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【考古学】最古級のすずり 内陸部にも 朝倉・下原遺跡で出土、弥生中期中頃 黒色顔料が付着 福岡
- 263 :名無しさん@13周年:2019/07/08(月) 20:18:00.75 ID:Z94C2DEeN
- 2、3世紀ぐらいの硯が奈良から出てきたら、それはもう倭国の首都が既に奈良だったという証拠だろう。
北九州との連絡は、もはや文書でできるということ。
距離の制限は一気に無くなる。
そもそも金印とは文書を封印する時に使う道具だ。
飾りではない。
金印を貰う以上は、文書行政をしてたことになる。
もし奈良から出ないなら、この時点で、まだ奈良は文書発出機能が無かったことになる。
まだ植民政府だ。
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