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【ルーツ】「大阪」の地名記述、最古の文献か 室町後期、本願寺中興の祖・蓮如自筆和歌に「大さか」

1 :アルカリ性寝屋川市民 ★:2018/04/20(金) 22:24:30.87 ID:CAP_USER9.net
本願寺中興の祖とされる僧侶、蓮如(れんにょ)(1415〜99年)が室町時代後期の明応7(1498)年に記した和歌の草稿が、「大さか」という地名を記す最古の文献とみられることが19日、所蔵する一般財団法人「本願寺文化興隆財団」(大谷暢順(ちょうじゅん)理事長、京都市山科区)の調査で分かった。

「難波」などと呼ばれたそれまでの地名から、現在につながる「大坂(大阪)」の地名が定着していく経緯を探る史料の一つとして、注目を集めそうだ。

草稿は平成23年に財団が古美術商から購入。和歌5首のうち、信心の大切さを詠んだ「みな人の弥陀(みだ)をたのめといふ浪のはやをとたてゝみゆる大さか」など、2首に「大さか」の文字がある。筆者名はないが、専門家の鑑定で、筆跡などから蓮如自筆と判定された。

草稿の日付は、明応7年11月8日。大阪という地名は文献上、蓮如が明応6年11月に信徒らに向けて発した、「御文(おふみ)」「御文章(ごぶんしょう)」などと呼ばれる手紙の文中にある「大坂」が初出とされるが、自筆の原本は未確認で、写本のみが残る。

財団によると、確認されている写本は、息子の実如(じつにょ)の時代に編纂(へんさん)されたとみられる本が最古。大阪という地名を記した文献の成立年代としては、草稿が写本よりも古いと判断した。

蓮如は明応8年3月に死去。和歌には推敲(すいこう)の跡があり、財団の藤田香奈子学芸員は「最晩年に書かれた草稿だが、創意工夫を怠らない、蓮如上人(しょうにん)の性格が表れている」と話す。

草稿は、同財団の吉崎御坊蓮如上人記念館(福井県あわら市)で今月21日〜7月28日に行われる、特別展で展示される。



「大阪」の由来 古くは「難波」「浪速」といった表記で、「なにわ」「なみはや」などと呼ばれていた。いつから「おおさか」になったかははっきりしないが、14世紀の文献には「小坂(おさか)」の記述がある。蓮如が「大坂」に坊舎(石山本願寺)を建立した後に広がったともいわれ、江戸時代には浸透。「大阪」の表記は江戸時代には現れ、明治以降に定着した。



産経WEST 2018.4.20 11:45
http://www.sankei.com/west/news/180420/wst1804200032-n1.html

714 :名無しさん@1周年:2018/04/25(水) 21:37:05.70 ID:nnGfhRBg0.net
日本書紀
大坂
まぁ二条山の辺だけどな

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