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【歴史】「大日本帝国時代は本当にいい時代だった」パラオの人はなぜ今も親日なのか

2 :名無しさん@1周年:2018/08/19(日) 16:36:14.71 ID:U91Ziv5F0.net
差別はつけない

日本政府はパラオにさまざまな投資をし、インフラを整備した。もちろんそうした行為は無償のものではなく、多分に計算もあっただろう。
この地域に拠点を持つことは、軍事的にも意味を持つ。それでもなお島民たちの心をつかめたのは、移住してきた日本人たちの
振る舞いも大きかったようだ。たとえば、学校では島民と日本人、両方の子供が机を並べて学べるようになっていた。
当時、父親が小学校の校長をつとめていたという日本人男性はこう語っている。

「親父からは、島民の子どもたちと私たち日本人と差別はつけないようにと、非常に厳しく注意されました。だからうちのお袋は、
僕も僕の友達も同じように扱っていました」

スペインの時代も、ドイツの時代も、島民を家の中に招き入れるようなことはなかったが、日本人はそれをした。この男性は、
日本で退職した後、故郷となる島に戻り、幼馴染と何十年ぶりかの再会を果たし、現地で日本語を教えるようになったという。
日本統治時代の良好な関係が窺えるエピソードだろう。
こうした証言を「支配者側の言い分だ」と疑う向きもいるかもしれないので、当時小学校に通っていた男性(ガロンさん)の証言も紹介しておこう。

「先生たちには、日本の子どももヤップの子どもも、同じように扱いたいということがありました。どっちも日本人にしたいという感じがあった。
朝礼では、日本に向かってお辞儀しました。カレンダーには紀元節、天長節、お正月とかちゃんと書いてあった。
その日が来ると、日本の日の丸の旗を掲げて式をしました。それが終わると、パン2個ずつ子どもたちに配って村に帰した。
紅白の丸い小さなパンだった。日本人と同じように扱ってくれていた」

ガロンさんにとって、学校での遠足、運動会、さまざまな行事はいまでも良い思い出だ。一方で、こうも語っている。

「戦後になって、昔のやり方がみんな滅びてしまった。どうしたら人間の幸せが手に入るかわからなくなった」

ミクロネシアの人たちは、この後、日本の戦争に巻き込まれ、結果として多くの島が甚大な被害を受けている。
そんな日本の統治から離れたにもかかわらず、戦後手に入れた自由をかならずしも肯定的に語らない島民は少なくない。

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