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【和歌山】太地町、「鯨つながり」でフェローと姉妹都市提携、今週末にも締結へ 反捕鯨団体妨害に連携

383 :税金泥棒(石巻復興を騙って23億円ブッコ抜く):2018/01/17(水) 07:25:48.09 ID:zUf4wVXF0.net
>>381
海賊捕鯨船としてはシエラ号の姉妹船に当たるトンナ号はもっと考えられないような運命を辿った。 
シエラのスリップウェイが狭いので、その持ち主は北大西洋に生息する巨大なナガス鯨に対処できる更に大きな船を取得していた。 
即ち日本の元底引き船である春陽丸は林兼造船で母船/キャッチャー兼用船に改造された。 
林兼は大洋漁業の子会社であり、この船はもともとこの造船所で建造されたのであった。
トンナと改名され蘭領アンチル諸島の旗を掲げたこの大洋漁業の新しい海賊船は、最初のならずもの航海を1978年4月に西アフリカ海岸で開始した。
ここでこの船はシエラ号の凶暴な銛の為の母船役として働いた。 たった42日間で102頭のイワシ鯨を殺し、トンナは432トンの冷凍肉で一杯となった。 
この2隻の船は荷卸と補給の為カナリー諸島のラスパルマスに向かった。 ここでトンナの舳先にはノルウェイ製の威力のある捕鯨砲が据えつけられた。
シエラが修理の為港に留まっている間、トンナはスペイン・ポルトガル西海域にナガス鯨を求めて出航した。 
一月も経たぬ内にシロナガスに次いで2番目に大きいナガス鯨38頭が殺され後部甲板で解体された。 
7月22日までに冷凍倉庫は450トンの肉で満載となりトンナは船足も深くカナリー諸島に向かった。
トンナの船長、クリストフ ベステルヘイムという名前のベテランのノルウェイの鯨獲りは欲の深い男であった。 
彼とその士官達は鯨肉1トン当たり2.5ドルのボーナスが支給されていた。 
船の真っ直ぐ前方に巨大なナガス鯨が現れた時、彼らはここで更に余分の金を稼ぐ事に決定した。
その鯨は銛を打たれ船の船尾に引き寄せられた。 
そこでは大型のウィンチが70トンはあろうかという66フィートの獲物をスリップウェイによってゆっくり巻き上げた。
その日ポルトガルから200マイルの海域では海は静かであった。 ところが午後のスコールが西から吹き始め、船を揺らした。
風と波がトンナを打つにつれ、鈍く光る死んだ鯨は甲板の左舷に滑り寄り、このため船は激しく傾いた。 改造船は姿勢を元に戻す事ができなかった。 
波は甲板を洗い、開口部やハッチに流れ込んだ。 海水はエンジンルームに滝のように流れ込み、配電盤はショートし、嫌なにおいの煙が通路に流れ込んだ。
トンナの乗組員は船を傾ける鯨を解き放つべく絶望的な試みを行なった。 然し電動ウィンチは凍り付いており、鯨を巻き上げるケーブルは素早く切断するには太過ぎた。
ベステルヘイム船長は鯨を切断して舷側から投げ捨てるよう大声で命じた。 三人の日本人解体者達は狂気のように大きなクジラの切断を始めた。
この上も無い皮肉な光景の中で、トンナは銛を打たれたクジラのようにもがいた。
波は容赦なく海賊捕鯨船を呑み込もうとしていた。 7時40分に、トンナの無線ラジオは危機信号を発信した。 
主として南アフリカ人たちで占められる42人の乗組員は3隻の救命ボートに乗り移った。
然し、ヘルマン・メルビルの小説から書き写したように、ベステルヘイム船長は船と共に沈む事を決意した。 
多分、この状況からの屈辱感からであろうか、彼はトンナ号が船尾から沈んでいく時、ブリッジから乗組員達に手を振っていた。 
そしてもう一頭のモビー・ディックによって海底へ引き込まれて行ったのである。
その夜、総ての乗組員は無事に通りかかったギリシャの貨物船に救助された。 
降り立ったマデイラ港の当局者の質疑で、乗組員は口を揃えて彼等が「日本人の為に」捕鯨していたと語った。 
3人の解体専門員、シンカワ・イサム、サイトウ・テツヒデ、シバタ・マサキチはいずれも元は大洋漁業の捕鯨船で働いていたのであった。

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