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【福岡】伊都国と奴国テーマに論議、邪馬台国の謎に迫る 飯塚で古代史講座 「伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないか」★2

1 :樽悶 ★:2019/08/09(金) 23:21:23.42 ID:nJs+S1I79.net
伊都国や奴国がどんな国だったか討論する高島忠平氏(左から2人目)ら
https://www.nishinippon.co.jp/uploads/image/192565/large_IP190803JAA010821000.jpg

 考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く〜遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第2回講演会が3日、飯塚市のイイヅカコミュニティセンターであった。中国の史書「魏志倭人伝」に記述がある北部九州のクニ「伊都国」と「奴国」に関する近年の研究について2人の研究者が講演し、邪馬台国の謎に迫るヒントを探った。

 伊都国について糸島市教育委員会文化課の岡部裕俊課長は、北部九州の軍事掌握や、中国に発送する文書検閲などを担った「一大率」が所在していたという説を紹介。遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことから、大陸と直接交易をしていた可能性があり「政治的な重要地点だった」と指摘した。

 福岡市埋蔵文化財課の常松幹雄主任文化財主事が、福岡平野を中心とした奴国について紹介。「漢委奴国王」と刻まれた金印が作られたのは57年で、魏志倭人伝に登場する奴国は3世紀ごろだとみられる。2世紀ほどの隔たりがあることから、魏志倭人伝に記された奴国の首長が金印を下賜されたとする解釈は「ふに落ちない」と強調した。

 講演後、2人と高島氏が公開討論。伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないかとする高島氏の説に対し、岡部氏は「祭祀(さいし)に関わった特殊な力を持った女性を想定する」、常松氏は「被葬者が男性とする根拠はなく、女性と考える」と応じた。

西日本新聞 2019/8/4 6:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532555/

★1:2019/08/05(月) 23:30:20.66
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565015420/

2 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:22:20.13 ID:fcpWtc8R0.net
ひまだな

3 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:24:24.01 ID:S7qBksjJ0.net
また池袋でプリウス?

4 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:28:58.08 ID:yrZnlZV90.net
昔の国って、今で言う市区町村サイズだからな
30ヶ国連合と言っても列記されてる国は小さい

5 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:37:17.10 ID:fqDGZLx20.net
倭の国とは九州のことだったのか
じゃ本州は大和の国か

6 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:40:39.17 ID:VO/XztPn0.net
九州で可能性があるのは宇佐神宮じゃないの
今は畿内説の方が有力のようだけど、状況証拠だけじゃなー

7 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:43:52.09 ID:E0RVbEdY0.net
採れる作物の記述を研究すればだれでもどこに邪馬台国があったかわかる件について

8 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:45:07.50 ID:DiucSH+Y0.net
まだやんの?
邪馬台国がどこにあろうが結局越前のヲホドが皇室の基礎なんだから

9 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:45:24.67 ID:NbjEtEpv0.net
「漢委奴国王」が神武天皇である。

証拠
・日本で編纂された『新撰姓氏録』には神武天皇の兄は、新羅王の祖であると書かれている。
・西暦57年、『新羅本記』によると倭人の脱解尼師今が新羅王の祖になった。
・西暦57年、倭奴国王が金印を授かった。
※西暦57年、神武が初代天皇になり、神武の兄が新羅王の祖になったと考えられる。

『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
昔氏の始祖が、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。


10 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:47:40.54 ID:NbjEtEpv0.net
「漢委奴国王」が神武天皇だとすると
「カミ」の語源は「漢委」である可能性が高い。

アイヌ語では神を「カムイ」と発音するが、「漢委」なら「カミ」とも「カムイ」とも読める

11 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:50:05.55 ID:NbjEtEpv0.net
>>1
伊都国の平原遺跡はすでに発掘調査されていて
邪馬台国よりも前の時代の遺跡であることが鏡などの物的証拠から判明してるから
「町おこし」のために平原遺跡の被葬者は卑弥呼であると言ってるだけだろうな

12 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:55:46.34 ID:6qhh5yh50.net
おまいらも上級のために古墳造りに駆り出されるからな
今のうちに世を謳歌しとけよwww

13 :名無しさん@1周年:2019/08/09(金) 23:59:13.58 ID:pyDTOCoB0.net
カゴメのヘンテコポットベトルトマ汁より多いから
伊藤園の買ってる

14 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:02:27.49 ID:i2jXIm5s0.net
八女近辺だろ

15 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:10:49.48 ID:KzGtPgRN0.net
平原遺跡の被葬者が卑弥呼。

これが正解。

16 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:20:55.82 ID:brq52spH0.net
>>8
一般的に神武は架空で崇神が初代。応神が第2王朝。継体が現天皇家に繋がる第3王朝だよね。

継体は応神の遠縁とも地方豪族とも言われるけど崇神や応神の出自は本当に謎だらけ。

17 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:23:22.77 ID:HPx5vVpF0.net
>>6
畿内は書物を思いっきり
ロマン砲でわざと読み間違えというか
意図的に畿内にしてる
畿内の豪族は卑弥呼じゃなくしっかり生き残ってる
卑弥呼は九州の久留米か伊都あたりで
滅んでる

18 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:36:17.45 ID:brq52spH0.net
>>9
日本神話の神代パートは金印奴国や倭王帥升など現実の北九州を反映している説有力だよね。
卑弥呼がアマテラスのモデルとか。

だとしたらなぜ大和朝廷が北九州のこと知ってる?

19 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:56:28.18 ID:k1X9Upxq0.net
大和朝廷は九州併呑してるんだから、そりゃ九州の歴史は知ってるだろ。
それ以外の地域も風土記の記載レベルからすればそれぞれの国の歴史まで踏み込んでるし。

20 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:57:25.65 ID:/LYL3pIF0.net
>>1
四国だって言ってるだろが

21 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:57:58.95 ID:543f+WgG0.net
すーばーはー

22 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 00:58:03.94 ID:8Cihx/V40.net
>>16
謎じゃなくて朝鮮だろ

23 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:06:07.90 ID:qxLm95UR0.net
平原遺跡は殉死が少ないなあ。

24 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:06:42.18 ID:/LYL3pIF0.net
>>22
四国の豪族

25 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:09:56.06 ID:7/DRAR750.net
人は記憶型と思考型に大別できる

九州のアイドル卑弥呼ちゃん
大手プロダクションが出てきて関西でメジャーデビューを企んでる
四国勢もあわよくばと卑弥呼ちゃんを狙ってる

26 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:12:35.07 ID:kAwzwr4C0.net
朝鮮と福岡のことわざ「叫び続ければ真実になる」

なんで辻褄が合って無い支那のラノベポエムが根拠になるのか?
まぁ職業考古学者として、食っていく為にアホなネタ振り撒いてるんだろーけど

27 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:13:45.72 ID:3sb4H+wF0.net
九州八女の山奥に卑弥呼は生まれ生活し、大宰府近辺の集落を治め、お墓は平原と推測してる。大宰府は、博多湾と有明海に通じる地の利。隣は吉野ヶ里。呉の民族は西の有明海の港から入ってきていた山門だな。呉とは安曇族だな。その後日本中に痕跡を残してるよ。

28 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:14:23.57 ID:wIE0k6CS0.net
邪馬台国は朝鮮?

29 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:14:47.69 ID:qxLm95UR0.net
祇園山古墳は殉死も確認さてているだけで66人、
朱で塗られた槨なし棺墓、
高良山の麓という、
筑後平野の戦略上の要害、
径100歩の丸い墳丘、
全てが卑弥呼の墓である事を訴えかけて来る。
高良大社の豊比盗_社は文字通り、
トヨを祀る神社だ。

30 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:16:22.93 ID:wIE0k6CS0.net
宇宙の始まりは朝鮮である

31 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:17:45.95 ID:EM80F+X+0.net
伊都の高祖神社は天日槍だし、住吉大社は元々那の津の阿曇系の神。
半島南部から阿曇が渡来系氏族を手引きして瀬戸内海方面へ送り込んだんだろ

32 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:20:07.79 ID:3sb4H+wF0.net
平原古墳か祇園山古墳かどちらも怪しい。筑後付近はどこも怪しい。卑弥呼の痕跡と磐井の痕跡がごちゃごちゃあって境目も筑後近辺。

33 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:25:42.67 ID:vbznIrlz0.net
ヒミコって名前じゃないよね

34 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:25:46.06 ID:EJMiXsLA0.net
わざわざ日向の浜から瀬戸内海通って紀伊半島迂回して東遷しましたって書いてある本があるのに、
オマエラ何をいつまでグダグダやってんの?ヤマト国は九州から畿内に東遷して大和朝廷になりました、おわり。

35 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:37:36.46 ID:cAkycOpS0.net
>>29
まあ祇園山古墳かその周辺でほぼ確定だろうね
なぜなら日本の他地域ではほとんど殉葬の風習が見られないから
仮に祇園山古墳が伝えられるとおり武内宿禰の墓で卑弥呼の墓はまだ未発見だとしても、権力者の死に際して大規模な殉葬を行うという風習が
日本中でここにしかないから、卑弥呼の墓が見つかるとしたら結局この近くだろう

36 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 01:56:05.82 ID:3sb4H+wF0.net
武内すくねの墓が御井とは知らなんだ。てっきり香椎宮と思ってた。

37 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:20:46.51 ID:xBZYy5E60.net
邪馬台国は狗奴国との戦争によって壊滅したのですよ。
ヤマタ(邪馬台)ノオロチはスサノオ(モデルのひとりは狗古智卑狗)によって退治されたわけです。
決戦の場もしくは和平交渉の場あるいはその両方が天の安河(夜須川)付近だったのでしょう。

邪馬台の指導層たちの生き残りの逃亡先が宇佐。後に半島南部からタラシ系の倭人たちが九州島に侵入してきたとき
彼らは邪馬台の末裔(神夏磯姫)と婚姻関係を結び、ハクを付けたうえで吉備、河内へ向けて瀬戸内海を東進しました。
宇佐神宮そのものが大きな古墳の上に有るという説もあるそうですが、もしもそうであるのなら
その被葬者はおそらく台与でしょう。

38 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:30:27.94 ID:/FnPcXnG0.net
台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている

西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝


帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−

対馬國

− 海を渡る1000余里−

一大国(隠岐)

− 海を渡る1000余里−

末廬国(松江)− 伊都国(出雲)− 奴国(因幡)− 不弥国(摂津住吉)− 投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

39 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:33:26.79 ID:/FnPcXnG0.net
邪馬台国が出雲から隠岐を使うルートで大陸と行き来していた同時期に九州は、大陸との行き来をしていなかったのか・・と言えばそうではなく
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を続けてきた

帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−

対馬國

− 海を渡る1000余里−

一支国(壱岐)

− 海を渡る1000余里−

竹斯国(筑紫)

のルートで大陸と行き来していた

対馬から壱岐→筑紫を使うルートは
後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」【九州の既得権益】だったのだ

40 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:36:02.63 ID:/FnPcXnG0.net
そして

後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」の【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が奈良を制圧し、自分の国「大和」となり

その父の第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」から

対馬のかわりに一支国(壱岐)を使うことを許されて、一大国(隠岐)の使用をやめて

唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『梁書』倭人伝(629年完成)

帯方郡−一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬臺国

41 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:36:06.55 ID:9fuD9Rfv0.net
>>38
狗邪韓国〜対馬間と対馬〜隠岐間では距離が違いすぎて同じ渡海千里にはなりようがない
畿内説が無理すぎることを浮き彫りにしただけだったな
ボツ

42 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:36:46.70 ID:yX/XW2UC0.net
田舎の部落対立かな

43 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:37:36.15 ID:liN39z6h0.net
>>38
いやいや、そんなに難しく考える必要はないんだよ。
末廬国は松浦だし、伊都国は糸島だし、奴国は福岡市なんだよ。
なぜ、それ以降は不明なのかは、邪馬台国がわざと正しい邪馬台国の位置を魏の使者に教えなかっただけさ。
邪馬台国が魏に朝貢したとはいえ、完全に臣従していたわけじゃないんだからさ。
この時代、本拠地の位置を知られることほど防衛上の危機は無かったんだろう。

44 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:37:41.31 ID:/FnPcXnG0.net
そして第12代景行天皇皇子のヤマトタケルが

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられてから代々続いてきた「漢委奴国王(熊襲建)」と

大国主が国譲りをしてから代々続いた「出雲主王(出雲建)」を討伐して


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された
『隋書』倭国伝(636年完成)

百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

45 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:38:16.63 ID:/FnPcXnG0.net
>>41
一支国(壱岐)のほうが近すぎる

46 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:39:22.09 ID:/FnPcXnG0.net
>>43
んな小さな国のわけがねーだろ

47 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:40:22.47 ID:0YQyQSo10.net
文字が無い時代で中国の書物頼りなんだから専門家も中国で研究すればいいのに
文化大革命で破棄されてのかね

48 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:41:44.77 ID:liN39z6h0.net
>>46
邪馬台国が大和国だってことは正しいよ。
ただ、魏志倭人伝の距離を推察の元にするのは無駄だってこと。
最初から間違っているんだからさ。
邪馬台国側は、正しい本拠地の位置を教えたくない。
魏の使者は、自分はこれだけの遠距離を頑張って往復してきましたアピールをしたい。
その両者の思惑で、距離が滅茶苦茶な記述になったのさ。

49 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:41:45.89 ID:/FnPcXnG0.net
対馬〜隠岐間は、対馬海流にのって
狗邪韓国〜対馬間と

おなじ時間で着く

一支国(壱岐)は近すぎて
狗邪韓国〜対馬間の半分の時間で着いちゃう

50 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:42:28.00 ID:MEsnf5EN0.net
結局のところ、兄国韓国から文明を恵んでもらっていたという、大筋のところは変わらないのだ。
韓国コンプレックスをこじらせるあまり、古代史の話が出るたびに発狂する哀れなクソジャップ。

51 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:43:07.42 ID:9fuD9Rfv0.net
>>45
いや狗邪韓国〜対馬間とそんなに変わらん
隠岐ははるかに遠すぎ、何倍も距離が違う

52 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:43:16.51 ID:/FnPcXnG0.net
>>48
邪馬台国側は、正しい本拠地の位置を教えたくない。

渡来人がすみずみまで知ってる九州じゃ無理

つまり邪馬台国は九州には無い

53 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:45:26.63 ID:9fuD9Rfv0.net
>>49
>一支国(壱岐)は近すぎて狗邪韓国〜対馬間の半分の時間で着いちゃう
着かねーよ
距離的に狗邪韓国〜対馬と大して変わらん

やっぱりウソツ畿内と言われるだけのことはあるな

54 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:45:27.04 ID:liN39z6h0.net
>>52
そのとおり。
自然と読めば良いんだよ。
邪馬台国は大和国。
天照大御神は卑弥呼。
むしろ九州説は、なぜこれをまったく無関係と無視できるのかが理解できないね。

55 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:46:15.86 ID:9snmfeNQ0.net
大和朝廷と邪馬台国を関連づけようとするから無理が出る
邪馬台国は九州で大和朝廷とは何の関係もない

56 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 02:59:38.02 ID:8drrqSJd0.net
邪馬台国論争は畿内説の関西人と九州説の九州人を排除して行うべき
贔屓の引き倒しウザい

57 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 03:03:30.47 ID:B4v8slg10.net
倭王帥升は倭王金
倭王帥升等で皇家女王等
倭王朕とか言うのは天皇のことだから

金印は漢のハンコ、漢倭奴国王は、漢の奴隷王という意味

一大率は割合のこと、そこに諸国の王がたくさん居たという意味に

伊都国は我、藤(フジ)国という意味に
藤は日本の花、そこに藤原氏みたいな官吏がいたということ

奴国というのは漢の直属の奴隷王がいたと考えられるから
奴国に当時の倭の王がいたということが考えられる

58 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 03:08:49.37 ID:B4v8slg10.net
卑弥呼の墓は奴国にあると考えられるけど
発掘した跡も盗掘された跡もあるから

59 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 03:53:43.94 ID:/FnPcXnG0.net
>>51
地図見てみろよ

60 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 03:56:05.64 ID:/FnPcXnG0.net
>>53
台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている

西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝


帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−

対馬國

− 海を渡る1000余里−

一大国(隠岐)

− 海を渡る1000余里− ← 一支国(壱岐)じゃ近すぎる

末廬国(松江)

61 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 04:04:02.57 ID:/FnPcXnG0.net
>>54
そもそも

一大国 と 末廬国 の間も

海を渡る1000余里

と書かれているのもわかんねーやつらだからね九州説は(笑)

62 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 04:04:30.51 ID:oQpfSSwt0.net
あの時代は現代とは時空間の位相にかなりのズレが発生していたからね
邪馬台国の正確な位置が収束しないのはそれが原因
時間を固定すれば空間が発散するし、空間を固定すれば時間が発散する
場所を特定するのは原理的に不可能であることを21世紀の人間はまだ知らない

63 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 04:12:58.32 ID:/FnPcXnG0.net
>>62
いんや、あの時代でも

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、渡来人が闊歩した九州

ならば

現代とほぼおなじ時空間の位相になっている
中国本土並みにな

そうなっておらず、かなりのズレが発生しているということは

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、渡来人が闊歩した九州

では無いという証明だ

64 :久留米のくじら:2019/08/10(土) 05:15:59.52 ID:gyq3F8R80.net
>>29名無しさん@1周年2019/08/10(土) 01:14:47.69ID:qxLm95UR0>>35
祇園山古墳は殉死も確認されているだけで66人、
朱で塗られた槨なし棺墓、

九州最古級祇園山古墳の頂に存在する棺墓は、
高良玉垂宮神秘書に見られる大祝の祖 日往子の命の墓の公算が高いと思われます。
ただ、その時代既に祇園山古墳は存在していたと考えられます。

>>高良山の麓という、
筑後平野の戦略上の要害、
径100歩の丸い墳丘、

祇園山古墳は三段の敷石にて構築された方墳。発掘時の坊津街道方面から撮られた写真を見ると
あたかも三段のピラミッドのような存在感を放っています。


>>全てが卑弥呼の墓である事を訴えかけて来る。
高良大社の豊比盗_社は文字通り、
トヨを祀る神社だ。

高良玉垂宮最高祀官 大祝屋敷内に鏡山神社と豊比盗_社は存在していた。
現在は九州自動車道の直下。久留米市大城町赤司八幡宮の旧名こそが豊比搭{。
祭神は神功皇后の宗女豊比当ス。

65 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:07:38.30 ID:/FnPcXnG0.net
九州に邪馬台国が存在したとすると、そのパターンは、大きく分けて3っつ

パターン1
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた国が、ひきつづき「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人は、当然、どこが邪馬台国なのか、方位も里数も行程時間も知っている、倭王としての名前が変わっただけ、間違わない



パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた国とは別の九州の国が「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人にとってビックニュース、当然、どこが「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡る、間違わない



パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた九州に、
邪馬台国という国が新しく出来て、「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人にとってビックニュース、当然、どこに邪馬台国ができて「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡る、間違わない

66 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:10:22.94 ID:/FnPcXnG0.net
結論

邪馬台国は九州には無かった

67 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:11:32.52 ID:TyiLsdxdO.net
邪馬台国が何処でも構わないんだが、どう考えても13才の台与で話が纏まるというのは、半島伝説を考慮としか考えられない。奈良だと遠すぎるかもうこのとき半島に侵されかかってるかになってくる、共立はあくまで半島諸国と九州位と考えるのが自然じゃないのかねぇ

68 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:14:56.54 ID:/FnPcXnG0.net
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、
渡来人も大陸の役人も、今まで誰も行ったことがなかった小国が

出雲を植民地にして、一大卒を派遣して統治して、

急に大陸に行けるようになっちゃって、「親魏倭王」になっちゃった

69 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:24:51.33 ID:D2S6jjzt0.net
>>59
お前がな
やはり畿内説はウソしか言わないクズの集まりだった

70 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:26:23.46 ID:TyiLsdxdO.net
この頃は半島も日本列島も日本と朝鮮では無いわけでごった煮なんだから、ただ日本人の俺としては列島に先住卑弥呼女王国があって微力ながら頑張ってたとしてほしいんだが、その後を考えると百済、新羅が押し寄せ、万世一系なんてものが支配し脇を渡来が固めてる。

71 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:27:33.53 ID:/FnPcXnG0.net
しかし

夷人不知里數但計以日『隋書』
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算している

ので

『魏志』倭人伝に書かれている方位も里数も行程時間も

すべて渡来人のヤマカン (^_^;

72 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:28:18.52 ID:/FnPcXnG0.net
>>69
>>54
そもそも

一大国 と 末廬国 の間も

海を渡る1000余里

と書かれているのもわかんねーやつらだからね九州説は(笑)

73 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:29:10.27 ID:/FnPcXnG0.net
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、
渡来人も大陸の役人も、今まで誰も行ったことがなかった小国が

出雲を植民地にして、一大卒を派遣して統治して、

急に大陸に行けるようになっちゃって、「親魏倭王」になっちゃった

しかし

夷人不知里數但計以日『隋書』
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算している

ので

『魏志』倭人伝に書かれている方位も里数も行程時間も

すべて渡来人のヤマカン (^_^;

74 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:33:26.80 ID:e8/xUsOc0.net
>>72
ますます隠岐はないじゃん
畿内派って頭おかしいんだね

75 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:35:33.80 ID:kf8S8Uvo0.net
頭がマトモな人間が畿内説なんて恥ずかしいことを言えるかよw

76 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:37:37.42 ID:6MT87FT40.net
>>71
渡来人というか魏(や普)の使者だろ?

77 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:41:33.51 ID:6MT87FT40.net
地図みたら普通に半島と対馬、対馬と壱岐はまあ同じような距離にあると思うけどなあ。
もっとも壱岐から松浦半島はちょっと短いとは思うんで、壱岐からは東に進んで宗像に上陸した
説を取りたい。

78 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:42:47.68 ID:JtqK33N40.net
こ れ は ニ ュ ー ス 速 報 で す か ?



79 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:43:07.44 ID:9iiZyruD0.net
>>1
平原遺跡から出土した超大型内行花文鏡は皇室の三種の神器のひとつ、八咫鏡の同型鏡だからな〜
しかもそれが5枚も
どれほどの権力者だったか、ってことだよな〜

80 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:45:07.81 ID:6MT87FT40.net
>>78
ν速+名物の邪馬台国スレですよ

81 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:47:22.96 ID:kaBhgFfS0.net
>>64
>高良玉垂宮神秘書に見られる大祝の祖 日往子の命の墓の公算が高いと思われます。

日往子(ヒユキコ)って狗奴国の王・卑弥弓呼(ヒミクコ)じゃないの?
と新説を述べてみる

82 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:50:31.90 ID:CF2p2pd50.net
朝鮮人が農耕を始めてできたのが邪馬台国

83 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 06:53:03.21 ID:pRabogv00.net
神武の存在を前提にして畿内って言うなら、なんで神武記の記述は
無視するの?
あっちいって数年こっちによって数年のルンペン旅の末に河内に
たどり着いて、勝手に生駒を超えようとして返り討ちに遭い惨敗、
ほうほうの体で住吉周りで逃亡旅、兄二人死んで今も命がけの熊野
の道からようやくだまし討ちで根拠を得、その後も崇神が出現する
までは物部=ニギハヤヒに降妃を受けて権威を維持、外部から来た
崇神に明け渡すという、そんなんが大中国に国の代表ですなんて
言うわけない。
あ、あと神武は男だからな。
熊野は日本最古の仏教の聖地、国東の古修験道から名付けられた。
また、神武記長脛彦関連で出現する地名以外で固有の古地名が希
なのも、大規模な弥生渡来系の東進前は地名も僅少だったことの
証明。

84 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 07:01:47.25 ID:CF2p2pd50.net
九州で稲作を始めたら土人が集まってきた

85 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 07:03:10.97 ID:eyAsrIit0.net
10月の令和新天皇即位の儀式で使われる麻布の衣と、絹布の衣は代々四国徳島に有る
日本最古最上位の神社で作られる
神社は山の上に有って、水が汚されることがない、これが邪馬台国だ

俺の父方の先祖は700年前、四国から奈良県吉野に移住して、そのご後醍醐天皇天皇にお仕えした
という伝承が有る

86 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 07:46:32.53 ID:3sb4H+wF0.net
卑弥呼の時代は既に西から呉の民族が入っていて共に倭を建国してた。呉は航海得意だからな。当然、魏国に正しい場所は知られたくない。壱岐辺りから、船で西に回って有明海から内海通って筑後平野まで水先案内したんだろ。

87 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 08:16:48.03 ID:9YxG4+Po0.net
九州には筑紫、肥、豊、熊襲の
4つの国に分かれていた。
そのうちの漢倭奴国王が筑紫。
親魏倭王が肥。

筑紫と肥の国境付近には
鉄の武器の痕跡や戦死遺体が残り
戦争状態であったことが伺える。

しかし卑弥呼が魏に支援を求めたのは
熊襲対策であって筑紫対策ではないことから
筑紫と肥は休戦状態だったと思われる。

88 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 08:30:55.51 ID:9YxG4+Po0.net
筑後川より北が筑紫、
筑後川より南で有明海沿岸が肥だったが
4世紀ころには筑後川下流部の
低湿地地域が開発できるようになり
筑紫と肥で激しい争いが始まった。

ポイントは久留米で、筑紫平野を一望できる
久留米高良山の奪い合いになる。
このときの砦となったのが久留米高良大社だ。

筑紫は周到に筑後川から広川に入り
大善寺玉垂宮に橋頭堡を築く。
このあたりまでは満潮時には逆流する川なので
輸送もしやすい。

ここをそれなりの兵力で押さえたあと
上津高良台の上津天満宮に侵攻。
ここに拠点を築く。

その後、高良山を奪取し
筑後の覇権は筑紫のものとなる。
位置的には肥中となっても良いような
位置関係だが、筑後となったのは
筑紫がここを獲ったことを表している。

89 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 08:35:46.64 ID:/FnPcXnG0.net
>>74
隠岐 ー 松江 は距離的にも航海時間的にも全く問題なし

壱岐 ー 筑紫 は距離的にも航海時間的にも近ずぎる

90 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 08:38:31.19 ID:/FnPcXnG0.net
>>87
九州に邪馬台国が存在したとすると、そのパターンは、大きく分けて3っつ

パターン1
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた国が、ひきつづき「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人は、当然、どこが邪馬台国なのか、方位も里数も行程時間も知っている、倭王としての名前が変わっただけ、間違わない



パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた国とは別の九州の国が「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人にとってビックニュース、当然、どこが「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡る、間違わない



パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭の国王として君臨してきた九州に、
邪馬台国という国が新しく出来て、「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸側の役人にとってビックニュース、当然、どこに邪馬台国ができて「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡る、間違わない

91 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:09:18.65 ID:dOrbejrG0.net
現代でもそうだけど博多湾は東の奥に船を止める
神功皇后が半島を攻めるのに置いた香椎宮もその近く

2回目の魏の使者張政は博多湾から上陸して
伊都国へ向かう途中に奴国を見て
高いところから遠くの不弥国が見えたんじゃないか

92 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:22:53.38 ID:dOrbejrG0.net
虚実入り混じる魏志倭人伝は都合よく解釈できるので
日本全域で邪馬台国である可能性が生じるが
対海国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国は
邪馬台国ではないと言える

93 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:24:51.68 ID:oQpfSSwt0.net
アトランティスから逃げ延びてきた人たちが住み着いたのが邪馬台国

94 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:34:45.67 ID:2ZtjT9fJ0.net
ダイワとしか読めない「大倭」をヤマトと読ませるのは
魏志倭人伝の「大倭」に由来するとしか考えられない

・魏志倭人伝では邪馬台国を「大倭」と表現した
・倭国ではヤマト(奈良)に「大倭」の漢字を当て字した

邪馬台国が奈良ではないとしたら
この2つが偶然の一致ということになってしまう。
奈良が邪馬台国だからヤマトに魏志倭人伝の「大倭」の文字を採用したとしか考えられない

95 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:39:46.37 ID:2ZtjT9fJ0.net
>>83
神武は実在だと思うけど、神武東征はウソだと思うよ。
『日本書紀』は九州からクーデターを起こした天武天皇が書かせたものだから
天武天皇の自己正当化が目的でもある。

神武は九州から侵略、天武も九州から侵略、
これで天武のクーデターは神聖なものになる

96 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 09:44:39.74 ID:EM80F+X+0.net
弥生渡来系が阿曇の手引きで九州に定住
でも農地が少ないので徐々に瀬戸内海を東進
これが当事者にとっては神武東征だし、土着勢力にとっては畿内にいきなり現れた天日槍
どちらの神話も軍事侵攻というよりは住むところを分けて最終的には手打ちした話になってる

97 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:21:10.13 ID:xBZYy5E60.net
>>88
たしかにあの地域は筑紫と肥のあいだでの係争の地だったでしょうね。
筑紫の盟主、伊都国が肥を敗北させこの地を配下に置いたのはあるいは平原に眠る偉大な女王の時代だったかもしれません。
半島と交易していた伊都国は肥よりも進んだ技術、武器を持っていたのでしょう。
当時は博多湾と有明海が水路でつながっていたという話もありますね。
この敗北した肥の盟主は鬼奴国(熊本県玉名:玉杵名郡)ではなかったでしょうか。
後の時代の火の君の拠点もこの玉名ではなかったか(あるいは宇土郡)と。

邪馬台国の時代が終わった後、九州島でもっとも大きな力を持つ勢力にのし上がっていったのが
倭人条の邪馬国(福岡県八女郡)の末裔ではなかったでしょうか。タブラツ姫、筑紫の君イワイ。
豊かな生産力、人口の増加を背景に筑後どころか筑紫の中心となりました。

98 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:40:51.76 ID:dOrbejrG0.net
卑弥呼が伊都国から奈良へ引越ししてた場合しっくりくるところ

>丗有王
(伊都国には)代々王がいる

>乃共立一女子為王
一女子を共に立てて王と為した
(銅鐸に共立の跡がみられる)

>倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和
倭女王の卑弥呼は狗奴国の男王、卑弥弓呼と素より不和
(卑弥呼が伊都国にいたときから熊本市の狗奴国の卑弥弓呼と不和)

99 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:42:54.66 ID:CcAhwNaI0.net
>>95
天武天皇が九州勢力をバックに持ってたっていう根拠は何なの?
吉野に逃げ込んだことがあったように思うから、
紀伊半島勢力をバックに持ってたんじゃないかなと思ってたけど。

100 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:48:03.87 ID:dOrbejrG0.net
天皇より上の卑弥呼の存在は隠されたが引越しはしたので
架空の人物神武を作って神武が引越ししたことにした

101 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:49:22.86 ID:Qwutu3Er0.net
天孫降臨を韓国からにしたい勢力が居て糸島半島にもっていきたがっている
舶来品が浜辺にあったからといってそこが拠点とは限らない。

モンゴル帝国は数多の外国人工業者を抱えていて帝国の拠点で生産させたりしていたが、
といっても拠点は別にあった。遊牧帝国に限らずよくあることだ、結論的にこういうふうに見たいという指向性に引っ張られていると思う
野蛮が非野蛮、文明が非文明的勢力に支配されていることなどはよくあるが、歴史学でたまに遺物の高い文明的なものが発掘されるとそれが主導性主体と解釈したがるのは先走り過ぎ

102 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:52:31.62 ID:Qwutu3Er0.net
>>101
訂正
×野蛮が非野蛮
〇非野蛮が野蛮

103 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 10:58:57.58 ID:EM80F+X+0.net
>>101
韓国というか、半島南部は弥生中期から倭人の痕跡があるし古墳時代は百済も新羅も倭人に隷属してる
同じ倭人文化圏(初期は特に伽耶と新羅)だと考えた方がいい

104 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:05:09.89 ID:CcAhwNaI0.net
>>103
韓(漢)人より倭人の方が航海技術が優れてたため、
倭人が朝鮮南部まで赴き交易してるうちにいっぱい住みついてったんじゃないかと僕も思うかな。

105 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:27:58.85 ID:e6PGm6BI0.net
>>17
畿内は背乗り文化だからなあ

106 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:31:54.96 ID:dOrbejrG0.net
第1回遣隋使(600年)は失敗するけど
厩戸皇子(聖徳太子)は冠位十二階(603年)と十七条憲法(604年)を作って
国の制度を整えて607年第二回遣隋使で小野妹子が隋に行く
さらに法隆寺を作ったり難波〜明日香間の整備をする

これらと平行して行われていたと思われるのが天皇記、国記の編纂で
厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子が620年に完成させる
そしてこれらを元に古事記、日本書紀が作られる

紀元前660年から国が存在していたことにしたのは
この時じゃないか?厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子

107 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:43:12.46 ID:CcAhwNaI0.net
>>106
崇神天皇の時代、出雲と同盟を結んでからは歴史を残す文化が大和にも根付き始めたんじゃないか僕は思ってるけどな。
語り伝え、もしくは神代文字を使った書物もあったかもしれないんじゃないかとも思ってる。
紀元前660年から国が存在していたことになる情報は崇神天皇の時代からの伝承になるんじゃないかなと推測する。
ただ、暦博士来日から最初の遣唐使までの間のどこかで暦制度が変わっんじゃないかとも思ってもいるけど。

108 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:46:20.27 ID:dOrbejrG0.net
厩戸皇子は天皇中心の国を作ろうとした

聖徳太子を作ったのは藤原不比等だろう
そして日本書紀(720年)に手を加えて
日本書紀の厩戸皇子がスーパーマンになる

不比等は出世させてくれた天皇が大好き

109 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 11:52:28.06 ID:dOrbejrG0.net
記紀は天皇を中心にした国を作ろうとしていたときに編纂された
天皇より偉い存在はあってはならない

110 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 12:31:15.33 ID:4QHhyZ2I0.net
>>1
邪馬台国については、もう畿内にあったと結論が出てます
いまだに九州だと喚いてるド素人がいますが、学術的根拠のない俗説です

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

111 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 12:35:45.78 ID:CcAhwNaI0.net
>>110
古代日本が中国王朝に朝貢してたとか、
中国皇帝の命で天皇が日本を治めてたとか、
海外勢力による洗脳工作としか思えない邪な説には同意できません。

112 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 12:45:22.27 ID:tCSJfa2K0.net
魏志倭人伝には「漢の時」「その国もとは」と言う文章がありながら金印をもらった漢委奴国についての言及が全く無い。魏と邪馬台国の双方においてかつての奴国(または委奴国 )との歴史を全く意識する事、させられる事がなく外交が行なわれたからだろう。
以上、既に常識的な事かも知れんが。

113 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 12:55:02.90 ID:CcAhwNaI0.net
あるんやろ。

114 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 12:59:31.42 ID:3sb4H+wF0.net
大陸は三国時代で激戦中だろ。呉も魏に滅ぼされてる。魏にとって漢族の呉は敵だよな。滅ぼされる途中で安曇族も日本にくらがえしてるんだろ。

115 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:02:42.10 ID:e6PGm6BI0.net
>>110
延々と晒し物にするその根性
お前実は佐原真嫌いだろw

116 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:05:56.83 ID:3sb4H+wF0.net
だからな。金印等証拠は博多だ隠して、別人として畿内に移動したんだろ。正式に邪馬台国はどっちもと思える。

117 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:15:31.64 ID:4QHhyZ2I0.net
>>111>>115
九州説にとっては、学者は敵
九州説をごり押しするには、学問を否定しなければならない
学者に対する誹謗中傷だろうと何でもやる

118 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:20:18.34 ID:/FnPcXnG0.net
>>116
後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」の【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が奈良を制圧し、自分の国「大和」となり

その父の第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」から

対馬のかわりに一支国(壱岐)を使うことを許された
そこで、一大国(隠岐)の使用をやめて

唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『梁書』倭人伝(629年完成)

帯方郡−一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬臺国

119 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:20:40.40 ID:CcAhwNaI0.net
罪(説)を憎んで人を憎まず

120 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:23:34.05 ID:e6PGm6BI0.net
>>117
マジで貼ってるのかw

>佐原真「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」

こんな根拠もないトンデモ発言をしてしまうお人が学問を語りますかw
もうちょっとまともな学者さんを連れてきてくださいw

121 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:35:31.15 ID:4QHhyZ2I0.net
>>120
鉄が溶けやすいのは事実
佐原のその発言と「大多数の考古学者が畿内説」という事実は無関係
事実と無関係な発言を引用してきて、事実そのものを否定しようとする詭弁

・大多数の考古学者は畿内説
・九州説は知識の乏しいド素人だけが信じてる俗説

122 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:43:56.06 ID:e6PGm6BI0.net
>>121
貴方がトンデモサイコパスちゃんでしたかw
まあ飯のタネだし嘘でもトンデモでも押し通すしかないよね
せいぜい頑張ってくださいなwww

123 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:47:49.68 ID:9YxG4+Po0.net
鉄が溶けるなんて平気ででまかせ
言うようなやつは確かに敵だな。

124 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:48:34.50 ID:4QHhyZ2I0.net
>>122
詭弁を指摘されて、罵るだけになったな

125 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 13:51:36.69 ID:JtqK33N40.net

こ れ は ニ ュ ー ス 速 報 で す か ?


126 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 14:25:20.32 ID:FABPLg8Z0.net
そもそも九州の地名って戦国時代に各大名が泊を付けるために改名しまくってて、全くアテにならんのよ
とくに島津家は南九州一帯の地名を改竄しまくりで元の地名がわからなくなる弊害がある

都城(津島→都島→都之城→都城)
宮之城(屋地→都之城→宮之城)
加久藤(覚頭→加久藤)
皇子原(大瀬原→皇子原)

発祥地島津荘周辺でもざっと調べてこれだけ出てくる

127 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 14:29:42.03 ID:dOrbejrG0.net
淡路島の1世紀の五斗長垣内遺跡や
2世紀半ばから3世紀の舟木遺跡は
九州北部側のものだったんじゃないか

九州北部は出雲と協力して
大陸の技術や鉄などが近畿に行かないように
瀬戸内海や日本海を見張ってた

そして九州北部が瀬戸内海の制海権を広げる過程で
1世紀に淡路島に五斗長垣内遺跡を作って明石海峡を抑えた

同じく1世紀に九州北部は大阪南部にも進出して
池上曽根遺跡や滑瀬遺跡を作った


近畿でも弥生のすずり? 大阪・泉南、滑瀬遺跡
https://www.sankei.com/photo/story/news/190619/sty1906190006-n1.html
大阪府泉南市の弥生時代の滑瀬遺跡で出土した板石の破片は、
弥生時代後期(1世紀)のすずりの可能性が高いと
福岡市埋蔵文化財課の主事が指摘していることが19日分かった。

弥生時代から古墳時代前期のすずりは、
これまでに北部九州を中心に50例以上確認されているが、
大阪府で見つかるのは初めてで、現状では東限という。
弥生時代の文字使用が西日本で広がっていた
可能性を示す発見として注目されそうだ。


九州北部は抑えた大阪南部を足がかりに
7、80年ほどかけて畿内を制圧 
東海勢力とは共立の王を立てて和解する

>その国、本は亦、男子を以って王と為す。
>住むこと七、八十年。
>倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、
>乃ち一女子を共立して王と為す。
>名は卑弥呼と曰う。

弥生時代の畿内から鉄が出ないのは
九州北部と出雲による近畿封鎖弱体化作戦だったんだよ

実際耳飾り付き銅鐸の発祥は大阪府南部なんだよね
そしてはみ出す横棒の銅鐸の発祥地は大阪北部
大阪南部の耳飾り付き銅鐸は順調に畿内を制圧するが
大阪北部のはみ出す横棒銅鐸は
戦いを避けるように東へ移動して東海に至る
そして共立するが
数10年かけて東海勢力は畿内に飲み込まれていく

戦いを避けて移動したり
東海の勢力は九州北部と同族だった可能性があると考えてる尾張氏とか

128 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 14:36:12.75 ID:dOrbejrG0.net
畿内勢力が最初に大阪府南部を抑えてたことや
東海勢力が最初に大阪府北部を抑えていたことは
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c6/ca89fd6c1f5e91dcc72be6638a895494.jpg
この何秒か前に映ってるからこれをみればわかるけど録画してよな
歴史秘話ヒストリア 銅鐸とまぼろしの王国 A
http://blog.goo.ne.jp/snclimb/e/a322d3480b49313f2d9a7e1b420514a7

129 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 14:42:01.56 ID:dOrbejrG0.net
歴史秘話ヒストリア 銅鐸とまぼろしの王国 @
https://blog.goo.ne.jp/snclimb/e/3031c1711788af9b0dad05aa3bc30a73
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/43/f22695286163bd62ee388a7b11b27732.jpg

1もあったのか
銅鐸をどうやって鳴らしてかはずっと謎だったが
十字の棒にこんな感じでくくって鳴らしてたという
大発見だから見ておくように
よく2個セットででてくるのもそのため

130 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:03:38.57 ID:2ZtjT9fJ0.net
>>129
簡単に騙されすぎ。もともとは楽器だが
叩いたあとがない(楽器として使ったあとがない)から
銅鐸が大型化してからは確実に楽器としては使ってない

131 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:09:04.58 ID:flSjxzI70.net
>>109
仏法の方が偉い
つまり天皇より僧が偉い

132 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:13:19.43 ID:flSjxzI70.net
>>123
放射能にしてもそう
専門家が反知性主義だから、まともな方が反知性主義呼ばわりされる構図

133 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:20:05.69 ID:eWSmx3sM0.net
>>110
>>1

邪馬台国との位置関係

【もっと北】 (朝鮮半島)狗邪韓国
【北】    (九州北部)  対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
【女王国】    邪馬台国     
【南】       狗奴国

134 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:20:58.06 ID:CcAhwNaI0.net
>>127
確かその頃には畿内と日向が交流してた考古学的証拠あったんちゃうんか?
たぶん、瀬戸内バンバン通りまくとったと思うで。

135 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:26:40.79 ID:LXQuUlFf0.net
いつまでも議論してろバカめ

136 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:34:01.09 ID:EM80F+X+0.net
>>110
邪馬台国の時代には銅鏡の分布が北部九州から畿内に遷移しているから、恐らくそれで正しい
問題は中心が遷移したきっかけだな

137 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:49:54.49 ID:eWSmx3sM0.net
>>1

倭人は扶余族と縄文人が交雑して生まれた民族。
https://pbs.twimg.com/media/Dzr6bbAVAAE4YaS.jpg
https://i.imgur.com/USmmEcL.jpg


その後、半島の人間が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。

その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が
白村江の戦いで勢力を弱めると、近畿の倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。

138 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:56:43.92 ID:9HITAcgX0.net
>>135
いやもう結論でたよバカ。

139 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:59:28.69 ID:9HITAcgX0.net
伊都国パーと宇佐パーがいるが、
もう卑弥呼の墓は祇園山古墳で結論出てる。
邪馬台国も当然だとその周辺。

140 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 15:59:47.47 ID:9HITAcgX0.net
伊都国パーと宇佐パーがいるが、
もう卑弥呼の墓は祇園山古墳で結論出てる。
邪馬台国も当然その周辺。

141 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:01:20.47 ID:9HITAcgX0.net
>>124
必殺自己紹介ビームキツ過ぎっすww

142 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:01:34.12 ID:gw/ZJ+tb0.net
>>114
>大陸は三国時代で激戦中だろ。呉も魏に滅ぼされてる。

呉を滅ぼしたのは晋だよ

143 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:03:14.19 ID:9HITAcgX0.net
卑弥呼の墓は伊都国には無い。
こんな魏志倭人伝の記述まる無視なら、
そもそも邪馬台国論争をすること自体に意味が無くなる。
伊都国パーは近畿パーと同類。

144 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:32:21.40 ID:CcAhwNaI0.net
>>129
いくつか新しい情報があって、興味深かったよ。
でも、僕が今のところ考えてるのは、銅鐸文化圏が育ててた稲に比べ、
神武が持ち込んだ稲の方が畿内で栽培するのに適していたので、
ある時期(たぶん崇神天皇の時代)に一気に切り替えたんじゃないか
という可能性を想像してるけどな。

145 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:41:33.62 ID:CcAhwNaI0.net
>>136
中心が遷移したんじゃなく、大和が朝鮮で交易を始めただけだと思うけど。

146 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:46:09.93 ID:CcAhwNaI0.net
と言っても目的は鉄器で、銅鏡は自作してたんじゃないかと思ってるけど。

147 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 16:48:18.46 ID:eWSmx3sM0.net
>>145
新唐書によれば、皇室は神武天皇の代までは筑紫城に住んでいたことになってる

新唐書日本伝
 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
 皆以「尊」為號、居筑紫城。

(訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
   初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

148 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:15:25.88 ID:Hj275KKM0.net
>>147
新唐書ってのは日本書紀よりも遥かに後に編纂されたもんだよ?

日本書紀が漢文表記なのは対中の体裁を整えるため。
つまり新唐書の記載は日本書紀を掻い摘んで転記してるだけ。

本文と一書の入り混じった日本書紀は現代日本人ですら誤解してる人が多いんだが
初代を天御中主尊としている辺りでも日本書紀の誤読とわかる。
日本書紀に最初に登場する神は国常立尊、国狹槌尊、豊斟渟尊の三柱

天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊の高天原三柱は日本書紀本文ではなく一書に書かれた諸説なので
大和朝廷側が天御中主尊を最初の神と説明することは絶対にない。

149 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:29:27.20 ID:c4lKAFuL0.net
>>110
原発問題での学者と反原発カルト連中の関係に似てる

学者が常に正しいとは限らない
放射脳と揶揄されてるカルト連中は常に誤ってる

この法則を邪馬台国論争に当てはめると
九州説という、非学問のカルト連中は常に誤ってる
ということになる

150 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:38:37.86 ID:9HITAcgX0.net
>>148
何キチガイみたいなデタラメこいてんの近畿パーw

151 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:39:19.12 ID:9HITAcgX0.net
>>149
いやそれより涙拭こうよカルトw

152 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:41:31.95 ID:9HITAcgX0.net
畿内説は文献的にも考古学的にも否定されて、
畿内説の学者は纒向学と名前を変えてもう邪馬台国論争からは遁走した。
残ってるのは近畿では鉄が溶けやすい人だけ。




 

153 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:42:59.52 ID:9HITAcgX0.net
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。

しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。

つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。

はい、論破w


 

154 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:45:20.51 ID:9HITAcgX0.net
>>153
畿内説はこんなもの一発でロクに反論出来ず大破轟沈してしまったようなシロモノ。
とても学問的検証に耐えられるものでは無い。
ただのネタ。ファンタジー。

155 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:46:05.06 ID:lPb/JUh+0.net
>>1
その通りw

156 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:47:08.43 ID:9HITAcgX0.net
>>155
涙拭けよ近畿パーw

157 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:47:13.60 ID:HjeLyUqk0.net
九州説のこの荒らしはいつもいるな
邪馬台国スレに粘着する暇あるなら、ちゃんとした本で勉強すればいいのにな

158 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:48:06.86 ID:9HITAcgX0.net
近畿パーの目的は議論を誤魔化しケムに巻くこと。
近畿パーは実は畿内説自体本当はどうでもいい。
伊都国パーも近畿パーの一種。

159 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:50:49.49 ID:ioL44j0V0.net
>>11
身も蓋も無いww もうこのスレ終了じゃん。

160 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:51:17.23 ID:9HITAcgX0.net
近畿説のこの自己紹介荒らしはいつもいるな
邪馬台国スレに粘着する暇あるなら、ちゃんとした本で勉強すればいいのにな

161 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:52:23.92 ID:9HITAcgX0.net
 
近畿パーの目的は議論を誤魔化しケムに巻くこと。

近畿パーは実は畿内説自体本当はどうでもいい。

伊都国パーも泡パーも吉備パーも近畿パーの一種。
 

162 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:53:17.08 ID:CcAhwNaI0.net
>>148
訳文を読む限りは、アマ氏が筑紫城に住んでたくらいしかわからんように思うけど。
神武と先祖を同じくする本家筋に近い王族がいても不思議じゃないと思うけど。

163 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 17:54:02.58 ID:9HITAcgX0.net
>>14
八女は女王の領域の二十一国に出てくるから多分違う。

164 ::2019/08/10(土) 18:03:24.84 ID:IYPer2qr0.net
>>91
そのあたりは昔の糟屋郡で、磐井の乱の時にヤマト政権が手に入れた糟屋の屯倉。香椎からちょい南下した名島は多々良(タタラ)川の河口で、支流の宇美川を遡れば不弥国に行けるのだ。

165 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 18:27:24.88 ID:9HITAcgX0.net
>>91
しゃーしゃーと良くウソつくなお前w

166 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 18:34:30.24 ID:eyAsrIit0.net
邪馬台国というのは「やまだいこく(山台国)」のことだ
四国徳島県剣山の頂上は竹林の平地になっていて、古代に人が住んでいた形跡がある
そこには、伊勢神宮や出雲大社より古く高位な神社が有って、今でも皇室との関わりが有る

167 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 18:35:21.74 ID:9HITAcgX0.net
>>162
大体が天皇家は姓が無いわけで、これ一つとっても
近畿日本と九州倭国は無関係なのが分かる。

168 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 18:35:41.27 ID:9HITAcgX0.net
>>166
間違い。
山門のこと。

169 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 18:54:21.18 ID:flSjxzI70.net
>>148
唐書が日本書紀を参照してない証拠になりそうだなw

>>149
学者が正しいと言ってみたり、学者が間違ってると言ってみたり、忙しいな

170 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:08:11.52 ID:MUBTCIWX0.net
天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊の高天原三柱が最初に出てくるのは古事記
これが正統なんじゃないかな

171 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:19:15.17 ID:CcAhwNaI0.net
神世代の話の多くは、九州に残ってた書物からパクった後、
焼き捨てた可能性が結構高いんじゃないかとも思ってるかな。

172 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:39:07.81 ID:32E8nuXB0.net
>>162
アマ氏、アメ氏というと普通はニニギ系ではなくアメノホアカリ系の氏族が思い浮かぶんだがなあ
海部氏とか尾張氏、大海氏、物部氏とかの
ようするに、アメノタリシヒコはそちら系の人が天皇を騙ったかあるいは官職の人の名前だったか

173 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:41:33.64 ID:32E8nuXB0.net
あるいは推古天皇の頃はアメノホアカリ系の政権だったのかもしれない
蘇我氏がそうなのか??

174 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:47:05.68 ID:CcAhwNaI0.net
>>172
ニニギ系ではなく天照大神系かな。

175 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:47:56.72 ID:Z5NN6KC30.net
飯塚が古代史講座

176 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 19:55:45.77 ID:32E8nuXB0.net
>>174
アメノホアカリもアマテラスの子孫だから両方ともアマテラス系だよ

177 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 20:01:54.26 ID:CcAhwNaI0.net
>>176
単にニニギの子孫ではないが、天照大神までたどれば先祖がお同じだったんじゃないかと言いたかっただけで、
細かいことは知らんよ。

178 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 20:02:55.35 ID:CcAhwNaI0.net
天照大神まで → 少なくとも天照大神まで

179 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 20:35:54.55 ID:MUBTCIWX0.net
筑紫城がどこから出てきたのかね

180 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 20:48:34.74 ID:ioL44j0V0.net
>>10
その仮説が成立するには、1800年前の「漢」および同音字の「乾」の字の発音末尾が「n」でなく「m」である必要がある。
(Kan, Khan, Hanじゃなくて、 Kam, Kham, Hamみたいな感じ。)

この2文字の上古音がどんなだったか自分には分からんけど、東アジアにおける現代音はどこも例外なく「n」で終わってる。
日本人には「n」「m」の違いが分かりづらいが、大陸アジア人にはきちんと聞き分けができる。
だから当時の「漢委」はやっぱ「カンイ」に近い発音で、「カムイ」説は無理じゃないかと思う。

181 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:05:33.67 ID:dOrbejrG0.net
618年 隋滅亡 唐建国
620年 厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子により天皇記、国記完成


其官十有二等。 (冠位十二階制定)
其王姓阿毎氏、 (天皇の姓はアマ)
自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
皆以「尊」為號、居筑紫城。 (筑紫で32代)
彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。 (33代目神武ヤマトへ)
(略)
次皇極

35代皇極天皇の記載はあるが36代孝徳天皇の記載がないことから
第二回遣唐使(653年)か第三回遣唐使(654年)が
唐に報告した内容を唐が書き留めておいたと思われる

907年唐滅亡
五代十国時代による戦乱開始

945年 戦乱最中で資料が十分に集まらない状況で旧唐書完成
     倭国についての内容は魏志倭人伝のまま
     遣唐使の報告書は採用されず

960年 宋が中国を統一

1060年 宋の元で資料をちゃんと集めなおして新唐書が完成
     653年か654年の遣唐使が唐に報告した倭国は半島の南東だとか
     天皇の姓はアマとか筑紫で32代続いて33代目の神武がヤマトに移った
     とかの620年に厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子が作った
     天皇記、国記の内容がついに中国正史に記載される 440年かかったよ

182 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:07:07.34 ID:eUzF+MDQ0.net
新唐書なんて、邪馬台国の時代から800年も後に成立したんだから、そんなものは参考程度にしかならんだろうに
もちろん、旧唐書も五十歩百歩
隋書や北史あたりまでだろう

800年も経過した後の新しい文献には、それまでどこにも書かれてなかった古代の真実が
記載されてるとでも夢見てんのかね?

183 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:23:59.26 ID:CcAhwNaI0.net
>>182
旧唐書を読んだ朝廷の人間がこれじゃ困るよって文句言って改ざんしてもらったため、
新唐書の内容にそれまでどこにも書かれてなかった古代の虚構が含まれてても特に驚かないかな。

184 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:43:23.40 ID:rqJQ1yBV0.net
其の年代紀に記す所に云う。

初めの主は天御中主と号す。 次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って号と爲す。 
次は天八重雲尊。 次は天彌聞尊。 次は天忍勝尊。 次は贍波尊。 次は萬魂尊。 次は利利魂尊。 次は國狭槌尊。 次は角魂尊。 次は汲津丹尊。 次は面垂見尊。 
次は國常立尊。 次は天鑑尊。 次は天萬尊。 次は沫名杵尊。 次は伊弉諾尊。 次は素戔烏尊。 次は天照大神尊。 次は正哉 吾勝速日天押穂耳尊。 次は天彦尊。 次は炎尊。 次は彦瀲尊。 
凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。

185 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:45:16.14 ID:flSjxzI70.net
>>180
今の日本人にわかりにくいだけで、昔の日本人には区別できていた
だからなおさら成り立たない

186 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:49:39.73 ID:Hj275KKM0.net
>>170
古事記は変体漢文なので中国人には読めないよ。

187 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:51:40.27 ID:rqJQ1yBV0.net
彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 
筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す。 
即位の元年甲寅は周の僖王の時に當る也。
 
次は綏靖天皇。 次は安寧天皇。 次は懿コ天皇。 次は孝昭天皇。 次は孝天皇。 次は孝靈天皇。 次は孝元天皇。 次は開化天皇。 次は崇神天皇。 
次は垂仁天皇。 次は景行天皇。 次は成務天皇。 次は仲哀天皇、國人言う、今鎮國香椎大神と爲すと。 
次は神功天皇、開化天皇の曽孫女、又た之を息長足姫天皇と謂い、國人言う、今 太奈良良姫大神と爲すと。 次は應神天皇、甲辰の歳とし始めて百濟に中國の文字を得、今八蕃菩薩と号す。 

大臣有り紀武内と号し年は三百七歳。 

188 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:53:09.05 ID:rqJQ1yBV0.net
次は仁コ天皇。 次は履中天皇。 次は反正天皇。 次は允恭天皇。 次は安康天皇。 次は雄略天皇。 次は清寧天皇。 次は顯宗天皇。 
次は仁賢天皇。 次は武烈天皇。 次は繼體天皇。 次は安開天皇。 次は宣化天皇。 次は天國排開廣庭天皇、

亦たの名を欽明天皇、即位の十一年壬申(歳)、始めて佛法を百濟國より傳う。此の土の梁の承聖元年に當たる。 

次は敏達天皇。 次は用明天皇。 子有り、聖コ太子と曰う。 
年三歳にして十人の語を聞き同時に之を解す。 
七歳にして佛法を悟り、菩提寺に于(お)いて聖鬘經を講ずるに、天、曼陀羅華を雨ふらす。 
此の土の隋の開皇中に當たる。 
使を遣わして海に泛(うか)び中國に至りて法華經を求む。

189 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:55:31.14 ID:IpyVxOiu0.net
荒らしている方が、追い詰められている。

190 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 21:57:04.55 ID:IeTaNksc0.net
邪馬台国、人の目で認められるようにして存在したものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。邪馬台国は、あなたがたのただ中にあるのです。

191 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:00:40.77 ID:9HITAcgX0.net
>>172
お前が騙りだから心配無用。

192 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:00:58.55 ID:9HITAcgX0.net
>>179
九州倭国から。

193 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:01:31.73 ID:9HITAcgX0.net
>>182
お前の言うことは参考にすらならないから大丈夫。

194 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:01:52.38 ID:9HITAcgX0.net
>>190
御井だな。

195 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:03:31.78 ID:9HITAcgX0.net
近畿パーはもう必殺自己紹介ビーム光線しか無くなったか。
あの伝説の必殺自己紹介ビーム光線が炸裂するぜ


196 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:03:52.16 ID:rqJQ1yBV0.net
次は崇峻天皇。 次は推古天皇、欽明天皇の女也。 次は舒明天皇。 次は皇極天皇。 次は孝コ天皇。 
白雉四年、律師道照、法を求めて中國に至り、三藏の僧玄奘に從いて經律論を受く。此の土の唐の永徽四年に當たる也。 
次は天豊財重日足姫天皇。 僧智通等をして入唐して大乗法相ヘを求めしむ。 顯慶三年に當たる。 
次は天智天皇。 次は天武天皇持統天皇。 次は持統天皇、次は文武天皇。 
大寶三年、長安元年に當たり粟田真人を遣わし入唐して書籍を求め、律師道慈に經を求めしむ。 
次は阿閉天皇。 次は皈依天皇。 次は聖武天皇。 寶亀二年、僧正玄ムを遣わして入朝せしむ。 開元四年に當たる。 

197 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:05:13.17 ID:rqJQ1yBV0.net
次は天智天皇。 次は天武天皇持統天皇。 次は持統天皇、次は文武天皇。 
大寶三年、長安元年に當たり粟田真人を遣わし入唐して書籍を求め、律師道慈に經を求めしむ。 
次は阿閉天皇。 次は皈依天皇。 次は聖武天皇。 寶亀二年、僧正玄ムを遣わして入朝せしむ。 開元四年に當たる。 
次は孝明天皇、聖武天皇の女也。 天平勝寶四年、天寶中に當たり、使及び僧を遣わして入唐し内外の經ヘを求めしめ及び戒を傳えしむ。 
次は天炊天皇。 次は高野姫天皇、聖武天皇の女也。 次は白壁天皇。 二十四年、二僧靈仙・行賀を遣し入唐して五臺山に禮し佛法を學ばしむ。 
次は桓武天皇。 騰元(とうげん)(「藤原」を音読みしたもの)葛野と空海大師及び延歴寺の僧澄を遣し入唐して天台山に詣り智者の止觀義を傳えしむ。 元和元年に當たる也。 

198 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:16:16.90 ID:CcAhwNaI0.net
>>197
天台山に行ったのは最澄で、空海は長安に行ったはずだと思うのだが。

199 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:16:29.92 ID:rqJQ1yBV0.net
次は諾樂天皇。 次は嵯峨天皇。 次は淳和天皇。 次は仁明天皇。 開成・會昌中に當たり、僧を遣わして入唐し五臺に禮せしむ。 
次は文コ天皇、大中年間に當たる。 次は清和天皇。 次は陽成天皇。 次は光孝天皇、僧を遣わして入唐しヘを傳えしむ。 光啓元年に當たる也。 
次は仁和天皇。 此の土の梁の龍コ中に當たり、僧寛建等を遣わして入朝せしむ。 
次は醍醐天皇。 次は天慶天皇。 次は村上天皇、此の土の周の廣順の年に當たる也。 
次は冷泉天皇。 今、太上天皇と爲す。 次は守平天皇、即ち今の王也。 凡そ六十四世。

200 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:18:51.21 ID:IpyVxOiu0.net
追い詰められているのは、さかんに荒らしている方。

201 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:21:07.84 ID:MUBTCIWX0.net
>>186
古事記を渡したという意味ではないよ

202 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:29:09.65 ID:rqJQ1yBV0.net
畿内に山城・大和・河内・和泉・攝津(摂津)の凡そ五州有り。 共に五十三郡を統(す)ぶる。 
東海道に伊賀・伊勢・志摩・尾張・參河(三河)・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・安房・上総・常陸の凡そ十四州有り。 共に一百一十六郡を統(す)ぶる。 
東山道に近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽の凡そ八州有り。 共に一百二十二郡を統ぶる。
北陸道に若狹・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の凡そ七州有り。 共に三十郡を統ぶる。 
山陰道に丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐の凡そ八州有り。 共に五十二郡を統ぶる。 
山陽道に播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の凡そ八州有り。 共に六十九郡を統ぶる。 
南海道に伊紀・淡路・河波・讃岐・伊豫・土佐の凡そ六州有り。 共に四十八郡を統ぶる。 
西海道に筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩の凡そ九州有り。 共に九十三郡を統ぶる。 
又、壱岐・對馬・種子島の凡そ三島有り。 各々二郡を統ぶる。 

是を五畿七道三島と謂う。 凡そ三千七百七十二都、四百一十四驛、八十八萬三千三百二十九課丁。 課丁の外は詳見する可からず。 

203 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:32:50.08 ID:rqJQ1yBV0.net
ここからが重要

と、983年(永観元年)、宋にやってきた東大寺の「然が宋の太宗に献上した『王年代紀』に書いてある

だそうだ、チャンチャン (笑)

204 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:37:21.45 ID:rqJQ1yBV0.net
つまり

初めの主は天御中主と号す。 次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って号と爲す。 
次は天八重雲尊。 次は天彌聞尊。 次は天忍勝尊。 次は贍波尊。 次は萬魂尊。 次は利利魂尊。 次は國狭槌尊。 次は角魂尊。 次は汲津丹尊。 次は面垂見尊。 
次は國常立尊。 次は天鑑尊。 次は天萬尊。 次は沫名杵尊。 次は伊弉諾尊。 次は素戔烏尊。 次は天照大神尊。 次は正哉 吾勝速日天押穂耳尊。 次は天彦尊。 次は炎尊。 次は彦瀲尊。 
凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。

彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 
筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す。 
即位の元年甲寅は周の僖王の時に當る也。
 
というのは、

東大寺のお坊さんが『王年代紀』という本に書いたモノ

205 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:41:05.66 ID:MUBTCIWX0.net
984年に「然が宋に渡した王年代記

206 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:47:15.30 ID:Ziw9T4ZP0.net
>>205
つまり然の創作が新唐書にまことしやかに書かれてるってこったな。

207 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:49:36.09 ID:eWSmx3sM0.net
>>148
新唐書が日本書紀より後世だから何?
>>147 の内容を語らなければ、新唐書に記載されることもないだろ。九州から来たといいうのは記紀でも認めるんだし。

208 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:51:48.90 ID:eWSmx3sM0.net
>>148
>>日本書紀が漢文表記なのは対中の体裁を整えるため。

あれ漢文か?w

209 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 22:54:00.23 ID:eWSmx3sM0.net
>>148,>>1
「旧唐書」には、『倭国伝』と、『日本国伝』のふたつがある

ひどいのは日本に対する評価で
「日本人はすぐ話を大きくしてホラばかりふくから中国人は誰も信じてない」とあり、倭国に対する扱いとまったく異なる

民族性がよく現れている。どこかの民族とそっくり

210 ::2019/08/10(土) 22:56:26.21 ID:BavGH2AU0.net
>>208
漢文だと信じてた。
ネイティブが書いたっぽいパートと、和人が書いたっぽいパートはあるけど、
後者にしたってちゃんと漢文だよね。

211 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 23:18:10.28 ID:MUBTCIWX0.net
>>206
「然は東大寺のお坊さんなので東大寺に伝わっていたものだと思われる

212 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 23:22:22.20 ID:/FnPcXnG0.net
>>209
大和政権「日本国」は

隋(581年 - 618年)には遣隋使を
唐(618年 - 907年)には遣唐使を

派遣してご機嫌伺いをしたけれど
その後の五代十国時代は、完全無視を決めこんだから

後晋(936年- 946年)が『旧唐書』945年で

「日本人はすぐ話を大きくしてホラばかりふくから中国人は誰も信じてない」

って、大和政権「日本国」をディスったんだよ

213 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 23:24:08.35 ID:/FnPcXnG0.net
>>211
元は日本書紀と古事記だよね

214 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 23:37:06.57 ID:/FnPcXnG0.net
>>212 つづき

その後、中国の再統一を目指す北宋(960年 - 1127年)が、大和政権「日本国」に対して

「挨拶に来るアルヨ倭人」

とばかりに朝貢を促す使者が送られて、日本は渋々、宋に対して返答の使者を送ったんで、

日本をディスるのは中止となり

北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年
【日本伝】
日本は古の倭奴である。
京師から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中の島に在って居る。
東西には五カ月の行程、南北には三カ月の行程。国に城郭がなく、連ねた逆木で柵落と為し、草で屋根を茨く。
左右に小島が五十余り、皆、自ら国と名付けて、これに臣下が付随している。
本率を一人置き、諸部を検察させている。 
そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、浮屠の法(仏教の教え)を尊ぶ。その官には十有二等である。
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。

215 :名無しさん@1周年:2019/08/10(土) 23:48:34.77 ID:MUBTCIWX0.net
>>213
神武即位元年が甲寅、筑紫城、神功天皇、聖徳太子が遣隋使を遣わしたとか、記紀にないものがある

216 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 01:04:21.22 ID:tQ3qbmod0.net
東大寺は奈良時代頃からのはずだから、
それ以前の記録は何を参照して書いたのかは気になるな。

217 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 02:27:55.17 ID:HleOI42e0.net
>>162
筑紫のアマ氏ってどう見ても海人だよね
弥生時代には西日本の海の大半を制していた北部九州の海人族が瀬戸内海を東進して畿内を服属させたわけだ

218 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 03:05:35.85 ID:sAybYpbv0.net
>>217
天(アマ)だろ

219 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 03:48:36.47 ID:nhIBhm0k0.net
>>216
記紀編纂の目的は、各豪族のオリジナルの歴史書を作りまくった為
実際に何が有ったか失われる前に公式見解を纏めることと、各豪族のオリジナル歴史書を焚書する事

代わりに日本書紀の構成が、公式見解の本文と各豪族の諸説ありの一書を併記する形になってる。
素戔嗚尊の進行ルートが11種類?も併記される異常事態も起こってるが公式見解はあくまでも本文の進行ルート。
一書曰くと始まってる部分は公式には確認されてない、豪族オリジナルの見解という位置付け。

然が生まれる前に焚書令も出ているし、東大寺がわざわざオリジナル歴史書を作ってたとは考えにくいので
恐らく然の創作だと思われる。

220 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 04:03:12.41 ID:sAybYpbv0.net
>>219
蘇我氏が天皇家だから、国記と天皇記を所有していた
残念なことに、日本書紀をでっち上げた一族によって、それらの書物は焚書されてしまった

221 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 06:09:54.52 ID:8skW/gO6O.net
125、懲役刑を受けた方々が刑期を過ごすスレです。

222 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 07:11:16.09 ID:Fyh4LcGA0.net
>>217
筑紫にいたから九州人と思い込みがちだかど
新羅王の脱解尼師今は丹波国(京都)の出身だから
脱解尼師今の兄の神武天皇も畿内出身だと思うよ
実際に神武天皇は九州で即位後、すぐに畿内に遷都してるでしょ
おそらく畿内出身だからだよ

223 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 07:23:46.11 ID:nhIBhm0k0.net
>>220
記紀の編纂時期的に蘇我氏の没落後では?
大化の改新、壬申の乱の更に後、権力が藤原氏に移ってからやね。

でっち上げとか、簡単に陰謀史観に逃げるのは良くない。
でっち上げられた証拠を探さにゃ

224 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 07:30:50.86 ID:Fyh4LcGA0.net
>>223
そもそも焚書ってでっち上げ目的でするものだよ

225 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 07:33:47.54 ID:8skW/gO6O.net
つまりウガヤ王朝というのはあってウエツフミは存在していたということだね?で卑弥呼は日本列島の者なのか?半島流れなのか?どっち?頼むから九州土着民にしてくれ

226 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 07:46:19.35 ID:aL9ppnEY0.net
>>220
>蘇我氏が天皇家だから

そういう妄想は、他人の目に触れないチラシの裏にどうぞ

227 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:01:45.00 ID:hltl0SG+0.net
>>11
内容を確認してから言え

ここは国宝だ
すべてがな
真実抜きにしたイベントの町おこしとは別ものだ

228 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:10:11.54 ID:aL9ppnEY0.net
>>1
>伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないかとする高島氏の説に対し

明確に否定せず、社交辞令で曖昧な返事をしてるなw
平原1号墓は年代が違うから卑弥呼の墓ではありえないのに

229 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:10:14.75 ID:nhIBhm0k0.net
>>224
そう断定的に言えるものでもないよ。

219にも書いたが、各豪族のオリジナル歴史書が大量に創り出された為
正史を定めでっち上げられた偽史を捨てさせる目的で記紀の編纂をした建前になってる。

日本書紀は正史と諸説を併記してる辺りに、各豪族への配慮もそれなりに見受けられる分
余計に一書曰くにすら無い説を陰謀史観ありきで語るのは短絡的と思う。

結局、陰謀史観と言うのは否定も肯定もできない、消化不良を生み出すだけでなんの進展も貢献もしないから
でっち上げる為にやったに決まってる。ではなく、証拠を積み上げなきゃね?

230 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:10:59.12 ID:8skW/gO6O.net
天照は、竹内文献等の歴代王には出てくるもんな、じゃあやっぱ邪馬台国は、殷周の流れから生まれた国で会稽東治の行われた紹興から大海越えて東に誕生したような国でいいんだな?安心したよ。酒は紹興酒のような作り方かな?よかったよかった。

231 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:12:10.29 ID:NlajLeyg0.net
>>228
墓の規模も、殉葬者がないことも含めて、ハッキリ違うと言ってあげたほうが優しさなのになw

232 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:14:32.96 ID:RRvY2IBW0.net
>>180
簡kan → kani → kami →かみ紙
蝉sen → seni → semi →せみ蝉
文bun → huni → humi →ふみ文

ありえるんじゃないの?
kan → kani → kami 

233 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:15:11.03 ID:hltl0SG+0.net
>>228
年代測定がこじつけだっただろw

被葬者の埋葬の実際の年代はまさに三世紀後半だ

234 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:18:07.56 ID:8skW/gO6O.net
東大寺のお坊さんが中国に嘘つかないだろう?神武東征もあったんだな、後々の連中が整合性の為に内容は改編されとるだろうが、

235 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:25:42.52 ID:NNaKcOm80.net
>>232
アホくさ

236 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:30:21.35 ID:hltl0SG+0.net
>>231
被葬者は木管墓で埋葬されていて骨などは残っていないのだよ
殉教者がいたにしても同じだっただろう

237 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:34:12.65 ID:8skW/gO6O.net
大体飛鳥以降は細かく説明されるがそれ以前になると紀元前に飛ぶんだよな日本の学者わ

238 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:37:13.49 ID:t+ulLZb80.net
掘り返す金が無いから
妄想を繰り広げてるだけ
いくら妄想しても現実にはならない

239 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:39:14.35 ID:t+ulLZb80.net
日本が国家の様相を整えてきたのは奈良以降だからね
それ以前は文書さえおぼつかない
歴史ではなく考古学の分野

240 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:40:05.49 ID:NlajLeyg0.net
>>236
鉄が溶けたと同じ理屈か。

墓の大きさが明らかに違うのは削られたのか?
年代が合わないのは、タイムふろしきっすか?

アホ丸出しだなwww

241 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:41:27.14 ID:6H2QxSUp0.net
>>230
まさしくそうでしょうね。
卑弥呼は九州生まれでしょうが、邪馬台国はおそらく江南からの渡来民たちが起源でしょう。
後発で豊かな耕地にも恵まれなかった小国がその精錬技術、航海術、鬼道を背景に
豊かな耕作地帯を次から次へとあっというまに配下に置いてヤマタノオロチにもたとえられる恐怖政治を敷いた。
しかし狗奴国に敗れこれもまたあっというまに滅びた。まるで後の時代の平家のような感じで、これが日本人たちの記憶に強く残ったのではないでしょうか。

242 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 08:57:34.21 ID:66nib7Kj0.net
日本書紀の史料
・帝紀
・旧辞
・古事記
・諸氏に伝えられた先祖の記録
・地方に伝えられた物語
・政府の記録
・個人の手記
・寺院の縁起
・日本国外の記録
・その他

243 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:06:19.35 ID:66nib7Kj0.net
成立年代を追加

日本書紀(720年)の史料
・帝紀(681年) 初代から33代までの天皇の詳細
・旧辞(681年) 皇室、宮廷の物語、国家の起源
・古事記(712年) 帝紀、旧辞の偽りを削除し真実を後世に残す
・諸氏に伝えられた先祖の記録
・地方に伝えられた物語
・政府の記録
・個人の手記
・寺院の縁起
・日本国外の記録
・その他

244 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:09:48.17 ID:DlYj11UZ0.net
>>225
呉の末裔自称してて、習俗もそっち系
どう考えても土着ではないだろ

245 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:14:55.80 ID:uHiAWVC20.net
平原は同時に作られた2号墓が殉葬墓だろうし、周辺にも殉死溝から16体の殉死者らしきものが出ているね

246 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:16:31.53 ID:nhIBhm0k0.net
>>237
地面を掘り返しても中々当時の歴史にはたどり着けんからな。
数少ない中国の文献をひっくり返して漁るしかないが、あちらにしても東夷の事なんて大して真面目に書かんしね。

倭人が一番最初に登場する文献は論衡
紀元前11世紀、西周の二代目、成王に薬草を捧げた記録から始まる。
既に散逸したものもあり中々に、過去を知ることは難しい。

247 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:17:33.68 ID:zRkg3XJ+0.net
中国の日本についての記述を見ると九州説など全く存在していないのが分かる
簡単に書くとこうなる

邪馬台国は台与の後にも滅んで等おらず男性王が立ち継続して晋、宋、斉、梁、隋と使節を送り続けている(梁書、北史)

隋の時に使節を送ってきたアメノタリシヒコ=用明天皇と断定(新唐書)

アメノタリシヒコは筑紫城から大和州に都を移したと記載される神武天皇の後なので都は大和(新唐書)

アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じなので邪馬台国は大和(隋書、新唐書)
※これによって「魏志には壱だから別の国」等と言う説も成り立たない事が分かる

アメノタリシヒコは一大卒を各地に派遣して地方を支配している(魏志、旧唐書)
一大卒のいる場所=邪馬台国の被支配地

アメノタリシヒコ(用明天皇)はその後の桓武天皇などにも系譜が連続していると認識されている(旧唐書、新唐書)
白村江の戦いの当事者である唐の記録でこう記載されている
このため、王朝交代など起こってないと確定
倭から日本への変化は定説通り壬申の乱であることが確定

宋の太宗が「日本は小国だが王も貴族も古代から同じ系統が維持されていて素晴らしい」と称賛(宋史)

中国は邪馬台国は大和でそれが継続していると当然のことのように了解している

248 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:18:57.22 ID:NlajLeyg0.net
>>245
殉葬者100人には全然足りない。
まだ祇園山古墳の方が近い。

あちらもサイズ的に卑弥呼の墓としては小さすぎるし、三角縁神獣鏡が出てるという弱点もあるがな。

249 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:20:40.05 ID:66nib7Kj0.net
天地開闢からの天つ神と神世七代、イザナギ、アマテラス、大国主、
ニニギ、海幸彦、山幸彦、神武、欠史八代は
7世紀の政権の重要支配地域に忖度して適当に神様をあてがった

たとえば出雲風土記では
最高神は国引き神話で出雲を作った八束水臣津野命で
神と血縁がない無力だが優しくて女にモテる神須佐乃烏命だが
それを政権はこう変えた
島を引っ張る怪力主神 八束水臣津野命 → 精神分裂症スサノオ
モテモテ優男 神須佐乃烏命 → 戦わない国譲り大国主

250 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:31:08.66 ID:tQ3qbmod0.net
>>241
僕も江南からの極少数の渡来民との混血だと思ってるけど、
現時点では、元々朝鮮半島由来の出雲族がいたが、
出雲族の稲より江南から持ち込んだ稲の方が九州での栽培に適していたため、
瞬く間に九州を席巻したんじじゃないかという可能性を考えてるかな。

251 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:34:22.96 ID:uHiAWVC20.net
>>247
日本書紀と王年代紀の記事をそのまま引用してるだけだから意味ないです

252 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:37:05.33 ID:66nib7Kj0.net
528年 磐井の乱
磐井が福岡、大分、佐賀、長崎、熊本を制圧するが大和政権が鎮圧

660年 百済滅亡
663年 白江口の戦い
百済復興のために朝鮮半島に攻めて新羅をボコボコにするが
唐の船団の到着でボロ負け

九州は半島寄りになったり百済を取られて防衛する必要がでてきて
九州は大和政権にとって重要地域となり
仲間にしておきたいのでニニギ、海幸彦、山幸彦、
神武の出発地などとしてご機嫌を取った

出雲とか他の地域も同様

長く書いたけど要するに
記紀に書かれていることはある程度伝承もあるが
政権の都合で作られた部分も多いという前提で読むべき

253 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:38:24.49 ID:66nib7Kj0.net
間違えた 白村江の戦い

254 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 09:55:51.58 ID:uHiAWVC20.net
>>248
殉葬者100人というのは、婢千人とか径百余歩とかと一緒で盛った数字

255 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 10:02:10.63 ID:8c2NLH5N0.net
>>215
日本書紀にも書かれているよ

筑紫城
於是、棄籠遊行、忽至海神之宮
已而彦火火出見尊、因娶海神女豊玉姫。仍留住海宮、已經三年

聖徳太子
夏四月庚午朔己卯、立厩戸豊聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、以萬機悉委焉。

256 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 10:36:02.39 ID:8c2NLH5N0.net
>>222
神武は九州で即位なんかしてねーし (^_^;

畿内出身なのは、神武の曾祖父、ひいおじいちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊
国譲りの後に、天照大御神により、奈良から出雲に一大卒として派遣された


神武の祖父、おじいちゃんは出雲出身の山幸彦、天津日高日子穂穂手見命
兄の海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ


神武の父、とうちゃんは、九州出身の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)と綿津見大神の娘である豊玉毘売の子供

神武はその天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の、四番目の子供
彦五瀬命、稻飯命、三毛入野命と3人の兄がいるため九州に居たままではどうにもならないため
遠い親戚の饒速日を頼り、ひいおじいちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊の出身地の畿内を目指した

257 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 10:49:13.39 ID:8c2NLH5N0.net
まぁ、神武の家系は畿内出身とは言っても、
ひいおじいちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊は「スサノオの息子」なんで

末っ子の神武は、その、良く言えば真っ直ぐな、悪く言えば単純な性格を

スサノオの家系を追い出したアマテラスの家系の饒速日が治める畿内を征服しようとした
父ちゃんの天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と三人の兄に利用された

んだね

258 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 10:58:35.08 ID:/1xH3p9Y0.net
>>9
新撰姓氏録の記載を元にすると、神武天皇もその当時九州にいて、そこから大和に移って(神武東征)邪馬台国として中国に伝わったということかな

259 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:04:47.55 ID:8c2NLH5N0.net
んで、

九州のワダツミ国の国王となっていたスサノオの家系の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命とその三人の息子たちは、まんまと

アマテラスの家系の饒速日が治めていた畿内を末っ子の神武に統治させる事に成功した

と言うわけだ

当然、神武が畿内を統治したあとも、九州のワダツミ国は存続し
神武が死んだあと、ワダツミ国の家系の神武の子「タギシミミ」に神武のあとを継がせようとするが失敗

神武のあとを継いだのは、出雲の家系の神武の子「カムヌナカワミミ」となってしまい

それ以降、九州のワダツミ国は大和から「熊襲」と呼ばれることになるわけだ

260 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:08:08.26 ID:8c2NLH5N0.net
んで

12代景行天皇皇子のヤマトタケルが

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられてから代々続いてきたワダツミ国「漢委奴国王(熊襲建)」と

大国主が国譲りをしてから代々続いた「出雲主王(出雲建)」を討伐して


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された
『隋書』倭国伝(636年完成)

百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

261 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:10:19.51 ID:t+ulLZb80.net
人はともかく大量の物資や生きた家畜を輸入するには構造船が必要
構造船を作るには製材技術が必要であり道具として鉄の道具が欠かせない
このあたりの技術と鉄を持ってる人が力を蓄えるのは当然のこと

262 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:11:15.88 ID:hltl0SG+0.net
>>240
おまえは平原王墓の埋葬品や出土品を
少しでも勉強したのか?
していないだろう

同じように平原王墓に関連するこの周辺の多くの
第一級の遺跡の研究をしたのか
していないだろう

アホ丸出しはおまえだろう

263 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:12:53.29 ID:cSoiVJgs0.net
>>1
新羅が西暦57年から存在したのならば三国志が編纂された頃には建国200年以上の歴史があることになるが、
三国志東夷伝韓条には新羅が一切登場しない

つまり『新羅本記』の年代はウソで、箔をつけるために事実よりも古く書いてある
皇紀と同じ

264 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:15:08.75 ID:t+ulLZb80.net
もう少し年代を考えようよ
数百年も歴史の幅のあることを一緒に論ずるのは都合が良すぎ

265 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:15:39.83 ID:cSoiVJgs0.net
安価ミス
>>263>>258宛て

266 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:19:03.26 ID:/1xH3p9Y0.net
>>263
たしかにこの時代において最も信頼の置けるのは中国の歴史書だが、中国の史書では朝鮮半島の国々についてはどうあるのかな

267 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:19:49.11 ID:hltl0SG+0.net
>>264
>もう少し年代を考えようよ
>数百年も歴史の幅のあることを一緒に論ずるのは都合が良すぎ

都合が良すぎはおまえでは?
数百年も歴史の幅のあることを一緒に論じることができなければ
すべては論証などできないよな

おまえのあたまのなかのように単独ではw

268 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 11:49:51.15 ID:RRvY2IBW0.net
>>250
出雲族は縄文系

斎藤 成也‎著 『核DNA解析でたどる 日本人の源流』より  P.154〜
出雲ヤマト人のDNAデータの衝撃
4章で紹介した、理化学研究所が調べた7000名の日本人には、
なぜか中国・四国地方の人々がはいっていなかった。さいわい、
数年前に、島根県の出雲地方出身者のあつまりである東京いずもふさと会から、
国立遺伝学研究所に彼らのDNAの調査依頼があり、わたしの研究室に話がきた。
 出雲は中国地方の一部であり、ねがってもない話なので承諾し、
さっそく研究がスタートした。研究計画を立案し、国立遺伝学研究所と東京大学の
ヒトゲノムDNA倫理審査委員会の承諾を得たあと、東京大学医学部の徳永勝士教授の協力を得て、
東京いずもふるさと会の21名から血液を採取し、DNAを抽出した。
徳永研究室がタイピングを担当し、データ解析をわたしの研究室が担当した。
その予備的結果のひとつを、図46にしめした。
 その結果は、目を見張るものだった。
出雲が含まれる山陰地方は、地理的に朝鮮半島に近いので、
人々のDNAも関東地方の人々より大陸の人々に近くなるのではないかと
予想していたのだが、そうではなかった。
わずかではあるが、むしろ関東地方のヤマト人の方が、出雲地方のヤマト人よりも、
大陸の人々に遺伝的には近かったのである。
 しかも、この図を持ってきたティムがさらに衝撃的な点を指摘した。
北方中国人、関東ヤマト人、オキナワ人で構成される三角形の位置関係は、
図37でしめした中国クラスター、本土クラスター、琉球クラスターに対応するが、
すると出雲ヤマト人が関東ヤマト人のすこし右側に位置するのは、
図37の東北地方集団の位置と似ているというのだ。
 ティムは、純粋にDNAデータにおける共通性に着目したのだが、
わたしはただちに小説『砂の器』を思いだした。
原作者である松本清張は、出雲地方の方言のアクセントが東北地方のそれと似ている
という日本方言学の成果を、事件解明のヒントとしてこの小説に使っているが、
DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきたのだ。
 そのころ、わたしたちは、アイヌ人のデータと理化学県研究所の膨大な
日本列島人のデータを重ね合わせる解析もおこなっていた。
4章の図38にその結果がしめしてあるが、この結果から、わたしたちは、
東北地方の人々にはアイヌ人のDNAがほとんど伝わっていないと解釈している。

出雲ヤマト人と東北ヤマト人の関係の謎
 図39の系統ネットワークからは、東北地方のヤマト人とオキナワ人の共通性が発見されている。
東北、出雲、沖縄。これらをめぐる共通性とは、いったいなんなのか?
これらの共通性は、もはや「縄文」と「弥生」に象徴される
二重構造モデルでは、説明することができない。

269 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:01:22.63 ID:hltl0SG+0.net
>>1
平原王墓を発掘したのは日本のシェリーマンとも呼ばれる原田大六だ

彼は、考古学以外ではほぼ無名だが、国宝平原王墓を発掘する一方で
縄文、神代からの遺跡にして神域として名高い孤島
最近、世界遺産群にも指定された沖ノ島の重要性を説き全面的な保存に尽力した国の宝とでもいっていい人物だ

一介の教師にすぎなかった原田に考古学の薫陶を与えたのは
医学者にありながら古墳時代と弥生時代、古記や万葉の接点を北部九州、博多湾岸との緊密性を
いち早く見抜ぬき、考古学者として文献学者として天才的な才能を発揮した
中山平次郎だ

彼らの奇妙な系譜を含めて考古学や関連するすべての遺跡を
理解し知っていかないとこの日本の成立について
重要なことは語れないだろう

270 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:12:53.57 ID:k6qpCzgC0.net
>>254
書いてることを否定するなら証拠出せや

271 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:16:37.40 ID:kxHMmfR00.net
中国の史書でも日本の伝承でも
確実に日食が二回起こってるのに
当時二回日食になったのは北部九州だけ

これが全てだろ

文系脳で天文学とかの理系の知識を持ってくるのが恥だから認めたがらないクソ連中

272 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:17:03.86 ID:DlYj11UZ0.net
>>268
大国主は縄文系という事でいいのかねえ
国を譲る代わりに民の安寧を許されたと
元々は畿内に居て、出雲へは転封されて来たとか?

273 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:29:19.25 ID:hltl0SG+0.net
>>254
だね

伝え聞きそうなったのだろうと推測はつく

274 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:32:09.94 ID:hltl0SG+0.net
日の巫女:卑弥呼 すなわち天照大神が
秦の始皇帝みたくに殉教者を要したのか

していないと思う

275 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 12:42:29.46 ID:EOxEub3A0.net
>271
日本の伝承で日食が二回起こってるっつーのはどの伝承の話ですか?

276 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:07:22.42 ID:BEDMjq7W0.net
>>271
卑弥呼と日食を結び付けるオカルト脳www
小学生向けに書かれた読み物を史実と思い込むアホ

277 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:13:56.67 ID:hltl0SG+0.net
>>1
国宝平原王墓の副葬品は
三種の神器をはじめ
日本神道の源流を推し量ることのできる遺産だ

いわいるマスゴミは封殺するけれども

278 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:21:44.64 ID:sAybYpbv0.net
【歴史】日本列島は紀元前から文字使用か。「すずり」と判断される石の発掘が九州北部を中心に相次ぐ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565469603/

279 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:24:39.84 ID:hltl0SG+0.net
>>276
日食や、
実際のできことを神話にきちんと伝える被せるということにおいては
日本や西洋や聖書を含めてそれは検証され得ることだよな?

ただし、熊が祖先みたいな話だったらたしかにオカルト国だろう

280 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:28:53.29 ID:GMZdJiRZ0.net
平原遺跡が卑弥呼の墓かどうかは分からないが
伊都国が糸島市南東部であり、卑弥呼の都であったことは魏志倭人伝の記述から確定しているな。

281 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:31:53.99 ID:hltl0SG+0.net
>>280
卑弥呼の都ではない

没した場所だろう

邪馬台国の本丸は山の向こうの吉野ヶ里を初めとする筑後川流域だ
伊都志摩は卑弥呼:天照大神が最終的に没したところだろう

282 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:34:56.62 ID:oUdRx9Ut0.net
邪馬台国だけは関西人の目の色変わるよね
普段から歴史を根拠に不躾で粗暴な振る舞いを正当化している自分たちの地位が危うくなる

283 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:35:14.92 ID:EOxEub3A0.net
>280
それが確定情報だとすると、そもそも畿内説なんて死滅してるんじゃないかと思うんだけど、何で畿内説が残ってるわけ?

284 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:47:32.42 ID:BEDMjq7W0.net
>>279
魏志倭人伝に日食がどうとかまったく書かれてない
現代人の創作物語を史実だと、ひたすら言い張るだけなのが九州説というオカルト

285 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:51:44.83 ID:hltl0SG+0.net
>>284
>現代人の創作物語
あのな
それが得意な国がオカルト国なのでは?
近隣にあるがな

286 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:51:55.57 ID:wfg7XaOb0.net
大宰府から出る遺骨には多く江南のDNAが確認されている。また、大宰府政庁は、地層から政庁前から拠点があった。水城も白村江敗戦で北からの襲来に備えた事になってるが、その前からあった。最近は南側の小郡にも水城跡が確認されている。北からの襲来に備えただけではない。

287 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 13:53:47.51 ID:hltl0SG+0.net
>>284
性奴隷慰安婦とか徴用工とか
南京大虐殺とか

なんだろうね?

288 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:11:21.64 ID:nhIBhm0k0.net
>>280
末盧国から南東五百里(短里で38.5km)で伊都国やん?

平原遺跡から北東に38.5kmは確実に海の上なのをきちんと説明してくれますか?
呼子や名護屋だと平原遺跡は真東なのを南東、北東の二段階右折する必要がある。
一大国から末盧国は方角自由の千里なのを、無理やり壱岐島から三百里南下して呼子に上陸するのもそうだし
伊都国=糸島(平原遺跡)ありきで無理やりこじつけすぎてないか?

289 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:16:24.46 ID:wfg7XaOb0.net
難しく考えず、今も比較的都会の大宰府から基山付近が邪馬台国だったと思うが。現在の田舎が邪馬台国はあり得ない。そう簡単には人が根付いた都市は田舎にならない。

290 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:16:57.78 ID:GMZdJiRZ0.net
>>283
畿内説なんて既に死亡してる
畿内説は自分達が死んでる事に気付いてないゾンビだよ。

291 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:22:34.27 ID:uQP80SBe0.net
九州に邪馬台国が存在したとすると、そのパターンは、大きく分けて3っつ

パターン1
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上、倭王として君臨してきた九州が、ひきつづき「親魏倭王」となった

 ↑ 倭王としての名前が変わっただけなので、九州にいる渡来人、大陸にいる役人は、方位も里数も行程時間も間違わない


パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上、倭王として君臨してきた国とは別の九州の国が「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸にいる役人にとってビックニュース、当然、どこが「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡り間違わない



パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭王として君臨してきた九州に、
邪馬台国という国が新しく出来て、「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸にいる役人にとってビックニュース、当然、どこに邪馬台国ができて「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡り間違わない

【結論】倭国にいる渡来人、大陸側の役人が、すみからすみまで知っている九州には、邪馬台国は存在できない

292 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:26:32.40 ID:hltl0SG+0.net
桃の種か

畿内説は今のマスゴミ同様
カルト以外なにものでもないw

293 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:27:55.80 ID:hltl0SG+0.net
>>291
キチガイは死んでね

294 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:28:03.31 ID:BEDMjq7W0.net
>>285>>287
もう邪馬台国も卑弥呼も関係なく、何でもいいから反論してるだけw

295 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:28:31.79 ID:uQP80SBe0.net
>>289
大陸に一番近いから邪馬台国は九州だ

という、難しく考えず幼稚な思いつきが九州説

ところが九州は、

大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
『魏志』を書いた中国人たちが、どこにどんな国があるのか、知らないところがない

ことが、邪馬台国を九州に存在できなくしている

296 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:31:12.75 ID:uQP80SBe0.net
>>293
>>289
大陸に一番近いから邪馬台国は九州だ

という、難しく考えず、幼稚園児並みの幼稚な思いつきが九州説

ところが九州は、

大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
『魏志』を書いた中国人たちが、どこにどんな国があるのか、知らないところがない

大陸に一番近いことが、邪馬台国が九州に存在しない理由なのだ

297 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:33:24.84 ID:uQP80SBe0.net
九州に邪馬台国が存在したとすると、そのパターンは、大きく分けて3っつ

パターン1
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上、倭王として君臨してきた九州が、ひきつづき「親魏倭王」となった

 ↑ 倭王としての名前が変わっただけなので、九州にいる渡来人、大陸にいる役人は、方位も里数も行程時間も間違わない


パターン2
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上、倭王として君臨してきた国とは別の九州の国が「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸にいる役人にとってビックニュース、当然、どこが「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡り間違わない


パターン3
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられそれから150年間以上、倭王として君臨してきた九州に、
邪馬台国という国が新しく出来て、「親魏倭王」となった

 ↑ 九州にいる渡来人、大陸にいる役人にとってビックニュース、当然、どこに邪馬台国ができて「親魏倭王」となったのか話題となり、方位も里数も行程時間も知れ渡り間違わない

【結論】倭国にいる渡来人、大陸側の役人が、すみからすみまで知っている九州には、邪馬台国は存在できない

298 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:33:33.42 ID:dap+k4900.net
>>281
卑弥呼=天照大神とするならそうなるな。
だが、卑弥呼=祓戸四柱筆頭の瀬織津姫とするなら日向の橘と言う事になる。

古事記、日本書記を正史とするとしても、卑弥呼以上に闇というか不明な神様がいる。
イザナギイザナミは知っていると思うが、カムロギカムロミについてはどのような神か全く不明。
だが、大祓を筆頭に幾度と無く出てくる最重要な神様でもある。

299 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:33:47.24 ID:hltl0SG+0.net
>>295
>大陸に一番近いから邪馬台国は九州だ
>という、難しく考えず幼稚な思いつきが九州説

いや
幼稚な思いつきはオマエ以外なにものでもない

300 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:36:57.49 ID:gkJY/pRq0.net
現在の人口で勝る関西人の我欲で成立してるだけだろ
文系学問の限界を感じるね

301 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:38:53.50 ID:hltl0SG+0.net
>>300
北部九州に数多くの遺跡が
出土しているのを故意に封殺しているね

302 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:40:26.84 ID:wfg7XaOb0.net
邪馬台国は最終的には畿内と思う。その起源について九州と言っている。九州説の多くの人も畿内に邪馬台国は納得してると思う。時々争わせたい意図を感じる。

303 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:43:51.64 ID:uQP80SBe0.net
>>299
ほほー、幼稚な考えではなく、高度な理論だと?

では

大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上もたち

『魏志』を書いた中国人たちが、どの方角に、何里行けば、どこにどんな国があるのか、知らないところがない

九州なのに、『魏志』の行程が九州では全くあてはまらないのは、どうしてだ?

良くある話が、邪馬台国の場所を隠すためというものだが

大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上もたち

『魏志』を書いた中国人たちが、どの方角に、何里行けば、どこにどんな国があるのか、知らないところがない

のだから、『魏志』で隠そうとしても無駄だぞ?

304 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:46:51.51 ID:uQP80SBe0.net
>>301
北部九州に数多くの遺跡が出土しているのは

を故意に封殺しているね
大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた

【倭奴国の遺跡】なので

故意に封殺するのは当然

305 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:48:30.78 ID:hltl0SG+0.net
>>302
>邪馬台国は最終的には畿内と思う。
どうして最終的にはと思うのかな?

306 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:49:58.87 ID:uQP80SBe0.net
>>301
北部九州で数多くの遺跡が出土しているのは

大陸に一番近く、紀元前から大陸と活発に交易し
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた

【倭奴国の遺跡】なので

故意に封殺するのは当然

307 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:50:14.81 ID:hltl0SG+0.net
>>304
オマエ
>とか
>を入れろや
じじいか?

308 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:50:49.38 ID:wfg7XaOb0.net
福岡なんか、工場現場で遺跡は見なかった事にしてるのが普通だからな。掘ればゴロゴロ転がってる。経済第一!

309 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:52:28.51 ID:uQP80SBe0.net
>>305
ほれ、回答は?

>>303

大陸に一番近いから邪馬台国は九州だという
幼稚園児並みの幼稚な思いつきが九州説

だから

考えもしなかったか?

310 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:53:13.07 ID:EOxEub3A0.net
魏志に関しては呉への対抗上、呉に近い位置に倭がある方が都合が良いから敢えて南の方角に倭国があるように書かれたっていう説はあるけどね。
ただ、距離については当時の中国古典を解読してる中国学者が放射説を否定してるから、直線ルートが正しいのだすると邪馬台国が九州の中に収まらないっていう矛盾をどう解決するかが九州説だと問題がある。

311 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:53:48.43 ID:uQP80SBe0.net
>>307
>>305
ほれ、回答は?

>>303

大陸に一番近いから邪馬台国は九州だという
幼稚園児並みの幼稚な思いつきで九州

とか言っているから

考えもしなかったか?

312 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:54:09.32 ID:hltl0SG+0.net
>>309
アホ確定

313 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 14:59:09.22 ID:uQP80SBe0.net
>>310
夷人不知里數但計以日

倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

だからねぇ

中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、里数は正確に把握しているはず

なのんだよね

314 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:02:10.11 ID:uQP80SBe0.net
>>312
大陸に一番近いから邪馬台国は九州だという
幼稚園児並みの幼稚な思いつきで九州

とか言っているだけあって

とても幼稚な返答だな(笑)

315 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:08:06.59 ID:hltl0SG+0.net
>>314
uQP80SBe0
ちゃんと
>とか
>とか
つけろw

316 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:08:53.67 ID:dap+k4900.net
>>292
桃はイザナギが根の国底の国(冥界)から脱出の折、
追って来る醜女や鬼に向って桃を投げて撃退し現世に逃げ帰ったとあるからね。
桃は当時の神道では非常に重要な位置づけ。

この桃の重要性の発祥が卑弥呼だとするなら卑弥呼=天照大神ではなく、
男性神であるはずのイザナギ=卑弥呼ではないのかな?
若しくは卑弥呼が死去し、その魔力がこの世に溢れないようにする為の封印=桃?

317 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:09:03.37 ID:uQP80SBe0.net
夷人不知里數但計以日

倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

紀元前から中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、
中国からの渡来人は、九州本土内の里数は正確に把握しているはず

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

つまり

【魏志倭人伝に書かれている邪馬台国がある地域は九州では無い】



国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

318 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:19:43.87 ID:a2PWkGjv0.net
飯塚と青葉は名前が悪い
改名せよ

319 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:20:40.15 ID:uQP80SBe0.net
つまり

幼稚な素人
大陸に一番近いから、邪馬台国は九州だ

考古学捨
大陸に一番近いから、邪馬台国は九州では無い

ということだ

320 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:22:53.04 ID:uQP80SBe0.net
あら間違えた

つまり

幼稚な素人
大陸に一番近いから、邪馬台国は九州だ

考古学者
大陸に一番近いから、邪馬台国は九州では無い

ということだ

321 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:22:58.06 ID:YFCSupna0.net
なぜジジイになれば邪馬台国にこだわりだすのか

322 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:23:36.63 ID:hltl0SG+0.net
>>319
じじいw

323 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:24:29.13 ID:hltl0SG+0.net
>>320
ばあちゃんかw

324 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:33:00.41 ID:WnWfjYYz0.net
ジャップだけ頭おかしいんだ。
世界中のイスラム教徒・ユダヤ教徒・キリスト教徒は、小中学生の時点で、モーゼが誰で何をした人でいつの人か、を知っている。

日本だけは、メイジイシンで捏造された架空の空想の日本の歴史とやらを、戦後になっても、義務教育の小学校から教えている。
ジャップだけ頭がおかしい。東大もカスミガセキも文部省も極右だ。

325 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:33:11.78 ID:uQP80SBe0.net
>>322
>>323
はいはい

邪馬台国は

中国からの渡来人が、方位を測っても、里数を数えても、間違ってしまう
今まで中国からの渡来人がほとんど行ったことがない、クソ田舎の未開の地の

畿内にあったんですよ

西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝

帯方郡ー韓国−対馬國− 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

326 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:34:19.80 ID:WnWfjYYz0.net
選民思想と相いれないのが、イスラム教や仏教やキリスト教やユダヤ教。
元々は、階級社会・身分制度のなかで、抑圧された貧困層に広まった宗教だ。

だから、お前らジャップとはそもそも相いれないんだ。ジャップは、貴族主義かぶれの選民思想を持ったキ〇ガイだから。
迷惑だからジャップは近寄らないでくれ。
お前らジャップを、キリスト教やイスラム教やユダヤ教や仏教徒にしたいとは、少なくとも俺は、思わない。

世界中で、モーゼを知らないキリスト教徒はいないだろwww

327 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:35:09.40 ID:A+mBxjSx0.net
>>325
畿内説ってのは学説なのかと思っていたら頭の病気の病名だったんだな

328 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:39:06.81 ID:uQP80SBe0.net
>>327
いいえ、

倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

紀元前から中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、
中国からの渡来人は、九州本土内の里数は正確に把握しているはず

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

という学術的基礎を無視して、おとぎ話をしているのが、九州説

329 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:40:17.14 ID:uQP80SBe0.net
>>327
いいえ、

倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

紀元前から中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、
中国からの渡来人は、九州本土内の里数は正確に把握しているはず

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

という学術的基礎を無視して、おとぎ話をしている病人が、九州説

330 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:48:34.23 ID:A+mBxjSx0.net
やっぱり頭の病気だったw

331 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:48:44.17 ID:yBlvO8XD0.net
>>298
日向の橘の小戸でうまれたたのはあくまでも瀬織津姫(ムカツヒメ)であってアマテラスではない。
だれかが記紀で意図的に瀬織津姫とアマテラスと混同するような書き方をしてしまった。

332 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:57:49.32 ID:hltl0SG+0.net
>>327
ですね
だよね
間違いなくね

333 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 15:59:53.77 ID:uQP80SBe0.net
>>330
統合失調症には理解できないか m9(^Д^)プギャー

334 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:00:20.43 ID:wYo7Wb7A0.net
>>327
畿内説は無理があるが、これまで研究してきた教授たちのメンツの問題で撤回できない
世代交代すればちょっとは変わるかもしれん

335 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:02:40.63 ID:uQP80SBe0.net
>>332
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

紀元前から中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、
中国からの渡来人は、九州本土内の里数は正確に把握しているはず

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

このことが、統合失調症には永遠に理解できない m9(^Д^)プギャー

336 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:05:55.35 ID:A+mBxjSx0.net
>>333
渡来人が何百回も来てたという証拠が見つかってから妄想してね
それまでは畿内説は頭の病気の病名のままだからw

337 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:07:25.47 ID:HqYmUA6E0.net
委奴
「わど」って読むんじゃないの

338 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:09:24.61 ID:uQP80SBe0.net
>>336
えっ?

渡来人が何百回も来てたという証拠が見つかってから妄想してね?

九州は畿内と違い

渡来人が何百回も来てたという証拠どころか、
渡来人が集まって住んでいたという証拠だらけなんすけど(笑)

やっぱり情報を統合して考えられない統合失調症だな m9(^Д^)プギャー

339 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:16:16.28 ID:hltl0SG+0.net
>>338
>九州は畿内と違い
>渡来人が何百回も来てたという証拠どころか、
>渡来人が集まって住んでいたという証拠だらけなんすけど(笑)
>やっぱり情報を統合して考えられない統合失調症だな m9(^Д^)プギャー

キチガイのオマエが言うとますます
朝鮮渡来人とか弥生人ってのはいなかったんだと確信できるなw

340 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:39:39.36 ID:uQP80SBe0.net
>>339
とうとう統合失調症は

大陸に一番近いのに、九州には渡来人は来ていない

とか、言い出した(笑)

341 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:45:36.27 ID:uQP80SBe0.net
九州に数多く点在する、邪馬台国以前の、弥生時代中期(紀元前4世紀末〜1世紀中頃)の遺跡からの出土品ガン無視かよ(笑)

342 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:47:21.14 ID:QbxYSHCK0.net
もう、学者さんは畿内説を諦めて
地元の考古学の纒向学に転向してるよ。

流石に200回近く掘って
こじつけるのも難しいような
発掘成果しかなければ
予算を取るのも難しい。

地元の考古学なら、工事などで出てきた
遺物の調査など一定の仕事があるからね。
そうやって食っていくしかない。

343 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:58:07.34 ID:nQQI/jmv0.net
邪馬台国は日本じゃないので日本の歴史とは全く関係ないよ

344 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 16:59:37.07 ID:uQP80SBe0.net
>>342
そしてまた統合失調症は、情報を統合できなくなって、自分の脳内に閉じ籠る



345 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:01:17.52 ID:uQP80SBe0.net
>>343
>>342
そしてまた統合失調症の九州説は、情報を統合できなくなって、自分の脳内に閉じ籠る



346 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:03:47.38 ID:uQP80SBe0.net
夷人不知里數但計以日

倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算しているということは、
魏志倭人伝に書かれた方位や里数はすべて、中国からの渡来人が数えた里数

紀元前から中国からの渡来人が何百回も訪れている大都会九州なら、数えるまでもなく、
中国からの渡来人は、九州本土内の里数は正確に把握しているはず

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

この二つの情報を統合して考えると

【魏志倭人伝に書かれている邪馬台国がある地域は九州では無い】



国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

347 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:09:43.39 ID:djJyAkhv0.net
邪馬台国はどこかって? おまいらの心の中にあるのさ (´・ω・`)

348 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:10:21.56 ID:N60TxUgD0.net
皇紀云々ほざいている愛国保守者さまたちはいい加減自国の歴史を知るべきだよなw

349 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:18:46.62 ID:A+mBxjSx0.net
>>338
で、何百回も来たという証拠はどこ?
ああ、無いんだね
やっぱり頭の病気だったねw

350 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:51:33.06 ID:tQ3qbmod0.net
>>268
朝鮮半島由来系渡来民と縄文人の混血だと思ってる。
江南からの渡来民はほとんど男性だったんじゃないかなと推測するが、
朝鮮半島由来系渡来民は男女両方かな。
かなり後から入ってきた朝鮮半島からの渡来民が関東に移ってったて話だしね。

351 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 17:55:12.93 ID:A+mBxjSx0.net
>>341
出土品から分かるのは技術が大陸から倭国に伝わったってことだけなんだがw
渡来人が来たのは最初の一回だけで、技術が伝わったのであとは倭人が模倣して作っただけとも考え得るし、
規模から考えればむしろその可能性が高い
大陸製の物品にしても優れた航海術を持っていた倭人が楽浪郡や帯方郡から手に入れて来ただけという可能性が高く
わざわざ渡来人が東夷と見下していた倭に来たという根拠にはならない

じゃ、渡来人が何百回も来たという証拠を頑張って探してきてね
どうせ無いと思うけどw

352 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:25:24.10 ID:tQ3qbmod0.net
>>310
その中国学者に一般常識があるかどうかが興味深い所やな。

353 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:30:37.18 ID:8c2NLH5N0.net
>>351
さすが、九州説らしい幼稚な考えだな (笑)

354 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:30:59.03 ID:tQ3qbmod0.net
>>313
で、測量に来たんはいつや?

355 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:32:02.89 ID:6H2QxSUp0.net
>>289
基山のあたりはおそらく支惟国ですよ。

福岡県は遺跡の保存には何の価値も認めていないようですね。
おそらくそれらが珍しくも何ともないからでしょう。
弥生の集落遺跡の上にドラッグストアが建ったり古墳の上が小高い丘のような駅前公園になっていたり。
五郎江遺跡など、時代、環濠の規模などから吉野ケ里にも匹敵する価値を持つと思いますがこれも平然と潰しますしね。
伊都国の王宮跡などは筑肥線の九大学園都市駅の真下あたりに今も眠っているのではないですか。

356 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:32:26.10 ID:tQ3qbmod0.net
>>354 の続き
草木茂盛、行不見前人。みたいなところを正確に測ってくれてありがとう。

357 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:38:04.14 ID:tQ3qbmod0.net
>>317
参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
か。
なんとなく中国王朝の命により天皇が日本を治めてたことにしたいのも、うなづけるような気がする。

358 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:39:51.40 ID:8c2NLH5N0.net
>>351
吉野が里全否定かよ

吉野ヶ里遺跡の紹介 人骨からわかること
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c503.html

359 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:40:06.07 ID:tQ3qbmod0.net
>>324
江戸時代に編纂された歴史書も読んどけば。

360 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:42:32.13 ID:zcxCyg3H0.net
>>351
あるとしたら徐福の数千人と
秦氏と東漢氏の数万人でしょ
あとは難民か女さらってくるかくらいでしょ

361 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:43:57.65 ID:8c2NLH5N0.net
>>351
>>354
>>357

九州説のくせに、渡来人は九州には一回しか来ていないとか、吉野が里全否定(笑)
これが【統合失調症】の症状 m9(^Д^)プギャー

吉野が里遺跡公式HP 吉野ヶ里遺跡の紹介 人骨からわかること
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c503.html

362 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:51:01.21 ID:tQ3qbmod0.net
>>358
稲作が始まってから人口が急激に増え始めたろうから、
どうしても稲を持ち込んだ連中のDNAは多くなると思うよ。

363 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:52:03.60 ID:tQ3qbmod0.net
>>361
>>362 の通り。

364 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 18:58:19.49 ID:uhgAnCW60.net
最悪中国地方か四国ならわかるけど、
九州は史実とあわないからなあ
その時点でアウト

365 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:01:28.32 ID:tQ3qbmod0.net
どこが史実とあってないんや?

366 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:03:02.61 ID:rAV8eDh40.net
>352
少なくとも古代の漢文読解に関しては中国の言語専門家の方が門外漢の日本の歴史学者よりは正しく解釈するんじゃない?
そもそもDNA鑑定なり放射性炭素年代物測定なり、色々と客観的な手法があるのに、なんでより妥当な手法を組み合わせて明らかにしようとしないのか謎。

367 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:04:52.80 ID:8c2NLH5N0.net
>>362
稲作が始まってから人口が急激に増え始めた?

また吉野が里全否定かよ m9(^Д^)プギャー
【統合失調症】はどうしようもねーな

吉野が里遺跡公式HP 吉野ヶ里遺跡の紹介 吉野ヶ里集落の変遷
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=24

368 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:06:03.60 ID:mqTjXeRr0.net
九州説は、病気だな

369 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:14:48.92 ID:8c2NLH5N0.net
>>368
そもそもだ

吉野が里遺跡公式HP では、
邪馬台国が「親魏倭王」に任じられる前に、吉野が里は終焉した

っつってる

吉野が里に、倭人と混血するほど渡来人がやってきたのは、邪馬台国よりずーーっと前

なのにね(笑)

370 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:16:09.73 ID:BlzDHWBp0.net
北九州にあったなら、その後短期間で近畿の豪族が統一したのが説明できない

371 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:16:53.67 ID:GMZdJiRZ0.net
>>313
公孫氏の役人が何回も北部九州に訪れて公孫氏の短里(1里80m)で計測したんだ。

372 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:17:21.39 ID:uHiAWVC20.net
別の国だから

373 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:17:57.05 ID:GMZdJiRZ0.net
>>370
近畿の豪族が統一したのは8世紀
500年間もの間がある。

374 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:19:04.01 ID:GMZdJiRZ0.net
>>369
吉野が里遺跡は律令時代まで存続してたとあるよ。

375 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:21:57.92 ID:8c2NLH5N0.net
>>371
邪馬台国が出来る前、吉野が里では、倭人と混血するほど大量に渡来人がきていた

九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、それから150年間以上、渡来人が訪れてきたのだから当然だ

公孫氏の役人が短里(1里80m)で計測するまでも無く、渡来人は里数をわかっている

なのに

魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にはあてはまらない

この二つの情報を統合して考えると

【魏志倭人伝に書かれている邪馬台国がある地域は九州では無い】



国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

376 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:22:06.21 ID:tQ3qbmod0.net
>>367
で、どこ見たら否定してることがわかるん?

その上のレス並みに一般常識欠けてんのかもしれんから、一応リンク貼っとくわ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/suii.jpg

377 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:23:05.60 ID:GMZdJiRZ0.net
>>310
俺は九州説だが放射説は間違いだと考えている
魏志倭人伝は帯方郡を起点に里数と日数で行程を記述しているだけのことだな。

378 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:24:46.62 ID:GMZdJiRZ0.net
>>375
魏志倭人伝に書かれた方位や里数は九州にピッタリ当て嵌まりますよ?

379 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:33:49.68 ID:tQ3qbmod0.net
>>377
野合組んでる野党連携みたいでいいね。

380 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:38:39.25 ID:R4wCgyWA0.net
>>9
あの金は偽物だろ
日本伝統文化の偽造品だろ

381 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:40:12.17 ID:R4wCgyWA0.net
あんなしょぼい金印を渡たすわけねーだろ

382 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:41:00.21 ID:R4wCgyWA0.net
>>378
フィリピンだろう実際あの頃はフィリピンの方がずっとGDPが大きい国だったんだから

383 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 19:55:38.31 ID:nNqFHZ+L0.net
卑弥呼と天照大神の関係だが。
弥生時代、日の神は普通の神であった。弥生時代末期に卑弥呼が現れてこの神を特に祭祀した。この戦国の世を終息させた神は人びとの記憶に強く残った。その後その神の祭祀は大和王権に奪われた、継承された、またはそのまま継続した。これが天照大神である。
以上、単なる妄想ではありますが一応仮説のつもり。

384 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:13:42.72 ID:rAV8eDh40.net
>378
いや、帯方郡起点だとすると東シナ海沖になるから、少なくとも方位はおかしいですよ。

385 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:14:43.58 ID:vk6JVaYL0.net
>>263
シロ国

386 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:16:40.68 ID:/1xH3p9Y0.net
>>268
これは出雲伝承のとおりだな
まあ出雲伝承は、徐福を饒速日火明命須佐之男邇邇芸とするトンデモなんだが

387 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:22:13.56 ID:GMZdJiRZ0.net
>>384
東夷の1里は80m

388 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:24:20.71 ID:wvK1fXsf0.net
伊都国なんて糸島ってそのまま2000年続いてて
2000年前の愛宕神社がそのまああって
そこは確定なんだな

389 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:30:42.94 ID:GMZdJiRZ0.net
>>263
基の資料が干支で書かれていて
それ基に『新羅本記』で年代を決めてるから
60年、120年のずれがあるようだな。

390 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 20:32:59.05 ID:VgD//w0w0.net
女王国は九州東岸だよ。
隋書から読み取れるし発掘調査すべし

391 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 21:43:51.90 ID:8c2NLH5N0.net
>>378
で、邪馬台国はどこ?

392 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 21:44:33.35 ID:8c2NLH5N0.net
>>376
やっぱり、邪馬台国が出来る前に渡来人が来ているね

393 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 21:47:52.30 ID:8c2NLH5N0.net
一大国

− 海を渡る1000余里−

末廬国

の時点で、船が九州の内陸部まで突き刺さるんすけど(笑)

394 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 21:57:00.71 ID:tQ3qbmod0.net
>>392
当たり前やん。
水稲持ち込んだ連中いるんやから。

395 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:01:54.54 ID:sAybYpbv0.net
>>394
稲作の伝来が、必ずしも人を伴ったものとは限らない。

稲作の伝来は、中国から、刈り取った稲穂とともに遭難して流れ着いた可能性はある。
中国人が何人か生きていたとしても、それは、文化や言語、人種に影響を与える、渡来人とは言えないレベルの人数だった。

396 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:02:21.46 ID:8c2NLH5N0.net
で、東夷の1里は80mだと

末廬国− 東南に500里(40km)ー伊都国− 東南に100里(8km)ー奴国− 東に100里(8km)ー不弥国− 南に水行20日ー投馬国ー南に水行10日、陸行1月

邪馬壱國 は沖縄だね m9(^Д^)プギャー

397 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:02:29.23 ID:GMZdJiRZ0.net
>>391
北部九州の小国の連合体が邪馬台国だよ
女王卑弥呼を共立した国々の連合体。

398 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:03:41.39 ID:wfg7XaOb0.net
金印はさ、なぜか黒田藩が大切に保管してて、その後糸島の細石神社に預けられ、泥棒に盗まれて志賀島で漁師に発見されている。皆厄介払いしたかった感じだな。

399 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:05:28.09 ID:BEDMjq7W0.net
日本列島に移住した渡来系弥生人と楽浪郡、帯方郡から倭国を訪問した役人を
ごちゃ混ぜにして話が進んでるように見える

400 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:12:08.04 ID:tQ3qbmod0.net
>>395
僕は春秋戦国時代に戦火を逃れて逃げてきたかなと思ってる。
全員たどり着くこともなかったと思うし、ごく少数だったとは思うけど、
彼らが持ち込んだ稲のおかげで人口が増加したので、
与えた影響は無視できないレベルだったと思うよ。
ただ、神武も同じ文化出身だったので日本との差異が少なかっただけで。

401 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:16:32.57 ID:wfg7XaOb0.net
漢の金印は呉の渡来系が持ちこんだ。しかし母国がその後破滅してるから、大陸に敵としての証拠にしかならなかったから隠した。渡来系は難民のイメージで既に倭に同化してたんだろ。

402 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:20:01.34 ID:GMZdJiRZ0.net
>>396
里数も日数も帯方郡起点だと言ってるだろw

帯方郡-・・・-末廬国− 東南に500里(40km)ー伊都国− 東南に100里(8km)ー奴国− 東に100里(8km)ー不弥国
帯方郡− 南に水行20日ー投馬国ー南に水行10日、陸行1日(月)

403 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:28:47.70 ID:vk6JVaYL0.net
>>291
スピノザが神の存在証明をしてみせたのが馬鹿らしいのと同じくらいの馬鹿らしさ

404 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:39:55.94 ID:vk6JVaYL0.net
ここの畿内説によると、畿内は大陸から随分遥か彼方の地ってことになったようだな
いいんかね

405 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:40:50.80 ID:rAV8eDh40.net
いや、水稲については人を伴って伝来してる可能性が明らかに高いだろう?
それまでは陸稲しかなかったわけで、米が単に日本で栽培されてたのとは訳が違う。
水稲は育て方含めた運用システム丸ごと導入されてる。
文書による伝聞が困難だったことを考えれば口伝の可能性が高いというのは認めざるを得ない。

406 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:44:33.81 ID:6H2QxSUp0.net
邪馬台国の母体は江南の山岳地帯、あるいはその周辺の島嶼部あたりから
肥前西部に渡来した、語弊はありますが「あぶれ者」「食いつめ者」たちの集団ではなかったでしょうか。
「あぶれ者」の独身男性たちの集団が母体ではなかったかとも思われる古代ローマ帝国のような。

407 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:45:25.62 ID:fqfbjL2p0.net
>>401
委奴って倭奴だろ
明らかに日本向けの印

408 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:47:56.50 ID:fqfbjL2p0.net
>>406
あぶれるも何も呉越は滅んで住民は土地を追われてる

409 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:48:12.78 ID:sAybYpbv0.net
>>400,>>405
もし、仮に、稲作が中国大陸の水稲地域から人を伴ってもたらされたとしたら、
少なくとも稲作関連の語彙は、その地域と多くの共通を持つだろうが、それがない。

410 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:50:23.00 ID:07jqIkPC0.net
金印が倭にとって有難い物と思ってるのか? 日本人は貰ってない事にした方が都合がいいじゃないか。

411 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:53:23.08 ID:GMZdJiRZ0.net
弥生時代初頭に日本列島で稲作を開始したのは縄文人で
紀元前4〜3頃になって渡来系が北部九州が移住して来た
水稲については人を伴って伝来していないな。

412 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:53:28.03 ID:1pis1kfZ0.net
>>402
邪馬壱國 は九州だ

というノイローゼにかかって

やれ、東夷の1里は80mだ とか
やれ、放射説だ とか
やれ、里数も日数も帯方郡起点だ とか

珍説を繰り広げている病人にしか見えんわww

413 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 22:56:49.46 ID:8c2NLH5N0.net
>>412
完全に病気だよな

414 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:01:01.87 ID:DCebni+b0.net
https://i.imgur.com/NEtLCHY.jpg
http://i.imgur.com/dC1HZff.jpg

415 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:03:18.87 ID:vk6JVaYL0.net
>>409
大野晋によると、南インドの稲作文化語彙が日本語になってるらしい

416 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:06:57.31 ID:BEDMjq7W0.net
>>412
ワロタ
しかもその珍説を裏付ける物証もないもんな

417 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:08:54.38 ID:tQ3qbmod0.net
>>412
魏志倭人伝ガン無視の海外勢力の手先となってるとしか思えない邪説を支持してるわけ?

418 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:14:55.15 ID:tQ3qbmod0.net
記紀読んでみても、どう見ても他国の出来事だしな。

419 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:16:00.39 ID:+qoVRH5L0.net
>>412
多様な考えはあって良いと思うが、
執拗なこだわりや盲信に入ると
論に異常な感情を表すノイローゼになるわな。
ま、一部の畿内説派にも言える事だが。

420 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:23:32.56 ID:tQ3qbmod0.net
>>411
陸稲はまだ確定してないけど、日本で栽培されてたとしたら、
陸続きやった頃からの可能性が高いやろな。
それから、自分が王様やその幹部になりたくて水稲持って来たやろし、
栽培し方知ってる人間ないとどうしようもないやろ。
後、紀元前10世紀の水田見つかってるはずやけど。
たぶん北方民族が朝鮮で習得して持ってきたんやろけど。

421 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:23:39.83 ID:BEDMjq7W0.net
>>417
実際は魏志倭人伝を無視しまくってるのは九州説だろ
九州説は倭人伝通りだと言い張るために、度量衡を捏造したり、同一文献内で矛盾しまくった曲解をしたり、
遺跡もないし平地もないところに国が存在したことにしてる

422 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:28:02.76 ID:GMZdJiRZ0.net
>>421
東夷読めば里が80mくらいじゃないと現実に合わないからな
魏志倭人伝の記述通りに進むと不弥国で内陸に入り込んで水行なんて不可能なんだ
水行も帯方郡からの記述としか考えようがない。

423 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:29:05.60 ID:tQ3qbmod0.net
>>421
度量衡を捏造してないし、同一文献内で矛盾しまくった曲解って何のことかよくわからんし。
余裕で7万戸養える米作れる平野あるし。むしろ奈良盆地だけの方が苦しいんちゃうか?
唯一苦しい部分があるとすれば、奴国と邪馬台国が隣接してるのを魏の役人に隠してることくらいかな。

424 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:36:26.37 ID:BEDMjq7W0.net
>>419
多様な読み方は別に構わんが、陳寿は読み手が解読できないように書いたわけでもないし、
倭人伝に暗号を仕込んだわけでもない
読んだ人が誰でも倭国のことを理解できるように書いたはず
残念ながら、地理観が間違っていたため、現実の地図と合わないことになってる

陳寿の地理観が間違ってたことを受け入れず、無理矢理九州に持ってこようとするから
矛盾だらけの曲解だったり、度量衡の捏造だったりするんだけどな

425 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:45:50.09 ID:tQ3qbmod0.net
記紀を曲解してそうな連中が、なんか言い始めたな。

426 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:53:59.50 ID:uHiAWVC20.net
畿内は倭人傳に合うとこ、ひとつもないよね

427 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:57:35.60 ID:BEDMjq7W0.net
短里厨は短里があったと言うが、合理的な根拠を提示したやつは一人もいない

議論して矛盾を指摘されても、ひたすら短里はあったと繰り返すやつ
ぐうの音も出なくなり、代わりに罵倒して短里はあったと繰り返すやつ
反論できなくなり、トンズラするやつ

この3つのパターンのどれか
例外は1つもない

428 :名無しさん@1周年:2019/08/11(日) 23:57:54.72 ID:tQ3qbmod0.net
第1優先:記紀
第2優先:魏志倭人伝
にすると、九州説でないと説明できんのよな。

429 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 00:17:44.26 ID:wsuIj3U70.net
単純に魏の里を使うと
南に行けばパプアニューギニアか
マリアナ諸島になるし
東に変えてもベーリング海だ。

だから魏の里を使うと主張する人は
自動的に日本でないと主張することになる。

430 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:08:41.32 ID:FMrznqwA0.net
江南からの渡来系が港にしてた場所に、今では家具職人で有名な大川ってあってな。渡来系の技術者が船を造ってたとしか思えん。

431 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:28:53.99 ID:Ywvq8iNY0.net
>>427
合理的な根拠:魏志倭人伝以外でも使用されている

魏志韓伝:「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里有」
後漢書韓伝:「地合方四千餘里 東西以海為限 皆古之辰國也」
隋書百済伝:「其南海行三月有耽牟羅國 南北千餘里東西數百里」
三国史記新羅本紀:「于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里」

すべて現実の地理と比較すると短里でなければ説明がつかない
こうした事実からひたすら逃げ続けるだけなのが畿内説w

432 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:36:53.78 ID:Ywvq8iNY0.net
ちなみに日本でも短里の使用例がある

> 61 :ニュースソース検討中@自治議論スレ :2018/11/13(火) 16:49:00.60 ID:RT6Jdpev
> 日本書紀スジン紀
> 六十五年秋七月、任那國、遣蘇那曷叱知、令朝貢也。任那者、去筑紫國二千餘里、北阻海以在鶏林之西南
> 任那は筑紫国を去る事2千余里北海をヘ阻てて雞林(新羅)の西南に在り
>
> 2000里は140Km 一里75m  日本書紀も書き写すときうっかり短里で書きました

433 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:47:47.50 ID:Ywvq8iNY0.net
距離も合わない
方角も合わない
風俗も合わない
魏志の記述に合う遺構もない
それらしい副葬品も出土しない

これでもまだ畿内だと思ってるやつは普通に知障だろう

434 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:53:48.33 ID:zTpbRiTq0.net
>>421
書いてる通りに読むことを捏造とは言わん

書いてない通りに読んで「太平洋の真ん中に出てしまう」と言う方がよっぽど捏造

435 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:56:13.19 ID:zTpbRiTq0.net
>>422
一旦有明海に出るんだよ

436 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 01:58:32.83 ID:xODv4RWf0.net
>>431
意外に沢山用例があるんだな、しかも見事に東夷地域ばかり
この辺だけで使われてたローカルな単位なのかな

437 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:23:21.24 ID:CjWyV6aF0.net
>>431>>432
バカなの?
それ里が正しくない例を示してるだけだろがwww

里が正しくない例を示す → 論理を飛躍させて、短里があった

こういう詐欺師みたいなことをやってるのが短里厨
理論的根拠も示さないし、魏志倭人伝でそんな特殊な里が使われていことも示さないで
ひたすら短里があったと言い張るのみ

幽霊は実在する
ネッシーは実在する
短里は実在する

これ全部、空想、妄想による与太話

438 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:27:27.06 ID:fViSRJE30.net
邪馬台国時代に各地方を統一する政権を
つくっていたのは畿内だけ。
はい論破。
あと、学会では畿内「説」という言葉自体
もう死語になってますw
邪馬台国=畿内ヤマト政権

439 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:29:10.41 ID:3/DrUoTd0.net
>>437
お前のキチガイ理論だと帯方郡と地続きで往来が盛んだった韓で里を間違うはずないよな?w
自滅おつ

440 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:29:58.56 ID:coEfofw60.net
邪馬台国との位置関係

【もっと北】 (朝鮮半島)狗邪韓国
【北】    (九州北部)  対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
【女王国】    邪馬台国     
【南】       狗奴国

441 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:33:42.79 ID:CjWyV6aF0.net
>>439
意味不明だ

442 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:34:52.26 ID:mOhhQ0wd0.net
>>439
wwwたしかにwwwwww
海を隔てた九州でさえ「渡来人が訪れてきたのだから中国は里数を分かってる」と言い張ったんだから、
地続きで目の前の韓の里数を知らないはずはないよな

443 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:35:20.75 ID:CjWyV6aF0.net
>>433
距離も合わない → 距離は日数で表されていて、2ヶ月の行程は畿内までの日数で妥当
方角も合わない → これはその通り
風俗も合わない → 邪馬台国の風俗なんかどこにも書かれてないのに、文献を改竄してイチャモンつけてるだけ
魏志の記述に合う遺構もない → 普通に纒向があるし、箸墓とは断定できないが大型古墳(纒向型を含む)
それらしい副葬品も出土しない → 中国鏡などがあるし

444 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:37:06.91 ID:mkja09cs0.net
>>439,442
畿内厨お得意の自縛芸か

445 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:39:50.65 ID:zTpbRiTq0.net
「確信犯」とか「役不足」みたいなやつだな

「そんな意味じゃない」
「いや現実に使われてるだろ」
「証拠出せ」
「ほら」
「確信犯てのはこういう意味だから、その文章はデタラメ」
「いや勝手に意味一つに決めんな」
「勝手に意味捏造すんな」
「俺が捏造したんじゃなくて、みんな使ってるっちゅうに」

446 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:40:04.04 ID:wTapOiXg0.net
>>442
むむむ

447 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:44:12.66 ID:pXADW03J0.net
>>431-432
現実にこんなに使われてしまっているんじゃ無かったと強弁するのは無理だな

448 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:47:53.72 ID:CjWyV6aF0.net
>>433
逆に九州説がどうかというと全然合わない

距離も合わない → 合わない
方角も合わない → 場所によっては合う
風俗も合わない → そんな記述はないので無関係
魏志の記述に合う遺構もない → どこにもない
それらしい副葬品も出土しない → どこにもない

さらに九州説が絶望的なのは、魏志倭人伝の邪馬台国についての記述にまったく合わないし矛盾だらけだからだ

・邪馬台国の発音に近い、国に相当する地名がない
・30ヶ国連合の盟主に合わない
・戸数7万戸に合わない
・水行二十日、水行十日陸行一月に会わない
・1000人の従者が仕える卑弥呼の宮殿に合わない
・卑弥呼の墓が径百余歩に会わない
・魏と外交をやっていた痕跡が皆無

もうここまで来ると、九州説は魏志倭人伝の邪馬台国の記述を全否定してるようなもの
しかも候補になりえる遺跡もない、出土品もない

449 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:48:15.26 ID:z0YSdqf80.net
>>443
>邪馬台国の風俗なんかどこにも書かれてないのに、文献を改竄してイチャモンつけてるだけ

畿内説の人ってこういう言い訳をよくするけど、邪馬台国が畿内なら九州は倭国の中でも辺境ってことになるよね?
じゃあどうして倭国の中でも辺境の九州の風俗だけが魏志倭人伝に書かれて首都である邪馬台国の風俗は書かれてないと思うの?
普通は逆じゃない?

450 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:51:47.46 ID:CjWyV6aF0.net
>>434>>445
意味不明だし、具体性ゼロ
こいつ議論するつもりも全くなく、外野から頓珍漢なイチャモンつけるだけのやつだろ
知識がないからいつも頓珍漢なこと言ってる

451 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:53:38.36 ID:aSfcaDhq0.net
>>449
そういう当たり前のことに気が付かない、整合性とか一切考えてないから畿内説は頭の病気だと言われているんだよ
例えば魏志倭人伝には倭人が養蚕を行っていることが書かれているけどこの時代の絹製品はほぼ九州からしか出土しない
でも畿内信者にかかるとそれは畿内が九州に命じてやらせていたこと、となるw
畿内が九州にやらせていたなら成果物である絹製品は畿内に送られてなきゃおかしいんだがそんなの気にしないw
ほとんど狂人のうわ言のレベル

452 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:54:48.02 ID:KItPZvhi0.net
伊都国だけで奴国を押さえられるはずもなく。
やっぱり倭人伝通り、伊都国は出先だったんだろな。

453 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 02:55:57.62 ID:zTpbRiTq0.net
「同じ『里』でいくつも意味があったら混乱するだろ?」
「そんなことより、飯にしね?」
「いい」
「おけ?」
「いいって」
「じゃピザな」
「適当だな」
「ちょうどいいのか」
「いい加減だな」
「オレ褒められてる?」
「えらい自信家だな」
「やっぱ褒められた」

454 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:02:08.11 ID:CjWyV6aF0.net
>>449
はあ?
魏志倭人伝を邪馬台国旅行記だとでも思ってんの?www

伊都国は「郡使往來常所駐」と書かれているだろ
役人は何度も往来してるから倭国の状況が詳細に書かれてるんだよ
旅行記だったらそんな詳細に調べる時間などない

邪馬台国まで来たと解釈できるのは、梯儁と張政のみ
風習や風土などの情報が薄くなるのは当たり前
一方、宮殿や墓などについてはそれなりに書かかれている

455 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:13:36.60 ID:CjWyV6aF0.net
九州説は、魏志倭人伝に書かれている倭人一般の風習風土が近いことを根拠にする
持衰の記述なんかは確かに玄界灘沿岸地域だと言える

だが、邪馬台国について書かれている部分には全く合わない
肝心要の一番重要な記述に合わない

邪馬台国とは関係ない記述に近いことを九州説の根拠にするが、邪馬台国についての記述はガン無視www
本末転倒とはこのことだよ

456 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:21:03.59 ID:yVFFEhly0.net
>>455
一番重要な記述って何?

457 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:22:12.13 ID:CjWyV6aF0.net
>>456
>>448

458 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:23:15.22 ID:yVFFEhly0.net
>>457
ごめん
よく分からない

459 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:28:24.43 ID:CjWyV6aF0.net
>>458
自分で魏志倭人伝を読んで、邪馬台国について書かれている部分を列挙すればいい
これ以上付き合いきれない

460 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:29:18.24 ID:yVFFEhly0.net
>>448は貴方の解釈であり、倭人伝に書かれた記述でもなんでもないでしょ

461 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:35:49.20 ID:CjWyV6aF0.net
>>460
ごく一般的な解釈だが
文句があるなら、どこがどう違うか指摘すればいいだけだ

462 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:37:12.44 ID:yVFFEhly0.net
>>459
いや分からないのは貴方の思考回路の方ね
どうやったらそこまで歪んだ解釈が出来るのかと疑問に思っただけ

463 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:41:29.62 ID:CjWyV6aF0.net
>>462
はいはい、具体的な指摘はせずに、罵倒するのみ
こういうのが典型的な九州説
ほんとこんなやつばっかりだな

464 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:44:51.20 ID:yVFFEhly0.net
悪いけど>>448は小学生の作文レベルだよ
自分の思い込みを補強するために都合の良いものしか目に入ってない
畿内説の人間ですら呆れ果ててるぞ

465 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 03:50:13.59 ID:CjWyV6aF0.net
>>464
相変わらず、具体的な指摘はせずに、罵倒するのみ
ぐうの音も出ないと白状しているようなものだ

466 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 05:38:08.35 ID:zTpbRiTq0.net
『九州説は一番重要な記述に合わない」
「一番重要な記述って何」
「九州説は合わない」
「意味わからない」
「付き合いきれないな」

467 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 05:42:04.46 ID:zTpbRiTq0.net
「〇〇はクソ!」
「どういうこと?」
「自分で見てみればいい」

468 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 05:45:13.57 ID:zTpbRiTq0.net
「私がどうして怒ってるかわかる?」
「わからないなどうして?」
「自分で見てみればいいでしょ!」
「だから教えて」
「付き合いきれないわ!」

469 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 05:58:09.64 ID:T3t3kyXs0.net
>>454
> 伊都国は「郡使往來常所駐」と書かれているだろ

最初の238年の朝貢は公孫氏が滅んで半年程度の事なので、やっと帯方郡との外交ルートが開通した。
それ以前は帯方郡とのやり取りはできなかったのよ?

頻繁に常時郡使が来ていたという読み方は間違い。
郡使の往来の際の常宿が伊都国にあったと言う事だ。
つまりは迎賓館的な館を伊都国に設定したんだろ。

470 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:06:48.61 ID:j3yvjDqO0.net
>>469
それまで公孫淵とやり取りしてたって可能性はないのん?

471 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:13:49.97 ID:CZUOxaVg0.net
天皇の正式名称はアマテラス

このアマから天になったわけだが

海女→天になったと思う

そう考えると韓国南部の海女と伊勢の海女の共通性も納得できる

邪馬台国は九州北部にあり、当時の日本は九州北部と朝鮮半島南部にまたがる海峡国家だったのだ

472 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:15:54.65 ID:KfGoZJO80.net
白髪三千丈の国の人間が書いた魏志倭人伝の記述にこだわって、倭人伝の
記述と少しでも異なっていたら邪馬台国じゃないとか言ってる奴の思考回路が
疑問だよ。中国人の常として、大げさに書くところは、ありえないぐらいに
膨らませるというのを肝に銘じたほうがいい。倭人伝も途中までは、ある程度
参考になるだろうが、水行1ヵ月とか突然アバウトになった箇所はまったく
参考にならないと考えるのがもっとも自然な解釈だろ

473 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:18:45.04 ID:I303VJEQ0.net
魏志倭人伝は嘘八百
デタラメ史観
いい加減ねつ造話で盛り上がるのやめろ

474 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:22:28.16 ID:I303VJEQ0.net
古代の測量技術も科学的知識もない外国人の話より
国内に残る言い伝えの方が信憑性が高いのに
あえてこんなものをありがたく「研究」するとは
政治的な意図丸出し

475 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:25:37.78 ID:xC+mZ+WM0.net
近畿にどんな大きな集落やクニ、また政権があろうが、邪馬台国は九州だと思う。
魏志倭人伝には九州のことしか描かれていないから。

476 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:28:45.47 ID:NPYGFb18O.net
ちょう然の王年代紀は宋も調べ上げたうえで取り上げてんだから中国では整合性があるんだろ、神武東征の前なら九州、東征後なら東もあるが半島と西日本、畿内が揉めて卑弥呼共立は、話がでかすぎるから神武東征の前だろ、学者も此の辺りの話は避けるから畿内は関係ないな。

477 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:33:54.16 ID:NPYGFb18O.net
つまり中国から見た場合、記紀は偽書ということだな。

478 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:43:14.19 ID:doenSuqU0.net
>>422
それは

邪馬台国は九州ではナイということだろ

479 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:44:31.21 ID:NPYGFb18O.net
それとやっぱ勢力範囲が分かれていた時代だろ、出雲北陸は方墳、高句麗型だし、九州は丸、畿内はごっちゃで高麗尺で測ってるのもある。卑弥呼先生と台与ちゃんは九州でしょう、九州の風土のほうが似合うよ

480 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:49:37.73 ID:LcliOgcq0.net
>>471
天皇の正式な名称にアマテラスなんてねーよ

スメラギやスメラミコトと読むと
お前日本人じゃねーだろ?

481 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:51:57.96 ID:doenSuqU0.net
短里ねぇ

方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(隠岐)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(松江)

− 東南に500里(40km)ー伊都国(出雲)
− 東南に100里(8km)ー奴国(因幡)
− 東に100里(8km)ー不弥国(摂津住吉)
− 南に水行20日ー投馬国(近江)

ー南に水行10日、陸行1月ー

邪馬壱國(奈良)

だいたい合ってるな

482 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:55:45.32 ID:u/eCA0Fp0.net
南に接していた狗奴国に攻められ魏に助けを求めていた卑弥呼が死んで戦乱が起きている時期に箸墓みたいな日本最大級の古墳を作る余裕なんてあるはずがなく、崇神が畿内を制圧した後のモモソあたりの墓とみるのが妥当。
箸墓は造成に馬が使われたので5世紀以降。

483 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 07:57:51.38 ID:zCVypoRY0.net
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
沖縄だから

484 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:00:06.97 ID:u/eCA0Fp0.net
>>481
帯方郡から狗奴韓国が7千里
狗奴韓国と対馬が千里
対馬と一支國が千里
一支國と末盧国が千里
誰が見ても九州

485 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:01:12.51 ID:u/eCA0Fp0.net
>>483
バカか?
誰が見ても九州

486 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:01:44.07 ID:y3ZyMFaa0.net
邪馬台国と大和政権との関係は?

487 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:04:27.34 ID:doenSuqU0.net
>>484
一支国なんか出てこないぞ

488 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:07:09.18 ID:Cyj+JYBa0.net
邪馬台国奈良説や宇佐説阿波説の間違いは南行しなければいけないのを東行している
要するに南を東に変えている、しかも東には海があると書いているのでその論法なら
北に海が無ければいけない、おまけに南の狗奴国と戦争中となっているのは東の狗奴国と
戦争中にならなければいけないが東は海になっているから海を夾んで戦争していた事になる
奈良説、宇佐説、阿波説は矛盾だらけ、要するに倭人伝は方角の間違いは無いと
考えるのが正しい。

489 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:09:00.86 ID:T3t3kyXs0.net
>>470
公孫氏とのやり取りはあったろうけど、それを「郡使」とは表現しないだろうね。

「郡使往來常所駐」だから、あくまでも帯方郡の役人の事を指してるわけだし。

490 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:11:14.40 ID:u/eCA0Fp0.net
>>488
宇佐説は方角も距離も変えていない
奈良説と阿波説は方角と距離を両方変えている

491 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:13:50.67 ID:u/eCA0Fp0.net
>>486
直接は繋がっていないから記紀に邪馬台国や卑弥呼の記述がない
しかし邪馬台国の威光を利用して背乗りし、畿内を制圧した集団がいる

492 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:16:45.06 ID:doenSuqU0.net
>>488
いんや、畿内説は、

5世紀ごろまで渡来人が訪れている痕跡が無いので
数回しか来ていない大陸からの使者が
方位や里数を間違うのは当然

という考えかた

むしろ

王がいて、長官は爾支(にき)がいる「伊都国」は
大国主の国譲りのあと、邪馬台国が、アマテラスの孫の邇邇芸(ニニギ)を派遣した【出雲】

「奴国」は、伊都国(出雲)の奴国
・・つまり大国主の最初の妃「八上比売」の国【因幡】

長官は多模(たも)がいる「不弥国」は、田裳見宿禰の【摂津国住吉】

長官「彌彌(ミミ)」がいる「投馬国」は、
スサノオの長男の「アメノオシホミミ」の国【近江】

という、日本の記紀とのすりあわせ

493 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:17:10.01 ID:zCVypoRY0.net
>卑弥呼以って死す。
>冢を大きく作る。径百余歩。徇葬者は奴婢百余人。
>更に男王を立つ。国中服さず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。
>復(また)、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。
>国中遂に定まる。

私見だが卑弥呼が死んでから戦乱があったのは垂仁天皇の時代で
男王に反対した出雲が攻めてきたのを天日槍が播磨で止めた

>垂仁天皇3年3月
>新羅王子の天日槍が神宝を奉じて来朝。

494 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:18:37.17 ID:NPYGFb18O.net
宇佐は、ウエツフミじゃ最初日向で遷都したとなっとったな、大体、畿内は後々土着民やら敵対土民を土蜘蛛と罵り、弓月君なぞと君付けして大量の120県もの難民引き受けてんのがおかしいだろ、花見の場所取りをしてあげとる朝廷だよ

495 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:20:00.94 ID:a93C2zvh0.net
卑弥呼の墓の造営は戦時だからねえ

496 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:20:51.87 ID:a93C2zvh0.net
>>489
帯方郡を設置したのは公孫氏のわけだが

497 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:26:33.91 ID:zCVypoRY0.net
播磨国風土記・神前郡の条に
出雲神と天日槍が争ったと書いてるらしい

498 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:35:20.79 ID:T3t3kyXs0.net
>>486
無関係
邪馬台国は魏志倭人伝以降の史書で影も形点で、ヤマト王権との関係性はない。(畿内説の否定と邪馬台国東遷説の否定)

九州北部の邪馬台国は3世紀中に狗奴国に潰された泡沫地方政権。
狗奴国の源流は後漢書倭伝にある、倭国の極南にあった奴国。

元々朝鮮半島から移り住んできた集団が自分たちの国を作ろうと武装蜂起したのが倭国大乱。
北九州の一部を切り取り奴国から離反した為、狗奴国が再征の為に北上して取り返したんだよ。

ただし残存勢力はそのまま北九州に残ったのは確かで、後に磐井の乱という形で
新羅と組んで再び独立を目指したが、それもヤマト王権にフルボッコで潰えた。

499 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:35:34.55 ID:doenSuqU0.net
帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(隠岐)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(松江)

− 東南に500里(40km)ー伊都国(出雲)
王は、出雲主王
長官「爾支(にき)」は、出雲に派遣されたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里(8km)ー奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里(8km)ー不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、近江を治めていたスサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー

邪馬壱國(奈良)

九州説には該当する人物がまったくいない

500 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:37:05.48 ID:zCVypoRY0.net
伊和大神が大国主と同一視されてて
天日槍と伊和大神が戦って天日槍は但馬に逃げてる
これで男王あきらめて台与が女王になって出雲はひいたんじゃね
戦いは播磨だから奈良は無事

501 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:37:24.37 ID:T3t3kyXs0.net
>>496
うんそれはその通りだけど、これは魏志倭人伝の記述なので離反した公孫氏の役人を郡使とは表現しないでしょ?

502 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:45:36.71 ID:a93C2zvh0.net
>>501
漢代には楽浪郡使が往来していたはず
公孫氏の傘下に入ってからも楽浪・帯方との交流はあっただろう

503 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:46:51.39 ID:QQBblMaJ0.net
記紀は天智の藤原を筆頭とした百済傀儡政権に作られたプロパガンダ偽書。
半島勢力にとって3世紀以前の倭国史を知るはずもなく仮想記述として書かれている。
現に記紀の古代史内容は神話という史料にもならない物理的にも有り得ないファンタジー。
全く時代検証に使えるような史料ではない。

504 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:52:50.51 ID:u/eCA0Fp0.net
>>498
畿内大和は最後に残った九州南部の隼人征伐を行なっている
日向から東征した集団は隼人に追い出され、最初に向かった宇佐で邪馬台国を背乗りして瀬戸内海を時間をかけて制圧し、やがて畿内も制圧。
勢力をアップし、残っていた九州北部の磐井と九州南部の隼人を最後に片付けた。

505 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:54:02.22 ID:NPYGFb18O.net
中間に敵対国があれば避けて通る以外ないよ、平安の遣使も直接中国に向かい、流され死んどる。公孫がいるときは無理だね

506 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:54:08.14 ID:doenSuqU0.net
帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國

− 海を渡る1000余里− 一大国(隠岐)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫

− 海を渡る1000余里− 末廬国(松江)

− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
長官「爾支(にき)」は出雲にいたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー

邪馬壱國(奈良)

九州説には該当する人物が全くいない
痕跡として祀られていることもない

507 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:58:24.85 ID:u/eCA0Fp0.net
日本書紀は海外向け
古事記は国内向けに藤原天皇家を正当化する為に作られた
それぞれに合わせて都合よく作る罠
その為に徹底した梵書が行われた

508 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 08:58:38.67 ID:doenSuqU0.net
>>505
その公孫に協力していたのが

後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」【九州】

公孫の滅亡後も、九州は
公孫に協力していた
後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」の国

つまり

「親魏倭王」は九州を使用できない

509 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:01:08.70 ID:NPYGFb18O.net
半島から出雲で北陸から奈良は忍ぶルートだよ。へんな考えをもってる連中が入り込んでくるルート。普通は北九州に到着すんの。

510 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:07:21.41 ID:doenSuqU0.net
「親魏倭王」は

公孫に協力していた
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられた九州の倭奴国

【以外の港から】魏に朝貢しなければならない



出雲を併合し、アマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」を一大卒という総督として派遣して

出雲を植民地とし

松江と言う大陸と行き来できる港と
宗像氏の祖である出雲6代主王の息子、吾田片隅という航海技術を
一気に手に入れたのだ

>>506

511 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:10:02.37 ID:doenSuqU0.net
公孫に協力していた
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられた九州の倭奴国【以外の港から】

「親魏倭王」は魏に朝貢しなければならない



出雲を武力制圧し、アマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」を一大卒という総督として派遣して

出雲を植民地とし

松江と言う大陸と行き来できる港と
宗像氏の祖である出雲6代主王の息子、吾田片隅という航海技術を
一気に手に入れたのだ

>>506

512 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:21:45.51 ID:lZWDDoPe0.net
>>488
それでも唯一成り立つのが伊勢なんだけどな
北にも東にも海を挟んで敵となりそうな地域がある。

513 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:34:19.56 ID:9z3IlKtd0.net
「漢"委奴国"王」
「委奴国」=「伊都国」じゃないの?

514 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:48:56.01 ID:doenSuqU0.net
>>513
違う

それなら細かく行程を記述する必要がなく

邪馬台国は古の倭奴国なり

で済んじゃう

515 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:58:39.53 ID:uXX3vMDT0.net
>>514
後漢書では細かく行程を記述していないし
後漢書の方が魏志倭人伝より後に書かれてる
魏志倭人伝に馬台国は古の倭奴国なりなんて書いても何の事か分からないよ。

516 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 09:59:18.02 ID:YYyyyKcB0.net
伊奴国ですよ。
この地で発祥した独特の農法を「イナ作」、この地の独特の築城法で作られた城を「イナ城」と呼んだのですよ。

帥升は正統な王族の家柄ではない傍流か、あるいは下層階級から己の才覚でのしあがってきた男ではなかったでしょうか。
王位を簒奪した将軍が己の力を内外(伊奴国内の各階層および近隣の小国家群)に誇示し、自らの正統性を確かなものにするための
一大イベントが後漢への朝貢ではなかったでしょうか。伊奴国は隣の伊都国が力を持ちその勢力を拡大してゆく過程で滅ぼされたのでしょう。
国宝であったであろう金印が伊都国の手に渡らぬよう、これを持って逃げたのは王子であったか姫であったか巫女であったか忠実な側近であったか。

517 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:03:08.73 ID:uXX3vMDT0.net
>>501
公孫氏の役人も帯方郡から来たら郡使と表現するだろ?
何で公孫氏が自立したら公孫氏の帯方郡の役人は郡使じゃなくなるの?

518 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:05:26.27 ID:a93C2zvh0.net
魏略の方が魏志より古いけど邪馬台国は存在しない
訪問の目的地は伊都国

519 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:11:05.62 ID:doenSuqU0.net
>>515
んなこたあない

『魏志』は西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した

九州の倭奴国が後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」任じられたのは、周知の事実

520 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:17:29.81 ID:doenSuqU0.net
たとえばだ

三雲・井原遺跡の発掘調査で
古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡が発見されているが

九州は倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられているが故に

その大型掘立柱建築物が
「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか
「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか

全く区別がついていない

九州説者がなんの根拠もなく、勝手に、
「親魏倭王」の邪馬台国のものだと言い張っているだけ

なので

国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

というわけだ

521 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:19:12.37 ID:uXX3vMDT0.net
>>519
それを記した書物が三国志以前にあったのか?

522 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:28:09.52 ID:doenSuqU0.net
九州説がよくあげる「硯(すずり)」にしても「鏡」にしても同じことが言える
それどころか、九州にあるすべての遺跡についても同じことが言えて

九州は倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられているが故に

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていない

「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・でも全くおかしくないどころか

むしろ

たかだか40年間ぐらいしか存在できなかった「親魏倭王」の邪馬台国のものよりも
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・のほうが考古学的にしっくり来る

なのに

九州説者がなんの根拠もなく、勝手に、
「親魏倭王」の邪馬台国のものだと言い張っているだけ

523 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:29:04.14 ID:doenSuqU0.net
>>521
記す必要がねーだろが

524 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:32:33.91 ID:WFOlcpcQ0.net
漢の奴隷国という意味であって、奴国は関係ないので
ただの奴隷という意味でしかない

525 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:33:52.70 ID:WFOlcpcQ0.net
漢にいくたび、奴国奴国というから、首都を奴国と言っただけ
後になって奴隷奴隷と言われて奴隷国と言ってた事に気がついてセント

526 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:47:22.10 ID:WFOlcpcQ0.net
狗がつくと罵り言葉になるらしいから
狗奴国になるとより強く、奴隷と言ってるはず
漢にとって不都合なほど、発展してたとかあるんだろ
奴国か狗奴国か、どちらに卑弥呼がいたか

527 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:50:24.35 ID:KItPZvhi0.net
まあでも副葬品の展示見て、現地の墳丘墓見たら、
これでいいじゃん、ってなるよね

528 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 10:52:38.67 ID:WFOlcpcQ0.net
吉野ヶ里遺跡なんかは奴国よりは発展してたはずだし
南に位置するから、吉野ヶ里が狗奴国なんだと思ったけど

529 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 11:02:48.15 ID:WFOlcpcQ0.net
狗古智卑狗→犬の罪のある犬
グーグル翻訳したら、罪のある犬wとかそんなのだった
役職とか知らないけど罪のある犬

530 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 11:09:15.77 ID:a93C2zvh0.net
これもあるね

廣志「倭西南海行一日、有伊邪分國、無布帛、以革為衣、蓋伊邪國也。」

→倭の西南に海行すること一日、伊邪分(久)國(屋久島)あり、布帛無く、革を以て衣と為す、蓋し伊邪國なり。

 距離、方角からして伊邪分(久)國は屋久島に間違いない。したがって、倭国は九州島に存在する。

531 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 11:16:52.69 ID:a93C2zvh0.net
伊邪分(久)國は隋書にも出てくる

「時倭國使來朝,見之曰:「此夷邪久國人所用也。」」
 →たまたま来朝していた倭国使に確認したところ倭国使は「これは夷邪久国人(屋久島人)が用いている物です」と答えた。

532 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 11:24:42.14 ID:uXX3vMDT0.net
>>523
つまり魏志倭人伝が倭へのルートを最初に説明した書物なんだ。

533 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 12:16:11.94 ID:Cyj+JYBa0.net
大昔の人間は太陽の昇る方向や星の位置で方角を測定していたから距離は良い加減でも
方角は絶対に間違える訳が無い。魏使も歩いている最中も太陽の位置から自分が
進んでいく方角を常に確認したはず。従って方角が正しい説が邪馬台国と言う
事になる。

534 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 12:31:05.50 ID:18dIW/GQ0.net
>>533
初心者乙
魏志倭人伝の方角は間違いだらけと、すでに判明してるから
九州説でもまともな人は、南がどうたらとは言わない
むしろ、日数を数えられなかったことにする方が非現実な珍説

535 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 12:32:04.98 ID:zTpbRiTq0.net
方角が間違いというのが判明しているというのが間違いと判明している

536 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 12:33:20.16 ID:zTpbRiTq0.net
邪馬台国の物証がない現在、南になければそれは邪馬台国ではない

537 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 13:06:25.64 ID:doenSuqU0.net
>>532
そうだよ

邪馬台国がまだ存在し、台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている

538 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 13:08:56.01 ID:doenSuqU0.net
九州説がよくあげる「硯(すずり)」にしても「鏡」にしても同じことが言える
それどころか、九州にあるすべての遺跡にしても

九州は倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられているが故に

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていない

「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・でも全くおかしくないどころか

むしろ

たかだか40年間ぐらいしか存在できなかった「親魏倭王」の邪馬台国のものよりも

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・のほうが考古学的にしっくり来る

なのに

九州説者がなんの根拠もなく、勝手に、
「親魏倭王」の邪馬台国のものだと言い張っているだけ

539 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:23:11.31 ID:doenSuqU0.net
三雲・井原遺跡の発掘調査で
古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡が発見されているが

九州は倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられているが故に

その大型掘立柱建築物が「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていない

「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・でも全くおかしくないどころか

むしろ

たかだか40年間ぐらいしか存在できなかった「親魏倭王」の邪馬台国のものよりも

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・のほうが考古学的にしっくり来る

なのに

九州説者がなんの根拠もなく、勝手に、「親魏倭王」の邪馬台国のものだと言い張って、行政が伊都国だと言ちゃってる

540 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:24:58.86 ID:doenSuqU0.net
これ

朝鮮人の手法そのまんま

じゃん

541 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:28:16.21 ID:EFJ4xgOg0.net
参考にになる意見がほとんどないっていう不毛。

542 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:44:25.86 ID:doenSuqU0.net
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられた邪馬台国は

台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝

帯方郡ー韓国−対馬國− 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

で、大陸と行き来していたが

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられた九州の倭奴国は、邪馬台国と同時期に大陸との行き来をしていなかったのか・・と言えばそうではなく、紀元前からの長い歴史がある

帯方郡ー 韓国− 対馬國 一支国(壱岐)ー 竹斯国(筑紫)

のルートで、大陸と行き来していた

543 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:50:34.24 ID:doenSuqU0.net
その後

後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」の【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が邪馬台国を制圧し、自分の国「大和」としたため

その父の第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」から

対馬のかわりに一支国(壱岐)を使うことを許された
そこで、邪馬台国「大和」は、一大国(隠岐)の使用をやめて

唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『梁書』倭人伝(629年完成)

帯方郡−一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬臺国

544 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:52:16.89 ID:doenSuqU0.net
その後

第12代景行天皇皇子のヤマトタケルが

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられてから代々続いてきた「漢委奴国王(熊襲建)」と

大国主が国譲りをしてから代々続いた「出雲主王(出雲建)」を討伐して


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された
『隋書』倭国伝(636年完成)

百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

545 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 15:55:56.34 ID:kqyFw/Wd0.net
(-_-;)y-~
魏志倭人伝そのものがねつ造と言うか、
向こうが好き勝手に都合のいい部分を繋ぎ合わせて、
面白おかしく書いたとしか思えんのやけどなぁ。
例えば、卑弥呼の鬼道って何よ?って感じやねんけど。
そんな危ないもの、大陸王朝が捨て置くわけはないのに、
卑弥呼スゲー!みたいなB級雑誌ネタ扱いやろ、真面目に書いてないよ、あれは。

546 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 16:50:53.13 ID:doenSuqU0.net
>>545
タバコを持ってる手がプルプル震えてるよ九州説w

547 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 16:51:24.38 ID:kqyFw/Wd0.net
(-_-;)y-~
はあ?

548 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 17:26:54.83 ID:EFJ4xgOg0.net
当時の日本に記録が無いから魏志倭人伝読むしか無いんだろうけどさ。
そもそも歴史学者が読むこと自体が門外漢だよね。
中国古典研究してる奴と共同研究すりゃ良いじゃん。
水行10日、陸行1月で九州になる理屈がよくわからんけど、仮に九州にあるんだとしたら日向ならまだしも理解は出来る。
神武東征ともちゃんと繋がるし。

549 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 17:55:41.21 ID:coEfofw60.net
>>486.>>498
というより、半島の人間が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。

その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が白村江の戦いで
朝鮮半島から、追い出され勢力を弱めると、近畿倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。

550 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 17:59:08.76 ID:6WteBJJC0.net
>>37
神武天皇は東征の前に宇佐に寄ってるじゃん。仇ではなく仲間ってことだろう。

551 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:03:37.96 ID:6WteBJJC0.net
>>37
八岐の大蛇退治の舞台は出雲(島根県)だしさ。

552 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:04:45.57 ID:EFJ4xgOg0.net
>549
その筋は概ね同意なんだけど、それだと磐井はどうするって事になるんだよね。

553 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:05:46.50 ID:6WteBJJC0.net
>>38
(1)日本は古の倭奴なり。京師を去る万四千里。新羅の東南に直る。海中に在りて島にして居す。東西五月行、南北三月行。(略)
(2)其の王の姓、阿毎氏。自ら初主を号して天御中主と言う。彦瀲に至る凡そ三十二世、皆尊を以て号と為し、筑紫上に居す。
(3)彦瀲の子、神武立つ。更えて天皇を以て号と為す。徙りて大和州に治す。次に綏靖。(略)

554 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:40:00.39 ID:T3t3kyXs0.net
>>517
魏志倭人伝の元となった文書は魏の官吏の記録だよね?

わざわざ裏切った公孫氏の役人を郡使扱いしてやる義理はないでしょ?
誰が誰に対して書いた文章なのか?を考えれば良いかと。

555 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:55:24.76 ID:uXX3vMDT0.net
>>554
>わざわざ裏切った公孫氏の役人を郡使扱いしてやる義理はないでしょ?

義理?帯方郡からの使者だから郡使なだけだよ
事実を記してるだけのこと
魏志倭人伝は晋の時代に魏、呉、蜀や公孫氏などに付いて書かれた記録だよ
分かってるの?

556 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:56:28.27 ID:uXX3vMDT0.net
訂正
>>554
>わざわざ裏切った公孫氏の役人を郡使扱いしてやる義理はないでしょ?

義理?帯方郡からの使者だから郡使なだけだよ
事実を記してるだけのこと
魏志倭人伝は晋の時代に魏、呉、蜀や公孫氏などに付いて書かれた記録の一部だよ
分かってるの?

557 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 18:58:39.48 ID:uXX3vMDT0.net
>>550
神武天皇は宇佐八幡宮に参ったんだろうな
応神天皇の方が神武天皇よりも前の人間なんだ。

558 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:01:28.72 ID:T3t3kyXs0.net
>>556
魏志倭人伝に公孫氏の事なんて書いてたっけ?

559 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:07:50.43 ID:T3t3kyXs0.net
続き

魏志倭人伝はもっと前の時代の史書と魏の公文書をミックスして、書かれたもの。

「郡使往來常所駐」は誰が書いた文章が元なのか?
梯儁か張政の報告にあった記述じゃないのかな?

560 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:09:05.75 ID:ROUn4lsH0.net
>>548
いや繋がらないのよ

神武東征は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の倭奴国の

第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が

九州の倭奴国から、奈良に東征した話


邪馬台国が九州だと、神武東征には全く繋がらなくなってしまう

561 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:16:21.19 ID:ROUn4lsH0.net
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の倭奴国の

第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が

九州の倭奴国から、奈良の邪馬台国に東征し
邪馬台国を服従させて、天皇として統治した

つまり、

神武東征により、奈良の邪馬台国は
神武という総督が管理する【九州の倭奴国の植民地】になったんだ

562 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:19:06.99 ID:ROUn4lsH0.net
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられ、たかだか40年かそこらの歴史しかない、奈良の邪馬台国と

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられ、それから150年以上、倭王として君臨してきた、九州の倭奴国の

力の差は歴然だったのさ

563 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 19:55:14.50 ID:qYPh03GJ0.net
隼人から追い出された神武が日向から最初に向かった宇佐が邪馬台国で、邪馬台国を乗っ取りヤマト国を背乗りして、その威光を利用して東征した。
奈良に邪馬台国が有って、それを制圧したのなら記紀から抹消する理由がない。

564 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:01:32.99 ID:EFJ4xgOg0.net
ヤマト国を制圧したのだとしたら何故ヤマト国の名乗りを残したのかしら。
ブランド利用するため?
普通は支配した側の名前がそのまま継続するよね。
ローマは幾ら拡大してもローマ帝国のままだ。

565 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:07:59.25 ID:qYPh03GJ0.net
スサノオは新羅から出雲に逃げてきた秦氏
出雲の豪族ヤマタのオロチを征伐して、その支配先だった宗像も支配し、邪馬台国が有った宇佐を乗っ取りヤハタ=八幡を旗揚げ

566 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:15:08.53 ID:qYPh03GJ0.net
>>564
隼人に追い出された神武は看板が無い
大陸と繋がり半島の鉄利権も持つ倭の女王国という看板を利用して安芸や備前などと講和しながら東征した

567 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:18:06.43 ID:ROUn4lsH0.net
>>563
神武東征のその後が、邪馬台国が記紀から抹消された理由

神武が畿内を統治したあとも、九州の倭奴国は存続し

神武が死んだあと、倭奴国の家系の神武の子「タギシミミ」に神武のあとを継がせようとするが失敗

神武のあとを継いだのは、出雲国の家系の神武の子「カムヌナカワミミ」となってしまい

それ以降、九州の倭奴国は大和から「熊襲」と呼ばれることになるわけだ

568 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:20:37.81 ID:CjWyV6aF0.net
邪馬台国と神武東征の神話が関連してるとか、どこにも根拠がないし証拠もない
妄想で物語を作ってるだけ

569 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:35:05.80 ID:Kk5cwudi0.net
>>548
だから日向だって言ってるじゃん

570 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:38:03.64 ID:71UQ0amn0.net
まぁ、奴国が金印もらった後から卑弥呼の間に何かあったんだろうな
ちょうど後漢末期から三国時代だし、大陸からの避難民も半島や北部九州にかなり来ていたはず

571 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:39:35.00 ID:Kk5cwudi0.net
>>564
神聖ローマ帝国は殆どローマじゃないよな

572 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:40:41.93 ID:coEfofw60.net
>>568
神武東征の話は、天皇家が、天孫降臨の地である九州から来た、天孫の子孫であるということを主張する重要な部分。
わざわざ記紀にそう書いたということは、倭国の正当な支配者を名乗るには、九州から来たとする必要があったということ。

573 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:43:30.63 ID:tukaEvHo0.net
そして、修羅の国へ

574 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 20:51:30.53 ID:db2E1ATu0.net
>>548
中国人の日本ブームは本物だし、今後は中国人学者の倭人伝研究も盛んになるといいなと思う
利権と派閥争いで身動き取れない日本の学者と違って、自由に意見出せるだろうしね

575 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 21:00:56.63 ID:9TkxTOkN0.net
宇佐はさ、畿内への宿場町であり、通り道にしかならないんだよな。あそこに邪馬台国を持ってくるのがしっくりこない。

576 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 21:14:55.63 ID:qYPh03GJ0.net
>>575
大和王権が天皇の即位の度に宇佐にわざわざ神託したり道鏡託宣事件にしても大和王権の最終決定権が宇佐に有ったことを考えると畿内大和のルーツは宇佐にあることが分かる

577 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 21:27:32.54 ID:9TkxTOkN0.net
宇佐を無視できないから、しっくりこなくなるんだよ。

578 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 21:32:59.09 ID:8dOiKbmo0.net
>>560
神武は漢委奴国王の一族でこいつらが近畿に引っ越した
邪馬台国は親魏倭王なので近畿とは無関係

579 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 21:51:05.05 ID:qYPh03GJ0.net
神武というか東征したのが崇神で
宇佐の邪馬台国を乗っ取りトヨを連れて畿内へ
トヨは畿内でモモソとなる
箸墓はモモソの墓

580 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 22:27:59.23 ID:camSJr/p0.net
57年 使者を派遣して漢委奴国王印をもらった王は
領地を広げるのに成功したと思うわ

帥升はその地盤を継いで王となり107年に自ら大陸へ渡り
ご先祖の委奴国王から倭国王にグレードアップ

後漢書
>安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

そしてこのあとも九州北部の王族は支配地域を広げることに尽力
ただ出雲とは不戦同盟を組んで
熊本市では九州北部の跡継ぎ争いに負けた王族が抵抗を続けた

581 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 22:34:07.90 ID:camSJr/p0.net
九州北部の王族の支配地域は弱い瀬戸内を抑えて近畿に達する
そして鉄の無い弱い近畿を抑えてさらに支配地域を広げる目的で遷都

清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城

582 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 23:48:11.92 ID:ROUn4lsH0.net
>>578
素戔男尊の娘の須勢理毘売命と結婚した大国主神の葦原中国(現在の島根県東部および鳥取県西部の古代出雲)


「私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」
っつって国譲りさせたのは

高天原の天照大御神

そして天照大御神は自分の孫である天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を葦原中国(古代出雲)主として送り出す

そして天津彦彦火瓊々杵尊の二人の息子、海幸彦と山幸彦が兄弟ゲンカ
兄に虐められて困り果てていた山幸彦は、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(九州)」に赴き、大綿津見神に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見の王になり

その後、妻の豊玉姫は子供を産み、それが
第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」

583 :名無しさん@1周年:2019/08/12(月) 23:53:44.23 ID:ROUn4lsH0.net
>>582 つづき

ここで問題です

古代出雲は、素戔男尊の娘と結婚した、大国主神の葦原中国
古代九州は、出雲から山幸彦が訪れた、大綿津見神の海神国(倭奴国)

ですが

天照大御神の高天原はどこでしょう?

584 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 04:58:58.57 ID:/q1ylRl40.net
宇佐は筑紫の東にあるという
秦(ハタ)王国ですね。
全国八幡神社の総本社、宇佐神宮がありますし
ちょっと北には八幡の地名が残ります。

585 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 05:43:52.57 ID:/dSXK8xE0.net
>>563
日本書紀の内容と照らし合わせると

仮に出発地点を瓊瓊杵命が留まった鹿児島南さつま市*1とする。
吾田長屋笠狹之碕

神武東征が始まったのが10月5日
其年冬十月丁巳朔辛酉

11月9日には岡水門(遠賀川河口)まで到着
十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫国岡水門

メッチャ瞬コロすぎて、魏志倭人伝の狗奴国との戦争の話ではないな。

*1)元々九州は、筑紫の国、豊の国、肥の国、日向の国の4つなので、南さつま市も日向の国で問題ない。

586 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 06:38:18.14 ID:WMQzdD3R0.net
宇佐の邪馬台国に背乗りしたのが秦氏
邪馬台=ヤバダイ=ヤバダ=八幡
九州の人は八幡をヤバダと発音する
八神の秦=八幡は後付くさい
豊葦原中国=トヨアシハラナカツクニは、
トヨの国の中のナカツクニ=中津国=宇佐の隣の中津

587 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 06:46:35.86 ID:/dSXK8xE0.net
>>586
葦原はどこ行った?

588 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 07:00:36.33 ID:WMQzdD3R0.net
>>587
葦がいっぱい生えてて紙みたいなものを作って中津唐揚げの包装紙を作っていたかもしれんね

589 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 07:25:55.49 ID:jAlebAPN0.net
八幡=邪馬台でしょうね。
宇佐神宮が大和朝廷にとって非常に重要なものであるのも確かなことでしょう。

トヨアシハラナカツクニは筑紫の那珂郡ではないですか。
タラシナカツヒコはこの那珂郡を中心とした一帯(旧奴国の領域)を治めていた大王であり、オキナガタラシヒメに暗殺された悲劇の王でしょう。
オキナガタラシヒメはこの一帯を自分のものとするためタラシナカツヒコをたらしこみ、利用価値がなくなったとなれば消したのでしょう。

590 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 07:37:24.23 ID:yaYU2GNE0.net
>>589
記紀をもう一度読みましょう

>>578
素戔男尊の娘の須勢理毘売命と結婚した大国主神が造った葦原中国(現在の島根県東部および鳥取県西部の古代出雲)を

「私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」っつって国譲りさせたのは

高天原の天照大御神

そして天照大御神は自分の孫である天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を葦原中国(古代出雲)の統治者として送り出す

そして天津彦彦火瓊々杵尊の二人の息子、海幸彦と山幸彦が兄弟ゲンカ
兄に虐められて困り果てていた山幸彦は、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(九州)」に赴き、大綿津見神に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見の王になる

妻の豊玉姫は子供を産み、それが
第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」

古代出雲は、素戔男尊の娘と結婚した、大国主神の葦原中国
古代九州は、出雲から山幸彦が訪れた、大綿津見神の海神国(倭奴国)

で確定です

天照大御神の高天原はどこでしょう?

591 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 07:55:59.71 ID:/dSXK8xE0.net
>>586
豊葦原中国ってのは天上の高天原と地下の黄泉国(底根国)の間にあるから中国(なかつくに)
上、中、下の中であって、特定の地域を指すものではないよ。

葦が生茂る豊かな国=日本全部の事

592 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 07:59:21.55 ID:yaYU2GNE0.net
>>591
古事記にも、日本書紀にも、出雲と書かれていますよ

593 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 08:04:31.75 ID:yaYU2GNE0.net
天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は

「伊都尾羽張神(いつのおはばり、天尾羽張神)か、その子の建御雷之男神(たけみかづちのお)を遣わすべき」と答えた。

天尾羽張神は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。

建御雷神と天鳥船神は、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降り至って、

十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、

大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。

594 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 08:12:02.94 ID:HyKPk1mh0.net
魏志は方角ではなく日数が誤表記されてるのは定説
水行20日陸行一日が陳寿の草書体で書かれた原本
従ってその後の隋書行程と合わせれば、女王国は北九州東岸に位置することになる。
現代の行橋、中津、宇佐

595 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 08:15:03.79 ID:/dSXK8xE0.net
>>592
出雲は豊葦原中国の中心地であって出雲だけを豊葦原中国の言うわけではないよ。

596 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 08:29:24.47 ID:yaYU2GNE0.net
>>595
そうですよ

>>589
記紀をもう一度読みましょう

>>578
素戔男尊の娘の須勢理毘売命と結婚した大国主神が造った葦原中国(現在の島根県東部および鳥取県西部の古代出雲)を

「私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」っつって国譲りさせたのは

高天原の天照大御神

そして天照大御神は自分の孫である天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を葦原中国(古代出雲)の統治者として送り出す

そして天津彦彦火瓊々杵尊の二人の息子、海幸彦と山幸彦が兄弟ゲンカ
兄に虐められて困り果てていた山幸彦は、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(九州)」に赴き、大綿津見神に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見の王になる

妻の豊玉姫は子供を産み、それが
第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」

古代出雲は、素戔男尊の娘と結婚した、大国主神の葦原中国
古代九州は、出雲から山幸彦が訪れた、大綿津見神の海神国(倭奴国)

で確定です

天照大御神の高天原はどこでしょう?

597 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 08:50:13.66 ID:8snxfXHo0.net
日本国民の皆様ももういい加減に目を覚まして真実を直視しなければなりません。

「日本人が絶対に知ってはいけない」

http://cosmo-world.seesaa.net/article/118366403.html

cv19

598 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:13:33.52 ID:BE9DkTlW0.net
記紀のこれはココって比定は、いちいちやる気起きないな

599 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:17:06.46 ID:yaYU2GNE0.net
まっ、高天原は奈良だわな

山幸彦の孫の神武が、古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)から奈良に東征したときも

そこにいたのは、天照大神から十種の神宝を授かった邇芸速日命(にぎはやひのみこと)だし

神武天皇を助けた高倉下の夢に登場するのも、高天原の高御産巣日神だし

600 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:17:15.87 ID:BE9DkTlW0.net
>>594
史書の確定原稿?を草書体で書くことはないだろう

魏使と隋使は行程が違う可能性がある

601 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:18:26.42 ID:DuAQIDo40.net
邪馬台国は四国にある
これは譲れない

602 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:22:04.71 ID:yaYU2GNE0.net
つまり

山幸彦の孫の神武が、古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)から

天照大神の高天原(奈良)に東征し、初代天皇を名乗った

まぁ、大和政権が編纂した古事記や日本書紀には
奈良が天照大神の高天原だったとは、死んでも書けないわなぁ

603 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:41:43.22 ID:8vD0qrDw0.net
>>601
四国の何処にそんな遺跡なり墓なりがある?
南の狗奴国って何処なん?

604 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:42:10.85 ID:yaYU2GNE0.net
んで

大和政権は、古事記や日本書紀で高天原の場所をはっきり書かずに

神武の祖は、葦原中国(古代出雲)の統治者(一大卒)として天照大御神が派遣した天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)だもん

と言い訳しつつ

天照大神を天皇の祖として信仰の対象とした

んだよ

605 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:47:41.50 ID:yaYU2GNE0.net
訂正

んで

大和政権は、古事記や日本書紀で高天原は奈良だとはっきり書かずに

古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)から奈良に東征し、初代天皇を名乗った神武の祖は、
葦原中国(古代出雲)の統治者(一大卒)として天照大御神が派遣した、
天照大御神の孫の、天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)だもん

と言い訳しつつ

天照大神を天皇の祖として信仰の対象とした

んだよ

606 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:47:45.12 ID:DP5caIUB0.net
安曇は博多あたりから実際に東征してるけど、それって住吉大社だからな
そして住吉大社の神宮寺は新羅寺。秦韓からやってきた渡来系氏族とも関連がありそうだ

607 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:48:13.24 ID:WMQzdD3R0.net
>>604
天照を天皇の祖にしたのは明治時代

608 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:52:21.23 ID:WMQzdD3R0.net
>>606
安曇は秦氏系。宗像と出雲グループで新羅から沖ノ島ルートが管轄。
女王国勢力の国津神グループは任那や百済から対馬壱岐末盧国ルートが管轄。

609 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:52:46.08 ID:yaYU2GNE0.net
>>607
天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、
その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。
この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた

610 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:54:13.45 ID:jAlebAPN0.net
>>606
タラシ系の氏族が瀬戸内海を東進するにあたって水先案内人のような役割を果たしたのは安曇氏でしょうね。

611 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:55:06.29 ID:WMQzdD3R0.net
>>602
山幸彦の九州の拠点は日向の青島

612 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 09:56:50.06 ID:WMQzdD3R0.net
>>599
天照大神はド田舎の奈良からはすぐに逃げ出して伊勢にずっと居た

613 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:04:58.82 ID:yaYU2GNE0.net
結局だ

山幸彦の孫の神武が、古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)から
天照大神の高天原(奈良)に東征し、軍事政権を樹立して初代天皇を名乗った

んだけど

高天原(奈良)の人々は、神武が生きているときは、奈良を制圧した無慈悲な将軍として天皇による軍事政権(大和政権)に従ったけど

神武が死んで2代目3代目ともなると、天皇の出時つまり
古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)からやってきたよそ者として
高天原(奈良)の人々は、大和政権に従わなくなってしまって

大和政権の正当性をふたたび高天原(奈良)の人々に知らしめるために
大和政権が『古事記』と『日本書紀』を編纂させたのよね

614 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:12:24.99 ID:yaYU2GNE0.net
訂正

結局だ

山幸彦の孫の神武が、古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)から
天照大神の高天原(奈良)に東征し、軍事政権を樹立して初代天皇を名乗った

んだけど

高天原(奈良)の人々は、神武が生きているときは、奈良を制圧した無慈悲な将軍として天皇による軍事政権(大和政権)に従ったけど

神武が死んで2代目3代目ともなると、天皇の出時・・つまり
古代九州大綿津見神の綿津見国(倭奴国)からやってきたよそ者

という現実がネックとなり、高天原(奈良)の人々は、だんだん大和政権に従わなくなってしまって

大和政権の正当性をふたたび高天原(奈良)の人々に知らしめるために
大和政権が『古事記』と『日本書紀』を編纂させて

天照大神を天皇の祖として、天皇自らが奉る信仰の対象とした

たのよね

615 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:12:40.80 ID:WMQzdD3R0.net
>>613
奈良における銅鐸勢力から古墳勢力、さらに埴輪勢力。また、古神道の三輪物部から仏教蘇我、そして藤原のクーデターといった権力の変遷が全く反映されていないからやり直し!

616 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:13:14.86 ID:q7RmL0+5O.net
アマテラスを滅ぼしたんだろ、アマテラスと天皇の繋がりは娘を伊勢に送る程度、宮廷祭祀にアマテラスはいない、協力者八神と韓来い韓来いと舞うだけ。出雲も大衆用にさせられてる。

617 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:19:08.29 ID:yaYU2GNE0.net
>>615
新説・日本三国志【外伝5−4・壬申の乱と日本書紀の編纂】
第38代天智天皇の死後、天皇自ら後継にした太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が
地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえし、朝廷軍を打ち破って、無理やり天皇の座に就いてしまうという、
初代神武の軍事クーデターとそっくりの、国を2分する大内乱戦争が再び起きてしまう(672年壬申の乱)

勝利した皇弟・大海人皇子は第40代天武天皇に即位後、親新羅政策をとり、唐との緊張関係が続く新羅に日本への朝献を認めさせる
また、先の内乱の正当性を固めるため、日本国の正史として「日本書紀」の編纂を命じ、
まだ自身の文字を持たなかった当時の日本は、中国の学者を雇用して、「中国語による漢文」で「日本書紀」を書き始め

さらに第42代文武天皇が大宝律令を制定し、唐を模倣した官僚制への国内改革を急速に推し進め、
都も、唐の長安にそっくりの、それまでの藤原京より、もっと中国式の平城京への遷都が計画される

しかし、文武天皇は遷都の前に死去してしまい、次ぎに天皇になった母の第43代元明天皇は、
藤原京から、中国式の平城京への遷都に猛反対し、藤原京に留まることを強く希望するが
それにもかかわらず、唐に追いつき追い越せの王公大臣達は天皇の言うことを聞かずに、遷都は強行されてしまう

618 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:24:35.09 ID:yaYU2GNE0.net
新説・日本三国志【外伝5−5・古事記の編纂と日本書紀の書き換え】
しぶしぶ藤原京から平城京へ移った天皇は、国内の極度の唐かぶれをさらに嫌うようになり、
「中国語による漢文」ではなく日本独自の「やまと言葉」を用いた古事記の編纂を命じて、太朝臣安萬侶が命を受け執筆を開始するが

天皇は、古事記が「中国語による漢文」ではなく「やまと言葉」で綴られることに大変執着したため、
太朝臣安萬侶は当て字を用いるなどをして、「中国語による漢文」の日本書紀を「やまと言葉」に変えて表現することに大変苦労する

しかし太朝臣安萬侶はその都度、元明天皇に伺いをたてながら筆を進め、その際に元明天皇の命により、

・先祖の邪馬台国と、敵対する北九州狗奴国が、中国に任命される日本の王様の座を巡って闘ってた
・大和朝廷の祖である神武は、先祖は邪馬台国・大和の出なのに、敵の北九州狗奴国と手を組んで邪馬台国を乗っ取って、大和朝廷を興した
・そのあとの天皇は、長男である正室の子が、弟である妾の子に殺されて、妾の家系が代々天皇になってしまった
という話は全て「天孫降臨神話」に置き換えられて

そうして古事記は、日本書紀より後から執筆が開始されたモノのいち早く、712年に完成して献上される

中国の学者によって「中国語による漢文」で書かれていた日本書紀の第一巻から第十三巻第20代安康天皇までの話もそれに合わせて
日本の学者によって「漢文に似たようなモノ」に書き換えられてしまうこととなる

619 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:25:19.54 ID:8vD0qrDw0.net
>>607
そうか?
日本書紀でも最初に「天皇」に即位したのは神武天皇だぜ?
何でも明治政府の陰謀的に考えすぎてないか?

辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。

620 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:37:39.99 ID:HyKPk1mh0.net
>>600
陳寿は王朝に採用された正式な歴史学者ではない。
死後残された手記が評価され、史書として後の文官に清書された三国志が今に残っているだけ。
元々原本は時代背景と編纂期間、公文書ではないことから草書体での手記と言われ誤記の原因とされてる

621 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:43:06.38 ID:WMQzdD3R0.net
>>619
明治に入り神社本庁の伊勢派と出雲派が利権争いの結果、伊勢派が勝って天照が天皇の祖と扱われるようになった
それまでは伊奘諾や神武や素戔嗚の方が天照と同等以上の扱いだった

622 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:43:12.38 ID:BE9DkTlW0.net
分量とか質とか考えて言おうぜ

623 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:45:11.08 ID:pmSF5F7S0.net
>>612 巨椋池は藪蚊が酷くていられなかったかと

624 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:46:14.92 ID:yaYU2GNE0.net
>>621
アホか

天皇はずーーっと奈良や京都にいて、伊勢神宮つまり天照大御神を奉っていたわ

625 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 10:57:15.14 ID:WMQzdD3R0.net
明治新政府は神道の最高神を決定するにあたり、二大派閥の薩摩が造化三神(天御中主神・高魂神・神魂神)を推し、長州は天照大神を推していた。
一時、長州派が神祇官を独占し平田神学派を一掃したが、その後に、薩摩派が長州派を追い出し主導権を握った。しかし、薩摩派は西郷隆盛の失脚(一八七三)とともに、その力を失ってしまった。
 こうして長州派(伊勢派)は力を盛り返したが、今度は出雲大社を中心とした出雲派が台頭してきた。
 出雲派の中心人物である出雲国造家の千家尊福は、著書の『神道要章』に次のように述べている。

 「国土に生ずる万物は、大国主大神のお造りになった国土に生じるものであって、例え、太陽(天照大神)の光を受けても、土地を離れては生じることはできない。(中略)
 天神(天照大神)を崇敬するにしても、まず(大国主大神のお造りになった)大地の恩に感謝すべきである。」

 『記紀』と全国の神社のほとんどが出雲神を重視している以上、論争になれば、伊勢派がだんだんと窮地に追い込まれてしまうのは当然の結果であった。
 しかし、伊勢派はより権力に近いところに居た。長州の山田顕義(松下村塾出身 初代司法大臣)に働きかけ、明治一四年(一八八一年)に、「宮中に祭られる神は天照大神」という明治天皇の勅裁を得ることに成功した。
 これによって最高神争いは決着し、出雲派の敗北が決定した。
 このように神道の最高神が天照大神に決まったのは、政治の力であった。

 西郷隆盛が失脚していなければ、あるいは勅裁が下りなければ、代わりに造化三神、あるいは大国主命がその地位を占めていた。天照大神はまったく偶然の産物であった。
 『記紀』は皇祖神を讃えず、出雲神を讃え、全国の大社・古社は皇祖神ではなく、出雲神を祀っている。
そのような状況下で、天照大神が最高神になったことは奇跡に近いことでもあった。

626 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 11:04:54.11 ID:q7RmL0+5O.net
九州でも阿波でも奈良でもいいけど大和朝廷は完全なる小中国であり支配してた連中は半島だぞ、記紀は八色連の神中心で臣の神を排除してある、その殆どが渡来系連、辰孫王からの王仁、阿直岐、ら渡来系が古くから入り込んで作り上げていったんだよ。

627 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:05:03.34 ID:8vD0qrDw0.net
>>621
お前の考え方だと明治時代に日本書紀の改変が必要だな。

628 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:07:22.69 ID:nDokoJ2/0.net
神武東征出発地の日向は
福岡市西区と糸島市の境の日向峠ということになったよ
https://www.mapion.co.jp/weather/spot/L1058877/

629 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:33:05.86 ID:WMQzdD3R0.net
>>627
最高神が天照になったのは明治時代>>625

630 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:46:37.23 ID:DP5caIUB0.net
出発地点が日向峠の可能性はあるが、宮崎の方も早くから前方後円墳が発生しているんだよな

631 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:49:17.80 ID:q7RmL0+5O.net
葦原中津国は、奈良でいいんだよ、伊勢神宮は元は神宮じゃない、出雲も大社、神宮は石上神宮。新羅本紀ショウ知麻立干神宮を奈乙に置く。三國史記祭祀志、智證王神宮を創立。とある始祖降誕の地、奈乙に設置しました。

632 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 12:58:03.63 ID:WMQzdD3R0.net
神話の創作部分と実話の境目がアレだな
葦原中国は神話ですら地上に無いわけだし

633 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 14:14:26.08 ID:hTP0zKBS0.net
記紀では倭国の中心を明らかに大和だとしている。大倭と書いて
つまり、日本側の認識は倭国の中心は大和
もちろん背乗りした可能性はすてきれないが、背乗りの証拠はない。

634 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 14:24:29.72 ID:Zq8bLu8I0.net
大和が作った歴史書で中心地が九州と書くわけなかろ、アホですか

635 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 14:25:38.71 ID:hTP0zKBS0.net
>>634
九州の風土記もそうじゃない?

636 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 14:26:58.12 ID:hTP0zKBS0.net
万葉集でも大宰府は田舎

637 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 14:39:53.02 ID:oaksnE8x0.net
>>599
日本列島も天孫族が造ったらしい。じゃあ、高天原はどこって話だな

638 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:09:40.42 ID:/q1ylRl40.net
遠の朝廷

639 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:09:49.22 ID:ntV5cP210.net
九州説のやつらがやってるのは、神話を勝手に改変して物語を作り
オレ様が作った物語こそ史実だと強弁してるだけのこと

640 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:10:57.30 ID:bWk5o1Vb0.net
>>637
伊邪那岐伊邪那美は西日本と佐渡島しか作ってないよ。
高天原は東日本だと思うよ。

641 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:25:30.46 ID:yaYU2GNE0.net
>>637
伊邪那岐命から天照大御神、月読命、建速須佐之男命の三貴子が生まれ

天照大御神には高天原(奈良)の
月読命には夜(根之堅洲國・出雲)の
建速須佐之男命には海原(大綿津見神の綿津見国)の
統治を委任した

642 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:35:29.80 ID:PFI4tlWt0.net
中国語を訳せなかっただけ

643 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:42:49.86 ID:yaYU2GNE0.net
しかし、須佐之男命が、オレが母親のいる「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないため、伊邪那岐命は須佐之男命を追放

須佐之男命は、天照大神の高天原(奈良)に立ち寄って、高天原(奈良)も追放されて

高天原(奈良)に、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命の五皇子を残して出雲に向かい

巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた美しい少女櫛名田比売命を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)へ行きそこに留まった。

そしてそこに八十神の迫害から逃れて大国主が訪れる

644 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:43:12.40 ID:PFI4tlWt0.net
グーグル翻訳
水行十日 陸行一月 水行二十日
1月10日星期三,1月20日星期三

645 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:44:18.21 ID:PFI4tlWt0.net
>>644
1月10日水曜日、1月20日水曜日

646 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:45:52.28 ID:PFI4tlWt0.net
陸行一月→一月降落→1月に着陸

647 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 15:58:53.37 ID:QIrM7pLt0.net
王権の発祥は筑紫だけど、それを「匂わせつつ隠す」というのが記紀の編集方針だわな

648 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:05:00.52 ID:PFI4tlWt0.net
倭人→聴覚障害者
在帶→ベルトで
方東南→方東  
方東南、南東
大海之中→海の中
方東南大海之中→南東部と海
依山傍水→山の水
依山島爲國邑→宜山、島は国です

649 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:13:53.14 ID:PFI4tlWt0.net
依山島爲國邑舊百餘國→宜山島は国の古い国です
島爲國邑舊百餘國→島は国の古い国です  
漢時有朝見者 今使譯所通三十國→漢王朝には人々がいます。
漢時有朝→漢王朝

漢時有朝漢時有朝見者 今使譯所通三十國→漢王朝に王朝があったとき、漢王朝で会った人がいました。

650 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:15:09.92 ID:PFI4tlWt0.net
見者 今使譯所通三十國→翻訳者を見る

651 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:19:07.81 ID:PFI4tlWt0.net
從→から
從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東到 其
→郡から海岸まで、韓国南東部の海岸の水域、

652 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:25:25.96 ID:PFI4tlWt0.net
北岸狗邪韓國→
七千餘里→7000マイル

其北岸狗邪韓國→その北岸犬悪韓国

653 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:33:04.45 ID:PFI4tlWt0.net
始度一海千餘里 至對海國 其大官曰卑狗副曰卑奴毋離所 居絶島方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴

始、度一海、千餘里、 至、對海國、 其、大官曰、卑狗副曰、卑奴、毋離所、居絶島、方可四百餘里、土地、山、險、多深林、道路、如、禽鹿徑 有、千餘、戸、無、良田食、海物、自活、乗船、南北、市糴

始まり、海の程度、千マイル以上、海の国まで、その大きな公邸、耳の聞こえない犬、い、戸建の島、島は、400マイル以上、土地、山、保険、 より深い森、鳥の鹿の道などの道路、千以上、戸、いや、おいしい食べ物、海、自生、ボート、北と南、都市

654 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:38:31.94 ID:yaYU2GNE0.net
>>639
邪馬壱國 は九州だ

というノイローゼにかかって

やれ、東夷の1里は80mだ とか
やれ、放射説だ とか
やれ、里数も日数も帯方郡起点だ とか

珍説を繰り広げている病人にしか見えんよなww

655 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:38:39.50 ID:PFI4tlWt0.net
始、度一海千餘里至對海國其大官曰卑狗副曰卑奴毋離所居絶

最初は、海は千マイル以上離れていました。

656 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:40:53.10 ID:PFI4tlWt0.net
始、度一海千餘里至對海

スタート、海まで千マイルを過ごす

657 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:44:07.90 ID:PFI4tlWt0.net
其、大官曰卑狗副曰卑奴毋離所 居絶島方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南

それは大きな役人、耳の聞こえない犬、代理人、罪人、罪人、殺害、神聖な島です。400マイル以上もあります。土地は深い森よりも危険です。道路は鳥の鹿のようです。千マイル以上あります。

658 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:47:24.22 ID:t0npokvH0.net
魏志倭人伝をグーグル翻訳で読もうとはバカの極み

659 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:53:46.68 ID:t0npokvH0.net
この前もグーグル翻訳で九州説になるとか言ってたやつがいたが同一人物だろう

660 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:53:57.64 ID:PFI4tlWt0.net
大官→チーフ
曰卑→謙虚な
狗副→犬の悪
曰卑→謙虚な
奴→奴隷
毋離所→出発
居絶島→ナツメ島
方可→できる
四百餘里→400マイル以上
土地山→陸山
險多深林→より危険な深い森
道路→道路
如禽、鹿、徑→鳥、鹿、小道など
有、千餘戸→はい、数千マイルあります
無良田→よいフィールドがない
食海物→海の幸
自活→自立
乗船→ボートで
南→南

661 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 16:57:17.44 ID:PFI4tlWt0.net
乗船→ボートで
南北→北と南
市糴→市場

662 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:09:21.83 ID:PFI4tlWt0.net
又→また
南渡→ナンドゥ
一海→一海
千餘里→千マイル以上
名、曰瀚海→名前Bo海
至、一大國→大きな国へ
官→役員
亦、曰→また曰
卑→謙虚な
狗副→犬の悪
曰、卑→曰、謙虚
奴→奴隷
毋離→逸脱する
方、可三百里→スクエア→三百マイル
多、竹木叢林→もっと竹ジャングル
有→持っている
三千、許家→三千徐家
差→悪い
有→持っている
田地→野原
耕田、→耕す、
猶、→それでも
不足→不足
食、→食べ物
亦、南北→また、北と南
市糴→市場

663 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:10:37.00 ID:PFI4tlWt0.net
方可→できる

664 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:25:14.44 ID:PFI4tlWt0.net
又、渡→また
一海千餘里→千マイル以上
至、末、盧國→最後に陸行
有、→はい、
四千餘戸→4,000マイル
濱山海居→ビンシャンハイジュ
草木茂盛行不見前→緑豊かな植生は以前見られません
人好捕魚鰒、→人々は釣りが得意で
、水無深淺、→水は浅くなく
、皆.→全て。
.沈没、→沈んだ
取之→それを取る

665 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:28:00.27 ID:PFI4tlWt0.net
、濱→ショア
、山→山
、海→海
、居→ホーム

666 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:39:52.70 ID:PFI4tlWt0.net
東南→南東
陸行→hang行き
五百里→500マイル
到、伊都國→へ、Idu
官→役員
曰→曰
爾支→エルジ
副曰→副
、泄謨觚、→ドレイン、
、柄→ハンドル
、渠觚→チャンネル
有、千餘戸→はい、数千マイルあります
世、有王→世界には王がいる
皆、統屬→全部
女王、國→女王、国
郡使→郡
往來→連絡先
常所駐→常に常駐

667 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:46:46.84 ID:PFI4tlWt0.net
東南→南東
至→に
奴國→奴隷国
百、里→李白
官→役員
、曰→曰
、馬、觚→horse、馬、觚
副曰→副
卑→謙虚な
奴→奴隷
毋離→逸脱する
有、、→はい、
二萬餘戸→20,000以上

668 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:54:59.68 ID:PFI4tlWt0.net
東行→東行き
至、→に、
不→いや
彌國→ミグオ
(藤国※意訳)
百、里→李白
官→役員
曰、多、→ああ、たくさん
模→モード
副曰、卑、奴→副、謙虚、奴隷
毋離→逸脱する
有、千餘家→千以上あります

669 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 17:57:09.98 ID:PFI4tlWt0.net
>>666
女王→倭王

670 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:06:23.95 ID:PFI4tlWt0.net
南→南
至、→に、
投馬國→馬の国
水行二十日→水20日
水行二十日→(※意訳1月20日水曜日)
官→役員
、曰、彌、彌、→日、弥→弥 
副→副
、曰、彌、彌、→日、弥、弥
、那→あれ
利→利益
可、→はい、
、五萬餘、戸→50,000以上

671 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:07:38.98 ID:PFI4tlWt0.net
>>666
Idu→我、藤国

672 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:16:33.60 ID:PFI4tlWt0.net
南→南
至→に
邪馬壹國→邪馬
女王、之→女王様
所都→全部
水行十日陸行一月→10日の喫水線
官→役員
有→持っている
伊→イー
支馬次→馬の時間
曰→曰
彌馬升次→ミ・マ・シェンジ
曰→曰
彌→ミ
馬獲→マーウォン
支次→支店
曰→曰
奴→奴隷
、佳→ジャ・ハオ
可、→はい、
七萬餘、戸→70,000以上、戸

673 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:21:50.00 ID:PFI4tlWt0.net
、自自己
女王國女王の王国
女王国→(※意訳倭王の国)
以北北
其その
戸數道里道路で
可得利用可能
略載わずかにロード
其、餘旁國その残りの国
遠絶→遠く
不可得、詳→利用不可、詳細

674 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:22:31.67 ID:PFI4tlWt0.net
文字化けの?は→

675 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:23:23.66 ID:UJOp1zjZ0.net
いつまでゴミ貼り続けてるんだか
こいつ荒らしだな

676 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:27:54.50 ID:ga+W1Tkd0.net
邪馬台国の東海を渡る事1千余里亦国有り倭種の国なりと記載しているが
奈良説ではこの海を伊勢湾と考えているが伊勢湾を渡るのに1千余里は長すぎる
釜山と対馬の間が1千余里、壱岐と末攞国の間が五百里、伊勢湾はせいぜい10kmほど
しか無いから距離にしたら三百里も無い、従って邪馬台国奈良説は成り立たない。

677 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:28:51.34 ID:Esa/2vPi0.net
南→東よりも、

・放射読み
・架空の短里、しかもそれを韓人や倭人ではなく帯方郡の魏の役人が使う
・帯方郡起点
・陸行一月は半島における行程 or 呼子上陸かつ一月は誤記で伊都国まで一日で全力疾走
・人口二重カウント

この無理ゲー条件全部をandで同時に成立させなければ、
九州のどこかに比定することが出来ない時点で、
誰がどう見ても九州説なんてあり得ないんだよ。

678 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:29:10.00 ID:PFI4tlWt0.net
次、

斯、馬國
次、
有、巳
百支國
次、有、
伊邪國
次、有、
都支國
次、有、彌奴國
次、有、好古都國

679 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:30:05.44 ID:PFI4tlWt0.net
次、有、
不呼國
次、有、姐奴國
次、有、對蘇國
次、有、蘇奴國
次、有、呼邑國
次、有、華奴蘇奴國
次、有、鬼國
次、有、爲吾國
次、有、鬼奴國

680 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:30:31.08 ID:PFI4tlWt0.net
次、有、鬼奴國
次、有、邪馬國
次、有、躬臣國
次、有、巴利國
次、有、支惟國
次、有、烏奴國
次、有奴國
此、女王境界所、盡

681 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:36:10.21 ID:PFI4tlWt0.net
回、
持っている
スマ
回、
はい、巳
何百もの国
タイムズ、はい、
イー邪国
タイムズ、はい、
すべての国

タイムズ、そこ、奴隷制の国
タイムズ、はい、古き良き首都
タイムズ、はい、
国に電話しない

第二に、はい、姉妹奴隷国
第二に、はい、ソビエト連邦に
タイムズ、はい、奴隷国
いびきをかく国
タイムズ、はい、ファヌス奴隷国

タイムズ、はい、ゴーストカントリー
タイムズ、はい、私の国のために
第二に、はい、幽霊奴隷国
時代、所有、邪馬の国

タイムズ、はい、躬臣国
タイムズ、はい、バリ
時間、所有、およびサポート
時代、所有、奴隷国
第二に、奴隷国があります
これ、女王の領域、

682 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:42:42.28 ID:PFI4tlWt0.net
其→その
南有狗奴國→南犬奴隷国
男子→男
爲王→王になる
其、→その
官、→役員
有→持っている
狗古智→犬の古代の知恵
卑、狗 →謙虚な犬
不、屬女王→いいえ、それは女王です

683 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:43:39.88 ID:Esa/2vPi0.net
三世紀のデカい古墳がない所に、邪馬台国は存在しない。
http://kamnavi.jp/log/k11426.png

卑弥呼の墓は、現時点での考古学的年代比定によれば、纏向石塚。

後円部の大きさ(魏志の記事にある径百余歩と完全に一致)と4段築成(注)、
今後の考古学的年代比定の変更(現時点で箸墓は本体が調査されていない)を視野に入れれば、箸墓。

注:ウェディングケーキの段数のような、古墳の段数のこと。
段数の多さが被葬者の格付けを表す。
日本中の古墳は、唯一、箸墓古墳だけが4段築成。
それ以外はいわゆる仁徳天皇陵、大仙陵古墳も含めて全て3段以下。
つまり、箸墓は大王や天皇よりも格上の人物の墓であると言うこと。
それは倭の五王(安東大将軍倭国王)よりも格上であった、親魏倭王卑弥呼しかいない。

684 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:46:33.93 ID:PFI4tlWt0.net
自→自己
郡→郡
至→に
女王國→女性の国
女王国→(※意訳倭王国)
萬→百万
二千餘、里→二千人以上、

685 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:47:13.21 ID:ga+W1Tkd0.net
そもそも奈良に都があったのならば北部九州からは鉄製品が腐るほど出土しているのに
なぜ奈良からは全く出土しないのか?鉄は奈良では必要とはされていなかったのか?
ところが古墳時代に入ったら奈良からも鉄製品が出土するようになるwww
北部九州勢力が奈良を支配した証拠の1つ。記紀は嘘は書いてはいなかった。

686 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:48:17.92 ID:EEIRPt240.net
九州を海路陸路ともグルグル回ってその中の一番デカい部落だっただけ
今の山口までも行かない

687 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:52:23.79 ID:WMQzdD3R0.net
>>683
卑弥呼の墓は槨が無く棺のみで土を盛っただけ。石積みの前方後円墳の箸墓は論外。

688 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:52:54.52 ID:Esa/2vPi0.net
あと、スレを滅茶苦茶に荒らして、罵詈雑言と嘘八百を並べ立てるのは、
九州説のみなさんにお任せします。

いつものように、お好きなだけどうぞ。

689 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:56:16.50 ID:WMQzdD3R0.net
オンドル跡と桃の種とカエルの骨と馬具が出土して大喜びしてる畿内派
どれも魏志倭人伝に記述がない全く別の人種

690 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 18:59:12.43 ID:q7RmL0+5O.net
卑弥呼が日本で一番格上とはロマンがあって凄く心動かされるけど、一番の根拠と、その後が滅茶苦茶だろ、古代前期は九州でその後奈良でしょ、神武は奈良へ行ったが、彦坐王は穴門に残ってる、彦坐王の系列だけで日本の何分の1だよ。

691 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:03:45.70 ID:Esa/2vPi0.net
古墳の大きさ (比例) 余剰労働力 (比例) 兵力 (比例) 人口 (比例) 国力。

当時の魏国が、親魏倭王の称号(親魏大月氏王と同格)を授ける相手が、九州の小国のはずがない。
大月氏(だいげつし)というのは、クシャーナ朝のこと。そしてこれがクシャーナ朝の領域。↓
https://www.y-history.net/map/0201/india_2_kusyan.gif

当時の魏国が、この巨大なクシャーナ朝と同格の称号を与えたのが、親魏倭王・卑弥呼。
その候補となり得るのは、当時の倭国の中で一二を争う大国(畿内勢力と東海勢力)。

そして畿内勢力が邪馬台国であり、東海勢力が邪馬台国と争った狗奴国。

692 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:06:29.90 ID:WMQzdD3R0.net
邪馬台国は狗奴国に攻められ魏に助けを求め、台与の時代に途絶えた小国

693 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:07:57.12 ID:osarUUEz0.net
やっぱり神功皇后や応神天皇あたりが邪馬台国と関係ある気がするんだよなあ。
息長帯比売命が実在したわけじゃなくて、応神=仁徳のモデルの人の家系に女王らしき
人がいたんじゃないかなと思ったり。

694 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:13:15.15 ID:WMQzdD3R0.net
>>693
神功皇后と応神を祀るのが宇佐神宮

695 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:13:31.48 ID:q7RmL0+5O.net
卑弥呼国が何処にあってどうなったかは非常に興味あるけど、どう考えても半島に飲み込まれてくんだよ、新羅の葛文王制度、これ武内宿禰制度でしょ?多婆那国、竜神を祀るんだって、これ出雲でしょ?

696 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:14:31.96 ID:PFI4tlWt0.net
韓国の南東
没海の南東
任那
百里はたぶん百済の国
朝鮮半島にも半島の伊都国
李白が言うには謙虚な奴隷
南北の連絡先が伊都国にあって、
ここから南に対馬→南に邪馬台国東に九州伊都国

697 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:20:54.40 ID:q7RmL0+5O.net
彦坐王、多臣氏なんか子孫が尾張や信濃の国造になってくんであと北陸、東日本なんて毛人だろ?へたすりゃ裸族だよ

698 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:23:35.10 ID:PFI4tlWt0.net
邪馬台国の東に伊都国
狗奴国は男が王になったが、それは女王国の事だ

699 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:23:53.40 ID:N3VSsJ/X0.net
>>692
節子ー、逆逆
漢時に100国だった倭の奴国が倭国大乱で奴国と狗奴国に分裂して、奴国が大陸(呉)との貿易を独占する一方、狗奴国は地理不利により大陸との貿易を遮断されてた
ところが大陸半島で異変が起こり、公孫氏が滅び魏が帯方を手中に収めたことを知って、狗奴国が帯方に密使を送り同盟を結ぶことに成功したわけ
元々呉と交易してた奴国の側にとっては魏は敵であって、そこと同盟を結ぼうとするなんてあり得ないから

700 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:26:58.88 ID:nnFqUYQR0.net
呉と奴国が交易してたってのは何処情報?
呉志にそんな記述はないはずだが。。。

701 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:31:35.09 ID:I9NNQxZ40.net
>>699
呉との貿易ソースよろ

702 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:33:26.67 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>685
まあ王は九州だろうけど、実権は地元勢力ぽいけどね
権威九州ってだけで

703 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:34:36.43 ID:PFI4tlWt0.net
渤海国は大きな国
大陸にあったと言うからには大きな国だろうな

704 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:35:20.04 ID:N3VSsJ/X0.net
>>701
会稽東冶(会稽の東にある寒い土地)って記述あるやん
会稽と倭国は交易してたんだよ
会稽って魏の領土?呉の領土?蜀の領土?

705 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:35:55.12 ID:PFI4tlWt0.net
中国から海岸沿いを進むと、その北岸は韓国である

706 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:40:27.55 ID:PFI4tlWt0.net
中国の北岸の韓国の南から海を渡ると渤海である大きな国です

707 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:42:37.06 ID:Zq8bLu8I0.net
>>676
違うよ
最初に南→東に読み替えているんだから、そこは東→北に読み替えないとおかしい

708 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:43:09.79 ID:PFI4tlWt0.net
北岸の韓国から南東に行くと韓の国です
さらに南東に行くと伊都国です
おそらく任那には、邪馬台国との連絡先が有り常駐していた

709 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:44:18.67 ID:N3VSsJ/X0.net
サンズイは水、ニスイは氷、台は土地を意味する
冶は氷の土地、即ち冬には雪の降る土地だってことを意味してるのだろう
昭和の頃は、鹿児島でも数十センチの積雪があったりしてたからな

710 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:47:18.70 ID:N3VSsJ/X0.net
>>700>>701みたいな煽りることしか出来ないアホにマジレスした俺もひょっとしてアホなの?

711 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:48:33.12 ID:PFI4tlWt0.net
北岸にある韓国の南東には百里(百済?)があって
百済から東は藤国(伊都国)
百済の役人が言うには、藤国には謙虚な奴隷がいると

712 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:51:22.85 ID:nnFqUYQR0.net
>710
いや、煽りでもなんでもなく。
言ってる事はふーん、なるほどと思ったけど、根拠がないと仮説以上の話にならないだろ?
なにを元にそう判断したのか説明してくれても良くない?

713 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:55:39.57 ID:Esa/2vPi0.net
弥生自体後期の倭国は、祭祀の様式により大きく5つの勢力に別れていた。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/25/76b989b4194ac362008ba711ee0dd388.jpg

@銅矛(北九州)
A四隅突出型墳丘墓(出雲)
B双方中円墳・特殊器台(吉備)
C近畿式銅鐸(近畿)
D三遠式銅鐸(東海)

そして倭人伝の行程記事に見える大国の戸数は、

ア.奴国(博多湾):2万戸
イ.投馬国:5万戸
ウ.邪馬台国:7万戸
エ.狗奴国:戸数の記載はないものの、邪馬台国と抗争していることから、邪馬台国と同等と考えられる。

となる。両者を対応させると、

ア.(奴国)  → @(北九州)
イ.(投馬国) → A(出雲)
ウ.(邪馬台国)→ C(近畿)
エ.(狗奴国) → D(東海)

となる。

九州説論者は、ア.イ.ウ.エ.の全てが九州に存在したと主張するが、
そんな途方もない大人口は九州に収容出来ないし、南九州にはそれを示す遺跡も存在しない。

ちなみに、行程記事の最後に投馬国から「水行十日陸行一月」で邪馬台国に到達するが、
その「陸行一月」は、丹後半島から奈良盆地までの行程を指す。
若狭湾→琵琶湖ルートの方が近くはあるが、もしかすると卑弥呼の時代も狗奴国の勢力下にあり、
そのルートを使えなかったのかも知れない。

714 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 19:57:18.40 ID:PFI4tlWt0.net
伊都国から南に行くと対馬と那の国に
対馬から南に行くと邪馬壹国

邪馬壹国は女王の所都で全て
喫水線とあるから、海岸沿いを船で
今度は馬の時間とあるから馬で

715 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:00:25.05 ID:PFI4tlWt0.net
好古都国は首都と訳される

716 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:01:55.53 ID:N3VSsJ/X0.net
>>712
ちゃんと他のレスも読んでねw

717 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:02:04.05 ID:UJOp1zjZ0.net
>>710
妄想書いておきながら、ソース要求されたら逆切れ
ワロタ

718 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:02:39.21 ID:N3VSsJ/X0.net
>>717
ちゃんと他のレスも読んでねw

719 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:09:18.81 ID:Zq8bLu8I0.net
会稽と交易してたのは東鯷人だろ

720 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:13:28.70 ID:Nx4EosWf0.net
九州北部は支配地域を広げていったけど
その地域にあった文化や宗教の破壊は行わず
最初は緩やかに統治したと思われ

そして奈良に引っ越してから銅鏡を各地に薦めたが
これが当時としては画期的納税システムだったので
各地の統治者は銅鏡を取り入れて税収が安定

出雲や吉備や瀬戸内の墓の形や
吉備の埴輪、出雲の葺石をミックスして前方後円墳ができて
前方後円墳が同盟国の象徴となって
それがあるところ同士の交易が盛んになって同盟国は栄えた

こうして緩やかな初期ヤマト王権は始まる
理由は不明だが吉備とか東海とかは
贈り物作戦で積極的に中央に取り入ろうとする
そして出雲王が国を譲る

721 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:14:23.45 ID:nnFqUYQR0.net
>704
なるほど、けど、会稽東冶は後漢書の解釈からしても会稽の東冶県を意味してるだけで、あくまでも領内の話だよ。
それと倭は結びつかないわ。

722 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:14:41.59 ID:PFI4tlWt0.net
狗奴国は吉野ヶ里にあったと考えられるから
吉野ヶ里より北の地域が初期の邪馬台国があったところ
そして吉野ヶ里も邪馬台国になって男の王がそこで王になった

723 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:23:21.34 ID:PFI4tlWt0.net
グーグル翻訳で解読していくと、邪馬台国が
唐津市や伊都国、奴国なんかの九州北部になって
九州よりも北は道がけわしくて探索できない

724 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:29:23.97 ID:PFI4tlWt0.net
半島から南に20日の水行とか対馬から10日で唐津市
馬で、ようやく邪馬壹国へ
邪馬壹国が女王の所都全て

半島から九州に行くには時間がかかるな

725 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:29:31.84 ID:q7RmL0+5O.net
銅鐸祭祀にしても言うけどな、卑弥呼国は5月10月に鬼神を祭り寝ないで飲み食いしてたの、それにたいして天神を祭ることを主らしみ、之を天君と名づけたのが馬韓。銅鐸は山丘の田の民が豊穣を願い、用いられたんだよ。東夷伝馬韓条に種まきの折りに中国の鐸舞いに似る。

726 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:31:59.77 ID:Nx4EosWf0.net
仲間になったら農業のやり方や
銅鏡統治納税システムを教えるし
前方後円墳職人も派遣するよ
納税のための戸籍の作り方も教えるよ
そして船もあげるから献上品持ってきてね

崇神天皇12年9月
戸口を調査し、課役を科す。
天下平穏となり、天皇は御肇国天皇と称えられる。

崇神天皇17年10月
献上品を運ばせるための船を作る

727 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:32:59.04 ID:q7RmL0+5O.net
だから遺跡から鏡と言い合うんだが、鏡が九州から出てもそれをあげたのは畿内だで掘ったところで意味ないのよ。

728 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:34:18.45 ID:WMQzdD3R0.net
>>713
日本最大の古墳群がどこにあるのか知らないの?
3世紀の纏向なんて人が住んでた形跡すらないのに

729 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:38:26.62 ID:BiDF2QHB0.net
九州説信者とか畿内説信者とか見掛けたら論理的パズル解かせてみな
どちらもそういうの苦手だからw

そもそもの間違いは、どちらも九州か畿内かの二択しかあり得ないと思い込んでしまってるところ

だから九州説信者は畿内説を否定出来れば必然的に九州で確定されると思い込んでるし、畿内説信者は九州節を否定出来れば畿内で確定されると思い込んでるw

730 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:41:22.34 ID:PFI4tlWt0.net
翻訳したら、間違いなく九州にあったと思うようになった
狗奴国の男の王が次にどんな行動をしたか、歴史はまだ続く

731 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:43:57.14 ID:BiDF2QHB0.net
>>730
毒入りワインを特定せよ

ここに1000本のワインがあって、1つは毒入りだということが分かっています。
毒入りのワインを1滴でも飲むと、10h〜20h(正確な時間は分からないしワインによって異なる)で死にます。
今から24h以内に、自分の奴隷にワインを飲ませることで、どれが毒入りのワインかを判別したい。
毒入りのワインを特定するには最低何人のドレイが必要か?
毒入りのワインは見た目や重さも他のワインと全く一緒です。

732 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:44:48.61 ID:yaYU2GNE0.net
>>676
台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝では、距離の表現は

海を渡るときが全部 海を渡る1000余里
陸を行くときは全部、500里か100里

しか無い

733 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:44:51.56 ID:j4A9NxXW0.net
>>713
畿内説が否定される理由の1つとして、「投馬国:5万戸」が挙げられるかな。
僕も、投馬国:5万戸は多少盛ってるとは思うが、
5万戸養えるだけの農産物生産できそう平野って、
山陰、瀬戸内だとせいぜい讃岐平野だけなんだよな。
何万戸も養う食料をどうやって調達したかが問題になる。
水行二十日って吉備も含めてちょっとムリゲーっぽそうだしな。

734 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:47:41.44 ID:ntV5cP210.net
>>676
倭種の国は伊豆諸島で十分解釈可能

逆に、九州説だと畿内も倭種の国に含まれることになるが、こんなおかしなことになる
・魏と一番密接に交流していたのが倭種の国
・北部九州は倭種の国の傘下に入っていた

735 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:48:29.73 ID:yaYU2GNE0.net
>>685
理由は簡単

北部九州は、渡来人が大陸から鉄をもってワサワサ渡来していた
紀元前から200年以上続く大都会

一方奈良は、渡来人が来た痕跡が、5世紀まで見つからない
クソ田舎

736 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:49:38.61 ID:BiDF2QHB0.net
>>735
あんたも>>731の問題を解いてみて

737 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:50:50.89 ID:yaYU2GNE0.net
>>736
意味不明

738 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:52:14.55 ID:BiDF2QHB0.net
>>737
論理的思考力が欠如してる人間は学問の世界ではダメ人間だってこと

739 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:52:51.89 ID:sKRHN61U0.net
卑弥呼いたのか説

740 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:55:58.75 ID:yaYU2GNE0.net
>>733
九州こそ

南に水行20日

したら奄美大島じゃん(笑)

741 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:56:06.78 ID:nnFqUYQR0.net
>731
この問題は論理的思考以前に奴隷なら死んでも良いのかっていう倫理的問題の方がデカいけどな。w

742 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:58:04.07 ID:j4A9NxXW0.net
なんか、組合せの問題で、雲に巻こうとしてるやついるな。
どんな関係があるの?

743 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 20:59:07.32 ID:yaYU2GNE0.net
>>738
https://i0.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/Depositphotos_10142532_s-2019.jpg

■会話分析を行うAIを用いて、統合失調症などの精神病を判断する研究が行われた

■このAIでは、ニューヨーク・タイムズやネット掲示板の膨大な文章から会話の内容を解析する機械学習を行っている

■最終的にAIは、会話の意味密度、頻出する単語傾向などから90%近い精度で患者を判断することに成功した


今回報告された研究では、この精神症状の分析において、被験者の会話内容に着目しており、AIは90%近い精度での患者の判定に成功しています。

この研究は、ハーバード大学とエモリー大学の研究者から発表されていて、6月13日付でネイチャー・パートナー・ジャーナル Schizophreniaに公開されています。

A machine learning approach to predicting psychosis using semantic density and latent content analysis
https://www.nature.com/articles/s41537-019-0077-9

■統合失調症の会話傾向

統合失調症や双極性障害(旧名:躁うつ病)の患者には、共通した会話の傾向があります。

その1つが、会話の意味密度が低いというものです。意味密度とは、使用している単語の数に対してあまり意味のないことを言っているということです。

多くの言葉を使いながら、ほとんど意味を伝えない人というのは、統合失調症や双極性障害を発症するリスクがかなり高いと考えられます。

744 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:00:20.82 ID:WMQzdD3R0.net
>>740
魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから帯方郡が起点
帯方郡から南に水行20日の投馬国=殺馬国=薩摩国

745 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:01:48.74 ID:BiDF2QHB0.net
>>743
俺はAIに頼らなくてもアンタは何か変な奴だってことは判別出来てるけどなw

746 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:01:56.10 ID:ntV5cP210.net
>>676
・魏の時代の1里は約435m
・狗邪韓国から対馬国までの1000里、一支国から末盧国の1000里は現実の地理と合わない

普通の人は、魏志倭人伝の里には誤りがあると考える
しかし、九州説信者は論理を飛躍させて、架空の度量衡を捏造する
この特殊な思考回路は理解不能

747 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:02:12.96 ID:yaYU2GNE0.net
>>744
邪馬壱國 は九州だ

というノイローゼにかかって

やれ、東夷の1里は80mだ とか
やれ、放射説だ とか
やれ、里数も日数も帯方郡起点だ とか

珍説を繰り広げている病人にしか見えんww

748 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:04:47.87 ID:j4A9NxXW0.net
>>740
黒潮突っ切って、1日どんだけ進めるつもりなんよ。
帯方郡から北九州まで水行10日で来る話しよりばかげてる。

749 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:06:59.34 ID:j4A9NxXW0.net
論理的思考というより、高校時代順列・組合せとかの問題が得意だったかどうかの問題だしな。

750 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:08:44.88 ID:WMQzdD3R0.net
>>746
日本でも近代まで同時代に様々な里が混在していたし、畳は未だに様々な広さが混在している。同じ記録者の単位を基準にすることが常識。
帯方郡から狗奴韓国が7千里。狗奴韓国と対馬が約千里。対馬と壱岐が約千里と書いてあるから1里が約70mを基準にするのが正しい。

751 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:11:10.96 ID:WMQzdD3R0.net
>>748
九州西側に黒潮というキチガイ発見

752 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:12:06.20 ID:BiDF2QHB0.net
九州と畿内の二択しか考えられないってのがホント不思議
九州と畿内の二択しかあり得ないってのは、何がその根拠になってるの?

753 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:14:56.11 ID:j4A9NxXW0.net
>>751
地理的知識皆無で歴史関係のスレでのたうち回ってる奴発見。

754 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:16:57.81 ID:BiDF2QHB0.net
>>753
親潮と黒潮の区別がついてないバカだと思われるけど、九州説も畿内説も同じようなレベルのバカだからなw

755 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:18:08.19 ID:j4A9NxXW0.net
>>752
基本一択なんだが、畿内にもそれなりに有利な条件があって断定できないでいる。
畿内以外は更に不利であるというだけ話。

756 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:19:01.36 ID:ntV5cP210.net
>>685
>北部九州からは鉄製品が腐るほど出土している

ハイハイ、いつもの大嘘

・弥生終末期の九州に大量の鉄はなかった
・畿内勢力が北部九州に進出すると、あっという間に飲み込まれてしまった
・畿内勢力が北部九州へ進出した直後から畿内でも鉄が出るようになる
・九州説が自慢してる九州の鉄なんて、畿内の3世紀の古墳3基から出土した分だけで上回ってしまう

大事なことなので2度言うが、北部九州からは鉄製品が腐るほど出土していると書いてるのは大嘘で
弥生終末期の九州に大量の鉄などなかったんだよ!!!

757 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:21:16.72 ID:j4A9NxXW0.net
>>754
千島海流とどこの海流を間違えるって?
小中学生以下と思われる地理的知識のレスには今後無視するから。

758 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:23:05.05 ID:ntV5cP210.net
>>750
里が間違ってる例を自分で挙げておきながら、なぜか論理を飛躍させて、1里が約70mと言い張る
支離滅裂すぎる

759 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:23:09.93 ID:BiDF2QHB0.net
>>756
そもそも奈良は、倭国大乱後のアマテラスとスサノヲの誓約によって国産みされた新都市なんだよなぁ

760 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:25:57.13 ID:BiDF2QHB0.net
× 国産み
○ 国造り

761 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:26:41.66 ID:6xEYmHF90.net
> 伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないか

まあ魏志倭人伝を素直に読めば、邪馬台国は奄美大島以南だわな

762 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:40:36.07 ID:CE7kKpk90.net
九州と畿内の二択しかあり得ない、その理由を誰も教えてくれないの?
九州説と畿内説が共闘して答えて欲しいんだけどw

763 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:42:21.62 ID:ntV5cP210.net
>>733
それは九州説へのブーメラン
邪馬台国も投馬国も奴国も狗奴国も、魏志倭人伝に記載されてる国を
すべて九州に詰め込むのは逆立ちしても不可能

専門家が出した弥生時代終末期の地域別推定人口がこれ
現在では推定人口を59万人から200万人に修正してるからこの表の3倍程度だろう
北部九州で13万人程度、九州全部でも34万人程度しかいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/近代以前の日本の人口統計

魏志倭人伝にある国は日本列島全体とみなさない限り、推定人口と矛盾してしまう

764 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:46:42.74 ID:Nx4EosWf0.net
有力度
纏向>>>>岩手=滋賀=徳島=ハワイ=ムー大陸=ギリシャ=九州

説には2種類しかない
有力候補地が見つかった纏向くとそれ以外

765 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:46:47.41 ID:j4A9NxXW0.net
>>762
条件的な有利さが
九州説>畿内説>>>その他の説
ってだけ。畿内説は多額の税金を駆使して考古学的根拠を補充しようとしてくるが、
その他の説はそれができないので、大きく水をあけられてる。

766 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:51:30.81 ID:WMQzdD3R0.net
>>758
最低限の読解力すら無いのが畿内派

767 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:52:04.28 ID:j4A9NxXW0.net
畿内説だと2世紀後半から3世紀初めに遷都したという説が有力になってきてしまうが、
近代技術で得られた新発見による神武東征の現実味と相反するし。

768 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:52:18.88 ID:Rkg1sJ760.net
九州説は2ch説で補充しようと頑張ってるんだ。 隠れ学者擬きがこんなに多いとは楽しいな。あちこち転勤してきたが、九州は濃い。

769 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:52:48.94 ID:WMQzdD3R0.net
>>764
卑弥呼の時代はカエルしかいない沼地だった纏向

770 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:54:13.40 ID:Zq8bLu8I0.net
でも畿内には何もないし、なぜ畿内説なんか出てくるのか意味分からん

771 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:55:32.92 ID:q7RmL0+5O.net
ゼロ人です。

772 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:57:54.85 ID:ntV5cP210.net
>>766
罵倒するしかできないってことだな
それは架空の度量衡の捏造を認めたのも同然だ

773 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:58:08.08 ID:CE7kKpk90.net
>>770
畿内説って大和説のことを指してるのか?
近江とか象鼻山にまで視野を広げてみろよ

774 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 21:59:48.62 ID:j4A9NxXW0.net
>>770
もともと神武東征に書かれてることが地理的に合わないということで、
神武東征は空想物語で天皇家の先祖も代々ずっと奈良に住んでたんだという思い込みがあったろうからな。
でも、近代技術による新発見で神武東征が現実味を帯びたことにより、立場が逆転した。

775 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:00:28.43 ID:WMQzdD3R0.net
>>772
同じ人物が同時に書いた文章が基準と書いてあるのに理解出来ないとは日本人じゃないから仕方ないか

776 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:00:33.67 ID:Rkg1sJ760.net
カエルだきじゃない。桃の種もあった!

777 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:02:44.57 ID:WMQzdD3R0.net
>>774
神武東征で地理的に合わない部分とは?

778 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:04:26.90 ID:j4A9NxXW0.net
>>777
大阪で起こった出来事が近代の地理的条件だと説明が難しかった。

779 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:07:19.12 ID:ntV5cP210.net
>>775
意味不明だ
どうせ根拠もなく、短里があったと言い張ってるだけだろうが

780 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:07:41.31 ID:Nx4EosWf0.net
畿内のどこ → 纏向
九州のどこ → ばらばら

九州は候補地も決まってないよ

781 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:09:18.24 ID:CE7kKpk90.net
神武に尾張からお助け隊がやって来たけど、なぜ尾張が神武に味方したのか説明出来る香具師って居る?

782 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:11:14.79 ID:q7RmL0+5O.net
卑弥呼先生は困るとすぐに中国に頼るので猫派だと思うんですよね。犬派ですかね

783 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:13:57.38 ID:Nx4EosWf0.net
>>781 書物によって違うが神武の大叔父だったりいとこが尾張氏の祖

784 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:13:58.41 ID:WMQzdD3R0.net
>>781
奈良には先にニニギが来ている
東海や熊野に味方を作っていたかもしれんね

785 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:15:08.22 ID:yaYU2GNE0.net
>>748
はい?

対馬海流突っ切ってるぞ

786 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:15:22.67 ID:NQ6U0Q5V0.net
伊勢 卑弥呼
大和 男弟王
という構図が今のところ最強だよ
ほぼ矛盾がない

787 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:16:02.05 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>781
そんなもの同族だからに決まってるじゃん

788 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:16:13.32 ID:CE7kKpk90.net
>>783
つまり神武は元々尾張に所縁のある人物だったってこと?

789 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:17:37.25 ID:NQ6U0Q5V0.net
アメノホアカリとニニギは正式に同族と記されてんだから
その後裔が饒速日と神武だよ

790 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:19:58.46 ID:CE7kKpk90.net
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
多賀大社と伊勢神宮の祭りが見からしても、この言い伝えは真実っぽい

791 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:21:00.39 ID:q7RmL0+5O.net
つまり卑弥呼先生は頼る相手がいない傀儡ではない女王であったということですよ。誰が卑弥呼が邪魔だったんでしょ?卑弥弓呼? この部分は記紀にはまるで当てはまりませんね。

792 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:21:38.62 ID:Nx4EosWf0.net
>>788 神武がヤマトに入るより先に九州から尾張に移動したことになってる

なにかを暗示してるかもだが7〜8世紀の政権の
同族だから仲良くしようでっち上げ作戦かもしれん

793 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:22:30.67 ID:j4A9NxXW0.net
>>785
対馬海流なんて黒潮に比べれば優しいもんでしょ。

794 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:22:57.50 ID:CE7kKpk90.net
× 祭りが見
○ 祭神

795 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:28:00.64 ID:WMQzdD3R0.net
>>792
奈良の前に尾張には寄って無いよ
熊野から渡来系の八咫烏勢力のサポートで奈良に入っている

796 ::2019/08/13(火) 22:29:47.38 ID:xhb5FRq80.net
>>750
さすがに近代まではないじゃろが(近世の江戸幕府がきちんと定めた)、
中世ではローカルな度量衡が確認されてるよね。

天正年間の記録で、伝馬の駄賃が駿河西部を境に 西では6銭、西では1銭だった。
同じ経済圏で物価が6倍のはずはなく、その他の史料を精査した結果、
西では1里=36町、東では1里=6町 だったことが証明されたのだ
(相田二郎「中世の関所」1943)。

「里」というのは、寸(指)や尺(腕)や歩(脚)のような直接の尺度を持つ単位ではなく、
それらの基本単位の倍数であらわされる量だから、意外とローカルルールがあるし、
そのローカルルールの中の人は 注釈無しに使うから、後世の人らに検出されにくいのだな。

もちろんこの話は短里があったことの直接の証明じゃないけど、
頭ごなしに比定するほど荒唐無稽な話じゃないことを示していると思う。
ただしこの理屈で行く場合、本来の里と短里との比は、必ず単純な整数になるはずだよね。

797 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:30:48.82 ID:yaYU2GNE0.net
>>767
遷都なんかしてねーし

九州の「海神(ワダツミ)国」の
32代目の国王「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」の

【第4皇子(国王では無い)の神武】

が、奈良に東征したけれど

九州の「海神(ワダツミ)国」の
32代目の国王「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」は
九州の「海神(ワダツミ)国」にずっといた

798 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:31:04.20 ID:WMQzdD3R0.net
>>791
卑弥呼と邪馬台国は記紀から抹消されてるから天皇家とは無縁

799 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:31:59.26 ID:yaYU2GNE0.net
>>793
んなこたぁねーよ

800 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:35:10.02 ID:yaYU2GNE0.net
>>798
とすると

初代天皇の

九州の「海神(ワダツミ)国」の
32代目の国王「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」の
【第4皇子(国王では無い)の神武】

は、奈良に東征したから

神武に東征された奈良が邪馬台国だね

801 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:38:52.89 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>795
熊野の高倉下が尾張と同族なんだけどね

802 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:39:31.02 ID:Rkg1sJ760.net
卑弥呼さんは古来から倭に馴染んだ江南渡来系一族で、天皇は半島系。 大陸の代理戦争かな。卑弥呼さんが、倭を形成していたならば後ろめたいことあれば歴史から抹殺したいよね。

803 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:39:48.16 ID:Nx4EosWf0.net
>>795 わかりにくいか
神武がヤマトに入るより前に
九州から神武の大叔父かおじさんかいとこが
尾張に移動してそこを治めた

分家が追い出される良くあるやつだろう
神武も分家で各地を転々としてヤマトにくるが本家と立場が逆転する
本家海幸彦と分家山幸彦も似たような逆転のお話

804 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:41:49.02 ID:WMQzdD3R0.net
律令制崩壊後は時代や地域によって様々な里が使われるようになった。「里」は長い距離であるので、直接計測するのは困難である。
そこで、半時(約1時間)歩いた距離を1里と呼ぶようになった。人が歩く速度は地形や道路の状態によって変わるので、様々な長さの里(36町里、40町里、48町里など)が存在することになるが、目的地までの里数だけで所要時間がわかるという利点がある。
しかし、やはりこれでは混乱を招くということで、豊臣秀吉が36町里(≒3927m)に基づく一里塚を導入し、1604年に徳川家康が子の秀忠に命じて全国に敷設させた(ただし実際には、独自の間隔で敷設されていた各地の里が完全に置き換えられることはなかった)。
1里を36町と定めたのは織田信長という説があるが誤りで、それ以前にも「東大寺造立供養記」(1196)・『平家物語』(13世紀)『太平記』(14世紀)・『富士の道記』(1432ごろ)に用例がある。
このように、もっぱら6町の里と36町の里が併存し、「小道(こみち)」「大道(おおみち)」や「大里」「小里」などと区別した。また、小道は東国で使われたため「坂東道」「東道」「田舎道」など、大道は「西国道」「上道」などとも呼ばれた。
東国で小道が使われていた名残は、七里ヶ浜(神奈川県)や九十九里浜(千葉県)のような地名に残っている。
陸奥国では江戸時代後期まで小道が使われていたが、すでに古風と思われていた。
伊勢道の里(一里塚の間隔の意)は、通常の大道よりさらに少し長かった。36町・2160間には違いないが「1間 = 6尺5寸」としており、通常の「1間 = 6尺」で換算すれば39町(≒4255m)となる。
1間の長さは徳川家康が6尺と定める以前はさまざまな値があり、6尺5寸の間は織田信長も用いた代表的な1つで、これに基づく39町相当の里は伊勢道以外にも散見される。
伊勢道の里が48町(≒5236m)であるというのは、外宮と内宮の間が48町であることから来た誤解であるという。
明治時代に入り、メートル条約加入後の1891年に制定した度量衡法では、1里=36町とし、それ以外の里の使用を禁止した。1町=60間=360尺であるので1里=36町=12960尺=3.927km(上線部は循環小数)となる。

805 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:43:39.75 ID:yaYU2GNE0.net
古代出雲(島根県東部から鳥取県西部)は、
素戔男尊の娘と結婚した、大国主神の葦原中国

古代九州(福岡から鹿児島全土)は、
出雲から山幸彦が訪れた、大綿津見神の海神(ワダツミ)国(倭奴国)

だから

古代奈良は、

九州の「海神(ワダツミ)国」の
32代目の国王「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」の
【第4皇子(国王では無い)の神武】

に東征された、天照大神の高天原(邪馬台国)

でバッチリ

806 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:45:49.19 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>803
九州から尾張に行ったという話はない。
丹後からならある。

807 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:46:48.32 ID:q7RmL0+5O.net
まあ卑弥呼先生が奈良にいたとすりゃあ、ナガスネヒコより前だわね、後じゃ話がおかしくなる、で巻向が祭祀場なのかえ?先代には垂仁の都と書いてあったと思うが、卑弥呼の跡地を隠したかったのかね?

808 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:48:29.29 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>806
丹後、若狭、山背、近江、尾張
この辺前方後方墳文化
九州は違う。

809 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:50:36.18 ID:WMQzdD3R0.net
>>805
天照は奈良からすぐに逃げ出して伊勢にずっと居たと何度言えば

810 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:51:34.44 ID:NQ6U0Q5V0.net
おそらく前方墳が天孫の印で
後円墳がニニギ系
後方墳がホアカリ系
じゃないかと

811 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:52:04.53 ID:q7RmL0+5O.net
墳墓も形はあてにできないよ、出雲北陸は方墳、高句麗型、畿内は色々、九州は丸、甕。

812 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:52:26.00 ID:Zq8bLu8I0.net
そういや、こんなの見つけた

資治通鑑前編
「日本國亦云呉太伯之後。蓋呉亡、其子孫支?、入海為倭也。」

また、日本国は言う、呉の太伯の後なりと。けだし、呉滅んでその子孫・支庶(傍流)海に入って倭と為るなり。

813 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:53:05.45 ID:WMQzdD3R0.net
>>807
卑弥呼の時代は纏向は沼地
3世紀に住居すらない
諦めなさい

814 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:53:32.91 ID:CE7kKpk90.net
>>809
アマテラスの両親は近江の多賀大社に眠ってるよw

815 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:53:56.60 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>811
出雲北陸は方墳でも4隅突出型

816 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:55:28.27 ID:yaYU2GNE0.net
>>803
神武は

九州の「海神(ワダツミ)国」の
32代目の国王「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」の
【第4皇子(国王では無い)】

自分の領土を求めて、遠い親戚を頼るのは良くある話

817 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:56:14.92 ID:CE7kKpk90.net
THE 論理パズル
それを解けるのは知能のある人だけw

818 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:57:09.33 ID:Rkg1sJ760.net
航海得意の呉民族は、有明海から入ってると思う。そこで船を整備していた技術者集団が今でも大川にいる。呉の人達は安曇。

819 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:58:45.88 ID:yaYU2GNE0.net
>>809
どんな妄想だよ(笑)

天照大神を伊勢神宮に奉ったのは垂仁天皇

820 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 22:59:15.93 ID:j4A9NxXW0.net
>>815
出雲族と言っても、たぶん2段階あるんじゃないかなと推測するかな。
まずは朝鮮半島経由で入って来た北方民族が水稲を持ち込んで、
次に秦が滅びた後、朝鮮半島経由で入って来た漢民族が金属機器類を持ち込んだんじゃないかなと。

821 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:01:13.93 ID:jm26m+XI0.net
中国地方も近畿地方も西日本は、全部九州にルーツがあるんだってな

822 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:01:48.94 ID:NQ6U0Q5V0.net
結局アメノホアカリは徐福だと思う。
丹後、尾張、熊野
この辺みな徐福伝承地だから

823 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:01:57.66 ID:WMQzdD3R0.net
>>814
多賀大社はインチキで
父の伊奘諾は淡路島の伊奘諾神社
母の伊弉冊は熊野と比婆山で争っている

824 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:04:32.55 ID:yaYU2GNE0.net
>>813
九州説がよくあげる「硯(すずり)」にしても「鏡」にしても、
それどころか、三雲・井原遺跡の古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡などの、九州にあるすべての遺跡にしても

九州は倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられているが故に

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていない

「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・でも全くおかしくないどころか

むしろ

たかだか40年間ぐらいしか存在できなかった「親魏倭王」の邪馬台国のものよりも

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・のほうが考古学的にしっくり来る

なのに

九州説者がなんの根拠もなく、勝手に、
「親魏倭王」の邪馬台国のものだと言い張っているだけ
あきらめなさい

825 ::2019/08/13(火) 23:04:47.12 ID:xhb5FRq80.net
>>803
日向三代から綏靖あたりまでは、末っ子が親の財産を受け継ぐ
末子相続の原理が働いていると思う。んでもってこれは、狩猟民族のシステムなんだよね。

狩猟民族(あるいは漁民)にとっては、「猟場(漁場)=なわばり」の面積で養われる
人口は決まるから、大きくなった子は親のなわばりを出て「巣立ち」し、
自分のなわばりを作るし、親は末っ子になわばりと道具をゆずって隠居する。
てなわけで、末っ子は親のなわばりを引き継ぐ代わりに親の老後をみとるのだ。

一方、農民の場合はホイホイ開拓はできないから、農地に投下する労働力で
生産性を上げる仕組みだ。だから大きくなった子から順に親の手伝いをするが、
子供全員に農地を分割するのは不可能だから(罵倒語としての「たわけ」の語源ね)、
兄弟の中で最も経験が長い長子が相続することになると。

826 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:06:48.19 ID:yaYU2GNE0.net
>>825
まーーたテキトーなことを

827 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:07:00.41 ID:CE7kKpk90.net
>>823
神門古墳群とか玉前神社とか知ってる?
調べてみると面白いよ
神門には何故か貝殻前方後円墳があったりする

828 ::2019/08/13(火) 23:09:58.85 ID:xhb5FRq80.net
>>826
いやいや、いま出先だから確認できないけれども、
 狩猟民は末子相続、農耕民は長子相続
というのは、ちゃんと出典があるのよ。
17日まで待っておくれw

829 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:12:10.70 ID:q7RmL0+5O.net
成る程それは面白い話ですね。

830 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:13:45.55 ID:yaYU2GNE0.net
>>828
そっちじゃない

日向三代から綏靖あたりまでは、末っ子が親の財産を受け継ぐ
末子相続の原理が働いていると思う

のほう

831 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:14:59.90 ID:ntV5cP210.net
>>813
こいつ宇佐厨だろ?
毎日毎日、嘘を連呼するマシーンみたいなやつだな
教科書にも載ってるような、日本史の基礎知識さえも、デタラメ情報で否定しようとする

832 ::2019/08/13(火) 23:18:03.32 ID:xhb5FRq80.net
>>830
山幸彦:弟
神武:4男
綏靖:3男
じゃんか。
まあ、ほんとに末子かと言われると微妙だが、要は非長子だというのが重要なわけで。

833 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:21:25.57 ID:oaksnE8x0.net
>>713
邪馬台国との位置関係

 【もっと北】 (朝鮮半島)狗邪韓国
 【北】    (九州北部)  対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
  
 【女王国】    邪馬台国     
  
 【南】       狗奴国

834 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:23:07.86 ID:XbcfGbqd0.net
>>773
近江は古くからの九州海人の植民地
文化が奈良盆地より進んでいるのも九州から伝わってるからに過ぎない

https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。

835 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:26:45.16 ID:WMQzdD3R0.net
>>827
もちろん知ってる
まあ、一宮である伊奘諾神社も、世界遺産にも入っている熊野の花の窟神社と比婆山の伊弉冊の墳墓もインチキなんだけど、これらも面白いからぜひ行ってみてくれたまえ。

836 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:34:42.39 ID:ZQYysrm80.net
たまに日本海経由で近畿に入る説をとる人がいるが
日本海と有明海、瀬戸内海は全くの別物だからな
船で航海をしたことのある人間なら別物であることを肌で感じて知っている
大陸から来た人間が鳥取から石川に流れ着いたというなら解るが
北九州に行った人間が瀬戸内ではなくて日本海側を通って近畿に入ることなんて
交通の発達した今でさえ、まず無いよ
その位に瀬戸内は日本にとって奇跡の水路であり漁場

837 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:42:03.83 ID:yaYU2GNE0.net
>>832
だからだよ

山幸彦:弟 
天照大御神により、奈良から出雲に一大卒として派遣された父ちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊の地位財産を、
兄の海幸彦に奪われて出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ

神武:4男
彦五瀬命、稻飯命、三毛入野命と3人の兄がおり、九州に居たままではどうにもならないため
兄と父の全面バックアップの元、遠い親戚の饒速日を頼り、ひいおじいちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊の出身地の畿内を目指した

838 ::2019/08/13(火) 23:47:06.73 ID:xhb5FRq80.net
>>836
日本海と瀬戸内海の両方を漕行したことがある人は、
現代ではほとんど数人な気がする。

さておき、ヤマト王権が瀬戸内海航路を掌握したのは、6世紀くらいじゃないかしらん。
日に2回潮の向きが変わって、無数の瀬戸(海峡)と岩礁が存在する瀬戸内海は、
地元のパイロットなしで渡る者にとっては地獄の海なのだ。

839 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:49:24.77 ID:yaYU2GNE0.net
つまりだ、天皇の家系は

出雲の国譲りの後に、天照大御神により、奈良から出雲に追い出され

海幸彦により出雲から、海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元に追い出され

彦五瀬命、稻飯命、三毛入野命の三人の兄により
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から再び、奈良に追い出された一族

のなよ

840 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:50:45.55 ID:q7RmL0+5O.net
斉明天皇は難波から九州行くのに3か月位かかってると思ったぞ、身重のかあちゃんも一緒だったけど

841 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:52:23.79 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>839
奈良が高天原なら饒速日が生駒に降臨したという話がおかしくなる。
奈良から生駒に移住しただけで降臨したなどいう大げさな表現をつかうだろうか?

842 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:54:16.36 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>840
斉明天皇のかあちゃんって相当な歳よりだと思うけど妊娠してたの?
たぶん斉明天皇自身が60歳くらいだと思うけど

843 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:55:52.29 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>842
60は言い過ぎか?50歳くらいか

844 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:56:28.89 ID:q7RmL0+5O.net
そうそうスゲー年なんだけど確か産まれたとかなってたような、で本人は九州で亡くなったんだろ

845 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:57:30.94 ID:NQ6U0Q5V0.net
>>840
仲哀天皇の事?嫁さんが身重の

846 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:58:27.34 ID:ntV5cP210.net
>>838
初期のヤマト王権は瀬戸内海連合みたいなもんだよ
3世紀にはすでに瀬戸内海の各地で畿内系土器が出るし、前方後円墳も古いのが造られてる

逆に畿内勢力の痕跡が薄いのが、山陰地方の西部
出雲あたりまでは痕跡あるが、そこから西には何もない

847 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:58:59.91 ID:q7RmL0+5O.net
でかあちゃんが奈良へ殯するため運んだんだろ

848 :名無しさん@1周年:2019/08/13(火) 23:59:01.63 ID:Rkg1sJ760.net
ワタツミの拠点は福岡の志賀島。その神社では今でも八人の巫女が舞う神事がある。八人は八女から来る。有明海から志賀島まで、そして全国の諏訪神社に安曇の痕跡はある。

849 ::2019/08/14(水) 00:04:49.98 ID:ioWDxzJ20.net
>>841
関係ないが、ニギハヤイが乗ってきた天磐船g興味深いよね。
鉛直に降臨する北方系神話と、海の向こうに他界が存在する南方系神話との
ハイブリッドだ。

>>846
たとえば吉備との間は、海路だったんじゃろか?
俺は陸路だと思う。
たとえば景行天皇も、明記された海路は防府から豊前だけだよね。

850 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 00:19:01.90 ID:nqczjcMYO.net
戦争行くのにこんなに時間かけてんのと思ったんだが、俺の勘違いかもしれないごめんなさい、

851 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 00:59:32.42 ID:k+0xPx4d0.net
>>735
鉄は大陸とは無関係、朝鮮半島南部の鉄鉱山から北部九州の倭人が掘り出していた。

852 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 01:04:11.84 ID:k+0xPx4d0.net
>>840
斉明天皇は女性天皇で朝倉に来てで67歳で無くなった事になっているから
お前が書いている身重の母親とは誰の事を指しているのか?

853 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 01:08:19.49 ID:k+0xPx4d0.net
明治以前は戦争をする時には国を治めている者は先頭に立って戦うのが習わしで
古代も日本武尊は熊襲征伐や蝦夷征伐に出向いている。邪馬台国は狗奴国と戦争中だった
から卑弥呼も戦場の近い所に住んで先勝祈願をしていた訳だ。

854 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 04:33:48.31 ID:hkIl+OeA0.net
>>849
> 俺は陸路だと思う。

俺は海路だと思う。

人一人が移動するなら陸路で十分だけど、複数人や物資を伴っての移動であれば海路が圧倒的に有利だよね?

855 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 05:37:29.90 ID:Ikc+P1EN0.net
開墾された平野部以外は基本は海路だろうな。
庭を持ってる人は10年くらい一切除草せず、
その中を歩いて進むこと難しさを経験してみるといい。

856 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 05:50:19.72 ID:Ikc+P1EN0.net
>>851
僕は朝鮮にやってきた(元は四川・雲南辺りから来た)漢人が掘り出してて、
時々海を渡ってやって来る九州北部の倭人の米と交換してたんじゃないかなと思ってるかな。

857 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 05:57:27.91 ID:jxmD8iEf0.net
>>856
半島南部の狗奴韓国は倭国の領域と書いてある
倭人はそこで鉄鉱石を取り製鉄しインゴットにして九州に運んでいたと書いてある
製鉄の技術を半島人が日本に来て教えたというのは嘘

858 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:02:51.97 ID:Ikc+P1EN0.net
>>838
ヤマト王権や畿内勢力が瀬戸内海航路を掌握したことはないと思う。
一部の畿内勢力が瀬戸内海賊のスポンサーとなり、
海路交易を独占してたんじゃないかと思うけど。

859 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:05:03.33 ID:jxmD8iEf0.net
出雲でたたら製鉄が始まると出雲を統治していた畿内勢力が圧倒的な戦力を確保し九州勢力を取り込む
弱体化した九州勢は白村江の戦で半島南部の鉄利権を失い、さらに交易ルートの百済も失い壊滅的な打撃を受けた九州勢は畿内勢力の傘下に完全に吸収される

860 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:08:35.30 ID:4qQ/6gfm0.net
すくなくとも日本において
記録が残ってる範囲では
中国と同じ距離の里を使ったことはない。

861 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:11:22.36 ID:jxmD8iEf0.net
>>858
神武東征では安芸や備前で数年使ったり、かなりの年月を経て淡路島まで辿り着いている
神武は各地で講和し仲間を引き連れて畿内を攻略した
後の桃太郎伝説である

862 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:11:49.14 ID:HOA5unS80.net
>>735
紀元前4〜3世紀頃に北部九州地域に鉄器が伝来し
3世紀頃までは鉄器の普及は北部九州地域でとどまっていた
この間に渡来人と縄文人の混血が北部九州地域と朝鮮半島南部で進み倭人が誕生し
倭が半島南部の領土を失うと古墳時代に倭人が日本列島に拡散したんだ。

863 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:11:52.02 ID:Ikc+P1EN0.net
>>857
それ、何に書いてたの?
まあ、ぞろぞろいる朝鮮南端部に住み着いた倭人に下働きをさせたりはしてたんだろうけど。
3世紀後半には大和領が存在してたろうから、それ以後ならもちろんその通りなのだろうが。

864 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:15:43.94 ID:4qQ/6gfm0.net
白村江の時代には
糸島の元岡遺跡という大製鉄遺跡がある。
6世紀後半から8世紀の遺跡で
30基あまりの斜め式高炉が出土している。

鉄器の出土量は、鎌倉時代くらいまでは
畿内は九州を越えることはない。

865 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:16:03.45 ID:Ikc+P1EN0.net
>>862
たぶん燕の人たちが朝鮮南部にやってきて、
九州北部の倭人と交易を始めた証なんだろうな。
半島南部の大和領を失ったのは7世紀だろうな。

866 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:19:02.74 ID:jxmD8iEf0.net
>>863
魏志倭人伝に倭国の北端が狗奴韓国と書いてある
3世紀は邪馬台国勢力が半島南部を支配している
九州邪馬台国勢力が畿内とは流通や交易がない時代だったので畿内からはこの時代の鉄が出ていない

867 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:30:19.47 ID:RFnLN+Yf0.net
ノルマンディー公ギョーム2世が征服王ウィリアム1世
みたいな話ですかね
フランスの一地方領主がイギリス征服したらいつのまにかイギリスがフランスに領土持つことになったみたいな

868 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:31:05.58 ID:Ikc+P1EN0.net
>>866
半島南端部にぞろぞろと住んでたのはおそらく漁民で、
倭人というよりは縄文系か古い出雲族に近い民族だとは思うけど。

869 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:31:16.44 ID:28MbIsZQ0.net
現王朝と卑弥呼となんのかんけいがあるんだね

870 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:35:01.38 ID:xtJaPytU0.net
>>869
卑弥呼と次のリーダーのトヨが親戚
トヨは神功皇后であったという説もある

871 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:37:40.48 ID:28MbIsZQ0.net
神功皇后って刺青してたのかよ

872 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:44:38.38 ID:mBRbOFxY0.net
狗邪韓国は巨済(コジェ)島ですよ。
ここは倭人の島であり、九州から半島への出入り口でした。
秀吉の軍勢が入港したのも巨済島、元と高麗の連合軍が出発したのも巨済島。
日本国政府は歴史上の観点から巨済島は日本の領土であると主張しても良いくらいです。

873 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:44:38.66 ID:IWPLGWyL0.net
>>857
前から狗奴韓国のクヤは、地理と音が正反対のヤク(屋久島)と対比して
倭語、日本語だろうと見てきたが、どうも方位のキタ(北)とも関係がありそうだ。
キタはキタナシ(汚し・黒)との関係を説いてる人もいる。
ただこの場合のクヤは古代韓国語のクム(鉄・黒)を伴っていると思われるので、両方合わせた感じになってるかも知れない。

874 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:46:11.08 ID:xtJaPytU0.net
九州の豪族に過ぎにない可能性もあるけども、もう少し大きな勢力を持っていた可能性もある
そうでないと中国の皇帝に貢物ををして自分を認めてもらうなんていう駆け引きをしないだろう

875 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:50:07.05 ID:jxmD8iEf0.net
>>868
倭人が鉄を取りに来ていると書いてある
漁業の為に常に戦乱気味の半島で命の危険を冒してまで半島に住む理由がない
魏志倭人伝にも所謂、倭人勢力である倭国が半島南部を支配していることを書いている
この時代の中国の書物でいう倭人とは刺青をしている南洋系海人族のこと

876 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:52:03.91 ID:xtJaPytU0.net
当時はまだ日本の本州には原住民が居て今の天皇家の先祖たちは支配しきれてなかったんじゃないか?
最先端の技術を朝鮮から持ってきて九州を制圧したくらいで

877 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:55:14.97 ID:jxmD8iEf0.net
>>874
日本から100国とか30国が朝貢してたのに大きな勢力であるはずもなく邪馬台国も南隣の狗奴国に虐められて魏に泣きついてるだけの関係

878 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:56:53.70 ID:2IEHhYCH0.net
>>16
一般的じゃないとは思うけど、

崇神
応神
継体
天武

がそれぞれ別王朝だったと思う。天武系は光仁でまた天智(継体)系に戻ったけど。

879 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 06:59:22.10 ID:jxmD8iEf0.net
>>876
九州勢力が東征して畿内を制圧したのが記紀には書いてある
最先端の技術の朝鮮とはどの書物に書いてあるの?
戦後の日教組が書いた捏造教科書?

880 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:02:28.13 ID:4qQ/6gfm0.net
和名類聚抄 西海道

筑前 15郡
筑後 10郡 筑紫 計25郡

肥前 11郡
肥後 14郡 肥 計25郡

豊前 8郡
豊後 8郡 豊 計16郡

日向 5郡
大隅 8郡
薩摩 13郡 熊曾 計26郡

壱岐嶋 2郡
対馬嶋 2郡

合計 96郡


中国書にある30国とか、100国はこれくらいの範囲かな。

881 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:03:42.70 ID:jxmD8iEf0.net
>>878
実在する天皇と空想も分けないとね
崇神は実在したけど記紀ではメチャクチャなエピソードが満載だったりするし応神や神功皇后はネタ元は有るかもしれないけど実在には程遠い設定だし

882 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:07:22.83 ID:28MbIsZQ0.net
>>最先端の技術の朝鮮
人質とかだまし討ちとか背のりのことですな

883 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:08:15.74 ID:jxmD8iEf0.net
製鉄の技術は燕
稲作は南方ルート
仏教や統治システムを持ち込んだ秦氏も中華
半島から逃げ出して来た人達はいるけど

884 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:38:15.72 ID:8XgbhE5g0.net
神武東征と言うのは、こんだけの話。

「倭国乱」の時に、九州出身の海賊のイワレビコがあちこち流れに流れた末、
最後に当時人口を増やしつつあった奈良盆地の片隅に住みついて、
奈良盆地の名族であるイスズヒメの所に通い婚をする男たちの一人になった。

たったこれだけの話を、後から盛りに盛ったのが、記紀の神武東征だからね。

「カムヤマトイワレビコノスメラミコト」の「カムヤマト」と「スメラミコト」なんて
後付けで、当時はただの「イワレビコ」。

九州出身の海賊の頭目「イワレビコ」。下手したら海賊の頭目ですらなく、
ただの九州出身の「イワレビコ」。

天孫がニニギとニギハヤヒの2系統いると言うのも、どこからどう考えても嘘臭く、
本来の天孫はニギハヤヒで、ニギハヤヒのレガリアである
天羽々矢(あめのはばや)と歩靫(かちゆき)を、イワレビコが奪ったのだろう。

885 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:43:41.88 ID:HOA5unS80.net
>>879
>九州勢力が東征して畿内を制圧したのが記紀には書いてある

古墳時代の出来事ではないかな。

>最先端の技術の朝鮮とはどの書物に書いてあるの?

製鉄技術は朝鮮じゃなくて燕からだな。

886 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:44:18.20 ID:8XgbhE5g0.net
神武東征を「九州勢力が東征して畿内勢力を服属させた」と夢を見ている者も多いが、
それ、違うから。

それだと、本拠地の九州は捨てて行ったのか?とか、その後のヤマト王権が
何回も九州遠征をしなければならなかったことと、辻褄が合わない。

実態は、九州出身の海賊のイワレビコが、九州から追い払われて、
あちこち流れに流れて、最後に奈良盆地の片隅に住みついた。
こんだけのことだから。

887 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:57:32.02 ID:jxmD8iEf0.net
イワレビコは隼人に追い出され日向から宇佐に行って、そこにあった邪馬台国を強引に乗っ取って背乗り。
邪馬台国の威光で瀬戸内海を制圧してやがて奈良に住み着く。奈良でも邪馬台国の威光を利用してヤマトを名乗り、未開の地だった奈良を中心に畿内を統治。最後に残った九州の隼人を征伐する。

888 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 07:57:59.14 ID:k+0xPx4d0.net
邪馬台国の邪馬台とはヤマトと呼んでいたからだがヤマト=山門であって
大和では無い、大和は大倭の事で、九州の倭国が全国制覇を終えて大きな倭国になった
と言う意味を込めて大倭となり大和に変わった訳だ。

889 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:16:36.88 ID:PIRE57OQ0.net
>>888同じ意見だわ

890 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:22:51.68 ID:hBl+fmr40.net
日本の考古学はどうしちゃったの?
物的証拠も無しにここはこうだと主張するばかり
学問ではないよ

891 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:23:53.61 ID:2IEHhYCH0.net
>>890
ゴッドハンドのせい

892 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:24:35.69 ID:4qQ/6gfm0.net
平安時代に訓読みが定着しても
大和をヤマトと読む訓読みが
定着しなかったんだから

大和をヤマトと読むようになったのは
それ以降だろうね。

893 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:30:26.29 ID:2IEHhYCH0.net
>>881
神功皇后や応神天皇が実在しないという説はもちろん認めるけど、実在はしなくてもモデルに
なった人はいてもおかしくないと思うんだよね。それも神功皇后あたりじゃなくて景行天皇あたり
からすでに怪しい気がする。で、そういう意味で景行天皇のモデルになった人は九州の豪族(と
いうか国王)で、九州征伐というより自国付近を回っただけなんじゃないかと。

894 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:39:28.51 ID:2IEHhYCH0.net
あと聖徳太子もモデルとなった皇子はいて、それに厩戸皇子と名前をつけ、色々な逸話や業績を
くっつけて聖徳太子と美称された人物を作り上げた。ちなみにその理由は、天智によって滅ぼされ
た蘇我氏一門の鎮魂のためだと思う。天武にとって天智は前王朝の敵だけど、表向きは兄弟って
ことになってるので、そういう回りくどいことをしているわけよ。

895 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 08:44:11.58 ID:ih1bwzqX0.net
狗奴韓国といえば、

後漢書では、狗 奴韓国→ 拘 邪韓国
同じく、    狗 奴国も →拘 奴国、さらに方向も 南→東 に修正されてるね

畿内連合=拘奴国なんじゃね

896 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:10:07.83 ID:0vOlpxNE0.net
「魏志倭人伝は1里=435mで記されている」
は、みんな否定的なんだよな

897 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:16:54.76 ID:tFpONsgj0.net
>>874
倭人って大きなくくりなら周王朝の頃から朝貢の実績がある
向こうの政情にもかなり通じてたっぽいし、元々かなり中国に依存した民族だったのでは

898 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:18:08.07 ID:gz2OS3Ce0.net
▼武田鉄矢(福岡市博多区出身の俳優)
『大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い』
▼ローラ(JR九州公式フォトグラファー)
『アニョハセヨは関西弁』
▼くまモン(熊本県営業部長)
『粉モンって、こんなモンかー』
▼埴原和郎(福岡県北九州市出身の人類学者)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人の平均から外れている』
▼中橋孝博(九州大学大学院教授)
『関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い』
▼高橋貞樹(大分県出身の社会運動家)
『被差別部落民は、穢多の水上と称せられる近畿地方が最も多い』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼向江さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけど、その場でびんたですよ、「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼松下孝幸(土井ヶ浜人類学ミュージアム館長)
『熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地』

899 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:28:12.07 ID:Qyjr4rAZ0.net
>>897
半島南部までくれば山東半島はすぐそこだからな
あるいは陸をみながら遼東半島でもいい

900 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:38:12.47 ID:JFpexKDH0.net
>>898
武田鉄矢なんか松本の番組に出させてもらってるくせに生意気なガキだな

901 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:38:13.47 ID:MZgpO+ZK0.net
日本に残る史書らしき伝承は8世紀以降のものだし参考にはならない。
そもそも倭国に天皇など存在せず、地方に大王を中心とした多数の国家が乱立していたところから始まっているわけで、隋書が書かれた600年代にしても倭王を天皇とは表記せず大王と書いている。
これを天皇にこじつけるのは間違いであり、そもそも万世一系の思想こそ後に倭国乗取りを画策した天智の謀略であり大化で偽装した政治支配のプロパガンダ。

902 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:45:35.69 ID:2SaN/7hs0.net
>>890
いつ誰がどうやって、物的証拠も無しにここはこうだと主張してる?
具体的な例を挙げて批判してくれ

903 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:49:08.77 ID:7y45XLoq0.net
神武東征は初代天皇を神格化するための作り話だろう

実際には100年くらいかけて瀬戸内を抑えて近畿に到達した
さらに7、80年かけて近畿の広域を抑えて東海と共立
これを1代で行ったかのようにした

遷都の理由はさらに勢力を東に広げるためと
熊本市の抵抗がひどかったので離れるため

ヤマトに遷都して九州で反抗する勢力が出たので
先にヤマトタケルを行かせて景行天皇は九州巡幸をするけど
その経路に伊都国、奴国が入っていない
その頃はまだ景行天皇は威光を示す必要がなく
伊都国、奴国の統治できてたと考えてる

ただその後も熊襲や薩摩隼人の突発的抵抗はあって
さらに時代が進むと中央の影響が薄れて6世紀の磐井の乱

904 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:51:21.95 ID:Ikc+P1EN0.net
>>875
何に書いてあるの?
3世紀以前なら倭人が交易に来たんだろうし、
3世紀以後なら大和領だから倭人が領有権持っててたろうし。

905 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:56:22.88 ID:Qyjr4rAZ0.net
初期のヤマト王権は各豪族が持ち回りで大王やってたという説が最近は有力だから、女王の共立もそれほど珍しくはなかったのかもな

906 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 09:56:28.05 ID:Ikc+P1EN0.net
>>896
否定なんてしてない。
魏の役人がわざわざ正確に測量なんてしてないと思ってるだけ。

907 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:00:22.25 ID:eI/x9yT20.net
九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。
ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何がきた。

908 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:01:40.08 ID:m8GkFzzq0.net
山海経では燕と倭は同族だと言っている。
倭人の領域は満州あたりまであったと思われる。それで大陸から鉄の技術を取り入れたと思われる。

909 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:02:51.87 ID:HOA5unS80.net
>>906
先行する魏略でもこの里が使われているから
魏が公孫氏を滅ぼす前に公孫氏の役人が韓や倭を測量したのだろうな。

910 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:04:37.63 ID:tFpONsgj0.net
>>905
三種の神器はその名残なのかもねえ

911 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:06:59.04 ID:ZtNSI1I00.net
>>903
だーかーらー、遷都なんてしてねーって

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の倭奴国の

第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が

九州の倭奴国から、奈良の邪馬台国に東征し
邪馬台国を服従させて、天皇となって統治した

だけ

九州にはその後も、第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」がいるし、倭奴国も存在し続けてるっつーの

912 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:08:44.27 ID:0vOlpxNE0.net
>>866
「北端」とは書いてない
何とも理解に苦しむ微妙な「北岸」

913 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:08:57.44 ID:tFpONsgj0.net
>>908
同族?
鉄は越由来でしょ

914 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:10:49.97 ID:ZtNSI1I00.net
出土した「硯(すずり)」にしても「鏡」にしても、

三雲・井原遺跡の古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡などの、九州にあるすべての遺跡にしても

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもので

邪馬台国のものではない

915 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:15:07.45 ID:ZtNSI1I00.net
九州で出土する「硯(すずり)」にしても、「鏡」にしても、「鉄」にしても
九州の三雲・井原遺跡の古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡などの、すべての遺跡にしても

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のものである

916 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:15:54.55 ID:v1t7yqYl0.net
>>704
それなんの根拠にもなってないよねw
ただ地理的位置を示しただけじゃん
しかも大幅に間違ってるという
なんでそこまで飛躍出来るのか

917 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:16:54.22 ID:Ikc+P1EN0.net
>>909
で、「草木茂盛、行不見前人。」みたいな所を測量してったと?

918 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:23:07.60 ID:ZtNSI1I00.net
台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝では、

距離の表現は

海を渡るときは全部 海を渡る1000余里
陸を行くときは全部、500里か100里

だけ

里数というよりも、距離感の表現だよ

919 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:26:39.79 ID:7y45XLoq0.net
平原1号墳の女性と思われる被葬者とか卑弥呼とか
2世紀後期から台与までしばらく女王が続いたと思われる
それは出雲が同盟の条件として男王に反対したからだと考えてて
遷都は女王の時代に行われたと思うけど
初代が女性だと不都合があるので神武が作られた

920 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:27:21.57 ID:ih1bwzqX0.net
>>897
「成王之時,越常獻雉,倭人貢暢。」

越常はベトナムにあった国、また倭人が献じた暢はウコンだとされ、鬱林郡あたりの産物と考えられている。
つまりこの時の倭人は中国南部地方から朝貢している。

>>908
「蓋國在鉅燕南,倭北。倭屬燕。」

燕の同族ではなくて、燕の支配下にあった。

921 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:33:11.07 ID:jxmD8iEf0.net
魏志倭人伝では
帯方郡から狗奴韓国まで約7千里
狗奴韓国から対馬は約千里
対馬と壱岐が約千里
逆算すると一里が約70mになる

922 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:34:16.46 ID:Ikc+P1EN0.net
>>916
細いながらも交易はしてたであろう。
会稽から九州北岸に来るのはそれほど難しくないだろうが、
九州北岸から会稽に行くには一度対馬海流を突っ切って朝鮮半島南部に渡り、
そこから山東半島南方辺りに渡って南下する必要があるだろうから、
結構大変な旅路で遣唐使送った頻度以下でしか行われてなかったとは思うが。
仲哀天皇に指示した筑紫の神は東シナ海の向こうに非常に豊かな土地があることを知ってたし、
春秋戦国時代に戦火を逃れるために船出した人たちも、
東シナ海の東方に土地があることを知ってたからに違いない。

923 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:36:25.46 ID:0vOlpxNE0.net
>>890
ゴッドハンドのせいじゃなくて、ゴッドハンドを受け入れ利用してきた一連の業界体質

924 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:38:45.02 ID:0vOlpxNE0.net
>>906
ほらまた否定してる

925 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:41:57.57 ID:ZtNSI1I00.net
>>921
壱岐と末廬国も約千里

だから(笑)

926 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:43:59.82 ID:ZtNSI1I00.net
>>921
狗奴韓国から対馬は約千里
対馬と壱岐が約千里

なら

どう見ても約500里しかねーんだけど
壱岐と末廬国も約千里

(笑)

927 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:45:15.21 ID:ZtNSI1I00.net
ここまでのまとめ

帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國

− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫

− 海を渡る1000余里− 末廬国(美濃・島根県益田付近)

− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
王は出雲主王
長官「爾支(にき)」は出雲にいたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー

邪馬壱國(奈良)

928 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:55:11.52 ID:0vOlpxNE0.net
末盧国は呼子ではない

929 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 10:57:30.54 ID:2SaN/7hs0.net
>>921
毎日毎日、同じ嘘を連呼
ほんとしつこい
捏造するためには、嘘も100回繰り返すつもりなんだろうか

930 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:00:54.50 ID:Ikc+P1EN0.net
>>928
末盧国は唐津平野も含む東松浦半島一帯だったとは思うが、
主力産業は漁業であり、その政治の中枢は半島北岸にあったと思う。

931 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:01:15.21 ID:ZtNSI1I00.net
帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國

− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫

− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田)
アマテラスから奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地点

− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
王は出雲主王
長官「爾支(にき)」は出雲にいたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー

邪馬壱國(奈良)

932 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:08:22.41 ID:v1t7yqYl0.net
>>922
そりゃ知ってはいたでしょ
でも実際に船出して失敗したりしてるからねえ
(台湾までは行けたっぽい?)
三国時代の呉は漢民族国家であって、海の民であったかつての呉越とは別もの

もっとも呉の水軍って倭族と同ルーツの可能性は有るわけで、そういう認識が有るからこそレッドクリフでは獅童を甘寧に起用したとか妄想してるw

邪馬台国の倭人も海の民で有ることが示唆されてるし、民間レベルでの交易はあって欲しいとは思うけどね

933 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:12:34.34 ID:ZtNSI1I00.net
>>932
畿内の山の民である邪馬台国は

出雲を武力制圧し、アマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」を一大卒という総督として派遣して

出雲を植民地とし

石見と言う大陸と行き来できる港と
宗像氏の祖である出雲6代主王の息子、吾田片隅という航海技術を

一気に手に入れて急速に発展した

なので記紀には、初代天皇神武の前に、出雲の話がたくさん出る

934 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:16:54.97 ID:ZtNSI1I00.net
しかし、出雲を手に入れて急速に発展し、魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられ、たかだか40年かそこらの歴史しかない、奈良の邪馬台国と

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられ、それから150年以上、倭王として君臨してきた、九州の倭奴国の

力の差は歴然で

あっというまに

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の倭奴国の

第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が

九州の倭奴国から、奈良の邪馬台国に東征し、邪馬台国を服従させて、天皇となって統治した

935 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:20:38.47 ID:h1T8C0DW0.net
畿内に倭国大乱の痕跡無し→卑弥呼擁立が成り立たない
なので女王国は畿内じゃないよ

936 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:21:55.08 ID:KnEPOxhK0.net
畿内説「魏志倭人伝の距離も方角もデマ!日数だけは真実!なので九州はありえない!」

937 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:23:27.54 ID:h1T8C0DW0.net
地名も国名も風土も情景も畿内ではないわ

938 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:24:16.36 ID:hkIl+OeA0.net
>>935
倭国大乱の痕跡ってのは首の無い遺骨や鏃の知った骨だよな?
そんな遺骨が一番多く見つかってるのは鳥取県の青谷上寺地遺跡。
邪馬台国は鳥取県と言うことで宜しいか?

939 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:25:41.41 ID:ZtNSI1I00.net
まっ、出る杭は打たれまくった わけだ

940 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:25:50.28 ID:h1T8C0DW0.net
>>938
畿内よりは可能性あるけど、
そのあたりの地名国名が一切出てこないので

941 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:26:19.55 ID:hkIl+OeA0.net
>>940
何に?

942 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:27:03.57 ID:ZtNSI1I00.net
畿内の山の民である邪馬台国は

出雲を武力制圧し、アマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」を一大卒という総督として派遣して出雲を植民地とし
石見と言う大陸と行き来できる港と、宗像氏の祖である出雲6代主王の息子、吾田片隅という航海技術を一気に手に入れて急速に発展した

なので記紀には、初代天皇神武の前に、出雲の話がたくさん出る

しかし、

出雲を手に入れて急速に発展し、魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられ、たかだか40年かそこらの歴史しかない、奈良の邪馬台国と

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」任じられ、それから150年以上、倭王として君臨してきた、九州の倭奴国(狗奴国)の

力の差は歴然で、あっというまに

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の倭奴国(狗奴国)の
第32代目「漢委奴国王」の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子(漢委奴国王では無い)】の神武が

九州の倭奴国(狗奴国)から奈良の邪馬台国に東征し、邪馬台国を服従させて天皇となって統治されてしまった

まっ、出る杭は打たれまくった わけだ

943 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:30:00.22 ID:ZtNSI1I00.net
ということで、ここまでのまとめ

帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國

− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫

− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
アマテラスから奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地点

− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
王は出雲主王
長官「爾支(にき)」は出雲に派遣されれたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良)

該当する人物が全くおらず、痕跡として祀られていることもない九州説は妄想です

944 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:34:49.28 ID:h1T8C0DW0.net
該当する地名国名一切出てこない畿内は無いわ

945 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:37:01.02 ID:jxmD8iEf0.net
>>925
松盧国が何処か分からないから壱岐から70kmくらいの場所から探ればいいだけ

946 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:46:37.80 ID:ih1bwzqX0.net
北部九州の行程は、魏使が向こうに見える範囲の国の名を倭人に問い、方角は壱岐島からのもの、
またそれぞれの国間距離を目分量で測り、九州島を概観したもの。

対岸が末盧國
その隣が伊都国(壱岐から東南、末盧から陸行五百里)
その隣が奴国(壱岐から東南、伊都から陸行百里)
その隣が不弥国(壱岐から東、奴から陸行百里)

947 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:52:26.69 ID:hkIl+OeA0.net
誰か教えてほしいんだけど、大昔の九州は4つの国に分かれてたやん?
筑紫国(つくしのくに)、豊国(とよのくに)、火の国(ひのくに)、日向国(ひむか、ひゅうがのくに)

この中で筑紫国だけが音読み国名の仲間はずれ。
筑紫国の語源に築石(ちくいし)説があるのは知ってるが、これでもやはり筑が音読みのまま。

好字令前の日本の地名は訓読みが基本。
例)吉備は黍だったり、阿波は粟、出雲は出る雲(諸説ありすぎるが)

筑紫国の本当の訓読み時代の語源って何なん?
土筆でいいんかなぁ?

948 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:52:50.11 ID:m1qIUBSM0.net
>>920
倭と言う国が越や日本、朝鮮くらいに広域に広がる民族だったってことだろ
おそらく中心が日本だから日本の事を倭国と言うんだと思う。

949 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:53:54.50 ID:h1T8C0DW0.net
福岡の神功皇后伝承は、高確率で魏志倭人伝やら大陸・半島との戦略拠点にかぶってる

950 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:54:36.97 ID:8XgbhE5g0.net
南→東よりも、

・放射読み
・架空の短里、しかもそれを韓人や倭人ではなく帯方郡の魏の役人が、魏皇帝が定めた度量衡を逸脱して使う
・帯方郡起点
・陸行一月は半島における行程 or 呼子上陸かつ一月は誤記で伊都国まで一日で全力疾走
・人口二重カウント
・北九州諸国の方位・距離は、なぜか方位のみ壱岐起点 ←(NEW)

この無理ゲー条件全部をandで同時に成立させなければ、
九州のどこかに比定することが出来ない時点で、
誰がどう見ても九州説なんてあり得ないんだよ。

951 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:54:43.98 ID:m1qIUBSM0.net
中国からは鉄や稲作
日本からは土器や漆器、玉などが中国に言ってるでしょ
同じ民族だから互いに交易できるんだよ

952 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:56:20.71 ID:h1T8C0DW0.net
>>950
ていうか本州は倭種で、よくわからん国名一覧表に入ってるんだから畿内とか有象無象なんだよ

953 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:58:03.57 ID:h1T8C0DW0.net
大和朝廷成立と魏志倭人伝をむりやり統合する意味がわからん
ムリゲーすぎんだよ

954 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:58:37.60 ID:HOA5unS80.net
>>941
魏志倭人伝にだろ
黒歯国が畿内じゃないかなw
昔から鉄漿してたんだろうな。

955 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 11:59:33.68 ID:2SaN/7hs0.net
>>935
倭国大乱の痕跡は九州にもない

>>937
伊都国に郡使が頻繁に往来していたのだから、伊都国周辺の国や風土が書かれているのは当たり前
陳寿の認識では、邪馬台国はそこから南へ2ヶ月のところにある

魏志倭人伝には伊都国周辺の国が書かれているから邪馬台国は九州になる、というのは筋の通らないただの屁理屈
邪馬台国との関連性ゼロの事象を九州説の根拠にしてるということだ

956 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:01:26.53 ID:HOA5unS80.net
>>930
呼子や名護屋浦から糸島市西部が末盧国だよな
呼子や名護屋浦から糸島市中部までが40km(500里)だな。

957 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:01:36.40 ID:1IHezqHE0.net
街をつつむ 伊都night国
孤独な Silhouette 動き出せば
それは まぎれもなく 奴さ

958 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:02:26.09 ID:KnEPOxhK0.net
>>950
畿内説はそれら全部デマのひとことで片づけるんだもんな

959 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:03:41.50 ID:hkIl+OeA0.net
>>954
船で一年もかかったのか。
へー

960 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:04:37.14 ID:HOA5unS80.net
>>955
北部九州の遺跡からは矢じりの刺さった人骨とか首の無い人骨が出てるよ
これ倭国大乱の痕跡でしょ。
陳寿の認識では、邪馬台国は帯方郡から南へ水行20日、水行10日+陸行1日ですよ。

961 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:05:01.76 ID:2SaN/7hs0.net
>>952
本州を倭種とするなら、倭種が魏と最も密接な交流をしていて、
北部九州は3世紀中頃には倭種の傘下に入るという考古学的事実をどう説明する?

962 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:05:44.71 ID:m1qIUBSM0.net
>>953
まあ無理やりと言うか記紀が奈良の事を大倭とか倭京と書いてるので奈良が倭国の中心だったんだなと考えるのが普通だと思う。

963 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:05:56.08 ID:hkIl+OeA0.net
>>956
南東に向かうはずが、南下して北東にV字ターンする必要があるが、そこはどうする?

964 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:06:35.13 ID:2SaN/7hs0.net
>>960
その年代は?
倭国大乱の時期と100年も200年もズレていては証拠にならん

965 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:06:49.10 ID:HOA5unS80.net
>>959
船行一年は船行十二日が船行十二月に誤記されて船行一年になったのではないかな。

966 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:07:00.63 ID:hkIl+OeA0.net
>>960
倭国大乱の跡なら鳥取最強

967 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:08:08.01 ID:hkIl+OeA0.net
>>965
ハズレ

黒歯国なんて、魏の時代の資料にはない。
山海経という妖怪百科事典みたいな本からの引用

968 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:09:02.56 ID:HOA5unS80.net
>>962
倭京とは太宰府のことだよ
九州年号にも倭京がある。

969 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:11:25.14 ID:Iv8gG0nm0.net
>>961
倭人は、扶余族やワイ族と、縄文人が交雑して朝鮮半島に生まれた民族
https://pbs.twimg.com/media/Dzr6bbAVAAE4YaS.jpg
https://i.imgur.com/USmmEcL.jpg


その後、半島の倭人が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。

その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が
白村江の戦いで勢力を弱めると、近畿の倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。>>

970 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:12:36.34 ID:m1qIUBSM0.net
>>968
九州年号なんか本物かどうかも怪しいし

971 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:12:56.96 ID:P9SvN5rM0.net
対馬、壱岐、松浦、糸島は二千年近く前から場所が特定できるすごい土地だよね

972 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:13:54.92 ID:f/o1kvpc0.net
関連スレ

【大阪】「邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力…」 百舌鳥・古市古墳群をテーマにした特別講演会に300人
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565707676

【奈良】飛鳥京跡苑池で「祭祀の場」流水施設遺構 水を使う祭祀、邪馬台国との関連指摘される纒向遺跡でも
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565708338

973 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:14:05.80 ID:KnEPOxhK0.net
>>970
記紀にしたってホントがどうかかなり怪しいと思うが

974 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:16:47.67 ID:2SaN/7hs0.net
>>969
画像2つとその与太話の関連性がないんだがwww

975 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:25:41.07 ID:HOA5unS80.net
>>963
方角は人の感覚で感じられたものだろう
東松浦半島内を南下して唐津市街地から東へ

976 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:28:25.59 ID:h1T8C0DW0.net
記紀で一番謎なのが、大和朝廷が九州からの被征服王朝だって書いてることだな
これは簡単に看過することはできない

977 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:39:40.92 ID:KnEPOxhK0.net
>>976
漢委奴国王の正当性を主張してんじゃねえかな
親魏倭王の権威を背乗りした後釜政権としちゃ背乗り背乗り言われるのもシャクだろうし

978 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:43:44.19 ID:HOA5unS80.net
>>964
吉野ケ里遺跡とかの甕棺から出てるから弥生時代初期〜中期

979 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:46:27.87 ID:2SaN/7hs0.net
>>978
弥生時代初期〜中期の実年代は?w

980 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:49:02.16 ID:EqqzEZ2A0.net
水行二十日や水行十日陸行一月は移動日も含めた滞在期間を表してる
距離を言いたいなら移動日数を里数に換算するくらいはするだろう

直線で二ヶ月も移動したら風俗も変わるはずなのに、滞在した伊都国周辺の風俗を倭国を代表するものとして紹介してるのなら、邪馬台国はそこからそれほど離れてない、日数は距離を直接には表してないと判断すべきだろう

981 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 12:50:06.75 ID:tFpONsgj0.net
>>979
当時は世界規模の寒冷化により食糧不足が起きてるから間違いなく倭国大乱に繋がるよ
もっとも他の地域でも似たような事は起こっていたと思われ

982 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:01:27.41 ID:2SaN/7hs0.net
>>980
九州にこじつけるために、創作した作文にすぎない

陳寿の認識では、会稽東冶の東に位置している
また一大率を刺史に例えているのは、邪馬台国が伊都国から遠くにあると考えていたことを意味している

九州にこじつけるために創作した作文など無意味

983 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:03:08.89 ID:h1T8C0DW0.net
>>977
大和朝廷自身が邪馬台国が九州だって認めてるやん

984 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:04:26.67 ID:zDEaC7VK0.net
日の本の御子ではなくて何時まで卑弥呼なんて呼ぶんだよ

985 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:24:24.59 ID:XWZ6NIj20.net
九州説は所詮エンタメ
学問ではない

986 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:29:41.69 ID:KnEPOxhK0.net
>>983
邪馬台国(親魏倭王)も漢委奴国も九州だよ
そして近畿勢は漢委奴国王の末裔
九州の親魏倭王の権威を近畿勢が背乗りしたと言われるのはシャクなので
自分たちは漢委奴国王の末裔だと正当性を主張したというところか

987 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:31:00.15 ID:tbvAvMXw0.net
>>973
まあ記紀は一応それらしき遺跡がでてくるからさ
前方後円墳とか出雲大社の柱とか、七支刀とか稲荷山鉄剣とか、斎宮跡とか

988 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:34:20.88 ID:nJlT2+3g0.net
基本的に海路で間違いないと思うよ。
奈良に西から来るルートは河内湖から淀川を溯上して巨椋池から平地を南下するルートが普通。
山を越えるなんて当時は有り得ない。

989 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:44:26.54 ID:nqczjcMYO.net
大海人のかあちゃんと勘違いしましたが、斉明一行は難波からのんびり筑紫まで3ヶ月かけたことは確か。この時代の遣隋使で博多から百済南まで1ヶ月。投馬は狗邪韓国で帯方郡から20日10日で卑弥呼国、徒歩は1ヶ月だよってことだね。

990 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:51:55.73 ID:tbvAvMXw0.net
>>989
大海人のかあちゃんは斉明で合ってるよ

991 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:58:26.13 ID:9pSYBemT0.net
大海人皇子とか完全に海人の血筋だよね、北部九州の
やっぱり神武東征は事実のようだ

992 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 13:59:11.00 ID:KnEPOxhK0.net
裴世清は筑紫から難波まで3〜4か月
紀貫之は土佐から和泉の灘まで(約250km)を39日かけて移動してるな

993 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 14:03:27.86 ID:ZtNSI1I00.net
台与につづき五王が、まだ朝貢しているときに書かれている西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝

帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里−対馬國

− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫

− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
アマテラスから奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地点

− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
王は出雲主王
長官「爾支(にき)」は出雲に派遣されれたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

− 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国

− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰

− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」

ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良)

九州説には該当する人物が全くいない

994 ::2019/08/14(水) 14:33:32.71 ID:bzmVLTUi0.net
>>947
語源は知らんが、読みは「ちくし」じゃなかったっけか。
筑波山のように「つく」と読むのは東国っぽい。

995 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 14:37:40.75 ID:adZjfZEA0.net
>>993
時代がムチャクチャ
妄想にしてももう少し整合性を取れよ

996 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 14:44:26.60 ID:hkIl+OeA0.net
>>994
ちくしってどういう意味なんやろ?

古い土地だから訓読み和名で元ネタがある筈なんだけど、それっぽいのが本気でツクシぐらいしか思い付かない。

997 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 14:49:40.31 ID:ZtNSI1I00.net
>>995
時代がムチャクチャなのは九州説

九州で出土する「硯(すずり)」にしても、「鏡」にしても、「鉄」にしても
九州の三雲・井原遺跡の古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡などの、すべての遺跡にしても

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていないのに

なんの根拠もなく邪馬台国のものだとデマを流している

998 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 14:57:38.43 ID:LHm9Ds170.net
筑紫の語源については、築石の他に、

アイヌ語のチ・クシ・ペッ(われらの越える川)からきた説と
https://www.bojan.net/2019/07/13.html

倭人はもともと中国からの渡来人で、
故郷である越(コシ)が訛った説がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E4%BA%BA#%E5%91%89%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%80%AD%E4%BA%BA

999 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 15:27:01.01 ID:XWZ6NIj20.net
九州説は月刊ムーでやれ

1000 :名無しさん@1周年:2019/08/14(水) 15:35:27.33 ID:Ikc+P1EN0.net
1000ゲットーーーっ!

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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