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【皇室】秋篠宮家 佳子さま、ICUを卒業「意義ある経験」 眞子さま結婚「姉の希望がかなう形になってほしい」 ★6

852 :名無しさん@1周年:2019/03/24(日) 23:39:17.90 ID:LsAIl0+B0.net
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>天皇に霊力があるという説はそれ以降、吉田兼倶(室町時代)の仏教(釈迦)・儒教(孔子)のトンデモ日本起源論・パクリ・ウリナラファンタジーによって強化され
>神話化されていったが、それ以前は仏教と儒教(律令制などの身分制度)を重んじる君主としての役割が強かった(仏教に反対した神別氏族物部は奴隷にされる)

仏教と儒教を広めた聖徳太子(十七条憲法は儒教そのもの)という伝説が生まれたわけだ

本物の神風はオカルト祈祷師が欲をかいて、幕府内の迷信を利用して金をせがんだものであり美談ではない

神風というオカルト祈祷師の迷信による恐喝・迷惑行為による創作神話が、皇統の維持に大きく寄与したのは間違いないだろう
神風オカルト神話によって民族主義が芽生え、それによって皇統神話が形成されたが、その神風神話・神州不滅神話はアメリカによって無残に殲滅される憂き目にあった

世界大百科事典内の神風の言及
【神国思想】より
平安時代には対外意識が鮮明になることは少なかったが,後期になって朝廷の権威が衰えはじめると,
皇統の一系と神々の加護を説く神道思想が整えられるようになった。鎌倉時代の半ばに元の軍勢が来襲
したとき,異敵調伏の祈禱の中で神国思想が強調され,敵国の船団を壊滅させた風は神風と呼ばれた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
鎌倉期の神風観
文永の役において元軍は神風で壊滅し日本側が勝利したという言説が流布した背景として、当時の日本国内では元寇を日本
の神と異賊の争いと見る観念が共有されており、神社や寺による折伏・祈祷や歌詠みは日本の神の力を強める(天人相関思想)
と信心されていた。そのため、元軍を撃退できた要因は折伏・祈祷による神力・神風であると神社等は宣伝し、幕府に対して恩賞を求めた。

また、敵国調伏や加持祈祷によって日本の神や仏も戦闘に動員され元軍を撃退できたとする観念は、各社による「神々による軍忠状」
という形で現れ、戦後も幕府に対して各社による恩賞の要求も激しかった[218]。元寇における神々の活躍例を挙げると以下のよう
なものが見受けられる。

寺社縁起『八幡愚童訓』によると、日本軍が水城へ敗走した後、松原に陣を布く元軍に八幡神の化身30人ほどが矢を射掛け、
恐れ慄いた元軍は海に逃げ、さらに海から炎が燃え巡り、その中から現れた八幡神を顕現したと思われる兵船2艘が突如現れて
元軍を皆討ちとり、辛うじて沖に逃れた者には大風が吹き付けられて元軍は敗走したという[185]。同様の話は『一代要記』に
もあり、大宰府軍(日本軍)が敗北した後、神威を顕現したと思われる兵船2艘が現れて元軍と戦い、これを退散させたとしている[219]。

また、肥前国武雄社では、戦後の論功行賞から漏れたため、幕府に以下のように文永・弘安の役における勲功を訴えている。
『武雄神社文書』によれば、文永の役の際の10月20日の夜、武雄社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、結果、元軍は逃げ
ていったとしており、また、弘安の役に際しても、上宮から紫の幡(のぼり)が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたという[220]。

幕府は、こういった各社による軍忠状に対して神領興行令と呼ばれる徳政令を各社に対して3度も発布し、恩賞に当てた[221]。

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