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【歴史】吉野ケ里遺跡で弥生時代後期のすずり。有明海沿岸で初。佐賀県教委発表

1 :記憶たどり。 ★:2019/03/14(木) 11:32:19.98 ID:KqMMqTwn9.net
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/494037/

佐賀県教育委員会は13日、国特別史跡の吉野ケ里遺跡(同県神埼市、吉野ケ里町)で出土した
石製品が弥生時代後期のすずりとみられると発表した。すずりは北部九州を中心に相次いで確認されているが、
有明海沿岸では初めて。県教委は「吉野ケ里では中国大陸や朝鮮半島の遺物が出土しており、
すずりは有明海を通じた対外交流を裏付ける史料の一つ」としている。

すずりは、弥生後期の竪穴住居跡から1993年に出土した。長さ7・8センチ、幅5・2センチ、厚さ1・0センチ。
長方形の板状に整形され、全ての側面が磨かれているため、完成品とみられる。表面にこすったような跡が残る。
ただ、墨が付着した痕跡は確認されていない。

鑑定した国学院大の柳田康雄客員教授は「中国のすずりと似た長方形の完成品としては国内で最古ではないか」としている。

また、95年に遺跡内の溝跡で出土した石製品は、墨をすりつぶすときに使う研石(長さ3・8センチ、幅3・5センチ、厚さ0・5センチ)
とみられるという。すずりと研石が佐賀県内で見つかったのは中原遺跡(同県唐津市)に次いで2例目。

県教委はこれまで、石製品2点について「用途不明」としてきたが、玄界灘沿岸などですずりが発見されたことから、形状などを再確認した。

県教委は14日から4月上旬まで、吉野ケ里歴史公園で展示会を開く。

2 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:32:46.00 ID:u7s+QLuq0.net
ゴッドハンド?

3 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:33:11.39 ID:dYwY/rZ/0.net
韓国人が伝えた物な

4 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:34:04.21 ID:iK6uG5dQ0.net
これは見事な仏像ニダ

5 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:34:00.27 ID:Kc1wyDlP0.net
これは見に行くしかない。歴史的に貴重な品物。

6 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:34:24.21 ID:vR4bgaI50.net
魏志倭人伝の世界そのものです、
近畿には土偶しかない

7 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:35:08.42 ID:f6n45GTs0.net
やっぱり吉野ヶ里が伊都国だろ

8 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:35:18.40 ID:5Khmahxj0.net
墨は掃除洗濯が大変なので嫌い。

9 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:35:25.89 ID:6IdSsXI+0.net
文字を書くためじゃなくて、入れ墨用なんだろうな

10 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:35:28.02 ID:rg74YxxU0.net
裏に くれ竹 の刻印が・・

11 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:36:08.53 ID:5NtZMnvU0.net
>>3
今の韓国人の先祖のエベンキが、半島に移動してくるより前の時代です。

12 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:37:06.63 ID:okd60lkE0.net
>>8
先週の水ダウで最強のシミが墨だったw

13 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:40:23.84 ID:xDynApZjO.net
やまたのおろちなる魔物に皆々困り果てておりまする。

14 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:42:00.85 ID:vR4bgaI50.net
吉野ヶ里のヒミカちゃんまだいる?

15 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:42:36.02 ID:zXudigIE0.net
後期なら文字も入ってきてたろ
国が大きくなって農業生産力が上がったら絶対に記録が必要になる
馬よりも前に特殊技能者として入ってきてたはず

16 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:44:30.13 ID:sbUeVjm10.net
石包丁とどう違うの?

17 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:44:57.16 ID:SsRikpec0.net
>>3
その頃にはもう韓国人は須恵器レベルで日本より数百年進んだ技術を持っていた。

18 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:45:41.10 ID:txOmq0UE0.net
────────────────確定
対馬国 (対馬)
一大国 (壱岐)
────────────────九州北部
末廬国
伊都国
奴国
不弥国
────────────────不明
投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)

19 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 11:59:30.32 ID:J1OX/Qzq0.net
>>3
馬韓人のことか?

20 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:05:45.99 ID:OZdjgubc0.net
>>3
日本史に中国との交易の話は出てくるが、朝鮮半島との交易の話は出てこないな

21 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:13:05.40 ID:itB9X4B00.net
近畿には桃の種があるから(震え)

22 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:16:12.52 ID:hIuzpWNw0.net
ここは渡来人の集落なんかな?

23 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:17:57.54 ID:RufvwMRy0.net
貿易には必要不可欠だな

24 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:18:22.29 ID:Q5iZ/k/D0.net
朝鮮半島から来たのは確実

25 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:24:55.52 ID:H7KM8aFp0.net
朝鮮からきとるなら
卑弥呼も魏に直接いかんわな。

26 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:25:28.24 ID:514M020l0.net
##MS##今日はホワイトデー##ME##

27 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:28:19.29 ID:SbnDABLK0.net
>>3
だな
韓国人だろうな

出雲博物館に訪れた時も、
展示物の銅鐸を見てたら、案内人のかわいい女の子が
銅鐸は韓国から来たんですよって言ってたよ
朝鮮半島ではなく、はっきりと韓国からと言っていたことに衝撃を受けたわwww

28 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:30:34.99 ID:hFPIB2aJ0.net
吉野ヶ里をよしのがさとと読んだら恥をかきました
まさかのよしのがり

29 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:36:33.09 ID:hIuzpWNw0.net
鐸は越の墓から陶製の鐸が見つかっていて、現地の学者は銅鐸の起源ちゃうかと言っていたな
下戸遺伝子の分布と被るし中国由来やろな

30 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:39:16.09 ID:T3TyYcgB0.net
>>3
2大強国をつなぐ渡り廊下

31 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:40:02.72 ID:o4h0mJit0.net
>>1
硯で習字していたの?

32 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:46:32.37 ID:t0Cbn6ft0.net
>>18
水行は韓国の出発点から

>>1
文字の無いところに邪馬台国は無い
やっぱり邪馬台国は九州にあった

33 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:53:33.54 ID:txOmq0UE0.net
>>32
その考え方もあるな
だとするなら帯方郡から末廬国まで水行で10日となる

34 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:57:22.48 ID:mNrF2C4z0.net
>>32
何の根拠もないし、学会も認めてない>出発点
そのほうが都合が良いから無理矢理読んでいるだけ
まさに古田カスと同じ論法

35 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 12:58:22.59 ID:mNrF2C4z0.net
そもそも水行は川を船で移動する時に使われるものであって海には使われないと
べつの九州論者が力説してただろw

36 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 13:21:00.95 ID:/cbXit5yW
文字の使用が古くからあったのは当然だろ。交易するのに必須のものだから。じゃ、なぜ記紀の成立が遅れたのか? これは、日本の固有名詞(地名や人名、日本固有の動植物など)を漢字で表記する方法がローカルごとに違っていて、この統一表記がずっと後に成立したからだ。

37 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 13:23:34.24 ID:/cbXit5yW
畿内説はタワゴトだwww 文字という遠隔通信手段なしに広域国家の成立などあり得ない。考古学者の頭のレベルではこんなこともわからないらしいな。何しろ「縄文文明」などというタワゴト中のタワゴトを平然と言えるんだからwww

38 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 13:25:58.25 ID:fI60c9rA0.net
韓国に返却しろ

39 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 13:56:33.54 ID:g9nVU2ZE0.net
春秋戦国時代あたりか?
まだ漢字も統一されてないようだし弥生人は字書けたんやろか

40 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 14:07:26.05 ID:D+pyPv+Rc
>>37
インカ帝国もアステカ帝国も文字無いけどな。

そもそも、九州から近畿までなんて、世界的に見れば広域国家の内には入らん。
ゼロから国家概念を発明した訳でもなく、とっくに巨大文明となっていた中国の影響を受け、一世紀には既に朝貢してたのだ。
実質的には中華文明の周辺小地域の話に過ぎん。

さらに、その時点から邪馬台の時代まで、二百年も経っている。
むしろ二百年、なんで九州から一歩も出なかったと確信できるのか、その方が不思議だ。

41 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 14:07:05.32 ID:P+DaP0X/0.net
昨日行ったけどアンケートに
アトラクションとして最低なんて書いてあった
以前は見学者の態度が悪いと叱りつける
ボランティアのガイドが居て頼もしく思ってたけど
少し見学者を甘やかし始めたかな

42 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 14:16:36.59 ID:E/wRVWep0.net
漢倭奴国王印の時代から200年後の魏志倭人伝の時代には、
奴国は南北に分裂して邪馬台国連合の南奴国は吉野ケ里にあった。
ちなみに北奴国は大国主の出雲国と連合して邪馬台国と対立していた。
久留米の不弥国から邪馬台国の投馬国に小舟で水行したのは、有明海
が泥の海のため、筑後川河口の久留米:不弥国が邪馬台国への公式な
出入り口になっていたからだ。
魏の使節から見たら有明海は湖にしか見えなかったし、さらに球磨川
を水行して邪馬台国に向かっている。

43 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 14:18:20.48 ID:3962xAxn0.net
ちょっとしたOパーツ

44 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 14:22:20.64 ID:K8kGk3TL0.net
すずりが何か分からないけど飾ってありがたがってたのか

45 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 15:03:53.85 ID:/cbXit5yW
インカには漢字やアルファベットのような文字はないが、縄の結び目を使って文字の代替物としていた可能性が高いという説があるね。普通に考えて遠隔通信手段がなくて、広域支配は不可能だからこういう説が出てくる。通信手段がなければすべてが「対人伝達」になる。

46 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 15:26:17.35 ID:QbHDPEKW0.net
まーたゴッドハンドか

47 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 15:40:34.49 ID:t0Cbn6ft0.net
>>34
上は行程と距離
下は日数を記載
これを繋げて読むから不可解になるんですよ
そして陸行一月は伊都国に留まる日数を含んでるから
邪馬台国まで実質はもっと短い

48 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 15:51:33.54 ID:1Agx7Ed1J
>>45
その為の「インカ道」とか?

49 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 15:52:04.52 ID:4qUVrK160.net
弥生人は漢字は知ってたけど紙を知らなかったのかな?

50 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 16:22:12.26 ID:pMgeidOZ0.net
釣り針を作ってたんじゃないの

51 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 16:32:48.94 ID:olsNaidb0.net
墨のついてない硯なんてあるか?
宝飾品の製作途中じゃねえのか?

52 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 17:21:28.48 ID:RQbmhIb4R
インカ帝国は、小部族単位の自治を基本とし、地方領主みたいのに間接支配させる社会だったのです。
地方分権の傾向が強いほど、情報伝達量は少なくて済む。

中国のように、王に全ての権力が集まる中央集権体制だと、王の決裁が無ければ何もできない。
だから膨大な情報伝達と、官僚機構が要る。

古代倭国が、ある程度の国家概念を持っていたとして、それはインカ帝国的な部族集団的なものだったか、あるいは中華帝国的な中央集権的なものだったか。

53 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 17:27:57.06 ID:0tP+seX6D
>>51
墨というのは、大量に文字を書くようになってから発明されたもので、その前身は紅花ですよ。

元々は紅花で全て書いてたのです。
後に宛名(それも偉い人あて)以外は墨で書くようになりました。

現代は、書道の名前の下にハンコ押すときだけ紅花を使う。
更には、赤い塗料のシャチハタなどに変化している。

もしこれが硯だとして、当時の日本の状況では、摩ってたのは紅花ではなかろうか。

54 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 17:48:19.76 ID:ELJbNbQB0.net
文字を書いたのか、それとも印を付けたり線を引いたりする目的か?
後者だと思うけど

55 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 18:16:45.10 ID:H4I+XFRFI
衣服の装飾とか、顔の刺青とか

56 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 18:17:11.35 ID:6acg0ye10.net
>>29
稲のプラントオパールも岡山で6000年前に発見されてるし、ほとんど河姆渡遺跡と買わない頃だし
呉越人って言ってるけど同じ人種が日本から江南にかけて住んでたってだけじゃないの?縄文時代からずっと
それが証拠に中国本土は倭人いなくなって日本とベトナムとか朝鮮にしかいないし

57 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 19:04:05.89 ID:Vlmea7yRO
なぜ交流だの渡来だのと苦しい解釈に拘るかなあ。
普通に渡来人が住んでいたと考えるべきだろ。
稲作が大陸から伝わったとか、あんな手間と時間の掛かる耕作方法が伝わるかよ。
コメを食う人々が大陸から移り住んで開墾したんだよ。
主食が別の食物に変わるなんてことは有り得んよ。

58 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 19:22:20.32 ID:/H1y/lb8p
無論、渡来人も住んでいたろう。
人類発祥はアフリカなんだから、アフリカ以外の全ての地域は、元は何らかの渡来人が拓いた。
それが歴史時代より前のことなら、神話にしか残らない。
もし神話にも残らぬほど遥か昔のことなら、現代の感覚としては、渡来人ではなく、原住民と見るだけのことで。

日本の場合は、遺伝子的に、北方からも南方からも血が混じってる。
何度となく波状的に渡来して、段々と現在の日本人が形成されたのであろう。

59 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 19:38:15.55 ID:/H1y/lb8p
インカ帝国は古代文明と目されてますが、実は年代的には、せいぜい織田信長とか豊臣秀吉とかの頃のもの。
彼らは完全に神話的世界観のまんま、日本に五百年ぐらい遅れて、自力で独自文明を進化させていました。
自称の文明史は長いが、マンコ・カパックの後「欠史7代」で下駄履かせてるだけだし。

もし渡来人がもたらした中華文明による加速効果が無ければ、日本もまたインカ帝国のようなものであったでしょう。

例えば奈良時代の渡来人が、日本の仏教文化を築いたことは、誰も否定しない。
だからって、奈良の都に住んでたのはみんな渡来人だ、とか言い出したら狂人だが。

60 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 20:39:10.71 ID:9PpKeR4M0.net
まあ普通に考えて教養ある人間が
北に1キロそこから南に2キロそれから車で3時間行って船で1時間なんて説明せんわな
なんでやねんって素人のツッコミ入るレベル

61 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 21:05:02.45 ID:OyvcSCYB0.net
でも、邪馬台国は台湾なんだけどね。

62 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 21:10:35.79 ID:OyvcSCYB0.net
>>27
銅鐸の起源は中国だよ。

63 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 21:43:03.75 ID:hsZ02gPX0.net
福岡平野は、弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、福岡の遺跡と比べるとこれらは規模が小さく、どんぐりの背比べである。

64 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 21:51:55.00 ID:xMgZzvPO0.net
>>35
從郡至倭、循海岸水行、?韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。

ここは思いっきり海上移動を「水行」と書いてるわけだが

65 :名無しさん@13周年:2019/03/14(木) 21:54:09.82 ID:FH8ipdzaE
>>62

朝鮮民族は嘘を広めるためには努力をおしまないな!

66 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 22:07:18.60 ID:lYgnxx8B0.net
入れ墨用じゃないの?

67 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 22:23:50.10 ID:7lEpWvwm0.net
>>64
その文では「海岸水行」とそこが海であることが明示してあるだろ
何も説明がない場合は川なんだよ

言葉には暗黙のうちに対象を指定しているものがあるんだ
例えば「飲みに行く」と言ったら飲むのは水でもジュースでもなく酒のことだと分かるだろ?
それは飲むという言葉には酒が暗黙の対象として指定されているってことなんだよ

でも「水を飲みに行く」と対象が水だと明示されていたら誰も酒を飲むんだとは思わないだろ?
それと同じことなんだよ

68 :名無しさん@1周年:2019/03/14(木) 23:58:09.15 ID:X1Z+oQpR0.net
>>67
川を「水行」とした例を示してくれ

69 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 00:35:59.27 ID:XXQ8yd/R0.net
>>68
史記

70 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 00:42:48.58 ID:KyInEHfD0.net
吉野ヶ里まだ発掘しとったとね

71 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 01:06:17.71 ID:HTjhNIn90.net
>>69
三国志の中で「水行」が川の例は出せないということだな?
つまり、九州説が得意の嘘だったわけだ

72 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 01:07:27.60 ID:SKvXG0Y+0.net
>>1
> ただ、墨が付着した痕跡は確認されていない。

さては、使い方が分からなくて飾っていたなw

73 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 01:54:40.58 ID:TptWD7Id0.net
>>71
意味不明
言葉の意味は陳寿が決めてるわけじゃないぞ
そんなイチャモンをつけるなら海と明示せずに海を水行した例を出してみろ

畿内説がよくやるイチャモンに三国志の他の記述では順流、斥流を使っているという詭弁があるが、
それは中国国内の河川は流れの向きがどちらか陳寿が知っているからそう書けたのであって、
未知の土地である倭国の川はどちらに向かって流れているか陳寿には分からないのでそうした表現は使えない
倭を訪れた使者が水行としか記してなければ陳寿もそのままそう書くしかない

74 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 02:16:59.96 ID:l+fX+QLL0.net
>>60
放射説もあるし
新宿から北に行けば池袋、南に行けば渋谷、中央線で東に行けば東京、そこからフェリー乗ったら小笠原

そんな説明があってもいいだろ

75 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 02:21:43.20 ID:l+fX+QLL0.net
>>71
単純に現代語の「水行」だと水が流れていくことの意味だから
川でも海でもどっちでもいい

76 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 04:07:41.53 ID:bH2sW6oJ0.net
>>49
中国も紙が使われ出すの後漢以降よコスパ悪くて竹優勢だった

77 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 08:56:37.36 ID:zh6TJaf20.net
邪馬台国は筑後川上流で間違いない

78 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 09:28:42.96 ID:qPJYKk4p0.net
畿内で硯は見つかってるの?

79 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 09:29:18.48 ID:HTjhNIn90.net
>>73
・「水行」とは川の場合だけ
・海を移動する場合は、必ず説明をつける


こんなルールがあると言い張ったんだから、立証義務があるのはおまえの方だ

実際、三国志の中で川の移動には、「順流」「斥流」が使われている
川の移動を「水行」とした例はない

トンデモ言い張りたいなら
・川の移動を「水行」とした例をはやく出してくれ
・「水行」だけでは海の移動にならないというルールが書かれている文献出してくれ

80 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 09:30:48.57 ID:HTjhNIn90.net
>>75
「水行」とは川の場合だけで、海の場合は必ず説明がつくと言い張ってるのは九州説論者の方

81 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 13:29:09.38 ID:1Joc1B1x0.net
あのさ魏志倭人伝に循海岸水行と答えがあるの知らないの?

82 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 14:17:41.41 ID:VKzlu7zT0.net
2019/02/21
【考古学】北部九州に紀元前の硯製作跡 国内の文字使用開始、300年以上さかのぼる可能性[02/19]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1550732843/43-45

83 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 15:26:53.43 ID:64DC49pN0.net
水行が川だけとか、無理筋の屁理屈詭弁
というか、川では他の漢字を使っている以上、普通に考えれば水行は海だよな
循海岸水行とあって、その後の水行だから循海岸が省略されてると読むべき

84 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 15:56:11.26 ID:XBHSLgNU0.net
弥生さんが吉野ヶ里して、なんだっけ?

85 ::2019/03/15(金) 20:08:18.90 ID:UTsX+2Jh0.net
「水行」議論が盛んだが、そんな混乱することじゃないだろと。
水行は単に「水ヲ行ク」というだけの意味で、「川だけだ」「いや海もあり」「いやいや、海岸水行は
ありだけど渡海は区別すべき」などなどの議論は、そもそも無意味なのだ。みんな水行く。
同様に、「徒歩」「騎行」は手段による分類で、「登山」は場所による分類だけど、
すべては「陸行」の部分集合だよね。

その上で俺は、水行の対義語である陸行の「陸」の意味にこだわりたい。
陸という漢字の字義は「丘や山がうねり続く、堅固な大地」である。
つまり、当時形成されつつあった筑後川下流域の沖積平野の湿地帯は、「陸」ではない。
葦茂る湿原とラグーンが連続する「水域」なのだ。
これが「水行十日」のカラクリではなかろうかと。

86 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 22:10:03.07 ID:QhSz747x0.net
摺り跡はあるけれど墨跡はない
でもこれはすずりで間違いないとかw
さすが九州の研究者は違うな

87 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 22:14:28.79 ID:RgpnnIpY0.net
携帯ゴマすり

88 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 23:37:07.26 ID:tg5TIpiU0.net
>>85
苦しすぎるわ
徒歩か船かの違いだろ

89 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 23:48:43.56 ID:EkBlXtpw0.net
『翰苑』
・邪馬台国は帯方郡(ソウル近辺)から15000里(約1115km)のところにある。
・九州上陸後、500里(約38.5km)東南に伊都国(糸島平野)があり、その南に邪馬台国がある。
・斯馬国(糸島半島)は伊都国の隣にある。
・邪馬台国は伊都国に近接していて、その向こうに斯馬国が続いている。

90 :名無しさん@1周年:2019/03/15(金) 23:58:08.34 ID:kZ+pmSKF0.net
すずりだったとして、書いていた文字は神代文字か?

91 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 01:39:49.11 ID:YDg/fGxV0.net
>>79
こちらはすでに史記というソースを提示したのだからトンデモを言っているのも反証しなきゃいけなくなったのも君ですよ
反証ソースが無いなら君の負けです

>実際、三国志の中で川の移動には、「順流」「斥流」が使われている
もう論破された詭弁を何度繰り返す気なの?
だからそれは陳寿が中国国内の川の流れの向きを知ってるからそう書けただけ
陳寿にとって未知の土地である倭国の川は向きがわからないから流れに沿っているのか逆らっているのか陳寿には分からない
倭を訪れた使者が水行としか記してなければ陳寿もそのままそう書くしかない

92 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 01:45:27.88 ID:G8SgduOv0.net
半島南部を中継地点に楽浪郡や帯方郡と交易してたんだから文字くらい使ってただろう

93 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 01:47:31.77 ID:YDg/fGxV0.net
>>81
>>67

94 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 01:54:44.28 ID:YDg/fGxV0.net
>>85
それは現代日本人の発想なんだな
中国語の「水」にはもともと「川」という意味があるんだよ
http://www.zdic.net/z/1c/js/6C34.htm
> 2. 河流:汉〜。湘〜。

三国志を読めば淮水とか渭水とか出てくるけど全部川
「河」は黄河、「江」は長江でそれ以外の中小の水系は「水」なんだよ

95 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 02:03:12.38 ID:rOY7V1/l0.net
吉野ケ里は古代の重要なクニ(伊都国か邪馬台国)。
シナ王朝の魏と文書をやりとりをしてたからシナ語が読み書きできるのは当然。

一般人が貿易(国内、国外)で記帳してたのは糸島や博多の硯からも明らか。
縄数字から進歩した記帳法があったのだろうが、独自の印だったかどうかは
明らかではない。

96 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 02:56:54.74 ID:rOY7V1/l0.net
>>35
いや海岸沿いに海を行く場合だけどいきなり「水行」を使ってるよw
「從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里」(魏志倭人伝)

「'水'は淡水に限る」というのは、原文を読んでない人の空論法w

97 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:00:25.61 ID:m806ugsg0.net
こりゃ畿内にあった邪馬台国の出張所である九州北部が
中国や朝鮮との貿易の玄関口としても使われていた可能性高いな

98 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:12:07.39 ID:ah/Y7lEM0.net
>>97
んな訳ない
畿内説は破綻している

99 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:13:31.16 ID:YDg/fGxV0.net
>>96
>>67

100 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:20:01.43 ID:rOY7V1/l0.net
>>99
ヘリクツ不要

101 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:24:22.56 ID:+wlB921R0.net
邪馬台国徳島説で

102 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:26:09.57 ID:SOFbAreP0.net
つまり、邪馬台国は日本の地方王国だったんだね。

103 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:39:12.63 ID:rOY7V1/l0.net
>>102
そうだね。女王(=卑弥呼)連合は地域の1連合国

なぜかそれに「倭国王」と認定してしまい、「倭人伝」を書こうとしている著者が
他のソース(魏略にはない)から引っ張って、変に他の連合を加えてしまったのが
次の2行。

南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬台国 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳? 可七萬餘戸

邪馬台國はヤマト連合のことだと思う。
行ったことのない著者はそれを女王国だと思ってしまった

104 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:42:00.55 ID:YDg/fGxV0.net
>>100
反論できません、と

105 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:03:55.15 ID:4AGXBDcA0.net
神代文字は否定されてるから

106 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:17:17.68 ID:L2FxpCOQ0.net
(´・ω・`) 硯の議論じゃなくなっとる・・・

107 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:19:37.21 ID:mFSB9C4/0.net
ふぐり?

108 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:24:30.87 ID:22xpSG2y0.net
徐福が持ってきたか

109 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 08:22:52.13 ID:jDArVoJZ0.net
床の間に飾っていたのかなあ
古事記(712年)が日本最古の書物じゃないの?稗田の阿礼が暗記していたのを太安万侶が筆記したと言われる。

110 :名無しさん@13周年:2019/03/16(土) 09:19:15.01 ID:oHxOnrgRR
漢字を使用していたことに何の疑問もない。純粋な外国語として使用していたはずだ。そして漢字を使って日本の固有名詞(地名、人名、動植物の名)の表記にまで至っていた可能性も大きい。だが、この表記法は間違いなくローカルごとにバラバラだった。

111 :名無しさん@13周年:2019/03/16(土) 09:20:35.99 ID:oHxOnrgRR
>>109
  >床の間に飾っていたのかなあ

  日本人は古代から優秀だったはずだぞ。お前は低能の朝鮮人だろwww

112 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 20:44:22.63 ID:aUBRJDLw0.net
>>7
伊都国は糸島半島だろ

113 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:04:05.69 ID:wfRanEF00.net
>>112
当時の伊都国は大きな国で、山々を越えて筑紫川河口の有明海沿岸も
支配してた可能性があるね

114 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:04:20.07 ID:E8hm5DJt0.net
>>83
キナイコシ毎回わいてくるな
24時間邪馬台国スレを監視するキチガイ

115 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:18:00.78 ID:dyLKGg9b0.net
>>112
末廬國=松浦=唐津だとすると
そこからJR唐津線沿いに「東南陸行五百里」するとちょうど佐賀平野に出る
吉野ヶ里遺跡の位置だと奴國か不彌國あたりでもおかしくなさそうな気もするけど

伊都國=糸島、奴國=那の津説みたいに書いてある里程や方角を無視して
読むのではなく、素直に読めるから個人的には説得力あると思う

116 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:19:44.73 ID:wfRanEF00.net
>>113訂正
あ、川は筑後川。筑紫平野を流れる川の意味

117 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:23:10.11 ID:HQEeIiq60.net
偉大なる天津神天孫族である大韓民族が文字を知らぬ猿である倭猿を統治していた

118 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:33:23.27 ID:6Skqhfmj0.net
奴国は志賀島を含める地方じゃないと金印の説明ができない
奴国の規模を考えると福岡市一帯の可能性が一番高いんじゃないの?

119 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:39:00.91 ID:wfRanEF00.net
>>117
それにしては日本の前方後円墳が、半島南端でたくさん見つかってるのがヘン。
http://livedoor.blogimg.jp/bungchanblog-kodaishi/imgs/7/3/73b57fed.jpg
前方後円墳は支配者のものだからね

120 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:45:33.50 ID:kaiWsuej0.net
>>16
石包丁には、
右利き左利きがあるけど
硯には無いだろw

121 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 21:52:17.29 ID:n4/3rth70.net
王仁博士が千字文と論語を伝えたとされる時代よりはるか前?

122 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 22:11:18.19 ID:wfRanEF00.net
>>121
「王仁博士」でググってみたけど伝説上の人物でよくわからない。
けど百済から来たのが本当なら、百済は4世紀前半〜7世紀末までの国。
吉野ケ里遺跡が弥生終期で1世紀〜3世紀。
だからこの硯はかなり前の時代になる

123 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 22:20:49.69 ID:dyLKGg9b0.net
>>118
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/sio/file/kiyou7/no07_03.pdf
>筆者は、「漢委奴國王」について、その「奴」は漢の北方の匈奴と対比して
>付けた「奴」であると考える。

124 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 22:26:30.42 ID:dyLKGg9b0.net
>>123
>古田武彦氏は「漢の委の奴の國王」つまり「AのBのC...」と読む「三段細切れ独法」は
>古代中国の印文には他に存在しない

この説明で納得してたけど
読み直してみるとこれ言ってるの古田武彦かぁ
本当なのかな

125 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 23:03:55.44 ID:dIHhXNRj0.net
縄文系の神代文字(カナの祖先形)はナタで刻む文字だったかもね
硯で墨をすったのは、中国の漢字を書く用途でしょう(貿易やってたし)

126 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 00:08:41.86 ID:8Va+h1bt0.net
>>125
伝統的に商家は商家ごとに違う「暗号」を使ってた。
「スーヒー」(例えば2とゼロの意味)とか他の商家が見てもわからない暗号。
50音用の記号だけあれば良かった。
つまり倭字=仮名は怪しい存在。元は漢字なのかもしれないが・・

127 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 00:14:43.22 ID:wfxG8U6v0.net
紐の結び目さえあればいい

128 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 00:46:30.81 ID:nUxMMbeC0.net
>>91
>陳寿にとって未知の土地である倭国の川は向きがわからないから流れに沿っているのか逆らっているのか陳寿には分からない
>倭を訪れた使者が水行としか記してなければ陳寿もそのままそう書くしかない

屁理屈を言うための作り話だよな
九州説ってなんでこういう嘘つくんだろうな

129 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 00:47:34.26 ID:+pFV0YWT0.net
>>123>>124
委奴国だろうと奴国だろうが発見されたのは志賀島
この金印と魏志の奴国が違うと考えるのか?
その根拠は?

130 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 00:57:35.54 ID:JT+D/O/E0.net
>>128
いや全部本当のことじゃん
陳寿は倭に行ってないんだから当然倭にある川の流れなんて知らんだろ
言い負かされてレッテル張りとか恥ずかしいぞ

131 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 01:16:55.67 ID:nUxMMbeC0.net
>>130
じゃ、その証拠出して

132 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 01:21:41.15 ID:oZx7y+os0.net
>>131
いや陳寿が倭に行ったことあるなんて主張する学者は一人もいないんだが
むしろお前が陳寿が倭の川の流れを把握していたというソースを出せなきゃいけない場面だよ
いい加減見苦しいぞお前

133 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 01:47:06.18 ID:nUxMMbeC0.net
>>132
>倭を訪れた使者が水行としか記してなければ

元資料に川だと書かれていたという前提で決めつけてるよな
その証拠を出せってことだよ

>その文では「海岸水行」とそこが海であることが明示してあるだろ
>何も説明がない場合は川なんだよ

もう1つ
これおまえだよな?
こんなトンデモいうやつが何人もいるとは考えられない
こんな規則があるという証拠を出してくれ

134 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 01:58:30.37 ID:DbDvXf0I0.net
>>133
おやおや
いくら追い詰められてるからって妄想で他人に噛み付いちゃいけませんよw
君が並べ立てた屁理屈は何ら>>91の反証になっていません

>こんな規則があるという証拠を出してくれ
古代中国の文献に海と明示せずに海を水行した例が存在しない
明示せずに水行と表記した例は全て川

反証ソースを出せない以上君の負けです
否定したければ反証ソースを持っておいで

135 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 02:03:12.69 ID:oZx7y+os0.net
>>133
>元資料に川だと書かれていたという前提で決めつけてるよな
いや意味がわからん
むしろお前が証拠もなく海だと決めつけてるだけだろ

>これおまえだよな?
普通に違うが
自分の敵が全部同一人物に見えるのは統合失調症の症状だぞ
早く病院にいけ

136 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 02:25:11.61 ID:nUxMMbeC0.net
>>134>>135
こんな過疎スレで、しかもこんな深夜に、短時間に立て続けに、トンデモ言い張るやつが2人もいるかよwwwwww
史記の例だけだろ?
それでも水行で何も説明がない場合は川だと決まってると言い張る
つまり、お前の捏造ってことだwww

>むしろお前が証拠もなく海だと決めつけてるだけだろ
はあ?
どっちかわからんってことだろ

137 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 03:10:55.72 ID:UukbgQea0.net
フェステバルの花火の音と大音量のバンドの演奏が煩い
あいつらプロなのか

138 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 04:02:02.21 ID:oihFWx5V0.net
まあ、魏国が東と南を間違えたとする内藤説はトンデモ
畿内説は内藤のトンデモ説により成り立ってる

139 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:16:35.40 ID:UJvMz4U40.net
また何もネタのない鍋島藩が邪馬台国噺を持ち出してきたのか

140 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:22:07.67 ID:mxB6bTkB0.net
はい、キター。完全に畿内説は終わった。
さすがにゴッドハンド畿内も顔面蒼白だろうwww

141 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:24:49.88 ID:mxB6bTkB0.net
畿内論者が金印みたいに偽物とか言うんじゃね?ww

142 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:24:51.12 ID:OOR1VTrC0.net
一日が一月と誤記されることはあっても、南が東と誤記されるのはないわな
あまりにも文字の形が違いすぎる

143 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:32:52.90 ID:bpJ/5HUR0.net
>>11
10世紀の白頭山大噴火により、半島人は一度滅んだ。

そのあとロシアから流入したのがエベンキだよ

144 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:35:31.64 ID:oihFWx5V0.net
>>143
違うよ
白頭山が噴火する前に逃げてきた

145 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:42:56.10 ID:8IGkGsOl0.net
>>129
「委奴国」の金印が出たからそこは「奴国」だって?
そんな無茶な

146 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:46:55.40 ID:mxB6bTkB0.net
桃の種が大量に出たから、はい、邪馬台国を見つけました。の方がムチャ有りすぎじゃね?!www

147 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:48:35.82 ID:mODZTpgD0.net
それは狩猟の道具だと言ったろ
鹿に投げつけて狩るんだよ
子供でもやれる

148 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 07:55:31.20 ID:oihFWx5V0.net
>>146
桃の種おいしそうw
魏志倭人伝委は全く出てこない

149 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 08:11:02.61 ID:Qx5pw1Nx0.net
そもそも魏志倭人伝に出てくる数字は虚数なんだから、
水行が海か川かなんて言い合っても無意味。

魏志倭人伝を基に邪馬台国の位置を探ろうとすれば、使える情報は三つだけ。
1、邪馬台国は博多周辺から見て南にある。
2、邪馬台国は狗奴国より北にある。
3、邪馬台国の東、海の向こうにまた倭種の国がある。
この三つだけ。

そしてこの三つの条件に合うのは北九州だけ。
邪馬台国は九州以外にあり得ないのだよ。

150 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 08:14:23.22 ID:OOR1VTrC0.net
箸墓は卑弥呼の墓ではない
なぜなら当時はまだ箸で物を食べる習慣がない
だから陰部に箸が突き刺さって亡くなった倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼ではなく、もっと後の時代の人

151 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 08:30:48.88 ID:oihFWx5V0.net
朝鮮人としては笑いものだから
箸であえいだ事にしたいだろう

152 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 08:42:12.78 ID:Qx5pw1Nx0.net
と言うか、記紀に書かれてることは半分ぐらいは後の時代の創作ってことだろ。
大化の改新みたいな新しい記事でさえ嘘書いてあるんだから。

153 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 08:49:36.52 ID:mrq2sMpL0.net
むしろ川も海も使うから水行と表現したのでは?
自分は日数のところは伝聞と見てるけど
筑後川から有明海の移動で川なのか海なのか判然としない広大な低湿地を経由するような行き方の表現方法を倭人は持ち合わせてなかったのじゃないかな

154 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 09:34:53.84 ID:8IGkGsOl0.net
不彌國から邪馬壹國までが1,300里って分かってるんだから
その間の移動に何日かけようが関係ないはずなんだけどな

155 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 11:30:06.02 ID:fF9tH0he0.net
魏志倭人伝には北九州から水行1月陸行1月の遠い遠いところに邪馬台国はあると書いてある。
北九州に邪馬台国があるのはありえないこと。また、奴国の副官はヒナモリという役名。
ヒナモリ=鄙守り。辺鄙な国境を守る役職。

156 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 11:31:35.79 ID:fF9tH0he0.net
吉備津彦をなぜ桃太郎というのであろうか?それはヤマトトヒモモソ姫の弟だから。

157 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 11:34:48.90 ID:K13mRPB70.net
対馬国は対馬 一大国は壱岐、末盧国は九州の松浦、伊都国は九州の糸島
ここまでは邪馬台国九州説の人も近畿説の人も認めてる?
それとも、近畿説の人はこれすら否定してるの

158 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 11:47:06.39 ID:YGnMh4pJ0.net
>>156
鬼を退治したからじゃない?

159 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 12:07:03.86 ID:fF9tH0he0.net
>>157

魏志倭人伝には不彌國までの行程と投馬国、邪馬台国への行程はまったく異次元の書き方をしている。
不彌國(北九州)と投馬国、邪馬台国のそれぞれの間にはものすごい距離があることを示唆している。

畿内説としては、不彌國は北九州でよいでしょう。投馬国は但馬、丹波、丹後あたりの丹後王国でしょう。
昔から製鉄が盛んだったらしい。そして若狭あたりから上陸し琵琶湖を南下して伊賀、甲賀の忍者の里
経由でマキムクへ入ったのでしょう。

160 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 12:13:49.00 ID:fF9tH0he0.net
また、畿内説としては高天原は奈良、芦原中つ国は大阪を推します。
邪馬台国が奈良=高天原にあり物部氏が守護をしていた。天皇家は大阪の難波宮や堺に拠点を作り
奈良へは入れなく、芦原中津つ国=大阪で我慢していたがついに邪馬台国=奈良=高天原の物部氏を攻略し奈良を占拠した。
それが飛鳥時代。そして、記紀に嘘の情報を書き込んだと。

161 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 13:28:52.15 ID:SlhkpGRa0.net
>>109
歴史を文字にしようって発想までは時間がかかったのだろ

162 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 18:52:14.75 ID:gND8OarC0.net
残念だが水行二十日の時点で畿内は不可能なんだよなぁ
当時の倭にあった船はアウトリガーカヌーで人間は数人しか乗れないし荷物もそんなに積めないから
魏の使者一行が十人としてもそれだけで船が2艘以上は必要だし、魏からの返礼品を積む船や、
十人が二十日間食べつなぐ分の食料や水を積む船も別に要る
そんな大船団で行動というのがまずあり得ない
船を増やせばその漕手のぶん水や食料の要求量も増えてしまうしな

結局、当時の船でできるのは途中あちこちに寄港してこまめに補給しながらの航海だけで、それだと邪馬台国までの間の国が記載されていない事実と矛盾する
北部九州の数カ国と邪馬台国、投馬国以外は遠絶で詳細不明と明記してあるから途中で他国に立ち寄ったとするのは無理

魏の使者が乗ってきた大型船なら積めるかもしれないが、末盧国から伊都国には陸行したと書かれているのでこの船は末盧国に停泊中で使用できない
結論としては畿内は無理で九州のどこかでしかあり得ない

163 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 19:02:56.57 ID:SlhkpGRa0.net
「水」て川だろ

164 :名無しさん@13周年:2019/03/17(日) 19:12:44.68 ID:e0kVkOybX
>>162
  俺も九州説なので基本的に賛成するが、「十人が二十日間食べつなぐ分の食料や水を積む船も別に要る」については、食事は旅で立ち寄る各地に提供させれば済むはずだと思う。この場合の謝礼については人質(食事代を労力提供で支払うための下賤民)を置いていけばいい。

165 :名無しさん@13周年:2019/03/17(日) 19:17:33.37 ID:e0kVkOybX
まあ、畿内説なんてのは、旅を現代の感覚で捉えているドアホの考えで検討にすら値しない代物だwww この時代、飲食店もなければ流通貨幣もないんだから、旅の謝礼は労役提供か、人質提供、謝礼品授与くらいしかないはずだよな。

166 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 19:55:07.38 ID:L3bmWmsV0.net
>>136
水行という表現は中国の古典「山海経」の中で何度も出てくるけど全部川だよ
例:又北水行五百里,至于鴈門之山,無草木。(北山經)

167 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 20:53:26.90 ID:bNUCQ2Tv0.net
弥生後期は中国でも硯が生まれて間もない頃だとか。不思議だ。

168 :名無しさん@13周年:2019/03/17(日) 21:10:15.85 ID:e0kVkOybX
>>166
  中国は黄河や長江を中心にして文明が発達したのだから「水行」が川を行くのは当然。中国史の特徴は「中原」発祥の王朝が意外に少なく、早くから西域発の秦や唐という王朝があったこと。これは川の上流から下流に下る方が戦争では圧倒的に有利だったからだろう。

169 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 21:30:09.33 ID:sV2VV/k50.net
>>162
その作り話に根拠あるの?
3世紀は日本列島全体で人の移動が活発になってきたことが土器の移動から確認できるんだけど
考古知識のないド素人が作ったでまかせでしょ?

170 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 21:45:59.53 ID:1a7lAb7U0.net
高天原は東日本だよ
ちゃんと天つ方は東だと神武天皇が言ってる。
オモイカネもタケミカヅチもタクハタチヂヒメもタヂカラオもみな大和より東国で祀られてる。

171 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 21:50:53.21 ID:1a7lAb7U0.net
奈良、平安時代の大国はほとんど近畿と東国だよ。
西国は肥後しか入ってない。

172 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:03:46.05 ID:K13mRPB70.net
なんだか近畿説を聞いてるとトンデモな気がしてきた

173 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:11:57.30 ID:mxB6bTkB0.net
最近は本当に畿内説派は元気がないねwwwwww

174 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:15:42.89 ID:1a7lAb7U0.net
>>173
畿内は周辺国の連合できた新しい国というイメージになってきたからなあ

175 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:16:04.95 ID:pJN61/MN0.net
>>171
奈良時代って8世紀だぞ
弥生時代末期は3世紀末
400〜500年くらい時代が異なる
レスに何の意味もない

176 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:17:32.71 ID:1a7lAb7U0.net
>>175
昔から東国は大国だったんだよ
縄文時代から

177 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:22:44.41 ID:1a7lAb7U0.net
平城京だって鹿島から鹿もらってるんだよ。

178 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:30:10.05 ID:YGnMh4pJ0.net
文字を木簡に書いてくれれば後世に残ったかもしれないのに。

179 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:32:56.10 ID:1a7lAb7U0.net
>>178
銅鐸にも土器にも書いてないところ見るとやっぱり文字なかったのかなあ

180 :名無しさん@13周年:2019/03/17(日) 22:50:49.71 ID:e0kVkOybX
>>179
  漢字がなぜ毛筆で書かれるようになったのか考えろよ。漢字は画数が多いからアルファベットのように固いもの(石、金属)に刻むには適してないんだよ。大きなものなら刻めるけど持ち運べるサイズのものに刻むには適さない。楷書体以外の書体があるのも同じ理由。

181 :名無しさん@13周年:2019/03/17(日) 22:53:39.26 ID:e0kVkOybX
>>180
  (続き)だから銅鐸や土器に書かれてないから古代日本には文字がなかったと考えるのは間違いだろうな。他の何かに書かれていたに違いない。そして、それは腐って消滅した。

182 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:18:38.44 ID:8IGkGsOl0.net
>>176
やたらと長い「縄文時代」というくくりに一体何の意味があるのか

鬼界カルデラで一回絶滅してるし

183 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:33:23.54 ID:VSskU7Ni0.net
>>182
7300年前の鬼界噴火災害エリア区分

Aエリア壊滅。僅かな生存者は生活圏の移動。
Bエリア生存。生活圏の移動。
Cエリアは噴火を挟んで長期継続的な遺跡利用が確認される。 人吉平野以北
花粉分析の結果によれば極端な植生変化は認められない。
Dエリア影響なし。 熊本平野以北
https://i.imgur.com/EVxqGSO.png

184 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:33:41.30 ID:VSskU7Ni0.net
噴火の400年後には南九州全域に縄文遺跡の再分布がみられ、種子島においても土器が多量に出土したり、明確な遺構を伴った遺跡がみられる。
https://i.imgur.com/9kW5Qb7.png

噴火後のA・Bエリア遺跡
https://i.imgur.com/xN4njwm.png

185 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:34:31.31 ID:8IGkGsOl0.net
>>157
対馬国=対馬 一大国=壱岐を否定している説は見かけたことないな
描写的にも適合しているし

末盧国=松浦は異説を何度か見たことあるけど
当時の航海技術なら「目視できる最短距離」をまっすぐ行こうとするほうが
自然だから問題はなさそう

伊都国=糸島、奴国=那の津説の否定は主に九州説でちらほら見かける気が
「奴」は「ヌ」または「ド」であって「ナ」とは普通読まないというのもある
(特殊な読み方でなくはないが)

186 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:50:27.78 ID:37TK2hSC0.net
>>162
なるほどねえ
確かに運送能力を考えると無理だわな

187 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 23:59:19.58 ID:wfxG8U6v0.net
瀬戸内海が川に見える中国人

188 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 00:01:55.11 ID:hAlD9J670.net
>>183-184
なるほど
火山噴火が狩猟採集社会に与えた影響 : 鬼界アカホヤ噴火を中心として
續ィ光博 平成26年1月か

ありがとう勉強になった

189 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 08:34:51.06 ID:iI65j7hB0.net
>>182
縄文時代も弥生時代もそれ以降も東国が大国でなかったことはないという事
弥生時代でも登呂遺跡とか東国にある。

190 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:32:19.44 ID:uruc7EM80.net
>>159
>魏志倭人伝には不彌國までの行程と投馬国、邪馬台国への行程はまったく異次元の書き方をしている。

俺は理系なんだけど、
邪馬台国に関しては故・森浩一さんの説くらいしか納得したことない
あらすじとしては
「魏の時代の邪馬台国が、陳寿が魏志を執筆する時代に、畿内へ移った」
「陳寿が使用した元資料には、邪馬台国は伊都国のすぐ南とあるのだから、そのまま書くべきだった。その場合、方角や距離に何の謎もない」
「ところが陳寿は邪馬台国が東遷した後の位置情報を混ぜてしまった。ここで方角と距離がおかしくなる」

191 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:38:14.92 ID:H1Vsc+mV0.net
>>142
皇帝が始皇帝の時代は東面してたのが、いつの間にか南面に変わってる
皇帝が向く方向が南の意味だったとしたら…

192 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:39:46.24 ID:uruc7EM80.net
福岡の弥生人=現代人
http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yayoi_DNA07_480P.jpg
福岡(甘木・朝倉)の地名=奈良(大和地方の地名)
http://www.geocities.jp/t_shimizu2003/himiko_2-x3.gif
最近では若手の畿内論者たちが、伊都国東遷説に傾いているらしいけど、邪馬台国東遷と言わないのは意地なの?
>>160
物部の祖先はニギハヤヒだから本拠地は大分では。道教事件で有名な宇佐あるね

193 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:42:50.50 ID:d5zB5Mu00.net
>>86
国学院は、九州でなくて東京だぞ(;´・ω・)

194 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:44:33.22 ID:d5zB5Mu00.net
>>162
魏の使者は、邪馬台国まで入ってないんじゃなかったっけ?
伊都国だったかで、待ってたか待たされてはず。

195 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:46:44.20 ID:5LARFoio0.net
>>149 >>155
>3、邪馬台国の東、海の向こうにまた倭種の国がある。
>魏志倭人伝には北九州から水行1月陸行1月の遠い遠いところに邪馬台国はある

どっちが本当なの?
どっちも書いてあるの?

196 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:53:05.76 ID:8d+ImLPz0.net
倭人に女を奪われた倭の臣民チョンコ

197 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 18:01:20.53 ID:uruc7EM80.net
>>195
上は書いてある
下は厳密には書いていない。そういう読み方も(違う読み方も)いろいろ出来る

198 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 18:12:32.16 ID:5LARFoio0.net
>>197
へー
面白い
上のが書いてあるなら九州っぽいけど違うのかね

199 :名無しさん@13周年:2019/03/18(月) 22:17:37.56 ID:oU75rzyQB
>>187
  瀬戸内海が川に見えるのは真正バカしかいない。川は上流から下流へ一方的に流れるだけだが、瀬戸内海は潮流が1日のうちで数回変わる場所もある。それに飲めば塩味がするだろw

200 :名無しさん@13周年:2019/03/18(月) 23:25:06.89 ID:2F4Gnjztg
邪馬台国は二つあったと旧唐書に書いてある件
https://www.youtube.com/watch?v=1AtMji1VLQg
5分ごろ

201 :名無しさん@1周年:2019/03/19(火) 10:38:08.27 ID:4yn3gtGs0.net
>>191
方向オンチになる理由を一生懸命考えたって無駄だって

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