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【経済】米ブランデス・インベストメント、保有する大塚家具株を全て売却

10 :名無しさん@1周年:2018/08/20(月) 14:07:43.49 ID:2kkQBe180.net
久美子は一橋大学卒業後、
大塚家具の主要取引銀行である富士銀行(現・みずほ銀行)に入社
「得意先のお嬢さん」だから腫れ物を触るような扱いだった
幸い美人だったし業務にあまり影響のない国際広報という部署へ回される
3年で退社し、1994年に大塚家具へ入社
2004年に大塚家具を一旦辞めて、筑波大の法科大学院へ入学しつつ、広報やIRに関するコンサルタント会社を立ち上げる
あまり中身のない会社で、この頃に知り合ったコンサル関係の人たちから変な影響を受けてるっぽい
経営はあまり上手く行かなかった

2007年に大塚家具は自社株買いに関してインサイダー取引で摘発される。
これが、久美子(とその背後にいる外資系ファンド)が意図的に仕掛けた罠で、責任を取って長男の勝之氏が辞任。
勝久氏が知らないところでインサイダー取引が行われたということで、久美子はコンプライアンス確立と同族経営脱却、及び相続対策を説き勝久氏を説得する。
具体的には、資産管理会社の設立と社外取締役の受け入れを提案。
勝久氏は仕方なく了承し、久美子は大塚家具の持ち株会社「ききょう企画」を立ち上げ、自身が取締役に就任する。
ききょう企画は、大塚一族の持つ大塚家具の株式を買取り、代わりに社債を発行する仕組み。
勝久氏は130万株をききょう企画へ譲渡し、代わりに15億円分の社債(2013年4月までの期限付き)を受け取る。
(実はこれは勝久氏の持つ議決権を奪うのが真の目的だった。)
この時点でききょう企画が筆頭株主になっており、また久美子派の社外取締役が2人就任。久美子が社長になる布石は着実に出来ていった。
ききょう企画の取締役として再び大塚家具に出入りするようになった久美子は
それまで年間700億あった売り上げをわずか1年で500億まで減少させた
(のちに久美子はこの時の売り上げ減少を勝久のせいにし、2015年の株主総会で濡れ衣を着せる)

2009年に大塚家具に久美子が社長に就任、取締役や社外取締役に、次々と変なのを入れた
勝久氏はそれらに黙って従ってしまった
2013年頃から、久美子が安売り路線を提唱し始めるが、勝久氏それを認めず対立
2014年7月の取締役会で久美子を解任する

久美子はマスメディアに積極的に内部情報をリークし、世間のイメージを味方に付ける作戦に出る
マスコミも親子喧嘩として面白おかしく取り上げた
この間、勝久氏はマスメディアに一切情報発信していない
ワイドショー化したら大塚家具のイメージダウンが避けられないことを深く理解していたからだ
勝久が反論しないのをいい事に、久美子の作戦通り、「古い体質の老害 vs 革新的な美人経営者」の構図が出来上がっていく
そして2015年3月の株主総会で、勝久は会社を追われることになる
その後、大塚家具が創業者である勝久に対してした仕打ちはほとんど報じられることもなかった

同年、勝久は急遽「匠大塚」を立ち上げた
資本金はたった3000万
大塚家具の商売を邪魔しない様に、個人向けではなく法人向けの事業にした
久美子は優秀な社員を次々とリストラしたので、勝久はその社員達を全て受け入れる方針を打ち出す
2016年の7月頃から黒字転換の見通しだったが、大塚家具からのリストラ社員が予想よりかなり多く
リストラ組をすべて受け入れるという方針のために資金繰りが難しくなり借入金が発生してしまう
だが2018年になってようやく黒字転換
毎年100人、今までに300人の社員を受け入れている

大塚家具側から勝久に「名誉職に復帰して欲しい」という打診が何度かあったらしい
親子喧嘩して父親を追い出したイメージを今更払拭したいという狙いだ
久美子本人から言われたら勝久も考えたかもしれないが代理人から言われただけなので勝久は断っている

大塚家具は180億もあった内部留保をほとんど使い切って身売り
早い段階で勝久に相談するなり泣きつくなりしてれば何とかなったかもしれない

勝久が赤字を出したとの、久美子発信の情報を信じ切ってるアホがいるが、決算書を読める人なら誰でもわかる
大塚家具時代、勝久はただの一度も赤字を出していない

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