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【新潟】河井継之助没後150年、生涯描いた司馬遼太郎の小説「峠」映画化 遺徳しのび、長岡の栄凉寺で法要

383 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:56:07.49 ID:jOFw7ROd0.net
>>378
司馬遼太郎はそれ程深く河井継之助について調べてない。
そもそも、軍制改革は藩主忠恭が幕府の長州征伐失敗を見て始めたんであり、
藩士は最初ほとんどやる気がなかったが、勝海舟に見込まれて幕臣になっていた鵜殿団次郎が
牧野忠恭に命令されて青写真を描いてから本格的に始まった。
鵜殿は大村益次郎から西洋兵学を学んでいた事もあった人間で、軍制改革にけっこう貢献したんではないかと思う。
河井が軍制改革を独裁的にやったんじゃない。藩政改革と軍制改革の成功で戦争したくてしょうがなくなったのは
譜代エリートの自負を持つ長岡藩士自身であり、前藩主忠恭であった。


「永雄児」をわざわざ書いたのは、何故か会津に甘く河井に厳しい左翼が司馬を狙ってwいた時代だったからなのと
河井が長岡じゃあまり評判が芳しい人物じゃなかったからだと思う。「花神」なんてのはマルクス史観でジョーク交えて書いてるからねえ。
靖国神社の銅像になってる大村益次郎という人物を英雄の様には書けない時代だったのは間違いない。

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