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【宗教】「天皇制が性差別などのあらゆる差別をつくり出している」 日本聖公会、日本キリスト教会など「政教分離」訴え声明★11

1 :樽悶 ★:2019/03/11(月) 23:50:49.88 ID:/q65NqfM9.net
 日本聖公会主教会、正義と平和委員会は2月21日、今回の天皇の代替わりに関する一連の行事も、基本的な考え方や内容は、大嘗祭を公的な行事と位置づけ国費を支出した前回を踏襲するとの閣議決定を受け、抗議声明を安倍晋三首相に宛てて送付。声明では大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法20条の「信教の自由の保障・政教分離」に反すると指摘。また大嘗祭を公的な行事と位置づけることにより、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議した。

 2月27日には、21日に安倍首相が天皇に内奏をしたこと、及び翌22日に皇太子を訪問したことについて、日本キリスト教会靖国問題特別委員会(古賀清敬委員長)が安倍首相に抗議声明を送付。象徴である天皇は政治に一切関わってはならないとする現憲法に対する重大な違反であり、天皇の政治利用であると指摘するとともに、政治報告をなすべきは国会であり、政治的責任を果たすよう強く求めた。

 また、2月28日には日本キリスト教婦人矯風会が抗議声明を安倍首相や菅義偉内閣官房長官、山本信一郎宮内庁長官らに宛てて送付。声明では、宮中祭祀は日本の文化であるため政教分離に抵触せず、また国費の支出は必要経費である、とすることは日本国憲法20条の「政教分離」、89条の「公の財産の支出又は利用制限」に違反すると指摘。即位礼、大嘗祭などの儀式を国の行事として行うことに強く反対した。

 同日、日本パブテスト連盟性差別問題特別委員会は安倍首相に宛てて声明を送付。天皇の皇位継承が男性天皇、男系天皇しか認められていないことなどを指摘し、天皇制が性差別、セクシャルマイノリティ差別などのあらゆる差別をつくり出していると批判。代替わりを前に、一人ひとりの人権が大切にされる歩みへ踏み出せるよう求めた。

キリスト新聞 2019/03/09
http://www.kirishin.com/2019/03/09/23767/

★1:2019/03/10(日) 16:55:33.46
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1552294605/

142 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:25:31.24 ID:+Bf8t2Mp0.net
>>134
聖公会とやらとバプテスト派連盟とやらは
日本での布教は諦めたんだろうなあ

皇室に楯突いたりなんかしちゃってさ
新規の信者なんかもう増えないぞ

143 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:26:33.79 ID:Vsxge8ME0.net
キリスト教が韓国面に墜ちてウリスト教になってる

144 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:26:46.46 ID:EHxAp4Q/0.net
世界中で1番人を殺している宗教が何だって?
酔っ払ったガブちゃんが俺は神だぜ!と言ったので祭り上げられて
神にされた宗教が何だって?

145 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:26:59.97 ID:TdDuQGzz0.net
そもそも天皇は宗教じゃないだろ。
ノイジーマイノリティの言うことなんて耳を傾けるだけ無駄。

146 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:27:06.20 ID:slI/AtKb0.net
> 声明では、宮中祭祀は日本の文化であるため政教分離に抵触せず、
> また国費の支出は必要経費である、とすることは日本国憲法20条の
> 「政教分離」、89条の「公の財産の支出又は利用制限」に違反すると
> 指摘。

あれ?
政教分離の教の部分は神道だからこそGHQはピンポイントで狙えたとか
言う話じゃなかったっけか…
マックァーサーは日本人があんなにフヌケになるとは思わなかっただの
神道指令は失敗だっただのと述懐してるわけだが

あ、この人たちは神道だからダメって言ってるのか

147 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:28:23.92 ID:ML+SyIAn0.net
>>600 >>601 >>602 >>603 >>604 >>605 >>606

神社本庁の「政治力」と「資金力」、不気味がるほどではなかった!
https://diamond.jp/articles/-/133401?page=5

神社は集票力も資金力もなく、単に祭りに呼ばれたいがために自民の政治家が利用する程度であり
現在の構図は神道が仏教に乗っかっているぐらい存在感のない状況だ

一部の権力指向の世間知らずが何も知らずに持ち上げたり、反安倍晋三に利用する極左が陰謀論に利用している
程度でかつての力は見る影もない

むしろこれが国体を支えていると考えると砂上の楼閣としか表現のしようがない危機的状況だ

さらに遺族会も高齢化した痴呆老人の集まりに過ぎない、むしろ日本の国際関係を理解せず分をわきまえぬため百害あって一利なしの老害であり
日本の最大のガンになりつつある

病人が助かるためにはガンは切り捨てるべきだ

148 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:29:20.86 ID:NPXwS7bE0.net
でもこいつら、欧州の王政にはだんまりなんだよな。
有色人種差別だよ。

149 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:29:26.07 ID:ML+SyIAn0.net
>>610 >>611 >>612 >>613 >>614 >>615 >>616

海外と比較すると日本人は大量虐殺者と大量虐殺を賛美する傾向が相対的に強い

法華一揆の虐殺
長島一揆の虐殺(騙し討ち、なで斬り、21,000人以上とされるが総数は100,000人と見られるため実数がないほどの死者)
越前一向一揆(12,500人を殺害し3万人から4万人を奴隷とする)
東北一揆の虐殺(なで斬り)
叡山焼き討ち(3,000-4,000人、なで斬り)
山科本願寺の殲滅戦
天草島原の乱(37,000人)
天正伊賀の乱(伊賀全体では9万の人口の内非戦闘員含む3万余が殺害された)

宗教系の弾圧には他の宗派が一枚かんでいることが多く、結局のところ1つの宗派が潰れても
他の宗派の勢力が強くなるという歴史を繰り返して来た
これは宗教勢力を敵に回し続けて生き残るのは難しいためでもある

かつて弾圧・虐殺された本願寺や日蓮宗が権力の中枢にいることからも宗教勢力は日本の政治や文化の深く
重層的に染み込んでいる

九戸政実の乱の皆殺し(騙し討ち、5,000人の兵と家族・周辺住民等)
武田信玄の信濃志賀城攻略時の生首3,000
徳川家康による堀川城の虐殺(2,000人近くの生首を堤にさらす)
伊達政宗による小手森城の虐殺(800人)
(秀吉が「なで斬り」を命じた肥後国人一揆等もあるが、死者数は把握していない)

この他にも無数の(事件化されず埋もれた)政治弾圧事件や虐殺事件があるが、特に批判対象とされることはない

これらの虐殺者は秩序の守護者として賛美されており、敵対勢力を皆殺しにする慣行は擁護者が多い

https://ja.wikipedia.org/wiki/虐殺事件の一覧

日本を凌駕する虐殺事件というと中国とオスマントルコであり、一回の虐殺数は数十万人を超える
(南京は数値に信頼性がなくなっており、マニラ虐殺は日米入り乱れた凄惨な市街戦のため別枠として除く)

150 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:30:24.66 ID:ML+SyIAn0.net
>>620 >>621 >>622 >>623 >>624 >>625 >>626

殺人数、餓死数を含めると無神論共産主義と国家社会主義(ナチスは多神教)に匹敵する虐殺カルトは思いつかない

(多神教)ローマ皇帝アドリアンだけでもユダヤ人58万を殺害している
(多神教)ティトゥスもユダヤ戦争で110万人を殺害
揚州大虐殺、四川人殲滅殺戮あたりでは、それぞれ100万人近くが殺されたとする
ハミディイェ虐殺でもトルコによってアルメニア人10〜30万人が殺戮された

モンゴルの侵略の結果死亡した死者数は最大で4000万人(実際は2000万人ぐらいだろうが)とも言われている
さらに言えば残虐行為で知られる清国の侵略戦争の結果死んだ数は2000万人ともされる
ティムールも虐殺を繰り返したので、死者数は前者に匹敵するだろう

151 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:30:41.55 ID:m3A+B7IO0.net
天皇制…

あー
そーゆーことね
完全に理解した

152 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:31:05.37 ID:ML+SyIAn0.net
>>630 >>631 >>632 >>633 >>634 >>635 >>636

https ://ja.wikipedia.org/wiki/嘉禄の法難
嘉禄の法難(かろくのほうなん)は、法然死後に、天台宗の延暦寺衆徒が浄土宗と専修念仏を弾圧した事件。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/法華一揆
僧兵と宗徒、近江の大名・六角定頼の援軍が加わって、延暦寺は総計約6万人を動員して京都市中に押し寄せ、日蓮宗二十一本山をことごとく焼き払い、法華衆の3000人とも1万人ともいわれる[要出典]人々を殺害した(天文法難)。

さらに延暦寺の勢力が放った火は大火を招き、京都は下京の全域、および上京の3分の1ほどを焼失。兵火による被害規模は応仁の乱を
上回るものであった[1]。

こうして隆盛を誇った京都の法華衆は壊滅し、法華衆徒は洛外に追放された。以後6年間、京都においては日蓮宗は禁教となった。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/山科本願寺の戦い
山科本願寺の戦い(やましなほんがんじのたたかい)は、天文元年(1532年)8月23日 - 24日にかけて行われた細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍と浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)との戦い。山科本願寺合戦(やましなほんがんじかっせん)ともいう。

このように四方を取り込むようにして完全に包囲した。この時の攻城軍は3万とも4万とも言われている。戦いは8月24日早朝より開始された。
午前10時ぐらいに諸口より攻城軍が乱入し、寺町周辺を放火して回り大勢が決した。山科本願寺は社坊ひとつ残さず灰になって落城した。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/享禄・天文の乱
享禄・天文の乱(きょうろく・てんぶんのらん)は、戦国時代初期の浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛と、これに触発さ
れて発生した対外戦争の総称。

享禄4年(1531年)の享禄の錯乱(きょうろくのさくらん)または大小一揆(だいしょういっき)と呼ばれる内紛
天文元年(1532年)から同4年(1535年)の細川氏・畠山氏などとの戦いである天文の錯乱(てんぶんのさくらん)または天文の乱(てんぶんのらん)の上記2つからなる。

153 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:31:40.86 ID:ML+SyIAn0.net
>>640 >>641 >>642 >>643 >>644 >>645 >>646

アメリカからすれば日本は社会主義的かつ東洋儒教的で公の議論ではなく裏の談合で重要な合意形成が行われ透明性がない反民主的原理主義国家に見える

戦前の穏健派日本人からすると、女性を入れた民主主義や女性の人権を訴えるものは急進的で正義を叫ぶ原理主義者となる
1867年に提案された男子普通選挙でさえ、当初は提唱者をとんでもない正義を叫ぶ原理主義者と捉えただろう
しかし徴兵制と相次ぐ戦争で国防義務をおった国民の不満はマグマのようにたまり続け、1928年にやっと25歳以上の男に限定した不完全な普通選挙が行われたが、遅々として進まなかった。

(アメリカでは1920年に女性参政権)GHQが女性参政権を新憲法にいれようとすると猛烈な反対が日本側から出たらしい
当時の女性参政権反対派からすれば、GHQは女に投票させるなんて「とんでもない正義を振りかざす原理主義者」だったことになるだろう

男子普通選挙は不完全であり、戦前は普通選挙に達することはなかった。また戦前の状況を考える汚職と縁故にまみれており民主主義がまともに機能したかは極めて怪しいレベルだ
GHQによる原理主義的強制によって戦後普通選挙が行われたが、敗戦しなかったら21世紀前に普通選挙が行われたかどうかさえ怪しい

日本ではそれだけ改革が難しく、前例主義・守旧主義の原理主義者が蔓延っているということだ

イスラム圏やオスマン・トルコは一世を風靡したが、油断して技術レベルで圧倒的な差をつけられ敗北の連続
日本人の特に中高年や老人レベルには、戦後の廃墟から立ち上がった日本人の謙虚さが全く失われ、以後は衰退している
衰退国の典型的なパターンは、衰退が当たり前となり問題を直視だけのことでさえ莫大な時間をかけ、手遅れになるまで何も改革に手をつけないことだ

154 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:32:04.97 ID:ML+SyIAn0.net
>>650 >>651 >>652 >>653 >>654 >>655 >>656

信じがたいが、これが明治天皇の玄孫だ

竹田恒泰「隣の女子高生にドキドキしちゃいました。。。」 [455679766]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1534385593/

io302@io302
竹田恒泰
『危ない事したらバカ、パンと(叩く)やってが教育方針の家は犯罪者になってしまう』
『児童相談所の予算とか人員の問題じゃない。恫喝されて恐怖心でこども返すのがおかしい』

叩いてもこどもは成長しない。虐待対応の現場、同行してみたら?竹田さん

io302@io302
竹田恒泰
『祖父が汚い字で書いたら殴られた。それからは汚い字で書いていない。暴力ではない』

まんまマウンティング。いつまで日本はこれを『しつけ』と称し、讃えるのだろうか?

io302@io302
竹田恒泰
『恐怖体験じゃなきゃダメなんですよ』
岡田紗佳
『恐怖体験って、ただのトラウマですよ。しつけでも何でもないですよ』
竹田恒泰
『他人の家の価値観をとやかく言うな!』

最後は大声で恫喝。まさに『恐怖体験』が世代間連鎖している。大声で叱るのは説得に逆効果

samskrtadharma@samskrtadharma
返信先: @io302さん
最初は竹田恒泰の話だった…(笑)。
みんな多分、名家のヒステリックさと、一般家庭の躾とその違いを知らないんだと思います…。
ウチの近所に三田九鬼家に仕えた家柄の末裔がいますが、そこのお母さんがとんでもないヒステリックだったそうです…。
躾と虐待の線引きが曖昧な社会ですね、名家は…。

155 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:32:27.44 ID:iZHbOTon0.net
天皇陛下は政治には参加しないぞ
日本のことならなんにでもイチャモンつける韓国人団体だろ

156 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:32:54.38 ID:ML+SyIAn0.net
>>660 >>661 >>662 >>663 >>664 >>665 >>666

人類の歴史において劣った技術力・科学力・経済力・軍事力を持つ文明が滅びるのは常だ

日本もこのまま座して改革をしなければ劣った文明として衰退し滅びるだろう
反自由主義、反キリスト教であるマルクス唯物論者、ポストモダン(ニューアカ)の主張通りに国家が守旧と儒教利権にまみれるなら
いずれ日本人も清国民のような目にあう日は遠くはないだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/奴婢

ヤマト王権では、もともと奴隷階級であったものを「ヤツコ(夜都古)」と呼び[1]、奴婢はそ
の子孫であるか、前述の捕虜や帰化人、あるいは罪人で奴婢に落とされた者であった。律令法
においては、良民を奪って奴婢とすることは賊盗律で禁じられていたが、逆に言えば誘拐して
奴婢とする習慣があったということである。経済的理由で奴婢となる者もおり、債務返済では
役身折酬と呼ばれる返済方法が認められていたので、多額の負債を背負わされて奴婢に落とさ
れて使役される者もいた。

奴婢はもともと売買の対象であったが、律令が整備される過程で田畑と同じような扱いを受け
るようになり、弘仁式によると持統天皇4年(690年)に、いったん奴婢の売買が禁止されたが[2]、
翌691年2月にはあらためて詔を発して官司への届出を条件に売買が許可されることになった[3]。

律令制崩壊後
律令制での身分制度としての奴婢は消滅したが、その後も日本では下男下女など隷属的な
年季奉公人が、奴婢と称された。また経済的な奴隷は中世を通じて存在して広く売買され、これら
は用途によって様々な呼称があるが、総称としては同様に奴婢と呼ばれた。平安時代以降の歴代政権
も奴隷や賤民の存在を否定することはなく、法的に公認していた。人身売買はたびたび禁止されたが、
それはあくまで自由民の売買を禁じたものだった。戦争による捕虜や拉致された非戦闘員など、多数
の奴隷が発生した戦国時代には、スペインやポルトガルを通じて海外への輸出も行われた。このよう
な身分制度は明治4年(1871年)の解放令まで続いた。

157 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:33:07.14 ID:NmTMCTuW0.net
秀吉がキリシタンの弾圧を行ったのは、キリスト教の本質を認識することになったからです。

その日本侵略の陰謀と、宣教師が日本人を奴隷として海外に売り渡している事実を知ったからです。

秀吉は烈火のように怒り、キリシタンを捕まえて、京の都から長崎まで、全裸で歩かせて処刑しました。

要するに、秀吉は日本の英雄であり正義の人なのです。

例えば、新島襄などのキリスト教徒は、外国の手先となり、キリスト教の日本侵略の

尖兵になっていた、売国奴なのです。

158 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:33:35.67 ID:ML+SyIAn0.net
>>670 >>671 >>672 >>673 >>674 >>675 >>676

儒教統治のなりのはて

かなぶん@kanabunka
9月12日
朱子学

婦女
三従の徳

女三界に家無し みたいな?

ツグミ@tugumidesu
9月1日
女三界に家無しって言われた時代が、つい最近まで、
実際に日本にはあって、ちゃんとことわざとして残ってるんだから、
…大したもんだと思う。
ことわざとして残るほどのしみついたものが
何もしないで消えてなくなるわけがない。
意識していかないと、なくなりゃしないって思うんだけど…(^-^;

159 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:34:03.28 ID:ML+SyIAn0.net
>>680 >>681 >>682 >>683 >>684 >>685 >>686

>戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
>違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
>皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された

戦後に皇族が不当に財産を徴収されたとの説が散見されるが、他の王室でも住居は公務員住宅のように国の所有というのが普通で、王政時代の莫大な財産の大半は
国の所有になっているため大筋で問題はない

徴収の目的は焼け野原からの再生や戦後処理であり、皇族資産だけでなく地主や財閥一族の資産の大半は何らかの形で徴収されていった
過去の栄華を取り返したいと不満を持つ旧皇族による資産返還運動がおきれば農地改革で失われた財産を返せという旧地主や旧財閥一族が現れ日本の国家財政は大混乱に陥るだろう

http://typeanything.com/34-which-are-the-richest-and-the-poorest-royal-families-in-europe/
By contrast, one of Europe's poorest monarchs is Norwegian King Harald V, whose personal wealth is estimated at only around 10.5 million euros.
But for Norway's king, his wife Mette Marita and Prince Hakone needs and representation expenses each year from taxpayers' money is being allocated about 16 million euros.

王室の中でもモナコ公国の大公は個人資産が莫大なため例外的な存在
オランダ王室はシェルの株式を保有するため、200億円程度
エリザベス女王はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、その他を含む国王であるため破格に見えるが宮殿は国有であるため、王室の資産は400億円程度とされる(王室のための税金負担は40億円程度)
欧州で最も貧乏とされるハラルド5世個人の総資産は12億円程度らしいが、妻と娘のために税金が20億円程度支出されてるらしい

よって現皇族の資産額は現代的な君主としては許容すべき範囲内と言える。現代的な立憲君主国家として成り立つためには至極当然な税徴収と考えるべきだ

160 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:34:17.25 ID:xnb7q8NM0.net
韓国はナチス出しているよね・・
あれは驚いたわ

161 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:34:39.72 ID:ML+SyIAn0.net
>>690 >>691 >>692 >>693 >>694 >>695 >>696

https://kotobank.jp/word/身分統制令

身分制度は、階級社会の社会的秩序を維持・強化するためにつくられたものである。
わが国近世の封建的身分制度が創出されたのは豊臣(とよとみ)政権期のことである。
羽柴(はしば)(豊臣)秀吉は、1582年(天正10)太閤(たいこう)検地に着手、名主百姓(みょうしゅびゃくしょう)
など土豪に対して、農業から離脱するか、農業に専念するか、二つに一つを選択させ、下人(げにん)・名子(なご)
など隷属農民を土豪の支配から自立させ、農民を直接に把握し、土地に束縛する政策を打ち出した。また秀吉は、
1588年刀狩令(かたながりれい)を発し、農民から武器を没収した。検地と刀狩は武士と農民との区分を明確にし、
農民を被支配身分として固定させる政策であった。秀吉はさらに、1591年京都に地子(じし)(田畑・屋敷に対する賦課)
を免許する法令を出し、公家(くげ)・寺社など中世的な領主の地子徴収権を否定して、幾重にもなっていた土地所有関係
を改め、都市における封建的土地所有権の確立を目ざした。そして同年、身分統制令を発布して、
侍(さむらい)・中間(ちゅうげん)・小者(こもの)が農民・町人になったり、農民が商人・職人になるといった、
身分の転換を禁止した。このようにして武士と農民・町人の身分の固定化が図られたのである。さらに98年(慶長3)には、
大名は転封の際、家臣をすべて新領に従えていかなければならないとし、検地帳に記載されている農民を連れていっては
ならないとする布令が秀吉の名で出された。

162 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:34:52.89 ID:abLTtVuR0.net
キリスト教という権威を利用する別のなにかだろこれは

163 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:35:15.56 ID:ML+SyIAn0.net
>>161

原文(「小早川家文書」所収)

一 奉公人侍中間小者あらし子に至迄 去七月奥州へ御出勢より以来 新儀に町人百姓に成者於在之者 其町中地下人として相改一切置へからす 
もし隠置付而は 其一町一在所可被加御成敗事

一 在々百姓等 田畠を打捨 或はあきなひ或は賃仕事に罷出輩有之は 其者之事は不及申 地下中可為御成敗  并奉公をも不仕田畠も作らさるは
代官給人として堅相改置へからす  若出無其沙汰は 給人過怠にし其在所可被召上 為町人百姓於隠置は 其一郷同一町可為曲事

一 侍小者ニよらす 其主に不乞暇罷出輩一切抱へからす 能々相改請人をたて可置事 但右者主人在之て出相届は 互事ニ以之条搦捕 前之主之所ヘ可相渡
若此御法度を相背 其者逃し候ニ付而は 其一人之代ニ三人首をきらせ 彼相手之所へ可下渡 三人之人代於不申付は 不及是非之条 其主人を可被加御成敗事

 右 條々斯定置所 如件

 天正十九年八月廿一日 (秀吉朱印)

164 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:35:53.37 ID:xnb7q8NM0.net
安倍が大暴れしまくりだけれども、天皇陛下は珍しく意見を申し上げていたものね

韓国みたいにナチスシンパが大暴れをして大変だったけれどもさ

165 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:35:53.68 ID:ML+SyIAn0.net
>>700 >>701 >>702 >>703 >>704 >>705 >>706

https://ja.wikipedia.org/wiki/譜代下人

譜代下人(ふだいげにん)は、譜代奉公人(ふだいほうこうにん)とも呼ばれ、近世農村部において主家に人身的な隷属にあり、
譜代として永代・世襲的に労役を提供する形によって奉公した下人・奉公人を指す。

地方によっては家抱(けほう)・門屋(もんや)・庭子(にわこ)・内百姓(うちびゃくしょう)などの呼称があった。また、
従属の度合いも異なり、『地方凡例録』には夫婦を構成して生活している者や主家から土地を預けられて事実上の小作人であった者から、
主家の屋敷内に住まわされてその命令下で田畑を耕す者など様々な形態があった事が知られている。

その由来については中世以来の伝統的な下人の後継や戦国時代から江戸時代初期にかけての混乱期に人身売買によって獲得された
零細民であったと考えられている。戦国時代には乱妨取の習慣による人身売買が行われていたが、江戸幕府はこれを禁じた。だが、
当時の農村社会の経営は不安定であり、農業経営の出来なくなった小農民と労働力不足に悩まされる本百姓層の利害の一致によりこ
うした人身売買による隷属化が農村部において横行した。

やがて人身売買に対する規制が強化されると、一種の脱法行為として人身質入による質券奉公人(しちけんほうこうにん)が出現する。
これは質券に書かれた本金(借入額)を奉公人の価格・利息の支払を債務期間中の労働に相当させ、借方である奉公人が本金を返済
しない限りは身柄は終身にわたって貸方である主家に拘束されるという仕組であり、質に名を借りた事実上の人身売買による譜代下人であった。

江戸時代中期以後の農業経営の安定化に伴い、先進農業地域では譜代下人や質権奉公人は、年季奉公人(ねんきほうこうにん)に
転化する事例も見られたが、途上地域では幕末までこうした譜代下人が存在した。また、幕府や諸藩は表向きはこうした人身売買
を禁じていたが、農業経営の安定による年貢徴収の安定化を優先させる配慮から、こうした譜代下人の存在を黙認していた。

明治に入ると、旧来の慣習である譜代下人(家抱)は、身分の解禁および呼称の禁止が1872年の法令で発せられ、終焉を迎えた。

166 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:36:01.29 ID:7mpa+4Ay0.net
朝鮮人達が日本の天皇にこだわってるのは結局天皇乗っ取り
男系継承が朝鮮人の天皇を邪魔する要因
まぁ相変わらず薄汚いやり方の朝鮮
エベンキ朝鮮を誤魔化す為の天皇乗っ取り
結局日本のヘブライ文化そのものを毛嫌いするの朝鮮人達朝鮮半島にはないからで
神社や相撲や神楽
ヘブライ文字のカタカナひらがな
何より日本の前方後円墳などの遺跡
まぁ相変わらず一番嫌ってるのが
ヘブライ語の君が代
日本民族よ立ち上がれ
の文句が朝鮮人達が朝鮮半島の出雲族の百済新羅を乗っ取り民族を皆殺しした恨みを日本民族が朝鮮人達を滅ぼすと勝手に思い込み嫌う
日本から朝鮮人を追い出す為戦へ
と君が代が言ってるのが怖くて気に入らないから君が代反対する在日達
本当馬鹿としか思えない

167 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:36:33.86 ID:AzvCui6w0.net
女法皇のいないキリスト教がなんだって?

168 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:36:36.36 ID:RzMMLWvZ0.net
そんな天皇制があらゆる差別を作り出してる差別の国を強化するために立教大学とかを作ったってことかなこの団体。

169 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:36:40.88 ID:ML+SyIAn0.net
>>710 >>711 >>712 >>713 >>714 >>715 >>716

https://ja.wikipedia.org/wiki/律令制

身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。

賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。

170 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:36:50.85 ID:2AzE3zEx0.net
ドイツの自民党のキリスト教民主同盟って
キリスト教を党是にかかげる政権党があるな。

アメリカの大統領は就任式で聖書に忠誠を
誓うのも宗教儀式じゃね?

近代政教分離の原則に違反してないか?

171 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:37:06.68 ID:ML+SyIAn0.net
>>720 >>721 >>722 >>723 >>724 >>725 >>726

「知床日誌」文久3年(1863)出版

http://www.lib.nara-wu.ac.jp/nwugdb/k024/html/p028.html

見る影もなく破れて只肩に懸る斗のアツシを着如何にも菜色をなしける
病人等杖に助りセカチ男子 カナチ女子等大勢其汐干にあさりけるか我等を見て皆
寄来りし故其訳を聞に舎利アハシリ両所にては女は最早十六七にもなり夫
を持へき時に至れはクナシリ島へ遣られ諸国より入来る漁者船方の
為に身を自由に取扱ハれ男子は娶る比に成は遣られて昼夜の差別
なく責遣ハれ其年盛を百里外の離島にて過す事故終に生涯無妻にて
暮す者多く男女共に種々の病にて身を生れ附ぬ病者となりては働稼の
なる間は五年十年の間も故郷に帰る事成難く又夫婦にて彼地へ
遣らるゝ時ハ其夫は遠き漁場へ遣し妻は会所また番屋等へ置て
番人稼人皆和人也の慰ミ者としられ何時迄も隔置れそれをいなめは

辛き目に逢ふか故只泣々日を送る事也如此無道の遣ひ方に逢ふか
故に人別も寛政中ハ弐千餘文政五壬午改三百十六軒千三百弐十六人安政五戊午改百七十三軒七百十三人 有しか
今は漸々半に成しそうたてけり此儘にては今廿年も過れは土人の種も
如何と案しける由等話其故爰には丈夫の者なき故猟漁等出来難く
其日其日の烟も立難きか故毎日此汐の干を待ては小貝を拾ひ汐満来れハ
野山ニ入て草の根等堀て辛き命を繋く事とそ聞に其憐さまし
けれは我等か貯への糧米を聊かつゝ分ち與へ来るやタンネウシ沙地
此所長き沙地なれは号く過てバナ人家十五軒の岬を廻りて川に入るに巾三十余間し
はしにて舎利運上屋へそ着し一同鎮守杜に至りエナヲ削りて山海の神
を祭り途中の安を賀し車座に一樽を開き詰合宮崎氏へ濱にて

172 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:37:13.09 ID:rDSZuc6P0.net
ウリスト教かな

173 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:37:36.39 ID:ML+SyIAn0.net
>>730 >>731 >>732 >>733 >>734 >>735 >>736

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1388281079/

346世界@名無史さん2018/05/11(金) 09:52:09.760
「知床日誌」 松浦武四郎

幕末の探検家・松浦武四郎の手記によると、アイヌ女性は年頃になるとクナシリに遣られ、そこで和人達の慰み物になり、
人妻は会所で番人達の妾にされたと書かれている。夫は漁場で酷使され、妻は番屋で慰み女とされ、子供が出来た場合、和人達はそれを突き殺し、押し殺す。

日本へ反発できなくなった大きな理由に人口減少がありますが、
その大きな原因は、女達が日本人の慰み者にされたこと、性病を含む伝染病を移されたこと、生活基盤を失わされたこと、などがあげられます。

松浦武四郎によると、夫婦は仲を引き裂かれ、男だけクナシリ送りとなり、そこで昼夜の別なく奴隷労働に使役され、
斜里、網走では、女は年頃(16・7)になるとクナシリ(この当時、現地のアイヌは酷使によって全滅していた)に連行されて、
諸国からきている和人に体を弄ばれる。男も年頃になると連行され、働ける間は遠い土地で酷使され、故郷に帰ることが許されるころには既に老人となっており子供を残すことができなくなった。

和人によって妊娠させられた妻は、唐辛子汁を飲ませる等で堕胎させられることにより、
子供を残せない体にされた。さらに和人に性病を移されることなども手伝い、クナシリ・メナシ地方のアイヌ人口は激減した。

松浦によると無理やり妾にされた挙げ句に性病をうつされ、顔が崩れて悪臭を放っているアイヌが山にたくさん居たとある。

174 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:38:01.74 ID:SpFmGDO30.net
>>172
反天皇なんていまどき朝鮮人と共産党員ぐらいだもんな

175 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:38:02.54 ID:ML+SyIAn0.net
>>740 >>741 >>742 >>743 >>744 >>745 >>746

https://ja.wikipedia.org/wiki/尊王論

山鹿素行は、儒学のモデルであり、当時の憧れの対象であった中国明が滅び、
清に支配されて、もはや規範ではなくなったため、日本こそが儒学の正統だとして、
「日本こそ中国である」と論じた。また、儒教思想の日本への定着はすなわち、
中華思想(華夷思想)の日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、
日本版中華思想ともいうべきものの下地となった。儒教では、湯武放伐を認めるかど
うかが難題とされてきたが、徳川幕府は朱子学について孟子的理解に立ち、湯武放伐、
易姓革命論を認めており、そうすると天皇を将軍が放伐してよいことになる

176 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:38:03.57 ID:rDSZuc6P0.net
アメリカキリスト教は絶対にこんなこと言わねーからな

177 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:38:30.24 ID:ML+SyIAn0.net
>>750 >>751 >>752 >>753 >>754 >>755 >>756

つじどり【辻捕り・辻取り】
路上で好きな婦人を捕らえ、妻にしたこと。中世、略奪婚の一種として実際に行われたらしい。
「 −とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるを取る事/御伽草子・物臭太郎」

ゆのんす@y_hm0
2015年8月25日
てか平安貴族性欲やばすぎでしょ

流星塾長はドイツ語を心から愛している@zyukutyo
2015年11月18日
それにしても解説者として出てきた瀬戸内寂聴さんが「平安貴族の恋はレイプから始まります。」って紹介するシーンがあって、
高校からの平安貴族に対する印象がますます変わったよね。平安貴族は「覗き魔、レイプ魔、ポエム魔」(ポエム魔ってなんだよ...)

滝川アリス 🏔@Blois_internet
2018年9月26日
レイプから始まる恋なら良い(平安貴族)

え 💕る@l0624l
2018年10月1日
とりかえばや の漫画を読んでいるけど、ホント平安貴族って最悪だなぁ笑
無理矢理押し入って嫌がる女抱くって、現代ならレイプだよねー
倫理観も今と違うやろから、仕方ないか笑

178 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:38:56.76 ID:ML+SyIAn0.net
>>760 >>761 >>762 >>763 >>764 >>765 >>766

うらじ@uraji
2018年4月5日
殴り合う貴族たちって本に平安貴族はんなりしたイメージに反して非常に暴力的で取っ組み合いの喧嘩も多く
刑事罰もないから従者と一緒に集団暴行や拉致強姦などやりたい放題だったと書いてあってビックリした記憶
があるんですけど、こんな風に袖まくりして暴れまわってたんですね。

キール@kir_imperial
2017年7月17日
殴打、拉致、監禁、虐待、殺人、強姦、集団リンチと、なんでもござれのDQNな平安貴族達が
「何あいつら・・野蛮すぎでしょ・・」っとドン引きした当時の武士達の子や孫とかが、鎌倉武士じゃけんのう。

さんぼーほさ@sanbouhosa
2016年12月29日
平安貴族が変態な一覧
・かわいい幼女を見つけると自分好みに育てようとする
・基本的にうわさを聞いただけでも恋煩いしてもじもじする
・噂だけを頼りに夜這いをかける
・割と強姦じみてるし待女にも手をかける
・宮中で男同士でやるのがブームになる
・僧侶がショタをほめてたら肉体関係あり

キール@kir_imperial
2016年3月28日
「源氏物語」っていうか、あの時代の平安貴族達って、ぶっちゃけ中国共産党の不良子弟みた
いなもんで、基本やりたい放題で、強姦陵辱近親相姦NTRなんでもありで、おまけに暴力沙汰
もしょっちゅうで、優雅で雅なようで、その実、血とエロスとバイオレンス溢れる世界だったからね。

179 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:39:19.07 ID:ML+SyIAn0.net
>>770 >>771 >>772 >>773 >>774 >>775 >>776

https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原惟通
惟通が没した後も、彼の母(式部の継母にあたる)と妻子は帰京せずに常陸国にとどまった。これは常陸に惟通とその一族が
所有する荘園があったことを意味している。惟通が没した年の寛仁4年(1020年)閏12月26日、惟通の未亡人が平為幹に強姦
されるという事件が起こった。惟通の母の訴えにより、為幹は逮捕されて身柄を拘束されたが、翌年には赦免されている。

つじどり【辻捕り・辻取り】
路上で好きな婦人を捕らえ、妻にしたこと。中世、略奪婚の一種として実際に行われたらしい。
「 −とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるを取る事/御伽草子・物臭太郎」

nightflighttw@nightflighttw
2016年1月2日
奇習! 封印された平安貴族たちの蛮行 ― “恍惚”の赤ん坊レイプ

脱税レイヤー風呂屋さん@557dg4
2018年2月14日
光源氏がヤリチンなのに、何故人格者扱いされてるか?というと、平安時代の女は男を待つしかない存在であり…
云々以前に、小右記によると平安貴族はレイプが趣味であり、適当な平民を襲ったり、宮中強姦の為に部下を貸し
借りするとかザラだったらしく、そりゃヤリ捨てで済ませる男は聖人だよねっていう

猫太@nekotabarusu
2016年1月24日
平安貴族とかレイプ当たり前みたいな世の中だったらしいからな

ドント@dontbetrue
2013年11月21日
レイプ犯平安貴族「いと犯し」

clavi@clavi_tw
2014年5月27日
@hinata_honjo 王朝貴族文化の華やかさの陰で、貴族は殴り合いの喧嘩をし、強姦し、通りには糞便と死体が溢れていたのが平安時代
の姿のようです。臭かったでしょうねえ。

180 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:39:19.69 ID:LOBLbL5y0.net
正義やら平和やらをアホみたいに連呼する奴は大抵は偽善者。
カルト臭がプンプンするわ。
政教分離を謳うなら、先ずは同じカルト宗教で且つ「世界カルト宗教ランキング」に堂々のランキングを果たしてる創価学会ことSGIに訴えかけるのがよろしかろう。

181 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:39:32.72 ID:vflyPYSB0.net
ウリスト教か?

182 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:39:44.59 ID:ML+SyIAn0.net
>>780 >>781 >>782 >>783 >>784 >>785 >>786

水無月尽@minaduki__jin
2012年12月22日
平安貴族の場合も、女側の親が許していないのに、あるいは決まった夫の正妻になっているのに、
勝手に男に侵入された、という話はたくさんある。女側に親がいなかったり、侵入・強姦した男が権力者だったりしたら、
女は泣き寝入り。侵入を受けたり噂が立てば女は「傷もの」。決して「おおらか」ではない

183 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:40:06.75 ID:ML+SyIAn0.net
>>790 >>791 >>792 >>793 >>794 >>795 >>796

中国をお手本とした結果、「女三界に家無し」なんていう蛮族の因習が作られた

「女三界に家無し」
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。

【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540695700/

「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。

184 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:40:30.93 ID:ML+SyIAn0.net
>>800 >>801 >>802 >>803 >>804 >>805 >>806

聖徳太子の憲法17条も論語の学而や礼記のコピーとされている

https://ja.wikipedia.org/wiki/学而

有子曰:「禮之用,和爲貴;先王之道,斯爲美;小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」
(有子曰く「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す、小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦行なわるべからず。」)

185 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:40:58.73 ID:ML+SyIAn0.net
>>810 >>811 >>812 >>813 >>814 >>815 >>816

『中庸』は中華主義者がしばしば引用する
日本中華主義・日本型華夷思想

https://ja.wikipedia.org/wiki/中華思想

江戸期日本の中華思想

明が異民族王朝の清に支配されると、日本の朱子学者の一部、林羅山などは、日本の
天皇家は中華正統王朝である周王朝の分家である呉の太伯の子孫であるから、日本こ
そは中華であると主張し始めた。更に、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせ
ず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められてい
る現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べた。日本の
江戸時代の儒学者山鹿素行も著書『中朝事実』の中で同様の主張をした。また、国学
者本居宣長も日本外交史を扱った歴史書『馭戒慨言』おいて、世界の国々は日神の子
孫である天皇に朝貢してその暦を奉じるのが正しい姿であり中国皇帝は「戎王」に過
ぎないとして、中国中心の華夷秩序を反転させて日本中心の華夷秩序をあるべき姿と
して描いている[12]。これが後に水戸学や平田派国学へも思想的影響を与え、幕末の
尊王攘夷論に結びつくこととなる。

太平洋戦争中に天皇を現人神として崇め奉り、軍 部が敗色濃厚になるや神州(中華正統王朝)
不滅を唱えるに至ったのも、朱子学に基づく中華思想に影響されたものであるという[13]。

186 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:41:24.61 ID:ML+SyIAn0.net
>>820 >>821 >>822 >>823 >>824 >>825 >>826

明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた

「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)

憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった

https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試みた。

1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで
公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。

187 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:41:32.41 ID:bQm5dCnf0.net
>>1
ま、バチカンのローマ法王も、同じだよね
女性が法王になったこともないし、圧倒的男性優位の組織で、
いまや、世界中で児童虐待で訴えられている

天皇制に噛みつくより、バチカンと戦う方が必要なんじゃないか?

188 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:42:21.74 ID:2AzE3zEx0.net
なぜ韓国でキリスト教が爆発的に浸透したのか
https://ironna.jp/article/10287

 戦後の韓国社会では、キリスト教の伸びが著しい。
米調査機関、ピュー・リサーチ・センターによれば、
2010年における韓国のキリスト教徒の割合は29
パーセントに達し、仏教を凌駕している。
 キリスト教徒の割合は、1950年の時点では、まだ
8パーセントだった。それが、1970年には18パー
セント、85年には21パーセントに増えた。
95年で26パーセント、2005年で28パーセント
だから、伸びこそ鈍化している。
 だが、日本のキリスト教徒の割合が1パーセント程度
なのに比べると、韓国でのキリスト教の浸透はすさまじい。

189 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:42:45.10 ID:GdC8yBb40.net
教祖イエス自身が語る強烈な(未来の)キリスト教と宣教師批判

マタイ福音
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。
改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。


※ゲヘナとは地獄の意味

190 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:42:45.56 ID:ML+SyIAn0.net
>>830 >>831 >>832 >>833 >>834 >>835 >>836

近世の検地は税収を下げないために大名が必死だったから、農民が他の職業に移るのは難しかったはずだ

https://ja.wikipedia.org/wiki/元禄検地
田畑の位付けを細分化し、名請人は小農や小作百姓も検地帳に登録、隠田を摘発し、開墾可能な土地は山林や原野、
荒れ地や湖沼地帯をも検地して、台帳に記入して石盛を高めるという方法で行った。武蔵国世田谷の村々では石盛
が2-3倍に増加するなど[1]検地は峻烈なものであったが、生産技術が進歩したことによる生産量の増加が石高の大幅
な上昇をもたらしたのであった。

191 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:42:51.19 ID:2s/mcEWp0.net
キリスト教の凄いところはこういう状況下でカトリックというダンマリが居るところ
なんだかんだでカトリックとプロテスタントは和解しているからこういう状況下でもどちらかは生き残る
それは血を持って得た信教の自由があるから
したがって、厳密に言うと信教の自由に抵触するであろう天皇の宗教的儀式に公金を出す今の体制はアウト
ま、アメリカだって聖書に手を置く宣誓式はあるけどな
どの国もある程度宗教的文化に基づいた儀式は必然悪という課題なのかもね

192 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:43:11.87 ID:ML+SyIAn0.net
>>840 >>841 >>842 >>843 >>844 >>845 >>846

https://ja.wikipedia.org/wiki/検地帳
検地帳は同一内容のものが2冊作成され、検地役人と村役人がそれぞれに連署して全ての綴じ目に奉行の
割印を押印した上で領主側と村方に1冊ずつ保管した。名請人の記載方法には大きく分けて2つあり、単純
に年貢・諸役の負担義務者を記したものと「○分(○家抱)・×作」と併記して負担義務者と実際の耕作者
に分けて記したものがある。名請人として記載された者は土地の保有者として認められる一方で、その土地
に緊縛されることになる。後者は実際の耕作者名を記載することで所有するだけで耕作を行わない地主層へ
の牽制の意味も含まれていた。これは逆に考えれば、当時の村内部で重層的な階層が形成されていたことを
示しているとみることも可能である。

193 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:43:56.80 ID:ML+SyIAn0.net
>>850 >>851 >>852 >>853 >>854 >>855 >>856

士・農工商・穢多非人(読み)しのうこうしょうえたひにん
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/士・農工商・穢多非人-1542795
農民
武士身分の下に平民身分として農工商があった。農民を上位としたのは儒者の思想上のことであって、実際は農工商は並列した身分的存在であった。
通常農民身分で特定条件を備えている者は百姓とよばれ、年貢負担者として、平民身分のなかで武士からもっとも厳しい支配・統制を受けた。農民
の場合も身分内部の身分的差異は甚だしく、名主(なぬし)(地方により庄屋(しょうや)、肝煎(きもいり)などと称した)、組頭(くみがしら)、百姓代
(ひゃくしょうだい)の地方三役(じかたさんやく)(村方三役(むらかたさんやく))をはじめとする石高所持者の本百姓(ほんびゃくしょう)は一人前の農民
であったが、無高の水呑(みずのみ)百姓は村寄合(むらよりあい)に参加する権利がなかった。水呑百姓の下には、地方により、有力な本百姓に隷属し、
独立した生計を営めない名子(なご)、門屋(かどや)、家抱(けほう)、被官(ひかん)などとよばれる農民があり、さらに隷属性の強い譜代(地方によって
は庭子(にわこ)、買子(かいこ)と称した)も存在した。無高の水呑百姓以下は厳密には百姓ではない。士農工商の農民イコール百姓ではないのである。
美濃(みの)(岐阜県)大垣藩では、庇(ひさし)・濡縁(ぬれえん)・破風板(はふいた)・釣天井(つりてんじょう)および3尺以上の座敷口の造作、
衛門・兵衛・太郎・太夫(たゆう)のついた命名は頭(かしら)百姓(本百姓)には許されたが、下(しも)百姓(水呑百姓)には許されなかった。また、
下百姓は頭百姓の宅内へ履き物を履いて入ることも認められなかった。[成澤榮壽]

194 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:44:19.04 ID:TEnFAWcO0.net
>>142
傘下の大学の受験生大幅減少も覚悟のうえなのかねぇ
今の時代に「実はウリスト教系列」なんてばれちゃってさwww

195 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:44:27.15 ID:ML+SyIAn0.net
>>860 >>861 >>862 >>863 >>864 >>865 >>866

士・農工商・穢多非人(読み)しのうこうしょうえたひにん
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/士・農工商・穢多非人-1542795
武士
武士は支配身分として武力を独占し、政務に携わり、特権を享受したが、この身分内部における身分的構成は複雑多岐にわたり、
差別的な規制は厳格であった。たとえば、同じ大名であっても、御三家(ごさんけ)および金沢の前田家、大身外様(たいしんとざま)、
家門(かもん)・門閥譜代(もんばつふだい)、譜代城持格(しろもちかく)以上、中堅譜代、小身(しょうしん)外様、小身譜代によって
江戸城中の詰所(つめしょ)の格式を異にした。

 家臣団については、たとえば広島藩では、1868年(慶応4)、最上位の長柄(ながえ)以上の者は100人で、家老以下、年寄、
番頭(ばんがしら)、寄合、旗奉行(はたぶぎょう)、用人、大小姓組頭(おおこしょうくみがしら)、中小姓頭、大目付などがこれに属した。
次が布衣(ほい)以上の者で87人、留守居(るすい)、郡(こおり)奉行、町奉行、勘定奉行、普請(ふしん)奉行、歩行頭(おかちがしら)な
どがこれに属し、その下に馬持(うまもち)以上305人があり、さらにその下に御前御用(おんまえごよう)(御直御用(おじきごよう))23人、
御序(おついで)の御前御用39人があった。そのまた下に役方(やくかた)291人、中小姓228人、儒医組(じゅいぐみ)106人があって、以上
の1179人が家中(かちゅう)(侍士(じし))であった。家中の下には御前(藩主)に直接応答できない歩行(おかち)(徒士)があり、これ
には左右小姓組に属する者70人、外様歩行組に属する者257人、他の諸役方配属の者453人、計780人がいた。ここまでが士分(しぶん)
で、その下に小人(こおひと)とよばれる足軽(あしがる)がいて、これは卒(そつ)身分であり、およそ2000人、諸役方の下役に従事した。

 こうした身分的差異は日常生活を隅々まで規制した。そのことについて、福沢諭吉は、その著『旧藩情』において、出身藩の豊前
(ぶぜん)中津藩では、足軽は上級士族に対して雨中でも往来で出会ったときには下駄(げた)を脱いで路傍に平伏し、足軽以上の小役人
も大身に対して同様にするのが作法になっていたと述べている。[成澤榮壽]

196 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:45:08.87 ID:ML+SyIAn0.net
>>870 >>871 >>872 >>873 >>874 >>875 >>876

士・農工商・穢多非人(読み)しのうこうしょうえたひにん
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/士・農工商・穢多非人-1542795
賤民
士・農工商の4身分の下に、穢多・非人を主要部分とする賤民(せんみん)身分があった。穢多は斃牛馬(へいぎゅうば)処理、皮革の加工、
農業や雑業的手工業などを行い、非人は主として乞食(こじき)をしたが、加賀藩のように、非人の物乞いを禁じ、彼らに雑業的手工業や
日雇労働に従事させ、新田開発を奨励した藩もあった。また、江戸周辺では、斃牛馬処理権をもつ穢多のもとで、実際の仕事は主として
非人がやらされた所もあった。多くの地方では、穢多は、賦役として、警察・刑場関係の下役人足に従事させられ、百姓一揆(いっき)など
に際しては、弾圧の手先に使われることもあった。しかし江戸では、刑場の、とくにむごい下役には非人が従事させられた。また、加賀藩
では、同藩の賤民の中核的存在であった藤内(とうない)が警察関係の下役人足に従事、穢多はまったくこれを行わなかった。非人のなか
には「足洗い」といって平民に戻れる者もあったが、穢多はそれが認められなかった。穢多・非人その他の賤民は一般庶民との交際を禁
じられるなど、厳しい差別を受けた。彼らに対する上位身分の人々による蔑視(べっし)と迫害は、彼らがむごい賦役に従事させられるこ
とによって助長された。

197 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:45:16.14 ID:hyNsq4fL0.net
天皇制がなくなったらお前らの大好きなアベちゃんが最高権力で最高権威になるけどええんかな?

198 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:45:33.73 ID:ML+SyIAn0.net
>>880 >>881 >>882 >>883 >>884 >>885 >>886

士・農工商・穢多非人(読み)しのうこうしょうえたひにん
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/士・農工商・穢多非人-1542795
賤民

 このような封建的身分は明治維新の改革で廃止された(四民平等)。しかしあらたに華族・士族・(卒族)・平民
という身分関係がつくられ、その根本的廃止は第二次世界大戦後を待たなければならなかった。とりわけ旧賤民身分、
とくに旧穢多身分であった人々に対する差別は、その後も厳しく存在した。身分制度が再編成されたのは1869年(明治2)
であるが、旧賤民身分の人々が「平民」に編入されたのは「賤民解放令」が布告された1871年であった。彼らは従来の
平民と区別され「新平民」という呼称が用いられることが多かった。旧賤民身分の人々は法的には平民となり、自由民権運動
が発展する折から、彼らのなかから「解放令」を根拠として平等を要求する動きが現れた。大審院判決も彼らの祭礼行事
への参加などの要求を支持する判決を出した。しかし、明治政府は自由民権運動を弾圧し、大日本帝国憲法を中心に、
絶対主義的天皇制を確立させた。政府がいったん切り崩そうとした大地主を頂点とする半封建的な農村の構造を温存したの
で、小作人の地主に対する経済外的強制などの隷属性は維持された。また、家父長的「家」制度が確立されたことによって
女性差別が法的に存続することとなり、これらが絶対主義的天皇制の有力な支柱となった。こうした反動化は封建的身分に
起因する社会的身分差別の撤廃をすこぶる困難にした。旧賤民身分の人々への差別も存続し、大審院判決も彼らの要求を
退けることが多くなり、民衆の間でも「新平民」という呼称がいっそう差別的に用いられるようになった。こうして
大日本帝国憲法の制定前後に部落問題は社会問題化した。1907年(明治40)前後から(明治末以降、官庁を中心に「細民部落」
が用いられた一時期を除き)「新平民」にかわって「特殊部落」の呼称が主流となった。この呼称も侮蔑(ぶべつ)的に使わ
れることが多く、差別と偏見の残存の厳しさを示した。[成澤榮壽]

199 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:45:53.88 ID:2AzE3zEx0.net
なぜ韓国でキリスト教が爆発的に浸透したのか
https://ironna.jp/article/10287

■韓国のキリスト教は怪しげなものとなった。

 韓国では、日本の新宗教の代わりをキリスト教が果たした。
韓国のキリスト教は、日本のキリスト教とは大きく異なるの
である。
日本では、キリスト教は、主に富裕層や知識人層に広がった。
逆に大衆化は進まなかった。
ところが、韓国では、キリスト教は庶民層に広がった。
したがって、日本のキリスト教とは異なり、むしろ日本の新宗教
に近い、現世利益や病気治療を中心とするものが受容された。
その際には、韓国に伝統的なシャーマニズムがそこに取り込まれ、
かなり怪しげなものとなった。

なにしろ、説教師が神懸りしたりするのである。

200 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:46:10.45 ID:NmTMCTuW0.net
田原氏は、伊藤は木こりの息子と言っておりますから、

暗に賎民出自と言いたかったのかと・・・

その伊藤の親子は、武士の最底辺の足軽の身分を養子という形で買って、武士になりました。

201 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:46:14.28 ID:ML+SyIAn0.net
>>890 >>891 >>892 >>893 >>894 >>895 >>896

https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原元命

「尾張国郡司百姓等解(文)[1]」により、元命は私欲に基づき貧しい農民から苛烈な収奪を行う受領の
代名詞とされ、また後世の説話の世界でもその評判は非常に悪い。「地蔵霊験記」という書物には
「術つきて東寺門にて乞食しけるが、終いには餓死したりけり」などと書かれる。また尾張の頭護山如
意寺の由来の中でも、元命は地獄沢という小川に氷が張って渡れなかったので近くにあった卒塔婆を橋
にして渡ったがその卒塔婆には地蔵菩薩が彫ってあって元命と郎党らはそれを踏みつけて渡った。
その後元命と従者は大病に煩い死ぬが地蔵菩薩が助けてくれて生き返った。しかし「元命朝臣は猶悪事止
まずして国人に憎まれ、終わりをよくせざりしとぞ、(その郎党の)為家は罪業恐ろしくおもいて、六角二階の伽藍を営み……」と。

202 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:46:39.32 ID:ML+SyIAn0.net
>>900 >>901 >>902 >>903 >>904 >>905 >>906

ZEIKIN@ccakahada
2017年8月28日
林羅山のwikipedia、修道士の「地球球体説と地動説を論破」して結果的に棄教まで追い
込むわ、方広寺鐘銘事件の例のいちゃもんで豊臣家滅ぼすわ、上下定文の理で身分制度を
絶対化するわで、めっちゃ強かったです。

朝鮮朱子学において家族主義は集産主義(社会主義・全体主義・共産主義)と相性が良くなる

http://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n1.html

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案
を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策
として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微
があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れ
ざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。
米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指
すべきだとしている。

203 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:47:02.66 ID:ML+SyIAn0.net
>>910 >>911 >>912 >>913 >>914 >>915 >>916

https://ja.wikipedia.org/wiki/五色の賤

家人は、支族の末裔が隷属化したもので、待遇としては私奴婢と同等であるが、売買は禁止され、仕事に制限があった。
官奴婢(公奴婢)は朝廷の所有、私奴婢は豪族の所有で、官奴婢には古来からのものと犯罪によって落とされた二種類があり、
それぞれ66歳・76歳で官戸・良民に復帰できた。私奴婢は良民の3分の一の口分田が班給され、売買・相続された。
公私奴婢には戸の形成は許されなかった。

賤民の社会的地位
官奴婢や私奴婢は、逃亡は禁じられ、売買や質入の対象となるなど、非人道的な扱いを受けた。奴婢は主人の所有物であり、
奴婢の子供も主人の所有物で、自らの子供を売買することは禁止されていて、買った者も罰せられた。

204 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:47:10.96 ID:7mpa+4Ay0.net
ただ近い将来占いでは朝鮮人達は滅ぼされることになっているから
結局日本民族がどうこうより
中国かロシアが朝鮮半島乗っ取りで朝鮮人達を皆殺しにするか
アメリカが朝鮮半島攻撃して朝鮮人達を滅ぼすか
まぁ相変わらず薄汚いやり方で誤魔化してきた朝鮮でもこの中国ロシアアメリカ相手ではどうすることもできないだろ

205 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:47:29.29 ID:ML+SyIAn0.net
>>920 >>921 >>922 >>923 >>924 >>925 >>926

https://ja.wikipedia.org/wiki/奴婢

奴隷自体は、三国志魏志倭人伝に卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を殉葬したと言う記述や、
生口と呼ばれる奴隷を魏に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既に存在していた。
仲哀紀には神功皇后の三韓征伐でも新羅の捕虜を奴婢として連れ去ったという記述がある。また蘇我氏物部氏の争いの
時も聖徳太子が大連の首を切ってその子孫を四天王寺の寺奴婢[注釈 2]としたという記述がある。これらの古代から存在
していた奴隷を、律令制を取り入れるときに整理しなおされたとされる。

ヤマト王権では、もともと奴隷階級であったものを「ヤツコ(夜都古)」と呼び[1]、奴婢はその子孫であるか、捕虜、
あるいは罪人で奴婢に落とされた者であった。律令法においては、良民を奪って奴婢とすることは賊盗律で禁じられてい
たが、逆に言えば誘拐して奴婢とする習慣があったということである。経済的理由で奴婢となる者もおり、債務返済では
役身折酬と呼ばれる返済方法が認められていたので、多額の負債を背負わされて奴婢に落とされて使役される者もいた。

奴婢はもともと売買の対象であったが、律令が整備される過程で田畑と同じような扱いを受けるようになり、弘仁式によ
ると持統天皇4年(690年)に、いったん奴婢の売買が禁止されたが[2]、翌691年2月にはあらためて詔を発して官司への
届出を条件に売買が許可されることになった[3]。

奴婢は、良賤法の他の3種と違い戸を成すことが許されず、主家に従属して生活した。父母のどちらかが奴婢ならば、
その子も奴婢とされた。日本の律令制下における奴婢の割合は、全人口の10〜20%前後だった[4]と言われ、五色の賤の中
では最も多かった。公奴婢は非常に少なくその分布も近畿地方に限られた。奴婢は主に耕作に従事した農業奴隷であった。
奈良時代の良民人口500 - 600万人に奴婢などを加えた総人口が600 - 700万人とする説もある[5]。

206 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:47:55.27 ID:ML+SyIAn0.net
>>930 >>931 >>932 >>933 >>934 >>935 >>936

syuji_nakamura@syujinakamura1
2月2日
愚かですね。
日本に奴隷なんていくらでもいましたよ。
魏志倭人伝にも、卑弥呼と台与が奴隷(生口)を献じたとの記述があるし、律令制では奴婢が売買の対象になっていた。
戦国時代にも「乱妨取り」という略奪や人狩りが普通に行われていて、奴隷や性奴隷が売買されていた。

アプロ@rUyaCVtIiRxgC9M
2月3日
日本人の名誉のために再度補足しますと、「律令制以降、奴隷・人身売買が禁止された」のは事実です。
しかし、建前では禁止されても現実には行われていましたし、1231年には鎌倉幕府が奴隷制を容認する布告を出し、
後成敗式目にも反映されています。

207 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:48:09.90 ID:TVJv52Vv0.net
天皇や天皇制からどのような差別を受けたか具体的に行ってもらわないとたんなる誹謗中傷風説の流布に当たると思うが

208 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:48:19.86 ID:ML+SyIAn0.net
662名無しさん@1周年2018/09/12(水) 18:24:26.62ID:J0IqokwR0>>732
>>605
江戸は諸藩の犠牲の上で成り立ってたけどな

地方の大名は、江戸幕府への参勤交代と手伝い普請の負担で借金を抱えさせられ江戸に米を送らされた
諸大名に資材や人足を負担させて、江戸城とその城下町などの建設をやらせ借金漬けにして

江戸期は生産地と消費地を分離させて

弘前藩では天明の飢饉で農民や町人の3分の1が餓死したとされてるが
収穫された米が江戸や大阪に送られ換金されてた
弘前藩は多数の餓死者を出した、その年に40万俵を江戸に送っている

仙台藩も幕府への手伝い普請の負担で借金を抱え収穫された米は、ほぼ江戸に送られていた

元禄の飢饉 1691年〜1695年による弘前藩領内・津軽一円の餓死者は20万人にも及んだ

宝暦の飢饉 1755〜1757にかけて東北地方を襲った飢饉。現在の岩手・宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる

天明の大飢饉(1781〜89年)  餓死者の数は、仙台藩で20〜30万人、盛岡藩で6万人、津軽藩で8万人余、南部藩で6万5000人、八戸藩で3万人余に及んだ
弘前藩では農民の3分の1が死亡

天保の飢饉 1830年代の天保3年〜10年の連続凶作 天保4年、秋田藩の人口はおよそ40万人、うち死者が10万人
津軽藩では天保10年だけで餓死者3万6000人

209 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:51:18.71 ID:8EU/2Dbm0.net
性犯罪組織ウリスト狂会

210 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:51:28.69 ID:ML+SyIAn0.net
>>940 >>941 >>942 >>943 >>944 >>945 >>946

日本人が身分という単語で想起するのはカースト、奴隷、律令制となるが、身分はこうした狭義の例に限られるようなものではないし
カーストもイメージと異なり階層移動が例外的に認められることがあり、現代の成文法で考えるような法律として厳密なものでなく宗教的(江戸時代の場合は藤原惺窩、林羅山の朝鮮朱子学)なものだった

身分制度が無いとする側がミスリードをする際に多用するのは、身分制度がなければ身分はないという主張だが、その定義だとカーストも身分制度と言えるか微妙であり
さらに身分の定義は遥かに広く使われているため、上司と部下、主君と家臣、官位、社会的地位は身分制度と言えるが、人間が平等に生まれ、平等な権利を持ち、
その権利や自由を侵すことができないという宗教上の通念がない日本では、身分制度が常識的すぎて、マルクス唯物論史観の言う主人と奴隷の二元論的主客関係以外は身分制度ではないと誤った認識を持つ傾向がある

身分
身分(みぶん)とは、広義には特定の社会または集団において他の人が占めている他の地位との関連で捉えられる
同一社会または同一集団の内部で位置づけられるその人の地位[1]。

職分による身分、地位から来る身分、科挙から来る身分、社会的・経済的ステータス、性別による身分、年齢から来る身分は成文法的な制度ではないが、
ソフトな社会慣習法・不文律による身分制度と言える。成文法によるなら身分による慣習は立法によって廃止するまでは違法性が認識されない
そのため社会の隅々まで行き渡っている身分社会慣習は慣習法・不文法として認知されており禁止が明文化されていないのであれば身分制度と呼称する根拠は十分にある

特定のグループだけが不都合、不便、不快、不利益な思いをしても、それが法律的に否定されるまでは慣習が存在したことになるため、外部的に身分制度または身分が存在したと見なされることは十分にありえる

例えば平安貴族が暴行・強姦をしたとしても軽罰ですむとする。それが法律としてそれが合法であると名文化されているわけではない
平安貴族が平民に対して犯罪行為をして軽い謹慎程度の処分ですむとしたら、社会慣習上の身分制度があったと外部は見なすだろう

身分制度に関する外部からの主張に裏づけがあるのであればその主張を否定するのは困難となるだけでなく、内部からその指摘を認識するのは一層困難なものとなる

儒教圏の身分は重層的であるため、実数は10どころか100、1,000とあっても不思議はないため、日本人のイメージするカースト的な4つに分けた
身分の概念を聞いても違和感が先行するわけだ。そんな4つの分類しかない人工的な身分は存在するわけが無いというのが大半の反応となる
儒教に浸かってしまうと、重層的身分構造は呼吸をするぐらい自然なため、身分制度・身分差別を意識することはないから身分制度という表現に反発しているわけだが実体として身分はある

外部から見れば奇異な因習に見えても内部から認識する難易度は高いため、身分制度という表現を嫌うものが増えたわけだ

211 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:51:55.39 ID:ML+SyIAn0.net
>>950 >>951 >>952 >>953 >>954 >>955 >>956

人間が平等に生まれ、平等な権利を持ち、 その権利や自由、(身分や地位、性別、年齢、血筋で蔑視するなどして)尊厳を侵す(身分からの自由の概念と密接に関係)
ことができないという宗教上の通念がない日本では社会的地位、社会階級(上流、中流、下流)、出生地、血筋、資産、性別、年齢、学歴、肩書は重層的な身分構造を決定する資源と言える
儒教圏では資源を他より少なく持つものは社会的に蔑視されやすくなる傾向がある

212 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:52:14.37 ID:jp3bC3U40.net
>>204
アメリカが高防御地区を空爆・ミサイル攻撃
残りをシナが地上軍付の軍隊で攻撃・浄化

213 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:52:20.24 ID:ML+SyIAn0.net
>>960 >>961 >>962 >>963 >>964 >>965 >>966

ヒンドゥー教のカーストは宗教上は変えられないとされるが、実際に変更できた事例はあるらしく儒教の士農工商(議論)に類似する点が多くある

カーストが破れる例は2つある

- 現代の法律上はカーストのアップグレードは可能(ダウングレードは被差別階層の優遇措置があるため不可)
- ブラフミンやクシャトリヤが認めればアップグレード可能

江戸時代のハードコアな儒教原理主義者とヒンドゥー教原理主義者は職分や身分は宗教的なもののため、変更には断固反対するだろうが、古今身分制度とされる制度で例外はしばしばある

儒教の士農工商の枠組みにおいて例外的に裕福で影響力のある町民や百姓が下級武士・郷士になることがあったとしても、競争によらない血統・コネで
出世する事例が圧倒的過半数であり、実力があれば下級武士になれるから身分制度でないというのは単線思考に良くある誤った認識だ

https://www.quora.com/In-India-can-a-person-change-their-caste-If-so-how-does-one-do-this
Parama Devi, Founder and Director at Jagannatha Vallabha Vedic Research Center
Answered Sep 28, 2018 · Author has 2.4k answers and 306.8k answer views
There are 2 aspects of the issue.

One is the legal aspect. Under the present legislation, it is possible to change one’s caste upwards and not downwards because
that would mean cheating for the purpose of obtaining the special privileges (called “reservation”) that the government gives to
the lower castes, specifically SC (scheduled castes), ST (scheduled tribes) and OBC (other backward castes).

So you can simply write an affidavit with some witness and get it certified by a notary, and at the next census you show the affidavit to the questioner.
However, hardly anyone does that because there is no legal benefit in belonging to a “higher caste”, so you do not need a “caste certificate”.

The second aspect is SOCIAL, generally described as “religious” but the definition is not really fitting, because the caste system has NO BASIS in the actual original genuine Hindu society.
The actual original genuine system is called VARNA, not “caste”.

However, ignorant or ill-motivated “religious Hindus” keep confusing the 2 concepts to perpetuate their disastrous BIRTH PREJUDICE,
that all Hindu scriptures condemn as the very root of all ignorance.
Historically, there are innumerable examples of people who “changed their varna” simply through recognition awarded by a single
brahmana/ guru, or by the local assembly of brahmanas, or by the local king.

214 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:52:50.15 ID:ML+SyIAn0.net
>>970 >>971 >>972 >>973 >>974 >>975 >>976

ヒンドゥー教のカーストは日本には以下のように当てはめることができるが
カーストの種類は3,000に分割でき、さらに細かく25,000に分類することも可能らしい。前述の通りクシャトリヤや宗教指導者が認めれば職分のアップグレードの事例もある

ブラフミン:祖霊信仰を核とした皇族・公家(神別氏族)、宗教指導者(聖人の子孫達、例:親鸞の子孫)、清和源氏・桓武平氏等の日本型宗族の門閥・閨閥
クシャトリヤ:武士
ヴァイシャ:裕福な地主・商人・金貸し(後世に農業はシュードラに譲り商業)
シュードラ:百姓、町民、一般人・平民
不可触民:エタ・非人、奴婢等

ヴァイシャは当初は農業も含んだが後に農業階級を指さなくなるため、シュードラは士農工商の町人・百姓の両方を兼ねるが、後に富裕層に変わったヴァイシャが君臨する

つまりカーストや士農工商は宗教から来る慣習法的な社会制度であり、現代人の考える成分法的身分制度ではなく宗教をルーツにする。儒教・神道(神儒一致思想)の祖霊信仰から来る士農工商とインドのヒンドゥー教原理主義カーストの共通点は、
権力者が立法によって勝手に決めたものでなく、聖典(ヒンドゥーや朱熹・孔子)の聖性を支配者が利用して権力維持や社会安定の礎としたことにある(階層の自由な移動を禁じた身分統制令を発した豊臣秀吉政権も藤原惺窩を重用している)

Hindu religious texts assigned Vaishyas to traditional roles in agriculture and cattle-rearing, but over time they came to be
landowners, traders and money-lenders.[1]

重要な税収源である農耕民が逃げないよう明文化または慣習的に規制をはるのは、世界中どこもでも見られるが、キリスト教の改革から取り残されたインド、東アジア(日中朝)ではそうした慣習は形を変えながら廃されず温存された

戦国時代の経験から江戸時代や秀吉の時代には一定の合理性が見られたが、現代では儒教・神道(神儒一致思想)の祖霊信仰から来る士農工商のベース
となる儒教・朱子学の知識が劣化・形骸化・因習化したこと、江戸時代にかけておきた神儒一致思想は皇室、公家、武家に限定して流行したことで、
庶民側からすれば百姓への締め付け制度ぐらいの効果に限られ、士農工商でなく、士農制度と呼ぶべき状態だったと考えることができる

https://kotobank.jp/word/走百姓-114322
江戸時代,貢租の重圧,役人の不正に反抗し,凶作時の租税の減免を求めて,移住の禁を犯し,居村から逃亡して他領に逃げる農民。逃散 (ちょうさん) が計画的な集団的行動であるのに
対し,個別的なものである。走百姓の持高については,領主に対し村が惣作の形で責任を負い,領主は彼らの還住 (げんじゅう) を促す政策をとった。

215 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:53:05.22 ID:MMhIManN0.net
差別を創り出しているのは「信じるものは救われる。信じない人は地獄行き」なんて教える宗教なんだよ
キリスト教なんか、猫は魔女の使いとか言って殺処分して、ネズミの大繁殖招いてペスト大流行させた元凶
長崎から多くの日本人が奴隷として拉致された。キリスト教がやったことだぞ奴隷交易。秀吉が禁止令出すまでやった。島原の乱だってキリスト教が引き起こし多くの人を殺した。
天動説信じないものは処刑。1996年までやってたんだぜ。

そんなキリスト教信じるバカが多い。

216 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:53:19.73 ID:ML+SyIAn0.net
>>980 >>981 >>982 >>983 >>984 >>985 >>986

日本式朝鮮朱子学を導入した林羅山の林家は徳川幕府に長きにわたり仕え身分差別制度を促進した
身分統制令を発した豊臣秀吉も藤原惺窩を用いたため、徳川家康より秀吉が先に朝鮮朱子学を導入したとの説もある

https://ja.wikipedia.org/wiki/上下定分の理

その羅山が打ち出したのが「上下定分の理」である。羅山は寛永6年(1629年)に著し
た自著『春鑑抄』[注釈 4]において、「天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別
あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ」と記している。

羅山によれば、天が上にあり、地が下にあることは時代の転変いかんによらない絶対不変
の天理なのであり、それは君臣、父子、夫婦、兄弟などあらゆる人間社会の上下関係[注釈 5]
をも貫くものである。そして、士農工商の身分秩序もまた、天理によるものであるから不変不滅
なものである、と述べる[1]。朱子学の理気説にあっては、「理」とは本来万物のなかに存在し、
万物を存在たらしめる根源・原理である[4]。したがって、それは人間社会のなかにもあって、
人間関係を秩序づける原理・法則として機能する、と羅山はとらえたのである[4]。

そして羅山は、上述の『春鑑抄』において、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を
保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)
が重要視されるべき、と説き、とくに身分に対して持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)
を強調した(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼とし
て現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)[2][注釈 6]。

林羅山は、江戸幕府の徳川家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕え、その侍講として儒書や
史書を講じて幕政にも深くかかわった。その活躍は、『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』など
の伝記・歴史の編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の
応接など多岐にわたっている[5][注釈 7]。また、かれの努力によって朱子学は幕府の「正学」
[注釈 8]とされ、かれの子孫は林家として代々朱子学を講ずる家としてつづいた[3][注釈 9]。

217 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:53:41.60 ID:mjEU7DHT0.net
何で天皇制とか身バレする単語使うのか理解できん。
バカだからなんだろうが。

218 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:53:51.07 ID:ML+SyIAn0.net
>>990 >>991 >>992 >>993 >>994 >>995 >>996

明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ

今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、皇室を利用する連中の門閥特権意識と血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる

山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ

だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下民出身の下級テロリスト武士が栄達し実権を握る
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋が実権を掌握したのは何ら驚くべきことではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

219 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:54:33.04 ID:ML+SyIAn0.net
>>307 >>308 >>309 >>317 >>318 >>319 >>327

後醍醐天皇が重用した文観の真言立川流はオウムや後期密教の教義に近いとする説もあり弾圧され消滅した
公家・武家・破戒僧による無礼講(乱交)という乱行騒ぎであり、立川流のタントラの実体を問わずとも猪熊事件や花園天皇宸記から朝廷の腐敗・腐臭は十分に推測できる

破廉恥な日本神話の乱痴気騒ぎと一致する点においても、朝廷や京が必ずしも道徳の府でなかったことが分かる
また全てが血縁で動き、前例踏襲主義の朝廷には自浄作用が働きにくく独特の澱みが堆積しやすい

https ://kotobank.jp/word/無礼講・不礼講-2080806

花園天皇宸記‐元亨四年(1324)「不レ着二衣冠一、殆裸形、飲茶之会有レ之〈略〉此衆有二数輩一、世称レ之無礼講〈或称二破礼講一〉之衆云々」
太平記「能く能く其の心を窺ひ見ん為に、無礼講(ブレイカウ)と云ふ事をぞ始められける」

https ://ja.wikipedia.org/wiki/密教
https ://ja.wikipedia.org/wiki/無上瑜伽タントラ

後期密教
中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、理論より実践を重視した無上瑜伽タントラの
経典類を中心とする後期密教が登場した。後期密教では仏性の原理の追求が図られ、また、それに伴っ
て法身普賢や金剛薩埵、持金剛仏が最勝本初仏として最も尊崇されることになった。

また、インドにおいてヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受け
たとされる、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す無上瑜
伽の行も無上瑜伽タントラと呼ばれる後期密教の特徴である。男性名詞であるため男尊として表される
方便と、女性名詞であるため女尊として表される智慧が交わることによって生じる、密教における不二
智[注釈 20]を象徴的に表す「歓喜仏」も多数登場した。無上瑜伽タントラの理解が分かれていた初期の
段階では、修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、あるい
は象徴的な意味を持つ諸尊の交合の姿から発想して、女尊との性的瑜伽を実際の性行為として実行する
ことがあったとされる。そうした性的実践が後期密教にどの時期にいかなる経緯で導入されていったか
についてはいくつかの説があるが、仏教学者の津田真一は後期密教の性的要素の淵源として、性的儀礼
を伴う「尸林の宗教」という中世インドの土着宗教の存在を仮定した[23]。後にチベットでジョルと呼
ばれて非難されることになる性的実践[24]は主に在家の密教行者によって行われていたとも考えられて
いるが、出家教団においてはタントラの中の過激な文言や性的要素をそのまま受け容れることができな
いため、譬喩として穏当なものに解釈する必要が生じた[25]。しかし、時には男性僧侶が在家女性信者
に我が身を捧げる無上の供養としてそれを強要する破戒行為にまで及ぶこともあったことから、インド
の仏教徒の間には後期密教を離れて戒律を重視する部派仏教(上座部仏教)や、大乗仏教への回帰もみ
られた。

220 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:55:07.83 ID:ML+SyIAn0.net
>>328 >>329 >>337 >>338 >>339 >>347 >>348

明治維新の序章となった尊王攘夷は水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった

門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。

印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう

なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える

皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ

国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう

221 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:55:36.71 ID:ML+SyIAn0.net
>>349 >>357 >>358 >>359 >>367 >>368 >>369

平安貴族の例を考えれば旧皇族のスキャンダルも何らおかしいことはない

フルートのつぶやき@Blanclime
1月15日
「旧皇族・旧宮家の人間にスキャンダルが流れるのは決して珍しいことではない。
むしろ、考えようによっては、今回のような個人的な犯罪よりもっと悪質な、
“旧宮家の権威”を悪用するような事件を頻繁に起こしている。」

フルートのつぶやき@Blanclime
1月15日
「彼らは皇籍離脱し、自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなったわけだが、
多くの旧宮家はこれまで同様の華美な生活を維持するために、大量の資産を元手に商売
を始める。その過程で怪しげな人物に騙される人が後を絶たなかった。」

フルートのつぶやき@Blanclime
1月15日
「牧場経営や菊の紋章を入れた“久邇香水”の製造販売、ダンスホール経営などに
手を出し失敗した久邇宮家。そして、禅宗の僧を名乗る人物にカモにされ食料品店、
喫茶店、骨董屋を開きすべて潰した東久邇宮家。」

222 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:55:59.61 ID:ML+SyIAn0.net
>>377 >>378 >>379 >>387 >>388 >>389 >>397

戦前の皇族は貧民が餓死、子供の身売りなどしている中で豪奢な生活をし
その資産は大財閥の資産を全て合算したものを超えていたとの説もある(実際は大財閥の大株主だったらしいので比較に意味はない)
最大では大財閥一族の資産全てを合わせた額の10倍なんて途方もない資産だったという声もある

これだけの資産を持つ王室となると、ロシア皇帝やサウジアラビア王家とも比べられるかもしれず
明らかに経済や社会システムとして望ましくなかった

また宮家には素行も良くないものが多くおり、皇室の品位を事あるごとに貶してきたという声もある

今の皇室はそれに比べ、行動によって称号に相応しいことを示したことで国民からの尊敬を得ている

223 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:56:35.65 ID:ML+SyIAn0.net
>>398 >>399 >>407 >>408 >>409 >>417 >>418

戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された

https ://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3%E8%A7%A3%E4%BD%93-1313818
…終戦時の皇室財産の総額は総司令部発表で約16億円(美術品,宝石等を含まない),財産税納付のさいの財産調査(1946年3月3日現在)
によれば約37億円と評価されている。かくして皇室財産解体の第1段として,47年2月財産税法が適用され皇室財産の90%にあたる
約33億円が徴収された。ついで財産税納入後残る10%の皇室財産は,憲法第88条の発効とともに国に帰属することとなった。…

https ://history.state.gov/historicaldocuments/frus1947v06/d178
The application of the capital tax levy law to Imperial Household property will result in the formal transfer to the State by 15th
March upwards of 80 to 90 percent of the total assets of yen 1,675,267,073. The remainder consisting of Imperial palaces, villas
and preserves to a value of yen 169,299,890 will become automatically State property on 3rd May 1947 and will be designated
as State property assigned to the throne to be administered and accounted for to the Diet in accordance with the provisions of
the Imperial House Economy Law and the State Property Law.

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本のインフレーション
日本国政府は、1945年(昭和20年)12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、
傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。
インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、
1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の
上昇率はこれより低い)[14]。敗戦後のインフレは年率59%であった[15]。1947年のインフレ率は125%となった[16]。

戦前の(皇居や御用地を除いた)皇族財産は皇居の土地(帳簿は5000億円だが、皇居を1平米1000万で換算すると10兆円になる)の約10倍という計算なので
現在価値で5兆円〜150兆円近くの資産があったと考えることもできるが、昭和20年の国家予算歳出(一般会計)が215億円となり、終戦時37億円保有(〜46年3月3日調査)していたとのことで
現代で言えば一般会計約100兆円を基準とすると17兆円程度となる

1947年はかなり悪質なインフレとなるので、それ以降の数値は信頼しないとすると、昭和20年の一般会計と1946年3月(敗戦後半年経過以内)の調査を微調整するとマイナス数兆円に再評価しても良いかもしれない
なお戦後まもなく大量に保有していた国債の価値は、先行して暴落したはずで数兆円多めに補正をしても良いかもしれないが、さらなる調査が必要だろう
プラスとマイナスを相殺すると17兆円程度の金融資産ではないかと予想(主な大企業の大株主、国債の大量保有)する
(終戦時には財閥の保有財産は破壊しつくされ株式価値は相当毀損しているだろうから、戦前の株資産価値がはるかに高いと想定すると17兆円どころではない)

224 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:57:05.11 ID:7sNWX3Ws0.net
キリスト教は毒だ

225 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:57:14.25 ID:ML+SyIAn0.net
>>419 >>427 >>428 >>429 >>437 >>438 >>439

>明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった

象徴制の「象徴」という用語は辞書的な定義とはかなりずれる
君主のsymbolとしての象徴化は19世紀の段階で議論されているわけで、海外からすると象徴も君主・元首のダウングレード版となる
実体として権力・権威を取り除かれた君主が象徴制君主であるため、象徴は「君主・元首」のダウングレード版と考えれば良い

識字率が低い19世紀イギリスにおける象徴の機能の骨子は、19世紀の文盲で教育がなく情報もない大衆が権利を行使しやすい直接民主制(国民投票による大統領選出等)の道理・正当性に対抗して
「間接民主主義で選ばれたエリートが国民を円滑に支配するための手段」となる
ウォルター・バジョット「イギリス憲政論」(19世紀イギリス)によると、最底辺や中間レベルの大衆はエリートに対して忠誠を示さないが、高貴な君主がいれば社会体制に対する支持を得やすく
有用な政治的ツールである。そして選挙によって選ばれた賢者たるエリートの代議士が効率的に支配するという考え方において、「象徴」はエリートの使いやすい道具と言える
19世紀イギリスの一般人は文盲でろくな教育も受けず貧しく愚かであり、威厳のある高貴な天上人である象徴があることで、(政治思想による)主義(-ism)から独立した国民の効率的な支配ができるという説に依る

これに対して日本ではエリートの質が著しく劣り(科挙や利権権力維持しか能がなく、一般人の方がよっぽどましなぐらい使命感・専門的知識・献身的資質が欠如)、
緊急事態や国が急激に衰退している状況でも日本に四季や国体があるから大丈夫程度で済ませてしまう愚物が大半のため、
これであれば直接天皇が責任を取る親政のほうがましという投げやりな圧力が底辺から湧いてきた。天皇親政運動の根本には、天皇が儒教君主の徳を体現しエリートの
悪政から解放してくれる救世主という意味合いが強く、エリートがどうしようもなく腐敗し堕落した国家における儒教原理主義の一形態と言える(市民革命ならぬ儒教革命・朱子学革命)

象徴はエリートの質が担保できた場合にのみうまく作用するが、日本人の精神的文化には一時的に良いものに飛びついても外部のものであれば悪いところばかり貶して良い面をポジティブ
に捉えず、内部のゴミのような欠陥品をあがめる素質があるため直接民主主義には向かず、大統領制よりはるかにマシな選択と考えることはできるため一定の合理性は認められる

https://ja.wikipedia.org/wiki/象徴天皇制
ヨーロッパの君主制との比較
君主制をとる国で、日本の天皇のように君主に政治的な権限がない国は、北欧やオランダ、スペインなどが挙げられる。

日本の天皇以上に政治的な権限が制限されている君主として、スウェーデン国王があげられる。1979年の憲法改正以後、
首相任命権などの形式的な国事行為すら認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。
そのため、象徴君主制という新たな区分を設けるべきではないかとする意見がある。

その一方で、リヒテンシュタイン家は、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、
ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。

ウォルター・バジョットは「イギリス憲政論」で成文法の憲法を持たないイギリスでヴィクトリア女王をsymbolと位置
づける憲政論をしている。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_English_Constitution
England had a ‘double set’ of institutions – the dignified ones ‘impress the many’ while the efficient ones ‘govern the many’.
The dignified or ‘theatrical’ parts of the system played the essential role of winning and sustaining the loyalty and confidence of
the mass of ordinary people whose political capacities were minimal or non-existent; they helped the state to gain authority and
legitimacy, which the efficient institutions could then use. Bagehot was an unashamed elitist who believed bleakly that the ‘lower orders’
and the ‘middle orders’ were ‘narrow-minded, unintelligent, incurious’. Throughout The English Constitution, there are references to
‘the coarse, dull, contracted multitude’, ‘the poor and stupid’, ‘the vacant many’, ‘the clownish mass’.

226 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:57:39.81 ID:ML+SyIAn0.net
>>447 >>448 >>449 >>457 >>458 >>459 >>467

海外だと王族が多すぎると王族のなりそこないが、正統な王と主張して他国の力を借りて侵略してくることがあるので現王族を除いた王族の系譜の親族は皆殺し・根絶やしにすることは結構ある
ヨーロッパでは宗教的に一夫一妻しか許されないため、王族の絶対数が少なく不要な政策だったが、皇位継承者の多いオスマン・トルコやその他の多妻制があった国では良くある話だ

日本は島国のため、遠島に追放された場合でも海外から援助を受けるのは難しく懸念は全く無かったが、これだけ交通手段が発達し移動が簡単になると中国・ロシアあたりの
援助を受ける旧皇族も現れる可能性がある(中国に移住した西園寺公一の実父は毛利元徳なので天皇家との関係は薄かったが、養父の西園寺公望の実父は東山天皇の男系五世子孫である徳大寺公純だった)

現状は問題ないとしても皇位継承者がいなくなり揉めるような事態となった場合は、新たに皇位を得た二・三等親内の皇族を除いた「皇位継承の要求者」(pretender)となりうる旧皇族や縁者は
処刑(血を流さずに陰で殺処分)根絶やしの検討をすることもありえる(旧王族や王族のなりそこないの支援者・関係者も根絶やしとする事もある)

227 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:58:07.30 ID:ML+SyIAn0.net
>>468 >>469 >>477 >>478 >>479 >>487 >>488

中国をお手本とした結果、「女三界に家無し」なんていう蛮族の因習が作られた

「女三界に家無し」
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。

【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540695700/

「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。

228 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:58:12.18 ID:H92IRKHx0.net
日キはともかく聖公会もあっち系だったの?

229 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:58:29.95 ID:ML+SyIAn0.net
>>489 >>497 >>498 >>499 >>507 >>508 >>509

>忠君愛国はある意味世界標準な概念

これは言うまでもなく誤解だ

儒教・朱子学の君主、神権主義の君主、古代王権神授(absolutismや絶対王政の前)の君主では似ているようで異なる
日本では江戸時代に朝鮮朱子学をベースにした国学が流行し儒教・朱子学と原始宗教(実際は相当前から儒教化)の神権主義が習合した
(水戸学によって神授仏から廃仏毀釈で神儒に移行、江戸時代から廃仏毀釈は行われる)

欧州の古代王権神授説であれば、王は神の使用人、世話人であり、国民に対して奉仕し、客観的な真実に基づく説明責任を負う
君主が責任を負えないのであれば裏で殺処分をすることもある

他国で戦争に命をはる場合のスローガンも日本とは異なる
親兄弟、姉妹、子供・孫、親戚、友人、コミュニティー、資産、自由を守るために、命をかけて戦おうというのが一般的なスローガンだ

つまり他国の奴隷には決してならない、そのためには死を厭わないという理屈だ
ただこれは主君や貴族の奴隷にもならないという意味も背後にあり、国民は自由であるべきということだ

(誰が国民かというのは古代では色々とかわってくるが、アリストテレスはエリート・富裕層以外に投票権を与えるのは無政府状態と断じており、
今日の民主制に進化したのは人類文明の進歩の成果といって良い)

230 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:58:54.19 ID:+dbEtgX20.net
文句を言ってる韓国系の糞宗教さん、創価、公明にも言えば?

231 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:59:05.99 ID:ML+SyIAn0.net
>>517 >>518 >>519 >>527 >>528 >>529 >>537

忠君と愛国は別個の思想であり、同じではない。また忠君の最大の根拠であった神風・神州不滅伝説が崩壊したことで、忠君によって
国が滅びる事例を、膨大な死者を生み出した社会実験によって身を持って証明した

>君臣一体、忠孝一致

君臣一体は朝鮮朱子学に由来するものだが
おそらく戦後になってさえもそれが日本人や朝鮮人特有の精神不安障害だと認識できなかったのは
自称有識者が「united」を「一体」として強引な翻訳をしたからだろう

確かに(国王が女王がいる体制下では)王室と国民が一致団結(unite)して自由を守るというのは当たり前だ
しかし「一体」という言葉は明らかに「一致団結」とは異なる意味を持たせられる

英語では「united under one banner」とか「united under one king」は一つの旗のもとに団結や、一人の王のもとに団結という意味がある

これは朱子学の君民一体に似ているようで全く違うニュアンスがある。英語圏ではあくまでも独立した個人が集まるチームの団結をとなえる修辞を
こえた意味はもたないが、北朝鮮や戦前日本、李氏朝鮮のような儒教圏では民は君主の子供として一体となる(忠孝一致、君臣一体)

同質性不安症、集団中庸パニックといった朝鮮人や戦前日本人国家主義者に共通した欧州と全く関係のない用語として
定義された君主と臣民一体という標語の結果は、北朝鮮の金王朝を見れば明らかだ

232 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 00:59:06.45 ID:7mpa+4Ay0.net
結局日本民族の歴史の中元がヘブライ人のヘブライ文化
邪馬台国のことはヤマタイコクとは呼ばず
ヘブライ語でマタイ国
ヘブライ語の意味はキリスト十二支族のことを意味し
イスラエル王国のユタ族がアラビア海から海ルートで2300年前に沖縄に渡来
弥生人であるヘブライ人達ユタ族は日本の物部氏がそのユタ族の末裔
沖縄にはユタ族の名残の地名がかなり残ってる
その彼らが九州から四国へ渡り剣山に今も残るキリスト生誕祭りの儀式が現在も残って
戦後アメリカGHQが仁徳天皇陵の遺物と一緒に剣山の遺骨や遺物をアメリカの博物館へ保管収納
結局現在もアメリカ博物館に残る剣山の遺物こそ邪馬台国の遺物
まぁ相変わらずそのことを知った朝鮮人達が四国のお百度参りをしては剣山に
ウリナラキリスト教団がきてはわけのわからない儀式を始める
本当馬鹿としか思えない

233 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:00:13.85 ID:ML+SyIAn0.net
>>538 >>539 >>547 >>548 >>549 >>557 >>558

(流した血に比例する)力の理論による軍事クーデターによって反キリスト教・反自由主義者を駆除してから、キリスト教を受け入れさせることで、皇室と現皇族は自由主義(自由と正義)の象徴となれるだろう(水戸学国体の幼児妄想から皇室は脱皮させねばならない)

品性下劣で野卑であり品格欠如の俗悪神が登場するために学校では教えられない日本神話を知れば、排泄物の神達が生殖し、犯罪し放題の暴れん坊(自称)神の子孫がいる島国の土人習俗・因習のために数百万人が死んでいったことに無知だった連中は驚くだろう
過去の失敗の学習能力があるのであれば繰り返すわけはないが、日本には今だに中世儒教土人が住み着いているようで、こうした連中は成長がみられないなら精神レベルが同じ隣国に国外追放をするか、殺処分しか処理方法がないだろう

共産主義者が資産の平等と主張するなら脊髄反射で詐欺と批判するのは理解できるが、普通の学生やまともな学者が法の下の平等や自由主義国家の常識である人権を語るだけでもチョンとか共産主義者と
レッテル貼りをするような連中がいることで、まだ日本に儒教土人が多くいることが確認でき、その中に自称特権階級がいたことは意外な発見と言える

日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

旧門閥貴族・旧皇族の平民の中に、いまだに身分や血筋、性別や出身で特権があると主張したり、人間を分類して差別するような連中が一部いるが、これの幼稚さに気づけない点で精神修養の余地は多いにあるだろう
向学心の無い血筋しか誇れるものがいない劣等感の持ち主だから改善はおそらく見込めず精神修養をしても無駄かもしれないが、それでも魂が生まれ変われる可能性はゼロではない
身分差別のない法の下の平等とは恩恵であり、これを罵ったり男女同権を制定したGHQに呪詛を吐くようでは、日本神話に出てくる生活廃棄物の自称神と大して変わらない古代の土人酋長の幻想と過去の栄華にいまだに生きているということだ

現行憲法の法の下の平等、身分・性別・その他差別の禁止、貴族の禁止をどうしても受け入れられないなら、朝鮮朱子学を奉じるお隣の国にいけば良いのだが、儒教土人の自称門閥一族の国外出奔を誰も止めはしないだろうし二度と返ってくる合理的必然は現行憲法の日本にはない
日本中から煙たがれも、どうしても日本に住みたいなら、未来は決して低能中世土人に優しくないことを理解すべきだろう

234 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:00:15.45 ID:jp3bC3U40.net
>>215
キリストを信じなければすべて救われない
しかし、キリストを信じたからといってキリストが救済するとは言っていない
全ては生まれる前から救われるかどうかは決まっており、現世でどれだけ良いことをしてもそれは全く影響しない
これが本当のキリスト教(旧約聖書の「ローマ人への手紙」)にある「予定説」

235 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:00:38.55 ID:ML+SyIAn0.net
>>559 >>567 >>568 >>569 >>577 >>578 >>579

スペインでは国王が主導でイスラム教徒と隠れイスラム教徒、イスラムの支配で大きな利益を得た裕福なユダヤ人の虐殺をしている
反面、北欧やイギリスでは異端審問そのものが流行ることはなかった

これはイスラム教国との戦争、イスラム圏への近さ、さらにイスラム教徒が多くいることと関係
があったと見ることができるだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/異端審問

この種の異端審問制度はドイツやスカンジナビア諸国など北ヨーロッパへも拡大して
いったが、ほとんど定着せず、場所によってはより穏健な形のものに変容していった。
また、イングランドでは異端審問はほとんど行われなかった。中世の異端審問がどれ
ほどの規模で行われたのかは正確に知ることは困難だが、現代の人々が想像するほど頻
繁に大人数の処刑が行われたとは考えにくい。記録によれば、中世異端審問が最も活
発に行われた1233年に南フランスの異端審問官に任命されたロベール・ル・プティは
数百人に火刑を宣告したが、刑罰が過酷すぎるという理由で1年目で解任された。有名
なベルナール・ギーは異端審問官を16年間の長きに渡って勤めたが、死刑を宣告した
のは40件に過ぎなかった[7]。

236 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:01:04.05 ID:ML+SyIAn0.net
>>587 >>588 >>589 >>597 >>598 >>599 >>607

ポルトガルはキリスト教・イスラム教の戦争が激化した該当時期にモロッコの沿岸部を領地にしている

この沿岸部ではイスラム教徒の奴隷貿易が
大きな利益を出しており、大航海時代のポルトガルが奴隷貿易を高利の商売として認識する結果になった可能性は高い

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Portuguese_Morocco.PNG

Portuguese ventures were intended to compete with the Muslim trans-Sahara caravans, which played a key
role in the highly profitable Muslim slave trade and also held a monopoly on West African gold and ivory.[15]

The Portuguese claimed territorial rights along the African coast by virtue of having invested time and treasure
in discovering it; the Castilian claim was based on their being the heirs of their Visigoth ancestors. In 1454 a
fleet of caravels from Seville and Cadiz traded along the African coast and upon their return, were intercepted
by a Portuguese squadron. Enrique IV of Castile threatened war. Afonso V appealed to the Pope for moral support
of Portugal's right to a monopoly of trade in lands she discovered.[16]

アジアでキリスト教の布教が成功した地域はフィリピンぐらいだ
それ以外の布教を禁止していない国家(中国やインド、東南アジア等)では布教には成功したとは言えない、しかし結局植民地化されている
これは宗教の差以前に兵士の武装・練度、工業力、科学技術、技術革新、文明の格段の差が、未開の部族国家を圧倒したに過ぎない

無一文でポルトガル・スペインと比べ遥かに非力な山田長政がシャムで日本人の治外法権地区と独立軍事組織を作れたことからも不可能でないことが分かる

フィリピンを除けば植民地化をする最中にキリスト教徒が劇的に増えたというほどでもない
東南アジアを見ればキリスト教の人口比率は多くない

237 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:01:10.74 ID:RXLsV0/I0.net
マリア処女懐妊という究極の処女厨がw
銀貨で裏切られるカリスマw
生き返ったのにすぐ死ぬ無能w
他にも色々突っ込みどころあるんですが。

238 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:01:35.31 ID:ML+SyIAn0.net
>>608 >>609 >>617 >>618 >>619 >>627 >>628

現状は神道の教義の稚拙・下劣さのため宗教とは認められず、神風・神洲伝説による敗戦によって
古代王権(absolutismや絶対王政の前、神の使用人となり国民に奉仕)は失われている

クーデター後にキリスト教宗派(カトリック、英国国教会、ルーテル)のいずれかの司祭・牧師を派遣させ皇室に洗礼を
受けさせることができれば国際的なメッセージとなるので一石二鳥となる

クーデター時には皇室は不要だが、クーデター後には皇室の利用価値はあるだろう

239 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:02:06.45 ID:ML+SyIAn0.net
>>629 >>637 >>638 >>639 >>647 >>648 >>649

冷戦時に同盟国として日本を優遇してきたアメリカが望み続けたのは自由主義国家でキリスト教化
した日本であったことは間違いなく現在の官僚が支配する半分社会選民主義・半分儒教資本主義の日本は
失望・失笑が絶えぬといったところだろう

だがアメリカの前提に反逆するだけの力が日本には無いことは間違いない

安倍晋三のように土下座に長じた総理大臣に恵まれれば、それでも延命することは可能だろう

日本も形式だけでもキリスト教化し、徐々にでも本格的な自由主義化に取り組まなければいつかは見放さ
れる可能性は理解すべきであり、見放されたなら通常戦力でも圧倒されている日本は中国の植民地
(良くて植民地、悪くて虐殺後に漢民族の奴隷、奴隷として漢民族に同化) になりかねない

240 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:02:14.39 ID:+dbEtgX20.net
おい、韓国系キリストさん
アラーの神の宗教にも言ってやれよw女性差別ひどいよ?

241 :名無しさん@1周年:2019/03/12(火) 01:02:17.38 ID:7mpa+4Ay0.net
結局近い将来占いでは朝鮮人達は滅ぼされることになっているから
結局日本民族がどうこうより
中国かロシアが朝鮮半島乗っ取りで朝鮮人達を皆殺しにするか
アメリカが朝鮮半島攻撃して朝鮮人達を滅ぼすか
まぁ相変わらず薄汚いやり方で誤魔化してきた朝鮮でもこの中国ロシアアメリカ相手ではどうすることもできないだろ

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