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【実名告発】日本でもカトリック神父の性虐待 日本人少年「彼のものを直につかまされ、私は無言で手を動かした。神父様は絶対ですから」

877 :名無しさん@1周年:2019/02/10(日) 20:03:17.67 ID:9DKl/yuU0.net
>>997 >>898 >>899 >>907 >>908 >>909 >>917

日本の神道は自然信仰というよりは氏神などの先祖霊信仰がより強い原始宗教の一例であり中国の儒教に近い

攘夷思想は中華発祥の朱子学由来だが、宋が攘夷に成功したかは歴史を見ればわかるだろう

https: //ja.wikipedia.org/wiki/尊王攘夷

古代中国の春秋時代において、周王朝の天子を尊び、領内へ侵入する夷狄(中華思想における異民族。
ここでは南方の楚を指す。)を打ち払うという意味で、覇者が用いた標語を国学者が輸入して流用したものである。
斉の桓公は周室への礼を失せず、諸侯を一致団結させ、楚に代表される夷狄を討伐した。その後、尊王攘夷
を主に唱えたのは、宋学の儒学者たちであった。周の天子を「王」のモデルとしていたことから、元々「尊王」と書いた。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/天子

王は天(天帝)の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とする。周代、周公旦によって
「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。王家が徳を失えば新たな家系が天命により定まる」
という「天人相関説」が唱えられ、天と君主の関係を表す語として「天子」が用いられるようになったという。秦の始皇帝
により、天下を治める者の呼称が神格化された皇帝へと変わると、天子の称は用いられなくなったが、漢代にいたり儒教精神
の復活をみると、再び天子の称が用いられるようになり、それは皇帝の別名となった。

宋学以前なら神道と儒教は先祖霊信仰において、おおむね重なり、律令制度などによって厳しい身分差別制度も導入される
ただ「先代旧事本紀」などの氏神信仰は皇統の価値を希釈化していく要素もあり、中臣・藤原が天皇の血筋よりも格上と主張することも不可能ではない

https: //ja.wikipedia.org/wiki/氏神
本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった[1]。
例として、中臣氏は天児屋命、忌部氏は天太玉命を祀った[1]。また、中臣氏と関係の深かっ
た武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)を、藤原氏が春日大社に祀るなど特殊な例もあった[1]。

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