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【話題】坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実では★2

1 :ハンバーグタイカレー ★:2018/01/11(木) 09:48:23.56 ID:CAP_USER9.net
http://www.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html

 高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれない――。昨年11月に歴史教育の専門家らが示した用語の精選案について、「声」欄に賛否の意見が多数寄せられました。史料を基に龍馬や吉田松陰らの実像に迫った「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の著者、一坂太郎・萩博物館特別学芸員はこれをどう見るか、話を伺いました。

――龍馬は教科書に必要だ、という意見が多かったです。

 今の教科書で龍馬がどう書かれているかというと、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する「大政奉還」のところで出てきます。龍馬と土佐藩重役の後藤象二郎が、藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。しかし、ここに龍馬を入れるのは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた文書「船中八策」は、後世に創作されたとの説が有力です。龍馬が提唱したことを示す証拠は出ていません。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いていますが、当時の知識人たちが他に何人も言っている内容で、これも新政府に影響を及ぼしたという証言が見つかっていません。

――薩長同盟はどうですか。薩摩藩と長州藩が軍事同盟を結ぶ際に「龍馬らが仲介した」と教科書に出てきます。

 薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。例えば、薩摩藩から頼まれて「幕府が2回目の長州征伐の命令を出しても薩摩は動かない」という文書を長州藩に届けている。しかし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではありません。

――長州が薩摩名義で武器を購入した史実は? 「竜馬がゆく」では龍馬が発案、仲介して両者の軍事同盟のきっかけをつくったと。

 発案は違います。長州の木戸孝允の回想録に「薩摩の名義で武器を買わせてくれと龍馬に言った」とある。木戸がお願いしますねと言ったと。龍馬はわかったと引き受けたが、何の返事もないので木戸がいらいらして、見切り発車みたいな形で伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を長崎に送り込む。ここは史料で確認できる。伊藤、井上の木戸への報告の中にも、薩摩が合意したとはあるが、龍馬は出てきません。

――龍馬が仲介しているなら、名前が出てきてもよさそうですね。

 そうです。薩摩の要人が「ああ龍馬から聞いている」というような話にならないとおかしいのに、初めて聞くような言いぶりなのです。龍馬が仲介していたという史料は出てこない。

 先ほどの、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸がそっぽを向いていたのを龍馬が飛び込んできて手を結ばせたという話は、「維新土佐勤王史」という大正元年に出た本に出てきます。物語半分、史料半分みたいな本ですが、明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺たちはこんなに頑張ったのに、ないがしろにするのは何事かとアピールするために書いた側面が強い。その意味でこのエピソードは都合がいいのですが、史料を読む限り、物語のような展開で歴史が動いたとは考えがたい。維新直後に出版された志士100人列伝のような本に、龍馬は出てこない。当時は幕末の志士として誰も龍馬を思い出さなかったのです。

――龍馬の功績は、判然としていないと。

 判然としている分だけでは、教…

残り:2009文字/全文:3330文字
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180109003264_comm.jpg

前スレhttp://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515536020/

962 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:06:58.07 ID:I75KLHTK0.net
たとえば薩長同盟の影の立役者を学校の教育で習わなくても
単に薩長同盟締結で倒幕の勢いが増したことだけ習っていれば問題ないからね
そういうのは各県の副読本とかでトリビア的に教えてればいいんだわ

歴史的事象の影の立役者とかって話なら多分他にもいろいろとあったはずだからね

963 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:09:16.22 ID:eFmC/7k40.net
>>961
他の教科では世俗の知識が排除されていても児童生徒は有名人の名前や商品名や概念なんかを教員以上に知ってたりする
歴史小説の登場人物も同様の扱いで困ることはないだろう

964 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:11:56.30 ID:pfqnW1n70.net
>>963
たとえば忠臣蔵とか赤穂浪士とかはもう児童や若者は知らないでしょ
教科書から排除されて50年も経てば坂本龍馬?新撰組?誰それみたいな扱いになってるよ

965 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:35:22.52 ID:uQCZf1N50.net
>>961
むしろ載ってなきゃ嫌だという連中は大抵人気創作ものからの肩入れがほとんとだからな
そこに対立煽りをしてばかりの幕府信者や時代錯誤の子孫が乗っかったりする
このスレ見ても龍馬も幕府側が利用したがっているのが丸見えなんだよね
こういうのが強いやつは一旦教科書からは消した方がいい
馬鹿な大人の頭を冷やすためにも

966 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:42:07.41 ID:RrLH8smf0.net
武田鉄矢の自己満足w

967 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:46:23.36 ID:oQMqQjaE0.net
みなさんは高山彦九郎を知っていますか?
18世紀尊皇を説いて回り吉田松陰の号の元にもなった人です。
戦前は教科書に載っていましたが戦後は削られ知名度は大幅に下がりました。
教科書に載らなくなるというのはかくも影響が大きいのです。

968 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:47:45.03 ID:1qkicIZu0.net
>>782
それ言い出したら
聖人君子しかお札に成れない

969 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:50:06.81 ID:ueb3I7Wi0.net
今の子は戦前に大ヒーローだった楠公すら知らない

970 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:51:06.71 ID:ueb3I7Wi0.net
救国のヒーロー児玉源太郎なんか誰それ?の世界だろう。

971 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:53:21.78 ID:pfqnW1n70.net
児玉源太郎はすでに教科書に載ってないから知名度ないよね
楠公は名前だけは知ってた

972 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:54:51.47 ID:XLI1ijpE0.net
>>1
こいつ何も成し遂げてなくない?

973 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:55:24.59 ID:+x3KorAG0.net
>>969
後醍醐天皇のキャラ立ちが良すぎてかすんでるんじゃね?

974 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 12:58:43.24 ID:ueb3I7Wi0.net
まあゴダイゴがあやかるくらいですしw

975 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 13:02:29.32 ID:3wcVGcWC0.net
竜馬って教科書にのってたんだw
別にいいだろ、消えても
物語でたくさん出てきて、みんなそこで覚えるんだから

976 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 13:10:13.23 ID:ySoGNlAL0.net
日本の歴史的人物の抹消、

という歴史捏造屋の手口ですよ。
聖徳太子も危なかった。

外国は、日本の様な真面目な態度では有りません。

嘘を是認する国民と、嘘を創り、宣伝する政府。
こんなんばっかりだから、この手の宣伝には、要注意。

最近、この手の宣伝が増えて居ますが、嘘ばっかり。

977 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 13:57:28.24 ID:5grXN6b70.net
龍馬は出さなくても歴史の流れは説明できる
裏方で動いてたone of themでしかない存在

978 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 13:59:50.11 ID:kWnMxuG+0.net
>>967
だめだなぁ。
知名度が下がったころに小説を出してブームを起こす
これくらいの発想がないと

979 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 14:41:17.04 ID:2X1L12gp0.net
>>976
そもそも坂本竜馬は教科書に載ってなかったのが小説で人気になったから入れちゃったんだよ

歴史学者で日本史を専門とする東京大学教授の本郷和人氏に見解を聞いた。
〈坂本龍馬について〉
「僕が勉強していた頃の教科書には坂本龍馬は載っていなかった。
司馬遼太郎さんの小説で坂本龍馬の人気が上がってきたので、『それじゃあ教科書にも載せようか』とむしろ小説が先行した。
大スターとされているが、ある歴史研究者に言わせると坂本龍馬は西郷隆盛の"パシリ"だとする見方もある。
歴史学としては西郷隆盛が載っていれば坂本龍馬は必要ないということでは」

980 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 14:46:31.92 ID:UeIMTJBi0.net
宮本武蔵「教科書に載らないと忘れられるとか甘え」

981 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 15:29:59.27 ID:WFARH5ac0.net
>>967
京都の三条で土下座している人だよね?

982 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 15:35:20.72 ID:Xg6JPOH00.net
正直過大評価しすぎではあるよな
業績的に薩長のほうが行動で示したし。
龍馬、新選組も司馬小説で人気が出た。

983 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 15:41:51.75 ID:1ny0OMQN0.net
薩長史観のせいで日本の近代史がとてもわかりにくくなってる

984 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 15:45:56.36 ID:GBZg80oD0.net
>>946
>薩摩にとって長州は憎い敵ではあるんだけど

この二藩はどうして中が悪かったんだ、簡単に教えてくれ

985 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 15:56:27.89 ID:eiv8goKm0.net
薩摩藩単独でも可能なだったろうけど
長州藩だけではとても無理だったと思う

986 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:10:32.62 ID:qOCitod50.net
それは長州藩幹部の出自が三河だからだろ
山口の萩の由来が三河の萩に由来する事は、萩の地元の奴らが言っている



徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか

家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった

明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り


実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな

http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた


三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)

大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司

藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、

987 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:17:33.83 ID:qOCitod50.net
要は、想像している以上に偉大なのが三河の源頼朝だわな
三河国萩郷の隣接地にあるのが宮道郷なんだが

長州藩の蜷川氏にしても、元をただせば三河繋がりで源頼朝に仕えた宮道さん
武士の世界では三河の源頼朝との縁が全てに優先したわけだ


蜷川氏

元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する


宮道氏

饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の三河県豊川市)と推定される。


宮道天神社(三河県豊川市)

源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納

988 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:22:54.65 ID:C5fb1CO20.net
龍馬とか銀時とかは有名だから残しとけ うっとうしいのは普通の人が一生名前聞くこともないやつとか、ドーリットル爆撃隊の使用していた爆撃機の機種とかの枝葉末節

989 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:26:02.92 ID:S1EZ0CsZ0.net
教科書に入らない
そんなこと言ったら他にも山ほど入れなきゃならなくなる

990 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:27:23.00 ID:S1EZ0CsZ0.net
教科書に入らない →教科書にはいらない

991 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:27:31.61 ID:+M+OlWP40.net
>>874
だって戦下手じゃん。昔っから。
軍政歩いたわけでもなにのに軍人としては有能ではないよね。
戦功で言えば黒木大将とかの方が遥かに上なのに自決したってだけで持ち上げられすぎだよね。
司馬遼太郎の肩を持つ訳じゃないけど。

992 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:27:35.09 ID:qOCitod50.net
三河の源頼朝との関係で一番なのが三河の足利氏だわな
足利氏のプライドの源泉は源氏ではなく、この三河の藤姓熱田大宮司家との関係だったわけよ


京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない


三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)          ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む

993 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:37:11.90 ID:oUndNblT0.net
坂本龍馬が好きな人は

実際に存在した「龍馬」よりも、司馬遼太郎の描いた「竜馬」が好きなのでは。
歴史教科書には「坂本龍馬」だけれど、司馬遼太郎の作品は「(坂本)竜馬がゆく」
これは明確に区別する必要があるでしょう。

世界初の総合商社・亀山社中を作ったことは歴史教科書に載せていい。

994 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:46:00.95 ID:6K5rfnRy0.net
ユダヤ商人の下請けの武器密売人

995 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:50:36.80 ID:MDsBA+cX0.net
>>991
「一将功なりて万骨枯る」ことがよくある世界で、戦勝将軍でありながら自らの不明を羞じて自決し
皇国の礎をより強いモノにしたんだよ。

まあそれも、敗戦によってすべて吹き飛んでしまったけどな。

996 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 16:50:51.62 ID:NNhtmVSs0.net
龍馬よりムーミン載せろ

997 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 20:45:49.86 ID:cqFSq3xd0.net
どっちでもいい。

998 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 21:40:26.62 ID:pfqnW1n70.net
>>995
殉死したことが前近代的とされて
当時から評価下げてたよね

999 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:02:12.24 ID:0UBs2Lp20.net
>>991
乃木を一番くさしまくったのが司馬だぞ

1000 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:08:09.73 ID:6208vwET0.net
司馬遼太郎読んでない奴は名前しか知らないんだよな。学校でも明治維新教える前に終わるし。

1001 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:18:09.94 ID:8P1kyzk40.net
坂本龍馬を知らないと幕末への興味は薄れると思うけどなあ。
現代に近くなればなるほど詳しくあるべきじゃないの?

1002 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:21:21.62 ID:cqFSq3xd0.net
武田鉄矢のせいで坂本龍馬が嫌いになった。

1003 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:25:07.83 ID:Mfh5YCD60.net
坂本龍馬に関しては正当な評価が少ない気がする
過大か過小かしかない感じ

1004 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:27:18.90 ID:0V+QwIke0.net
>>1001
幕末好きの俺から言わせれば、坂本龍馬への「奇妙な持ち上げ」によって、
幕末史が捻じ曲げられている感、半端ない。

本末転倒、と言うか、本来評価されるべき人が評価されず、脇役が全て成し遂げた、
と言うような勢い。

それに対して、ファンが怖いからと、何も発言しない歴史家たち。
歴史家としての矜持はなくなったのか?とずっと思ってきたから、今回の決断は評価したい。

1005 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:28:08.38 ID:8WEgbH0/0.net
乃木は無意味な肉弾突撃をくり返し、日本兵を8万人も犬死させたクズ。
長州閥が乃木を神格化したことで日本陸軍はどんどん腐っていった。
日本にとってまさに疫病神。

1006 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:36:44.53 ID:cqFSq3xd0.net
武田鉄矢の自己満足に過ぎない。

1007 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:39:07.56 ID:cqFSq3xd0.net
家康、信長、秀吉で良い。

1008 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:41:33.01 ID:cqFSq3xd0.net
梅よか。

1009 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:43:27.88 ID:cqFSq3xd0.net
1000ならハンバーグタイカレー記者さっさと死ね!!

1010 :名無しさん@1周年:2018/01/14(日) 22:45:22.63 ID:cqFSq3xd0.net
おやすみw

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