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【京都】「ノモンハン事件」従軍手記 元兵士の遺品発見 「当時の軍上層部は近代戦に対する認識に全く欠けていた」

1 :樽悶 ★:2018/11/02(金) 01:18:04.54 ID:CAP_USER9.net
野村照一さん(右下の写真)の手記を手にする長女の中山征子さん(右)と夫の裕さん=京都府長岡京市で、国本ようこ撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/31/20181031oog00m010045000p/9.jpg

■兵士の苦難、草原一面に馬の死骸…

 第二次世界大戦直前の旧日本軍の大失敗の一つに挙げられる「ノモンハン事件」に動員され、宇治市で昨年5月に101歳で亡くなった野村照一さんの遺品から今月、過酷な従軍体験などを回想した手記が見つかった。遺品を整理した長女の中山征子(いくこ)さん(74)=長岡京市=は「父から戦争の話は聞いていたが、手記のことは知らなかった。華々しく戦ったというのではない、一兵卒から見た戦争が記されている」と話す。【国本ようこ】

 「運命の狭間で 命を拾った話」と題された手記は400字詰め原稿用紙37枚。幼少期から戦中・戦後まで6話で構成し、1989年10月に完成と記されている。

 野村さんは1916(大正5)年、福井県内の農家で10人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。尋常高等小学校高等科を28(昭和3)年に卒業後、京都市でハイヤーの運転手をしていた兄の下で働き、自動車の整備を覚えた。

 37(昭和12)年に志願して陸軍に入隊。金沢の輜重兵(しちょうへい)第九連隊に所属した後、39年6月に旧満州(現中国東北部)へ渡った。旧ソ連軍・モンゴル軍と日本軍が国境を巡り交戦していたノモンハン事件の戦線に回され、武器や弾薬を自動車で輸送する役割を担った。

 手記では「ソ連軍は数日のうちに補給を完了したのに、日本軍には補給力がなかったようだ」などと指摘。日本軍の歩兵が「たこ壺(つぼ)」と呼ばれた穴で敵の戦車を待ち、地雷を竹の棒の先につけて戦車の走行用ベルトに差し込んでいたことなどを記している。

 野村さんは250キロあったという基地間を自動車で移動したが、歩兵は夏の暑い草原を1週間かけて行軍。「落伍(らくご)兵が手を上げ、乗せてくれと拝む者もあって止まると、ワーッと押しかけて自動車のまわりに鈴なりになった」と描写し、末端の兵士の苦難をうかがわせる。

 また、不用意に戦場近くまで砲車をけん引させた何百頭もの馬が敵機に襲われ、草原一面に死骸が広がっていた光景を詳述。「馬のいない砲兵なんて鉄砲を持たない歩兵より始末が悪い。移動の手段を持たない重たい大砲なんて何の役にも立たない」「当時の軍上層部は近代戦に対する認識に全く欠けていた」と憤りを示している。

 その後の44年、野村さんは現在の中国湖南省で敵機の爆撃に合ったが、何かの破片が服の左襟を貫通。「もし喉を貫通していれば、即死か苦悶(くもん)の末に一命を落としていた」と振り返った。

■「父と再会した気持ち」

 野村照一さんの手記を見つけた長女の中山征子さんは、1944年9月に旧満州(現中国東北部)の東安省で生まれた。母ハナエさん(97)によると、戦地の野村さんから「しばらく戻れない。先に日本に帰っておくように」と連絡があったため同年12月に帰国。征子さんは「後の情勢を考えると、私も母も(中国残留孤児を描いた小説)『大地の子』になるところだった」と振り返る。

 もっとも、旧満州では戦況などの情報を得られる旧陸軍の将校や官僚、家族らは民間人を置き去りにして真っ先に逃げたとされる。ハナエさんが同じ旧陸軍の官舎に住んでいた家族たちに後に再会した際に聞いたところ、早期の引き揚げを促す具体的な情報はなかったが、「支給される物資が滞ったり、官舎にいた兵隊さんがいなくなったりと不穏な空気を感じたので帰ってきた」と言われたという。

 野村さんは46年6月に上海から帰国した後、府警に定年まで勤めた。遺品は手記の他、軍に届けた婚姻願や戦時中の国債など、たくさんの書類がきちょうめんに保存されていた。夫の裕さん(79)と共に整理した征子さんは「亡くなった後にまた父の軌跡がわかる手記が見つかりうれしい。改めて父と再会した気持ちです」と話した。【国本ようこ】

■ノモンハン事件

 1939年5〜9月、旧満州(現中国東北部)に展開する日本の関東軍と、モンゴルの後ろ盾になっていた旧ソ連軍が満蒙国境で戦った紛争。当初は関東軍が優勢だったが、戦車など物量で勝るソ連軍の実力を関東軍が見誤り、旧式装備のまま壊滅的打撃を受けた。日本側の死傷者は約2万人、死傷率は75%とされ、旧日本軍の失敗の象徴の一つと評される。ただし、ソ連崩壊後に出た史料でソ連側の損害も膨大だったと指摘されている。

毎日新聞 2018年10月31日
https://mainichi.jp/articles/20181031/ddl/k26/040/391000c?inb=ra

145 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 05:51:29.66 ID:Sf5Bf82y0.net
最前線の師団長がソ連と内通していて、この戦争(紛争)の後、不自然な死に方をしている
ただ、この戦争(紛争)があって、軍備は航空主体に切り替えられたものの、こういう陸続きの戦場を想定していて、南方のような状態には適応しなかった

146 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 05:56:07.59 ID:UiDUrcjx0.net
>>6
ヨウツベでも観れる、ドイツ映画版スターリングラードの対戦車戦とあんま変わらないのか。

吸着地雷や携帯型地雷と、竹槍爆雷やモロトフカクテルの違いが侘しいが。

末期にはドイツはパンツァーファウストを開発したのに、日本ときたら何も変わらずで、ホンマ未開の土人やで。

147 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 05:57:44.73 ID:X8/UbM7T0.net
陸軍は日露戦争の時点でバンザイ突撃
一応ロシアに勝ったということで、そこから何も変わらず敗戦まで行った
第一次世界大戦の地獄の戦場を日本が経験しなかったことも変わらなかった原因だ

148 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:06:01.67 ID:KMKjJhWl0.net
関東軍て聞くだけで森元みたいでぞわっとする

149 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:06:35.45 ID:Sf5Bf82y0.net
ノモンハンでジューコフが勝てたのは、地形ではなく、日本側が及び腰+最前線指揮官から内通情報を得ていたの2点
それに対して、ソ連は最新兵器をほぼ全数投入した
日本が最新兵器でほぼ全数投入したのは97式戦闘機だけ
ただし、余り数がなかったことからあと2か月続いていたら壊滅していたとまで言われている

150 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:09:20.30 ID:OmYS6EfS0.net
>>144
日本軍が欧州だったら、 バトルオブブリテンに航続距離の超長い零戦が参戦、
爆撃で廃墟と化しイギリスは 敗戦していた

日本軍空母艦隊が、英軍戦艦を追い詰めてことごとく撃沈していた

151 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:35:25.64 ID:OmYS6EfS0.net
>>149
ノモンハンは、ジューコフの敗戦だよ。
でなかったら、ロシア軍は撤退してない。
ロシア軍は、負けて撤退した。

152 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:37:05.41 ID:cl5Vexef0.net
NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」
https://i.imgur.com/oaKAMxp.jpg

今でも塹壕の跡が残ってる
https://i.imgur.com/uufdKjs.jpg

153 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:37:41.99 ID:OmYS6EfS0.net
ジューコフが直接指揮していた。
ノモンハンは、ソ連にとっても大きい戦いだった
ソ連軍の重大な戦場には、必ずジューコフが派遣されて
戦っていた。

154 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:42:13.66 ID:OmYS6EfS0.net
>>152
何だ、 ソ連軍は、日本軍の2倍いたのか。
これで、地上戦は互角だった。
航空決戦で圧勝、ソ連空軍が壊滅状態だったからな。

日本軍のほうが、本格補充していたらソ連軍を追って、
ロシア内地奥深く侵攻していたな

155 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:42:29.07 ID:vA64cD090.net
実際には日本軍は国力の可能な限り火力主義をやってるがな

歩兵突撃は不足を補うための苦肉の策

国力が足りないんだからしょうがないだろう。ソ連は南下を待ってくれんのだ

156 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:45:41.60 ID:OmYS6EfS0.net
>>152
あくまでもソ連軍のほうが奇襲攻撃側だからな、
ソ連軍のほうは最初から主力の精鋭軍を全投入。
日本側の陸軍は防戦側だから、まだ完全には
数が揃っていない。すぐに全軍が防戦状態に入れる
空の戦いでは日本軍圧勝だった

157 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:48:01.68 ID:OmYS6EfS0.net
>>155オマエ、朝鮮人だろ 朝鮮人は、ネットは禁止だ

ヘンな考え方を撒き散らすからな これは米国からの韓国締め付け強化だよ

158 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:51:05.59 ID:OmYS6EfS0.net
>>155
日本だけは世界でもいちはやく世界恐慌から立ち直り、
大陸侵攻していた時代だった

日本の国力不足というのは、分からない

159 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:51:22.81 ID:7a2SLR9a0.net
ジェーコフには近代戦略のドイツ軍もやられたのだし、
ソ連軍もドイツ軍にやられて、
両方当時の日本軍と比べ物のない被害を出してる。
結果論者は何も比較する事を拒否し、間違った感情批判のみ。

160 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:52:47.12 ID:OmYS6EfS0.net
>>155
オマエの国、朝鮮半島だったら、それはさぞかし国力不足なんだろうな。

161 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:53:29.73 ID:hHC7mT+y0.net
で、だから何?

162 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:54:07.08 ID:7a2SLR9a0.net
>>1のような、感情批判のみで牟田口や辻、武藤が生まれ、彼らの武器になった。

163 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 06:58:59.29 ID:v2AvGC7Q0.net
オスプレーがマスト!

164 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:01:42.37 ID:xATqipKz0.net
ノモンハン事件か。
ソ連軍側の司令官は、後の独ソ戦で有名なジューコフ。戦後ジューコフは
アメリカのシカゴ大の歴史学者にインタビューされたとき、「あなたに
とって一番苦しかった戦いは?」と聞かれて、「ハルハ川の戦い(ロシア
側の名称でノモンハン事件のこと)」と答えたそうな。
あと、ノモンハン事件後にジューコフはスターリンに日本軍とはどんな
相手だったか聞かれて、「日本軍は兵・下士官は非常に勇敢で優秀、
若手・中堅将校に至ってはその勇敢さは狂信的。ただし一番上の将官
クラスは紋切り型で通りいっぺんのことしかできない無能」と、一番
上だけ酷評して後は絶賛したそうな。

165 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:02:27.62 ID:7a2SLR9a0.net
勝利には強い意志が必要だが、
柔軟さを欠いた硬直した戦いは、常に敗北の因になる。
近代がどうとかでは無い。
被害が大きくなる前に、その場を逃げる事も必要だ。
将来の見通しの上で韓国はもちろん、米国にも逃げる覚悟は必要な時期だ。

166 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:02:28.21 ID:NxxIPrPX0.net
このタイミングで取り上げることに
ご都合を感じるね

要は安部政権はダメだ
韓国を見捨てるな
の一環じゃねーの?

167 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:10:48.93 ID:/1JFL4DC0.net
>>1
>、不用意に戦場近くまで砲車をけん引させた何百頭もの馬が敵機に襲われ

牟田口w

168 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:11:16.37 ID:S8wqc6kj0.net
歩兵でさえ250kmを一週間、ホンジュラスの行軍はあと1000km歩いていつアメリカに着くのか
主催者は飛行機用意してやれよ

169 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:11:31.04 ID:7a2SLR9a0.net
無毛の土地に進出し、這い蹲り戦った結果がこれだ。
無毛の韓国に進出して、這いつくばって損失を広げる必要は無い。
戦いのセオリーだ。

170 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:14:51.95 ID:gPqs7DYe0.net
>>132
そうか?

171 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:17:25.56 ID:29pqB9Jv0.net
>>17
地上戦でも押してたのは最初だけ
後はメタクソにやられてる
東捜索隊は太平洋戦争以前の初の玉砕なんじゃないか

172 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:17:54.71 ID:WHNqdv5T0.net
>>34
日本戦車のディーゼルは燃えないし整備が容易
特に点火装置がなくて日本の苦手な電子機器を排除できたのが大きい
中国大陸を日本の整備技術で遠征できたのもその堅牢さが発揮されてこそ

173 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:18:02.57 ID:cLBU2k0K0.net
ノモンハンを扱ったと思われる映画をたくさん見たがどれも歩兵自身が
爆弾を抱えてソレン軍戦車に体当たりするものばかりだった。壺を掘って
そこに隠れていてそこから竹のサキッポにつけた爆弾を戦車におっつける
たいうのは初めて知った。真実の戦史というのは本当にわからんもんだな。

174 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:18:16.93 ID:xATqipKz0.net
>>159
ジューコフは独ソ戦でソ連を勝利に導いた将軍だが、元々味方が敵より
も遥かに多い死傷者を出してでも物量で敵をすり潰す、というのかジュー
コフのやり方。そのジューコフでもノモンハン事件は「自分の経験した
中で最も苦しい戦い」だったそうな。

175 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:18:36.44 ID:4qPpYOcJ0.net
全般状況見えない一兵卒じゃあ自分の見たものがすべてになるのはしょうがないな

176 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:19:05.63 ID:scLcj1Ov0.net
ノモンハン事件を描いた漫画あったな・・・
「虹色のトロツキー」だったかな?

177 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:20:19.73 ID:NlSWvGD50.net
>>155
国力ないなら満州行くなとw
北海道すら開拓できず土地余りなのに

178 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:20:27.83 ID:ZATkj8uL0.net
小説でワロタwwwwww

179 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:21:03.58 ID:XhtabiZp0.net
気合いで銃剣突撃繰り返せば戦は勝てると思ってた無能指揮官ばかりだったのが日本の不幸
戦国時代の織田信長や豊臣秀吉の方がはるかに賢い

180 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:21:15.40 ID:YwGo9b3h0.net
>>帝国陸軍上層部
 
また毎日新聞がプロパガンダです┐(´д`)┌ヤレヤレ
------------------------------------
国境を越えようとしてきた30万のソ連軍に対し、日本軍将兵はわずか3万の兵力
で戦った。そして、大苦戦しながらも果敢に善戦敢闘して、ソ連を叩きのめしている。
そして日本は、戦力の逐次増強を図り、最終的に約6万の援軍をノモンハンに送った。
30万の機甲化軍団を、またたくまにわずか3万の兵力で粉砕されたことを知った
スターリンは、慌ててリッペントロップを通じてヒットラーに停戦の仲介を頼み込んだ。
日本政府と軍中央は、一方的に国境侵犯攻撃をしてきたソ連軍の非をとがめること無く、
この停戦協定に応じた、というのが歴史の事実。

ロシアの戦史研究にハッキリ当時の本当の事が書かれている。
ソ連崩壊後、あきらかにされたソ連の内部文書の被害
    ↓
 ソ連の損害 25,565名 戦車約800台損害
 日本の損害 17,405名 戦車29台損害

ソ連の「近代的機械化部隊」などというのも真っ赤な大ウソ。朝日新聞の戦後の捏造記事。
戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では全く問題にならず、日本軍の速射砲
・高射砲のえじきになって、ソ連戦車は、約800台が破壊された。日本戦車の損害は、
わずか29台だった。

http://jjtaro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/10/02/sbt.jpg 破壊したロシア戦車
http://blog-imgs-29-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20090730081332315.jpg 捕獲したロシア戦車


181 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:23:40.94 ID:WXakM3j70.net
最近の研究じゃノモンハンで日本は負けてなかったってなってるんだろ。
日本軍を歪めればいいってもんじゃない。

182 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:29:44.28 ID:7a2SLR9a0.net
精神論を振りかざす連中には注意して、
現状と将来の利益を考えて行動する教訓の戦い。
その利益は国民に実質に返されるべきものでなければならない。
そうでなければ、戦力は引き上げ、税の投入はすべきでは無い。

183 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:30:36.62 ID:r/bSsfi30.net
まずソ連はこの戦いのためにかなり前から準備をして、大量の戦力を整えていたんだよ
日本はそれを正しく評価していなくて備えを怠った
真珠湾攻撃みたいなものだね 
ただその後の展開は違う 真珠湾のアメリカと違って一方的に嬲られたのではなく、準備不足の寡兵であった日本軍が凄まじい抵抗を見せ、記事にもあるように戦力面では圧倒的優位だったソ連軍の被害の方が大きかった

184 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:31:04.03 ID:L9NYX9D50.net
>>181
相手は名将「ジーコフ」だったしな
誰であっても苦戦するわな

ちなみにそのジーコフですら日本軍の精強さに驚き
その報告を受けたスターリンは日ソ不可侵条約があっても
背後から日本に襲われるのでは無いかと常に疑心暗鬼になって
シベリアから軍を動かせなかった

初戦のドイツの快進撃を支えたのはノモンハン事件の影響が強い

185 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:34:35.37 ID:7a2SLR9a0.net
>>181
研究じゃなく個人研究の本だけど、
ビルマの宮崎の連隊の動きを見ると、休戦前に丘を占拠してるから、各個撃破された部分が強調されてる。
この強調が冷静さを欠いた精神論に繋がってしまう。

186 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:34:47.82 ID:r/bSsfi30.net
第一次世界大戦で欧州戦線に参戦していなかった事で出遅れた部分は確かにあったわな
でもノモンハンはその軍事的敗北より宣伝戦での敗北の方が深刻だったろうな

187 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:38:54.30 ID:I6B9cI1k0.net
前線においては、学歴だけではダメなんだ

188 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:40:26.09 ID:ghaV8sQv0.net
あの悪名高い迷参謀、「辻政信」がデビューしたのがノモンハン。

その後、シンガポール華僑粛清事件 フィリピンの米兵捕虜抹殺ニセ命令事件を起こし、さらにガダルカナル、ニューギニア
、ビルマの主要作戦をかき回し、精神主義で将兵を追い立て、ことさら大きなを犠牲を生んだ。

189 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:41:34.69 ID:mUlzyqGn0.net
旧満州では戦況などの情報を得られる旧陸軍の将校や官僚、家族らは民間人を置き去りにして真っ先に逃げたとされる
こいつらの子孫○せよ

190 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:42:28.80 ID:WqDzMypA0.net
この兵士とやらは朝鮮出身だったんじゃないか?
見てきたようなうそばかり並べてる。

実際はずっと塹壕の中で震えてただけだろう。
皇軍兵士はこんな情けない愚痴はこぼさない。日本軍の名前を辱しめるのに貢献していた朝鮮人の一味だ。

191 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:43:45.51 ID:auNdwbhO0.net
 
Q)キムチ臭いのが「ノモンハン事件で日本機はソ連機にやられたニダ!」なんてわめいているけど
A)ソ連機は数だけで、質では日本機にかなり劣っていました。いつもの妄想ですね
---
★まるで駄目なソ連製戦闘機★
https://en.wikipedia.org/wiki/Polikarpov_I-16

極東での戦闘:ノモンハン事件

ソ連製主力戦闘機イー16は250機が支那に提供された。このモデルtype10は、
7.62mm機関銃を1式追加されたもの。1939年500機のイー16がノモンハンに
配備された。おおよそ112機がその戦闘で失われた。そのうち88機が空中戦に
よるものだ。相手は主に全金属製中島Ki−27大日本帝国陸軍機である(九七式戦闘機)。
捕獲したKI−27をソ連側で試験したところ、ソ連製イー15,イー16に対して
能力的に上だった。また早く離陸でき、着陸速度は遅かった。停止に270m、
離陸に380mかかるイー16よりも短い距離で十分だった。

The Far East and battles at Khalkhin Gol

Another 250 I-16 Type 10s were supplied to China. This model added a second set
of 7.62 mm (0.30 in) ShKAS machine guns, armor behind the pilot, and had a slightly
upgraded 560 kW (750 hp) M-25 engine. In 1939, of the 500 I-16s[12] deployed to
the fighting at Nomonhan, approximately 112 were lost during the battles of Khalkhin Gol,
of which 88 were destroyed in aerial combat, primarily against the all-metal Nakajima
Ki-27 Imperial Japanese Army fighters.[13] During test trials in Russia of a captured Ki-27,
the aircraft proved superior to the Soviet I-152 (I-15bis), I-153, and the I-16
in aerial combat, as well as having a faster take-off and lower landing speed,
requiring shorter airstrips than the I-16, which needed 270 meters to stop and
380 meters for take-off

 
Q)キムチ臭いのが懲りずに「日本側大損害ニダ!」としつこいけど
A)以下の資料みればどっちが負けたか一目瞭然です。
  日本は寡兵でも相手により多くの損害を与えました。
=====
https://en.wikipedia.org/wiki/Battles_of_Khalkhin_Gol

●ソ連側 戦闘損失/投入機数→208機/900機
●日本側 戦闘損失/投入機数→162機/400機

 
Q)キムチ臭いのが今度は「屋台骨をゆるがすほどの大損害ニダ!」らしいけど
A)ノモンハン事件の主力戦闘機中島97式は、全部で約3400機生産されています。
  162機の損失で、その後の戦力に大きな影響及ぼすほどではありません。
====
●中島 キ27 陸軍97式戦闘機
用途:戦闘機
設計者:小山悌
製造者:中島飛行機
運用者
大日本帝国(日本陸軍)
満州国(満州国軍飛行隊)
タイ(タイ空軍)など数カ国
初飛行:1936年10月
生産数:3,386機


192 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:46:57.77 ID:d4w6muV+0.net
対ロでは、日本軍はいつでもこういう感じに勝っていた。
日露戦争でも、だけど。ロシアの赤化革命のときなど、
はるかかなた欧州とアジアの境のウラル山脈のあたりまで
進駐して占領を続けた

193 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:49:08.91 ID:ewrm2v7E0.net
国があの地域での激突を避けたかったからね。政府の方針。
そのせいで現場の兵隊さんが苦労したって話。
その後関特演で近代兵器含む派手な花火をみてソ連がビビり、膠着状態になる
日本が敗戦するまで

194 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:50:27.39 ID:ghaV8sQv0.net
ソ連の狙いは欧州での対独戦に備え、背後(極東シベリア)からの脅威を除いておく事であった。日本軍を圧倒的な戦力で
完膚なきまでに叩いた事で、これ以後日本軍はソ蒙軍に対し戦意を失い、ソ連は目的を達した。
そして背後の憂いのなくなったソ連はポーランドに侵攻する。

さらにはおめでたい日本は後日、ソ連にすり寄るかのごとく、日ソ不可侵条約をプレゼントする。そして大東亜戦争末期、
この飼い犬(日ソ不可侵条約)に噛まれ瀕死の重傷を負う。

195 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:54:07.67 ID:Itl+dfha0.net
>>189
捏造を真に受けるなよ

196 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 07:56:18.15 ID:duXXypxe0.net
ガダルカナルやインパールみりゃわかるだろ
日本軍は大本営、トップが無能
硫黄島、沖縄とか局地戦は栗林や八原の個人の能力で実質的な勝利
ルソンの山下も含めて最後に残った嫌われ者が優秀な将官だった

197 :下総国諜報員:2018/11/02(金) 08:00:07.27 ID:fbLPlY8q0.net
人命軽視国家同士だからなあ

198 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:05:32.89 ID:FhpCOaL40.net
>>194
確かにそうだ
ゾルゲ工作との連携もあったんだろうな

199 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:06:29.78 ID:ewrm2v7E0.net
当時あの辺を守っていた関東軍が25万くらい。
今の自衛隊と同じくらいか
国境をにらみ合う中国国民党、ソ連兵が総勢300万超え。
日本列島より長い国境線を常に全力で防衛しようとすれば日本経済は破綻する
それが分かってるから米国が蒋介石にテロさせる
満州で自衛できるまでに時間が稼げりゃ良かったがなあ

200 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:15:30.98 ID:yHRC9zXW0.net
お前らの時代はAIが司令官になって
万が一の時は戦犯になってくれるから心置き無く突撃していってくれ。

201 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:16:15.68 ID:7eSYEun40.net
日本国がはじめて近代戦の洗礼を受けた出来事ですね。
マスコミが大勝利!などと有耶無耶にしたために日本国はここからきちんと学ぶことをしませんでした。
これをきちんと分析して、今後の糧にしていれば後のガダルカナルの悲劇も無かったでしょう。
きちんと研究して、火力の充実、通信装備の充実、有力な戦闘車両の整備、補給力の充実を提案したひとりの若い陸軍士官は
議論も何もなく、この馬鹿者!臆病者!と罵られたと言います。日本国は今でもこの体質は変化していません。
韓国への対処ひとつとっても旧態依然としたままで、このまま何とかなるなどとのほほんとしたものですね。
何とかならなくなって初めて在日韓国人の国外強制退去の法制化を始めるでしょうが、そのときはもう手遅れでしょう。

202 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:19:47.17 ID:SB43JEbi0.net
>>201
マスコミではなくて広報
ジャーナルというのは淡々と真実をリポートするだけで意見はいらない

203 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:24:45.72 ID:AlVjFdQ/0.net
ノモンハンの死傷者はソ連側のほうが多いことはあまり知られてない。

204 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:25:47.63 ID:/1JFL4DC0.net
>>184
>相手は名将「ジーコフ」だったしな
>誰であっても苦戦するわな

そう、だから牟田口は悪くない

205 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:29:42.93 ID:iBrVYYzf0.net
>>5
変えるか変えないか、ではなくて
何が必要で何が必要じゃないか、ということだよ。
それを見誤ると結局は負ける。

206 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:31:57.65 ID:j1XGnJcx0.net
>>188
辻政信もずいぶん歪められた人だよ。戦後の本人の言動がエキセントリックだったのもあるけど
後方の安全地帯でふんぞり返って命令するだけの連中と違って常に最前線を渡り歩いて前線の要望を参謀本部に伝えてた男だぞ
実際、戦傷や戦病で何度も後送されてる。ノモンハンでもビルマでも自ら殿軍を買って出てる。だから将には不人気でも兵には絶大な人気があった
ガダルカナルでは補給を渋る海軍に対して大和の連合艦隊司令部に乗り込んで抗議
それでものらりくらりだったので自らガダルカナルに入り、高級参謀である自分自身を言わば人質として補給を継続させようとした
補給もないのに持久戦なんてジリ貧になるので持久戦主張してた川口大佐と対立
兵が元気なうちに補給拠点を確保しようと総攻撃ってのは決して非合理的な作戦ではない。

総じて彼は補給の重要性、兵の環境や指揮を重要視してた、牟田口とは正反対の人物

207 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:35:28.62 ID:/1JFL4DC0.net
>>206
>牟田口とは正反対の人物

牟田口を悪く言うな、イギリスの将校からも褒められてたんだぞ

208 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:43:30.75 ID:BAfnRafz0.net
この教訓は、とにかく古い頭で頑固で主張の強いやつは上層部に置いてはいけないってこと

209 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:46:53.06 ID:YODuxSyc0.net
結局、WW2の勝者はコミンテルンだな

210 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:47:33.48 ID:BAfnRafz0.net
>>102
そこだけ訂正かよ
文章全体が意味不明だわ

211 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:48:49.76 ID:8rynCi140.net
>>208
開明的で柔軟な奴でも上層部に置かれたらあっという間にかっちこちになるのが日本人。

212 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:50:51.74 ID:0MpwUITZ0.net
あーあの事件のせいでモンハンからパズドラとかのソシャゲにシフトが始まったんだよな>noモンハン

213 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:50:51.81 ID:d4w6muV+0.net
>>211
日本は、上層部は、長州・薩摩 藩閥系の朝鮮人

214 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:55:39.96 ID:d4w6muV+0.net
>>207
イギリスは、行儀が良くて礼儀正しいよ、そう言っておくことで
復讐されなくてすむというだけ

215 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 08:56:20.58 ID:YODuxSyc0.net
ドイツと反共同盟を結んだのが勝敗の分かれ目だろ
あれでアメリカを敵に回した

216 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:00:04.57 ID:a5c/POZF0.net
10式戦車使ってたからな

217 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:03:51.54 ID:brXTf1n/0.net
>>215
対中華民国で、アメリカとは既に完全に敵対してたわけだが

218 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:05:39.04 ID:wBAPRCan0.net
T34が開発されてなかったから何とかなった

219 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:14:02.38 ID:j1XGnJcx0.net
あと辻と対立したというだけで川口清健大佐がさも正しいかのように書いてる文献大杉
直前のマタニカウ川渡河作戦では思いつきレベルの未開のジャングル突破を試みた結果兵士は疲労するわ、装備は失うわで攻撃前からボロボロ
おまけに他部隊との連携攻撃のはずが予定時刻に間に合わず、バラバラに攻撃仕掛けて各個撃破
はっきり言って無能も無能。マリアナでの小沢治三郎レベルの歩く机上の空論

220 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:14:49.53 ID:4svr0dwy0.net
単純に車を作る資材がなかっただけです。
銃剣突撃が主流なのも、大砲や弾を作る余裕がなかったから
仕方なく突撃戦法を取るしかなかったのです。

つまり貧乏が悪い

221 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:18:11.03 ID:o5borX/V0.net
司馬遼がノモンハンを書こうと思っていろいろ調べたが
あまりに日本軍の上層部がアホすぎてこれは小説にならんと
書くのあきらめたと講演で言ってたな

222 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:30:07.07 ID:BAfnRafz0.net
>>213
どこでも業界の上層部は朝鮮人なんだな
日本人無能過ぎだろw

223 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 09:32:40.45 ID:ghaV8sQv0.net
>>206
辻政信のスタンドプレーに幻惑されていますな。
辻は満洲事変を起こした石原莞爾を師として心酔いしていた。つまり陸軍下克上を是とする思想に凝り固まっていた。
山下奉文大将にはその軽薄さを見抜かれ、「せこい男」、「使うには注意」と日記に書かれている。

224 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:06:00.42 ID:ufd+uOwQ0.net
火炎瓶でロシア機甲部隊に肉弾突撃しいい勝負、こんな恐ろしい軍隊は日本だけ

225 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:09:44.83 ID:lzV/rWHEO.net
輜重兵が機械化されてるとか意外と進んでてびっくりした。
全部馬かと思ってた。
爆撃機の攻撃に耐える陸上兵器なんかないんじゃないか?
逃げる・避ける一択だろ。

226 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:16:23.01 ID:yk36zqks0.net
うちの爺様もシナ事変 第2次シナ事変、大東亜戦争と3回従軍してて
日記のような手記を残してたが碌に読まず捨てちまったのが悔やまれる

227 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:21:05.69 ID:Wy0QNliI0.net
>>208
いまの日本を見るに
その教訓は全く生かされてないってことだなw

228 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:22:46.79 ID:j1XGnJcx0.net
>>223
当時、司令部レベルで物資の中抜き、横流しが横行してて、それを悪事とも認識してなかった
辻はそこにメスを入れたので横流しは特権と思ってた将校達にめちゃくちゃ嫌われた
ケツの穴が小さいだのみみっちいだのの評価はここから来てる

あとスタンドプレーで殿軍なんてできないよ。

229 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:26:41.97 ID:yjYifmeZ0.net
>>224
韓国映画マイウェイで描写されていたよね
火力に劣る日本軍が火炎瓶一つでソ連戦車を破壊する作戦に
朝鮮人兵士はビビりまくっているシーンは印象的

230 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:54:21.87 ID:lzV/rWHEO.net
>>51
当時の軍部って慰安婦…

231 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 10:58:27.20 ID:d4w6muV+0.net
>>229
そんなこと、出来るはずがない。後続の戦車があたりかまわず機銃掃射、即死だよ

232 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:05:10.35 ID:N84jqxJf0.net
また後付けかよ

233 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:06:39.73 ID:d4w6muV+0.net
>>224
また、大和魂教育、ウソばかりじゃね!
下層の、裸族だけだ、大和魂だぁー なんてやらされてたのは
そんなこと、出来るはずがない。後続の戦車があたりかまわず機銃掃射、即死だよ

日本軍は、航空決戦で一方的に勝利した
制空権を握られたので、空からの攻撃に耐え切れず、ソ連軍は撤退しただけだ

234 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:08:03.51 ID:a+6AK0mw0.net
時代遅れになったら勝ち目無くなる海軍優先で陸軍は後回しだったんやろね

235 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:10:02.48 ID:d4w6muV+0.net
>>234
ノモンハンまでは、同時代レベルの戦車だったけど。
それ以後は、相手が中国軍だったから、対戦車戦闘が必要なくなった

236 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:13:21.59 ID:j1XGnJcx0.net
>>231
戦車はそんなに視界広くない。さらに言えば遠隔銃座なんてほぼないから機銃の射角は限られる
ttp://tank-photographs.s3-website-eu-west-1.amazonaws.com/t26-command-radio-tank.jpg
右前面(向かって左)の細長いスリット、砲塔横のスリット、砲塔上のスコープ、砲の照準器、機銃の照準器
これだけしかない。歩兵に対して物凄く脆弱で随伴歩兵がいないと近寄られて火炎瓶やら手榴弾投げ込まれて破壊される
現代でもシリアやウクライナで迂闊にも単独行動してる戦車にゲリラが近寄ってエンジンや砲口に手榴弾投げ込む動画がある

237 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:21:14.75 ID:+XOL4IfO0.net
>>194
ちがう。
日本は日本で、一戦して停戦合意を引き出して国境確定
条約締結、満州を承認させるってな思惑があったから、戦争目的つか
戦略目標は達成してる。

ソ連側の思惑は、そのレスの通りらしくて
被害が大きすぎたのは、日本側の読み違いてのは事実だろうけど。

238 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:27:11.30 ID:d4w6muV+0.net
>>236
だから、ノモンハンのソ連軍戦車が単独行動だったはずが無いだろ

戦車集団だぞ

火炎瓶投げなんて、後続の戦車からの、あたりかまわず機銃乱射 即死だよ

239 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:32:50.00 ID:d4w6muV+0.net
極東アジアの猿は、 論理的思考能力・空間把握能力に決定的に欠けている

火炎瓶 なんて、有効だったのは、戦車後部にあるエンジンルームだ

日本兵は、戦車後方から 火炎瓶を投げないといけない。

後続の戦車からの機銃掃射で、即死だよ

固定式機関銃て、重くて13mmとかだから破壊力も大きい、
これにハチの巣にされれば、即死。 撃たれても死ぬまでは火炎瓶を投げる、も無い

240 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:34:11.29 ID:LlWw+Kcl0.net
ウンコ系の人は、ノモンハンでも牟田口の名前を出す
ウンコ系の人は、昭和の話でも薩長の話をする

精神病ね

241 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:34:59.75 ID:oqI/w2aT0.net
なんで無理な作戦するかな
要所の守り固めて守勢を保つことはできないものなのか

242 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:40:23.70 ID:pwKccErj0.net
>>31
飯に何が乗ってると思った?

243 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:40:52.99 ID:j1XGnJcx0.net
>>238
沖縄戦、嘉数の戦いって知らない?
アメリカ軍第193戦車大隊第2中隊30両(T-26より防御機銃の斜角も広いM4シャーマン中戦車、M7プリースト自走砲、M4火炎放射戦車)は密集陣で嘉数集落の日本軍陣地に突撃
途中日本軍の機動砲で4両が脱落するも残り26両は突入に成功した。が
そこで日本軍の歩兵が四方八方から襲いかかった。26両の密集陣だったが為す術もなく取り付かれハッチから手榴弾を投げ込まれた
辛うじて包囲網に入ってなかったM7と、僚車の残骸を上手く使って脱出したM4の合わせて6両のみが離脱に成功したものの、残りの20両は撃破された

機銃の斜角は前のそれも非常に狭い範囲。機関銃陣地のような弾幕射撃もできない
随伴歩兵がいなくなれば丸裸も同然というわけ

244 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:44:45.87 ID:jMWQr4bNO.net
ノモンハン戦におけるソ連軍ジューコフ将軍の日本軍に対する評価「下士官と兵は勇敢だったが、指揮官は無能だった」

245 :名無しさん@1周年:2018/11/02(金) 11:46:39.09 ID:R4kOAgrG0.net
指導部に沢山の スパイが入り込んでたのが敗因

明治維新以降から今も同じ

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