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【国際】不倫は死刑、同性愛も死刑、窃盗は手足切断・・・イスラムの教えにもとづく新刑法を適用開始 ブルネイ

413 :名無しさん@1周年:2019/03/28(木) 13:27:21.77 ID:yMzmKtaV0.net
>>402の続き

それでも木村氏はオマル青年と同行して、慎重にイバン族を訪ねて説得する努力を放棄せず持続させた。
こういった説得作業と並行して、様々なインフラの構築でイバン族の居住地域を優先的に適用するための努力を継続した。
その結果、少しずつイバン族の人々の心が開かれ始めたし、イバン族の人々も最終的に木村氏を信頼し始めた。
最終的に木村氏のさまざまな努力のおかげで、イバン族と他の部族との間の関係は、徐々に良くなっていった。
狭い土地なのに多民族で構成されていて、たくさんの葛藤が絶えなかったブルネイは、最終的にお互いに協力して一つになるという雰囲気が造成された。

しかし残念ながら木村氏の努力は長くは続けられなかった。
木村氏がブルネイ県知事に任命されて一年余り経ったとき、日本政府からマレーシアに移動するよう命令を受けたからだ。
木村氏には物足りなさが大きな一年だったが、ブルネイ人にとっては木村氏と共に過ごした一年は奇跡の一年だった。
短い時間だったが、その時間で決定的にブルネイの人々の思考が変わり、行動が変わり、生活が変わるきっかけになった。
ブルネイでの最後の日と関連して、木村氏は手記にこう書いた。

<わずか1年だったが、地元の幹部が別れを迎えて私の前で泣き続けた。私も涙が出てしまった。去る最後の日、地元の幹部とほぼ1時間半に渡って、互いに惜別の物足りなさを分かち合い、共に過ごした。
彼らを見守りながら、この人々が私を本当に信じてくれたという気がして嬉しく、とてもありがたかった。一年間それなりに苦労をしたことが、それでも多少なりともここの人々のために有用だったと思って、初めて安心した。>

木村氏がそのようにしてブルネイを去ってから22年の歳月が流れた時点(1964年)で、木村氏は日本で検事として勤務していた。
木村氏はブルネイを去って以来、よくブルネイを頭に思い浮かべた。
しかし当時の日本は、1963年までは、正式業務や留学目的以外の理由での海外渡航を規制されていたため、木村氏は当時、個人的にブルネイを訪問するということは考えられなかった。
ブルネイ国王に宛てた手紙でも一度送ってみようかとも時々考えたが、当時の日本は敗戦国の立場だったので、そういうことも簡単に行動に移せなかった。

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