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【佐賀】邪馬台国はどこ? 吉野ケ里で考古学フォーラム 「環濠集落、九州では増えるが、近畿では無くなる」「奈良盆地が有力地」★6

373 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 03:21:02.03 ID:6otBNJ1i0.net
>>335
箸墓より古いホケノ山でさえ4世紀だよw

http://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
> ■ ホケノ山古墳の年代
>
> 石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の小型丸底土器が
> 出土したことを述べている。
> 小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
>
> ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、それよりも新しい布留T式土器が出土したことになるので、
> 考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は布留T式の時代と言うことになる。
> 石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
>
> 報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちてきたのではないかと、
> 苦し紛れに書いている。
>
> これについて橿原考古学研究所の関川尚好氏に問い合わせたら「そんな馬鹿なことは絶対にありません。」ということであった。
>
> また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)のついた銅鏃が出土したことも述べている。
> このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、前期古墳の後半で布留T式以降と考えられている。
>
> 箟被(のかつぎ)つきの銅鏃が発見されたことにより、発掘当初から、ホケノ山古墳は新しいのではないかと見る専門家もいて
> 問題になっていた。
>
> ホケノ山古墳の年代を考える時、つぎのような新しい要素と古い要素とがある。
>
  ホケノ山古墳を新しいとする要素           ホケノ山古墳を古いとする要素(320〜340年ごろ)
 炭素14年代分析の今回の報告書         崇神天皇、箸墓古墳に比べ、前方部が発達していない。
  (年代のピークは370〜380年ごろ?)      主に4世紀の古墳から出土する三角縁神獣鏡が出ていない。
  小型丸底土器(布留T式)
  箟被(のかつぎ)
  画文帯神獣鏡
  (5世紀の江田船山古墳に繋がる要素)


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