないと指摘。呉王墓はいまだ発見されておらず、越王墓もこれまで確認されたのは印山大墓のみだと説明した。「八畝墩」大型墓は印山に続く重要な発見だという。

 訪問学者として日本に滞在したことのある学者は、視野をさらに東アジア一帯まで広げている。四川省(Sichuan)考古研究院の高大倫(Gao Dalun)元院長と中国考古学会の王巍(Wang Wei)理事長は、同陵墓の造営方式が古代日本の幾つかの陵墓に似ているという考えに期せずして一致した。両氏は同陵墓の発見が古代越文化の外部伝播の証明になるのではないかと推測する。(c)Xinhua News

https://www.afpbb.com/mwimgs/a/7/810x540/img_a75e11dabf9ca32ea5db429bf4b5767b2558780.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3253205

2 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 02:50:12 ID:rxUnGgTv0.net
2

3 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 02:52:52.38 ID:20Zc5k+C0.net
「呉越燃ゆ」

4 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 02:54:57 ID:a/tgVtpW0.net
ちょいと行ってみたいな
赤壁もまだみたことないし

5 :高篠念仏衆さん:2019/11/06(水) 02:58:47.53 ID:7dBUXuzw0.net
死んだ後は🇷🇴創価学会の世界でしょ?

6 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 02:59:29.75 ID:a30iO8ap0.net
古代中国の戦国乱世はロマンやねえ

7 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:00:42.01 ID:PYWLMv8x0.net
欧陽フィフィは越王の子孫

8 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:03:47.55 ID:20Zc5k+C0.net
>>4
三峡ダムって知ってる??

9 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:05:00.06 ID:VjMRRCRC0.net
楽しみやね

10 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:09:39 ID:TcI0RuDF0.net
滅んだ越の一部は南に逃れてベトナムになり、一部は海を渡って越の国になった。

11 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:14:13 ID:GP8v4+Iz0.net
手前が越前で
向こう側に越後があるの?

12 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:20:28.62 ID:zYeFyD7y0.net
ウンとかゴシャって名前の人が出てくるのはどこの国の話から出来たなんて故事だっけ

13 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:24:50.74 ID:1f/2vRXg0.net
>>11
京都に近い方が前、上総、下総と同じよ

14 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:28:25.61 ID:1f/2vRXg0.net
ちなみに日本の越は高志(こし)国から来てるからあんま関係ないとされている

15 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:28:27.56 ID:gZhfZAr00.net
まあ全てウソなんだけどね

16 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:28:27.76 ID:vL0SbkcG0.net
日本のルーツだっけ?

17 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:29:01.21 ID:gZhfZAr00.net
>>15
なんだウソか

18 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:44:07.73 ID:azWtvrGA0.net
>>12
伍子胥(ごししょ)。諱で通って伍員(ごうん)。楚出身の亡命軍人で呉に仕えた。
呉王に夫差を推して父王(闔閭)の弔い合戦を遂げたエピソードが臥薪、
そこで俘虜の屈辱をうけた越王勾践が雌伏のすえ呉を討滅したのが嘗胆。

19 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:44:24.03 ID:GP8v4+Iz0.net
>>15
>>17

自演する意味がわからん

20 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:46:12.81 ID:Fy6qZmb30.net
>>16
日本じゃなくて倭人のルーツね

21 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:49:28.31 ID:1K/Zvss10.net
>>18
時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず、ですよね

22 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 03:50:05 ID:PhbKq3Xe0.net
天莫空勾践,時非無范蠡

23 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:00:38.26 ID:PhbKq3Xe0.net
吁嗟雖莫范蠡功。先命投機士氣雄。十字血痕花色在。龍顏一笑認孤忠。

24 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:03:00.25 ID:1f/2vRXg0.net
>>18
ゴシショは最後も含めて好きだわ

25 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:07:23.16 ID:PhbKq3Xe0.net
このように 日本の倒幕志士をして 義と勇とを漲らせて 以て北条幕府と徳川幕府とを討幕するに貢献したり。

26 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:11:18.24 ID:V5Xj7jSD0.net
この前九州博物館の三国志展に行ったがスカスカだった

27 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:11:30.89 ID:/LuKUFK/0.net
>>12
死者に鞭打つ。
日暮れて道遠し。

28 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:12:57.19 ID:s955ic+a0.net
越王勾践剣は2000年も錆びずに鋭さを保ったまま発見された
オーパーツ

29 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:27:50.91 ID:RTWpz4900.net
元祖掘ったら何でもでる国

30 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:35:12.54 ID:1f/2vRXg0.net
>>28
これとか始皇帝陵の奴とかインチキ呼ばわりされてたのが悲しいわ

31 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:46:31.90 ID:JeTs4ubY0.net
中国の越の国の人が紆余曲折を経て日本にやってきて越の国を作ったのさ

第26代継体天皇は越の国の人

32 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 04:47:55.15 ID:3Gge1neN0.net
>>18
孫武を見いだしたのもこの人
立花道雪ともかさなる

33 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:13:51 ID:OvXFwOfe0.net
えつおうこうせんしす
このふさたつ

だったか

34 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:16:35.70 ID:nCmDafL30.net
蛮族が強いナンバリングで孫呉やると
すげーウザい奴らってイメージしかない

35 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:21:01 ID:Z0uqXNWJ0.net
>>16
越よりも呉の方が、まだ日本人のルーツかなって気はするよな。

36 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:31:01.88 ID:Kwlzttrk0.net
始皇帝の墓が見たい

37 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:32:01.22 ID:dWVYz5qw0.net
日本人の故郷の一つか

38 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:49:04.46 ID:4RHDTA1N0.net
>>16
wikiにある越人像、髪型真ん中分けで正座して全身刺青で、もしかしてと思わせる雰囲気がある

39 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 05:55:42.27 ID:mFEpYuEx0.net
伍 子胥「ちょっくら陵墓見にいってくるわ」

40 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 06:23:03.43 ID:YuGaRJNX0.net
>>27
> 吾日莫途遠、吾故倒行而逆施之。

名誉ケンモメン認定

41 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 06:25:10.79 ID:OMRGd4ik0.net
日本人のルーツは縄文人。

42 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 06:25:58.23 ID:OODX03A60.net
>>10
越人とベト族は違うけどな

43 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 06:41:39.22 ID:XaZ71mYW0.net
このあたりの呉越を描いた宮城谷昌光「湖底の城」は面白いぞ。
ちょっと長いけどwww

44 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 06:48:47.76 ID:PGlJhXQt0.net
欧冶子や干将の師匠筋の宝剣が出るかもな

45 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:02:17.91 ID:DOwqLZBL0.net
何処かに孫武の墓がある筈

46 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:02:58.71 ID:Z1TtI0+60.net
春秋戦国時代は、ざっと550年も続いた
歴史上、これほど長く続いた動乱期は存在すまい。
その理由は、中原自体の拡大にある
この期間に中原と呼ばれる中華文化圏が大きく広がった事は注目出来る
つまりこれまで中原と呼ばれなかった地域で国が興り
なかなか統一が進まなかったのだ

春秋時代後期になると、呉と越が二大勢力になっていたが
どちらも結局、統一は出来なかったしな

47 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:11:03.00 ID:Z1TtI0+60.net
>>31
春秋戦国時代に滅びた国の遺民たちが、渡来してきたって説は古くからある
呉や越があった中国の沿岸部の人たちと、現在の日本人の遺伝子にも類似性があるしな
しかし継体天皇が越の末裔なんて聞いたことがない

48 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:11:23.77 ID:JRgYC7iq0.net
ベトナム人だろ

49 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:13:07.89 ID:yQMO80UR0.net
越人ってタイ系じゃないの?

50 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:15:10.57 ID:JRgYC7iq0.net
■継体が越の人て・・

越前越後の越の事だよw

51 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:28:56.71 ID:N1VfMG8+0.net
周が分裂した争いの外側の国の一つだから珍しい遺物があるのかもね

52 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:43:57.14 ID:n4IOMs/U0.net
呉越系民族はマレーシアからの渡来系だそうだ

53 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:45:25.44 ID:pjX/JYxS0.net
ジャポニカ米の発祥は長江下流 ひっこめチョン

54 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:52:01.67 ID:CsGIg/Yt0.net
木曽に平安から続く越一族という杣人がいて
寺社仏閣の建造には欠かせない人たちだが
その越というのはマサカリを意味するので、色々と象徴的だよな

55 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:54:12.93 ID:QIw0XcCm0.net
弥生人の古地?

56 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 07:56:54.94 ID:feXEG8j40.net
夏と殷の時期の実在性ももっと見つけてくれ
石器時代の神話がガッツリ事実になれば世界史が変わる

57 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:04:19 ID:P+w2tgh50.net
>>7
テレサ・テンは、呉の末裔?

58 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:11:49.69 ID:0W9GIXeP0.net
>>38
wikipediaの越にある像だね
これ見ると邪馬台国の倭人とは越人の子孫と思えてくる

59 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:14:02.56 ID:0W9GIXeP0.net
>>56
殷代は実証されてると思うが

60 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:15:07.79 ID:xUpXhKw30.net
>>50
この頃に王朝交代が有ったとも言われてるね

61 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:18:46.73 ID:0W9GIXeP0.net
この当時の越人が九州に船で来たとすれば色々納得できる

62 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:18:48.28 ID:K01U0e1T0.net
越の王は存亡の危機を救ってくれた忠臣に自決を命じたクズの中のクズ

63 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:18:52.18 ID:Z0izn5Qq0.net
>>47
今聞いた!

64 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:20:47.21 ID:7queIahW0.net
越中詩郎

65 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:20:59.51 ID:KZwD7U2L0.net
>>61
何の根拠もない
縄文晩期から弥生前期の間に越の文化や慣習が日本に根付いたという証拠を出してみればよい

66 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:34:13.90 ID:RBYlKZDI0.net
宮城谷昌光さんよろしくお願いします

67 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:37:45.01 ID:2X9iHoua0.net
呉越人が稲作弥生文化もたらしたと思うよ九州の横だし大移動じゃなく先人とは言い難いけど文化の先祖

68 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:42:29.16 ID:YR8UAzQ20.net
呉越同婚

69 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:47:14 ID:XaZ71mYW0.net
>>54
そういや越美晴(こしみはる)という歌手がいたな。

70 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:47:57.89 ID:NCzYdUJz0.net
>>31

産まれは近江だぞ?

71 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:48:45.93 ID:xb4JzHnD0.net
さすが福井 土人しか住んでなかった関東とは違う

72 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:55:54.68 ID:m05p1fDe0.net
紀元前5世紀から10世紀の間に江南から九州に移動した人たちが居たと
考えれば魏志倭人伝に書かれている内容も理解できるわ。

73 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 08:58:57.83 ID:XaZ71mYW0.net
>>70
その近江というのも怪しいんだよね。神功皇后も同じなんだけど。

個人的には神功皇后(応神天皇や仲哀天皇も)は九州の豪族の
娘だった気がするんだよね。

で、継体は応神の名を借りただけの越前の渡来系の豪族で、その
ために応神の気比神宮での名前交換の逸話は逆に継体を正当化
するために作られたんじゃないかなと思ったり。

74 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:03:34.11 ID:XaZ71mYW0.net
ちなみに継体が渡来系だというのは、本拠の越前あたりに古代のアメノヒボコや
ツヌガアラシト等の伝説が残っていることからの推測ね。

今の敦賀はそのツヌガアラシトから名付けられているという説があります。

75 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:14:28.97 ID:hEl+FeTY0.net
まあ負けたら皆殺しだから東方の宝来島目指す奴沢山出てくるよな
最後はトドメの始皇帝の圧政もあるし
そう考えれば中国は常に圧制者との戦いの歴史だな

76 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:24:02.35 ID:pk/pT3lz0.net
北陸は中々興味深い
若系、若狭若浦などの地名が残る
ツル系、舞鶴、敦賀
同じ地域に2系統の地名がある

77 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:26:48.47 ID:QFgfz4Ql0.net
>>28
クロムメッキだっけ?
なんか帯止めでもあったような

78 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:26:59.01 ID:7iHxukNy0.net
盗掘待ったナシ

79 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:30:01 ID:OOe8kmiA0.net
臥薪嘗胆

しっかり組んだ薪の上に寝て健康を維持し
栄養豊富な動物の胆を食し鋭気を養い頑張ること
(民明書房 中国春秋ことわざ史)

80 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:31:05.73 ID:faxZemmS0.net
>>48
越と越南は別

81 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:31:22.49 ID:RFVgn3wf0.net
すでに指摘あるけど
日本の北陸地方越前や越後はもともと高志(こし)の国だから
中国の越とは直接関係ないぞ
越の漢字はあとからコシにあてたものだ
そもそも長江下流域からわざわざ日本海側に行くのはおかしいだろ

82 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:32:59.06 ID:SANygBu50.net
薪を舐めて生肝のベッドに寝るって故事だな

83 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:35:06.72 ID:pk/pT3lz0.net
下戸遺伝子の分布は興味深い
三重岐阜愛知岡山富山に多い

84 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:36:33.73 ID:x9rP6yr70.net
結構大昔からメッキの技術ってあったんだなあ。
金属作るものそうだけど、良く思いつくもんだわ。
初めは勝手に燃えてとかなんだろうけど。

85 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 09:56:28.77 ID:pnWTveYr0.net
>>82
陳舜臣だったけかな、こんなこと言ってた。
胆嘗めたり、薪の上で寝たりしないと復讐心が衰えてしまうと言うのは、もう元々の復讐心が強くないと、伍子胥なんかはそんなことしなくても、復讐の相手の墓を暴き鞭打つまでの復讐心をたぎらせてたって

86 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 10:00:36.92 ID:FgcifbJE0.net
>>81
そら海だろ人類はみな逃げる為に移動してんだから

87 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 10:03:25.18 ID:L2pxyG180.net
>>48
今のベトナムに居るのはベト族で越人とは違う

88 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 10:08:08.68 ID:RFVgn3wf0.net
>>86
海は当然だろ
だが日本に漂着するとしても東シナ海か太平洋の沿岸が妥当なところだ

89 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 11:34:22.74 ID:3lzX85O+0.net
>>35
越と呉、それに楚は同じ越族やよ

90 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 12:28:44 ID:BIGs7qsz0.net
まぁ呉越同舟ともいうが、似た者同士みたいな負けかたやな。

91 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:01:17.96 ID:RaTdPQ/X0.net
>>18
なるほど、呉が関係するとは記憶してたけど
バカの代名詞、楚人だったような気もしてたので
越とは無関係だったかな?って思っちゃってた

92 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:20:32.82 ID:FkSTJCnd0.net
秦がいらんことするから一つの中国とかの幻想で周辺国がいまだに迷惑してる

かの広大な土地は何ヵ国かで分け合って内向きのバランスで釣り合ってるが
本来の形なんだが

93 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:26:02.30 ID:PJNI0ehJ0.net
>>1
古代の長江流域文化は日本の文化と似ていたらしいねえ。
今の長江流域は北方からやってきた人たちに占領されちゃって、上流の山の中にしか残っていないらしいけど。

94 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:43:04.38 ID:S221Qe5c0.net
呉越を含めた中国沿岸部から日本に渡ってきた人達が稲作や色々な文化を伝えたんだよな

95 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:46:35.63 ID:S221Qe5c0.net
>>74
天日槍は瀬戸内海沿岸から上陸したという話もあるし、どっちにしろ古代日本で一定の影響力を持っていたんだろうな

96 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 13:59:42 ID:UvIyhWig0.net
カッパて越人の事かも知れないんでしょ?
越いうたら句践剣が有名だね
今ちょうど湖底の城読んでるわ

97 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:03:08.68 ID:UvIyhWig0.net
允常より前王の名前は知らないな
つか、概出していたのかな

98 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:13:32 ID:iNb2P3JL0.net
呉が上で越が下か

99 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:18:35 ID:uHXVkjVh0.net
>>85
安能努も同じ事言ってたな

100 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:22:28.42 ID:x8dlXgDP0.net
三顧の礼はちがうのか?

101 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:26:38.24 ID:3Gge1neN0.net
>>100
それ韓信の股くぐりの少しあと

102 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:27:17 ID:FRCv2v3K0.net
>>100
それも所謂「故事」だが三國志はこれよりだいぶ後の時代

103 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:31:56 ID:krjJFEIP0.net
その頃日本は、やっと弥生時代・・・

気が遠くなるほど差があるなw

104 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:39:02.79 ID:fC9McDSY0.net
そんなの言い出したらドイツ人は当時蛮族やがな
日本のルーツだからロマンだなこれ系は

105 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:44:04.65 ID:S221Qe5c0.net
三国志以降だと日本は魏→晋→南朝と交易しているな
半島を中継地点に黄海を行き来していたようで

106 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 14:47:06.88 ID:UvIyhWig0.net
越人で今の苗族とは接点がないのかな
苗族は楚人というイメージが強いけど
原始タイ族では同族なのかね

107 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:07:08.36 ID:Z1TtI0+60.net
弥生時代が始まった二千五百年ごろ前、日本に渡って来た人たちは朝鮮半島から渡って来た人たちもいたが
沿海州から渡来した人たちも多かったようだ
弥生時代が始まった当時、ちょうど春秋時代だった
滅亡した国の遺臣たちが日本に渡って来た可能性はかなり高く
実際、弥生式土器と沿海州の同時期の土器とは共通点が多い

108 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:14:51.96 ID:H/iF+l6P0.net
水稲の遺伝子から日本人の祖先を辿った学者がいたけど、けっきょく朝鮮半島ルートと南方ルートのどちらもあったみたいね

109 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:23:17 ID:t2lv+FkF0.net
>>18
死者に鞭打つのエピソードも伍子胥じゃなかったっけ。

110 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:31:45.55 ID:TlE7gJzs0.net
>>108
他の物はともかくとして水稲ルート半島から説は凄い疑問だわ
満州とか北朝鮮とか当時も稲作限界でしょう?
半島で出土するのは日本から渡った物なんじゃなかろうか?

111 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:36:37.25 ID:L/tnpbV60.net
>>109
伍子胥は親父と兄貴を楚王にコロされたウラミで呉国の宰相になり
楚に戦争で勝ったときには楚王は墓の下だったが墓を暴いて鞭打った

112 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:40:27.73 ID:fC9McDSY0.net
北方系南方系っていうけど中国横だし当時航ってくる航海技術はなかったのか

113 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:46:50 ID:QIw0XcCm0.net
>>112
中国に北馬南船って言葉ある
北の交通は馬で南は船って意味

114 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:50:24.75 ID:7A+YFtz40.net
>>108
半島経由ってそんな寒いとこから稲作できたんかね

115 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 15:50:48.48 ID:b1VRMZWr0.net
>>107
知識が古すぎ。
今の教科書の弥生時代は紀元前10世紀から。
3000年前からやで。

116 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:03:32 ID:UvIyhWig0.net
>>114
浙江、江蘇辺りの地域から舟で朝鮮半島南部に稲作が渡った様子
中国東北部に稲作が伝わったのは大分に後の時代
日本へ渡るのも呉越地域から直へ行ったもの、朝鮮を経由して行ったものも考えられる

117 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:13:53 ID:d+5er2h00.net
私の先祖達です。
愛媛県八幡浜市 神越(みのこし)集落が有ります。
伝説によると、越の国から日本に、逃げて来た、付近に弥生土器が出土しています。

118 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:23:08 ID:QIw0XcCm0.net
>>116
山東半島経由で半島南部、九州ルート
それから直に九州きたのと二通りあるって話だね

119 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:24:34.69 ID:wtGrzKrh0.net
日本で言う墳丘墓のこと?

120 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:33:25.65 ID:Z1TtI0+60.net
>>109
最初は楚王の息子を捕まえて断罪にするつもりだったのだが
見つからなかったので楚王の墓を暴いて、ムチ打ったのだよ
恨みの強さを語るエピソードとして有名だ

121 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:36:49.44 ID:WOLE2sOG0.net
シナの古代史はロマンに溢れているよね 大好き

122 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:39:05 ID:z9Q2RoGp0.net
戦乱でシナ大陸の民族は激しい移動や入れ替わりがある
呉越の末裔が居たとしても雲南省の山岳少数民族ぐらいじゃないか

123 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:39:25 ID:w7M0lcmz0.net
銅鐸で良く使われる雲南省三苗紋様
http://www.kunakoku.info/sub-04/img/img4-5.jpg
http://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggnds8jiXbQYPZQ0_406IyuA---x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/ans-247320330

124 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:39:46 ID:w7M0lcmz0.net
雲南省三苗枝族の民族衣装(長江中流域から上流部に追われた民族)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/7d/ff03bd94b3f93b5f125b3dbf4631d547.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b8/7b679ca1be195337f6c75912bd38ec8a.jpg

125 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:40:33.17 ID:w7M0lcmz0.net
中国南部から大量に出土する古百越人たちが使って縄文土器
https://www.thenewslens.com/article/74113
馬橋遺址出土文物
https://www.itsfun.com.tw/cacheimg/57/41/ee1ec1283cf04a6257a073c4f3f3.jpg

126 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:40:44.94 ID:ELXh21eK0.net
中国の歴史好きやわ〜

127 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:40:51.04 ID:wz+qgu560.net
王の父親の出身地、王は台湾にゆかりはない

128 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:41:27.64 ID:w7M0lcmz0.net
雲南省&王国と鳥取県淀江角田の羽飾り人物
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1585292/58/50747458/img_0
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/313f3e5f9acdd2d6c71aa99e10a9b64ddfb32bac.20.2.2.2.jpg

129 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:42:22.43 ID:w7M0lcmz0.net
雲南省三苗枝族の民族衣装(長江中流域から上流部に追われた民族)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/68/4b1057c0d6d6b2f2f2319a06ca6cf830.jpg

130 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:48:57.17 ID:dXLVJuDV0.net
中国江蘇省の陶器鐸
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/0/8/082faf06.jpg
日本銅鐸
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/d/3/d3818c98.jpg

131 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:49:34.01 ID:dXLVJuDV0.net
島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/a/a/aa46cc9b.jpg
雲南紡織貯貝器
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/f/c/fcf0ff7d.jpg

132 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 16:53:00.57 ID:dXLVJuDV0.net
倭人(わじん)とは、

1.狭義には中国の人々が名付けた、日本人(当時、日本列島に住んでいた
民族または住民)の古い呼称。

2.広義には中国の歴史書に記述された、春秋戦国時代(紀元前770年)、
呉越戦争(紀元前450年頃)の戦乱期に中国大陸から朝鮮半島、日本列島の範囲の
主に海上において活動していた民族集団。支石墓制、海人族といわれることもある。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/bsisekia-thumb.jpg
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/asiseki2-thumb.JPG

133 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:24:30.77 ID:W2ouBbnQ0.net
>>108
周の東西分裂(前8世紀)の少し前までは、今より温暖だったことがわかっている。
実際に東北部からも水田跡が出土する。

この時代の寒冷乾燥化が春秋戦国の乱世を招いたという見方もあるね。
耕作に適した土地を求めて人々の南下がはじまり、土地の奪い合いも激しくなり、
その流れのなかに、日本列島にまで押し出された(乗り出した)人々がいたのかもしれない。

134 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:40:58 ID:Uo3XK2CR0.net
三国志の時代から見ても六百年以上も前の時代

135 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:42:03.49 ID:NHCMUvrI0.net
昔の日本人は この臥薪嘗胆を国是として 欧米列強最強の露西亜軍を撃滅したから 支那古典を中国人より読み込んで換骨奪胎したんだよな

136 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:44:49.09 ID:5tgifD7N0.net
臥薪嘗胆の臥薪はまあいいとしても
嘗胆とか生の胆舐めてたんすかね
お腹壊しそう

137 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:52:59.85 ID:3Gge1neN0.net
ガチ臥薪エア嘗胆

138 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:53:11.99 ID:NHCMUvrI0.net
児島高徳公が涙をふるい 天勾践ヲ空シウスルナカレ 時二范蠡ナキニシモアラス と詠われ 建武御親政・明治御維新に至ったんだから 日本人のほうが古代支那の神髄を会得していたと思う

139 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:55:49.92 ID:3Gge1neN0.net
三方ヶ原の空城計だって武田が兵法に通じてなかったら家康死んでたしな

140 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 17:59:50.18 ID:pk/pT3lz0.net
中国南部からは様々な時代、いくつものグループが渡来したと思うけどね
中国南部も一様じゃないだろうしね

141 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 18:07:31.34 ID:ZQwndwLO0.net
天照も神武天皇も中国人か

142 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 18:22:54.76 ID:n4IOMs/U0.net
呉越系民族の江南人は中国人と違って目が非常に大きいから中国人とは異民族と
はっきりと判るから大陸で迫害されて九州に逃げて来た訳だ。江南人特有の甕棺墓
の中には江南人だけでは無くて縄文人も埋葬されているらしいから縄文人と江南人とは
対立しなかったのかも知れん。

143 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 18:34:13.02 ID:fC9McDSY0.net
始皇帝の不老不死薬の東探索隊が行方不明なんだよな
それが神武天皇説結構ワンチャンあると思う

144 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 18:40:15.08 ID:OebyHSVi0.net
伝説が証拠を伴って証明されるとかワクワクするなぁ

145 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 19:18:35.20 ID:BQSC6nEX0.net
随分胆を嘗めたようだな

146 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 19:21:12 ID:Z1TtI0+60.net
長年、その使用用途に関して諸説があり
はっきりしなかった銅鐸だが
最近、銅鐸の内側から舌が見つかり
銅鐸の使用用途は鐘であったことが決定的になった
古代では、銅鐸を鳴らせて神事を行ったのだろう

147 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 19:28:25 ID:PGlJhXQt0.net
>>136
主演は名優チェン・ダオミン
劉邦もやってる
https://youtu.be/PU_aq-mfqic?t=66

148 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 19:41:30 ID:OebyHSVi0.net
越国は句践の時代までパッとしない感じに書いてあるけどその前からこんなに繁栄してたんだな

149 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:12:13 ID:rcrU0NWx0.net
楚の国の王族は熊氏
九州の南部には古代、熊襲なる部族集団がいた。

150 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:14:50.33 ID:tx4MwKeo0.net
臥薪嘗胆って絶対やりたくねえし意味がねえ

151 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:32:30.43 ID:rcrU0NWx0.net
そもそも夫余は呉王の弟「夫慨」の子孫。

「史記-呉太伯」闔閭(BC505)年、夫概を攻める。夫概は破れて楚に奔走する。
「風俗通義 廣韻〜餘」呉の公子の夫概は楚に奔走した。
その子に国があり、夫餘を氏とした。 (今の百済王夫餘氏)
[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]

152 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:33:56.50 ID:Dj2J4g0e0.net
いろいろ捏造してくれるよね

153 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:34:16.35 ID:rcrU0NWx0.net
・「呉王 闔閭」が楚を攻略中に、留守居の弟王「夫概」は楚と通じて
クーデターを起こし、呉を実効支配した。
・闔閭は直ちに取って返して呉を奪い返し、夫概は楚に奔走した。
呉に残された夫概の子らは呉におられず、
半島北部、さらに西部に逃げて、高句麗や百済の始祖となった。

154 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:35:15 ID:rcrU0NWx0.net
・呉は元をたどれば(倭国の大夫も名乗った)周の王子「太伯」の末裔で、
江南の東夷系の水生種族。
その東夷が北進して、北方ツングース族の地で王家となって国を建てたのが高句麗。

・高句麗王家も百済王家も、もちろん朝鮮人じゃない。
・ちなみに「正統な呉王家」の末裔は、新撰氏姓録によれば、
結局日本にやってきている。

155 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:37:30.19 ID:n3nIEhga0.net
呉越楚がうまくやってれば江南による中原統一も可能だったのに実に惜しい。歴史は変わってたはず。

一時は長江流域の諸国は河北の国々を上回る勢いがあったんだがな。鼎の重さを量ったときとか。

156 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:38:03.67 ID:EfMNzMi70.net
>>54>>69
スケルトンで越和宏(王滝村出身)って選手が居たな

157 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:40:34.48 ID:rcrU0NWx0.net
そのため高句麗(句麗・呉・クレ)には
1)四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)信仰がある。
  (玄武すなわち温帯にいるはずの変温動物の蛇や亀が北にある)
2)織媛(七夕)や北斗七星、北辰といった夷族系の星信仰がある
3)江南発祥とされる「支石墓」がある。
4)高床式建築がある。
5)建国の始祖朱蒙(あるいは東明王)は天帝と河神の子であり、
  追手に攻められたとき魚(トーテム)族に助けられた。
6)朱蒙は弓の善射という意味だが、弓は北方系の短弓ではなく夷族の長弓。
  というように高句麗王家は、実は北方騎馬民族要素は少なく
  (江南の)水生夷族系の文化を多く持つ。

158 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:45:23.23 ID:ZgOxAkcq0.net
>>36
何人たりとも近づくことなかれ
中は侵入者を阻む数多の罠と水銀の毒素で満ち満ちているぞよ

159 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:47:20.18 ID:/l8O0JpK0.net
>>110
半島南部は弥生中期には倭人の根拠地があったようだし、遼東半島や山東半島への重要な中継地点だからね

160 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:50:04.99 ID:HLekClUK0.net
呉越同舟の船は朝鮮や日本で見られる箱舟だったろうな。
問題は日本型かどうか?
まあ支那のは特に大きいが、日本型は小型良くて中型程度しか出来ない船底特殊なんだが。

161 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:53:49 ID:pk/pT3lz0.net
BC6世紀頃近畿地方に突然現れる方形周溝墓
墳墓+周溝+木棺

似たような墓は九州にもあるが九州は地下式墓、近畿地方は地上式墓で全く作りが違うらしい
土墩墓とも違うみたい

木棺は金属器を使った製板技術が必要
何らかの集団がどこかから近畿地方にやってきたみたいだ

162 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:55:36.30 ID:EhJXzo+y0.net
>>38
入れ墨くらいしか共通点ないべ

163 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:57:05.34 ID:P6U8Ym+40.net
>>24
俺が死んだら俺の目をくり抜いて城門にかけておけ
この目で越軍の入城を見届けてやろう

164 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:58:43.64 ID:P6U8Ym+40.net
この時代から戦国時代の中国人は今と別の意味でマジキチだからな
自分で自分の首をはねるとか侍が裸足で逃げ出す壮絶な死に方をホイホイやらかしてる

165 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 20:59:08.94 ID:rcrU0NWx0.net
中国平原は古代より北部の畑作遊牧民と南部の稲作水生民族との戦いで
結局、北方畑作民が優勢になり後、漢民族と呼ばれる人達。

南部の稲作水生、海洋民族は呉、越、と呼ばれ北部山東半島から満州地域へと
南部へ逃れたものは後、越とか百越として越南(ベトナム)方面へ
東へ逃れたものは弥生人、や倭、韓、となり西へ逃れたものは雲南省三苗族、チャン族
として四散して行った。

166 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:01:24.79 ID:TqPFylpS0.net
歴史ある国だったのにね
どうしてこんな事になってしまったのか

167 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:10:03.12 ID:n3nIEhga0.net
>>165
"漢"民族って北方畑作民とも必ずしも言えないンじゃないの。
そもそもの漢を作ったのって劉邦とかの一派は楚人のはず。漢時代の文化も確か楚などの南方系の色が強くなると聞いたことがある。
秦の時代に比べてだけど。

漢民族てのは北方と南方のミックスというのが本当のところだと思う。純粋な中原だけでなくて、南方の蛮がそもそもから混ざっている。

168 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:10:13.15 ID:pk/pT3lz0.net
石包丁にはいくつかのタイプがあるがその中で一つだけ長江流域と畿内でしか見つかっていないタイプがある

長江流域に地上式の墳墓ってあるのかな?
地上式はユーラシア草原地帯にも見られるみたいだ
下戸遺伝子も草原地帯で発現し南下のルートを辿り日本列島に至る

古代の人々の移動は一筋縄ではいかないようだ

169 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:15:17 ID:pk/pT3lz0.net
金属器の技術を持ち移動する集団、水稲栽培を行い石包丁を使い定住する集団
長江辺りで出会い、一緒に日本列島に逃れて来たのか?

170 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:22:03.10 ID:58i5/Sog0.net
●周代の土とん墓

墓制(墓づくり様式)において、大陸と共通するのは横穴式古墳や支石墓のほかにも、
円墳、方墳など、
土を盛った高塚式古墳のルーツも中国の江南にあったことが明らかになりつつある。

 2005年、南京博物院考古研究所は、江蘇省の句容市と金壇市で、
土を盛った墓である土とん墓群の大規模な発掘を行なった。 (とんは土+敦)。
総数で40の土とん墓を発掘し、233の墓葬と14の墓葬建築遺跡を整理したところ、
幾何学模様の陶器、 原始的な青磁器を主とした、 江南地方の特色がある
各種の文物3800件余りが出土した。

発掘後の整理によって、 船形棺の葬具、 石の寝台、墓の上に建てられた木造の
山形をした掘っ立て小屋の存在が明らかになった。
(人民中国「江蘇省句容市と金壇市にまたがる周代の土とん墓」)

171 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:22:30.14 ID:bu3ccKQK0.net
范蠡かっこいい

172 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:23:58.14 ID:20Zc5k+C0.net
呉と越とは、隣同士でとても仲が悪かったが、量が同じ船(同舟)に乗ってて、水難に合えば協力するもの 呉越同舟
薪(まき)の上に寝て(臥)、苦い豚の胆(きも)を舐めて(嘗める)、屈辱に耐える  臥薪嘗胆 

173 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:25:00 ID:58i5/Sog0.net
●墳丘墓の源流

 日本では、弥生時代の墳丘墓も、前方後円墳などの古墳も、
遺体を地面より高いところに埋葬する。
一方、中国の華北では遺体を地面の下の深いところに埋め、その上に土を盛る。

ところが、呉や越の国があった長江河口域の土とん墓は、
地面よりも高いところに遺体を埋葬する。
 土とん墓は、中国のきわめて限られた地域(春秋戦国時代の呉越の地域)
で行なわれた埋葬形態であった。
越が楚に滅ぼされ、江南一帯が楚の領土となってからは土とん墓は消滅し、
楚の木槨墓が行なわれるようになった。

吉野ヶ里などの弥生時代の墳丘墓が、中国江南地方で呉・越の限られた
時代に行なわれた土とん墓の 影響を受けた可能性を示しており、
この時代の人々が、日本列島に渡来したことと整合する。
(邪馬台国の会「中国古伝承のなかの倭」)

174 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:27:05.83 ID:ISD5nAyV0.net
ミャオ族は当時どこにいたの

175 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:27:40 ID:58i5/Sog0.net
●舟型木棺の源流

 江蘇省の土とん墓群からは船形棺の葬具が出土しているが、
実は、四川省の成都市で約2500年前(春秋晩期〜戦国早期)
のものと思われる舟型木棺群が発見されている。

 舟型木棺とは丸木を船形に彫って作った棺のことで、舟棺で埋蔵することには
「舟に乗って他界に行く」意味がある。
大きいものは長さ18mを超えるものもあり、直径1・6〜2mの楠の木をくり貫いたもので
蓋もついていたという。 ほかには、大小併せて17の丸太彫りの舟型木棺が確認されたが、
当初はこの他にも多数あったものと推察されている。
規模の大きさから、王の家族もしくは一族の墓であると考えられている。(「考古用語辞典」)

 舟型木棺は四川省の巴蜀文化の特色とされるが、
わが国の古墳にも舟型木棺が多数使われている。
構造はくりぬきの舟型木棺が多く、鏡、鉄剣、鉄刀、良質の勾玉などの副葬品を伴う。
舟型木棺の思想もかなり早くから、
長江流域の四川省から江蘇省まで展開していたようである。

176 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:31:18.86 ID:NGzRUbui0.net
田豊とか沮授、お前らは伍子胥の転生かと

177 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:32:05.75 ID:CfR2Bq+r0.net
>>21
范蠡といえば、狡兎死して走狗煮らる

178 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:32:56.59 ID:hCwgbcxT0.net
滅んだ呉と越から逃げてきた人も日本人のルーツのひとつなんだろう

179 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:39:03.28 ID:zl63Mf/S0.net
>>173
ねとうよは結局日本人の祖先はシナ人だとw

180 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:40:56.31 ID:58i5/Sog0.net
>.三山角冠を被った人物が九州で活動してた。

呉越時代.臨し出土.三山角冠を被った「水軍戦闘図」
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-02L.gif

181 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:41:13.80 ID:58i5/Sog0.net
>最下部P38、図23広西省(香港近郊)羅泊湾M1:10号銅鼓 (鳥羽様三山冠)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8214692_po_BUNGA76Y-02_15162.pdf?contentNo=1&alternativeNo=&itemId=info:ndljp/pid/8214692&__lang=ja

182 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:41:39.56 ID:58i5/Sog0.net
>蚩尤(しゆう),敦賀市の神話ツヌガアラシト(つのがあるひと)??
熊本.チブサン古墳「三山角冠を被った人物像」
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/0/308ecace.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/1/b/1bf90d3c.jpg

183 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:54:20 ID:pk/pT3lz0.net
日本海側宗像以東、山口、島根、丹後半島に分布する陶塤、土笛
これは縄文時代晩期くらいか
獲物を呼び寄せる為に使ったとか
陶塤を使う人々は何処から来たのか?

184 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:54:29 ID:Fyw9FDBW0.net
呉越同舟、臥薪嘗胆や死者に鞭、日暮れて道遠し
それに、顰みに倣うが一連の話だと読んで知った時は
楽しくて、何やらワクワクした

185 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:57:18.97 ID:pk/pT3lz0.net
出雲笛は土笛ではなく竹製の横笛で関係無いかもしれないけど
フルヘユラトフルヘも気になる

日本の歴史は謎だらけ

186 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 21:58:16.88 ID:ZdNsKtAT0.net
始皇帝の墓はまだ見つからんの? 水銀の池とか川が作られたとかほんとかいな?

187 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:10:09.17 ID:hCwgbcxT0.net
>>186
一部は見つかっていてその一部が兵馬俑だろ
水銀の海を作ってたのもどうやら本当らしいし

188 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:11:22.63 ID:qH7DxzAX0.net
中国が7つくらいに分裂したままの方が平和だったなあ

189 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:20:35 ID:ISD5nAyV0.net
>>188
数百年なんとか大枠で均衡を保っている
ヨーロッパを無理やり統一するようなもんだわ。
あっ、

190 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:21:44.36 ID:fAvFAIeB0.net
日本へも半島へも北から回ってではなく、南方から人、モノが渡ってきたという説が
中国でも日本でも強くなっている。
数年前、滋賀で弥生時代の遺跡から剣の鋳型が出てきた。
ためしに復元鋳型で剣を造ってみたら、オルドス銅剣になった。モンゴル剣だ。
オルドスから滋賀まで、どう伝わったのか?学者は頭を抱えたまま。
半島にはオルドス剣も鋳型もない。
山形でも大陸製青銅のナイフが出ている。これも半島にはない。
時代下るほど、中国から半島、日本への伝道ルートはない。蛮族いるから船で南から
のルートが安全になる。
「韓流時代劇と朝鮮史の真実」宮脇淳子 もその説を指摘する。
中国北方では川を黄河みたいに河、南は揚子江みたいに江と記す。
韓国も川を漢江とかと、やはり江と記す。
中国南部から直で日本に色々入っているのは確かだ。

191 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:26:07.72 ID:A15GE1vP0.net
>>110
その説って少し前に否定されてたような、、

192 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:26:39.74 ID:n3nIEhga0.net
>>188
そりゃ言えるかもね。
今のアジアでEUみたいな、あるいはASEANみたいな連合を作ろうとしても、中国がでかすぎて成立しようがない。

中国が7つくらいに分かれてた方がアジアの一体感はもっと増してたろうね。

193 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:31:05.35 ID:6ClGUQGb0.net
>>191
どのように否定されたのかくやしく。

194 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:32:44.73 ID:hCwgbcxT0.net
陳舜臣さんが始皇帝が統一してなけりゃヨーロッパみたいになってたであろうと
いうようなことを「中国の歴史」の中で書いていたけど
周の天子がいて既に天子という概念があったから、統一しようと考えるのは
必然の成り行きでしょう

秦がやらなくてもどこかがやる

195 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:34:27.21 ID:3d/NI39g0.net
>>4
赤壁って大きな文字書かれてる場所は実際の赤壁じゃないらしいね

196 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:36:41.72 ID:xCuaJ9ms0.net
古代って水銀はどうやって作ってたの?

197 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:38:38.53 ID:44/3x5nS0.net
李牧のだな

198 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:50:23.83 ID:nYow020O0.net
>>1
平和に暮らしていた古代日本に、彼らが「戦争」という概念を持ち込んできた。

199 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:58:33 ID:RCL+lceu0.net
毎週木曜19時から、ちゃんねるネコで
三国志ダイジェスト版やってるぞ、来週で終わりかな、ダイジェストだから

200 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 22:59:17 ID:pk/pT3lz0.net
>>198
受傷人骨の研究では縄文時代にも普通に戦争があったみたいだぞ
カエルから獣まで何でも食べて飢えと隣り合わせだったらしい
中には受傷人骨がやたら多い集団も見つかっている
他の集団に攻め込まれたんだろう

201 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:11:06.71 ID:58i5/Sog0.net
>陶塤(とうけん)土笛の謎、日本では縄文時代から日本海沿いを中心に
 100個ほど出土してるが、朝鮮半島からは一つも出土していない。どうして?

https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12043460662.html
その一つが「土笛」です。弥生時代の土笛は、陶塤(とうけん)とも呼ばれる焼物の
笛で、起源は中国。河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前)の遺跡
などで出現しています。

202 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:13:04 ID:58i5/Sog0.net
2014/08/12 - 陶塤の出土は殷から周時代にかけて. 中国大陸と日本列島間の
交流があった可能性を表している。 陶塤が朝鮮半島から全く出土していない
ことから、. 中国との直接交流があったということだろう。

「中国古代の陶塤にその形と指孔の状況が酷似している」と
指. 摘、以来「陶塤」や「土笛」として紹介 ...
朝鮮半島において陶塤形土製品の出土が知られていない。

203 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:14:49.91 ID:n3nIEhga0.net
>>194
ヨーロッパもローマ帝国という一応の統一があった歴史的記憶があり、教皇という単一の権威を抱いていたけど統一には向かわなかった。
イスラム圏も同様。
インドもね。

中国はその点で特殊だわ。
秦の統一と、その後をうけて長期存続した漢が特殊なんだと思う。

春秋戦国時代の中国って色んな意味で後のヨーロッパを彷彿とさせることが多い。
国同士で政略結婚が盛んだったり、国の枠を越えて亡命者や技能者や技能集団が渡り歩いてたり。

204 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:17:32.45 ID:HxZEtCQR0.net
中国って市の下に県があるんだな

205 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:21:18.71 ID:a/tgVtpW0.net
>>8
知ってるよ
何だかんだで中国は7回行ってる

206 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:21:40.45 ID:5gkDpx5H0.net
末の子だったからはしっこにおいやられ更にできてから国境動かされて
季札様の墓所予定地だったかな

207 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:24:22 ID:MmHw/RHa0.net
徐福といい、日本に興味あったんだな

208 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:35:19.45 ID:XGsMHT9k0.net
DNA調べろ

209 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:36:03.94 ID:Vn1z2x+R0.net
中国はもっと歴史を大切にしろよ・・・w
葬り去るなんてもってのほかだよ

210 :名無しさん@1周年:2019/11/06(水) 23:46:13.43 ID:58i5/Sog0.net
漢書では孔子の言葉の前に「東夷は天性柔順で蛮夷、西戎、北狄とは異なる」とあり
天下に「道」が行われないことに絶望した孔子は、「東方九夷」の世界への居住を考えられた。
「東方九夷」の中には、「桴《いかだ》に乗りて海に浮かばん」とあることから、海の向こうに....

班固は「ゆえ有るかな(根拠があるのか)」、つまり孔子の言う地理的根拠は?
と問いかけた後、
「楽浪海中、倭人あり、分かれて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」
と締めくくっているのです。

211 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 03:22:31.86 ID:6MUCZgyp0.net
仏教でも中国の権威のあるお坊さんメッシとかロナウドクラスが日本に来て永住してるしな日本の生活水準も高かったんでしょう

212 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 03:42:58.71 ID:0zMeWgaO0.net
まともな神経の持ち主では資治通鑑を読めば悲嘆に暮れる
権力欲が強い人なら自分もやってやると思うかもしれないけど

213 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 03:47:33.87 ID:yavbsHTG0.net
>>62
どの王?

214 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 05:55:00.48 ID:o7l1ayLs0.net
弥生人(渡来人)が全員大陸から来た訳では無い、九州には来た事が甕棺墓の中の
人骨を調査してはっきりしているが、本州の弥生遺跡には甕棺が無く土葬なので
骨は土にもどっていて調べようが無い。本州と九州で埋葬法が違うと言う事は
民族も違うと考える方が正解。

215 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 06:08:00.93 ID:Bhytn6Rp0.net
>>136
一番大元の史記には「嘗胆」はあるが「臥薪」はない。「臥薪嘗胆」となったのは十八史略から。

216 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 06:12:34 ID:Bhytn6Rp0.net
>>135
そう言うのを「漢文塩鮭」と言う。覚えておきな。

217 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 07:24:49.05 ID:6adituAH0.net
俺もさすがに秋春時代の中国についての知識やうんちくは
ほとんど無い
せいぜい呉越同舟とか
死者に鞭打つ
のような故事成語についての知識が少しあるくらいだ
この時代は、まだ周王朝がある程度の権威を保っていたから
動乱期でも、一定の歯止めはあった時代ではあるがな

確かその周王朝も、昔の日本の南北朝時代のように分裂していたって話も聞いた事もあるけどさ

218 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 07:27:25.73 ID:6adituAH0.net
>>207
徐福が日本に来た何て、ただの伝説
日本にある徐福の墓もかなり後代になって作られたものだし
徐福渡来の話にしても同じだ
ただ、記録に東方の蓬莱を目指したとあるだけであり
東方の海の向こうなら日本だろうと、勝手に推測されているだけだよ
実際のところ、徐福の船団はどこに行ったかわからん

219 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 07:30:20 ID:6adituAH0.net
>>203
欧州は民族が分裂していったが
中国の場合は、多くの民族が漢民族に収斂していっている
清を作った満州族もそうだが
中原に入った民族の多くが、漢民族化しているのだよ
もちろんモンゴル民族のような例外もあるけど
この辺はやはり違うな

根本的には欧州と中国では民族って意識そのものにも違いがあった
としか思えない

220 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 08:43:56.03 ID:Wew2wBit0.net
日本の方が過去の中国文化が残ってるし発掘も進んでいるからな。
邪馬台国畿内説とか寝言を言ってないで、
早急に弥生文化の歴史を構築する必要がある。

221 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 09:02:55.09 ID:J5uPLxUu0.net
邪馬台国は畿内で確定的だがイデオロギーの問題で九州派がうるさいだけ

222 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 09:25:32.67 ID:l13qPn9o0.net
邪馬台国大和説もしくは邪馬台国奈良説と言わないのもイデオロギーの問題がありそうw

223 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 09:27:57.25 ID:YN2naVhv0.net
呉や越は銅の産地でもあるんだよな
有名な越王句践の剣とかあるし
中原から見たら田舎かも知らんけど文化的にはかなり発展してたんだろうな

224 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 09:41:29 ID:Qw0YRcaA0.net
>>179
中国から日本に文化が渡ってきたのを否定する人は
まずいないと思うんだけど。

225 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 10:32:45.25 ID:qhVFdFV00.net
>>221
卑弥呼の時代には中心が畿内に移ってるのは考古学的物証から明らかなんだけど、この話題になると変な人たちが発狂するからなw

226 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 11:22:10 ID:rEXhHVvx0.net
>>225
そういう勢力が畿内にあっただけという証拠にしかならないと思うけど

227 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 11:29:55 ID:CX7RhZ9S0.net
>>223
黄河文明と長江文明は並べて問題ないだろ

228 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 11:31:08.81 ID:YN2naVhv0.net
漢の時代にも呉楚七国の乱があったな
銅の産地で貨幣鋳造の拠点だったから中央政府に逆らえるくらいの実力があったと
稲作も盛んだし中央政府の史書にあまり出てこないけどかなり強力な勢力があったんだろうな

229 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 11:33:19.99 ID:CX7RhZ9S0.net
今のチワン族自治区?もうちょい北?

230 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 11:36:33.51 ID:vYZgEz5S0.net
>>224
年代によるわな、二十代以下ではいないけど、高齢者は多いかもな
昔は朝鮮経由で稲作始め文化が日本に伝わったと教科書に記載されてたし

231 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 11:49:57.09 ID:J5uPLxUu0.net
>>226
屁理屈いいから

232 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 11:51:58.27 ID:KHCDVsrf0.net
おまいら古代中国に 無駄に詳しくてw
いつも勉強になるわ

233 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 12:02:42 ID:YN2naVhv0.net
もともと呉、越は別民族の勢力圏だったけど中原文化圏の拡大でそこに組み込まれるようになった流れ
この時期はまさにその始まりの時期に当たる
興味深いな
まだ中国と呼べる世界が成立する前の段階の時代の変遷が見えるな

234 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 12:05:43.80 ID:rEXhHVvx0.net
>>231
屁理屈も何も畿内に強大な勢力が居たという証拠にしかならないだろ

235 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 12:29:10 ID:YN2naVhv0.net
中国は黄河の文明と別に長江の文明が存在してたからな
楚、呉、越はその流れの上にある
完全別系統の文化圏が一つに交じり合うそのまさにスタートの頃の遺跡だと思うと興味尽きないな

236 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 14:16:50.99 ID:6adituAH0.net
史記に記された商より古い文明
夏や三皇五帝の時代だが
長江流域では、商より古い遺跡がすでに発掘されているが
これが夏王朝や五帝の王朝に相当するものであるかは疑問がある
私の感覚では、夏はともかく、三皇五帝はやはり伝説のものであり
夏以前の王権について漠然した記憶から作られたものではないかと思われる
事に寄ったら夏もそうなのかも知れないな
仮に黄河流域で商以前の王権の遺跡が発掘されても
それがそのまま夏王朝のものとは限らず。夏王朝のモデルになった文明の遺跡
その程度で終わる可能性があるな

237 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 14:51:08.52 ID:5K1lu3BP0.net
>私が子供の頃は空に灰色の竜の雲の様なタカ類の渡りが西の空(上海方面)へと続く、
>渡り鳥を目印に進めば中国,長江〜九州間,直行ルートの方角は訳ないよ、
>数万羽のタカなどの渡り鳥が案内してくれる。
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/450/05/N000/000/002/150042933570931044177.jpg
http://www10.plala.or.jp/ayac/yazu/fa1/b129wa.jpg

238 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 14:51:33.09 ID:5K1lu3BP0.net
日本では主に本州で繁殖するトビとほぼ同じ大きさのタカ科の猛禽類です。
秋になると越冬のため中国大陸へ向かう渡り鳥としてハチクマの群れが長崎,五島福江島
に飛来します。 特に玉の浦町大瀬崎(大瀬崎山頂)は、
ハチクマの群れが中国大陸へ向けて次々に飛び出す様子を間近に
観察できる絶好のポイントになっています。

(海上を移動中の鷹柱たかばしら,上下も)
http://www10.plala.or.jp/ayac/taka/f0002.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200609/22/42/b0093742_18512550.jpg

239 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 14:55:03.51 ID:5K1lu3BP0.net
台湾、沖縄ルートは猛禽類のサシバ,ノスリなど少し小形の鷹類が渡るルートです。

宮古の野鳥 サシバ飛来数調査 2007年10月9日(寒露)から同22日までの2週間、
県自然保護課が宮古島市の協力を得て伊良部総合庁舎屋上で、
宮古野鳥の会が宮古本島の夕陽が丘(松原墓地団地上)で
それぞれサシバの飛来数調査を行い、
今年は伊良部島で13473羽、宮古本島で2045羽の合計15518羽 ...

240 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 14:59:20.79 ID:5K1lu3BP0.net
「長江を下って東シナ海に出れば、偏西風と黒潮に乗ることができる。黒潮の流速は、
本州南方で最も速く3〜5ノットに達し、この流れに乗れば容易に日本に到達する。
舟山列島を春から夏に出た船は、南西風と対馬海流に乗って五島列島につく。

昭和19年3月、ジャンクで日本に帰った山手元枝氏の経験によると、20日夜半、
舟山島を櫓で漕ぎ出したジャンクが、舟山島沖合で潮に乗ると同時に帆をあげると、
一路、東に向かって走り出し、翌日昼ごろ五島列島を横切り、
日暮れに唐津港に投錨したという。わずか20時間ほどで東シナ海を横断できる。
秋から冬の間に出た船は、舟山群島沖を南下する寒流と西北風によって黒潮に乗り、
九州南端の野間岬とか紀州南端の潮岬などにつく」。 (『四川と長江文明』古賀登・東方書店)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f8/89ab229e956a6176e81e7f0e953fa174.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a2/53be93b0a448039987c150f13c83e07b.jpg

241 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 16:41:16 ID:kpyeqay/0.net
長江って昔は揚子江て言ってなかったか、いつ変わった

242 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 17:41:07 ID:CX7RhZ9S0.net
調べた
長江は下流と上流で名前が違うみたい
下流が揚子江、上流が金なんとかw
Wikiにのってる

243 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 17:53:25.63 ID:RohTetu20.net
高校時代 朝鮮高校の猛者と大乱闘して放校になったあの大臣は 生魚ばかりではいかん という考えじゃろう

244 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 17:57:59.55 ID:RohTetu20.net
>>211奈良時代は交通インフラも国際水準だったしな 足利徳川の左翼政権が 日本の交通インフラを世界最低にして 現在に至る

245 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 18:00:30 ID:s0WAIipPO.net
マジか
さすがに中国はスケールがでかいな

246 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 18:13:14.56 ID:kpyeqay/0.net
揚子江。 九江から先は長江下流である。

特に江蘇省揚州市から鎮江市付近、およびそれより下流では、
かつて「揚子津渡口」という渡しがあったことから「揚子江」と呼ばれていた。
これが中国国外で長江を指す言葉としても用いられるようになっている。

247 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 19:36:59.33 ID:KJ29EJIB0.net
長江は古代では江と言った。一文字で固有名詞だった。甲骨文字や周代金文では江のみ。
後に色んな河川にも江の字が使われていって区別するために長江となっていったわけだけど、古代人が長江を長いなんて認識できない。

ちなみに黄河も古代では単に河と言った。河は本来は黄河の固有名詞。
後々になると色んな河川にも河が使われて黄河と呼ばれるようになったけど。
また、古代の黄河は黄色くなくて、漢代までは澄んだ河川だったし、中国大陸には大森林地帯があちこちに残っていた。

248 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 19:45:05.53 ID:iQQrsX//0.net
>>221,225
日本史板で大惨敗を喫した畿内厨がこんなところでこっそり世論操作w

249 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 19:58:17.16 ID:IRozGkWp0.net
倭人(日本人)は呉越の末裔であると書かれた文書が太宰府に残されていた話は有名ですね。
そしてそこにはナント、あの邪馬台国の場所も記されているのです。

邪 馬 臺 国 へ よ う こ そ

■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
https://i.imgur.com/bmslFbs.png

■アクセス
福岡県内
伊都国の南 徒歩すぐ

250 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 21:35:43.25 ID:d65oVXwb0.net
>>186
徐福が不老不死の薬を探しに行ったという話に成ってるが
現実には始皇帝陵で大量に使う水銀探しだと思うは
始皇帝陵墓の中で永遠に暮らす為に

251 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 22:06:23.08 ID:gv+tc1f10.net
>>213
勾践が呉に勝った後功臣の文種を疑って自害を命じたって話じゃないの
范蠡はそれを予想して逃げろって言って先に逃げたのにそうしなかったから…ていう話

252 :名無しさん@1周年:2019/11/07(木) 23:37:01.03 ID:/MoBtK/eO.net
なかなか面白いな

253 :名無しさん@1周年:2019/11/07(Thu) 23:50:46 ID:dMEAH1Q80.net
越は刀剣鋳造で有名だったから、副葬品に銅剣があるかもな

254 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 00:58:06.94 ID:L3kAvbvL0.net
古代中国の目の玉飛び出た(縦目?)青銅のお面、目の玉飛び出ているのにはどんな理由がありますか?
うちの家系はバセドウ病が多くて馴染みがあるので、あのお面見た時はバセドウ病だと思ってネットで調べて見ましたが答えが見つけられず
ずっとモヤモヤしてます

255 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 02:36:57.05 ID:wuY6wzIw0.net
>>248
凄いブーメランで愚かだな捏造なんでもありの5chを信じるとか

256 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 03:40:16.50 ID:edPyLSID0.net
奈良や厳島の神楽の面でも、目の玉が飛び出た
面を使ってるよね、奉納の舞?みたいなとき
奈良のは猿の顔に似せてるようにも思うけど
目力の表現か何かなんだろうか? 物理的に飛び出てるというより?
トルコの方にも目を模したお守り石があるかんじ?

257 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 03:43:01.78 ID:IYux0iaN0.net
トルコ語、朝鮮語、日本語には高い互換性があります
かつて同族だったと推測されます

258 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 03:53:23.77 ID:wuY6wzIw0.net
それ俗説で面白がっていってるだけだぞw
ハングルが出来る前は漢字で当時どんな言葉で喋ってたのかわからないから
紀元前の三韓征伐なんかで支配してたから日本語喋ってたのかも知れんな

259 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 04:00:05.37 ID:hz0n4Evt0.net
>>245 中国は 万里の超高速鉄道を あっという間に つくったが 日本は 静岡知事一味が妨害して 二里の磁気浮上鉄道すら つくれないしな

260 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 04:03:27.58 ID:xjrOUa970.net
越王の末裔が祭祀を復興して
王国の復活を宣言したりするとアレだな
あくまで地域おこしのイベントですからーって始めておいて
事業規模と戦力が整ってから、実はガチでしたーみたいなw

261 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 04:07:03.59 ID:4nTLOmqJ0.net
臥薪嘗胆といったら三国干渉
テストに出るぞw

262 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 04:32:52.01 ID:ZEzxttRe0.net
>>259
ゆうてあれも何百年と継ぎ足し継ぎ足しでできたやつだけどな

263 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 07:26:28.50 ID:yug3K++z0.net
>>255
敗残畿内の負け惜しみ美味しいです!

264 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 07:42:44.20 ID:wuY6wzIw0.net
?邪馬台国と魏は何度も使者送りあってたの知らないのかな墓は円形とか古墳に関してだけどな魏志倭人伝自体脚色説あるから九州説は弱い
無知っぽいかもう無視するけど九州から文明は始まったけど邪馬台国は近畿のが断然だと判断してるだけ君みたいな雑魚と関わりたくないロマンだからね

265 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 08:01:53.01 ID:6uVVn/eY0.net
>>264
妄想すげえなこいつ
畿内説ってこういうキチガイばっか

266 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 08:29:19.63 ID:e5OMcVBM0.net
>>219
>多くの民族が漢民族に収斂していっている

漢文の文法の変化を時代で追っていくと
アルタイ語系の影響をかなり受けてるからな

甲骨文字の資料は印欧語系の文法に近いけど
元代以降では日本語(アルタイ)と同じ語順で読める文章が
増えている

267 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 08:50:14.76 ID:TN2enZmF0.net
>>265
お前アホだろwなんの知識なく憶測だけでの結論としか思えないが

268 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 09:06:47 ID:IoHdOlRh0.net
>>219
モンゴルも三国志の呂布なんか出身地が今の内蒙古自治区だから
モンゴル人も相当な割合で漢化されている。

欧州はほぼ統一できたのがローマだけに対して
中国は秦の後に劉邦が再統一できたのが大きそう

269 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 13:30:36 ID:L3kAvbvL0.net
>>256
ありがとうございます
身体的特徴ではなさそうですね

270 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:16:14.61 ID:FnZQoJMz0.net
>>247
治水が進んでない時代の河って、頻繁に氾濫し河川敷どころか沼地が何十キロもの幅に広がってたそうだが。

271 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:22:56.08 ID:HqUNPrby0.net
>>154

つまり、日本人の祖先の国を滅ぼした宿敵か。

272 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:33:28.35 ID:e5klchwz0.net
>>264
はいはい、桃の種桃の種

273 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:41:52.37 ID:lQ06wtmg0.net
中原が氷河期で衰えて南国パラダイスになったとこで
自国生産より侵略して略奪した方が楽だし物もいいで
どんどん贅沢華美になっていき
氷河期終了で食料と特産の武器も糞暑くて作れんそんな事してると死人が出るわで
衰えたとこにうらみもかってたのであっさり滅ぼされたんだったけか

274 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:41:55.47 ID:hJELKBwH0.net
黄河文明と長江文明が接触して融合する契機となった時代だな
これに四川の文明が秦に滅ぼされて取り込まれて中国の古代文明が一つにまとまる

別口の古代文明3個が一つの文化圏にまとまる時代だと思うとワクワクするなぁ

三国時代で地域が三つに分かれたのもそういう文化的な差異がまだまだ大きいから何だろうな

275 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 17:46:32.91 ID:e5OMcVBM0.net
>>274
>四川の文明が秦に滅ぼされて取り込まれて中国の古代文明が一つにまとまる

どうだろう、夜郎を馬鹿にした漢はとっとと滅んだけど
その後裔の大理が中華の版図に収まったのは明代のことだからな
付かず離れず、まつろわぬ民だったのでは

つーか北方や西方の騎馬民族の備えで忙しくて南方なんて
気にしてるヒマないでしょ

276 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 18:08:27.92 ID:PI7EYkJN0.net
始皇帝の東征に圧迫される形で命からがら海に逃れて
日本列島や朝鮮半島にたどり着いたんだろうな

277 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 18:14:16.70 ID:UEMwtwJg0.net
日本の高志と中国の越が関係ないとかマジで嘘ばかり言ってる奴いて笑う

関係あるに決まってんだろ。江戸時代や明治ですら北前船の航路なのに

278 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 18:18:33.09 ID:hJELKBwH0.net
楚は長江文明と黄河文明の中間みたいな独特の文化圏を形成してるな
南北の人間が合流することで双方がまとまってく過程が面白い

279 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 19:54:44.61 ID:rOBVaMK50.net
>>268
モンゴル人が例外としたのは、蒙古の例があるからだよ
中国に流入した民族は多く、
そして中原で多くの異民族が国を作ったが
百年二百年経てその国が亡びるころには漢民族化していた
しかし蒙古だけは、漢民族化を最後まで拒否して、元が滅んだ時にはモンゴルに逃げている

280 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:10:52.25 ID:rOBVaMK50.net
>>253
秋春時代の後期の頃に鉄器が中国にも普及してきたが
このころの鉄器は鋳鉄法で作られており
不純物が多く、強度では青銅器とさほど差はないと聞いている
戦国時代に入っても、青銅器が金属の中心だったな
鉄器が広がるのは戦国時代の終わりになって、秦や漢の時代になってからだ

281 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:17:10 ID:hJELKBwH0.net
考えてみると天下を統一したのは中原から外れた秦だったな
漢も出自は楚だし

最初の頃は「中国の外」だった周辺の国が力を持って天下を制しているのが面白い

282 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:37:14.73 ID:Tnbe+TBF0.net
日本の考古学会はショボいな。
15年以上におよぶ調査によって得られたもの。

佐賀:吉野ヶ里遺跡(小国)
https://i.imgur.com/L3X8sWA.png

奈良:纏向遺跡(巨大モニュメント)
https://i.imgur.com/rJscQF5.png

283 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:39:00.54 ID:gw+gSL5a0.net
それは、元がアルタイ語系の王朝だからだよ。w

284 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:43:40.76 ID:hJELKBwH0.net
この時代はやはり周王室を全ての起点に置いてるな
どの国の出自も周王室に連なるものになってる

中央としてはそれが都合がいいし、新参勢力がのし上がるにも都合が良いと

285 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 20:57:22.32 ID:K8/RXVV10.net
>>284
易姓革命の考え方がその時代にできてるからじゃないかな
天命を得て王朝を開く
別に漢人で無くてもいい
塞外の野蛮人でも天命が下ればok

286 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:05:54.09 ID:ohXO+Yi90.net
>>194
ヨーロッパの人口は遥かに少なかったと思うよ。

ゲルマン人が移動してくるまでは内陸部はかなり過疎ってたんじゃないか。

287 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:09:24.89 ID:ohXO+Yi90.net
>>203
ローマが統一していたのは地中海周辺だから今の欧州と言うのとは
かなり違うよ。欧州内陸部より北アフリカから小アジア重視だからな。

288 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:11:35.15 ID:pe+4D4iR0.net
>>194
天子という概念は、漢からです。

289 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:14:11.20 ID:K8/RXVV10.net
ローマ帝国は地中海帝国だな
今のドイツあたりは版図になってないだろ
南欧と北アフリカにシリアがローマ帝国かな
イングランドにも上陸してたな

290 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:23:16.85 ID:hJELKBwH0.net
各地域の王が周王室をないがしろにして覇を競いだしてる
その周王室に止めを刺したのが外様の秦ってのも面白い
やはり中央と縁の浅い集団にそういう権威はむしろ自分達を貶める物として逆効果だから軽く見るのかもね

楚の荘王も鼎の軽重を問うので有名だけど外様は中央権力に対してむしろその破壊を望むようになるんだな

291 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:24:20 ID:ohXO+Yi90.net
>>219
豊かだったからだろうな。

ギリシャ人は粗食だったしローマ人も豊かさを目指して北アフリカや
中東を目指した。欧州は今でもその地域には拘泥している。

292 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:27:39.88 ID:K8/RXVV10.net
始皇帝は字の統一したのがでかいだろうな
それで漢民族ができたんじゃないか?
軌の統一とどりょうかんの統一も大きいけど
ローマのラテン語、ローマ軍道とかと通じる

293 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:30:09 ID:E9FhQsbK0.net
欧陽菲菲の先祖なんだろうな

294 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:33:20.69 ID:pe+4D4iR0.net
>>290
秦が強くなったのは、いち早く中央集権化して、
皇帝に権力を集中させたから。
もちろん、辺境の秦だからできたとも言えるが、
唯一、対抗できる武力を持った楚は中央集権化できなかったため、
秦との競り合いで負けることになる。

295 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:36:55.49 ID:hJELKBwH0.net
そう考えるとどいつもこいつも由緒正しい源氏や平家を自称してた日本のシステムは都合がいいのかも知らんな
それさえ名乗ってしまえばどこぞの農民でも征夷大将軍だし

296 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 21:38:10.22 ID:ohXO+Yi90.net
>>292
ローマ人はギリシャ語に変えたし、新約聖書もギリシャ語だよ。
ローマは15世紀まで続くがどんどん衰退して消滅した。
でオスマントルコ台頭しイスラム社会が今でも旧ローマ帝国の
首都に君臨している。

あまり欧州と中国は似ていない。

297 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 22:33:42.06 ID:rOBVaMK50.net
>>295
室町時代を開いた足利は、間違いなく河内源氏の本流に近い家柄だったし
細川、斯波、畠山の三菅領家も河内源氏の家だったよ
室町幕府の主流は間違いなく源氏だった
江戸幕府の徳川は、一応、河内源治を名乗ったが、これは甚だ怪しいがな
河内源氏の家柄の、吉良家とか畠山家を高家として優遇したこともあり
問題とする奴はいなかったが

298 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 23:45:41.40 ID:aXOz8pqP0.net
>>285
易姓革命というのも不思議な考えだ。

俺は神様の子孫だ、とか神から王権を神授されたとか、部族神が王を守るとか、世界の他の地域ではそんな考えが一般的だったのに、
天命が変わりうるなんて自殺的な思想を持っていたのはほとんど中国くらいだな。

普通は日本の天皇制みたいに、現人神で万世一系と思う方が普遍的なんだけど。

この思想がどっからやってきたのか、すごく興味がある。

299 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 23:50:08.34 ID:pe+4D4iR0.net
>>297
足利は分家でも端の方で、本流に近いとはいえない。
鎌倉時代に力を持っていたのも、北条と婚姻関係が深かったからだしなあ。

300 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 23:50:29.85 ID:YAPsyP1R0.net
越って、楚に滅ぼされたわけじゃね?戦国の版図から見て、
何時頃なんだろう?

301 :名無しさん@1周年:2019/11/08(金) 23:56:18.58 ID:YAPsyP1R0.net
中国は、大平原と言って良いんでは?大運河もあるし、
昔は交通路が整っていなかったから、分裂してただけなんでは?

302 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 00:13:07 ID:8GYYy3qT0.net
>>301
結構山岳地帯はあるし、蜀なんかは険しい山岳地帯に隔絶した盆地。
まあ平原も広いけど。

むしろヨーロッパの方が大平原に近いか?
中近東なども平原にちかい地形だけど全然統一されなかったな。

303 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 00:14:43.65 ID:3VmhbTUX0.net
>>300
このチャンネル見るとよく分かる
これは越が滅亡の時の年代のもの
春秋戦国時代を何本かにわけて領土の変化をよく現してるわ
https://youtu.be/F43HrIi2YEI

304 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 00:23:48.36 ID:nAMa9Qh20.net
>>254
蚕説をモチーフにした説を本で読んだ覚えがあるな
昔は養蚕は重要国の基幹産業だから儀式として使ったとか

305 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 00:26:51 ID:3VmhbTUX0.net
>>304
養蚕は日本の天皇家へと繋がるんだよな

306 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 02:17:37.86 ID:6/Pm1Ba/0.net
大運河がいつ作られたのか知らんのか

307 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 02:45:24.55 ID:iyBrVwIl0.net
>>219
ヨーロッパと違い、漢字が表意文字だったことが大きいと思う

308 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 03:02:48.66 ID:SLM+zuzg0.net
古代シナは城郭都市ネットワークであって領域国家じゃないから文化圏の統一なんて起こっていない
なぜ城郭を作るかと言えば外は蛮族だらけだから
この辺は日本と根本的に違うところ

309 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 03:19:48.59 ID:AUdvi0HG0.net
関東土人は関東平野が日本一広いから自慢したいだろうが、西暦57年に奴国の使者が
漢に朝貢して金印を拝領したがその時には大陸に上陸して何日間も山が見えない大平原を
歩いて洛陽に行ったからその驚きようは想像も出来ん

310 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 04:40:48.27 ID:aj05wrU40.net
>>309
関東土人は関東平野が日本一広いから自慢したいだろうが、

こういうくだりをつけたいのは病気か?

311 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 08:01:26 ID:8GYYy3qT0.net
>>298
易姓革命は、周が殷を倒したときに、
それを正当化するために生まれたもの
だと思う。

殷時代には無い。殷では、帝などの神
は殷を守護して当然の存在で、命が
革まるなんてあり得ない。
ただし、生贄捧げて、ご機嫌はとらない
といけない存在ではあった。

312 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 08:07:52 ID:Yg+7I0BZ0.net
三皇五帝の時代から禅定はあっただろ?
三皇五帝の神話はともかく、その神話の出来た殷の時代には易姓革命の考えはあったんじゃないかな
三皇五帝は周時代に作られた神話なのかな?

313 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 08:29:52.93 ID:SzZ9M1gs0.net
>>312
禅定など、三皇五帝の伝説意外は
簒奪者が皇帝に退位と譲位を迫った例
前漢の王莽が行った禅譲とか
後漢で魏が行った禅譲とか
そんなのしか存在しないよ

まあ、王莽は前帝を謀殺したが
魏の曹操は、その点は抜け目なく、前帝を丁重に扱い
逆賊とか主殺しと呼ばれる事を避けているがな
上手いやり方だよ。
王莽は漢王室嫡流を殺害したことで、傍流が次々と後釜になるべく
漢帝国再興を掲げて決起することになったが
嫡流を取り込んだ以上、その大義が失われるのだからな
王莽の失敗を曹操はよく学んでいるよ

314 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 08:52:17.12 ID:5v15h9450.net
始皇帝が書物焼きまくったのは案外よかったのかもな

315 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 09:17:05.94 ID:2/ckpHDx0.net
越王の墓が日本の墓と似ているなら
やはり中国南部人が弥生渡来人だったということか

316 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 09:57:12.19 ID:8GYYy3qT0.net
>>315
多分、日本人の成立はもっと複雑だと思う。

鳥取の青谷上寺地移籍でのDNA解析
では、ミトコンドリアDNA(母系)はほぼ
渡来系だった。でもそのルーツは、
中国北部系と中国南部系がほぼ半々ずつ
という結果だった。
満州にルーツを持つものもあった。

そして核DNA(父系)は渡来系が25%で、
縄文系が75%だった。
解釈が難しい解析結果です。

317 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:01:46.62 ID:8GYYy3qT0.net
>>312
三皇五帝伝説が成立したのは多分
漢の時代です。
尭舜禹くらいは周の時代から伝説が
あったようだけど、殷の時代には
影も形もないと思う。

318 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:21:48.52 ID:SzZ9M1gs0.net
>>314
多数の書物が失われたのは、秦の始皇帝の焚書よりも
むしろ秦末の混乱によるものであり
劉邦や項羽による略奪が大きかったよ
さらに漢で儒教が国教になると、今度は儒教による他学派の弾圧が起こった
その規模は、始皇帝の焚書坑儒とは比較にならないくらいのものだった
これで幾つもの学派が消え、多くの書物が失われたのだ
戦国時代には一大学派として独自の軍事力まで有した墨子学派が
漢の時代には消えたのも、それとは無縁ではなかろう

>>317
それは違うだろ。
司馬遷は非常に優れた人物だしな
三皇五帝の時代の伝承については、後世の儒教などの影響で変化はあっただろうが
かなり以前から存在したはずだ
ただ、秦の始皇帝の統一まで、中原には統一国家も存在しなかったわけだし
各民族で固有の創世神話とか持っていたはずだ
新しい民族が台頭すれば自分達に都合のよい神話を作るわけだから
古い神話をそのたびに改編されたりしたでしょうけどね

319 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:32:24.04 ID:KoclrbfF0.net
>>73
近江の歴史には詳しくないんだけど、
近江出身の継体天皇が即位することで近江の豪族にはどんなメリットがあったの?

320 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:35:19.38 ID:o/cvUiPX0.net
中国も余裕が出てきたから
これからどんどん考古学で古い発掘とかやるようになって
いろんな発見がありそうやなぁ

321 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:37:04.45 ID:yCrHK0LF0.net
>同陵墓の造営方式が古代日本の幾つかの陵墓に似ているという考えに期せずして一致した

なんだ。越の国も日本だったのか
ということは、越王句践も日本人だったということだな。
やっぱり日本はスゴイ

322 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:38:32.23 ID:o/cvUiPX0.net
>>110
弥生時代に青森で300年も水田やってたのにか?

これも当時はバカにされていた

323 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:39:45.88 ID:KoclrbfF0.net
継体天皇って皇籍復帰したっぽいんだけど、皇籍復帰前にもうけた子供にも皇位継承権が与えられるんだね。
庶子扱いになるのかと思った。

324 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:40:38.42 ID:o/cvUiPX0.net
日本のイネなんて温帯に適応した稲なのに
どこで適応したんだよって話だわ

325 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:41:05.44 ID:5v15h9450.net
兵馬ヨウは農民が気付いて見つかったし中国はドンドン出そうだな
日本も街宣右翼が邪魔しなければ古墳発掘出来るんだけどな

326 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:41:09.58 ID:F3E5cWqQ0.net
俺たちはいつも四面楚歌

327 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:42:00 ID:5v15h9450.net
半分海じゃんw海洋国家最強w

328 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:46:42.06 ID:KoclrbfF0.net
前から気になっていたんだけど、「始皇帝俑」って本物なの?

始皇帝俑 文化遺産オンライン
ttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/435900

329 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:49:54.27 ID:lv9Kn6D40.net
>>18
斉は皮膚の病、越は内臓の病の例えが好きだわ

330 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:53:08 ID:SzZ9M1gs0.net
>>328
俑は被葬者を守るためのものなのだから
被葬者自身の俑が存在するわけがない
これは確か近年になって作られた偽物の疑いが濃厚の作品だったと思ったが
いまでも展示しているとは思わなかった

331 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 10:57:42.48 ID:3pxNJ68Y0.net
竹簡は出土してないのか?

332 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 11:03:04.72 ID:SzZ9M1gs0.net
>>319
はっきりとしたことはわからん
多分に意図的だろう。記紀の記述もその辺は曖昧なところがあるしな
継体天皇が応神五世の孫とされるが。
間の四代についても、記紀には記述がなく、別の書に記述があるが
それも根拠が乏しい

近江豪族のメリットに関して言えば、継体天皇は近江を支配した息長氏の出身との説もあり
息長氏は天武帝の時代には、地方豪族としては破格の扱いを受けている事など根拠として挙げられているが
それについても色々と曖昧だな
記紀にはあえて記されなかった何かがあったかも知れないが。
何れにしても詳しくはわからん

333 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 11:04:54.75 ID:SzZ9M1gs0.net
>>331
書かれてないね
ただ、竹簡は失われる事が多いそうだ
竹だから腐ったりするだけではなく
盗掘者が灯を取るために燃やしたりする事が多いので

334 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 11:09:53 ID:SzZ9M1gs0.net
有名な馬王堆古墳だが
生けるがごときミイラが発見されたことで有名になったが
あの古墳は当初、漢王族の墓ではないかと言われていた
それくらい規模が大きかった
漢の時代は長沙国があった場所だが
長沙国は漢の諸侯の中でももっとも力の弱い国であり
そんな小国の王族が、あんな規模の墓を作れるとは思われなくてね

発掘が進むと、長沙国の宰相の妻の墓とわかったわけだが
この例が示すように、小国の宰相であっても、それだけの規模の墓が作られたのだから
当時の王侯の力がわかるってものだ

335 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 11:16:21.57 ID:nyOO/+t20.net
今中国人に買い占められてる北海道の土地も
自分達で埋めた古代中国の史跡が出土したと言って
北海道は中国の土地だったと史実が勝手に作られる予感

336 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 11:40:10.25 ID:s6kgqXyg0.net
>>332
天武天皇の即位前の名は大海人皇子
海人族の関係者だったんだろうな
継体帝もおそらくそうした血筋の人物だったのだろう

近江は古くから北部九州の海人・安曇族が進出していた場所で、滋賀の地名も安曇族の本拠地である志賀島から来ているという説があるくらい
実際琵琶湖の西岸には志賀の地名が残っているし、安曇川が存在するなど安曇の色が濃い
東岸側にも、米原市志賀谷に志賀神社が存在している

https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。

337 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 12:38:35.58 ID:LHIbkanU0.net
今、中国で中華民族教育やってるけど、漢民族以外の少数民族の歴史を中華の歴史に取り込んで少数民族の同化政策なんだけど、
中華の歴史そのものだろうな
長江文明もいつしか中華に取り込まれたんだろうな
yハプロのO2bが長江人じゃないか?
日本にも沢山いる

338 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 12:57:24.55 ID:VC6Xx1z40.net
>>304 >>305
零細稲作になりがちな山村では、養蚕は貴重な収入源だった
天皇が田植えや稲刈り、皇后が養蚕の儀式をするのは、
何が庶民の生活を支えて来たかを象徴している

339 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 13:32:43 ID:w00ec3IT0.net
>>336
海人族の尾張氏が大海人について体勢が変わったな

340 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:01:34 ID:qBEuRigI0.net
漢民族化した、なんてのはまるっきり嘘だぞ
北から来た異民族化したのが実像に近い
中原は服装だって古代では日本の着物のようないわゆる呉服だ
それがいつのまにかズボンはいてるだろ
古代ではズボンをはいた連中が中原に来ると着物を受容してズボンをはかなくなった
それが異民族の支配でズボンに変わったんだ
支配のために鮮卑が漢民族を自称した
つまり中身は鮮卑
言葉的に漢という言葉をつかっただけさね

341 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:12:14.06 ID:oZLJ/xY/0.net
そうそう
チャイナの歴史は幾多の異民族による征服王朝でスクラップ&ビルドの繰り返し
それに正統性を持たせようとしたのが天命思想の易姓革命
そして中原を筆頭に黄河下流域を支配している者が最も偉いという独りよがりな中華主義
漢民族は支配下にある民衆という意味で一般的な民族とは違う

342 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:13:56.79 ID:SzZ9M1gs0.net
>>335
中国が自ら持ち込んだ古銭とかを、発掘したとして
無人島とかの領有権を主張している事が前々から指摘されているだけに
実際にありえない話ではないな

343 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:17:18.27 ID:1HHN8KETO.net
>>294
まだその頃皇帝じゃなくて王じゃね?

344 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:24:42.46 ID:5DLNHXyn0.net
呉越ってどっちも楚に滅ぼされるんだろ?

345 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:29:11 ID:SzZ9M1gs0.net
>>344
呉は越に滅ぼされ
その後、越は楚に滅ぼされた

346 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:47:21.21 ID:8GYYy3qT0.net
>>341
世界史の通常運行だわな。
イスラム圏もそんな感じやし、ヨーロッパも各国史見てくとそんな感じ。イタリアとかイギリスとか。

日本は同じ過程が古墳時代には完了した感じ。
世界史的には早熟な方だな。

347 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 14:49:44.65 ID:KoclrbfF0.net
>>330
「始皇帝俑」を所蔵している美術館は、他にも「兵馬俑」や「銅車馬」を所蔵しているらしいけど、
本物だったら中国が返還要求してくるよね、やっぱり。

348 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 15:18:50.19 ID:SzZ9M1gs0.net
>>347
かなり前の事なんで詳細は忘れたが、328の画像のものだと思うけど
始皇帝の兵馬俑が日本にあるとの報道を観た事がある
兵馬俑は中国政府が輸出を許可しないから、中国国内にはまずない
もし海外に出回っていれば何億もの値が付く代物だ
だから偽物を作る業者もあるおだそうだ

そういう業者は年代測定をごまかすために、そこいらからよく出土する
漢代のレンガの粉とかを粘土に混ぜて兵馬俑を作るものだから
年代測定だけでは本物かどうか結論を出す事が出来ないだけに
精巧なものでは真贋の判別は難しいのだと

349 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 15:43:06.46 ID:w00ec3IT0.net
岐阜の田舎で展示されてたものが本物って話し合ったな
その後あの兵馬俑どうなったんだ

350 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:06:06.95 ID:qI5wDkp10.net
国士舘大学で偽物をみたことがある
レプリカだろうが

351 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:14:23 ID:yNt/NNyz0.net
>>318
周って統一国家じゃないのか?
そして周以降に中華世界が、周囲に広がっていき、
広がった中で統一を果たしたのが秦だろう?

352 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:16:53.84 ID:Yg+7I0BZ0.net
>>351
部族連合みたいな感じじゃないかな
邪馬台国みたいな
周は一番力があったが統一国家でもない

353 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:24:00.10 ID:SzZ9M1gs0.net
兵馬俑は、実は色を塗られていたそうだ
発掘当時は色鮮やかな色彩があったが
二千年ぶりに外気に触れて、たちまち退色したそうだ。

あまり知られていないが、ギリシャの彫刻ももともと色が塗られていた
これはエジプトの影響を受けたともいわれるが
現在は色が退色したりはがれたりしているけど、製造当時は、色鮮やかだったとか

そこから兵馬俑はギリシャ人が作ったとの説がある。
兵馬俑の顔立ちを観れば、確かに東洋人らしからぬ堀の深い顔立ちをしていることも
その根拠とされているのだが

ただ、堀の深い顔立ちに関しては、当時の秦の人たちには珍しくなかったのではないかとも思えるがな
始皇帝は青い目をしていたとの記録もあるし
秦があった場所は、中原の聖域により、シルクロードの入り口にあった
当時の秦の人たちが中東やヨーロッパ系の血を色濃く受け継いでいた可能性もあるだろう
秦の兵士たちをモデルに兵馬俑を作ったとすれば、堀が深い顔立ちになるのは不思議ではないように思える

354 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:28:50.17 ID:TVd53VXq0.net
日本に来た人々も最後は
中国→日本なんだろうがその前は何処にいたのか?
中央アジア経由の陸路か、沿岸部をインド東南アジア経由の海路か

355 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:30:30.03 ID:yNt/NNyz0.net
>>353
西の大帝国であるローマもまだ無く、漢もない時代に
シルクロードが盛んだったとは思えんな。
影響を与えるレベルでギリシア人は来ていないだろう。
俗に言うトンでも説だな。

ローマ以前となると、アケメネス朝かアレクサンダーか?
あとはインドは何朝だっけ?

356 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:31:56.18 ID:SzZ9M1gs0.net
>>351
商を滅ぼし、黄河流域を支配したのが周だよね
当時の中原と言えば、黄河流域の限られた範囲だったが
この周の権威が中原だけではなく周辺の地域にも早い時期から広がっていたのだろうな
周辺の部族が国家を形成するようになった、春秋時代には周王室を形式的には仰いでいたな
まあ、この周王朝に三皇五帝の伝説の原型でもあったのではないの

以前、司馬遼太郎の「劉邦と項羽」を読んだ事があるけど
もともと黄帝何て神は存在しないし。
始皇帝までは、皇帝なんて位はなく、代わりに皇帝と呼ばれる神が存在したそうだ
始皇帝は皇帝という神の名を自らの位として決め
もともと皇帝と呼ばれた神は、五行説に対応したりして黄帝と呼ばれるようになったのだと
こんな具合に神話の改編が行われ続けたって感じだ

そもそも三皇五帝の物語の原型となる
五行説とか、三皇の三はどうだったか忘れたが、これも何かの思想に基づく数だが
この思想は、戦国時代から漢代にかけて成立したものだからな
神話や神名を五行説などに当てはまるように改変されたりもしたのでしょうよ

357 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:36:56.03 ID:SzZ9M1gs0.net
>>355
素人が出している説ではなく、れっきとした考古学者が出している説だ
とんでも学説とまでは言えないだろうが
ただ、史実と証明するには根拠が足りないな

358 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:40:04.06 ID:6/Pm1Ba/0.net
兵馬俑は、どう見ても北方系中国人


ウンコは目も頭もおかしい

359 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:40:05.53 ID:yNt/NNyz0.net
>>356
確か、漢を火徳にする為、一人増やしたりしてたな、前漢末に。

360 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 16:54:15.30 ID:5DLNHXyn0.net
元々言語や習慣の異なる異民族だったものが、強力な統一国家の出現で
言語や度量衡が統一され、それが異民族の侵入でバラバラになる
までは同じなのに
なんでヨーロッパと異なりシナは再統一されたんだろうな
しかも欧州はキリスト教という強力な価値観まで共有してたのに
シナにそんなドグマはなかっただろ?12、3世紀まで
集権的な官僚制度と封建的貴族制の違いかな?

361 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 17:08:25.69 ID:yS+2Lhix0.net
>>353
全員一重まぶたの東洋人だけど
どこの兵馬俑見てるんだお前は?

362 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 17:11:00.18 ID:jVyUNIv60.net
司馬遼太郎の書くことを信じるなって
ペンネームの元となった司馬遷の書いた史記をまず読め

363 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 18:49:43.10 ID:8GYYy3qT0.net
>>355
アレクサンドロス大王の東征に伴い、ギリシャ人は一時インドにまで勢力を拡大していたから
あり得ない話ではないよ。
やや時代がずれるけど大月氏というコーカソイド系の遊牧民が中国北方からインド西北部まで移動している。
遊牧民は古来交易の民でもあるし、中国の一番西のはしにいた秦に影響があったとしても不思議でない。
ヨーロッパの大学では真剣に検討されてる学説とも聞きます。

364 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 18:57:51.62 ID:OlhfxzBf0.net
宮城谷昌光とか

365 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 20:59:07.87 ID:Yg+7I0BZ0.net
>>363
ヘレニズム仏像で写真検索するとマッチョ過ぎて草生える
ギリシャ兵ってあんな感じだったんだよ

366 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 20:59:48.42 ID:Yg+7I0BZ0.net
>>363
普通にペルシャ人が中国に沢山来てなかったか?

367 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 21:54:28.71 ID:t75z86Ec0.net
>>353
兵馬俑は、現代の中原をウロウロしている兄ちゃんやおっさんそっくりだよ。
彫の深い新疆顔やもっと西のスタン顔(バクトリア・ギリシャ顔)はいない。
兵馬俑と同時代の秦領域から新疆顔やスタン顔の像も出ているのに兵馬俑にはない。
みな中原顔の俑でそろえたのは理由があるんだろう。

兵馬俑がギリシャの影響を受けて作られた証拠を挙げたいのならば、
ギリシャ顔がいるらしい(実際はいない)っていういい加減な話ではなく、
”写実こそ至高”とのコンセプトの出現にした方がいいのではないかな。
兵馬俑の前にあんな写実像群は出ないから。

人といい馬といい、今にも動き出しそうで兵馬俑には驚く。
それ以前の像は、デフォルメの美はあっても、写実の迫力はない。

368 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 22:08:09 ID:t75z86Ec0.net
>>1
写真のトルコ石は、二里頭遺跡(夏の首都?)から出た”竜の杖”に似ている。
配列が似ている。
杖のそばから銅鐸も出ればビンゴだな。
長江の楚地域が夏の故郷だったりするとおもしろいね。

369 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 22:21:54.01 ID:6/Pm1Ba/0.net
兵馬俑は、実際の兵士をモデルにしてるだろうから、ほとんど漢人だろ

少数の外国商人や技術者がいたところで、それらをモデルにするわけがない

370 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 23:07:28.11 ID:SzZ9M1gs0.net
>>360
欧州にもゲルマン民族の侵入などの脅威があったが
中国大陸には北方は平原で遊牧民族の侵入が特に激しかったから
その脅威に対抗する必要から、統一が求められたのではないの

371 :名無しさん@1周年:2019/11/09(土) 23:09:49 ID:SzZ9M1gs0.net
>>367
いや、私にどうこう言われても困る
そういう説が実際にあるから述べているだけでね
兵馬俑の顔に関しては一つ一つにモデルがいたと言われているし
そして堀が深い欧州を思わせる作りとの説があるってだけでな

372 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 00:05:02.63 ID:Pj9KkrSU0.net
>>371
そうか。
秦の故郷領域の人々は、今でも中原ど真ん中の人々よりも、濃い顔だよ。
ギリシャやイラン的というのとはまた別で、短頭の縄文的な深さ。
それなのに兵馬俑は、のっぺり長頭の中原顔が主体なのが不思議だなあと思っていた。

373 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 00:12:00 ID:OkxNJI170.net
>>371
ギリシャ、ローマ彫刻はヨーロッパで色々見たし
兵馬俑の像は画像も兵馬俑展の実物も見て知ってるが
そんな奇天烈な事は考えたことも無かった
どう見てもアジア顔

374 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 00:15:18.20 ID:7/q6j8X10.net
そういや煬帝の墓も10年前ぐらいに見つかってたんだってな
国は違えど、チンギスハーンの墓が見つからないかなぁ

375 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 02:13:22.25 ID:C08vRfOY0.net
>>336
お前が書いている米原市の志賀~社の祭神を調べたら天照大神と誉田別命(応神天皇)
になっていたから志賀島の志賀海神社とは無関係のようだぞ志賀海神社の祭神は
綿津見三~だ。海神社とか綿津見神社と呼ぶ神社が安曇族に関係している。

376 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 02:42:59.49 ID:Mf4uXtAG0.net
呉の宰相は可愛そうな人だったな・・・

377 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 04:34:40.67 ID:peJI8BpJ0.net
>>375
これは失敬
志賀神社だから志賀大神を祀っているものと思い込んでいたよ
ちょっと勇み足だったな

ただ佐賀の志賀神社にも応神天皇が祀られてるんだよね
全くの無関係かどうかは検討の余地がある

御祭神 | 志賀神社
http://sigajinja.net/gosaijin/
志賀大神
(しがおおみかみ) 志賀大神は上筒男之命・中筒男之命・底筒男之命のあわせて三柱の神の総称です。

応神天皇
(おうじんてんのう) 開拓開墾の神様です。早津江は和銅年間(七○八〜七一五)の開津とも言われ、干潟の陸地化と深い関わりがあります。

378 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:06:18.64 ID:/tznJ8Fq0.net
>>361
いちいち造型でつくり分けない
ローマ教会のギリシア彫刻の話してんじゃないだろw

379 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:10:51.31 ID:5t/CPwb60.net
兵馬俑って、陶器なんですよ

パーツ作って、それを組み立ててる

ギリシャにあるんすか

380 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:11:46.60 ID:5t/CPwb60.net
キリスト教徒って、ウンコ食べるんだよね

381 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:20:17.08 ID:sHpvPh820.net
>>1
こんな写真じゃなんもわかんない
ペンキの空き缶写ってるじゃないか

382 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:25:06.02 ID:AYl4lQyf0.net
日本の古墳も発掘しろ

383 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:30:02.90 ID:6pKaUpmR0.net
>>332
天武天皇の時に破格の扱いを受けたのは壬申の乱の功績では?
壬申の乱の時、天武天皇に味方した尾張氏は草薙剣を貰ったらしい。

384 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:35:12.59 ID:ZuLcYuDZ0.net
日本の武人埴輪は眼窩上隆起なのに一重だから
いちいち細かくはしないみたいだな

385 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:49:57.32 ID:bUqeX5m60.net
>>280
>このころの鉄器は鋳鉄法で作られており
>不純物が多く、強度では青銅器とさほど差はないと聞いている

鉄器が青銅器を上回ったのは強度ではなく生産高だよ
銅は産出される地域が狭い一方で、鉄はどこでも産出する

つまり鉄を加工する技術を持つものが物量で兵力を凌駕できる
銅より入手が容易で、コストが安くつく鉄を選ぶのは文明の必然

それに戦は刀剣で決するものじゃないしね
中国では弓や戟矛で圧倒するものだし、日本でも弓や槍が前線で活躍していた

386 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:53:04.23 ID:6pKaUpmR0.net
>>336
大海人皇子の乳母が尾張の海部氏出身だったらしい。

387 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 09:56:03 ID:F3Gogv6l0.net
ちょうど湖底の城読んでるわ。少し前にここに建った三国志スレで教えてくれた人ありがとうね

388 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 10:34:39.87 ID:HESIj+T60.net
このスレ住人、情報古くね?
秦の起きた辺りって、アフガニスタンのアレキサンドリアに近い場所でしょ
始皇帝はギリシャ人の末裔

389 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 10:47:00.48 ID:XLdclBDt0.net
>>363
漢代に入ってからなら中東からソグド人が交易に訪れてるし、秦の時代だって大月氏とかあのあたりまでは来てたんじゃないの?だったら大規模ではないと言え、そう言ったところから来た人々と多少の交流はあったかも

390 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:14:55.88 ID:jXNahWkB0.net
中国人はモンゴロイドでコーカソイドじゃねえだろw
何を妄想で語ってるんだ2度と出てくるな

391 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:23:45.64 ID:1V6SA0ej0.net
>>388
何言ってんだ?陝西省とアフガニスタンが近いと思ってんのか?

392 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:28:22.56 ID:hcgOhZpd0.net
>>360
地形の問題だって説があるな。
欧州はなんだかんだいっても山があちこちにある。
アルプス、ピレーネ山脈、カルパチア山脈、それほと高くないがチェコの周囲の山、
フランスの1000m級の山。

中国は、基本中央の大平原を握ったやつが覇権を握る。
欧州は、大平原のフランスは、早くに統一されたが、山の多いドイツは長らく中小の
領主の連合体。

393 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:28:55.51 ID:sHi7SGWQ0.net
中央アジアの遊牧民はコーカソイドが基本だよ
中国の北まで来てる
三国志の孫権なんて青い目の赤い毛だとか
ペルシャ系だろ

394 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:32:56.90 ID:jXNahWkB0.net
今の漢民族に見てコーカソイド入ってると思えるの凄いな
日本は中東系の顔立ちいてコーカソイド入ってると言われれば納得するけど

395 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:38:15.58 ID:sHi7SGWQ0.net
中国人が100人いてペルシャ人が1人いる
そんな比率なら100年もしたら見た目は中国人と同じになるよ
ただ、詳細な遺伝子解析すればこの遺伝子はペルシャ由来とかわかるだろ

396 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:39:14.50 ID:8zOn6huT0.net
中国だと三星堆遺跡にものすごく惹かれるんだけど、本とか少ないんだよなあ。

397 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:40:24.94 ID:HESIj+T60.net
>>391
ああ、起きた場所じゃねーや
始皇帝の時代、アフガンの大月氏ってのの支配地域と支配地域が接してるじゃん
トーハクでやったアフガン展とか見に行ってねーのかよ

398 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:42:31.34 ID:5t/CPwb60.net
白人崇拝のウンコを食べるウリスト教

399 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:42:35.50 ID:EuZK1/Y10.net
越後や越前は越から来た渡来人が住んでたのが由来

400 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:48:20.50 ID:1V6SA0ej0.net
>>397
始皇帝は趙生まれ、今の山西省
ギリシャには縁もゆかりもねーよ

401 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:48:52 ID:jXNahWkB0.net
一人のペルシャ人で統治制圧出来るわけないだろう多数のいないといけない物理的に
日本は薄顔細目切れ長の目が長らく美形とされたが濃い顔多いんだよなこれどうすんだ

402 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:49:53.86 ID:sHi7SGWQ0.net
始皇帝は羌族だろ
太公望と同じ一族
チベット系遊牧民が中国化した

403 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:54:27.12 ID:5t/CPwb60.net
漢人で、コーカソイド(R)由来は基本的にいない
統計に出てこない

西域のウイグル人とかはそうかもしれんが

404 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 11:55:18.72 ID:6pKaUpmR0.net
>>348
銅車馬はかなり精巧みたい。

美浜町に兵馬俑が?
ttp://www.sekenisan.com/zenkoku/heibayo.html

405 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:15:22.36 ID:vIK9pRt20.net
>>392
基本は大平原が広がるけど再統一されなかったイスラム諸国はなぜなんだろう。
古代にはアケメネス朝ペルシア、中世にはイスラム帝国として統一されたけど、アッバース朝が衰退してからは二度と統一されなかった。

今なんてほんとバラバラよ。

やっぱり統一され続けた中国の方が特殊だと思う。

406 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:29:59.96 ID:JFAbOBAh0.net
>>405
統一されなかったのはイスラム教徒の派閥で仲が悪かったからだと思う
欧州もキリスト教徒の派閥で戦争しまくりだし、思想の自由に不寛容だったのが逆に統一し難くなったのかと

407 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:46:51.13 ID:hcgOhZpd0.net
>>354
第一陣は、南から海ぞいを通って日本へ
第二陣は、おそらく主流は北回りで(RやNの先祖の時代)、途中で欧州族(RやQ)と
別れて、NOになってシベリアのどこかで最寒気をすごし、氷期の終焉で草原が消え
マンモスが消え、食うに困って一部が南下し、そのうちの一派がやってくる。
この第二陣までが縄文の核となる。

第三は、大陸で南北から集まった様々な人々が波状的にやってくる。

408 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:51:49.59 ID:hcgOhZpd0.net
>>405
砂漠は、2000mの山脈よりも障害になったってことじゃないかな。
水がないと人間は行きていけないからな。

409 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:55:31.73 ID:hcgOhZpd0.net
>>355
4000年以上前に麦が中国に伝わってるし、鉄だって来てる。
中央アジアの大平原は古代から交易や交流の中心だったんじゃないかな。

410 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 12:58:32.66 ID:hcgOhZpd0.net
>>360
漢字も関係あるかもしれんね。

411 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 13:02:27 ID:sHi7SGWQ0.net
>>360
ヨーロッパ全体をキリスト教帝国と捉えるのが妥当かな
帝国内にいくつも王国があるのは普通だよ

412 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 13:03:25.24 ID:yD5uqdIx0.net
ベトナム(越南)とは関係あるかな

413 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 13:06:34.27 ID:SesXRWzxO.net
偽物も多いがたまに凄い本物があるのが中国
偽物しかないのが南北朝鮮

414 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 13:07:30.03 ID:jPoNSjtn0.net
>>412
越の南だからベトナム

415 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 13:12:49.20 ID:N9GbGa0t0.net
>>360
モンゴルを自力で北方に撤退させた明の力が大きいかな
撤退後は明、清と分裂しなかったのも大きい
イギリスという統一妨害勢力が何度もちょっかい出したヨーロッパと
何度か大陸出兵の可能性もあったのに徳川政権が
国に引きこもった違いもあるかな。

416 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 16:37:13.91 ID:qzOMij4f0.net
>386
継体天皇の支持勢力は海人族として有名な尾張氏だと学術の世界ではいわれている

417 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 17:24:02.99 ID:itbQ3Zx70.net
>>161
分布状況を見ると稲種と青銅祭祀竜蛇尊崇文化を持った集団がやってきたのはもはやデフォ

418 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 18:28:56.52 ID:CLVqVsbN0.net
とりあえずY染色体調べて

419 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 18:43:07.12 ID:CLVqVsbN0.net
天日矛の子孫
丹波国造、尾張国造、海部氏など

丹波国造の女系子孫
神功皇后(息長氏)

尾張国造の祭神・御神体
熱田神宮・天叢雲(三種の神器)

420 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 18:48:56.83 ID:FYi17mwR0.net
>>402
秦の将軍羌カイは羌族なんかな
キングダムではなぜか蚩尤になってるけど

421 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:00:25.13 ID:m9VJYYsC0.net
ふさ?

422 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:09:54.45 ID:6pKaUpmR0.net
>>416
なんで、5chには尾張氏を海人族だと主張する人が多いんだろう?

423 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:13:49.43 ID:xKGq+YTt0.net
おめーら、よく知ってるな

424 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:47:14.46 ID:FYi17mwR0.net
名古屋城から北へ数キロの志賀と言う場所にに綿神社があり
志賀の海神社が由来で九州から移ってきた安曇族が作ったとされてる
その子孫が尾張氏とも

425 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:50:31.82 ID:PZXG9J2o0.net
>>422
考古学や人類系にふれた史学や系譜学の最新の専門書に
尾張氏やその他吉備氏や三輪氏などは海人族であると
書いてるからじゃね?

426 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:53:21 ID:0MpTrD3o0.net
>>419
天日矛の子孫に尾張氏や海部氏などいない
噓はよくない
丹波国造は田道間守あたりを無理やり付会するなよ
息を吐くように嘘つく隣国チョンw

427 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 19:59:32.88 ID:cJXyarao0.net
>>42
その場所から東へ知多半島あたりまでは碧海、青海族が太平洋側や日本海側からも進出してきていたところ

428 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 20:11:10.70 ID:YIZPgLU+0.net
この時代の故事は完璧か折檻が好き

429 :名無しさん@1周年(大阪府):2019/11/10(日) 20:11:56 ID:a797D+O70.net
「越南」と書いて「ベトナム」と読む。
「越」よりも「南」にあったから「越南」やったんか?

誰か詳しい人がおったら教えてくれ。

430 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 20:21:42.04 ID:6pKaUpmR0.net
>>425
尾張氏を海人族だと主張するなら、尾張氏と同族の物部氏も海人族だと主張すればいいのに。

431 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 20:33:45.30 ID:sHi7SGWQ0.net
>>429
越は今のチワン族じゃないかな
自治区あるよ

432 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 20:36:48.00 ID:O8jwyl1b0.net
黄腸題凑じゃないのか

433 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 20:48:37 ID:/uTl09p40.net
>>84
電気メッキ技術はかなり古い時代からあったようだよ

434 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 21:01:37.59 ID:8ahBqgEg0.net
秦始皇帝の皇子と皇妃か=肖像を3Dプリンターで復元、きさきには東アジア系と異なる特徴も
https://www.recordchina.co.jp/b625867-s0-c30-d0142.html
https://img.recordchina.co.jp/thumbs/m720/201807/20180717-142539391.jpg

顔の雰囲気は漢民族というよりトルクメニスタンとか中央アジアに近いかな
後宮には近隣諸国の王女も居ただろうから、始皇帝が西方の血筋とは言い切れないけどな


始皇帝のDNA的な父は呂不韋でしょ

435 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 21:31:23 ID:QlFPEuqg0.net
>>430
実際かなり近い関係だと思うよ、海人そのものかはまだ不明だけど
筑後国一宮・高良大社の草創以来からの神職に物部氏も安曇氏も仲良く名を連ねているしね

https://lunabura.exblog.jp/22077245/
>?高良社仕人
>高良社草創以来の仕人は
>丹波氏(俗体大宮司法体坐主兼宮師職、武内宿禰嫡流)、
>物部氏(祝司、大祝、小祝職、武内宿禰乳母の子孫)。
>安曇氏(磯良の子孫、筑前磯鹿浜の辺に住む、三韓征伐の時の梶取なり。その嫡孫は安曇氏を称す。後、三潴酒見村の風浪宮神主となる)、
>百済氏(百済王子、降人)、前田氏(下宮大宮司)、草部氏(御供所、三毛郡司)等、此の外仕人多数なりしも中古に至り滅ぶ(高良山日記、千手院文書)。

436 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 21:33:25.22 ID:QlFPEuqg0.net
ちなみに物部氏は邪馬台国があったと目されている筑後山門(現・福岡県みやま市)が出自の様子
伊都国の安曇氏とは密接な関係だっただろうね

> 331 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 18:19:03.66 ID:yjDSp0sY0
> >>300補足
> のちの大連・物部氏の故地が福岡県みやま市瀬高町太神にある「こうやの宮」と呼ばれる場所
> 正式名称は磯上物部神社
> 久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳に「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている
>
> そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている
> 明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた
> 物部氏の像と考えられており、物部氏が九州出自の氏族であることを示している
> カバネが臣ではなく連なのもこのためだろう
> https://stat.ameba.jp/user_images/20190526/11/kenbuncho2017/1b/e2/j/o1475087514416523027.jpg
>
> そしてこの磯上物部神社のある場所こそまさに筑後国山門郡にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる
> 地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた
> 明らかに畿内大和の祖型となった地である
> https://lunabura.exblog.jp/25416518/
> >この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。
> >「山門」には「夜万止」(やまと)、
> >「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています

437 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 21:43:21.95 ID:6pKaUpmR0.net
海人族は渡来人に違いない。

438 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 21:44:41.71 ID:6pKaUpmR0.net
>>435
友達の友達は友達みたいな素敵な発想だね。

439 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 22:16:53.97 ID:kZv5LioN0.net
>435
丹波氏が筑後一宮の神人に潜り込んだ経緯を知りたい

440 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 22:19:43.96 ID:yNkx1cSb0.net
>>110
山東なら水さえ引ければ稲作が出来るからそっちから黄海を渡って南朝鮮に伝わったんだろ

441 :名無しさん@1周年:2019/11/10(日) 22:41:33.28 ID:FYi17mwR0.net
呉や越は黥面の文化があった
半島南部や九州北部の倭人はその流れか
海人族である安曇族も志賀島にルーツがある
海人族はやはり大陸からかねぇ

志賀島出身のアイドル乃木坂の与田ちゃんの先祖も黥面だったのか
与田ちゃんの黥面見てみたいw

442 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:08:44 ID:0S+UDbW40.net
>>437

780名無しさん@1周年 2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが


929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0

縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね



270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
https://www.bs-tbs.co.jp/mysterious-america/

解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。

オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?

本州〜北海道〜ロシア〜アラスカ〜オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。

オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。

https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/

443 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:09:09 ID:0S+UDbW40.net
349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85ID:J2Yk4v8A0
>>338

古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ


389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね


408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389

朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない

444 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:09:30.02 ID:0S+UDbW40.net
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止

御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた

そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する

445 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:10:12.11 ID:0S+UDbW40.net
217名無しさん@1周年 2019/06/07(金) 20:34:12.16ID:paZLZmIV0

朝鮮人と日本民族の違いが判断できるのは
海藻を食べると日本民族は胃で消化できるが朝鮮人達は在日朝鮮人帰化人でさえ消化できない
それだけ縄文人時代の2万年前から日本民族は海産物を食べる習慣があったからで
海苔を食べる習慣や泳ぐ習慣の無かったシベリアエベンキ朝鮮人達が
海女が起源とか日本の海苔巻きが朝鮮起源のキムパブとかわけわからんことを起源にして
朝鮮人のデマの判断はすぐにわかる


220名無しさん@1周年2019/06/07(金) 20:38:01.25ID:paZLZmIV0

海藻を食べる習慣があった日本民族だけ
海藻を消化できるが
他の民族は全く消化出来ない

302名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:11:21.59ID:Lf23WkKu0
>>217
>>270
縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある

446 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:10:32.11 ID:0S+UDbW40.net
314名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:20:59.45ID:BvUsWrN0
>>302

「燻製」「塩漬け」「煮干し」のような現代と同様の食料の貯蔵や保存の技術を持っていて
それはフィリピンから鹿児島から関東あたりまでその作業跡が出てる

ピットでは地下水使って虫抜きもするし栗の品種改良までやってるしな
その後と重なるように丸木舟や丸木舟専用の石斧が東京都まで出土するんだからな
縄文人の活動圏は広域すぎるよ


318名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:25:45.48ID:jftzTyjq0
>>302
> 縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある

そんな適度な事書いても
喜んで本気にするのはネトウヨだけだよ。

またネトウヨが縄文人の特徴はって
本気にして他の掲示板にコピペするから
止めときなよ。


341名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:52:02.28ID:A9wu72l0
>>318

「外耳道骨腫」も知らない在日韓国朝鮮人wwww

日本の夜間小学校から入り直せよwww

447 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:13:35.66 ID:1iRJnP7z0.net
>>16
日本人の酒を飲めない下戸遺伝子は
中国南部がルーツとされている

つまり、越国の人たちとは同じルーツの可能性が高い
特に下戸の連中は

448 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:14:17.71 ID:Ae2fHtJH0.net
天安門

449 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 00:20:59.41 ID:cMcP+nTm0.net
奸臣・伯ヒの存在はでかい

450 :名無しさん@1周年:2019/11/11(月) 01:27:51.08 ID:s1OUcRrh0.net
ウンコスレ

総レス数 450
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