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【新潟】河井継之助没後150年、生涯描いた司馬遼太郎の小説「峠」映画化 遺徳しのび、長岡の栄凉寺で法要

1 :樽悶 ★:2018/10/09(火) 18:38:06.85 ID:CAP_USER9.net
子孫の河井弘安さん(中央)らが手を合わせ、継之助の遺徳をしのんだ法要=7日、長岡市東神田3
http://www.niigata-nippo.co.jp/newsfile/image/0055386800356320.jpg
https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20181007/1030005343_20181007191958_m.jpg

150年前の戊辰戦争で長岡藩を率いて新政府軍と戦い、戦死した河井継之助の法要が7日、長岡市の寺で営まれました。

河井継之助の墓がある長岡市の栄凉寺では、毎年、10月1日の命日に近い日曜日に法要が行われていて没後150年となることしは、継之助や長岡藩士の子孫などおよそ70人が参列しました。

参列者は住職のお経に合わせて1人1人焼香したあと、境内にある継之助の墓の前で手を合わせていました。

河井継之助は、幕末の混乱期に長岡藩の家老を務め、藩の自主独立を目指して軍事力の強化に取り組みましたが、戊辰戦争で新政府軍と戦って敗れ、いまの福島県で戦死しました。

河井継之助をめぐってはその生涯を描いた司馬遼太郎の小説「峠」が2020年に映画化される予定で地元の長岡市でも撮影が行われています。

河井継之助の姉の子孫の河井弘安さんは「映画化が実現してよかったです。戊辰戦争を戦った継之助の判断をいまの価値観から評価することは難しいですが、多くの人に先祖のことに関心をもっていただき感謝しています」と話していました。

新潟日報 2018/10/08 17:44
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20181008424291.html
NHKニュース 10月07日 16時11分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20181007/1030005343.html

277 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:54:43.02 ID:cGFIHeqP0.net
>>274
つうか訳知り顔で陸軍を馬鹿にしていながら、「半年後以降は負けます。暴れられません」とはいえないセコさ。

278 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:18.63 ID:FsuCEXqi0.net
>>271
大村は薩摩藩を上野戦争の激戦箇所に配置したからでしょう
百姓医者の大村の頭の中には好戦的な旧来の侍を減らせるまで減らしたいという意図があっただけで
民間人を犠牲にするもやむなしという意味の好戦的ではない

279 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:40.24 ID:gPt1JtUj0.net
>>272
河井継之助も好戦的な人間だったんだろう。とにかく、手に入れた武器を使ってみたくて仕方がないから薩長に楯突いただけ
勝てる見込みなんて全く無かったからな
実際に地の利を得ても戦線は維持出来なかった

280 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:57:38.05 ID:npqymJE30.net
>>277
セコいんじゃなくて、事実をそのまま言っただけでは?

五十六は米国留学もしていて、
アメリカと日本の国力の差を自分の目で見てわかっていたらから、
短期決戦で決着がつけられなければ、日本に勝算はないことは分かっていた

281 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:57:53.05 ID:6vRFP62i0.net
>>276
マジかよ。
継之助ぐらいしか人物がいなかったほど、
その他大勢の教育が足りてなかったってことじゃなかったのか。

282 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:58:16.67 ID:Sgiesx+j0.net
>>268
直江と上杉景勝のコンビも間抜けだったね
なんで石田三成と約束してたのに関ヶ原で挟み撃ちにしなかったんだ
結局、家康に領地減らされてぼろぼろやん

283 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:58:56.12 ID:BXI1JWlN0.net
>>282
情報が10年前

284 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:59:39.25 ID:Sgiesx+j0.net
>>280
それであんな卑怯な奇襲攻撃をしたのか

285 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:00.19 ID:FsuCEXqi0.net
>>273
列強の中の日本が幕末の大藩の中の長岡藩に重なったのかな

286 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:36.52 ID:KZnXHWfQ0.net
>>51
土方の写真は二枚目に見えるよう修正入れてた
ようだ。
函館戦争の時、実家に形見として写真届けさせてるが、
のちにその写真を見せてもらった知人が、あまりにも
実物とは違う男前振りになんとも言えなかったとのこと。
後世に男前として記憶してもらいたかったんだろうと。
そういった見栄というか、自意識が強いというか、
生き方もだが、見た目のこだわりにも彼流のダンディズムが
あったようで。

あと、別に土方だけってことはなく、桂小五郎も陸奥宗光も
かなりハンサム。

桂小五郎なんて、長州が朝敵になる前の京都でモテまくり が
当たり前だか、朝敵になって、あちこち潜伏して逃げまくった
時にも、匿ってくれた土地の娘達に惚れられて
妊娠させたりしている。

桂の子を産んだ娘は、子供を連れて長州の桂の
元に向かうが、途中会津藩にバレて殺される。
虫の息の時、子供の命だけはと嘆願して、
会津藩士の一人が聞き入れ、その桂の赤児を
ちゃんと育てあげた という逸話もある

287 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:54.17 ID:s3wf4VOW0.net
>>273
西南戦争とかもそうだけど
日本人は負けるのわかってて戦うみたいなところがあるからなあ
単に国内情勢を見誤ったのか、情勢を見極めたうえで引けない何かがあったのか
全面降伏すれば誰も死ななかったかもだけど・・・

288 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:01:06.75 ID:GbRf5ttr0.net
>>125
役所広司は小林虎三郎のイメージだな

289 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:03:38.86 ID:/JVtwXAB0.net
夢を見るのは勝手だが強制的に付き合わされるほうの身にもなって

290 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:04:58.88 ID:6vRFP62i0.net
>>288
遺影だけ見ると、継之助は坂田利夫だな。

291 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:05:03.81 ID:BrIuwKDP0.net
河合継之助は維新の動乱の中で長岡藩を武装中立で守ろうとした
そのために長岡藩で出来る範囲の近代兵力を整備した
だが交渉は決裂してしまった
ならばその時点で武装を放棄すべきではなかったのか、と批判される
だが河合は開戦を決意する
何故開戦したのかと言えば、やれば悲劇に終わることは理解していたが自分が整備した近代兵力の力を
試してみたいという誘惑に逆らえなかったのではなかろうか?
この点も山本五十六に酷似している
山本五十六もダメだ、ダメだと言いながらも自分が整備した海軍革命を起こす航空戦力の力を試してみたいとう
誘惑に無意識下では勝てなかったのではないか?
ちな河合継之助が用意した砲はガットリングガンを含めて28門で
日本海軍が建造した空母が28隻な

292 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:05:57.99 ID:FsuCEXqi0.net
>>279
侍は戦うのが存在理由だからな
江戸300年で幕府や大藩の上級武士ほど腑抜けになっている中で地方の小藩ほど心意気が残っているのが面白い
苛烈な内戦で各地で小藩でもひるまず抵抗する武士の姿をみて
欧米列強に日本は清やアジア諸国みたいなわけにはいかないと理解させたのが維新後の日本の躍進につながる

293 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:27.94 ID:cGFIHeqP0.net
>>292
会津松平なんて浪人百姓を雇って戦わせるぐらいだからな

294 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:45.21 ID:O/2Mqn4R0.net
>>280
歴史に「もしも」はないけれど。

昭和天皇がアメリカと日本の国力の差を知っていたら、
どうなっていたか。
少なくとも
「絶対ニ勝テルカ」の御下問はなかったはず。

295 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:47.95 ID:Sgiesx+j0.net
>>283
今は違う解釈があるの

296 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:50.17 ID:tJws93GX0.net
>>282
結城秀康らの大軍が抑えで残っていたし、これまた大軍を繰り出せる伊達、最上が上杉領に無傷で隣接、駐留している。
常陸の佐竹の動向ははっきりしないし、伸びた脇を突かれる可能性もある。

第一、遠征軍を繰り出せる編成でなく、所領替えで大した資金はない。

挟み撃ちは無理だと思うね。

297 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:08:22.10 ID:mZaWQsQ90.net
結局、役所広司なのかぁ・・・。
或る時は阿南大将、また或る時は山本元帥となると、彼は現代のミフネなん
ですかねぇ

298 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:08:27.53 ID:4otH6kLb0.net
>>176
佐竹が徳川に遺恨というが
領地半減どころじゃない上杉とか百万石を反故にされた
伊達は別に徳川を恨むでもない
島津や毛利なんて逆恨みもいいとこだ

299 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:13.76 ID:MTuz/GA90.net
>>84
同意

小学校の校長としてなら
理想的な人物

300 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:22.48 ID:cGFIHeqP0.net
>>290
俺は本田博太郎かヘッダー指揮官(石橋雅司)だと思う

301 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:59.74 ID:/JVtwXAB0.net
長岡では目だった存在だけど
偉業をなしたわけではない

302 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:11:06.11 ID:FsuCEXqi0.net
合理主義の西日本に対して意地や頑固をよしとする東日本
その両方があったから日本はうまく立ち回ることができた
河井継之助は本来は合理主義の人なのに最後は武士の意地を優先させたところに魅力がある

303 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:11:51.20 ID:npqymJE30.net
>>287
小千谷談判が決裂した時、河合は相当落ち込んでいたらしいから
別に戦争したかったわけではないだろう

ただ、戦争に対する備えはそれなりにしていたから、
最終手段としての戦争になっても、なんとかなるのでは、
という考えは多少はあったかもね

304 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:12:38.78 ID:cLz35IAW0.net
>>294
正攻法ではどうやっても勝てないことはみんな知っていて、むしろ陸軍の方が絶望していたくらい。
捕虜を出さない自殺的な攻撃でアメリカの戦意を喪失させるというのが開戦前からの方針だった。

305 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:13:42.62 ID:j2Aer/Vv0.net
>>233
やってもやらなくても明治新政府は悪、農民は絶対善というあなたの主張が歴史捏造なわけですが。

306 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:14:09.91 ID:ZNjXCCgB0.net
>>166
司馬もそんな描写してなくね?
少なくとも峠では。

武装中立のためのガトリングだったけど、時勢ここに至ればやむなし、って感じだった気がする

307 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:15:24.92 ID:O/2Mqn4R0.net
>>287

特攻の礼賛とか、
そういうカタストロフィックな悲劇に心酔するDNAが
日本人に組み込まれているのかも。

308 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:16:19.06 ID:xh0nVQPN0.net
焦土作戦をやって地元民にすごく嫌われたんだよな。

そりゃそうだ味方だと思ってたやつに自分の家が焼かれたんだから。

309 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:17:30.30 ID:GvgmkPeM0.net
別のスレにも書いたが
会津の一之瀬要人と佐川官兵衛の謀略で五段梯子の旗が片貝の戦場に放置されて
牧野家が陥れられた結果小千谷会談の決裂に至ったという説もある

一方で長州人の前原一誠は越後府判事になると中央政府に背いて
戦争復興のために年貢を半減してくれたり、信濃川の治水工事を国費で事業化できないか国にかけあってくれた

310 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:18:18.31 ID:bzURHY2m0.net
>>82
乃木希典は今で言う「武士道に生きる意識高い系」だな でも俺は嫌いではない

311 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:19:00.11 ID:j2Aer/Vv0.net
>>292
「意地を見せる」で良いのは兵士から下士官までですよ。
将なら容易く勝つ方法論に徹しないと。

312 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:19:30.85 ID:O/2Mqn4R0.net
>>304

>捕虜を出さない自殺的な攻撃でアメリカの戦意を喪失させる

それがWORKしなかった場合のシチュを考えられなかったのは、
やはり日本の民度の低さ?

313 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:21:10.44 ID:1IrHfpjO0.net
直江は明らかにただの無能よな。
でも謎の最後っ屁というか因果応報というか、直接の原因たる神指築城が潰された当然の結果として、
会津藩が中世の立地のままの若松城に入ったことが、幕末の悲劇を生む。
もし会津藩の本城が神指城だったら十分に防御力があるから、白虎隊のあれもなかったかもしれん。
いずれ開城したとは思うが、史実とはかなり違っていたはず。殿様があれだったとしてもw

314 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:23:54.08 ID:O/2Mqn4R0.net
>>310

そうした非プラクティカル系の人物が単独で存在するなら、実害はない。
問題は、そうした人物が権力をもったとき。
配下は、たまったものではない。

八甲田山の雪中行軍遭難事件も同様。
名将と愚将で、配下の運命は明暗を分けた。

315 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:24:46.60 ID:/JVtwXAB0.net
河井はどこまでも軍人で政治家にはなれなかったのですよ

316 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:27:21.52 ID:cLz35IAW0.net
>>312
アメリカが戦意を失わなければ天皇を処刑してソ連の属国になるしかないけど、
そうしてすら戦争が終わるとは限らないぞ?

317 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:27:26.89 ID:j2Aer/Vv0.net
>>313
会津鶴ヶ城は防衛能力は高いですよ。
但し、籠もっても会津盆地に孤立してしまう。
だから天下を左右したいなら、白河の闘いとなる。

ちなみに長岡城は金は掛けたが欠陥品です。堀が攻城側の使える水路になっていた。

318 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:28:34.00 ID:FsuCEXqi0.net
大敗した長岡藩だけど維新後でも名を成した人が大勢出ているのがすごい
人口が少なくても人物が出る土地というのは何かが違うのかねえ
人口が多くてもたいした人物が出ない土地はまわりに合わせる付和雷同な人が多い

319 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:29:13.39 ID:2yIQfxrG0.net
英雄児を先に読んでたから
峠の河合継之助は無理矢理美化されてる感じがしてあんま面白くなかったな
やはり河合は戦争基地外の面あるのは認めざるをえんだろう

320 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:29:39.71 ID:GvgmkPeM0.net
>>82
井口省吾の子分だった谷寿夫がでっちあげの谷戦史を作った
司馬をそれを引用しているので仕方ない

321 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:30:14.60 ID:a/L1fVm60.net
あれが
連邦軍の新兵器の威力なのか

322 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:31:26.36 ID:O/2Mqn4R0.net
>>316

>アメリカが戦意を失わなければ天皇を処刑してソ連の属国になるしかない

こういう状況だったのですか。
知りませんでした。

323 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:34:47.64 ID:mZaWQsQ90.net
なにはともあれ、7万何千石かの居城が跡形もなくなって、いまはJR長岡駅に
なっちまったんだから、殲滅戦が凄かったんでしょうな

324 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:34:50.70 ID:cGFIHeqP0.net
>>320
松川敏胤じゃないの?

325 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:35:23.33 ID:79sZ+A8D0.net
>>36
そういう意味では同盟内でも庄内藩は賢明だったな

326 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:12.23 ID:IJQDsJmD0.net
>>289
んなこと言ったら日本のリーダーは全員居なくなる
どのリーダーも反対する奴はいる
でも付いて行く奴も多いわけだ

そこを考えろ

327 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:21.67 ID:1IrHfpjO0.net
>>317
いや、隣の山からバンバン大砲を撃ち込まれてるだろ。飛び道具を知らない中世城郭なんだよ。
それをみて白虎隊が自暴自棄になった。
景勝直江コンビが家康への根回しを飛ばしてでも神指築城を急いだのもこのため。それで自爆することになる。

そして、米沢はミニ神指みたいな形になってる。築城思想だけは維持されてる。家康もさすがにここは黙認した。
これは、広島比治山と萩城の関係と同じ。毛利輝元は黒田如水に騙されて三角州に平城を建てたのを悔いてた。
なお、伊達政宗が生まれた「米沢城」はあそこではない。

328 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:45.45 ID:Hy9X4qem0.net
>>298
毛利長州藩は関ヶ原の後でも実際には50万石有ったのは結構有名な話だけどね
他との兼ね合いや敗軍の将が大禄ではまずいので、7掛けの37万石の表高に落ち着いた
幕末の実高は100万石を優に超えていた。薩摩藩以上の経済力は有ったわけだ

実際に薩摩藩の実高は40万石には届かない程度。米が取れないからな
琉球を通じて密貿易に手を染めても表高の77万石には届くかどうか
そりゃ無駄遣いをする渡辺謙も殺されるわ

329 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:37:47.75 ID:FrtrX8pH0.net
なんで、河井継之助のスレにやたら太平洋戦争の事書いて
玉砕だ、戦争キチガイだというほとんど河井継之助について知らん人間が沸いてるのか疑問。

その上、感情的に日本人叩きしているし。

330 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:39:36.38 ID:vWQBoi2G0.net
河井継之助の考えは武装中立だったと言われる。
しかし、長岡藩は鳥羽伏見で旧幕府側として参加したのであって、朝廷から見ればいわば準朝敵みたいなものだ。
その長岡藩が鳥羽伏見後、欧米の武器商人から盛んに銃を買って武装に努めている。
このような長岡藩の動きを朝廷は疑いの目で見ていた。
官軍が長岡にやってきたとき、河井は嘆願書を出し、長岡藩は中立で朝廷に盾突くつもりなど無い、奥羽の諸藩との仲介をします、そのように言ったという。
これは通用するはずの無い理屈だった。
なぜなら官軍は鎮撫しにやってきたのであって、官軍に従わなければ朝敵なのであり、中立などあり得ない。
河井は薩長と徳川氏の争い、徳川氏側にたつ東北諸藩という認識だったかもしれないが、
徳川慶喜が罪を認めて謹慎蟄居しているわけで、もうとっくに勝負あったなのだ。
河井が認めたくなくても薩長は官軍なのである。
従わなければ討たれるだけだ。
それに鳥羽伏見で旧幕府側で戦った長岡藩が朝廷に逆らうつもりは無い、中立ですなどと言うなら根回しが必要だった。
いきなり小地谷でやってきた官軍に嘆願書を出しても受け入れられるはずがない。
河井は外国武器商人から武器を仕入れ武装強化に励むばかりで、朝廷や官軍に対して根回しをした形跡がない。
これでは小地谷で嘆願を突っぱねられても仕方がない。
もちろん河井はそういうことを分かっていたに違いない。
あれほど頭脳明晰な人がそんなことを分からなかったはずがない。
河井は最初から戦争をするつもりだったのだ。
武装中立などは藩内にたいする建前で、河井は戦争をするつもりだったのである。

331 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:39:42.07 ID:O/2Mqn4R0.net
>>326

289は、
「聡明な人だけがリーダーになって」という意味では。
「その器でなければ辞退して」と。

332 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:40:29.64 ID:IJQDsJmD0.net
>>331
それは付いて行く民が見抜かないと

333 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:41:36.55 ID:cGFIHeqP0.net
>>328
結局銭と米を持ってる山陽の藩が明治を主導していったからな

334 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:42:21.22 ID:O/2Mqn4R0.net
>>332
当選してから豹変するリーダーもいるので。
権力は腐敗するし。
カダフィとか。

335 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:13.35 ID:BrIuwKDP0.net
>>330
官軍だの朝敵だのってくくりが最初から決まっていたと勘違いしてる
徳川慶喜を朝敵にすることに成功したのは偶然の累積に過ぎない
慶喜が恭順を決めた後にも中立を目指したのは無理があるってのなら判らんでもないが
河井が武装強化をしてるのはその遥か以前からでそれを含めて最初から戦争する気の基地外だった
ってのは無理がある

336 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:27.34 ID:1IrHfpjO0.net
>>328
表向きの具体的理屈は知ってるけどさ、それでも防長2国つまりチョークポイントの関門海峡を与えちゃうって相当な配慮だよね。
本当にガチ制裁するなら、安芸1国に閉じ込めるはず。広島城が実はポンコツなことは、当然家康も知ってる。
山に撤退する深謀遠慮だとか、あれは寝言だからw

337 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:48.13 ID:FrtrX8pH0.net
山本五十六が山本帯刀の山本家の養子に入ったという事だけ知っていて
河井継之助の事はほとんど知らんと言う。

なんで、そんなのが沢山沸いてるのか恐怖。

338 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:48:26.67 ID:hcXlJ4Yb0.net
>>190
長岡藩は会津藩に仲間になれと圧力かけられたんだぞ

339 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:50:44.74 ID:1IrHfpjO0.net
>>335
王政復古号令がどこまで成功するか、決行した後でもしばらくは分からなかったわけでねえ。
ただ、あの初期メンバーを見て、これは行ける可能性がかなりあると思わない譜代藩上層部はヤバいかもしれん。
ポイントは薩長ではなく、尾張藩主と越前藩主が含まれていること。
徳川慶勝と松平慶永、特に尾張慶勝が、徳川の正当性を朝廷側に回収するポジションにいる。

340 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:51:09.05 ID:cGFIHeqP0.net
>>338
諸悪の根源・会津
東北の恥・会津
侍失格の糞雑魚・会津

341 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:53:37.63 ID:YqPVr0pl0.net
>>306
「英雄児」ではっきりとそう記述してるんだよ
自身がつくった武力が頭脳となった、最新の火砲が勝てると思わせたって
「峠」も好きだけど、暗黒面を描写している点で「英雄児」のがキャラとして印象深いと思う

342 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:57:47.11 ID:YqPVr0pl0.net
しつこいようだけど、「英雄児」の文章↓。面白い一節だと思う。

――できる。
と思うのである。米式速射砲がそれを考えさえ、仏式後装砲が自信をつけた。
もはや武器が、継之助の脳髄であった。

343 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:00:04.02 ID:nynOIUpa0.net
領民の生活は厳しかったから賛否両論らしいな

344 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:00:23.67 ID:8MFnBtlx0.net
映画に小稲は出てこないのかな

345 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:01:19.82 ID:i8gjxu1J0.net
>>335
事実をもとに話さないと。

>河井が武装強化をしてるのはその遥か以前からで

河井がスネル商会などの欧米武器商人から最新の銃やガトリング砲などを購入し武装強化、軍隊の西洋化を始めたのは
鳥羽伏見の敗退と慶喜の江戸帰還謹慎を知った後だよ。

>最初から戦争する気の基地外だった

俺は河井が基地外だなんて言ってないよ。
どこで言った?
その文章を指摘してくれ。

346 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:02:04.07 ID:nynOIUpa0.net
>>287
日本人に限った話じゃないけどな

347 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:04:28.61 ID:2ayKyeK90.net
ガトリング砲の人だっけ

348 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:06:03.83 ID:rJdHQnCL0.net
>>335
これから国内で戦争が始まると予想してる賢い藩なら
どちらの側につくにしても武装強化するのは当然だわね

349 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:12:08.73 ID:5AswC7qR0.net
>>298
毛利は正月に徳川討伐の軍を云々の儀式をやってたという
アホではなかろうか
毛利が普通に働いていれば関ヶ原は西軍が勝った

石田 小西 宇喜多 大谷らの奮戦した諸将からすれば敵の徳川内府より毛利の方がよほど恨めしい
吉川など恨み殺されてもいいくらいである
何被害者ズラしてるのだろうか
島津に至っては本領安堵で家康公をする恨む筋など一つもない

350 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:15:20.68 ID:jOFw7ROd0.net
なんで、今度は戦国時代の話してて河井継之助の事知らない人間が沸いてるのだろうか。

気持ち悪いスレ

351 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:17:17.33 ID:JA0Y82iW0.net
NHKも原発事故の復興策として『八重の桜』やるくらいなら、
会津の山川浩・健次郎という反逆の天才兄弟を主役にした作品を作って欲しかった

山川浩
・20歳そこらで会津藩の家老に
・会津戦争時、『史記』に出てくるような奇策「会津獅子入場」を成功させる
・会津戦争で籠城線を指揮するも、妻など一家は全滅、藩も滅亡
・20歳そこらで家老になり、藩ごと流された斗南藩でも指導者に
・会津戦争で戦った谷干城の推薦で陸軍軍人となり、西南戦争に従軍
・西南戦争で何度も激戦地に送り込まれるも、連戦連勝。
・西郷軍に包囲されていた熊本城を奇策であっさり救援(熊本城籠城の指揮官は谷干城
・晩年は会津の立場を淡々と綴った『会津藩始末記』という一級資料を残す。

山川健次郎
・白虎隊に志願するも年齢制限で入れず
・「滅び行く会津藩の最後の希望」として、藩幹部の手引きにより会津を脱出
・あまりに頭が良いため、米国に留学。日本初の物理学者の一人に。
・各帝国大学の学長を歴任。
・日清戦争時に明治政府に「一兵卒でいいから従軍させろ!」と怒鳴り込んで、受付を困惑させる
・『会津藩始末期』の影の執筆者とされる

絶対に(特に男には)おもしろいドラマになるはずなんだけどな〜

352 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:21:06.18 ID:rur9OwFR0.net
>>341
なるほど、そっちか。
読んだ記憶はあるがトーンまでは覚えてないな
ありがとう

353 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:21:51.86 ID:vX7YGNjR0.net
長岡の河井継之助記念館は比較的新しい
只見の近くの会津塩沢の記念館の方が歴史がある
墓があるとはいえ、なぜ不便な会津塩沢に金出して河井継之助の記念館をつくったか謎だが
ダムができた電力マネーで余裕ができたからかな
今は代行バスルート上になったからなおさら不便になってしまった

354 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:22:39.44 ID:pmcgNqYI0.net
>>218
>「これからは実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終ったら商人になれ」

この一言で

>河井が山田方谷から学んで行った富国強兵策は明治の富国強兵と近いものだし、
>この一言で河井が廃藩置県に賛同してると分かるだろ。

こう結論付けるのは風が吹けば桶屋がもうかる的な話で全く同意できないね。
それはあなたの超解釈と言うか想像の話で全然史実ではない。

一言だけ忠告しておくと史実と自分個人の想像話を区別しないで同じ史実であるかのように
書くと一部に本当の史実が書いてあっても全部の話の信用性が失うよ。
ただの嘘付きだと思われてちゃんとした史実の部分さえまともに読んでもらえない。
自分の考えについてはちゃんと自分の考えとして解るように別に書いた方が良い。

355 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:30:51.02 ID:QNlqz0sI0.net
桂小五郎とか大久保利通とかの首脳陣は河合敬之助の風評は聞いていて
戦争回避に向かうと予測してたそうだ。
で、土佐の岩村某を軍監として向かわせたら、
まさかの「開戦」で泡食ったという話は何かの本で読んだことがある。
ガトリング砲は強烈で犠牲者続出。
数に物言わせて、なんとか鎮圧したが、手痛い犠牲を払った。
河合そのものの人物も惜しんで降伏を諭すが、拒絶されたとのことらしい。

356 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:38:28.27 ID:QNlqz0sI0.net
>>284
だって、まともに戦ったら危ないじゃん。

357 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:48:37.03 ID:fHhRg0Wg0.net
>>276
そこまで考えてなくてただ
あー官軍側に着いてたらなー
ってなくらいで
「くそー河合が馬鹿だからだ」って言ってるだけじゃないかな
河合の正確な情報が当時それほどあったわけない

358 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:50:09.85 ID:cSj/i6lN0.net
西郷の弟もここで死んで西郷はショックで帰っちゃった

359 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:51:09.16 ID:teDqZct80.net
原作のサイズ的にも史実的にも映画がちょうどいいサイズだね

360 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:51:31.18 ID:fHhRg0Wg0.net
>>291
俺は何を28用意すりゃ良いんだ

361 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:06:50.77 ID:i8gjxu1J0.net
>>348
どちらの側につくという考えが間違ってるんだよ。
かんじんの慶喜が罪を認めて謹慎閉居してるんだから徳川宗家は賊だと決まってしまっている。
長岡に進軍してきたのは、もう官軍で確定。
官軍の鎮撫使だ。
従わなければ賊軍。中立は無い。
しかも長岡藩は鳥羽伏見で旧幕府側で参戦している。
その長岡藩が朝廷にたいして何の申し開きもせず、外国商人から武器を仕入れ武装を調えている。
朝廷から長岡藩は疑いの目で見られていた。
長岡藩の立場は非常に悪かったのである。
河井が本気で戦争を避けるつもりだったら、総督府にたいして根回しをすべきだった。
ところがそういう形跡はない。
長岡に進軍してきた官軍に対して小地谷で突然嘆願書を差し出すのであった。
応対した官軍の軍監岩村は河井の請願を拒否した。
岩村は長岡藩は一度も朝命に奉じないのに、ここで嘆願書を出すのは受け入れられないといった。
つまり長岡藩は賊だろう、従えば許すがそうでなければ討つ、官軍としてはそういう方針だったのだ。
繰り返すが、河井が本気で戦争を避けるつもりだったら、総督府にたいして根回しをすべきだった。
ところがそういう形跡はない。
小地谷で突然嘆願しても受け入れられるはずがないのだ。
頭脳明晰な河井はそんなことは分かっていた。
分っていて、根回しもせずにひたすら外国商人から武器を買い集め、武装強化に専念したのであった。
河井は最初から戦争するつもりだったのである。

362 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:20:15.00 ID:yBUoo0EU0.net
武装中立だなんだと言われるが

日本に3門しか存在しないガトリング砲の2門を手に入れた河井が
使ってみたい誘惑にあらがえなかったんだろう

強力な兵器を使用してみたいってのは悪魔のささやきだ

363 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:40:44.92 ID:/LzSiDPj0.net
当時のガトリングガンは冷却材の役目をする物を単なる梱包材として捨ててしまって加熱する銃身の冷却が出来ないまま使って不具合を出していたんだよな
アメリカでインディアンと戦った部隊が全滅させられてたりするのはそのせい
日本にきたガトリングガンはどうだったんだろう
ガトリングの子孫が河井継之助記念館かに来たんだよな

364 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:40:55.47 ID:jw5E7VeM0.net
まぁ中立を守るには武力の裏付けがいる、という事を再考するにはよい素材だと思う
峠は文句なく名作、司馬遼太郎は情景を掻き立てて情感を高ぶらせるのが本当に上手い
史実通りかどうかはさておき、超一流の小説家だよ
若き日に読んだ峠には涙したもんだ

365 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:42:08.12 ID:/LzSiDPj0.net
役所公務員さんは何やっても役所節で役所そのまんまなんだよな
あれで河井をやるのはどうなんだ?
あと今でしょ!の先生は出るの?

366 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:42:33.70 ID:/LzSiDPj0.net
アサヒビール、阪神電鉄創業者の外山は出てくるんかの

367 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:45:34.60 ID:78dgStWA0.net
時代を見る目が中途半端だった人だよな

もっと無能なら会津以外の東北諸藩のように無事だったし、
もっと有能なら勝海舟のように長岡を救えた

368 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 02:00:06.93 ID:v/Tfhw7A7
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q

https://www.facebook.com/profile.php?id=100020721767301

369 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:58:28.94 ID:/LzSiDPj0.net
何言うてまんの
長岡は藩主が幕府の要職についていた
京都にも行っていた
他の藩みたいにとかはないわな

長岡藩牧野家は徳川四天王酒井忠次の血が入ってるし
庄内藩酒井家とは親戚付き合いしてた家
戦うやろ

370 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:02:02.65 ID:E7LvYGXQ0.net
頭文字D

371 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:02:06.22 ID:5PjExd4w0.net
山田方谷先生は藩主が要職にあったけど、ちゃんと止めたけどね
河井たんは何学んでたんだかな、なトコはあるw

372 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:34:50.81 ID:VjSkglgj0.net
ただのガトリングフェチ

373 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:54:11.46 ID:vX7YGNjR0.net
>>371
農民の出と武士の出の違いじゃね

374 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:11:11.43 ID:ZMVqcIbm0.net
>>370
 レンタルビデオ屋に、頭文字Dのビデオ借りに行ったんだけど 「か行」探しても全然ないんだよ。
 で、レンタルビデオ屋の店員は「あたまもじD」って読んでるんじゃね?
 と思って 「あ行」を確認したらマジで置いてあってびびったwww

375 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:16:38.71 ID:jOFw7ROd0.net
>>371
山田方谷の場合、板倉勝職の代にすでに有終館学頭となり、勝静の教育係に命じられた。
そして、勝静の代に元締役兼吟味役元締となって藩政改革を行ったり、外交顧問になったり藩主の信用が非常に大きかった。

しかし、継之助の場合は書生の身分で一から出世していかねばならず、忠恭に買われたものの藩主に対する立場が圧倒的に弱かった。
継之助が奸臣呼ばわりされるのは、元々勘定奉行までしか出世できない身分なのに筆頭家老まで立身したためで、特に恭順派からは忠恭を誑かした様に見えたのだろう。

しかし、実際、軍制改革や藩政改革は継之助個人がやらかした訳ではなく、藩主忠恭自ら藩を挙げてやり始めた事で継之助はその中で出世していっただけ。
新政府に対する開戦も、継之助個人の意見ではなく、譜代のエリートとしての自負の強い長岡藩と言う組織文化と藩主忠恭の意見が決定したんであって
継之助の力など藩主忠恭の意見次第であった。

じゃあ、小干谷談判に当たって、筆頭家老を辞退し引き籠ってしまえば良かったじゃないかと思えるが、封建制度の時代だし家老山本帯刀も河井に心酔してたから
元々、身分の低い継之助としては進退窮まったんだろうと思う。その結果、「武士道に殉じる」なんていう司馬遼太郎が結論付けた役割を担わざるを得なくなったと思う。
継之助は実際の所、新政府の政策に反対なんてしてなかったし、勘定奉行の家柄らしく非常に経済、商業に通じていた。東の坂本龍馬と言えるかも知れない。
日本の商人を海外に通用する様な商人にしないといけないと言っていた様だし、明治の富国強兵時代にこそ実は活躍すべき人材だった。

376 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:17:55.47 ID:Rf6Gvx7K0.net
元祖ガトラー

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