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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

1 :泥ン ★:2017/12/09(土) 17:13:37.52 ID:CAP_USER9.net
2009年に大型建物跡が発見された際に柱跡に建てられた目印。
今回の丸太のイメージだ=奈良県桜井市の纒向遺跡で2009年11月10日、貝塚太一撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010051000p/9.jpg
現在の大型建物跡。それと分かる目印は何もない=奈良県桜井市辻で2017年12月6日、山本和良撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010052000p/9.jpg

 女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地の一つとされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡(国史跡)で、「卑弥呼の宮殿跡」と注目された大型建物跡などの建物遺構について、市は位置が分かるように丸太を設置することを決め、インターネットで寄付を募るクラウドファンディングによる資金集めを始めた。事業費の4分の3に相当する900万円を目標に、来年2月末まで協力を呼び掛ける。【山本和良】

 纒向遺跡は、3世紀代を中心に営まれた大規模集落遺跡で東西約2キロ、南北約1・5キロの範囲に及ぶ。2009年に見つかった大型建物跡は3世紀前半のものとみられ、同時期のものとして国内最大規模。前方後円墳の箸墓(はしはか)古墳は卑弥呼の墓の説もある。

 周辺は、他にも弥生時代末期〜古墳時代初めの古墳など貴重な史跡が豊富で、年間を通じて考古学ファンら多くの見学者が訪れる。しかし、纒向遺跡を紹介する施設はなく、大型建物跡に至っては埋め戻されている。このため、「様子が分かるようにしてほしい」などと訴える声が盛んに市に寄せられていた。

 そこで市は、今年度中に大型建物跡などの柱の跡に、目印になる杉の丸太(直径15〜32センチ、地表の高さ1メートル)を設置することを決めた。木材は、桜井木材協同組合の協力で無償で提供してもらえるが、全部で65本を設置する費用などに約1200万円が必要。文化財関連の財源確保に頭を悩ませる市は、ネットのふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」を活用することにした。寄付はふるさと納税制度の対象となり、税控除が受けられる。

 協力者には、市纒向学研究センターが発行する機関紙「纒向考古学通信」を3年間送付し、遺跡の調査や保存整備の状況などを随時知らせる。

 市教委総務課は「建物の柱を目に見えるようにすることで、古代史最大の謎解きを体感してもらいたい」としている。

毎日新聞 2017年12月8日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171208/ddl/k29/040/544000c?inb=ra

796 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:00:53.30 ID:8wIHTyet0.net
>>794
弥生時代に、九州の民が畿内に入植した痕跡はない。

九州と畿内は全く風習が違う。

797 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:08:24.19 ID:c4qUtqSR0.net
物部、ニギハヤヒは出雲の系列だろ

798 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:09:12.77 ID:O8Pbsbf90.net
伊都の読みはイツだし、
いとしまとはカンケーないし。

799 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:14:31.98 ID:KsqbHSZg0.net
>>790
ゴッドハンドしても無駄無駄
九州にも丹はある
逆に九州に山ほど出土する金製品などの大陸系遺物は畿内では一切出土しない


482 :名無しさん@1周年 :2017/12/05(火) 21:24:40.13 ID:s8pq7koV0
>>449
水銀も別に九州説を否定するようなものじゃないけどな
砂金のように川から取っていれば採掘跡は残らんし、九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301923635-1
>神崎町から南西50Kmの嬉野温泉の近くに虚空蔵山がある。この山を源として流れる丹生川は、嬉野町を通り嬉野川、
>塩田町で塩田川となり、有明海に流れ込んでいる。この川筋に7社の丹生神社がある。
>虚空蔵山の長崎県側の山麓には、波佐見水銀鉱山がある。丹生川は丹砂に関係ある川であった。
>
>私はマレーシアの第三の都市イポーを訪れた事がある。イポーの空港に飛行機が着陸する時、眼下に青色した
>小さな池を沢山見た。これらの池は錫鉱石を採掘した跡だそうだ。イポーは錫の産地として有名で、山には錫鉱山が存在するが、
>平地にも、河川が運んだ錫鉱石(錫石)が堆積した所があり、それを採掘している。
>丹砂の比重は約8で岩石の2.5倍重い、錫石と同様に河川に流された丹砂は集中して堆積する。
>古代においては丹砂の鉱脈を山中で探すより、河川で丹砂を採取する方が簡単だったと思われる。
>丹生川は丹砂が採取出来た河川の事であろう。
>
>景初3年に邪馬台国の女王卑弥呼が、魏に献上した丹(朱・丹砂)は、伊都国の丹生川(嬉野町)で採取したものと考える。
>末盧国(唐津)から伊都国(吉野ヶ里)に至る陸行の途中、佐賀県多久市の辺りから南西30キロメートルに
>丹の取れる虚空蔵山がある。魏志倭人伝の「その山には丹あり」の文章のままである。
>
>近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。
>イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。
>中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値(+8〜+20)を示すが、日本の水銀鉱山
>(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。
>虚空蔵山の長崎県側にある波佐見水銀鉱山は、日本では珍しいプラス(+22)の値である。
>出雲および福岡の弥生遺跡の朱の値にはプラス(+5〜15)の値を示すものがあり、中国からもたらされた朱と考えられているが、
>波佐見水銀鉱系の朱である可能性を残している。今後より多くのデータが蓄積されれば明らかになるだろう。

800 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:16:28.50 ID:TE2BhbnG0.net
>>796
当時の畿内の風習なんて記録残ってないだろ
適当なこと言うなよ
九州の土器が極端に少ないのは九州からの移民は支配者階級で
自分で泥をこねて土器を焼いたりはしなかったせいだよ

801 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:46.95 ID:8wIHTyet0.net
>>800

遺跡や墓にも風習の跡はあるが?

802 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:58.20 ID:kO1K7mKz0.net
>>677
もしかして、漢文はかならずSVOになると思っているの?
「其余旁国遠絶不可得詳」はなんて書き下すのかな?

803 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:20:34.88 ID:TE2BhbnG0.net
>>767
北九州が畿内に支配されてたなら何で金銀財宝は北九州が独占して
畿内は鉄すらろくに手に入らなかったんですかねぇw

畿内説は完全に破綻してるのに無理矢理取り繕おうとするから無茶苦茶

804 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:21:04.06 ID:TE2BhbnG0.net
>>801
例えば?

805 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:54:27.40 ID:8wIHTyet0.net
>>772
枕詞は面白いね。

難波は、押し照るや。
天照国照の地にぴったり。

なにわのニワは、庭だったかもしれないね。

806 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:01:30.30 ID:8wIHTyet0.net
天照国照饒速日命

海と大地の民を結んだ王。

倭国王に相応しい称号。

807 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:13:18.32 ID:cpRTNEVE0.net
やっぱりこの辺りが本物なんだろうね

808 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:15:42.46 ID:0Er6OWdt0.net
>>795
別倭や黒歯国などはですから女王國東渡海千餘里
別倭や黒歯国などは含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

809 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:16:41.46 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国は奈良にあったと考えている古代史オンチはネット募金に金を出せよ。
俺は邪馬台国九州論者だから一円も出す気は無い。

810 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:17:36.89 ID:0Er6OWdt0.net
訂正
>>795
別倭や黒歯国などは女王國東渡海千餘里ですから含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

811 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:21:15.93 ID:0Er6OWdt0.net
>>772
「あおによし」という枕詞は平城京建設(710年)以前に使用された例があり、「奈良の都」とは無関係にそれ以前に成立していたんだよ。

久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎(くやしかも かくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを)万5-797

812 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:25:06.22 ID:0Er6OWdt0.net
>>805
天平5年(733年)神社老麻呂が草香山を超えた時に作った次の歌は、上町台の「難波」が難波の枕詞「押し照る」から700年頃に人為的に名づけられたことを窺わせている。

直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思裳「ただこえの このみちにして おしてるや なにはのうみと なづけけらしも
(真っ直ぐに“草香山を”越えて来るこの道から見ると“夕日に大阪湾一面が”照れされ輝いている なるほどこれを見て難波の海と“30年前に”名付けたのだなあ)」
(万6-977)

813 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:27:59.85 ID:8wIHTyet0.net
 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇

814 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:29:13.80 ID:0Er6OWdt0.net
>>799
>九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

全て大陸産と考えられていた九州の遺跡がら沢山出土している水銀朱が九州産の物も含まれてたってことですね。

815 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:30:37.44 ID:0Er6OWdt0.net
>>813
仁徳天皇等を大阪に持って来る為に小細工をしたんですね。

816 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:35:15.14 ID:kO1K7mKz0.net
>>808
書き下しなんだから「不可」はないだろw
誤魔化すなよw

817 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:36:34.75 ID:0Er6OWdt0.net
仁徳天皇は大阪付近には居なかったんですよ、別の場所に居たのを大阪付近居たように地名を移設したんですよ
仁徳紀に記された「難波の堀江」は、人工的に建設されたものとされるが、上町台地の北端、現在の大阪城の北の水路は自然に形成されたもので、弥生時代には存在していたことが確認されており、人工的に掘削されたものではないんですよ。

818 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:16.36 ID:0Er6OWdt0.net
>>816
では
その余の旁国は遠く絶していて詳を得ることができない。

819 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:46.59 ID:kO1K7mKz0.net
>>818
書き下しって知らないの?
それは意訳だぞw

820 ::2017/12/11(月) 22:42:36.72 ID:DKWr7EIF0.net
>>817
奥さんが怖いから別居してたんだなw

821 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:46:46.78 ID:8wIHTyet0.net
八十島祭。

天皇即位の儀式の一つ。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀。
倭国の王権を正式に引き継ぎましたと明らかにする儀式。
正に国譲りの儀式。

難波で行われたのも納得。

822 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:17.74 ID:8wIHTyet0.net
庭。 祭祀の場。

朝庭。

823 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:56.42 ID:jr/1JzcN0.net
>>821
なあ、いつになったら>>804に回答できるんだ?
またゴッドハンドするだけして逃亡か?

824 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:53:04.98 ID:jr/1JzcN0.net
>>815
仁徳天皇は福岡の小呂島を見て詠んだんだろうな

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
> この口語訳は「古事記(講談社学術文庫)」によると以下のとおりになります。
> 『(おしてるや)難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島や島、また檳榔の島も見える。佐気都島も見える。』
> 注釈には「おしてるや」は難波の枕詞、「淡島はイザナミ・イザナギの二神が国産みの最初に産んだとされる産み損じの島」であり、
>オノゴロ島は「神話上の島」、檳榔の島は「空想上の島」であるらしい、さけつ島も「実在の島ではあるまい」としています。
> 檳榔とはビロウの古名であり、ビロウは熱帯性のヤシ科の植物なので、南九州や四国太平洋岸には自生していても、
>淡路島周辺の瀬戸内海には見ることができない植物です。これがネックとなり淡路島周辺のどこを見た風景なのか
>わからなくなってしまい、結果「オノゴロ島」も「淡島」も「さけつ島」も全て「実在ではない島」となってしまっています。
> ところが、この詩がそもそも淡路島から見て詠われたものではないと仮定して、淤能碁呂嶋候補と言われている島の中から、
>自生ビロウが存在する島に絞って考えてみると、以外にこの詩のなぞが解けてくるのです。
>淤能碁呂島候補でビロウが自生している島とは、唯一『小呂島』しかありません。

825 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:54:06.35 ID:8wIHTyet0.net
>>823
九州と畿内は、墓制一つとっても全く違う。

九州の何処に邪馬台国があるんだ?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

826 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:31.52 ID:gmvgtSjM0.net
ゴッドハンダー畿内

827 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:38.24 ID:kO1K7mKz0.net
「不可」は「すべからず」だよ。
漢文の書き下し(読み下し)の初歩じゃないか。

828 ::2017/12/11(月) 22:58:11.64 ID:DKWr7EIF0.net
>>822
審神者(さにわ)。
仲哀天皇が筑紫の香椎で神の怒りに触れたのは、
沙庭で審神者してた時だった(ややこしいw)。

829 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:58:23.34 ID:gmvgtSjM0.net
>>825
>>212>>219の通り、九州生まれの前方後円墳が畿内で大流行したんだよな

830 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:15.30 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国奈良説を信じている者は多いと思うからネット募金は簡単に成就出来るはずだよ

831 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:56.96 ID:FW8smCsl0.net
邪馬台国近江説を唱える守山市

832 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:43.60 ID:a3xkexb40.net
>>824
読んだ、中々面白いな
まあ流石に仁徳天皇の頃には都は畿内に移ってただろうが、だからといって瀬戸内海を見て詠んだとは限らないしな

それよりここが気になったな
http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>八女の岩戸山古墳の「大神宮」は中世の創建いらい「今伊勢」と呼ばれて、もとは古墳後円部の頂きに鎮座していた。
>大正十四年現在地に動坐して以来「大神宮」と呼ばれている。「今伊勢社」時代の天文二十四年四月二十五日、
>八女地方の二十四名の豪族の百首の歌を兼松城主豊饒美濃守が書いて一巻にし奉納した。
>八女市は文化財専門委員会の答申にもとづき平成七年一月二十五日付でこれを有形文化財に指定した。
>指定名称は「天文二十四年源鑑述ら今伊勢奉納百首和歌」。

岩戸山古墳と言えば、筑紫君磐井の墓とされるけど、朝廷にとっては反逆者のはずなのに今伊勢なんて
伊勢神宮との関わりを思わせる名前の神社なんだな
>>56の説の信憑性が増したわ

833 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:45.77 ID:Mq6cm2uR0.net
大和はない。大和に女王の国など無かったと記紀が証明してる

834 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:14:35.16 ID:Mq6cm2uR0.net
有るとしたら伊勢斎宮

835 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:23:10.39 ID:8wIHTyet0.net
>>832
卑弥呼を共立した国は30ヶ国。
卑弥呼がいたのは、邪馬台国。
神武さんは本国から派遣されたくらいだろう。
普通本国に残る方が本家筋だな。
ヤマト征伐の主力は伊勢と吉備だな。

時代を経て、本家筋が征伐対象になることはあちこちであっただろうね。

丹後半島なんかも本家筋が征伐対象になったんじゃないかな。

836 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:25:10.57 ID:8wIHTyet0.net
政権内で、権力闘争を何百年も続けたんだろう。

837 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:30:50.72 ID:8wIHTyet0.net
征伐した後は、背乗り。
そんなのばっかり。

838 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:31:43.67 ID:TxY1iT/k0.net
銅剣文化の近畿が鉄剣文化の北部九州勢力に大した戦いもせずに支配された、
一部の住民は、先祖が暮らしていた出雲の地に逃げ帰りこれからは
銅剣の時代では無いと荒神谷遺跡に銅剣を埋めた、そして砂鉄を使って
鉄文化を発展させた訳だ。国生み伝説や国譲り伝説もある出雲国。
敗者を徹底的には追い詰めなかったのが九州勢力(ヤマト勢力)
北部九州では頻繁に地域紛争を起こしていたから戦いのマナーを
判っていた訳だ。

839 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:33:19.51 ID:8wIHTyet0.net
>>838
出雲に国生み伝説などない。

840 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/11(月) 23:35:50.57 ID:90Ufn/i00.net
記紀は歴史検証の証拠にならない

歴史検証のルールね

841 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:36:49.57 ID:mCoNbkUz0.net
>>799
もっともらしい事言ってもだめだぞ。
倭人伝の書かれたのは三世紀末だから。
その直前どこで一番水銀朱が確認出来るかが
重要事項だから。

倭人伝の時代の採掘跡は四国東南部、
精製跡は紀伊半島を中心に確認できる。
また実際に丹生神社はこの辺りに集中してるだろ。それにこの辺りは海人の根拠地でもある。
まぁ無駄な足掻きするのはみっともないぞ。

842 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:12.88 ID:a3xkexb40.net
>>219
特殊器台に着目すると、九州は古墳時代に入ってからも5世紀まで独自性を保ち続けていたのが見えてくるな
あと吉備式特殊器台に描かれる「弧文」は主に九州の首長が宝としていたゴホウラ貝の断面を図案化したものと言われている
やはり邪馬台国の時代にはまだ九州北部が文化の中心だったと考えるしかないだろう

843 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:53.62 ID:NA5Fj06q0.net
天孫降臨が宮崎の高千穂でそこから神武東征して日本建国したんだから
どう考えたって邪馬台国と大和王朝の起源は九州だろ。

844 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:43:06.83 ID:RaOetmn50.net
>>842
九州説しか採りようがないよなぁこれじゃ
畿内説の人残念でした

845 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:06.91 ID:mCoNbkUz0.net
>>843
神武天皇や東征が邪馬台国と何の関係があるのかとw
そんな記述は何処にも存在しない、しかもあれは一応紀元前の話だ。

846 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:22.00 ID:8wIHTyet0.net
あくまで魏志倭人伝だからね。
倭人の話。

当時九州に倭人の国は一つもないんじゃないかな。

847 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:40.39 ID:a3xkexb40.net
>>841
別に量は関係ないだろうに
九州でも丹が取れたというだけで、倭人伝の記述には合致するのだから
無駄なあがきをしているのは君にしか見えない

848 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:09.54 ID:XV80etCc0.net
>>846
魏志倭人伝で魏の使者は明らかに九州に上陸してるのに何言ってんだこいつ
これが畿内説特有のゴッドハンドってやつか

849 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:50.96 ID:V7Vo4UFv0.net
九州から近畿に大規模に引っ越してくる理由ってなんだったの?

850 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:49:03.54 ID:eFjgZzig0.net
高千穂とか後で付けられた
地名が証拠だとw

851 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:06.08 ID:XV80etCc0.net
>>824
ビロウに目をつけるとはなかなか鋭い考察だな
たしかにその点では瀬戸内海説は非常に苦しい

852 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:15.70 ID:GyUZgZXt0.net
>>849
津波

853 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:51:56.12 ID:mCoNbkUz0.net
量もそうだが九州説は年代の一致を無視してる時点で話にならんよ。
三世紀の文献で丹山があるとするなら当然
同年代の分布を見ないとダメな事位
誰でも判るだろ。

854 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:20.61 ID:MI+xh1R70.net
>>849
そんなに大規模でもなかったんじゃないか
記紀でも神武天皇のお供は少人数だったようだし

855 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:48.28 ID:8wIHTyet0.net
>>851
福岡と瀬戸内海どちらが温暖か?

瀬戸内海に決まっているだろう。

856 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:56:38.11 ID:GyUZgZXt0.net
>>854
高知大の調査で20mを超える津波がきている
もちろん高知も来ただろうけど

857 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:57:31.28 ID:8wIHTyet0.net
>>848
九州は通り道。
九州に倭人の国は一つもない。

中国江南から広がった下戸遺伝子。

中国南部の文化である銅鐸。

島生み神話は、中国南部に多い神話のモチーフ。

日本に於ける下戸遺伝子分布の中心は、大阪湾と伊勢湾。

淡路島から紀元前4世紀の銅鐸が出土。
国生み神話で最初に生まれる淡路島。
イザナギの宮があったとされる淡路島。


唐古鍵遺跡の弥生時代中期の木棺墓から出土した頭蓋骨は大陸系の特徴が強かった。

呉の末裔を名乗る倭人とは、中国南部から渡来した人々、下戸遺伝子をもたらした人々と考えるのが妥当。
中国南部から銅鐸文化をもたらした人々(倭人)が渡来したのは、紀元前4〜5世紀。春秋時代末期。

弥生時代中期には、ヤマトで拠点集落を作れるぐらいに勢力を拡大していた。

倭人の分布は畿内や伊勢尾張、美濃、吉備中心。

858 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:00:37.87 ID:qST83mrq0.net
北部九州より瀬戸内海から四国東南部や
紀伊半島南部の方がずっと温暖だしな。
倭人伝に描かれた風俗なら丹もあるし倭の海人の里はこの辺りだろう。

邪馬台国の可能性が一番低いのは北部九州説、
奴国なんだから当たり前だろw

859 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:06:07.21 ID:QrMBSxEI0.net
>>855
どう頑張ってゴッドハンドしても、瀬戸内海にビロウが自生しないという事実は覆らないぞw

860 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:08:05.20 ID:ZsBPJ3rL0.net
>>857
魏志倭人伝で九州に来た魏使が倭人の風俗として現地人の風習を記録してるのに、
それガン無視して倭人じゃなかったとかキチガイかよw
もう畿内説ってのは狂人しか信じてないんだな

861 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:09:47.88 ID:Ak51dlld0.net
>>857
九州どころか朝鮮半島南部まで倭人が進出支配してたのに何をトチ狂ってるんだコイツ

862 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:32.36 ID:ZdOUU02H0.net
>>813>>824
>おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 
>あはしま おのごろ島 あぢまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ

前から思ってたんだけど、その歌は無理に
一望させようとするからわかりにくいんであって。

思うに、「難波の崎よ 出で立ちて」の時点で
当人が西を向いてるのを示唆し。
「我が国見れば」で東に向き直ってる事を示唆してる。
(「あじまさの島」で南を経由して。西→南→東と)

だから、あわしまは四国の事であり。おのごろ島は沼島の事だろう。

日本神話で、「あわしまがヒルコと共に流された」とされるのは
阿波(粟)と「泡となって消えた」をひっかけた神話上のダジャレ(言霊)で。
おそらく、阿波の国を含む四国を
あわしまとも古くから呼んでいて、
実際は消えてもいないんだろう。
(あえて言うなら、そういう呼び名の方だけ消えた)

というか、ヒルコのヒルは「屁をひる」のヒルで。
それがアワとなってブクブクと海面に出ちゃった。
……ってオチな気がする。イザナミが島を産むつもりで
海の中に下半身をつけてイキんでたら、オナラが出ちゃった。
だから、おならであるヒルコとアワシマは子供に含めないってネタで。

863 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:44.39 ID:5BenmTjZ0.net
>>858
四国や紀伊半島に行くのに佐賀で船から降りてしまうバカはいませんwwww
目的地が九州の中にあるから船から降りたんですよっと

864 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:52.39 ID:A1hRTbET0.net
>>860
九州北部は吉備の支配下だな。
博多の那珂地区。播磨の土器が大量に出土。
吉備の倭人が乗り込んでいる。
だからと言って、元々九州が倭人の国だったわけではない。

865 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:12:53.40 ID:A1hRTbET0.net
>>863
関門海峡が船で通れないので陸路で迂回するしかない。

866 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:15:52.90 ID:5BenmTjZ0.net
>>842
九州の前方後円墳から特殊器台が出ないというのは、>>212が言うように
九州こそ前方後円墳の発祥の地で、東に伝わる過程で特殊器台が付け加えられたと考えるしかない
箸墓や纏向が4世紀という>>19の関川氏の分析どおりだな

867 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:17:36.59 ID:5BenmTjZ0.net
>>865
だったら海路で九州を迂回するだろw
畿内説の妄想はもう詰んでるんだよ

868 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:43.67 ID:vCTLAtBu0.net
>北限は福岡県宗像市の沖ノ島。
>ビロウにちなむ地名として、枇榔島(宮崎県門川町、鹿児島県志布志市、南大隅町)、蒲葵島(高知県大月町)などがある。

出でたって眺めたのなら、瀬戸内海を通る船旅だな。
「幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く」だから、
仁徳天皇自身が実際に船旅しなくてもいいけどね。誰かが船旅で見ている景色ということで。

869 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:47.84 ID:5BenmTjZ0.net
>>864
残念だったな
>>219が言うように、3〜4世紀の九州の古墳からは吉備式の特殊器台が出土しない
吉備の支配下でないのは確実
むしろ九州発祥の前方後円墳が伝わっているのだから九州が吉備を支配したのだろう

870 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:22:59.88 ID:A1hRTbET0.net
>>862
以下の二つの歌を合わせると面白い。

後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇


オノコロ島。
字の如くじゃないかな。
自ら固まって島になる。洲。

昔、大阪城のすぐ北を淀川の本流が流れていたんだよ。現在、中之島があるところ。
オノコロ島は中洲のことじゃないかな。

倭人は大阪湾に渡来して、初めは中洲に住み始めた。そして間も無く淡路島に拠点を移した。
そして、本土の先住民と交わり、次第に内陸にも勢力を広げた。

871 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:39.29 ID:A1hRTbET0.net
>>867
昔から飯塚市から行橋市に抜ける道があって、関門海峡が開通していない当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だったんだよ。

872 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:52.73 ID:2Dsbu8BA0.net
>>864
魏志倭人伝では九州の国邑までが一番詳しく記録されているわけだが
目的地が畿内ならどうして目的地に着いてからのことが詳しく記録されていないのかね?

もう畿内説は完全に崩壊したんだよ、諦めなさい

873 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:26:19.77 ID:byiG8+n20.net
関西の人達四国の石で出来た矢じりで弥生人にいっぱい殺されているけど
なんで四国の石なんだろう

874 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:28:27.29 ID:vCTLAtBu0.net
古事記の文章から歌だけ取り出して論じてもしょうがなかろう。

>ここに天皇、その黒日賣(くろひめ)を恋ひたまひて、大后(おほきさき)を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲(おも)ふ。」
>とのりたまひて、幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く、
>おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば  淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の 
>島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ とうたひたまひき

875 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:31:40.51 ID:qST83mrq0.net
>>867
無駄だよ、七万戸の国が九州南部に存在した形跡すらないからな。
それに倭人伝には火山の記述が皆無だぞ。
温泉の記述もない、そんな特徴的な事が描かれてない以上は九州なんて北部を通過した位だな。

876 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:32:37.83 ID:A1hRTbET0.net
>>872
邪馬台国の比定地は?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

877 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:33:12.17 ID:jJRgrDxG0.net
>>871
ソースは?

878 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:14.05 ID:A1hRTbET0.net
>>873
畿内も伊勢と吉備に征伐されたんだよ。
阿波は吉備の子分。

ヤマトの地も卑弥呼を共立する伊勢と吉備に征伐。
征伐後のヤマトの地を卑弥呼が都としただけ。

九州北部もヤマトも征伐されたことには変わりない。

879 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:36.52 ID:arhLddYz0.net
>>875
九州にはまだ発掘されていない場所が山ほどあるわけだが
火山だって常時噴火してるわけでなし、噴煙が上がってなければただの山だ
畿内からは九州にある金銀財宝が全く出土しない時点で畿内説はもう無理

880 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:37:11.34 ID:byiG8+n20.net
倭人は火山を崇拝しているとかの記述があった覚えがある
物凄い火山

881 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:38:26.46 ID:DtI0J9He0.net
>>878
>>869

882 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:39:56.53 ID:A1hRTbET0.net
ヤマトは征伐され、卑弥呼が都を置いた。

九州北部も征伐され、博多に一大卒が置かれた。

大して変わらない。

883 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:44:39.62 ID:qST83mrq0.net
>>879
もはや支離滅裂だぞ。倭人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
それが現実だよ、中国人の興味は丹にあった
と言う事。三輪山の背後は水銀朱の山だからな。そりゃそっちに行くよ、中国人は。

金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは
水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。

884 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:02.31 ID:SUp/O3YV0.net
金印が出るのをまて
それしかない

885 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:06.13 ID:dhoZJrEz0.net
>>879
大陸や日本中の金銀財宝が畿内に集結!これなら日本の中心として納得するが、
日本中の土器が畿内に集結!と言われたら、
そりゃ今でいう共同出資を各地から集め、畿内の田舎に新しく住宅街作りましょうみたいなノリにしか思えんわな
そのときリーダー格だった九州の名前が畿内中についたんだろうなと

886 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:49:05.23 ID:A1hRTbET0.net
九州北部もヤマト同じ征伐された側。

ヤマトには卑弥呼がいて、博多には一大卒がいた。

887 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:51:50.17 ID:MoO+fHXU0.net
>>886
畿内説では一大卒は琵琶湖を突き抜けた海辺りになるんじゃねーの?

888 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:54:38.23 ID:XT2pVayx0.net
>>883
支離滅裂はお前だろゴッドハンド君

>人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
はいゴッドハンド
実際の記述は
「出真珠青玉其山有丹其木有{木冉}杼豫樟?櫪投橿烏號楓香其竹篠幹桃支有薑橘椒襄荷不知以爲滋味有爾猴黒雉」
訳文
  真珠、青玉を産出する。山には「丹」を産出する。樹木には、くす、とち、くすのき、ぼけ、くぬぎ、すぎ、かし、やまぐわ、楓などがあり、
  竹類には、ささ、やたけ、かづらだけなどがある。
  生姜、橘、山椒、茗荷もあるが、滋味ある食物として利用することを知らない。猿や黒雉もいる。

別に宝物だけの記述でもないし、筆頭は真珠、次いで青玉

>金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。
「以朱丹塗其身體如中國用粉也」
倭国では白粉程度の扱いだったようだがw

889 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:59:28.42 ID:bOlaASOn0.net
九州筑紫にしらぬいの枕詞があるの?
しらぬいは邪馬壹国の根拠のひとつじゃん
その他大勢の事実とも合致して九州で結論だな
奈良は新しい都と

890 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:00:15.31 ID:EUUuDPQm0.net
>>885
当時から既にクラウドファンディングが!(笑)
まあ普通に考えりゃ被支配地域が財宝独り占めとかあるわけないし、九州が支配側だったんだろうな

891 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:00.58 ID:XGETgkpD0.net
>>843
眠いのでコピペだけ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

892 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:39.32 ID:byiG8+n20.net
>>889
枕詞とか知らんが不知火海なら熊本にある

893 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:09:56.62 ID:wW9hKSHL0.net
もともと古墳時代の成立が四世紀という前提があって、
古墳が近畿から地方に拡がったといってもそれ以前だから邪馬台国は九州にあっても不思議じゃない、って説だから、
古墳時代が繰り上がっちまえば三世紀とかになれば、
卑弥呼の時代には既に古墳時代が成立していた。

近畿の強い国が九州まで勢力を伸ばして大陸と交易していた、って流れが主流になったんだよな。

今もう考古学で邪馬台国、九州説を唱えている奴はその前提をぶっ壊して新たな理屈をひねり出した奴しか支持していない、って話だぜ。

894 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:15:24.26 ID:byiG8+n20.net
出土物を盗んであちこちに散りばめる考古学者なんか信用できない
魏志倭人伝の文献がすべて

895 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:26:56.96 ID:pttSjWmO0.net
魏志倭人伝をきちんと読めば海の真ん中に出ちゃうよな
九州はありえない
あれは方角を間違えただけ

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