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【奴隷労働】「昭和の炭鉱労働」強烈に危険だった現場の記憶ブラック企業も真っ青な超残酷な労働環境

1 :双方SOHO ★:2019/02/27(水) 16:55:14.34 ID:V+evzuy/9.net
今はなき昭和の風景の1つに炭鉱の町がある。リリー・フランキーの『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(扶桑社、2005年)や、映画『フラガール』(2006年)などで廃れていく炭鉱の町を扱った作品も少なくない。

当時を知らない世代にとっては、近隣住人同士の絆(きずな)の深い、人の温かみを感じる生活といったノスタルジックなイメージを持っているかもしれない(実際にはそんな生活は望まないとしても、うらやましく感じるものだ)。そんな炭鉱も、1960年代後半から1980年代にかけて次々と閉山していった。

炭鉱の町としての役割を終えた後は、ある町は映画『フラガール』のように、新たな産業(『フラガール』では、大型レジャー施設である「常磐ハワイセンター」=現・スパリゾートハワイアンズ)を興して生き延びたり、片や住人たちが新しい職を得るため、みんな出ていってしまって廃墟化したりしたところも少なくない。

炭鉱労働者の扱いは「奴隷並み」
後者の中で有名なところでは、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界文化遺産の1つに登録された端島、通称「軍艦島」がある。

1974(昭和49)年に炭鉱の役割を終え、全島民が離島して放置されたままになっていたこの島には、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅(1916年=大正5年築)をはじめ、建物がぎっしりひしめき、一時は世界最高クラスの人口密度を誇っていたという。廃墟マニアならずとも興味を引きつけられる。

いったいそこには、どんな生活があり、炭鉱での仕事はどんなものだったのだろうか。炭鉱によりまちまちだっただろうが、ここでは軍艦島での実態を見ていきたい。

まず生活レベルだが、これは時代によって相当異なる。軍艦島が世界遺産への登録をギリギリまで阻まれた原因として、戦前、戦中に日本の植民地支配下にあった朝鮮からの強制連行者や、日本と交戦していた中国の戦争捕虜を働かせていた問題があった。

ただ、こうした外部からの連行者が来る前から、炭鉱島での労働環境はかなりブラックな状態にあったという。ブラックどころか、奴隷並みの扱いをされていた。

(続きはソースで)

東洋経済オンライン 2019/02/27 5:30
https://toyokeizai.net/articles/-/265057?display=b

424 :名無しさん@1周年:2019/03/04(月) 16:40:47.17 ID:rZQsuiR10.net
>>421
中国って結構いい国になったんだなw

総レス数 424
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