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【新潟】河井継之助没後150年、生涯描いた司馬遼太郎の小説「峠」映画化 遺徳しのび、長岡の栄凉寺で法要

218 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:02:12.76 ID:FrtrX8pH0.net
>>201
長岡藩家老・軍事総督河井継之助が負傷したとき傍らに付き添い、その死まで終始行動を共にした。
継之助と共に会津藩に落ちて行く途中、病状悪化して塩沢に留った。その時、継之助は外山脩造に向い、

「これからは実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終ったら商人になれ」

と諭した[2]。その時、河井継之助は、脩造のために福澤諭吉にあてた添書を残していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/外山脩造

河井が山田方谷から学んで行った富国強兵策は明治の富国強兵と近いものだし、
この一言で河井が廃藩置県に賛同してると分かるだろ。

219 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:03:22.35 ID:Sgiesx+j0.net
>>214
そこまですることはない
同じ長岡でも田中角栄より100万倍マシ

220 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:03:23.47 ID:FrtrX8pH0.net
>>201
ソースを提示したら、あり得ない量になる。

221 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:03:30.92 ID:jxSCMle20.net
>>212
日中戦争以降の日本の軍部って岩手の東条、板垣大将、山形の石原中将、長岡の五十六と旧賊軍ゆかりの派閥が支配してたのな。
長州閥は追放されて陸軍大学にも入学を許可されず影も形もなくなる。

222 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:04:14.29 ID:Sgiesx+j0.net
でもこの小説なんかすっきりしないんだよね
とくに最後が尻切れトンボで無理矢理まとめたみたいな

223 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:06:07.98 ID:FsLOzICM0.net
>>188
運用を真面目に考えてなかったんだろう。
ちょっと考えれば補給が重要になる連射性能の高い兵器を突出させたりせんはずだし。

224 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:06:18.54 ID:Sgiesx+j0.net
>>208
龍馬は調子良すぎだね
燃えよ剣は新撰組がヤクザの組みたいだった
芹沢鴨との抗争とか内部粛清とか入ったら足洗わせないとか

225 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:07:35.41 ID:AOTpKn/N0.net
>>222
司馬遼太郎の作品はだいたいバッドエンドで終わるからそんなもんよ
スッキリ終わるのは、燃えよ剣ぐらいじゃない

226 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:08:14.53 ID:ix528qvT0.net
>>206
おお、ご同輩かな?
来月、周防の大村神社に行く予定

ところで、総集編に入ってないシーンだけど、河井が墨で花の絵をかいてる少年をほめるシーンがあったよね?
あの少年、明治に大成したって言ってた友うけど、なんて画家になったんだろ?
原作読めば出てくる?

227 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:09:36.41 ID:Bqqmjqru0.net
とんでもないオッサンだけど本人はすごく充実してたはず!

228 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:12:38.56 ID:Sgiesx+j0.net
司馬遼太郎の河井継之助も良いけど
小菅トメジの雲井龍雄のが面白いかも
ペンネームが思い出せない
藤沢周平か

229 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:12:56.38 ID:Q2cvU5AK0.net
>>215
>スペック厨
海防論者から後の開国主義者までみんなそうだよ。

230 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:15:27.50 ID:O/2Mqn4R0.net
>>200
東郷の功績では

231 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:17:41.12 ID:EnuZyMR40.net
>>179
世良修蔵が出したと言われる、
奥羽皆敵の手紙は仙台の捏造だったで学術的に結論ついたみたいね。

長州が計画したとされる京都大火計画も新撰組の捏造だと確定したし、実態はただの飲み会に新撰組がテロしただけという…

232 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:19:08.41 ID:O/2Mqn4R0.net
>>212
「半年なら」暴れてみせる、と56は言ってた。
半年しか持たない、それは56の慧眼。
他の愚将とは一線を画す。

233 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:19:18.56 ID:EhqWXTEl0.net
>>79
総工費80万両のうち60万両は地元負担
工事の労働者は地元から徴用とかやってれば
一揆が起きて当然だろ

あと分水工事は昭和じゃなくて
明治の終わりに再着工して
大正時代に完成したんだが
歴史を捏造するなよ

234 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:19:40.98 ID:Xx8+SDzv0.net
>>29
肥後藩が使ってたんじゃね?

235 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:20:22.37 ID:/JVtwXAB0.net
越後で一番発展していた長岡を火の海にした張本人
みんなお話の読みすぎだよ
偉人でも何でも無い

236 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:20:32.80 ID:J+FCdd0F0.net
>>230
抜擢した山本権兵衛は

237 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:21:02.18 ID:O/2Mqn4R0.net
>>225

「名残おしゅうござる」

238 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:21:36.44 ID:Jn3R/Fyl0.net
河井の立場に立ってじゃあお前どうするかって言われたらいまだに答えでんでしょ

卑近な例えすれば
クラスの苛烈ないじめ見て、やめろよ俺が仲介するから仲良くしろよと止めに入ったら
いじめられてる人間をお前も殴れと強制され
拒否ったところ自分もフルボッコされたみたいな

239 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:22:06.24 ID:FsuCEXqi0.net
>>226
まだギリ四十代なので花神の本編はさすがに記憶にありません
小説から入って昔レンタルビデオ屋で総集編を見ただけです

240 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:22:23.27 ID:waqIeMnq0.net
>>62
そこまでしなくても箱根に陣取って足止めをした上で東海道を海軍の砲で脅かせてれば戦局は大きく変わる

241 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:22:38.50 ID:O/2Mqn4R0.net
>>236は運のいい男ですから」

242 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:23:04.71 ID:Jn3R/Fyl0.net
>>235
裏切り者新発田民おつ

243 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:23:22.14 ID:I3x56JZV0.net
>>131
鍋島藩主は優秀な江戸っ子だ馬鹿

幕末二大無能は関西と東北

244 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:24:39.28 ID:waqIeMnq0.net
>>94
軍司令官になったのも大将になったのも日露戦争全四軍の中で一番後だったっけ?奥と同じぐらいだったっけ?

245 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:24:53.02 ID:EnuZyMR40.net
なぜか最近、日本国内で日露戦争は引き分けって論調増えてんだよね

スターリンも日露戦争の敗北がって頻繁に言ってたのに

日本は戦略目標をほぼ達成してロシアは達成できなかったわけで、戦争の勝利の条件がいつから賠償金や戦死者の数で決まることになったのだろうか。

朝鮮系や左翼系の学者やジャーナリストはそんなに日本の歴史を修正したいのかね

246 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:25:57.81 ID:O/2Mqn4R0.net
>>245
聞いた話では、
ロシアの教科書に日露戦争の記載がないとか。

247 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:28:54.52 ID:FsuCEXqi0.net
>>235
長岡市の悠久山の方にある郷土史料館では河井継之助は良い扱いを受けてるよ
維新後に河井家の再興と名誉回復もされている

248 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:29:52.02 ID:/JVtwXAB0.net
日露戦争時代はロシアは大国であって
ロシアが勝って当たり前の状態だった
それを五分の戦いに持ち込んだのだから戦術的には日本の勝利だったのでしょう
でもねいくら戦争で勝っても政治で利益を確定できなければ意味がないんですよ
日本はここが昔から弱いね

249 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:30:18.75 ID:EnuZyMR40.net
仙台藩などの賊軍が輪王寺宮をたてて明治帝の打倒を目指したのは馬鹿だよな。

北条政子が上皇が自ら出てきたら、弓の弦を切ってすぐに降伏しなさい、
でも出てこなければ、思う存分やってしまいなさい!と激をとばしたのとはえらい違いだ。

250 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:31:03.38 ID:waqIeMnq0.net
雷神隊の立見監三郎は誰がやるんだろ?

251 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:31:31.83 ID:EnuZyMR40.net
>>246
ロシア帝国は日露戦争の影響もあってそのあと滅んだからね

252 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:34:05.98 ID:dpzeKYGY0.net
三国峠辺りを歩いていたら碑があったなぁ。

253 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:35:12.84 ID:FsuCEXqi0.net
河井もすごいけど先祖代々の家宝を売って戦費にしろと言った殿様の牧野家もすごい
河井継之助一人が名を残したわけではない

254 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:35:44.48 ID:EnuZyMR40.net
>>248
政治で利益を確定できたから世界で日本が勝ったとされているのだが…
何を日本がロストしたの?
賠償金とかはなしで、元々戦略目標に賠償金はないし。

255 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:36:49.10 ID:gzZmfZRS0.net
ジャンゴ/荒野に一人

256 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:37:25.00 ID:GbRf5ttr0.net
>>5
グラバーのパシりで、ただの武器商人が…
船中八策は存在しないし、新政府綱領八策も
大政奉還後だしw

257 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:38:10.14 ID:rToZK+XR0.net
岩村精一郎(岩村高俊)はDrコトーが演じるようですね。

https://www.cinematoday.jp/news/N0103333

258 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:38:41.80 ID:cGFIHeqP0.net
>>195
当の会津は衝撃的な雑魚っプリを見せ付けたな

259 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:07.11 ID:1IrHfpjO0.net
もともと長岡藩牧野家は、三河国といっても東部(今の豊川市)の出で、譜代本流じゃないんだよね。
彦根の井伊(出身は遠州の浜名湖北岸)もそうなんだけど、本流じゃないというハンデがいろんな方向に出てくる。
三遠地域の非本流系譜代は、宇都宮の戸田家(出身は愛知県渥美半島)も含めて、
幕末には独特のポジションで独特の役割を果たしてる。みんな脇役だけど、単純じゃない。

260 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:13.11 ID:efzhhjaY0.net
時山直八があと十人いたらアメリカにも勝っていたみたいなヨイショぶりがテラワロス

261 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:22.47 ID:RaKvEH270.net
勝てば英雄だけど負けたから河井はただのテロリスト

262 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:30.17 ID:ix528qvT0.net
>>239
放映時小学3年くらい?
じゃー見てないのも無理ないww

おれ、S40生まれ、かすかに覚えてるだけww

263 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:34.44 ID:BrIuwKDP0.net
司馬さんを理解するのにこの河合継之助の描き方は参考になる
小説の”峠”とエッセイの”英雄児”の二つを合わせ読むと良い
小説の方は主人公の生涯を詩として歌いあげるため悪く言えば美化しすぎる面もあるが
エッセイで別角度からその暗黒面も伝えてる
この詩の方だけを取り上げて司馬遼太郎を批判する奴がいるがおそらく全部を読んでいない
司馬遼太郎は今日の基準からみても恐ろしい面があるのよ

264 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:52.58 ID:6vRFP62i0.net
家老の家柄ではなかったのに筆頭家老にまでなったんだから、
優れた人物だったんだろな。
ただ、農民の子から家老になった山田方谷には及ばんな。

265 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:41:21.62 ID:j1IrYldZ0.net
飯炊き女買う話しか出てこないやんw

266 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:41:37.11 ID:O/2Mqn4R0.net
>>248
>>254

「ロシアたばこを買ってこい」

267 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:41:59.00 ID:YRGjKQ6y0.net
河井継之助記念館
http://tsuginosuke.net
こんなにリスペクトされとりますがな
長岡駅からすぐだから花火のときにでもどぞ

268 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:45:56.23 ID:lXeWTtBr0.net
主君が全幅の信頼、己れの才覚で自藩を危険に晒す、って意味では直江兼続に似てるな。
直江は後半生は藩の為に尽くして名誉挽回出来だが、この人はそれも叶わなかったからな

269 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:47:23.80 ID:1IrHfpjO0.net
牧野家は、会津松平ほどには同時代の領民に嫌われてたわけではなさそう。でも譜代小藩の常として、収奪は厳しかった。
なお、当時の新潟民は、米沢の上杉氏の帰還を待ちわびていたらしい。その意味で列藩同盟側に与する感覚だったようだ。

>>231
そんな捏造の手紙を作られちゃうということ自体、交渉役として致命的無能やぞw
だからといって、世良の評価が上がることはないよ。

270 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:50:05.71 ID:ZNjXCCgB0.net
長州に負けたUWFインターの安生に顔が似てるよな

長州に負けただけに

271 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:50:35.48 ID:gPt1JtUj0.net
長州の村田蔵六みたいな人か?
村田蔵六、大村益次郎はあの時代でも珍しいくらい好戦的な人間だし
西郷隆盛にさえ嫌われて暗殺されるけど

272 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:51:40.25 ID:sBUHjeW60.net
>>271
知らないなら書くなよ。トンチンカンで恥ずかしいから

273 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:52:28.12 ID:npqymJE30.net
>>1
河井継之助は、長岡藩をスイスのような中立の立場に置き、
幕府にも政府にも従属しない自主自立の立場を貫きたかったらしいのだが
小千谷談判で政府軍との交渉は決裂、結果長岡城下は焼け野原

河井にとって長岡藩は小さすぎたという評価は正しいかもしれないが、
長岡という小藩の力量と、もはや政府軍優勢の状況で
そんな曖昧な立場を許す余地なんかあるわけなく、
国内情勢を見極めることができなかったという点で、やっぱダメだったと言える

山本五十六は河井を尊敬していたらしいけど

274 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:52:37.85 ID:Sgiesx+j0.net
>>232
そりゃ狡いわ
戦争するからには最後まで責任とれ

275 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:53:01.78 ID:FrtrX8pH0.net
>>231
全てが仙台藩の捏造じゃなく、手を加えたんでしょ。
醍醐が世良が殺害された十九日手記の手記に書いてる世良の戦略と同様の事が
密書に書かれていた訳だし。

手を加えられたのは「奥羽皆敵として云々」の重要文句じゃないの?
世良の奥羽情勢の分析は甘くて、仙米両藩以外の奥羽諸藩は会津と合従しないと見ていた。
醍醐手記に書かれている世良の考えに基づいて、密書を読めばどこに手を加えられているか分かる。
後、会庄同盟のプロパガンダである「討会討庄は薩長の私怨に過ぎない。君側の奸を払って第二の
王政復古をすべし」という主張から、どこに手を加えたのかも分かって来る。

「防長回天史」によれば「先年慶喜主上奉要轍云々」の文書内の位置が、仙台藩のものと米沢藩のものじゃ
違うと言うから、これは書き足されたと思ってる。世良と大山が会津に私怨を抱いてる証拠だとして。
末松謙澄は密書は手を加えられたから、原書が出て来ないと書いてるが間違いないと思っている。

276 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:53:03.12 ID:BrIuwKDP0.net
長岡と言えばもう一つのエピソードが百俵の米だがその中で何故教育が大事かという箇所で
長岡藩がこのような惨状を呈しているのは教育が足りず愚か者が藩を牛耳り維新に敵対してしまったからだ
だから教育を充実させねばならぬ、って古老が言うんだけど
この教育が足りない愚か者って河合継之助のことなんだよね
河合は悲劇を招いたが愚か者であったのだろうか?
河合のことを言ってるんだと知って以来百俵の米のエピソードも手放しで称賛できなくなった
教育投資は他の何を差し置いても充実すべし、って意味なら賛同できるんだけどさ

277 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:54:43.02 ID:cGFIHeqP0.net
>>274
つうか訳知り顔で陸軍を馬鹿にしていながら、「半年後以降は負けます。暴れられません」とはいえないセコさ。

278 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:18.63 ID:FsuCEXqi0.net
>>271
大村は薩摩藩を上野戦争の激戦箇所に配置したからでしょう
百姓医者の大村の頭の中には好戦的な旧来の侍を減らせるまで減らしたいという意図があっただけで
民間人を犠牲にするもやむなしという意味の好戦的ではない

279 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:40.24 ID:gPt1JtUj0.net
>>272
河井継之助も好戦的な人間だったんだろう。とにかく、手に入れた武器を使ってみたくて仕方がないから薩長に楯突いただけ
勝てる見込みなんて全く無かったからな
実際に地の利を得ても戦線は維持出来なかった

280 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:57:38.05 ID:npqymJE30.net
>>277
セコいんじゃなくて、事実をそのまま言っただけでは?

五十六は米国留学もしていて、
アメリカと日本の国力の差を自分の目で見てわかっていたらから、
短期決戦で決着がつけられなければ、日本に勝算はないことは分かっていた

281 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:57:53.05 ID:6vRFP62i0.net
>>276
マジかよ。
継之助ぐらいしか人物がいなかったほど、
その他大勢の教育が足りてなかったってことじゃなかったのか。

282 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:58:16.67 ID:Sgiesx+j0.net
>>268
直江と上杉景勝のコンビも間抜けだったね
なんで石田三成と約束してたのに関ヶ原で挟み撃ちにしなかったんだ
結局、家康に領地減らされてぼろぼろやん

283 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:58:56.12 ID:BXI1JWlN0.net
>>282
情報が10年前

284 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:59:39.25 ID:Sgiesx+j0.net
>>280
それであんな卑怯な奇襲攻撃をしたのか

285 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:00.19 ID:FsuCEXqi0.net
>>273
列強の中の日本が幕末の大藩の中の長岡藩に重なったのかな

286 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:36.52 ID:KZnXHWfQ0.net
>>51
土方の写真は二枚目に見えるよう修正入れてた
ようだ。
函館戦争の時、実家に形見として写真届けさせてるが、
のちにその写真を見せてもらった知人が、あまりにも
実物とは違う男前振りになんとも言えなかったとのこと。
後世に男前として記憶してもらいたかったんだろうと。
そういった見栄というか、自意識が強いというか、
生き方もだが、見た目のこだわりにも彼流のダンディズムが
あったようで。

あと、別に土方だけってことはなく、桂小五郎も陸奥宗光も
かなりハンサム。

桂小五郎なんて、長州が朝敵になる前の京都でモテまくり が
当たり前だか、朝敵になって、あちこち潜伏して逃げまくった
時にも、匿ってくれた土地の娘達に惚れられて
妊娠させたりしている。

桂の子を産んだ娘は、子供を連れて長州の桂の
元に向かうが、途中会津藩にバレて殺される。
虫の息の時、子供の命だけはと嘆願して、
会津藩士の一人が聞き入れ、その桂の赤児を
ちゃんと育てあげた という逸話もある

287 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:00:54.17 ID:s3wf4VOW0.net
>>273
西南戦争とかもそうだけど
日本人は負けるのわかってて戦うみたいなところがあるからなあ
単に国内情勢を見誤ったのか、情勢を見極めたうえで引けない何かがあったのか
全面降伏すれば誰も死ななかったかもだけど・・・

288 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:01:06.75 ID:GbRf5ttr0.net
>>125
役所広司は小林虎三郎のイメージだな

289 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:03:38.86 ID:/JVtwXAB0.net
夢を見るのは勝手だが強制的に付き合わされるほうの身にもなって

290 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:04:58.88 ID:6vRFP62i0.net
>>288
遺影だけ見ると、継之助は坂田利夫だな。

291 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:05:03.81 ID:BrIuwKDP0.net
河合継之助は維新の動乱の中で長岡藩を武装中立で守ろうとした
そのために長岡藩で出来る範囲の近代兵力を整備した
だが交渉は決裂してしまった
ならばその時点で武装を放棄すべきではなかったのか、と批判される
だが河合は開戦を決意する
何故開戦したのかと言えば、やれば悲劇に終わることは理解していたが自分が整備した近代兵力の力を
試してみたいという誘惑に逆らえなかったのではなかろうか?
この点も山本五十六に酷似している
山本五十六もダメだ、ダメだと言いながらも自分が整備した海軍革命を起こす航空戦力の力を試してみたいとう
誘惑に無意識下では勝てなかったのではないか?
ちな河合継之助が用意した砲はガットリングガンを含めて28門で
日本海軍が建造した空母が28隻な

292 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:05:57.99 ID:FsuCEXqi0.net
>>279
侍は戦うのが存在理由だからな
江戸300年で幕府や大藩の上級武士ほど腑抜けになっている中で地方の小藩ほど心意気が残っているのが面白い
苛烈な内戦で各地で小藩でもひるまず抵抗する武士の姿をみて
欧米列強に日本は清やアジア諸国みたいなわけにはいかないと理解させたのが維新後の日本の躍進につながる

293 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:27.94 ID:cGFIHeqP0.net
>>292
会津松平なんて浪人百姓を雇って戦わせるぐらいだからな

294 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:45.21 ID:O/2Mqn4R0.net
>>280
歴史に「もしも」はないけれど。

昭和天皇がアメリカと日本の国力の差を知っていたら、
どうなっていたか。
少なくとも
「絶対ニ勝テルカ」の御下問はなかったはず。

295 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:47.95 ID:Sgiesx+j0.net
>>283
今は違う解釈があるの

296 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:07:50.17 ID:tJws93GX0.net
>>282
結城秀康らの大軍が抑えで残っていたし、これまた大軍を繰り出せる伊達、最上が上杉領に無傷で隣接、駐留している。
常陸の佐竹の動向ははっきりしないし、伸びた脇を突かれる可能性もある。

第一、遠征軍を繰り出せる編成でなく、所領替えで大した資金はない。

挟み撃ちは無理だと思うね。

297 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:08:22.10 ID:mZaWQsQ90.net
結局、役所広司なのかぁ・・・。
或る時は阿南大将、また或る時は山本元帥となると、彼は現代のミフネなん
ですかねぇ

298 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:08:27.53 ID:4otH6kLb0.net
>>176
佐竹が徳川に遺恨というが
領地半減どころじゃない上杉とか百万石を反故にされた
伊達は別に徳川を恨むでもない
島津や毛利なんて逆恨みもいいとこだ

299 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:13.76 ID:MTuz/GA90.net
>>84
同意

小学校の校長としてなら
理想的な人物

300 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:22.48 ID:cGFIHeqP0.net
>>290
俺は本田博太郎かヘッダー指揮官(石橋雅司)だと思う

301 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:09:59.74 ID:/JVtwXAB0.net
長岡では目だった存在だけど
偉業をなしたわけではない

302 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:11:06.11 ID:FsuCEXqi0.net
合理主義の西日本に対して意地や頑固をよしとする東日本
その両方があったから日本はうまく立ち回ることができた
河井継之助は本来は合理主義の人なのに最後は武士の意地を優先させたところに魅力がある

303 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:11:51.20 ID:npqymJE30.net
>>287
小千谷談判が決裂した時、河合は相当落ち込んでいたらしいから
別に戦争したかったわけではないだろう

ただ、戦争に対する備えはそれなりにしていたから、
最終手段としての戦争になっても、なんとかなるのでは、
という考えは多少はあったかもね

304 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:12:38.78 ID:cLz35IAW0.net
>>294
正攻法ではどうやっても勝てないことはみんな知っていて、むしろ陸軍の方が絶望していたくらい。
捕虜を出さない自殺的な攻撃でアメリカの戦意を喪失させるというのが開戦前からの方針だった。

305 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:13:42.62 ID:j2Aer/Vv0.net
>>233
やってもやらなくても明治新政府は悪、農民は絶対善というあなたの主張が歴史捏造なわけですが。

306 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:14:09.91 ID:ZNjXCCgB0.net
>>166
司馬もそんな描写してなくね?
少なくとも峠では。

武装中立のためのガトリングだったけど、時勢ここに至ればやむなし、って感じだった気がする

307 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:15:24.92 ID:O/2Mqn4R0.net
>>287

特攻の礼賛とか、
そういうカタストロフィックな悲劇に心酔するDNAが
日本人に組み込まれているのかも。

308 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:16:19.06 ID:xh0nVQPN0.net
焦土作戦をやって地元民にすごく嫌われたんだよな。

そりゃそうだ味方だと思ってたやつに自分の家が焼かれたんだから。

309 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:17:30.30 ID:GvgmkPeM0.net
別のスレにも書いたが
会津の一之瀬要人と佐川官兵衛の謀略で五段梯子の旗が片貝の戦場に放置されて
牧野家が陥れられた結果小千谷会談の決裂に至ったという説もある

一方で長州人の前原一誠は越後府判事になると中央政府に背いて
戦争復興のために年貢を半減してくれたり、信濃川の治水工事を国費で事業化できないか国にかけあってくれた

310 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:18:18.31 ID:bzURHY2m0.net
>>82
乃木希典は今で言う「武士道に生きる意識高い系」だな でも俺は嫌いではない

311 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:19:00.11 ID:j2Aer/Vv0.net
>>292
「意地を見せる」で良いのは兵士から下士官までですよ。
将なら容易く勝つ方法論に徹しないと。

312 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:19:30.85 ID:O/2Mqn4R0.net
>>304

>捕虜を出さない自殺的な攻撃でアメリカの戦意を喪失させる

それがWORKしなかった場合のシチュを考えられなかったのは、
やはり日本の民度の低さ?

313 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:21:10.44 ID:1IrHfpjO0.net
直江は明らかにただの無能よな。
でも謎の最後っ屁というか因果応報というか、直接の原因たる神指築城が潰された当然の結果として、
会津藩が中世の立地のままの若松城に入ったことが、幕末の悲劇を生む。
もし会津藩の本城が神指城だったら十分に防御力があるから、白虎隊のあれもなかったかもしれん。
いずれ開城したとは思うが、史実とはかなり違っていたはず。殿様があれだったとしてもw

314 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:23:54.08 ID:O/2Mqn4R0.net
>>310

そうした非プラクティカル系の人物が単独で存在するなら、実害はない。
問題は、そうした人物が権力をもったとき。
配下は、たまったものではない。

八甲田山の雪中行軍遭難事件も同様。
名将と愚将で、配下の運命は明暗を分けた。

315 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:24:46.60 ID:/JVtwXAB0.net
河井はどこまでも軍人で政治家にはなれなかったのですよ

316 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:27:21.52 ID:cLz35IAW0.net
>>312
アメリカが戦意を失わなければ天皇を処刑してソ連の属国になるしかないけど、
そうしてすら戦争が終わるとは限らないぞ?

317 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:27:26.89 ID:j2Aer/Vv0.net
>>313
会津鶴ヶ城は防衛能力は高いですよ。
但し、籠もっても会津盆地に孤立してしまう。
だから天下を左右したいなら、白河の闘いとなる。

ちなみに長岡城は金は掛けたが欠陥品です。堀が攻城側の使える水路になっていた。

318 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:28:34.00 ID:FsuCEXqi0.net
大敗した長岡藩だけど維新後でも名を成した人が大勢出ているのがすごい
人口が少なくても人物が出る土地というのは何かが違うのかねえ
人口が多くてもたいした人物が出ない土地はまわりに合わせる付和雷同な人が多い

319 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:29:13.39 ID:2yIQfxrG0.net
英雄児を先に読んでたから
峠の河合継之助は無理矢理美化されてる感じがしてあんま面白くなかったな
やはり河合は戦争基地外の面あるのは認めざるをえんだろう

320 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:29:39.71 ID:GvgmkPeM0.net
>>82
井口省吾の子分だった谷寿夫がでっちあげの谷戦史を作った
司馬をそれを引用しているので仕方ない

321 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:30:14.60 ID:a/L1fVm60.net
あれが
連邦軍の新兵器の威力なのか

322 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:31:26.36 ID:O/2Mqn4R0.net
>>316

>アメリカが戦意を失わなければ天皇を処刑してソ連の属国になるしかない

こういう状況だったのですか。
知りませんでした。

323 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:34:47.64 ID:mZaWQsQ90.net
なにはともあれ、7万何千石かの居城が跡形もなくなって、いまはJR長岡駅に
なっちまったんだから、殲滅戦が凄かったんでしょうな

324 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:34:50.70 ID:cGFIHeqP0.net
>>320
松川敏胤じゃないの?

325 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:35:23.33 ID:79sZ+A8D0.net
>>36
そういう意味では同盟内でも庄内藩は賢明だったな

326 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:12.23 ID:IJQDsJmD0.net
>>289
んなこと言ったら日本のリーダーは全員居なくなる
どのリーダーも反対する奴はいる
でも付いて行く奴も多いわけだ

そこを考えろ

327 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:21.67 ID:1IrHfpjO0.net
>>317
いや、隣の山からバンバン大砲を撃ち込まれてるだろ。飛び道具を知らない中世城郭なんだよ。
それをみて白虎隊が自暴自棄になった。
景勝直江コンビが家康への根回しを飛ばしてでも神指築城を急いだのもこのため。それで自爆することになる。

そして、米沢はミニ神指みたいな形になってる。築城思想だけは維持されてる。家康もさすがにここは黙認した。
これは、広島比治山と萩城の関係と同じ。毛利輝元は黒田如水に騙されて三角州に平城を建てたのを悔いてた。
なお、伊達政宗が生まれた「米沢城」はあそこではない。

328 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:36:45.45 ID:Hy9X4qem0.net
>>298
毛利長州藩は関ヶ原の後でも実際には50万石有ったのは結構有名な話だけどね
他との兼ね合いや敗軍の将が大禄ではまずいので、7掛けの37万石の表高に落ち着いた
幕末の実高は100万石を優に超えていた。薩摩藩以上の経済力は有ったわけだ

実際に薩摩藩の実高は40万石には届かない程度。米が取れないからな
琉球を通じて密貿易に手を染めても表高の77万石には届くかどうか
そりゃ無駄遣いをする渡辺謙も殺されるわ

329 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:37:47.75 ID:FrtrX8pH0.net
なんで、河井継之助のスレにやたら太平洋戦争の事書いて
玉砕だ、戦争キチガイだというほとんど河井継之助について知らん人間が沸いてるのか疑問。

その上、感情的に日本人叩きしているし。

330 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:39:36.38 ID:vWQBoi2G0.net
河井継之助の考えは武装中立だったと言われる。
しかし、長岡藩は鳥羽伏見で旧幕府側として参加したのであって、朝廷から見ればいわば準朝敵みたいなものだ。
その長岡藩が鳥羽伏見後、欧米の武器商人から盛んに銃を買って武装に努めている。
このような長岡藩の動きを朝廷は疑いの目で見ていた。
官軍が長岡にやってきたとき、河井は嘆願書を出し、長岡藩は中立で朝廷に盾突くつもりなど無い、奥羽の諸藩との仲介をします、そのように言ったという。
これは通用するはずの無い理屈だった。
なぜなら官軍は鎮撫しにやってきたのであって、官軍に従わなければ朝敵なのであり、中立などあり得ない。
河井は薩長と徳川氏の争い、徳川氏側にたつ東北諸藩という認識だったかもしれないが、
徳川慶喜が罪を認めて謹慎蟄居しているわけで、もうとっくに勝負あったなのだ。
河井が認めたくなくても薩長は官軍なのである。
従わなければ討たれるだけだ。
それに鳥羽伏見で旧幕府側で戦った長岡藩が朝廷に逆らうつもりは無い、中立ですなどと言うなら根回しが必要だった。
いきなり小地谷でやってきた官軍に嘆願書を出しても受け入れられるはずがない。
河井は外国武器商人から武器を仕入れ武装強化に励むばかりで、朝廷や官軍に対して根回しをした形跡がない。
これでは小地谷で嘆願を突っぱねられても仕方がない。
もちろん河井はそういうことを分かっていたに違いない。
あれほど頭脳明晰な人がそんなことを分からなかったはずがない。
河井は最初から戦争をするつもりだったのだ。
武装中立などは藩内にたいする建前で、河井は戦争をするつもりだったのである。

331 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:39:42.07 ID:O/2Mqn4R0.net
>>326

289は、
「聡明な人だけがリーダーになって」という意味では。
「その器でなければ辞退して」と。

332 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:40:29.64 ID:IJQDsJmD0.net
>>331
それは付いて行く民が見抜かないと

333 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:41:36.55 ID:cGFIHeqP0.net
>>328
結局銭と米を持ってる山陽の藩が明治を主導していったからな

334 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:42:21.22 ID:O/2Mqn4R0.net
>>332
当選してから豹変するリーダーもいるので。
権力は腐敗するし。
カダフィとか。

335 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:13.35 ID:BrIuwKDP0.net
>>330
官軍だの朝敵だのってくくりが最初から決まっていたと勘違いしてる
徳川慶喜を朝敵にすることに成功したのは偶然の累積に過ぎない
慶喜が恭順を決めた後にも中立を目指したのは無理があるってのなら判らんでもないが
河井が武装強化をしてるのはその遥か以前からでそれを含めて最初から戦争する気の基地外だった
ってのは無理がある

336 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:27.34 ID:1IrHfpjO0.net
>>328
表向きの具体的理屈は知ってるけどさ、それでも防長2国つまりチョークポイントの関門海峡を与えちゃうって相当な配慮だよね。
本当にガチ制裁するなら、安芸1国に閉じ込めるはず。広島城が実はポンコツなことは、当然家康も知ってる。
山に撤退する深謀遠慮だとか、あれは寝言だからw

337 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:46:48.13 ID:FrtrX8pH0.net
山本五十六が山本帯刀の山本家の養子に入ったという事だけ知っていて
河井継之助の事はほとんど知らんと言う。

なんで、そんなのが沢山沸いてるのか恐怖。

338 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:48:26.67 ID:hcXlJ4Yb0.net
>>190
長岡藩は会津藩に仲間になれと圧力かけられたんだぞ

339 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:50:44.74 ID:1IrHfpjO0.net
>>335
王政復古号令がどこまで成功するか、決行した後でもしばらくは分からなかったわけでねえ。
ただ、あの初期メンバーを見て、これは行ける可能性がかなりあると思わない譜代藩上層部はヤバいかもしれん。
ポイントは薩長ではなく、尾張藩主と越前藩主が含まれていること。
徳川慶勝と松平慶永、特に尾張慶勝が、徳川の正当性を朝廷側に回収するポジションにいる。

340 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:51:09.05 ID:cGFIHeqP0.net
>>338
諸悪の根源・会津
東北の恥・会津
侍失格の糞雑魚・会津

341 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:53:37.63 ID:YqPVr0pl0.net
>>306
「英雄児」ではっきりとそう記述してるんだよ
自身がつくった武力が頭脳となった、最新の火砲が勝てると思わせたって
「峠」も好きだけど、暗黒面を描写している点で「英雄児」のがキャラとして印象深いと思う

342 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:57:47.11 ID:YqPVr0pl0.net
しつこいようだけど、「英雄児」の文章↓。面白い一節だと思う。

――できる。
と思うのである。米式速射砲がそれを考えさえ、仏式後装砲が自信をつけた。
もはや武器が、継之助の脳髄であった。

343 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:00:04.02 ID:nynOIUpa0.net
領民の生活は厳しかったから賛否両論らしいな

344 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:00:23.67 ID:8MFnBtlx0.net
映画に小稲は出てこないのかな

345 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:01:19.82 ID:i8gjxu1J0.net
>>335
事実をもとに話さないと。

>河井が武装強化をしてるのはその遥か以前からで

河井がスネル商会などの欧米武器商人から最新の銃やガトリング砲などを購入し武装強化、軍隊の西洋化を始めたのは
鳥羽伏見の敗退と慶喜の江戸帰還謹慎を知った後だよ。

>最初から戦争する気の基地外だった

俺は河井が基地外だなんて言ってないよ。
どこで言った?
その文章を指摘してくれ。

346 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:02:04.07 ID:nynOIUpa0.net
>>287
日本人に限った話じゃないけどな

347 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:04:28.61 ID:2ayKyeK90.net
ガトリング砲の人だっけ

348 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:06:03.83 ID:rJdHQnCL0.net
>>335
これから国内で戦争が始まると予想してる賢い藩なら
どちらの側につくにしても武装強化するのは当然だわね

349 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:12:08.73 ID:5AswC7qR0.net
>>298
毛利は正月に徳川討伐の軍を云々の儀式をやってたという
アホではなかろうか
毛利が普通に働いていれば関ヶ原は西軍が勝った

石田 小西 宇喜多 大谷らの奮戦した諸将からすれば敵の徳川内府より毛利の方がよほど恨めしい
吉川など恨み殺されてもいいくらいである
何被害者ズラしてるのだろうか
島津に至っては本領安堵で家康公をする恨む筋など一つもない

350 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:15:20.68 ID:jOFw7ROd0.net
なんで、今度は戦国時代の話してて河井継之助の事知らない人間が沸いてるのだろうか。

気持ち悪いスレ

351 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:17:17.33 ID:JA0Y82iW0.net
NHKも原発事故の復興策として『八重の桜』やるくらいなら、
会津の山川浩・健次郎という反逆の天才兄弟を主役にした作品を作って欲しかった

山川浩
・20歳そこらで会津藩の家老に
・会津戦争時、『史記』に出てくるような奇策「会津獅子入場」を成功させる
・会津戦争で籠城線を指揮するも、妻など一家は全滅、藩も滅亡
・20歳そこらで家老になり、藩ごと流された斗南藩でも指導者に
・会津戦争で戦った谷干城の推薦で陸軍軍人となり、西南戦争に従軍
・西南戦争で何度も激戦地に送り込まれるも、連戦連勝。
・西郷軍に包囲されていた熊本城を奇策であっさり救援(熊本城籠城の指揮官は谷干城
・晩年は会津の立場を淡々と綴った『会津藩始末記』という一級資料を残す。

山川健次郎
・白虎隊に志願するも年齢制限で入れず
・「滅び行く会津藩の最後の希望」として、藩幹部の手引きにより会津を脱出
・あまりに頭が良いため、米国に留学。日本初の物理学者の一人に。
・各帝国大学の学長を歴任。
・日清戦争時に明治政府に「一兵卒でいいから従軍させろ!」と怒鳴り込んで、受付を困惑させる
・『会津藩始末期』の影の執筆者とされる

絶対に(特に男には)おもしろいドラマになるはずなんだけどな〜

352 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:21:06.18 ID:rur9OwFR0.net
>>341
なるほど、そっちか。
読んだ記憶はあるがトーンまでは覚えてないな
ありがとう

353 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:21:51.86 ID:vX7YGNjR0.net
長岡の河井継之助記念館は比較的新しい
只見の近くの会津塩沢の記念館の方が歴史がある
墓があるとはいえ、なぜ不便な会津塩沢に金出して河井継之助の記念館をつくったか謎だが
ダムができた電力マネーで余裕ができたからかな
今は代行バスルート上になったからなおさら不便になってしまった

354 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:22:39.44 ID:pmcgNqYI0.net
>>218
>「これからは実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終ったら商人になれ」

この一言で

>河井が山田方谷から学んで行った富国強兵策は明治の富国強兵と近いものだし、
>この一言で河井が廃藩置県に賛同してると分かるだろ。

こう結論付けるのは風が吹けば桶屋がもうかる的な話で全く同意できないね。
それはあなたの超解釈と言うか想像の話で全然史実ではない。

一言だけ忠告しておくと史実と自分個人の想像話を区別しないで同じ史実であるかのように
書くと一部に本当の史実が書いてあっても全部の話の信用性が失うよ。
ただの嘘付きだと思われてちゃんとした史実の部分さえまともに読んでもらえない。
自分の考えについてはちゃんと自分の考えとして解るように別に書いた方が良い。

355 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:30:51.02 ID:QNlqz0sI0.net
桂小五郎とか大久保利通とかの首脳陣は河合敬之助の風評は聞いていて
戦争回避に向かうと予測してたそうだ。
で、土佐の岩村某を軍監として向かわせたら、
まさかの「開戦」で泡食ったという話は何かの本で読んだことがある。
ガトリング砲は強烈で犠牲者続出。
数に物言わせて、なんとか鎮圧したが、手痛い犠牲を払った。
河合そのものの人物も惜しんで降伏を諭すが、拒絶されたとのことらしい。

356 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:38:28.27 ID:QNlqz0sI0.net
>>284
だって、まともに戦ったら危ないじゃん。

357 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:48:37.03 ID:fHhRg0Wg0.net
>>276
そこまで考えてなくてただ
あー官軍側に着いてたらなー
ってなくらいで
「くそー河合が馬鹿だからだ」って言ってるだけじゃないかな
河合の正確な情報が当時それほどあったわけない

358 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:50:09.85 ID:cSj/i6lN0.net
西郷の弟もここで死んで西郷はショックで帰っちゃった

359 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:51:09.16 ID:teDqZct80.net
原作のサイズ的にも史実的にも映画がちょうどいいサイズだね

360 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 00:51:31.18 ID:fHhRg0Wg0.net
>>291
俺は何を28用意すりゃ良いんだ

361 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:06:50.77 ID:i8gjxu1J0.net
>>348
どちらの側につくという考えが間違ってるんだよ。
かんじんの慶喜が罪を認めて謹慎閉居してるんだから徳川宗家は賊だと決まってしまっている。
長岡に進軍してきたのは、もう官軍で確定。
官軍の鎮撫使だ。
従わなければ賊軍。中立は無い。
しかも長岡藩は鳥羽伏見で旧幕府側で参戦している。
その長岡藩が朝廷にたいして何の申し開きもせず、外国商人から武器を仕入れ武装を調えている。
朝廷から長岡藩は疑いの目で見られていた。
長岡藩の立場は非常に悪かったのである。
河井が本気で戦争を避けるつもりだったら、総督府にたいして根回しをすべきだった。
ところがそういう形跡はない。
長岡に進軍してきた官軍に対して小地谷で突然嘆願書を差し出すのであった。
応対した官軍の軍監岩村は河井の請願を拒否した。
岩村は長岡藩は一度も朝命に奉じないのに、ここで嘆願書を出すのは受け入れられないといった。
つまり長岡藩は賊だろう、従えば許すがそうでなければ討つ、官軍としてはそういう方針だったのだ。
繰り返すが、河井が本気で戦争を避けるつもりだったら、総督府にたいして根回しをすべきだった。
ところがそういう形跡はない。
小地谷で突然嘆願しても受け入れられるはずがないのだ。
頭脳明晰な河井はそんなことは分かっていた。
分っていて、根回しもせずにひたすら外国商人から武器を買い集め、武装強化に専念したのであった。
河井は最初から戦争するつもりだったのである。

362 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:20:15.00 ID:yBUoo0EU0.net
武装中立だなんだと言われるが

日本に3門しか存在しないガトリング砲の2門を手に入れた河井が
使ってみたい誘惑にあらがえなかったんだろう

強力な兵器を使用してみたいってのは悪魔のささやきだ

363 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:40:44.92 ID:/LzSiDPj0.net
当時のガトリングガンは冷却材の役目をする物を単なる梱包材として捨ててしまって加熱する銃身の冷却が出来ないまま使って不具合を出していたんだよな
アメリカでインディアンと戦った部隊が全滅させられてたりするのはそのせい
日本にきたガトリングガンはどうだったんだろう
ガトリングの子孫が河井継之助記念館かに来たんだよな

364 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:40:55.47 ID:jw5E7VeM0.net
まぁ中立を守るには武力の裏付けがいる、という事を再考するにはよい素材だと思う
峠は文句なく名作、司馬遼太郎は情景を掻き立てて情感を高ぶらせるのが本当に上手い
史実通りかどうかはさておき、超一流の小説家だよ
若き日に読んだ峠には涙したもんだ

365 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:42:08.12 ID:/LzSiDPj0.net
役所公務員さんは何やっても役所節で役所そのまんまなんだよな
あれで河井をやるのはどうなんだ?
あと今でしょ!の先生は出るの?

366 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:42:33.70 ID:/LzSiDPj0.net
アサヒビール、阪神電鉄創業者の外山は出てくるんかの

367 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:45:34.60 ID:78dgStWA0.net
時代を見る目が中途半端だった人だよな

もっと無能なら会津以外の東北諸藩のように無事だったし、
もっと有能なら勝海舟のように長岡を救えた

368 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 02:00:06.93 ID:v/Tfhw7A7
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q

https://www.facebook.com/profile.php?id=100020721767301

369 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 01:58:28.94 ID:/LzSiDPj0.net
何言うてまんの
長岡は藩主が幕府の要職についていた
京都にも行っていた
他の藩みたいにとかはないわな

長岡藩牧野家は徳川四天王酒井忠次の血が入ってるし
庄内藩酒井家とは親戚付き合いしてた家
戦うやろ

370 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:02:02.65 ID:E7LvYGXQ0.net
頭文字D

371 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:02:06.22 ID:5PjExd4w0.net
山田方谷先生は藩主が要職にあったけど、ちゃんと止めたけどね
河井たんは何学んでたんだかな、なトコはあるw

372 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:34:50.81 ID:VjSkglgj0.net
ただのガトリングフェチ

373 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 02:54:11.46 ID:vX7YGNjR0.net
>>371
農民の出と武士の出の違いじゃね

374 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:11:11.43 ID:ZMVqcIbm0.net
>>370
 レンタルビデオ屋に、頭文字Dのビデオ借りに行ったんだけど 「か行」探しても全然ないんだよ。
 で、レンタルビデオ屋の店員は「あたまもじD」って読んでるんじゃね?
 と思って 「あ行」を確認したらマジで置いてあってびびったwww

375 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:16:38.71 ID:jOFw7ROd0.net
>>371
山田方谷の場合、板倉勝職の代にすでに有終館学頭となり、勝静の教育係に命じられた。
そして、勝静の代に元締役兼吟味役元締となって藩政改革を行ったり、外交顧問になったり藩主の信用が非常に大きかった。

しかし、継之助の場合は書生の身分で一から出世していかねばならず、忠恭に買われたものの藩主に対する立場が圧倒的に弱かった。
継之助が奸臣呼ばわりされるのは、元々勘定奉行までしか出世できない身分なのに筆頭家老まで立身したためで、特に恭順派からは忠恭を誑かした様に見えたのだろう。

しかし、実際、軍制改革や藩政改革は継之助個人がやらかした訳ではなく、藩主忠恭自ら藩を挙げてやり始めた事で継之助はその中で出世していっただけ。
新政府に対する開戦も、継之助個人の意見ではなく、譜代のエリートとしての自負の強い長岡藩と言う組織文化と藩主忠恭の意見が決定したんであって
継之助の力など藩主忠恭の意見次第であった。

じゃあ、小干谷談判に当たって、筆頭家老を辞退し引き籠ってしまえば良かったじゃないかと思えるが、封建制度の時代だし家老山本帯刀も河井に心酔してたから
元々、身分の低い継之助としては進退窮まったんだろうと思う。その結果、「武士道に殉じる」なんていう司馬遼太郎が結論付けた役割を担わざるを得なくなったと思う。
継之助は実際の所、新政府の政策に反対なんてしてなかったし、勘定奉行の家柄らしく非常に経済、商業に通じていた。東の坂本龍馬と言えるかも知れない。
日本の商人を海外に通用する様な商人にしないといけないと言っていた様だし、明治の富国強兵時代にこそ実は活躍すべき人材だった。

376 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:17:55.47 ID:Rf6Gvx7K0.net
元祖ガトラー

377 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:20:18.91 ID:XTJiKKLM0.net
結局はテロリスト

378 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:33:39.56 ID:NmADqK8sO.net
>>367
時代を見る目自体はあった。

あったんだが軍備を充実させるにつれ、時代の流れそのものを自らの手で動かせると過信したところが長岡の災難だな。

司馬遼太郎の評価もこれに近い。峠の他に彼を取り上げた英雄児という短編があるから一読を勧めたい。

379 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:35:24.50 ID:jOFw7ROd0.net
開戦決定の頃の藩主は忠訓だった。
しかし、藩の権力を実質的に握っていたのは前藩主忠恭だった。

380 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:36:55.13 ID:9XhEHQ2p0.net

例のガトリング家老?

381 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:43:27.28 ID:HCqSBzwD0.net
長岡藩の人たちは苦労したからな…

382 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:49:54.68 ID:tukv9d5PO.net
誰?

俺はそう考えてる。

383 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 03:56:07.49 ID:jOFw7ROd0.net
>>378
司馬遼太郎はそれ程深く河井継之助について調べてない。
そもそも、軍制改革は藩主忠恭が幕府の長州征伐失敗を見て始めたんであり、
藩士は最初ほとんどやる気がなかったが、勝海舟に見込まれて幕臣になっていた鵜殿団次郎が
牧野忠恭に命令されて青写真を描いてから本格的に始まった。
鵜殿は大村益次郎から西洋兵学を学んでいた事もあった人間で、軍制改革にけっこう貢献したんではないかと思う。
河井が軍制改革を独裁的にやったんじゃない。藩政改革と軍制改革の成功で戦争したくてしょうがなくなったのは
譜代エリートの自負を持つ長岡藩士自身であり、前藩主忠恭であった。


「永雄児」をわざわざ書いたのは、何故か会津に甘く河井に厳しい左翼が司馬を狙ってwいた時代だったからなのと
河井が長岡じゃあまり評判が芳しい人物じゃなかったからだと思う。「花神」なんてのはマルクス史観でジョーク交えて書いてるからねえ。
靖国神社の銅像になってる大村益次郎という人物を英雄の様には書けない時代だったのは間違いない。

384 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 04:17:58.49 ID:+lip/MrF0.net
>>383
司馬は会津に同情的だったはずだが
「王城の護衛者」に会津人は感涙した

385 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 04:21:05.06 ID:lPCU42AqO.net
>>382
司馬遼太郎の小説を読破しないまま生きて来たのか
哀れな

386 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 04:28:20.78 ID:tvW3nIPB0.net
結果論で批判するけど、
正直、秋田藩が裏切らなかったら、どう転がったかわからんよなあ。

387 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 06:19:36.81 ID:v/Tfhw7A7
10 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:42:26.72 ID:Q0Cn2KkV0.net
    この方、地元では憎まれてると聞くが…

其れは何十年も前の話です(大和田爆笑)

388 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 06:21:40.34 ID:GHoewKWi0.net
>>91
昔は嫌っている人がいたと言われているが、もうずいぶん前から嫌っている人なんていない
今は観光の材料になるものは何でも使う世の中

389 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 06:26:32.57 ID:v/Tfhw7A7
15 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:44:48.07 ID:nXjRyL3Y0.net
    死んだ後墓を鞭打たれたりするとこまでやんの?w

 河井平吉の嘘
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17536337.html
武田鉄矢 海綿体(大和田爆笑)
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201512310001/
共犯ですね。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201711120000/

390 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 06:34:56.52 ID:v/Tfhw7A7
21 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:49:08.68 ID:hnKDSi1+0.net
    1人よがりの独善で周囲を悲惨な状況に導いた、唯の愚人という感想しかない
    時代の流れも見えてなかった
    愚か者を指導者にするとこうなるという歴史の警告

薩長の新政府が創った大日本帝國は第二次世界大戦で敗戦して、連合国に占領統治されました。

391 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 06:37:13.87 ID:pAGgoR5eO.net
幕末ヲタって歴史に詳しいんじゃなくて単なる司馬遼好きだよね

392 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 06:42:51.71 ID:v/Tfhw7A7
26 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:52:22.71 ID:waqIeMnq0.net[2/5]
    岩村精一郎役は余程の役者じゃないと小物感出せないだろう

幕末の戦い 総覧 北越戦争 5月2日、新政府軍の岩村精一郎は恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と会談した。河井は新政府が他藩に負わせていた各種支援の受け入れを拒否し
http://www.geocities.jp/yh482600/bakumatu1/baku6/sensou6.html

この史料は見た事が無いですが、
この史料を読む限りでは、岩村精一郎は小物では無いです。

393 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 06:58:36.15 ID:v/Tfhw7A7
31 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:54:53.69 ID:9QkfpJBP0.net[1/2]
    天才なんだけど価値観が古い
    維新政府は藩の廃止を狙ってるから藩の自主独立はありえないので
    藩が一番大事な河井継之助は殉じるしかなかった

慶應四年八月二十七日に明治天皇が即位
天皇も将軍も不在の日本から、長岡が獨立特行するのは当然です。
戦って冬将軍の到来、雪解け時に河井 繼之助と密約した共和党がアメリカ海軍と海兵隊が高田を攻撃して占拠する。
アメリカが薩長と會津、長岡を調停するシナリオ

394 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 07:04:57.62 ID:v/Tfhw7A7
35 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:56:46.33 ID:d4S5fvd/0.net
    河井が粘ったせいで城下町は焼け野原になったから
    町民はたまったもんじゃない

新政府に長岡が恭順しても、會津、荘内、桑名、米澤が長岡を火の海にします。
新政府軍は長岡を護り切れる程は、強く無いです。

395 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 07:08:13.88 ID:v/Tfhw7A7
36 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 18:56:50.89 ID:9xRvuofH0.net
    長岡藩と言う小藩で、外国式最新のガトリング機関銃を購入した家老ですか。

    奥羽越列藩同盟による戊辰戦争では、官軍に奪取された城の奪還したが
    長岡城下町を焦土に変えた事でも有名。さっさと恭順していたら
    助かった庶民を多かっただろうに。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11186964751
奥羽越列藩同盟は存在しなかった。

396 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 07:20:15.77 ID:hl2cP/Gp0.net
この人じゃなかったけー
3年ぐらい前に
林先生の痛快!生きざま大辞典(TBS)で見たようなー

397 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 07:28:25.48 ID:XjqNrr7C0.net
河井は最初備中聖人を農民あがりとさげすんでたという話をネットで見たことがあるな
まさに世間を見る目の限界だったのだろう
戦闘を避けるために藩主をすげかえる荒業をやった方谷と
最後は戦闘で長岡を焼け野原にした河井の差だな

398 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 07:29:27.58 ID:ekqr9nvw0.net
虎は死して皮を留め人は死して名を残す
巻き込まれた領民はたまったもんじゃないが本人は武士として本望だったろう

399 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 07:50:25.54 ID:rdz3xPM+0.net
河井継之助が微妙なのは
長岡を守り切れてないとこにあると思う
東北戦争が終わるまで官軍を一歩も入れませんでしとか
河井がいる限り長岡には手を出せぬと官軍を嘆かせたなら
負けても偉人と言えると思う

400 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:10:10.02 ID:JpxoFVT60.net
只見線てまだ不通なのかな。乗りたい

401 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:14:24.40 ID:G0gthex80.net
>>3
そもそも、そんな知識をみんな持ってない
無名のオッサンだしな

402 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:27:07.10 ID:ndjOZeEk0.net
ガトリングが無駄に派手になるんだろうな

403 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:41:26.04 ID:ixfixYpR0.net
庄内藩以外雑魚だったからな。

404 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:44:08.10 ID:rdz3xPM+0.net
片方の親が長岡市の側の片貝出身なのだが
地元では河井は幕末末期の藩の家老程度の認識だったらしい
小説ありきの人気だよね

405 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 08:48:33.66 ID:R1BsGC/Q0.net
偉人すぎて気づかないうちに周りを巻き込んで、って裏テーマあったよね。
司馬遼太郎は間違いなく意識して描いてる。

406 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 10:53:08.07 ID:5x/gT2QI0.net
河井継之助は野戦下手で無能な兵器ヲタクなのに司馬のせいで有名になってしまった。
司馬は同じ徳川方でも桑名藩の立見鑑三郎尚文のような本当の英雄を描けば良かったのに。

407 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 11:45:21.09 ID:PHLjKBQB0.net
>>404
親が地元の歴史に興味なくて教養ないとそんなもんよ
特に母親はダメ、全然郷土史に興味ない人ばかり

408 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 11:57:58.16 ID:x5IAOgrC0.net
長岡市は中核市の条件すら満たない人口27万人だというのに
周辺自治体との雁木造アーケードすら組めない唐変木っぷりでも
花火大会しか観光目玉が無い日本海屈指の港湾都市を目指して
独善邁進中なんだね。

佐渡汽船は今年1月に新潟両津航路のB929型ジェットフォイル
すいせいが故障漂流してつばさがドック入渠でぎんが1隻のみで
頑張っていたがもはや航路撤退秒読みのようだ。

寺泊赤泊航路は岸壁水深が浅過ぎて煮ても焼いても食えない
ようでただ指を咥え見守るしか無かったはずだが寺泊港は
信濃川大河内分水土砂堆積を急遽浚渫して喫水をクリアした
みたい。

もし寺泊小木航路で試験就航やってみて巧くいくようなら
高速船あいびすは粟島汽船にさっさと転戦させろよ。

https://www.sadokisen.com/info/?cd=436

409 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 12:50:30.49 ID:jZz7S7LP0.net
>>3
>↓以下、聞きかじった知識をもとにした河井悪人説or偉人説のバトルが続きます

でも君の意見は無いんだよね?

当時の農民からすれば人手は連れてかれるし田畑をぐちゃぐちゃにした悪い奴、となってる。
が、政府軍が好き放題やって年頃の女は手篭めにされるし略奪もされるぞ!と継之助が言っていた事は本当になった。
だから評価がバラバラなだけだよ。

410 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 13:45:21.69 ID:fHhRg0Wg0.net
仕事に失敗してるってことだな

411 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 14:06:54.03 ID:tXu18G9D0.net
司馬史観(笑)

412 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 15:18:08.93 ID:DPMOS3X/0.net
長岡で働いてた時に土地の部下に聞いたら河井継之助はよく知らないが米百俵の話は学校で必ず習うらしい

413 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 15:26:34.38 ID:/LzSiDPj0.net
あー田中眞紀子の地元ですね
小泉が田中眞紀子の応援に感謝して地元の米百俵の話を使ってたな
後は錠剤洗浄も国会で良くつかわれていたな

414 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 15:28:33.46 ID:fHhRg0Wg0.net
米百俵はバカな藩士を一部の良識派が諌めたって話だ
自分が良識派だと思うなら長岡から出ろという逸話として長岡高校では語り継がれている
売った米で作った学校でここにいちゃだめだって教えてるんだから
それを自己犠牲の精神と受け取る生徒もいるらしいよ
凄く深い話だと思わないか?
この世の中の真実を描いてると思うんだ

415 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 15:50:57.02 ID:+lip/MrF0.net
司馬の長編の主人公では司馬凌海の次くらいに無名な人物だったな
小説読むまで全く知らなかった
一般人のイメージする河井の人物像はほとんどあの小説からだろう

416 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 16:17:11.56 ID:5qq+v/UF0.net
司馬遼太郎に気に入られたら
経済的効果が半端ないな

417 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 16:18:52.30 ID:XR2osbMi0.net
河井継之助の意志じゃなく、長岡藩全体で戦争を決断したんだが、
小干谷談判決裂の後、河井が恭順派の三島億二郎に、
自分が今切腹するからその首を慈眼寺に持っていけば
開戦は防げると迫った通り実行すれば確かに防げただろう。

しかし、三島億二郎は躊躇して開戦が決まったという。

三島は敗戦後、米百俵の小林虎三郎なんかより長岡の復興に尽力し実積も上げるが、河井から
決断を迫られた時、躊躇して開戦に賛成してしまった事の
罪滅ぼしだったという。

三島が躊躇したのは、その様な事をすれば藩から
どの様な処罰を受けたか分からなかったからだろう。

418 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 16:35:10.68 ID:XR2osbMi0.net
河井が自決した所で三島が首持って行かなければ
開戦は阻止出来なかったが、河井が三島じゃなく、
勤皇派家老の稲垣茂光の所に行かなかったのは
藩論をまとめ上げる策略だったのかも知れない。
稲垣茂光なら間違いなく話に乗ったからだ。

419 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 16:46:47.22 ID:UnqAJ8Xv0.net
>>418
官軍に恭順したらしたでそのままでいられるわけでなく会津攻めの先鋒をさせられるんだぜ
兵糧出す程度の負担だけで会津には官軍の兵隊だけで攻めに行くんならみんな恭順してる

420 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 16:58:11.02 ID:fHhRg0Wg0.net
その稲垣って人は河井記念館の館長の稲垣さんの先祖なんだろうか

421 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 17:03:10.37 ID:jOFw7ROd0.net
越後口に集結させた官軍兵力は一万。それも歴戦の奇兵隊が主力。
一方、会津なんてのはゲベールだの旧式銃で武装していて非常に弱かった。
長岡藩はエンフィールドや仏式四斤砲などで装備していて庄内藩レベルの強さがあった。

長岡が官軍側についていたら、新発田始め下越、中越地方の諸藩も奥羽列藩同盟に参加しなかっただろう。
兵を出さなきゃいけないのはほとんどの藩も同じだった。抵抗したのは関東の一部と会津、庄内、桑名、長岡に騙され、脅された奥羽越諸藩だけ。
奥羽列藩同盟のせいで東北は五十年遅れたと昭和初め頃言われてたらしいが、会津、桑名、庄内征討だけだったら、戊辰戦争はあっという間に終わったよ。

422 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 17:05:43.02 ID:vjvPQsQO0.net
A10コピペはよ

423 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 17:08:12.30 ID:t+5ufm2n0.net
人撃ちガトリング斎か

424 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 17:08:38.74 ID:NHT0HgdM0.net
武装化してる長岡は兵力すべてを駆り出され会津攻めさせられて
寝返る可能性があるから後ろで奇兵隊が銃を構えて監視してるんだろ
逃げ場がないならお互い様だった会津を攻めるより官軍相手の戦をした方が後世評価されると考えるんじゃね

425 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:05:00.66 ID:DQSCJkBF0.net
林修に出演して欲しい

426 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:27:15.13 ID:D6AeIW/v0.net
同時上映「小峠」

427 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:31:18.81 ID:LnzHKTnm0.net
>>424
>後世評価される

錦に御旗に矢を向ける逆賊だぞ
どんな評価w

428 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:33:47.73 ID:uYaID4V10.net
この人は結局、歴史に必要だったの?
それともいない方が良かった?

429 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:42:16.79 ID:fHhRg0Wg0.net
>>428
今ある歴史は必要だったの?

430 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:44:55.03 ID:fGxfNq8+0.net
うらバン


アニメ化


まだですか

431 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 20:47:37.59 ID:4fWLB4tA0.net
>>416
そういう観点だと新潟では雪国書いてくれた川端康成の方が
経済効果は大きいと思うな

432 :(´-`).。o山中狂人 :2018/10/10(水) 20:54:27.79 ID:9mK0223p0.net
http://img.5ch.net/emoji/5ch-gangster.gif
歴史の遅延に貢献した。
もうちょっと穏やかな性格なら、官軍に降伏して、北越は戦場にならなかった。
もっと過激な性格なら、鳥羽伏見の闘いから作戦指揮して、幕府を勝たせていた。

433 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 21:24:18.73 ID:VOAn4lJ70.net
売国明治マセソン商会維新150年と傀儡政府と田布施システム

https://www.youtube.com/watch?v=F-AqIByv_qU

434 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 21:46:02.91 ID:ahx7bU/L0.net
>>433
田布施なんたらの与太話の発信元は、詐話師、極左、在日、北朝鮮だとさ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1536452744/279

435 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 21:49:14.04 ID:7ZsQyZl20.net
河井が国を徹底的に滅ぼした原因は、バランス感覚が抜けていたとしか思えない

436 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 22:36:25.26 ID:v/Tfhw7A7
42 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 19:00:55.54 ID:OVDvRzQx0.net[2/2]
    >>37
    当時の新政府は赤貧洗うがごとしだったので、恭順するならガトリング砲を買う金をそのまま新政府にくれてやれば良かった。

ガトリング砲を買って居ません。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201705210000/

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17594014.html

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201703220000/

437 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 22:39:49.57 ID:v/Tfhw7A7
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/19023221.html

會津軍の總督で唯一戦死した真の猛将 會津の虎 一ノ瀬 要人

會津の政治力はある意味では、新政府を凌駕して居た。

長岡の獨立特行を越後口總督の一ノ瀬 要人が認めて、長岡の總督の河井 繼之助を味方に付けた。
長岡の獨立特行を認めなかった新政府は、長岡軍に三ヵ月近く苦戦した挙句に總督の高倉 永?を長岡軍決死隊に討たれた。
慶應四年八月二十七日に漸く明治天皇は即位した。

長岡の獨立特行を認めてくれた會津の為にも戦った河井 繼之助
我に尋ねたところ、
このままでは、あの世に居る河井 繼之助に合わせる顔が無いので、
一ノ瀬 要人は自ら陣頭に立って、エンフィールド銃を撃ち被弾する迄、戦い続けたそうです。
河井 繼之助のファンならば、一ノ瀬 要人を愛するのは必然である。

438 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/10(水) 22:41:26.59 ID:v/Tfhw7A7
河井 繼之助は武装中立など言って居ません。

武装中立は何所が攻めて来ても自力で防衛する。
降参するか、国が滅亡するまでだ。
武装中立を宣言しながら放棄すると、どれ位の悪か?

我に尋ねたところ、
日ソ不可侵条約を破棄したソ連と同じだそうです。
長岡藩武装中立信者は「河井 繼之助はソ連と同じだ」と言って居るのと同じ事なのです。
司馬遼太郎、安藤英男、秋山香乃が長岡藩武装中立(大和田爆笑)

河井 繼之助はモンロー主義の影響を受けた獨立特行を主張したのです。
長岡の獨立特行を岩村精一郎が認めず、長岡の獨立特行を越後口總督の一ノ瀬 要人が認めて、長岡の總督の河井継之助と越後口總督の一ノ瀬 要人が同盟した。

439 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 22:46:08.75 ID:fHhRg0Wg0.net
結局一番ダメなパターンじゃねぇか
国を犠牲にしてまで勝とうとした?
会津藩も同じみたいだけど

440 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 23:16:52.54 ID:XSh1axk90.net
>>439
長岡は選択の余地があったがババをわざわざ引いた。
会津のほうは牙一族のごとく最初からジョーカーを引いていた。

441 :名無しさん@13周年:2018/10/10(水) 23:28:20.52 ID:VSjrDNomi
司馬の小説は事実か?この人の色眼鏡がかなりかかっていると思う。

442 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 23:44:47.56 ID:/LzSiDPj0.net
満州国建設の石原莞爾は河井継之助についての研究してたよね
あと、アサヒビール、阪神電鉄は河井継之助がいなければなかったんじゃないかな?

443 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 23:51:26.39 ID:8Nc1FYYm0.net
長岡方面の偉人って
河井継之助、山本五十六、田中角栄と
晩年悲惨だよな

444 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 23:55:08.05 ID:XSh1axk90.net
>>443
河合はともかく56と角Aは偉人なんか?

445 :名無しさん@1周年:2018/10/10(水) 23:59:43.48 ID:3nK4tr0m0.net
河井の何がどう偉人なんだ?

446 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 00:07:05.94 ID:Ejp4+YDp0.net
ガトリング侍は「人に必要とされる人間になる
か、(世の中に)あってはならない人間になれ」
と説いたキチガイだぞ。

447 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 00:15:53.64 ID:CSU1V/yo0.net
ピストル大名のモデル

448 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 01:11:07.58 ID:9YrH2W/v0.net
勝てば官軍の真逆なのかな
どんなにすごい才能や高い心意気があっても負けたら賊軍扱い
圧倒的に不利でも戦わざるを得ないときの大将とその周辺の人々は哀しい
WWIIの日本とかぶるのかもね

449 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 01:18:28.69 ID:RVC+x7MR0.net
長岡の何を撮影すんのよ
遺構は全部ぶっ壊しただろ

450 :名無しさん@13周年:2018/10/11(木) 02:01:53.54 ID:semSGCb5Z
この人は結局土壇場で官軍に従おうとしたんだろ。
でも拒否されてやむなく戦うことになったと。
もう少し早く旗幟を鮮明にするべきだったんだろうな。
鳥羽伏見の直前には朝廷に献金もしているから
意思の疎通をするとっかかりはあったはずだけど。

直前にプロシャ商人から大量の武器を買い込んで
小藩には不相応な軍事力を持ったことで、
判断力が鈍ったんじゃないかな。

分不相応な武力は身を滅ぼす元だね。

451 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 03:40:59.78 ID:pjqMS7JX0.net
>>446
好きだわ、そういう態度(笑)
ちょっと興味湧いた

452 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/11(木) 04:53:21.20 ID:29Ov7K2dC
51 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 19:12:07.81 ID:Y/lWuAKr0.net
    土方歳三以外ブサイクだから(´・ω・`)

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/19024425.html
河井 繼之助が中村 雅俊みたいで、悪かったな!(大和田爆笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18856636.html
河井 繼之助・・・中村雅俊みたいな写真

453 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/11(木) 05:31:45.60 ID:29Ov7K2dC
54 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 19:17:21.33 ID:YX28+AZg0.net[2/7]
    ガトリング砲の欠点を知っていれば

    また、前線に出なければ

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201601290002/
我が長岡郷土史を疑った訳
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201806150000/
>口径が小さく、元込め新式銃だったかもです。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201601300000/
長福寺に伝わる「陣羽織を着て、寺の参道を出たところで狙撃された」との説を論破
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201601260000/
新町の嘘吐きを論破
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201601290001/
河井 繼之助を狙撃した兵
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17759748.html
眞田五勇士
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17741832.html
狙撃されたのに何故、弾丸は河井 繼之助の左膝下に命中したのか?
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201601250000/
外山 脩造 實はアンチ河井 繼之助

454 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 07:22:38.47 ID:lRjC+5ml0.net
終戦後の長岡は焼け野原で河井の評判は良くなかった
まあそれから150年ぐらい経って地元の有名人として名を上げたというところ
小説の登場人物になってなければそのまま埋もれてておかしくない程度

455 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 07:31:53.26 ID:lRjC+5ml0.net
>>417
そう河井という家老は結局その程度の人物でしかなかったのですよ
あくまでも小説で持ち上げられて知名度が上がったので地元がそれに乗ったというのが
現実

456 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 07:45:27.48 ID:V3DcxhX70.net
陽明学やる人は戦好きが多い

457 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 07:54:14.65 ID:QnzTW0Rw0.net
日本の内戦を長引かせたい英仏に踊らされた愚か者だよね
言ってみれば戦った徳川慶喜っていうIFルートみたいなもの

458 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 08:03:23.83 ID:eJtuKNOW0.net
まぁ立地的に恭順していたら長岡が焼けなかったかと言えば微妙

459 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/11(木) 11:47:55.51 ID:29Ov7K2dC
78 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 19:44:36.06 ID:hvcua0dZ0.net
    ガトリング砲が使いたくて仕方のなかったおじさん

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201511010000/
アームストロング砲とガトリング砲の二大兵器を実戦で同時期に使ったのは、全世界で長岡軍が初なのです。
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18232571.html
長岡 アームストロング砲
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201707110002/
司馬遼太郎もファブルブラントの嘘を見破れなかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17594014.html
ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)は、河井 繼之助に武器(兵器)を一つも売って居ないのです。

460 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 12:21:48.05 ID:yvHbrqEV0.net
>>426
なんて銃だ!

461 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 12:24:38.64 ID:yvHbrqEV0.net
>>428
長岡藩の抵抗で薩長の西日本の方が東日本より上、北は文化的不毛の土地という先入観がなくなり
その後の東日本を治めるのに余計な衝突が少なくなった

462 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 13:21:01.27 ID:erI8W3qA0.net
弟子っ子がアサヒビールの元会社の創立メンバー
アサヒビールのホームページでは創業者となっている
阪神電鉄の創業者、初代社長
日本銀行大阪支店初代支店長

463 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 13:35:22.49 ID:LlbeLWU60.net
八十里 腰抜け武士の 越す峠

464 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 14:37:25.70 ID:erI8W3qA0.net
「寅や」
と、外山脩造にいったのも、そのときであった。
「このいくさがおわれば、さっさと商人になりゃい。長岡のような狭い所に住まず、汽船に乗って世界中をまわりゃい。武士はおれが死ねば最後よ」
継之助の担架はさらに会津若松にむかい、8月12日、同藩領塩沢村に入り、同村の医家矢沢氏の屋敷を宿所とした。
ここがかれの地上における最後の場所になった。
(司馬遼太郎「峠」より)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/toyama03.htm
阪神電鉄初代社長外山修造
阪神タイガースの虎は、修造の幼名虎太から来ているとの説もあり

465 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 14:45:39.97 ID:erI8W3qA0.net
https://www.so-net.ne.jp/golden/bakumatsu/article/2018-2q/20180909-11.html
【メニューその11】河井継之助の遺志が引き継がれたアサヒビールの物語!!

一説によると、阪神電鉄を親会社とする阪神タイガースのタイガーは、修造の幼名である寅太に由来しているという。
かつては甲子園球場に外山脩造の銅像も建立されていた。
残念ながら第二次世界大戦による金属回収によって撤去されてしまったが、現在はアサヒビールによって虎の銅像が建立されている。

466 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 14:53:24.88 ID:erI8W3qA0.net
河井継之助
先祖は膳所本多家家臣であったが、姫君が牧野家に嫁ぐ事になり姫君付き家臣として牧野家家臣となる

膳所本多家(伊奈本多家)は徳川家の葵紋由来発祥の家
徳川家康の従兄弟が養子に入り家督を継いでいる。
牧野家にはこの本多家に養子に入り家督を継いだ人物の妹が嫁いでおりこの関係から本多家から牧野家への嫁入りとなった

467 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:02:32.20 ID:erI8W3qA0.net
牧野家は駿府の今川家の家臣であったが徳川家康が三河に帰り独立した事から、今川家から徳川家につく事になる
家康は牧野家が今川家に戻る事を防ぐため徳川家宿老である東三河侍大将酒井忠次の娘を嫁がせ姻戚関係を結ばせる
これがなければ長岡牧野家の家臣河井継之助は存在しなかった

468 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:03:56.28 ID:4E9xJuw30.net
>>62
小栗の案だろ。後で聞いた大村益次郎はそれを
やられたら官軍は負けるて断言していたよ。
だから小栗は有無もいわさず斬首w
生かしておいたら危険だからなwww

469 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:04:32.97 ID:rMHZ8uNm0.net
新潟を荒廃させた人でしょ(´・ω・`)

470 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:04:40.31 ID:0jzhvBXr0.net
>>18
いいキャストだなと思ってたら、東出がねじ込まれているじゃないかよ
司馬作品に思い入れがあるとか岳父が新潟出身とかの絡みで入れたのかもしれないけど、こいつは出すなよ

471 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:09:06.37 ID:4E9xJuw30.net
>>95
それは神輿化されるのを警戒していたからだろ
神輿にされると国内で動乱が起こるし
慶喜自身も首チョンパのリスクがあるからなwww

472 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:14:22.12 ID:4E9xJuw30.net
>>102
スイスの永世中立国をモデルにしていたのけどな
新潟港て金になるとこを新政府がほっておくわけないだろ
まあ理想と現実の乖離だなw

473 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:18:23.10 ID:4E9xJuw30.net
>>103
戦国時代の末期から
勝負の付け方は槍と火縄銃だわ
刀なんか首切り用だわw

474 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:28:48.70 ID:erI8W3qA0.net
酒井忠次直系の庄内藩酒井家
酒井忠次の娘が嫁いだ長岡藩牧野家
酒井忠次の次男が養子に入った膳所藩本多家

この三家の親戚関係は藤沢周平の小説「長門守に陰謀」に出てくる。
https://s.webry.info/sp/hakuzou.at.webry.info/201106/article_4.html
酒井家の親戚大名として、庄内藩のお家騒動に膳所本多家、長岡牧野家が介入したことが触れられている

475 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:31:06.27 ID:H9K7Ecz80.net
>>1
幕府と薩長の間で独立藩保とうとか現実性無いし戦略的には無能だったんじゃないの?

476 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:36:56.11 ID:FYdoqhq30.net
>>60
KEN WATANABE を忘れれるな

477 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:39:13.74 ID:H9K7Ecz80.net
日本で初めて機関銃を戦に採用した人

478 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 15:49:01.17 ID:erI8W3qA0.net
わし思うねん
藤沢周平の小説
長門守の陰謀って映画によし、ドラマにしてもよしだとね
サイズ的にぴったりやろ

479 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 16:10:04.41 ID:I//RW0ih0.net
大村益次郎といっつもごっちゃになる

480 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 16:17:25.30 ID:we2nm/AQ0.net
河井が抵抗しなかったら岩村みたいなのが東日本のあちこちででかい顔しとる
大村を遅れてきた輩呼ばわりしてた海江田とかもクズ

481 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 18:14:02.02 ID:h/IRiYJ70.net
水野忠邦が権勢を誇った天保年間 庄内の本多 川越の松平 長岡の牧野の 三方領地替えの沙汰があった
藤沢周平の小説でも書かれているが庄内藩の藩主から本間家 さらには農民に至る藩を挙げての抵抗と家斉死去により前代未聞の幕令の沙汰止みとなった

もしこれが実現していれば牧野は川越に移封となり地理的に幕末には大人しく恭順したかもしれない
本多は長岡では石高半減でほとんど何もできなかっただろう
松平は幕末になにがしかの活躍もなく庄内でも流されるままではないか

こうなっていた方が長岡庄内の民は帰って良かったかもしれず禍福はあざなえる縄のごとしである

482 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 18:31:53.87 ID:erI8W3qA0.net
>>481
長岡藩牧野家が幕府要職に就いていた
水野はこの牧野家を狙って領地替えをしようとした
しかし庄内藩酒井家、商人、領民の反発が強く頓挫

庄内藩は水野一派に怨まれ千葉県印旛沼の干拓事業に放り込まれ疲弊させられる
幕府からの仕打ちに幕府一辺倒ではダメだと考えを変えた庄内藩藩主と家臣。しかしその息子とその家臣は徳川家と祖を同じくする酒井家として譜代として佐幕を堅持する立場をとり藩主父子に軋轢をもたらす。

長岡藩牧野家は幕府内での地位を回復し領地替え騒動への報復として水野一派を権力の座から一掃する

483 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 18:41:21.52 ID:S2zkRtpX0.net
越後は中小の領主に分割されてたけど
長岡は新潟の湊を外港にして越後でもっとも繁栄してた
それが新しい時代を前に灰燼に帰したのだから
住民の無念は余りあるよ

484 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 18:46:00.77 ID:h/IRiYJ70.net
>>482
あーそうそう本多じゃなくて酒井だった

485 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 18:58:18.47 ID:m5SsJN0F0.net
まあ小藩だから、とナメてかかったら
思った以上に武装してたって感じかな
官軍側が岩村精一郎を派遣しているところが
官軍の意識をあらわしてる

486 :名無しさん@13周年:2018/10/11(木) 19:29:02.19 ID:semSGCb5Z
>>483
戊辰戦争の頃は新潟港は幕府の直轄領になってたけどな。
その上で横浜や函館同様に外国に開港された。
北越戦争の時も薩長軍が船で上陸して無血占領したから
戦火にはあってない。

487 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:18:46.86 ID:TOhmjv3b0.net
キョロマ岩村と、他藩と交渉経験の少ない偏屈河井、談判が決裂するのは自明。

488 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:28:30.83 ID:KUTDtOJJ0.net
>>483
折角繁栄した新潟の港は幕府に取り上げられた。
過去に徳川に楯突いた恨みは根深いんです。

489 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:33:40.20 ID:62BURjjE0.net
幕末の英雄、河井継之助の記念館は会津の只見町にある。

一方、地元の長岡土人は、薩長に媚びへつらい、
長岡城をぶち壊し、河井継之助を誹謗中傷し続けてきた。
恥を知るべき。

490 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:34:28.39 ID:KUTDtOJJ0.net
>>477
ガトリング砲は長岡に二丁
薩摩に一丁、薩摩の場合は幕府海軍から奪った戦艦に
搭載。幕府海軍が奪還しに来た時にぶっ放して撃退してる。
日本で最初に海戦で使用された例。

491 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:36:02.20 ID:Mrnu1tJr0.net
>>483
長岡藩は薩摩藩の密貿易を二度も黙認していたのが幕府にばれて
新潟港を幕府に没収された

薩摩藩が新潟港で貿易をしていたのはあまり知られていない

492 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:36:11.70 ID:QZu3vFAz0.net
>>489
長岡藩がクズだったからでしょ
会津藩もな

佐幕派って、無理してるから酷いところが多いよ

493 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:45:22.85 ID:hLzHoevt0.net
>>1
ガトリング砲の一発屋だよね(´・ω・`)

494 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 21:52:17.55 ID:Mrnu1tJr0.net
>>489
そもそも河井が指揮する長岡軍は自ら長岡の城下町に火をつけて焦土化させた。

焦土作戦は冬の大雪を利用して新政府軍の補給路を遮断し
孤立したところを攻めると言う作戦。


新政府軍から長岡城を奪還すると言う偉業を成し遂げたものの
河井本人が負傷して焦土作戦が頓挫してしまった。

495 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 22:15:14.98 ID:S2fIC4uF0.net
河井継之助が地元民に恨まれたとイメージ工作するのは、河井の評価が高くなると立場が拙くなる裏切り者新発田藩の人間

496 :名無しさん@1周年:2018/10/11(木) 23:28:30.14 ID:pjqMS7JX0.net
新発田藩はもうねぇんだよ…

497 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 00:13:04.99 ID:Ax9/CtI/0.net
全国から河井継之助を慕って長岡にやってくる観光客がいる
小なれど官軍に抵抗した武士の心意気は子孫たちに残りことあるごとに判断材料になる
これこそ河井が長岡に残した遺産

498 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 00:15:37.72 ID:Ax9/CtI/0.net
自分は北陸出身だからどうしても大藩だった加賀藩があった金沢と比較してしまうわけだが
似たような立地にあってこれほど真逆の過程を歩んだ土地も珍しい

499 :名無しさん@13周年:2018/10/12(金) 01:07:33.06 ID:BFtmgTZN/
>>495
でも、それは司馬遼太郎自身が小説で書いてるだろ。
河井の遺族は維新後、いたたまれずに北海道に移住したって。

500 :名無しさん@13周年:2018/10/12(金) 01:12:13.60 ID:BFtmgTZN/
>>491
それはもしかして河井継之助の親父が
新潟奉行をしていた頃の出来事じゃないか?
実直な人物とされているのに、なぜか親父の代で
禄高が2/3に減らされてるんだよな。たしか。

501 :名無しさん@13周年:2018/10/12(金) 01:21:34.79 ID:BFtmgTZN/
>>495
長岡の市街地を焼いただけじゃなくて、
郊外から長岡を奪還する際に市街地を
砲撃したろ。それでかなりの町民が死んだ。
これも司馬遼太郎の筆写。

502 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 02:04:06.47 ID:WNDanadm0.net
>>406
あと庄内藩の酒井玄蕃

503 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 02:12:10.60 ID:pF35uZI00.net
>>490
ガトリングガンは長岡藩が購入した2門
もうひとつは徳川家が購入した甲鉄艦に搭載されていた

榎本軍がアメリカが不当に薩摩に引き渡した甲鉄艦を取り戻そうとしたときにガトリングガンが使用されたと言うのは多数あるなかの説や架空小説の創作劇での活躍
薩摩の甲鉄艦参戦兵士の記録ではガトリングは使用せずに小銃で射撃したとある

504 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 05:45:35.34 ID:i7MCT+9p0.net
長岡7万石じゃあなぁ。
この人は生まれる藩を間違えた。
若しくはもう少し後に生まれたら
日清日露で活躍したことだろう。

505 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 06:11:20.09 ID:sUF9SY+M0.net
榎本軍は薩摩へ突撃すれば歴史は変わった 先方の薩摩は人質とられてウロウロ 

506 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 07:24:25.45 ID:ck4E93oO0.net
これだけ長岡以外で有名になったけど
没後150年の催しに70人しか集まらなかったことを察してやってください
長岡を新潟の一地方都市に転落させた張本人ですから

507 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 07:32:45.40 ID:Wn46sU5P0.net
>>506
新潟市だって一地方都市じゃんw

508 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 08:46:28.47 ID:B4AiAcpj0.net
昔、駿台の公開模試の上位常連だった人かな

509 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 09:17:17.02 ID:vxgn84BQ0.net
片腕マシンガールのモデルですか

510 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 11:24:04.52 ID:Rhy/nhXM0.net
>>504
そもそも河井継之助の指揮で同程度の戦力に勝った戦はあるの?
一回もないでしょ?

同じ賊軍で同じ小藩桑名藩の立見尚文は連勝して、維新後は西南戦争から日清日露と結果を出した。
河井継之助みたいな小物を評価してどうするんですかね?

511 :名無しさん@13周年:2018/10/12(金) 11:36:34.40 ID:UcIxHONsV
こういう映画は悪くないけど
邦画ってどうして低予算でも面白い映画がなかなか
日の目を見ないんだろう。
おもうに原作脚本が糞なんだよな。
さらにいえば観客が糞
なんていうか、常識に縛られ過ぎていて
欧米のような破天荒さが皆無に近い。
欧米はB級映画のような糞も多いが良作も多い。

日本人全体がつまらないからつまらない作品が多い気がする。
良い映画は興行にならなくて埋もれてたりもしてそうだが。

あと、日本独特の映画ダンピング既得権益世界が酷いって
話もありそう。海外では庶民の娯楽として安価で楽しめる代表の
映画なのに日本だと滅茶高くて敷居が高い。

512 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 11:46:03.99 ID:idjoJadf0.net
河井はどちらかというと商才の方が長けてるのでは

513 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 12:30:07.87 ID:yEVg4zkD0.net
そもそも長岡単独で戦ったわけじゃないからな
最初から同盟の兵力が集結していて
連合軍として行動しているから

514 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 13:25:54.84 ID:pF35uZI00.net
薩長ユダヤ自民党が国営放送で西郷どんとか明治維新150年とかやってる裏で長岡藩開府400年で製作か
それでオリンピックの開催年に公開

515 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 13:46:02.20 ID:p3p8RFEU0.net
https://www.1101.com/anne/index.html
東出の妻、杏
ゆかりのある場所に旅をしたりもするんですか?
つい最近だと、新潟にある「河井継之助記念館」です。

516 :名無しさん@13周年:2018/10/12(金) 19:05:12.03 ID:BFtmgTZN/
>>512
長岡藩の藩政改革やって、税収をあげて
城の大広間に特注品の10万両箱なんてのを
積み上げたとか書いてるね。小説では。

517 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 21:03:08.09 ID:iMnhlA8z0.net
>>506
寺の本堂のキャパが70人だったってことだろ。
年忌なんて親族とかしか来ないのに70人も来てるのはすごいんじゃないか?

518 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 21:09:15.14 ID:LOa2+Gam0.net
慈眼寺の記帳は結構なペースだよ
オレも千円寄進してきたわ

519 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 23:01:59.76 ID:p3p8RFEU0.net
確かフィクション小説峠での河井継之助の先祖に関する記述が間違っていたと思うんだが
手元に峠がないからあやふやな記憶なんだが、河井継之助の家は分家であって本多家から姫君付きできた家臣の直系ではないのに直系扱いで書かれてなかったかな?

河井継之助を描いた他の小説ではこの点について間違ってると思ったのか、そちらでは長岡での戦乱の時に本家の河井家の者が継之助にあって本家分家の間柄を描いていた

520 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 23:04:35.86 ID:p3p8RFEU0.net
九州の闘将立花宗茂と河井継之助の関係を説明せよ

521 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 23:07:39.27 ID:RzB0Nw+C0.net
米百俵の小林虎三郎の評価

戊辰の変、我が藩の権臣迷錯して、妄りに私意を張り、遂に敢えて王師に抗じ、城邑陥没し、
社稷墟と為るに至る

522 :名無しさん@1周年:2018/10/12(金) 23:42:00.83 ID:kFLcFa8x0.net
峠を映画でやるのは無理よ大河でやれよ長岡戦争って戊辰の役、屈指の激戦なのに影薄いよな

523 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 03:25:34.98 ID:Zf25js2LC
89 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 19:52:07.18 ID:c/oh49p90.net[1/3]
    なんでこのオッサンこんなに美化されてるの?
    ガトリング家老というネタ的な面白さだけ以外になんかある?
    挙国一致で団結しようと言うときに自分の地域だけ不可侵の軍閥化しようとした超危険思想の持ち主で
    現実問題としても郷土を焦土にした最低の政治家なのに

    すべてをなげうって江戸と日本を救った慶喜がいまだに腰抜けあつかいされるのと表裏一体なんだな

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17668318.html?__ysp=44Ki44K744Oz44K344On44Oz6KmQ5qy6IOi6q%2BS9k%2BmanOeijeiAhSDjgqzjg4jjg6rjg7PjgrDnoLI%3D
我自身に尋ねたところ、ガトリング砲
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201510020000/
朝日山で長岡軍がアームストロング砲を実装して居た証拠
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201511010000/
アームストロング砲とガトリング砲の二大兵器を実戦で同時期に使ったのは、全世界で長岡軍が初なのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201509300000/
日本の軍隊でアームストロング砲を初めて実戦で使ったのは熊本軍であり、第二次長州征伐での赤坂口の戦いで、四度も熊本軍は長州軍を返り討ちにしました。
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/10420453.html
徳川慶喜は藤原北家の子孫の手先だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201510210000/
今日のNHK連続テレビ小説「あさが来た」

524 :名無しさん@13周年:2018/10/13(土) 03:39:02.44 ID:ykNT1++iK
https://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/34281016.html
そら人間のくずと言われる。

525 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 06:49:48.75 ID:Zf25js2LC
98 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 20:01:36.55 ID:j2vsFEr90.net[1/2]
    >戊辰戦争を戦った継之助の判断をいまの価値観から評価することは難しいですが、

    今の価値観で評価しないで当時の価値観で評価しても官軍と闘うという判断は完全に間違ってた。
    長岡藩士が多数死傷して明治政府での発言力が無くなったんだから正しい判断の訳が無い。
    しかしこの事で河井継之助は優秀では無いが無能だとも言えない。
    薩長側の軍事力と幕府側の軍事力を正確に判断する為には京都や江戸に情報収集の為の
    人材や金が必要だろうし長岡藩のような小藩にはそれが難しかったのかもしれない。
    もし河井継之助が優秀だったら他の藩士の給料や殿様の資産等を削ってでも京都や江戸へ
    情勢調査の人員を送っていただろうしそうして十分な情報を集めていたなら薩長側に付いただろう

http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/

テーマ随筆をクリックして、第13回 「世良修蔵暗殺事件の周辺」
奥羽戊辰戦争勃発の大きなきっかけとなった暗殺事件の全容に迫ります。(平成16年2月9日公開)

仙台藩から会津討伐の願い出が実際に出された
仙臺が新政府から大隊旗を下賜されながら、
會津を砲撃したものの、會津の軍事力に勝てないと悟った仙臺は、世良修蔵を斬首した。
米澤も新政府から大隊旗を下賜されながら、仙臺と共に奥羽列藩同盟を結成した。
仙臺と米澤は新政府よりも、愚かで悪質な集団です。

このような新政府の勢いを目の当たりにした上洛した千坂は、新政府に抗する不利を悟り、新政府より大隊旗を下賜され、速やかに国許に戻り、奥羽鎮撫総督に協力するようにと指示を受け米沢に帰る事になります(*4)。
新政府より大隊旗を下賜された仙臺藩と米澤藩は、會津藩と荘内藩の敵だったのです。
当初会津藩を救済する為に集合した白石会議は、仙台藩の暴走により一転して明治新政府に対しての攻守同盟となり、新政府軍との全面戦争を戦う為の奥羽越列藩同盟へと変化を遂げるのです。

http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Esoutokufu/index.html
このサイトから米澤の情報を得ましたが、
我がブログ記事や5ちゃんねる等で、仙臺と米澤は新政府よりも、愚かで悪質な集団です。
と扱き下ろしたのが効いて、
このような新政府の勢いを目の当たりにした上洛した千坂は、新政府に抗する不利を悟り、新政府より大隊旗を下賜され、速やかに国許に戻り、奥羽鎮撫総督に協力するようにと指示を受け米沢に帰る事になります(*4)。を削除したサイト主(大和田爆笑)

https://toyokeizai.net/articles/-/194241
ここに我がコメントしました。

2017/10/29 08:29 NO NAME90a35dd64461

526 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 09:18:23.89 ID:6OeZP7AB0.net
土佐の岩村精一郎、この馬鹿が中越戦争を招いた。

527 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 09:49:47.71 ID:Zf25js2LC
99 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 20:02:23.08 ID:bnpU71oq0.net[1/3]
    司馬錬太郎の小説では、長岡藩家老の河井継之助は、西洋人からガットリング砲などの
    最新式の武器を買い、使ってみたくて自主独立とかいって明治政府の官軍と戦い
    長岡城下をめちゃくちゃに破壊して死人もたくさん出たので,地元民に恨まれて嫌われ
    その墓も何度も破壊されたと描写されていた。英雄どころか疫病神。

    佐賀藩の藩主の鍋島かんそうが、反射炉を持ち大砲や蒸気船や銃など作れる能力を持ち
    最新式の軍備を備えながら、日本人同士の戦争を最小限に抑えた聡明さと異なり
    河井継之助は、軍備を使いたがった俗物。
100 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 20:05:12.71 ID:uwOA5ZRr0.net[5/5]
    >>99
    鍋島直正は薩長の輩も嫌ってたよ。斉彬とは交流あったけどね
101 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 20:06:46.71 ID:HjCW0SOV0.net[1/4]
    銃火力オタクの家老か

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=249345042432886&id=100020721767301&__tn__=-R

諸橋嘉久
9月22日 10:21 ·

幕末最強の軍をつくった男 佐賀藩主 鍋島閑叟 (2016年)
https://www.youtube.com/watch?v=c_dY0z_xJ5s&t=1s

諸橋嘉久
諸橋嘉久 16 分前
アームストロング砲の榴弾の威力には、疑問が残ります。會津若松の鶴ヶ城は穴だらけにされましたが、崩壊しませんでした。戊辰北越戦争で長岡軍がアームストロング砲で、榴散弾を発射して奇兵隊ら西軍の頭上で爆発させる戦術を用いて、多大な損害を与えた。

諸橋嘉久
諸橋嘉久 25 分前
アームストロング砲の製造にはパドル炉、圧延機、加熱炉、蒸気ハンマーなどの大規模な設備が必須であり、佐賀の反射炉ではアームストロング砲は製造できません。

諸橋嘉久
諸橋嘉久 2 時間前
射程距離が長く無くて、命中精度が良く無いスペンサー銃で武装した佐賀軍は弱兵で頭が悪い。エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃(軍用カービン)で長岡軍を武装させた河井 繼之助はセンスが良くて、頭が良い。

528 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 10:20:57.77 ID:EjlvRIcT0.net
小説書いた人
話の資料集めるのがけっこう適当な人らしいですね
受ける話を作るためなら白を黒にもするらしい

529 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 10:40:21.58 ID:Ab902trN0.net
>>520
すぐ立花宗茂とか持ち出す歴史ヲタ多すぎ
コミュ障が自分語りしたいだけ

530 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 11:23:24.09 ID:O3JJ860x0.net
>>528
むしろ現地にまめに足を運んでる印象があるが
後から新しい資料が出てきたのと勘違いしてないか?

531 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 13:13:07.75 ID:B4fLxOkd0.net
神保町なんか司馬遼太郎が歩いたあとは維新関係の資料が無くなると言われたくらいなのにな。

532 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 13:33:50.55 ID:Zf25js2LC
167 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 21:04:43.25 ID:rA2wH+9R0.net
    山田方谷は出ないのか?
    やんちゃな河井継之助が山田方谷に懐いちゃって
    別れるとき河原で正座して礼をしてるシーンを現地ロケで見たい

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18976790.html?__ysp=44Ki44K744Oz44K344On44Oz6KmQ5qy6IOWxseeUsOaWueiwtyDkuInpoafjga7npLw%3D

https://www.facebook.com/permalink.php?id=100003481604531&story_fbid=1394997337292973

安政6年(1859年)方谷先生55歳頃、藩士の土着政策を実施し、自らも西方村長瀬を切り開き居宅を構えました。
この地にあの有名な河井継之助がやって来て方谷先生の元を去る際に三度の土下座を繰り返して方谷先生を生涯の師と仰いだ場所と言い伝えられております。
この地に明治元年(1868年)方谷先生64歳頃、現在の方谷駅近くに家塾・長瀬塾を開き多くの子弟の教育にあたられました。

>この地にあの有名な河井継之助がやって来て方谷先生の元を去る際に三度の土下座を繰り返して方谷先生を生涯の師と仰いだ場所と言い伝えられております。

三顧の礼の故事をヒントにして、講談師が山田方谷を偉く見せ掛ける為に三度の土下座にアレンジしたのです。

>方谷先生を生涯の師と仰いだ

山田方谷の弟子が捏造した話を広めた。
我自身に尋ねたところ、
主君を裏切り、戦わずして薩長に降参した山田方谷を河井 繼之助は馬鹿にして居たそうです。

533 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 16:42:52.70 ID:Zf25js2LC
223 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:06:07.98 ID:FsLOzICM0.net[2/2]
    >>188
    運用を真面目に考えてなかったんだろう。
    ちょっと考えれば補給が重要になる連射性能の高い兵器を突出させたりせんはずだし。

    ガトリング砲を買って居ません。
    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201705210000/

    https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17594014.html

    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201703220000/

    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201511010000/
    アームストロング砲とガトリング砲の二大兵器を実戦で同時期に使ったのは、全世界で長岡軍が初なのです。
    https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18232571.html
    長岡 アームストロング砲
    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201707110002/
    司馬遼太郎もファブルブラントの嘘を見破れなかった。
    https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17594014.html
    ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)は、河井 繼之助に武器(兵器)を一つも売って居ないのです。

222 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:04:14.29 ID:Sgiesx+j0.net[6/12]
    でもこの小説なんかすっきりしないんだよね
    とくに最後が尻切れトンボで無理矢理まとめたみたいな

會津軍の總督で唯一戦死した真の猛将 會津の虎 一ノ瀬 要人

會津の政治力はある意味では、新政府を凌駕して居た。

長岡の獨立特行を越後口總督の一ノ瀬 要人が認めて、長岡の總督の河井 繼之助を味方に付けた。
長岡の獨立特行を認めなかった新政府は、長岡軍に三ヵ月近く苦戦した挙句に總督の高倉 永?を長岡軍決死隊に討たれた。
慶應四年八月二十七日に漸く明治天皇は即位した。

長岡の獨立特行を認めてくれた會津の為にも戦った河井 繼之助
我に尋ねたところ、
このままでは、あの世に居る河井 繼之助に合わせる顔が無いので、
一ノ瀬 要人は自ら陣頭に立って、エンフィールド銃を撃ち被弾する迄、戦い続けたそうです。
河井 繼之助のファンならば、一ノ瀬 要人を愛するのは必然である。

534 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 17:49:49.67 ID:suXNH7Dt0.net
継之助終焉の地、会津塩沢には多忙な司馬遼太郎はついに足を運べなかった
足を運べばなぜこの土地の人が河井の記念館をつくったのか小説の中に書いて
物語がさらに厚みを増したのではないかと言われている

535 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 20:06:59.50 ID:Zf25js2LC
234 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:19:40.98 ID:Xx8+SDzv0.net
    >>29
    肥後藩が使ってたんじゃね?

其れは、幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬の創作です。
https://eiga.com/movie/38713/
史実では肥後熊本の細川家がアームストロング砲を使った。
映画では何故か、ガトリング砲を使って居ます。

536 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 21:02:20.48 ID:8U6qmZVX0.net
主演の役所広司は連合艦隊とかの映画で山本五十六やってるから長岡には縁があるんだな

537 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 21:06:00.45 ID:AzGXWxJ10.net
明日日曜の大河ドラマの『西郷どん』でガトリング銃登場!
見逃すな!

538 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 22:21:35.89 ID:SgNEIBEd0.net
>>534
実は河井の死去した塩沢集落ははダムで川幅が広がった只見川の下にあるのだけどな

539 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:03:57.60 ID:8U6qmZVX0.net
ガトリングガンを発明したガトリングの子孫が継之助記念館か墓に来たんだっけ?

540 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/13(土) 23:06:59.39 ID:Zf25js2LC
253 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:35:12.84 ID:FsuCEXqi0.net[14/19]
    河井もすごいけど先祖代々の家宝を売って戦費にしろと言った殿様の牧野家もすごい
    河井継之助一人が名を残したわけではない

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201612280000/
「大河ドラマのモデルにしたい偉人」

所謂『東大出のバカ』対決(大和田爆笑)

民放テレビのギャラリーは、一般人では無くてセミプロだろうな。

林修は嘘吐きだな。

米を箱館で売って儲けたのは、江戸から引き揚げた時の一度ですよ。

三年で長岡の牧野家の借金を返済したのは、大嘘だ。

河井 繼之助が吉田の今井 孫兵衛に借金を帳消しにして貰い、更に献金させた。

長岡の牧野家を河井 繼之助と今井 孫兵衛が乗っ取ったのが実態

長岡軍のアームストロング砲とエンフィールド銃・スナイドル銃は今井 孫兵衛の金で購入した。

河井 繼之助は「中立」なんて、言って居ない。

河井 繼之助はモンロー主義の影響を受けた獨立特行を主張した。

焦土作戦はアンチ河井 繼之助である、長岡郷土史家による、捏造された話だ。

焦土作戦を遣るなら、小千谷談判の後に牧野 忠訓の許可を得て、城下の住民を避難させてから城下を焼く。

541 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:24:25.52 ID:8U6qmZVX0.net
河井継之助は俺が一番詳しいとか思い入れがあるんだとかで
他に詳しく知ってる奴がいると気にくわない奴がいる
うざいわ

542 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:27:32.99 ID:Dxk/40Mi0.net
俺たちのガトリング家老!

543 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:32:47.35 ID:48F6A6K80.net
長岡藩と仙台藩の考え違いが戦乱を招いた

544 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:43:58.33 ID:IJ9X8lc60.net
>>416
司馬は西の龍馬東の河井と称するくらい評価してた。

545 :名無しさん@1周年:2018/10/13(土) 23:54:42.66 ID:HcpkN/a80.net
>>46
村田蔵六がヘボンに英語を習うため、江戸から横浜に慣れない馬に乗ってやってくるのを
横浜で外国商人と会っていた継之助が見て笑うシーンがあったのを覚えてる

546 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 03:36:19.99 ID:OVNxmABp0.net
>>46
花神総集編の徳川を討て!に出てるな。
底無し沼を渡り長岡城奪還の口語分?で書かれたという檄文?は河井継之助が作ったのではなく山本とか別人が作成したとかの話があるって見たことあるな

547 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 03:43:55.87 ID:S97H5iqS0.net
司馬は河井が吉原の花魁買ってる場面を描いてるが、
200石取りでは花魁買うのは到底無理だろう

548 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 03:45:10.76 ID:obsBWJYy0.net
司馬の小説はどれも似たようなもんだが、歴史を好き勝手に捻じ曲げ、主人公を
美化しすぎ。その癖、当時の資料や著名人の言葉を上手に引用するから、読者は
それが忠実に歴史に基づいた伝記かなにかと錯覚してしまう。

549 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 04:39:14.56 ID:X8SEryFsH
260 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:40:13.11 ID:efzhhjaY0.net[2/2]
    時山直八があと十人いたらアメリカにも勝っていたみたいなヨイショぶりがテラワロス

我は薩長では『火の玉小僧』時山直八を好きだったが、
題名は失念したが購入した本によると、
時山直八は地元の百姓の男を案内人にして、朝日山を裏手から攻撃する筈が案内人が濃霧の中で道を間違えてしまい、
表に出てしまい、最初は會津軍を攻撃した。
『火の玉小僧』時山直八のイメージが壊れた(大和田爆笑)

550 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 07:29:21.31 ID:X8SEryFsH
273 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:52:28.12 ID:npqymJE30.net[1/3]
    >>1
    河井継之助は、長岡藩をスイスのような中立の立場に置き、
    幕府にも政府にも従属しない自主自立の立場を貫きたかったらしいのだが
    小千谷談判で政府軍との交渉は決裂、結果長岡城下は焼け野原

    河井にとって長岡藩は小さすぎたという評価は正しいかもしれないが、
    長岡という小藩の力量と、もはや政府軍優勢の状況で
    そんな曖昧な立場を許す余地なんかあるわけなく、
    国内情勢を見極めることができなかったという点で、やっぱダメだったと言える

    山本五十六は河井を尊敬していたらしいけど

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/874703.html

551 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 10:12:10.62 ID:Yy77tdVl0.net
というか、小説なんて皆そうだろw
うまく嘘をついて作り話で読者を楽しませるのが
小説だろ

552 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 10:34:36.50 ID:X8SEryFsH
276 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:53:03.12 ID:BrIuwKDP0.net[2/4]
    長岡と言えばもう一つのエピソードが百俵の米だがその中で何故教育が大事かという箇所で
    長岡藩がこのような惨状を呈しているのは教育が足りず愚か者が藩を牛耳り維新に敵対してしまったからだ
    だから教育を充実させねばならぬ、って古老が言うんだけど
    この教育が足りない愚か者って河合継之助のことなんだよね
    河合は悲劇を招いたが愚か者であったのだろうか?
    河合のことを言ってるんだと知って以来百俵の米のエピソードも手放しで称賛できなくなった
    教育投資は他の何を差し置いても充実すべし、って意味なら賛同できるんだけどさ

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201301140001/

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1321086588/

161 :諸橋 嘉久:2013/01/14(月) 14:46:56.55 ID:TMbuonl30
159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/09(水) 08:41:02.37 ID:4wgrJhW/0
会津市民たちは、過去の歴史の記録や文献をほとんど持ち合わせていない。
なぜなら、体制が変わるたびに廃棄、焚書処分にしてきたから。
その習慣は、会津の歴史を勝手に作り替え都合のいいように市民に教える。
「これは使える」と思ったものは恥ずかしげもなく改竄してでも作り替える。「観光史学」の例がそれを示している。
普通の地域は、自己の不利になることであってもその記録は必ず保存する。数千年前のものでも文献は残されている。
会津市民は、自分たちの手元にないものを主張すれば受け入れられると思っているのだろう。
敗戦間もない日本なら、そんなごり押しは通ったかもしれないが、戦後70年近く経った現在、
ネットの世界的普及によりもはや事実のごまかしは効かなくなっている。


小泉純一郎首相の国会での所信表明演説で、戯曲『米百俵』が引用されたが、
其の六ヶ月後くらいに新潟日報に長岡郷土史の老人の証言

昭和四十年代の後半に当時の長岡市長が長岡市中央図書館長に、
戯曲『米百俵』に都合の悪い史料の廃棄を迫り、
長岡市中央図書館長は抵抗したが、長岡市長の圧力に負けて、
戯曲『米百俵』に都合の悪い史料の廃棄を行った。

百俵の米を教育に使う事を言い出したのは、小林虎三郎では無い。


162 :諸橋 嘉久:2013/01/14(月) 15:10:02.07 ID:TMbuonl30
吉田寅次郎と小林虎三郎

象山門下の二虎

寅と虎は意味が全く違います。

虎は「コ」と読めますが、寅は「コ」と読めません。

「天下を動かす政治を行う者は吉田(松陰)であり、
わが子を託して教育してもらいたいのは小林のみである」

佐久間象山は子を小林虎三郎に託して居ません。

小林虎三郎を偉人に見せ掛ける為に弟の小林雄七郎が伝記を創作したのです。

553 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 11:37:31.61 ID:ZvFsea6+0.net
>>544
河井はむしろ小藩の家老になるより商人の方が向いていたかもしれない
長岡藩の財政を立て直した上、最新の装備で固められるほどの富を蓄えた

554 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 11:41:47.14 ID:/p17sFdxO.net
司馬遼太郎は小説よりも、
「街道をゆく」シリーズがその土地の歴史や民俗風習を知ることが出来て面白い
司馬は小説家より、歴史・民俗学者にでもなればよかった

555 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 12:50:48.42 ID:LNsv0JXo0.net
7万石の小藩が江戸で最も良い場所に屋敷があった
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/hantei01.htm

556 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 13:01:03.65 ID:ZBeMeNep0.net
>>554
いやいや
海音寺潮五郎が「大きな嘘のつける人」と評した様に大文字のフィクションが書ける稀代の作家だよ
自分はより史実に忠実な吉村昭も好きなんだけど作家としての技量はやはり司馬の方が上だと思う

557 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 13:06:51.18 ID:HR5KaIsR0.net
ガトリング家老か

558 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 13:17:11.56 ID:obsBWJYy0.net
>>556
70%の真実の中に、30%のフィクションを加えるというのを誰よりも巧妙に
大胆におこなった作家だな。彼にかかれば、白を黒に変えるくらい造作も無いことだろう。

559 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 13:36:50.53 ID:X8SEryFsH
278 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:18.63 ID:FsuCEXqi0.net[15/19]
    >>271
    大村は薩摩藩を上野戦争の激戦箇所に配置したからでしょう
    百姓医者の大村の頭の中には好戦的な旧来の侍を減らせるまで減らしたいという意図があっただけで
    民間人を犠牲にするもやむなしという意味の好戦的ではない
279 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:56:40.24 ID:gPt1JtUj0.net[2/2]
    >>272
    河井継之助も好戦的な人間だったんだろう。とにかく、手に入れた武器を使ってみたくて仕方がないから薩長に楯突いただけ
    勝てる見込みなんて全く無かったからな
    実際に地の利を得ても戦線は維持出来なかった

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201705120001/
影の軍師である、小山 善元 (良運)
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18880781.html
>私は今のところ「峠」が暫定1位です!
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201806240000/
>長岡藩の天才軍師
https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/18446124.html
 幕末最強の軍略家

https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/19023221.html

會津軍の總督で唯一戦死した真の猛将 會津の虎 一ノ瀬 要人

會津の政治力はある意味では、新政府を凌駕して居た。

長岡の獨立特行を越後口總督の一ノ瀬 要人が認めて、長岡の總督の河井 繼之助を味方に付けた。
長岡の獨立特行を認めなかった新政府は、長岡軍に三ヵ月近く苦戦した挙句に總督の高倉 永?を長岡軍決死隊に討たれた。
慶應四年八月二十七日に漸く明治天皇は即位した。

長岡の獨立特行を認めてくれた會津の為にも戦った河井 繼之助
我に尋ねたところ、
このままでは、あの世に居る河井 繼之助に合わせる顔が無いので、
一ノ瀬 要人は自ら陣頭に立って、エンフィールド銃を撃ち被弾する迄、戦い続けたそうです。
河井 繼之助のファンならば、一ノ瀬 要人を愛するのは必然である。

560 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 13:59:36.64 ID:wJsQihAc0.net
一種の洗脳やプロパガンダだね
河井は長岡人に嫌われ、墓の損壊が頻繁に行われていたが、この小説以降減ったそうな
司馬の評価と当時の人たちの評価どちらが正しいか

561 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 14:11:55.80 ID:LDjiueOR0.net
つーか、武士と町民・農民、どっちが多かったか考えればわかる話

一般人は恨んでただろ

562 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 14:25:34.31 ID:37CooOht0.net
立派だよ
武士だよ

大日本帝国に通じるものがあって悲しいな

563 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 14:33:18.70 ID:wJsQihAc0.net
>>560
おそらく、多くの長岡藩士も河井を恨んでいただろうね
関係がないのに参戦し、領土を荒廃させたわけだからね
>>562
頭は良いが大局観に欠ける、東條・石原に似てると思う

564 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 14:34:12.71 ID:wJsQihAc0.net
>>563>>560>>561

565 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 16:23:22.29 ID:X8SEryFsH
     河井平吉の嘘
    https://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17536337.html
    武田鉄矢 海綿体(大和田爆笑)
    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201512310001/
    共犯ですね。
    https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201711120000/

単純に比較、何倍とかは決め付ける事は難しいが、 我に尋ねたところ、
戊辰戦争で會津は長岡の五倍の被害を受けたそうです。
ここまで読んで、賢い人は気付きます。
會津の松平容保の墓は破壊されたり、倒されたりした事は無い。
會津軍の總督、會津の家老の墓は破壊されたり、倒されたりした事は無い。

河井平吉の嘘や栄涼寺の嘘を見抜けない現代人は、白痴だらけですね。

566 :名無しさん@13周年:2018/10/14(日) 17:44:09.77 ID:tRCOJYyzu
>>540
その人、婿養子ですからw
牧野家代々の家宝に対する感傷はなかったろうな。
事前に牧野家出身の正室に話通しておくとかしたんだろうけど。

567 :名無しさん@1周年:2018/10/14(日) 17:46:03.21 ID:ieG5rrj90.net
>>553
あれは藩主家の財産を売り払っただけだから

568 :名無しさん@13周年:2018/10/14(日) 18:11:51.97 ID:tRCOJYyzu
>>565
会津藩の場合、成り立ち自体が、徳川秀忠の唯一の庶子、ご落胤が
大名にまで抜擢されて成立したもので、終生徳川本家に恩義を感じていた
初代藩主の遺訓なるものも残されていた。

会津の場合はそれもあって幕府の意向で京都の守護をやらされたろ。
そこから蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いと、幕末の戦いにはあらかた
参加しているわけで、長岡藩とは関与の度合いも関与の仕方も全然違う

長岡藩の場合は河井1人が強引に引っ張って北越戦争になだれ込んで
行ったわけで。

569 :名無しさん@13周年:2018/10/14(日) 18:13:37.38 ID:tRCOJYyzu
1668年、保科正之は「会津家訓十五箇条」を定め、
第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、
藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記したため、
幕末の会津藩主・松平容保もこの遺訓を守り、佐幕派の中心的存在として
最後まで徳川家の為に新政府軍と戦った。
https://senjp.com/hoshina-ma/

570 :名無しさん@13周年:2018/10/14(日) 18:28:49.74 ID:tRCOJYyzu
本当は鳥羽伏見の戦いは必要なかったよね。
将軍慶喜が会津藩主連れて真っ先に逃げちゃったわけだから。
身をもって戦いはするなと意思表示したわけで、
その意向を無視して戦闘を始めたあたりから会津藩の行動の正当性が
あやしくなっていく。
各地各藩から朝廷のやり方に憤慨している1万5千もの藩士が集まったら、
ちょっとやそっとの事じゃ止まらなかったろうけど。


鳥羽伏見に会津藩士が将軍の意向を無視して参戦したことで、
会津藩は幕府にとっての厄介もんになって、江戸にもいられなくなって
北関東や東北を転戦する羽目に。将軍・徳川家はとうに朝廷に恭順したのに
彼らは何のために戦い続けたのか。
最後は本拠地の鶴ケ岡城の天守閣が薩長の砲撃で穴だらけになって、
藩主が城外に出て無条件降伏。

571 :名無しさん@13周年:2018/10/14(日) 18:30:02.87 ID:tRCOJYyzu
幕府→徳川家

572 :名無しさん@1周年(大和田爆笑):2018/10/14(日) 19:42:39.85 ID:X8SEryFsH
291 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 23:05:03.81 ID:BrIuwKDP0.net[3/4]
    河合継之助は維新の動乱の中で長岡藩を武装中立で守ろうとした
    そのために長岡藩で出来る範囲の近代兵力を整備した
    だが交渉は決裂してしまった
    ならばその時点で武装を放棄すべきではなかったのか、と批判される
    だが河合は開戦を決意する
    何故開戦したのかと言えば、やれば悲劇に終わることは理解していたが自分が整備した近代兵力の力を
    試してみたいという誘惑に逆らえなかったのではなかろうか?
    この点も山本五十六に酷似している
    山本五十六もダメだ、ダメだと言いながらも自分が整備した海軍革命を起こす航空戦力の力を試してみたいとう
    誘惑に無意識下では勝てなかったのではないか?
    ちな河合継之助が用意した砲はガットリングガンを含めて28門で
    日本海軍が建造した空母が28隻な

31門です。
史料は普通、31門ですが、
我に尋ねたところ、
34門だったそうです。

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