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【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」
- 1 :ごまカンパチ ★:2018/02/17(土) 19:29:05.37 ID:CAP_USER9.net
- https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/394877/
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、
市は「邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見」としている。
市埋蔵文化財課によると、出土した石製品は、板状で幅4・7センチ、長さ最大5・4センチ、厚さ0・8センチ。
形状や、表面の磨かれ具合などから、すずりとみられるという。
2016年7〜8月の事務所建設に伴う発掘で見つかり、専門家に調査を依頼して判明した。
筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
弥生時代のすずりは、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)や中原遺跡(同県筑前町)など4遺跡で出土しているが、
その後の古墳時代前期(3世紀後半)のすずり出土は国内で初めてという。
比恵遺跡群は、弥生時代に奴国の拠点集落があったとされ、これまでも竪穴住居跡や小銅鐸(どうたく)などが見つかっている。
市の担当者は「奴国が、文字文化もある重要な場所だったことを示す史料になる」と話した。
- 182 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:21:21.66 ID:HWsQTky90.net
- また日本史の捏造がバレたな
- 183 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:23:13.96 ID:BDjDNvnW0.net
-
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
- 184 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:23:16.02 ID:O5TJtjII0.net
- >>1
やっぱりな
最初から邪馬台国は九州なんじゃないかと思ってたよ
- 185 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:23:21.22 ID:F4Orhp9c0.net
- 『隋書倭国伝』
「其の地勢は東高西下、邪靡堆に都す、則ち『魏志』に云うところの邪馬臺なり」(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)
『隋書』は「邪靡堆」(ヤミトゥイ)に都を置く、と音を表記し、『魏志』のいう「邪馬臺」(ヤマト)と同じだと解説している
これはもう結論が出てるんじゃないですかねえ
- 186 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:24:10.39 ID:nqoXDMr00.net
- ID:BDjDNvnW0
いつも邪馬台国関連のスレで煽りレスだけ書いてる荒らし
NG推奨
- 187 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:24:48.62 ID:w+48wsyS0.net
- >朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
これってネトウヨが発狂するとこ?ww
- 188 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:25:32.73 ID:BDjDNvnW0.net
- >>186
お前NGなw
- 189 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:26:11.43 ID:5/OesVsn0.net
- >>176
近畿か北九州かには関係なく
軍事的に統括したというよりも、卑弥呼の神通力で
人心を掌握しつつ、一大率をおいてにらみを
きかせていたんだろ
- 190 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:26:38.06 ID:nqoXDMr00.net
- 楽浪土器が出なくなった後の時代なら日本列島に文字が存在していた証拠になるけど
3世紀後半だとそう断言できず微妙だな
- 191 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:26:58.62 ID:BDjDNvnW0.net
- 卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
か
- 192 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:27:38.49 ID:BDjDNvnW0.net
- >>189
それがファンタジーってことなアホw
- 193 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:28:36.59 ID:2VHKb+D30.net
- >>185
あれに書かれてる倭国は大和じゃないぞ。
調べればすぐわかるが、
大和の冠位十二階とは異なる順番の位階を定めた国のことだよ。
- 194 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:31:15.07 ID:Q8mZKKe70.net
- 楽浪郡から伝わったて書かないと勘違いする人達がでるわね
- 195 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:35:23.58 ID:alT1GKVF0.net
- 六四支那天安門大虐殺事変
- 196 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:35:38.34 ID:0Oo6h8yy0.net
- >>117
海人の祖、阿曇族、胸形族が迎え撃ってたんじゃね
だからこそ奴国の金印が志賀から出てきたとか
- 197 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:37:17.42 ID:Wo1ZV0hX0.net
- 魏志倭人伝に倭人は文字を使わないと書いてあるのに必死だな
- 198 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:39:16.81 ID:nqoXDMr00.net
- 3世紀後半の博多中枢部で出土する土器は畿内系土器が過半数を超えるほど畿内勢の進出があったわけで
畿内系住人が使っていた可能性もゼロではないな
糸島での楽浪土器の出土は3世紀前半までなので、3世紀後半以降にも一大率を伊都国に置いたままというのは不自然
一大率を博多に移動してかもしれないという仮説にすぎないが
- 199 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:39:32.57 ID:2VHKb+D30.net
- >>197
>>119
- 200 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:40:15.82 ID:sY4xYOD50.net
- 何を根拠に邪馬台国畿内説なんていうのがある訳?
チョッと分からない。
- 201 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:42:34.73 ID:BDjDNvnW0.net
- >>196
志賀島〜海の中道は不弥国(宇美国)のこと。
今の福岡市東区辺り。
そして能古島が淤能碁呂島のこと。
オノコロ島→ノコロ島→ノコノ島
志賀島から淤能碁呂島と奴国(おそらく野方遺跡か吉武高木遺跡の辺り)を望みながら、
奴国に代わって重要な祭祀を行っていた。
だから金印があの位置から出土したわけな。
また海の中道と言うのは由来の良く分からない言葉だが、
「宇美の中道」のことだったわけね。
また恐らく「海」は「宇美」が起源で、博多湾のこと。
- 202 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:43:20.65 ID:kpwZpKfd0.net
- 独自の文字じゃなく漢文やろかな
- 203 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:43:40.68 ID:2VHKb+D30.net
- >>198
畿内系土器が多く出土するのは
政治的に畿内が影響力を及ぼしていたのでは
無くて、民間レベルでの流通だったと何かに書いてあった。
- 204 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:45:06.82 ID:BDjDNvnW0.net
- 宇美国の「うみ」が、海(うみ)の語源。
またワダツミは「幡多つ海」のことで、四国の高知西端の幡多=侏儒国が由来。
- 205 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:45:07.69 ID:sY4xYOD50.net
- 土器の数で支配が決まるのなら、
美濃焼きが60%を占める現代の日本は岐阜政権になる訳だが。
- 206 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:46:22.44 ID:BEv6z9jc0.net
- 広範な土器の斉一化とは、すなわち土器の作り手たちの斉一化でもある。
作り手たちの斉一化とは、共通のルーツをもつ労働者層の拡散である。
ルーツは彼らが作った土器の系譜を辿ればわかる。瀬戸内・畿内である。
つまり土器の斉一は、瀬戸内・畿内地域をルーツに持つ労働者層が、その地域を超えて大規模に取引の対象となったことを意味する。
この新しい労働力の大規模供給と取引システムの下、列島は古墳時代へと移行する。
古墳時代が瀬戸内・畿内から始まるというのは正しいのかもしれない。
また畿内の古墳が大型化するのも、労働力供給の「本場」であるなら当然かもしれない。
しかしそれゆえ、西方に拡散していく大量の労働者から見えてくるのが、九州王朝の存在なのである。
九州に供給された労働力は一部兵士となったが、多くは在地の生産に従事した。
九州はその分多くの人民を兵士に徴発することが可能となり、このことが半島南部進出への大きな足掛かりとなった。
- 207 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:46:45.73 ID:2VHKb+D30.net
- >>205
唐津焼のあった唐津は朝鮮領だな
- 208 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:48:01.20 ID:5/OesVsn0.net
- >>205
消滅したと思われていた飛騨古代王国が
今も生きているのかもしれないw
- 209 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:49:18.02 ID:hURey9+z0.net
- >>171,>>1
(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/n602AIw.jpg )
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
- 210 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:49:35.46 ID:BDjDNvnW0.net
- スクナビコナ=侏儒は、恐らく幡多=侏儒国に漂着したポリネシア人。
- 211 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:49:45.10 ID:nqoXDMr00.net
- >>200
・ヤマト王権の誕生は3世紀前半に遡ることが判明した
・3世紀中頃の博多はヤマト王権の傘下に入っていた
よって魏使が倭国の盟主と認識していた国とは日本列島の盟主の国つまり畿内ヤマトであるとすることの合理的
- 212 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:50:53.15 ID:L7ia8JBa0.net
- ただの小さな石の板だろ
硯かどうかなんて、わからんだろこんなもの
- 213 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:52:05.79 ID:sY4xYOD50.net
- ヤマト王権がが博多を支配していたと言う妄想はどこから来たの?
- 214 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:52:37.55 ID:BDjDNvnW0.net
- >>213
願望でしょうな。
- 215 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:52:58.54 ID:hURey9+z0.net
- >>193
大和じたいが、倭を和に代えて、大をつけただけだからな
- 216 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:54:37.17 ID:sY4xYOD50.net
- 大和王権が博多を支配していたのなら、
どうして魏志倭人伝には奴国が倭国の南端と書かれているのかな?
- 217 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:54:57.93 ID:iizNh2md0.net
- >>159
おっと、近畿地方の土着の日本人を土蜘蛛と呼んで虐殺した天皇家の悪口はそこまでだ。
- 218 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:56:34.96 ID:nqoXDMr00.net
- >>203
どこのトンデモ本を読んだのか知らないが、博多の首長層の祭祀も畿内系土器に変わる
前方後円墳のプロトタイプが造られ、三角縁神獣鏡が副葬される
4世紀以降もこの傾向は続き、3世紀との違いは量や範囲だけ
3世紀における畿内系土器の拡散を否定するのは、日本列島がヤマト王権によって統一されたという日本古代史の否定になるんだが
- 219 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:58:34.48 ID:RM9neuKw0.net
- >>218
いやお前のいってることがトンデモじゃん
ソース出してみろよ
- 220 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 01:59:14.94 ID:nqoXDMr00.net
- >>213
とっくに通説になってる
- 221 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:00:17.06 ID:Ac4btGuC0.net
- 3世紀ってのも微妙な時代だな
ローマや中国は、支配体制がグダグダになってた時代だろ
そんなときに、硯に向かいて、墨をシコシコしてたのか、我が日本は
- 222 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:01:14.67 ID:YWbaDwVg0.net
- 脳内通説w
もうソースゼロのデマだけしか拠り所の無い畿内説w
- 223 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:01:17.33 ID:W87JfvfK0.net
- >>1
スマン、それ俺が埋めたやつ
- 224 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:01:25.21 ID:nqoXDMr00.net
- >>213
訂正
支配ではない
傘下に入っているのが通説
- 225 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:01:43.52 ID:cNaHcRo50.net
- >>211
私が思うにこの手の邪馬台国論争の問題点は中央集権的統一国家成立以降の概念で語られていることだと思いますね(;^_^A・・・
皆さんご存知のとおり日本や朝鮮半島でその機運が高まり成立に向かったのは7世紀のことです。
聖徳太子(おそらく当時の日本国王)がその基礎を作ったもののすぐに滅ぼされ天武天皇が完成させました。(と言われています)
つまり、邪馬台国時代の日本は小さな集落国家が群生する日本地方に過ぎないのです。
そこに中央集権的な中心国家の存在を見出そうとするからおかしくなっているのですね(;^_^A・・・
当時の日本列島に強国が幾つか存在していたとして、それが日本の歴史上大きな意味を持つのかと言いますと全くそのようなことはないと思います。
それは日本側に何も資料が残されていないことからも明らかでしょう。
これは歴史を今日まで残すほどの勢力はその時代には存在しなかったという話なのですから。
by 鼎 梯仁(σ原理開祖・・・一次資料に乏しい日本の歴史にはあまり興味がございません)
- 226 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:02:40.29 ID:YWbaDwVg0.net
- >>214
正解
- 227 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:03:41.09 ID:nRyaNzwn0.net
- また本の宣伝しに来てる人いるのかな?
- 228 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:04:12.85 ID:yJs0UwLe0.net
- 現王家が外来の侵略者じゃ具合悪いからでしょうな
近畿説ってのは
- 229 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:05:57.76 ID:4ejZH9Xm0.net
- 三種の神器にヘブライ語が書いてあるよ
GHQが一番初めにやったのは三種の神器の裏と仁徳天皇陵の発掘
その後アメリカ以外の国は天皇の戦争責任を激しく追及したが
結果は戦争責任なしユダヤ失われた10支族の王だから
戦中もなぜか日本はユダヤだけは絶対に助ける
明治天皇「三種の神器の鏡の裏は絶対見ないように
歴史学者の三笠宮殿下が発表するみたいになったけど結局あいまいになった
- 230 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:06:13.83 ID:sY4xYOD50.net
- 魏志倭人伝を否定しないと、
奈良地方まで倭国を拡張できない。
魏志倭人伝の後に成立した後漢書東夷伝に書かれた
奴国に与えられた金印が那国から出土し、
ソレが本物である事が確定した今日を持って、
魏志倭人伝の邪馬台国は九州北部が確定している。
それとも、「次有奴國 此女王境界所盡(次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。)」
コレが読めないのに考古学なんてやっちゃってるぐらい、
脳が破壊されているのかな?
- 231 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:07:00.49 ID:BDjDNvnW0.net
- 高知西端には足摺岬と古代の灯台である唐人駄馬遺跡がある。
足摺岬は、黒潮がもっとも日本列島に近づく場所で、直接黒潮が海岸に乗り上げている場所。
ここから黒歯国、裸国へ行った。
黒歯国、裸国はハワイのこと。(=扶桑国でもある。)
(東日本震災の震災瓦礫が、ちょうど一年でハワイへ漂着している。またハワイ島は丁度周囲が四千里になる。)
黒歯とは黒い歯ではなく暗い歯の意味。
ハワイでは前歯を抜歯する風習があったから。
げつよういんてい山がキラウエアなどの火山のことだろう。
湯谷とは火山溶岩で温められた水が湧くところだろう。
ハワイにはそういう場所がある。
- 232 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:07:44.82 ID:nqoXDMr00.net
- >>219
古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究 佐々木憲一
久住猛雄の論文
纒向型前方後円墳の分布
王権誕生 寺沢薫
- 233 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:07:58.30 ID:ZNnTNy9B0.net
- やっぱり朝鮮半島から下ってきたのが弥生人だった
- 234 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:09:54.10 ID:uiVATUXc0.net
- >>222
これが噂のゴッドハンダー畿内ってやつか・・・
ソースの無い妄想をひたすら垂れ流すとか気味が悪いな
- 235 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:10:00.01 ID:cNaHcRo50.net
- >>228
しかし、そうだとして具合が悪いという世界観ももはや存在しないと思うんですよね(;^_^A・・・
何にとって具合が悪いのかと言えば、それはおそらく大日本帝国が行った国民国家成立のためのプロパガンダにとって都合が悪いのでしょうけど、
大日本帝国自体がすでに70年以上も前にアメリカ合衆国に滅ぼされていますからね。
ではなぜ過去の世界観が今日でも残照として残されているのかと申しますと、
これはもう言語文化の問題でしょう(;^_^A
大日本帝国が崩壊したからといって日本語の生活が即時崩壊するわけではございませんし、
とくに徹底した焚書なども行われず、またその時代の教育を受けた日本人もそのまま残されました。
ですので、大日本帝国が崩壊したからといって即時その世界観が崩壊しなかったわけです。
とはいえ「もはやどうでもいい話」であることは理解すべきですけどね(;^_^A
- 236 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:11:24.59 ID:vgfmkVNA0.net
- >>211
14世紀に一時的に九州に割拠していただけの懐良親王が日本国王として認識されている。
そんな事情があっても考古学的な証拠からは全く推測できないだろう。
まして当時の中国は戦乱の時代。
四国とかで金印が出てきてもおかしくないわ。
- 237 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:11:49.31 ID:4ejZH9Xm0.net
- 邪馬台国は大和王朝の支部みたいな所で沖縄付近にあったんだよ
地震で海底に沈んだ沖縄に海底遺跡があるから
- 238 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:12:45.28 ID:sY4xYOD50.net
- 奈良県の大和が朝貢したのが記録に残っていると思われるのは倭の五王からだろ?
これも確定はしていないが。
そもそも、日本の正史、日本書紀には朝貢の記述があったか?
- 239 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:16:27.08 ID:SR4Rtwhm0.net
- とても硯には見えない…。
研磨用というかサンドペーパー的なものじゃないか?
そもそも硯があれば文字や文字を書く道具も一緒に出るはず。
- 240 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:16:57.94 ID:HufC7wcl0.net
- 一応確認するけど、鉄もない絹もない文字もない畿内が都とかネタで言ってるんだよね?
- 241 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:17:54.36 ID:BDjDNvnW0.net
- 後漢書の
倭國之極南界也 光武賜以印綬
は、
「倭国の南界を極める也」と読む。
つまり、奴国の同盟国である幡多=侏儒国(幡多には小筑紫と言う地名がある。)
がハワイ=扶桑国へ行って帰って来た壮挙に対して金印を授けたもの。
これが我々が今見ている金印。
- 242 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:18:03.83 ID:nqoXDMr00.net
- >>216
奴国が倭国の南端と書かれているのは後漢書
>>230
傍国の奴国と戸数や行程が書かれている奴国が同じとは限らない
どちらかというと別の国とする見解の方が多いと思うが
金印云々は論理不明
文献の一部分をオレサマ解釈して結論を出してるだけなので問題外
- 243 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:20:09.03 ID:BDjDNvnW0.net
- 幡多つ海=ワダツミ=海神
なのは、これが理由。
扶桑国へ行って帰って来たと言うこと。
スクナビコナ=侏儒=幡多に漂着したポリネシア人
の助けを借りて。
- 244 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:20:36.01 ID:Z28f4JXo0.net
- 無茶苦茶言うなよ。
九州説は畿内の天皇家の祖先が朝貢する訳がないと言うのが出発点だぞ。
あと考古学の成果を認めないなら日本中どこでも可能性はある。
考古学を無視して九州とか近畿とか言ってる時点で説得力はない。
- 245 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:21:24.72 ID:BDjDNvnW0.net
- 扶桑国は古代中国人にとって憧れの地だからね。
倭人の壮挙は十分金印に値するものだったわけな。
- 246 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:21:40.58 ID:cNaHcRo50.net
- >>238
もちろんそこは歴史から抹消されたのでしょう(;^_^A・・・
中央集権的統一国家建設のためには都合が悪い黒歴史でしょうからね。
しかしそこではやはり語学の達人である聖徳太子の存在が非常に大きく、
大和朝廷の事実上の創始者とみなして良いかと思います。
聖徳太子は同時に7人の話を聞くことが出来たとの伝説がございますが、
これは沢山の言語に精通していたために通訳を介さずとも様々な地域、地方の人間と直接コミュニケーションを図ることが出来たということでしょう。
こうした人材無しに明治時代に至ってようやく標準語が整備された日本で中央集権的統一国家成立は無かったのだと思います(;^_^A
- 247 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:22:33.22 ID:4ejZH9Xm0.net
- >>235
GHQが三種の神器の裏と仁徳天皇陵の発掘してなかったらもっとひどいことになってたぞ
沖縄なんか返さないだろうし天皇もいないだろ
国を亡くしてはるか日本までやって来て国を作ったご先祖様に感謝だな
- 248 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:24:03.36 ID:2VHKb+D30.net
- >>218
いやw
過去スレであなたがアプした論文だけどw
- 249 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:24:06.73 ID:sY4xYOD50.net
- >>242
やっぱ魏志倭人伝の、
「次有奴國 此女王境界所盡(次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。)」
が読めないヤツだったか。
- 250 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:26:25.16 ID:sY4xYOD50.net
- 稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣、
江田船山古墳出土の銀錯銘大刀、
考古学上の事実から、およそ5〜6世紀に東西に大和政権が拡張したと考えるのが妥当だろう。
これを中国の史書の倭の五王と比定するのが当たり前だろう?
- 251 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:26:46.02 ID:cNaHcRo50.net
- このスレの皆さんによくご理解頂きたいのは昭和初期くらいまでの日本では、
青森の人間と鹿児島の人間は標準語の教育を受けた者同士でしか言葉が通じなかったのです(;^_^A・・・
また教師を志す地方の人間が「標準語のネイティブな発音」を学ぶには「東京へ留学」する必要がございました。
- 252 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:27:26.72 ID:BDjDNvnW0.net
- 卑弥呼ですら金印は仮綬されたもの(与えられたでは無くて、返さなくてはならないもの)。
しかし、奴国王には金印が「与えられた」。
これがなぜか分かったろ?
この時代、扶桑国へ行って帰ってくるのは月へ行って帰って来るようなものだから。
(スクナビコナ=侏儒=幡多に漂着したポリネシア人になら出来たわけだが。)
- 253 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:28:42.00 ID:3MAcRvX70.net
- >>233
遺伝子で見ると、Y染色体O1b2系統が大陸から日本列島と朝鮮半島にそれぞれ別れて移動して、更に日本列島の
集団か分岐して朝鮮半島に移動しているのが多い。逆は少ない。
- 254 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:29:51.41 ID:jqQD8FWk0.net
- 一方、畿内での弥生時代・古墳時代のすずり出土なし
- 255 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:30:21.33 ID:nqoXDMr00.net
- >>249
だ・か・ら、それは傍国の奴国でしょ
- 256 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:31:43.92 ID:EA734OPQ0.net
- >>243
ポリネシア人の人骨など発見されておらぬでしょう
別に何人だって良いでしょう
縄文人だって伊豆半島から神津島まで黒曜石目的で往復していた
例えば中国江南からやって来た人間なら九州から四国へ渡ることなど容易いこと
- 257 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:32:04.32 ID:UW6MtM3K0.net
- ちゃんと練習してたら硯なんかすぐ磨り減ってなくなるのにな
サボリ魔だったんだろうな持主は
- 258 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:32:21.83 ID:yJs0UwLe0.net
- 文字じゃなくて絵かいたとか刺青用とかの可能性は
- 259 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:32:35.12 ID:nqoXDMr00.net
- >>236
楽浪郡や帯方郡との交流品である中国鏡は3世紀以降畿内中心に分布する
一方、九州勢はまったく入手できなくなる
国産鏡を代用して副葬してる状況は中国鏡を入手できなくなった苦しい状況を示している
博多に畿内系住人が多数いたのに魏使が当時の最大勢力であった畿内ヤマトを認識してなかったと考える方が非現実的な話
懐良親王という例外的な事例を持ち出してくるより蓋然性の高い
- 260 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:34:19.58 ID:1IUFNk3X0.net
- >>72
そのころから歴史学会にもチョンがいたってことか。
- 261 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:35:02.61 ID:BDjDNvnW0.net
- >>256
は?バカ?
w
- 262 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:35:05.59 ID:nqoXDMr00.net
- >>250
4世紀の前方後円墳と5世紀の前方後円墳は別々の勢力が造ったとでも言いたいのかよ
アホらしい
- 263 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:35:30.01 ID:mpvqX3YZ0.net
- >>244
>>1の通り、考古学的には九州しかあり得ないんだよな
鉄も出ない、絹も出ない、硯も出ない畿内とか100パー無理
- 264 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:35:44.25 ID:BDjDNvnW0.net
- >>256
お前スクナビコナの骨が残ってると思ってたのか?
w
- 265 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:36:14.48 ID:sY4xYOD50.net
- >>255
オマエの妄想はどうでもいい。
後から書かれた後漢書に倭国の端は奴国と書かれている以上、
先に書かれた魏志倭人伝の奴国が、倭国の端は確定している。
コレが理解できないのは脳が破壊されているからに他ならない。
脳が破壊されている為に、様々な考古学的事実を、
時系列に沿って組み立てる事ができないアホな事を、
自ら曝け出しているだけなのに、アホ故にそれに気がつけない、
かわいそうな人間、ソレが畿内説なのだ。
一言で言えば、畿内説はキンキー。
- 266 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:36:44.33 ID:3MAcRvX70.net
- >>240
>文字もない畿内
三重県は近畿になるが、弥生時代の土器に書かれたり刻まれたりしたものが出土しているぞ。
- 267 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:38:43.62 ID:BFFCejel0.net
- >>266
文字のあった九州で焼いたんだろw
こないだ壱岐の原の辻遺跡でも出てるしな
- 268 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:38:53.38 ID:Nur8a/ET0.net
- 邪馬台国が魏に朝貢してたんだから一部の上級役人が
読み書きで来てたのは当たり前だわな
この頃の木簡でも出てくればなぁ
- 269 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:39:55.98 ID:BDjDNvnW0.net
- >>265
そんなこと書かれて無いw
- 270 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:40:07.29 ID:sY4xYOD50.net
- 倭の五王の朝貢が413年。
もし仮にコレが大和の朝貢だとすれば、
ようやくこの時代に九州北部に支配権を確立した事になる。
これが大和王権の国際デビューと言えるだろう。
アホのキンキーには分からんかも知れんがな。
- 271 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:41:27.69 ID:BDjDNvnW0.net
- 金印ってのは奴国の同盟国である幡多がポリネシア人の助けを借りて扶桑国へ行って帰って来た壮挙に対して
与えられたもの。
- 272 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:41:56.89 ID:1IUFNk3X0.net
- 当時は中国大陸に文明の最先端があったんだから、
海上ルートで直接交流できる福岡あたりが玄関ぐちなのは当たり前。
しかし、福岡ではなく奈良に権力の中枢があったのが興味深いところ。
- 273 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:42:27.31 ID:sY4xYOD50.net
- キンキーは魏志倭人伝の記述すら否定して、
邪馬台国畿内説を唱えるキンキーなのである。
- 274 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:42:43.35 ID:hURey9+z0.net
- >>246
聖徳太子www
- 275 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:42:43.98 ID:0bUb3LcB0.net
- >>130で結論出てるじゃん
邪馬台国のころの倭国は九州で、隋の時代には畿内だった
九州で文字使用の形跡が見つかった以上、これ以外の結論はあり得ない
- 276 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:42:48.50 ID:9HKMD/Gx0.net
- >>49そういう説があるの!?超面白いやん
日ユ同祖論みたいなこじつけオカルト好き
でも当時の中国が日本のこと知らなかったって庶民じゃなくて政治家が知らなかったってことなんだよね?
えー面白い
- 277 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:42:56.24 ID:B8BAiX+m0.net
- 邪馬台国と大和日本は別だったという話だな
- 278 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:43:43.47 ID:3MAcRvX70.net
- >>267
先日壱岐で出てきた「周」の字が刻まれたものは、形状から遼東の土器とみられるものだぞ。
当該の三重の土器が九州製なら、漢字がどうこう以前に土器の形状からそう指摘されている。
- 279 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:44:58.21 ID:yJs0UwLe0.net
- 東征で移動した・・・だけにしか見えん
- 280 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:45:09.63 ID:2VHKb+D30.net
- >>259
鏡の伝世の仮説は科学的に否定されている。
それに畿内で出土するのは4世紀以降に作られた国産鏡。
九州では、3世紀になると中国の鏡に
匹敵する良品を自前で作っている。
工業力も圧倒的に畿内に優っていた。
- 281 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:45:57.40 ID:B8BAiX+m0.net
- >>280
九州凄いな
随分衰退したけど
- 282 :名無しさん@1周年:2018/02/18(日) 02:45:59.81 ID:nqoXDMr00.net
- >>265
後から書かれた後漢書に後漢時代の認識として倭国の端は奴国と書かれていたから
その認識は魏の時代も同じとか妄想全開のアホ
そもそもヤマト王権は3世紀になってできた政治連合だ
本格的な九州進出も3世紀になってからだ
後漢時代に認識されてなくて何の問題もない
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