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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

727 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:19:31.30 ID:nuM6eepr0.net
>>688
記紀と違い関東に半島系が入った軌跡がある文献ってないでしょ。
関西に在日が圧倒的に多いのは【事実】だし。

728 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:23:42.87 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

千葉県出土の埴輪
http://www.town.shibayama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1838/10hime05.jpg

729 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:29:19.29 ID:0Er6OWdt0.net
>>725
それも根拠の無い妄想
畿内説と一緒。

730 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:33:45.84 ID:WR/EEub8O.net
>>720
邪馬台国が当時は確かに最大だったかもしれんが、大和朝廷との関係性は不明だぞ

731 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:40:46.63 ID:jQZw0mzh0.net
纏向で大量の桃の種が出土したことがスルーされているよいだが。

考古学者は神仙思想の不老長寿のおまじないとか言っているが。

桃の種は、桃仁という漢方薬の原料になる。
桃仁は後漢の時代の神農本草経に記載されているし、後漢時代の傷寒雑病論(金き要略として現存)にも、桂枝茯苓丸の原料として記載されている。

効能は生理痛、肩こりなどの婦人病。

つまり、纏向には婦人病にお悩みの身分の高い女性がいた、ということ。

732 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:42:10.63 ID:Wu57yun80.net
日本書紀には中国との通交が出てないし、纏向からは九州や中国の文物が殆ど出ていない
纏向は三世紀にいきなり現れた都で、卑弥呼以前からあったはずの邪馬台国という感じでもない
倭人伝の方角で行けば、女王国は伊都国の南(行程の時の方角だけでなく、一大率の配置についても)
日本書紀には纏向近辺に都を置いた天皇が何人か連続して(崇神、垂仁、景行)出てるし
彼らの時代に西日本への進出が記載されてる(四道将軍やら景行天皇の九州征伐やら)
前方後円墳も、纏向の石塚古墳あたりが一番古く(下手したら二世紀末期〜三世紀前半)、九州の那珂八幡や石塚山、赤塚古墳等はその後(三世紀中盤から後半)
それまでの墓制は九州は畿内とは違う独自形式
ちょうど卑弥呼(死んだのは248年あたり)の後の台与の時代かその後くらいに
畿内のヤマト政権から征服されたんじゃないか、なんて思える

733 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:44:26.01 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

主なできごとを列挙すると、次のような出来事が記録されている。

●666年(天智5年)……「百済人男女2千余人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。

734 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:57:45.99 ID:Kq5Ctisr0.net
>>728
半島の帽子は先がとがっていないし、アッシリア中東の臭いがするが、ズボンは遮光土偶と同型の和式、服も和式っぽい。当時の流行?

735 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 14:42:13.47 ID:3qefU0zA0.net
九州論者の大半は古田信者だから信用できん

736 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:02:45.04 ID:mCoNbkUz0.net
>>732
畿内からは弥生中期の時点で
貨泉に鏡も出てるのに全く論外だよ。
視野が狭すぎ、畿内は巻向だけじゃないんだからな。

737 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:14:27.65 ID:4LYfC+Fd0.net
遷都して同じ名前の都市なし
九州説なら邪馬壹国(壱)以外有り得ない

対外国名:倭
国内国号:やまと

都市の名前は何だ?

738 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:16:38.11 ID:mCoNbkUz0.net
そもそも現在の九州説なんて倭人伝の記述を全く無視してるからな。
倭人伝を邪馬台国伝と混同してしまうのが
そもそもバカな話だろう。

邪馬台国に関する情報は卑弥呼が都とする、相当遠方にあって倭で最大戸数の国、それだけだからな。
しかも南方にそんな北部九州より遥かに
最大級の国がどこに存在出来るんだよ?
というだけの話。
方角を除いて畿内以外に該当する場所なんて
ないから。

739 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:42:27.83 ID:Ty+kHWf20.net
>>731
あ〜、張魯の五斗米道につながっていくやつな

740 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:50:31.98 ID:dxsB3xOC0.net
神武が奈良に行って先遣隊の開拓地を継ぎ大和としたと書いてあるじゃん。
近畿説とかありえんだろ

741 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:22:12.65 ID:0Er6OWdt0.net
倭人伝を邪馬台国伝と混同しているのが畿内説で
畿内説は倭人伝の記述を全く無視してる
そもそも邪馬台国なんて1回しか倭人伝に出てこない
倭人伝の主役は伊都国であり詳しく説明されてる
当然のことながら卑弥呼も伊都国に居た
邪馬台国とは単に当時の伊都国を含む北部九州一帯の呼び名にすぎない。

742 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:45:32.48 ID:xsqjfQz40.net
>方角を除いて畿内以外に該当する場所なんてないから

そんなご都合主義 それがいかんちゅうねん 

743 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:01:16.23 ID:RAmM59NSO.net
>>738
こうやって嘘を100回繰り返して既成事実にしようとするのがゴッドハンド畿内論者なんだよな
実際は帯方郡から1万2000里と明記されていて九州以外は有り得ないのに

744 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:07:52.75 ID:euPEw5Y40.net
これ、
水抜くの拒否ったところ?

745 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:12:22.13 ID:0Er6OWdt0.net
>>743
對馬國の方可四百餘里と一大國の方可三百里を距離として算入しないと萬二千餘里に達しないから
方可四百餘里と方可三百里は距離に入れるべきなんだ
合計と内訳が合わないなんてことはないからな。

746 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:48:56.87 ID:VthXIZ8Y0.net
>>738 博多というか福岡というか、
北部九州は九州の中でも最も人口が多い地域だからな。
それを上回る国は、熊本あたりにあるとは
思いづらい。
昔は人口は多くても、現代では人口が少ない地域や県という
のもあるから(出雲や新潟県、奈良など)、
現代の熊本平野の様子で判断するわけにもいかないが。

747 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:55:58.67 ID:Wu57yun80.net
前方後円墳の分布から見れば
畿内勢力が九州にまで伸びて来るのは三世紀終わり近くから四世紀くらいだから
ヤマト勢力がその頃に九州の土着勢力を滅ぼしていったって考えてる方が理屈に合う気がする

糸島半島については、平原遺跡の1号墳が弥生時代後期の墓でありながら
畿内方式の割竹式の木棺や、八咫鏡と言ってもいい鏡が出土してる
(弥生時代後期なので、邪馬台国以前だが)
もしかしたらだが、神武辺りの故地がこの辺りで、東遷の拠点だったのかも
まあ記紀に無理に合わせる事も無いけど

748 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:56:51.42 ID:9L9m5bjU0.net
そもそも邪馬台国なんて実在しないっつーのw
いつまでやってんだか

749 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:00:22.53 ID:c4qUtqSR0.net
もし魏志倭人伝に名前があがっている30の国が
全部九州所在なら、北九州の話だなあで終わるし
この30に出雲や吉備や奈良が含まれているのなら
こんなに早くから連合王国が成立していたんだなあと思うし
まあどっちでもいいかな

750 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:23:30.96 ID:8wIHTyet0.net
>>749
魏志倭人伝に列挙されている国は卑弥呼を共立した30ヶ国ではない。
女王国の傍国。
境界の外にあり境界をなす国。

751 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:37:20.80 ID:mCoNbkUz0.net
九州説は結局戸数を無視せざるを得ないんだよね、それと丹山の存在。
どちらも倭人伝にしっかり書かれている
重要事項なのにな。
苦し紛れに九州にも丹山はある!と主張
した所で巻向の背後が丹山鉱山だという
事実には勝てないんだからな。

752 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:14.59 ID:LHOslSVB0.net
奴国が倭の果てである事は、
魏志倭人伝と後漢書東夷伝にハッキリ明記されている事なんで、
漢倭奴國の金印が本物である事が確定した今、
倭国の範囲が九州を出ない事は、
歴史の事実として確定している。

753 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:26.54 ID:jpesRAsm0.net
>>744
そう、拒否したところ。

754 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:47:53.86 ID:EKR3XmBa0.net
>>188
まぁ阿蘇山だろうなw

755 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:03.35 ID:LHOslSVB0.net
ハッキリ言って、魏志倭人伝に書かれた事は、
北部九州の狭い範囲の歴史の記述だと解釈して、
それに従った発掘を行った方が、
発掘成果は上がってくるし、
纏向は魏志倭人伝の記述とは
全く関係の無い地域として、
発掘した方が、発掘成果は
上がってくる。

756 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:44.76 ID:EKR3XmBa0.net
>>753
なにきれいごとのべて水抜くの拒否ったくせに
自分たちは思いっきりねつ造して詐欺ろうとしてんのかw

水抜くのよりねつ造の方が罪が大きいとか、とんだ糞都市だなw

757 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:53:18.86 ID:8wIHTyet0.net
>>752
嘘。
後漢書は、倭奴国は倭国の極南界也とある。
倭奴国は倭国の南の境界の果て。
倭奴国は倭国と別の国なのが分かる。

金印では委奴国。
倭奴国=委奴国=伊都国。

奴国は魏志倭人伝で、女王国の傍国として挙げられている。
傍国は境界の外にあり境界をなす国。奴国は女王国ではない。
邪馬台国は奴国より東、つまり奴国より西にある伊都国も女王国ではない。

九州北部の伊都国が倭国に含まれていた時代ない。倭国と伊都国は全く別の国。

758 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:57:56.59 ID:LHOslSVB0.net
まだ伊都国とか言ってるヴァカがいるのか。
なんの根拠もなくでたらめを振り回すな。

759 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:01:38.55 ID:LHOslSVB0.net
後漢書の方が魏志倭人伝よりも、
成立は遅い。
伊都国なら伊都国とハッキリ書かれている。
倭の奴国は伊都国や奴国があったという事を十分認識した上で、
奴国に金印を授けたと記述しているのだよ。
バカは黙ってろ。

760 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:02:26.71 ID:s9pTyy7+0.net
とにかく朝鮮人のような九州人をなんとかしろよ
こいつらの奈良に対する酷言い方とか
日本人とは思えない死ねよ

761 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:19:46.20 ID:YdKKxDCQ0.net
金印がホンモノである事の根拠の一つに、
漢の委の奴国王という記述の仕方がある訳で、
委奴国が伊都国など、
とんでもないデタラメだ。

762 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:21:29.52 ID:q4p/0h1B0.net
九州論者は古田信者

763 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:22:33.44 ID:GyUZgZXt0.net
>>760
熊襲を中心とする九州が朝鮮だと?
バカじゃね?

764 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:26:40.97 ID:HLs70bPQ0.net
また喧嘩が始まった┐('〜`;)┌

765 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:30:08.15 ID:8wIHTyet0.net
九州説者は、結局倭国や倭人に憧れているんですよ。

記紀で皆イザナギの子孫になりたがったのも、同じ。

766 :卑弥呼:2017/12/11(月) 19:33:53.38 ID:nuM6eepr0.net
畿内に邪馬台国はありません。
そう目立った発掘品もありません。
出てくるのは桃の種だけです。

767 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:42:02.96 ID:q4p/0h1B0.net
>>766
北九州からは色々出てくると言いたいのだろうけど
その北九州も広大な邪馬台国の版図の一部だったのさ
北九州は大陸への外交窓口だったのだから当然だろう
そして邪馬台国の中枢部は奈良盆地
鉄製武器が山ほど出土するのは海外に対する防衛のため
平和な大和には無縁の存在

768 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:57:37.15 ID:0Er6OWdt0.net
>>767
九州古墳からは豪華な副葬品が出るのに畿内の古墳からは出ないのはなんでだろ〜

769 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:59:15.96 ID:xsqjfQz40.net
>>767
平和な畿内ヤマトに鉄製武器が少ないのはわかるが
農耕用の鉄製農具の出土は平和で人口も圧倒的に多いとされる畿内ヤマトより
北部九州のほうが圧倒的に多い (約100倍)
「北部九州は軍事拠点だから鉄製剣の出土」が多いと矛盾してるんだよね

770 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:19.77 ID:c4qUtqSR0.net
畿内の古墳は盗掘されまくっているから

771 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:54.32 ID:dxsB3xOC0.net
奈良などという古代の樹海に忽然と近畿を制圧する王権が沸く訳ねえだろ。
海からは遠方だしどっから巨大出雲を制圧できる軍備が湧いてくんだよ。
近畿説とか盲信にも程がある。

772 ::2017/12/11(月) 20:06:56.67 ID:DKWr7EIF0.net
>>780
奈良は「あおに(丹)よし」と歌われた栄光の時代があるんだから、
上古は九州に譲ってくれてもいいじゃんか、ケチw

さておき枕詞だが、奈良は上述の「あおによし」、飛鳥は「飛ぶ鳥の」、
伊勢は「神風の」だし、出雲は「八雲たつ」だ。
んで、筑紫は何かというと、なぜか「しらぬいの」なんだなw

773 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:08:10.29 ID:c4qUtqSR0.net
>>771
どちらかというと出雲が奈良に乗り込んだように見える

774 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:10:36.57 ID:UeSdAvnA0.net
>>725
出雲族はおそらく黎明期に畿内に進出した
しかし紀元前2〜1世紀頃に淡路まで進出した東九州〜瀬戸内系の銅鐸族(物部氏の先祖か)に畿内から追い出された

おそらく、出雲族と銅鐸族は言語が微妙に異なっていた

前者は朝鮮語に繋がる新羅語系を、
後者は日本語に繋がる百済基層言語(百済語ではない)系統の言葉を話していた

双方とも稲作と漁労を生業とし、金属を持っていた

1世紀までに銅鐸族の一派は東海地方にまで進出
やがて畿内の銅鐸族と尾張の銅鐸族が激しく争い、畿内派が勝利する
畿内派は勢いに乗って出雲族を征服する(国譲り)

ますます繁栄を極めた畿内銅鐸族だが、
東九州から登場した銅鏡ヤマト族(銅鐸族と同じ言語)に2世紀末に突然攻められあっけなく滅亡する

これが邪馬台国(ヤマト国)、のちの大和朝廷
なお、ヤマト(ジャモト)とはヒモトの訛り、もしくは古い言い方で、
「日本」の語源である

775 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:12:39.22 ID:Zo/Sgd5H0.net
3世紀末一番のお宝は水銀朱なのにね。
黒塚に桜井茶臼山古墳なんか見れば普通に判る。
そりゃ都を巻向辺りにするよ。
だから三世紀以降に鏡と水銀朱が奈良盆地へ集中した事位いい加減理解しろよ。
邪馬台国は畿内で確定済み。

776 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:13:43.71 ID:Kq5Ctisr0.net
古事記とか読むと纏向の宮殿には「出雲の語り部」と「大和の語り部」(中身は南九州っぽい)の2つが同居してたように感じる。

777 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:17:23.41 ID:xsqjfQz40.net
>>770
盗掘か  それはあるなあ
桜井なんか開発で上に土を盛られることも無く現代まで殆ど田園地帯だし
遺跡はほぼ露出してるもんなあ

778 ::2017/12/11(月) 20:17:58.03 ID:DKWr7EIF0.net
>>774
松前健「日本の神々」(中公新書)によると、各地に出雲神話が
広がっているのは、もう少し遅い時代(記紀を編纂していた頃)、
出雲は大陸由来の医療技術の先進地で、その巫ゲキ集団(ゲキは巫偏に見)
が技術と神話セットで広めたためらしい。
例えば白兎のエピソードはもろに医療だし、スサノオにも治癒神の
面があって、中世には薬師如来と習合するし。

779 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:20:44.04 ID:8wIHTyet0.net
>>774
銅鐸を作っていた人々が九州から来た根拠はない。九州と全く風習が違う。

倭国は倭人の国。
倭人は呉の末裔を自ら名乗っている。
つまり中国南部から春秋時代以降に渡来した集団。

中国南部に由来する可能性が高いもの。
銅鐸、下戸遺伝子、国生み島生み神話のモチーフなど。
これらは大阪湾に分布の中心を示す。

春秋時代と同時代の弥生時代前期末、環大阪湾の風習は一変する。

淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。
銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認めるようになる。

方形周溝墓、木棺も畿内中心に広がっていく。

九州を素通りし、倭人が中国大陸から畿内に直接渡来したと考えられる。

780 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:22:15.27 ID:8ujb5y+D0.net
卑弥呼の時代より200年前にローマ帝国は30mあるネロ巨像や
5万人収容のコロッセオ作ってたんだから凄いな

781 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:24.92 ID:GyUZgZXt0.net
>>773
う〜ん
奈良に出雲の国があったのだと思うよ
三輪山の大物主は大国主
神武東征で今の島根(出雲)に追いやられて戦う剣を埋めた
神武に国譲りしたので反発した一部の民は長野に向かった
奈良には今も出雲という地名が残っている

782 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:59.10 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>777
それどころか平城京や藤原京も遺跡や古墳を潰して出来たんだけどね。

783 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:24:18.16 ID:OVoGr2aK0.net
弥生時代に奈良県で出た丹は二箇所のみ。
その一つが桜井茶臼山古墳だが
塗料として使うことを知らないのか
棺に丹だけが詰めてあった。

九州では古墳はもちろん、集落でも
多くの丹の使用痕跡が発見されている。

784 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:26:09.66 ID:13nEdC2u0.net
邪馬台国は九州だと思うね

なぜなら吉野ヶ里遺跡の近くに住んでるから^^

785 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:28:21.10 ID:dxsB3xOC0.net
出雲は制圧というより開拓民じゃね。
分布域が湿地帯か漁労が潤う湾内が多い気がするし。
大黒天と蛇の象徴からして呉越の南方大陸人。
鈴鹿山系の古代のアマゾンの様な秘境を越えてまで奈良盆地を目指し南下しただろうか。
否、琵琶湖がある近江から飛騨の下流域水源がある濃尾を目指しただろ。

786 ::2017/12/11(月) 20:29:34.52 ID:DKWr7EIF0.net
>>784
吉野ヶ里遺跡は素晴らしいよね。
まさに弥生時代のテーマパークだ。

なんといっても、公園の中に立つと周囲のビルなどが
全く見えないのが素晴らしい。さすがは佐賀w

787 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:31:33.04 ID:c4qUtqSR0.net
>>781
奈良の遺跡が面白いのは、纏向にしても唐古にしても
いろんな地方から人が集まっていたようなんだよね
市もあったし、後世の采女の制度でも
いろんな地方から女性を集めている
だから、争いや裏切りなどもあっただろうけど
話し合いや、それこそ天皇と呼ばれる人たちの神宝や
巫女の占いの力で平和に連合した部分も
あるのではないだろうか

788 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:33:53.95 ID:c4qUtqSR0.net
>>785
飛騨には、飛騨は雪深すぎるから奈良を
連合王国の都に決めたという伝承がある
渡来人系の九州勢に対抗するために
諸国が一致団結する必要があったとか

789 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:34:18.61 ID:8wIHTyet0.net
>>781
出雲に大国主の伝承はない。

幸神とクナトの神、その子サルタヒコ。
その後はオオナムチ。

790 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:35:49.53 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>783
無知にもほどがある。弥生中期以降は紀伊半島には吉野や
宇陀、伊勢周辺に水銀朱精製跡が沢山あり、奈良盆地の
鍵唐古ですら精製跡があるのに。
つまり倭人伝にある丹山有りとは紀伊半島や四国東南部でしか
有り得ないのだ。

791 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:36:04.52 ID:ipPn5VKZ0.net
古代朝鮮語なんて一つも解明されていないのに
なにが新羅語系百済語系だよ
笑わせるな

792 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:39:36.27 ID:8wIHTyet0.net
倭国大乱前の倭国や倭国王の事績を、出雲や伊勢の勢力がパクったんだよ。


九州南部投馬国出身の神武さんが、伊都国やニニギの血統伝承をパクったのと同じ。

793 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:50:13.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>671
ヤマト系の遺跡を渡来系だとしたり、一部の高句麗系遺跡をもってして渡来系が支配したとか
いつも言っている奴か?

794 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:51:45.92 ID:dxsB3xOC0.net
奈良盆地は九州邪馬台からの開拓民、物部の祖先であるニギハヤヒが先遣隊として入り込んだのが始まりだろ。
調査結果として丹資源の豊富な鉱脈を発見し本国日向から神武を筆頭とする調査兵団が派遣されたんだよ。
海運輸送の後に温暖で天災も少ない奈良盆地へ遷都されたんだよ。

795 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:52:35.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>672
その倭地は別倭や黒歯国なども含むのか?

796 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:00:53.30 ID:8wIHTyet0.net
>>794
弥生時代に、九州の民が畿内に入植した痕跡はない。

九州と畿内は全く風習が違う。

797 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:08:24.19 ID:c4qUtqSR0.net
物部、ニギハヤヒは出雲の系列だろ

798 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:09:12.77 ID:O8Pbsbf90.net
伊都の読みはイツだし、
いとしまとはカンケーないし。

799 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:14:31.98 ID:KsqbHSZg0.net
>>790
ゴッドハンドしても無駄無駄
九州にも丹はある
逆に九州に山ほど出土する金製品などの大陸系遺物は畿内では一切出土しない


482 :名無しさん@1周年 :2017/12/05(火) 21:24:40.13 ID:s8pq7koV0
>>449
水銀も別に九州説を否定するようなものじゃないけどな
砂金のように川から取っていれば採掘跡は残らんし、九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301923635-1
>神崎町から南西50Kmの嬉野温泉の近くに虚空蔵山がある。この山を源として流れる丹生川は、嬉野町を通り嬉野川、
>塩田町で塩田川となり、有明海に流れ込んでいる。この川筋に7社の丹生神社がある。
>虚空蔵山の長崎県側の山麓には、波佐見水銀鉱山がある。丹生川は丹砂に関係ある川であった。
>
>私はマレーシアの第三の都市イポーを訪れた事がある。イポーの空港に飛行機が着陸する時、眼下に青色した
>小さな池を沢山見た。これらの池は錫鉱石を採掘した跡だそうだ。イポーは錫の産地として有名で、山には錫鉱山が存在するが、
>平地にも、河川が運んだ錫鉱石(錫石)が堆積した所があり、それを採掘している。
>丹砂の比重は約8で岩石の2.5倍重い、錫石と同様に河川に流された丹砂は集中して堆積する。
>古代においては丹砂の鉱脈を山中で探すより、河川で丹砂を採取する方が簡単だったと思われる。
>丹生川は丹砂が採取出来た河川の事であろう。
>
>景初3年に邪馬台国の女王卑弥呼が、魏に献上した丹(朱・丹砂)は、伊都国の丹生川(嬉野町)で採取したものと考える。
>末盧国(唐津)から伊都国(吉野ヶ里)に至る陸行の途中、佐賀県多久市の辺りから南西30キロメートルに
>丹の取れる虚空蔵山がある。魏志倭人伝の「その山には丹あり」の文章のままである。
>
>近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。
>イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。
>中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値(+8〜+20)を示すが、日本の水銀鉱山
>(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。
>虚空蔵山の長崎県側にある波佐見水銀鉱山は、日本では珍しいプラス(+22)の値である。
>出雲および福岡の弥生遺跡の朱の値にはプラス(+5〜15)の値を示すものがあり、中国からもたらされた朱と考えられているが、
>波佐見水銀鉱系の朱である可能性を残している。今後より多くのデータが蓄積されれば明らかになるだろう。

800 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:16:28.50 ID:TE2BhbnG0.net
>>796
当時の畿内の風習なんて記録残ってないだろ
適当なこと言うなよ
九州の土器が極端に少ないのは九州からの移民は支配者階級で
自分で泥をこねて土器を焼いたりはしなかったせいだよ

801 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:46.95 ID:8wIHTyet0.net
>>800

遺跡や墓にも風習の跡はあるが?

802 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:58.20 ID:kO1K7mKz0.net
>>677
もしかして、漢文はかならずSVOになると思っているの?
「其余旁国遠絶不可得詳」はなんて書き下すのかな?

803 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:20:34.88 ID:TE2BhbnG0.net
>>767
北九州が畿内に支配されてたなら何で金銀財宝は北九州が独占して
畿内は鉄すらろくに手に入らなかったんですかねぇw

畿内説は完全に破綻してるのに無理矢理取り繕おうとするから無茶苦茶

804 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:21:04.06 ID:TE2BhbnG0.net
>>801
例えば?

805 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:54:27.40 ID:8wIHTyet0.net
>>772
枕詞は面白いね。

難波は、押し照るや。
天照国照の地にぴったり。

なにわのニワは、庭だったかもしれないね。

806 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:01:30.30 ID:8wIHTyet0.net
天照国照饒速日命

海と大地の民を結んだ王。

倭国王に相応しい称号。

807 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:13:18.32 ID:cpRTNEVE0.net
やっぱりこの辺りが本物なんだろうね

808 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:15:42.46 ID:0Er6OWdt0.net
>>795
別倭や黒歯国などはですから女王國東渡海千餘里
別倭や黒歯国などは含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

809 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:16:41.46 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国は奈良にあったと考えている古代史オンチはネット募金に金を出せよ。
俺は邪馬台国九州論者だから一円も出す気は無い。

810 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:17:36.89 ID:0Er6OWdt0.net
訂正
>>795
別倭や黒歯国などは女王國東渡海千餘里ですから含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

811 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:21:15.93 ID:0Er6OWdt0.net
>>772
「あおによし」という枕詞は平城京建設(710年)以前に使用された例があり、「奈良の都」とは無関係にそれ以前に成立していたんだよ。

久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎(くやしかも かくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを)万5-797

812 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:25:06.22 ID:0Er6OWdt0.net
>>805
天平5年(733年)神社老麻呂が草香山を超えた時に作った次の歌は、上町台の「難波」が難波の枕詞「押し照る」から700年頃に人為的に名づけられたことを窺わせている。

直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思裳「ただこえの このみちにして おしてるや なにはのうみと なづけけらしも
(真っ直ぐに“草香山を”越えて来るこの道から見ると“夕日に大阪湾一面が”照れされ輝いている なるほどこれを見て難波の海と“30年前に”名付けたのだなあ)」
(万6-977)

813 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:27:59.85 ID:8wIHTyet0.net
 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇

814 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:29:13.80 ID:0Er6OWdt0.net
>>799
>九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

全て大陸産と考えられていた九州の遺跡がら沢山出土している水銀朱が九州産の物も含まれてたってことですね。

815 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:30:37.44 ID:0Er6OWdt0.net
>>813
仁徳天皇等を大阪に持って来る為に小細工をしたんですね。

816 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:35:15.14 ID:kO1K7mKz0.net
>>808
書き下しなんだから「不可」はないだろw
誤魔化すなよw

817 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:36:34.75 ID:0Er6OWdt0.net
仁徳天皇は大阪付近には居なかったんですよ、別の場所に居たのを大阪付近居たように地名を移設したんですよ
仁徳紀に記された「難波の堀江」は、人工的に建設されたものとされるが、上町台地の北端、現在の大阪城の北の水路は自然に形成されたもので、弥生時代には存在していたことが確認されており、人工的に掘削されたものではないんですよ。

818 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:16.36 ID:0Er6OWdt0.net
>>816
では
その余の旁国は遠く絶していて詳を得ることができない。

819 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:46.59 ID:kO1K7mKz0.net
>>818
書き下しって知らないの?
それは意訳だぞw

820 ::2017/12/11(月) 22:42:36.72 ID:DKWr7EIF0.net
>>817
奥さんが怖いから別居してたんだなw

821 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:46:46.78 ID:8wIHTyet0.net
八十島祭。

天皇即位の儀式の一つ。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀。
倭国の王権を正式に引き継ぎましたと明らかにする儀式。
正に国譲りの儀式。

難波で行われたのも納得。

822 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:17.74 ID:8wIHTyet0.net
庭。 祭祀の場。

朝庭。

823 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:56.42 ID:jr/1JzcN0.net
>>821
なあ、いつになったら>>804に回答できるんだ?
またゴッドハンドするだけして逃亡か?

824 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:53:04.98 ID:jr/1JzcN0.net
>>815
仁徳天皇は福岡の小呂島を見て詠んだんだろうな

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
> この口語訳は「古事記(講談社学術文庫)」によると以下のとおりになります。
> 『(おしてるや)難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島や島、また檳榔の島も見える。佐気都島も見える。』
> 注釈には「おしてるや」は難波の枕詞、「淡島はイザナミ・イザナギの二神が国産みの最初に産んだとされる産み損じの島」であり、
>オノゴロ島は「神話上の島」、檳榔の島は「空想上の島」であるらしい、さけつ島も「実在の島ではあるまい」としています。
> 檳榔とはビロウの古名であり、ビロウは熱帯性のヤシ科の植物なので、南九州や四国太平洋岸には自生していても、
>淡路島周辺の瀬戸内海には見ることができない植物です。これがネックとなり淡路島周辺のどこを見た風景なのか
>わからなくなってしまい、結果「オノゴロ島」も「淡島」も「さけつ島」も全て「実在ではない島」となってしまっています。
> ところが、この詩がそもそも淡路島から見て詠われたものではないと仮定して、淤能碁呂嶋候補と言われている島の中から、
>自生ビロウが存在する島に絞って考えてみると、以外にこの詩のなぞが解けてくるのです。
>淤能碁呂島候補でビロウが自生している島とは、唯一『小呂島』しかありません。

825 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:54:06.35 ID:8wIHTyet0.net
>>823
九州と畿内は、墓制一つとっても全く違う。

九州の何処に邪馬台国があるんだ?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

826 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:31.52 ID:gmvgtSjM0.net
ゴッドハンダー畿内

827 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:38.24 ID:kO1K7mKz0.net
「不可」は「すべからず」だよ。
漢文の書き下し(読み下し)の初歩じゃないか。

828 ::2017/12/11(月) 22:58:11.64 ID:DKWr7EIF0.net
>>822
審神者(さにわ)。
仲哀天皇が筑紫の香椎で神の怒りに触れたのは、
沙庭で審神者してた時だった(ややこしいw)。

829 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:58:23.34 ID:gmvgtSjM0.net
>>825
>>212>>219の通り、九州生まれの前方後円墳が畿内で大流行したんだよな

830 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:15.30 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国奈良説を信じている者は多いと思うからネット募金は簡単に成就出来るはずだよ

831 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:56.96 ID:FW8smCsl0.net
邪馬台国近江説を唱える守山市

832 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:43.60 ID:a3xkexb40.net
>>824
読んだ、中々面白いな
まあ流石に仁徳天皇の頃には都は畿内に移ってただろうが、だからといって瀬戸内海を見て詠んだとは限らないしな

それよりここが気になったな
http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>八女の岩戸山古墳の「大神宮」は中世の創建いらい「今伊勢」と呼ばれて、もとは古墳後円部の頂きに鎮座していた。
>大正十四年現在地に動坐して以来「大神宮」と呼ばれている。「今伊勢社」時代の天文二十四年四月二十五日、
>八女地方の二十四名の豪族の百首の歌を兼松城主豊饒美濃守が書いて一巻にし奉納した。
>八女市は文化財専門委員会の答申にもとづき平成七年一月二十五日付でこれを有形文化財に指定した。
>指定名称は「天文二十四年源鑑述ら今伊勢奉納百首和歌」。

岩戸山古墳と言えば、筑紫君磐井の墓とされるけど、朝廷にとっては反逆者のはずなのに今伊勢なんて
伊勢神宮との関わりを思わせる名前の神社なんだな
>>56の説の信憑性が増したわ

833 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:45.77 ID:Mq6cm2uR0.net
大和はない。大和に女王の国など無かったと記紀が証明してる

834 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:14:35.16 ID:Mq6cm2uR0.net
有るとしたら伊勢斎宮

835 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:23:10.39 ID:8wIHTyet0.net
>>832
卑弥呼を共立した国は30ヶ国。
卑弥呼がいたのは、邪馬台国。
神武さんは本国から派遣されたくらいだろう。
普通本国に残る方が本家筋だな。
ヤマト征伐の主力は伊勢と吉備だな。

時代を経て、本家筋が征伐対象になることはあちこちであっただろうね。

丹後半島なんかも本家筋が征伐対象になったんじゃないかな。

836 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:25:10.57 ID:8wIHTyet0.net
政権内で、権力闘争を何百年も続けたんだろう。

837 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:30:50.72 ID:8wIHTyet0.net
征伐した後は、背乗り。
そんなのばっかり。

838 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:31:43.67 ID:TxY1iT/k0.net
銅剣文化の近畿が鉄剣文化の北部九州勢力に大した戦いもせずに支配された、
一部の住民は、先祖が暮らしていた出雲の地に逃げ帰りこれからは
銅剣の時代では無いと荒神谷遺跡に銅剣を埋めた、そして砂鉄を使って
鉄文化を発展させた訳だ。国生み伝説や国譲り伝説もある出雲国。
敗者を徹底的には追い詰めなかったのが九州勢力(ヤマト勢力)
北部九州では頻繁に地域紛争を起こしていたから戦いのマナーを
判っていた訳だ。

839 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:33:19.51 ID:8wIHTyet0.net
>>838
出雲に国生み伝説などない。

840 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/11(月) 23:35:50.57 ID:90Ufn/i00.net
記紀は歴史検証の証拠にならない

歴史検証のルールね

841 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:36:49.57 ID:mCoNbkUz0.net
>>799
もっともらしい事言ってもだめだぞ。
倭人伝の書かれたのは三世紀末だから。
その直前どこで一番水銀朱が確認出来るかが
重要事項だから。

倭人伝の時代の採掘跡は四国東南部、
精製跡は紀伊半島を中心に確認できる。
また実際に丹生神社はこの辺りに集中してるだろ。それにこの辺りは海人の根拠地でもある。
まぁ無駄な足掻きするのはみっともないぞ。

842 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:12.88 ID:a3xkexb40.net
>>219
特殊器台に着目すると、九州は古墳時代に入ってからも5世紀まで独自性を保ち続けていたのが見えてくるな
あと吉備式特殊器台に描かれる「弧文」は主に九州の首長が宝としていたゴホウラ貝の断面を図案化したものと言われている
やはり邪馬台国の時代にはまだ九州北部が文化の中心だったと考えるしかないだろう

843 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:53.62 ID:NA5Fj06q0.net
天孫降臨が宮崎の高千穂でそこから神武東征して日本建国したんだから
どう考えたって邪馬台国と大和王朝の起源は九州だろ。

844 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:43:06.83 ID:RaOetmn50.net
>>842
九州説しか採りようがないよなぁこれじゃ
畿内説の人残念でした

845 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:06.91 ID:mCoNbkUz0.net
>>843
神武天皇や東征が邪馬台国と何の関係があるのかとw
そんな記述は何処にも存在しない、しかもあれは一応紀元前の話だ。

846 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:22.00 ID:8wIHTyet0.net
あくまで魏志倭人伝だからね。
倭人の話。

当時九州に倭人の国は一つもないんじゃないかな。

847 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:40.39 ID:a3xkexb40.net
>>841
別に量は関係ないだろうに
九州でも丹が取れたというだけで、倭人伝の記述には合致するのだから
無駄なあがきをしているのは君にしか見えない

848 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:09.54 ID:XV80etCc0.net
>>846
魏志倭人伝で魏の使者は明らかに九州に上陸してるのに何言ってんだこいつ
これが畿内説特有のゴッドハンドってやつか

849 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:50.96 ID:V7Vo4UFv0.net
九州から近畿に大規模に引っ越してくる理由ってなんだったの?

850 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:49:03.54 ID:eFjgZzig0.net
高千穂とか後で付けられた
地名が証拠だとw

851 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:06.08 ID:XV80etCc0.net
>>824
ビロウに目をつけるとはなかなか鋭い考察だな
たしかにその点では瀬戸内海説は非常に苦しい

852 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:15.70 ID:GyUZgZXt0.net
>>849
津波

853 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:51:56.12 ID:mCoNbkUz0.net
量もそうだが九州説は年代の一致を無視してる時点で話にならんよ。
三世紀の文献で丹山があるとするなら当然
同年代の分布を見ないとダメな事位
誰でも判るだろ。

854 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:20.61 ID:MI+xh1R70.net
>>849
そんなに大規模でもなかったんじゃないか
記紀でも神武天皇のお供は少人数だったようだし

855 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:48.28 ID:8wIHTyet0.net
>>851
福岡と瀬戸内海どちらが温暖か?

瀬戸内海に決まっているだろう。

856 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:56:38.11 ID:GyUZgZXt0.net
>>854
高知大の調査で20mを超える津波がきている
もちろん高知も来ただろうけど

857 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:57:31.28 ID:8wIHTyet0.net
>>848
九州は通り道。
九州に倭人の国は一つもない。

中国江南から広がった下戸遺伝子。

中国南部の文化である銅鐸。

島生み神話は、中国南部に多い神話のモチーフ。

日本に於ける下戸遺伝子分布の中心は、大阪湾と伊勢湾。

淡路島から紀元前4世紀の銅鐸が出土。
国生み神話で最初に生まれる淡路島。
イザナギの宮があったとされる淡路島。


唐古鍵遺跡の弥生時代中期の木棺墓から出土した頭蓋骨は大陸系の特徴が強かった。

呉の末裔を名乗る倭人とは、中国南部から渡来した人々、下戸遺伝子をもたらした人々と考えるのが妥当。
中国南部から銅鐸文化をもたらした人々(倭人)が渡来したのは、紀元前4〜5世紀。春秋時代末期。

弥生時代中期には、ヤマトで拠点集落を作れるぐらいに勢力を拡大していた。

倭人の分布は畿内や伊勢尾張、美濃、吉備中心。

858 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:00:37.87 ID:qST83mrq0.net
北部九州より瀬戸内海から四国東南部や
紀伊半島南部の方がずっと温暖だしな。
倭人伝に描かれた風俗なら丹もあるし倭の海人の里はこの辺りだろう。

邪馬台国の可能性が一番低いのは北部九州説、
奴国なんだから当たり前だろw

859 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:06:07.21 ID:QrMBSxEI0.net
>>855
どう頑張ってゴッドハンドしても、瀬戸内海にビロウが自生しないという事実は覆らないぞw

860 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:08:05.20 ID:ZsBPJ3rL0.net
>>857
魏志倭人伝で九州に来た魏使が倭人の風俗として現地人の風習を記録してるのに、
それガン無視して倭人じゃなかったとかキチガイかよw
もう畿内説ってのは狂人しか信じてないんだな

861 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:09:47.88 ID:Ak51dlld0.net
>>857
九州どころか朝鮮半島南部まで倭人が進出支配してたのに何をトチ狂ってるんだコイツ

862 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:32.36 ID:ZdOUU02H0.net
>>813>>824
>おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 
>あはしま おのごろ島 あぢまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ

前から思ってたんだけど、その歌は無理に
一望させようとするからわかりにくいんであって。

思うに、「難波の崎よ 出で立ちて」の時点で
当人が西を向いてるのを示唆し。
「我が国見れば」で東に向き直ってる事を示唆してる。
(「あじまさの島」で南を経由して。西→南→東と)

だから、あわしまは四国の事であり。おのごろ島は沼島の事だろう。

日本神話で、「あわしまがヒルコと共に流された」とされるのは
阿波(粟)と「泡となって消えた」をひっかけた神話上のダジャレ(言霊)で。
おそらく、阿波の国を含む四国を
あわしまとも古くから呼んでいて、
実際は消えてもいないんだろう。
(あえて言うなら、そういう呼び名の方だけ消えた)

というか、ヒルコのヒルは「屁をひる」のヒルで。
それがアワとなってブクブクと海面に出ちゃった。
……ってオチな気がする。イザナミが島を産むつもりで
海の中に下半身をつけてイキんでたら、オナラが出ちゃった。
だから、おならであるヒルコとアワシマは子供に含めないってネタで。

863 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:44.39 ID:5BenmTjZ0.net
>>858
四国や紀伊半島に行くのに佐賀で船から降りてしまうバカはいませんwwww
目的地が九州の中にあるから船から降りたんですよっと

864 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:52.39 ID:A1hRTbET0.net
>>860
九州北部は吉備の支配下だな。
博多の那珂地区。播磨の土器が大量に出土。
吉備の倭人が乗り込んでいる。
だからと言って、元々九州が倭人の国だったわけではない。

865 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:12:53.40 ID:A1hRTbET0.net
>>863
関門海峡が船で通れないので陸路で迂回するしかない。

866 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:15:52.90 ID:5BenmTjZ0.net
>>842
九州の前方後円墳から特殊器台が出ないというのは、>>212が言うように
九州こそ前方後円墳の発祥の地で、東に伝わる過程で特殊器台が付け加えられたと考えるしかない
箸墓や纏向が4世紀という>>19の関川氏の分析どおりだな

867 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:17:36.59 ID:5BenmTjZ0.net
>>865
だったら海路で九州を迂回するだろw
畿内説の妄想はもう詰んでるんだよ

868 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:43.67 ID:vCTLAtBu0.net
>北限は福岡県宗像市の沖ノ島。
>ビロウにちなむ地名として、枇榔島(宮崎県門川町、鹿児島県志布志市、南大隅町)、蒲葵島(高知県大月町)などがある。

出でたって眺めたのなら、瀬戸内海を通る船旅だな。
「幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く」だから、
仁徳天皇自身が実際に船旅しなくてもいいけどね。誰かが船旅で見ている景色ということで。

869 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:47.84 ID:5BenmTjZ0.net
>>864
残念だったな
>>219が言うように、3〜4世紀の九州の古墳からは吉備式の特殊器台が出土しない
吉備の支配下でないのは確実
むしろ九州発祥の前方後円墳が伝わっているのだから九州が吉備を支配したのだろう

870 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:22:59.88 ID:A1hRTbET0.net
>>862
以下の二つの歌を合わせると面白い。

後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇


オノコロ島。
字の如くじゃないかな。
自ら固まって島になる。洲。

昔、大阪城のすぐ北を淀川の本流が流れていたんだよ。現在、中之島があるところ。
オノコロ島は中洲のことじゃないかな。

倭人は大阪湾に渡来して、初めは中洲に住み始めた。そして間も無く淡路島に拠点を移した。
そして、本土の先住民と交わり、次第に内陸にも勢力を広げた。

871 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:39.29 ID:A1hRTbET0.net
>>867
昔から飯塚市から行橋市に抜ける道があって、関門海峡が開通していない当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だったんだよ。

872 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:52.73 ID:2Dsbu8BA0.net
>>864
魏志倭人伝では九州の国邑までが一番詳しく記録されているわけだが
目的地が畿内ならどうして目的地に着いてからのことが詳しく記録されていないのかね?

もう畿内説は完全に崩壊したんだよ、諦めなさい

873 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:26:19.77 ID:byiG8+n20.net
関西の人達四国の石で出来た矢じりで弥生人にいっぱい殺されているけど
なんで四国の石なんだろう

874 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:28:27.29 ID:vCTLAtBu0.net
古事記の文章から歌だけ取り出して論じてもしょうがなかろう。

>ここに天皇、その黒日賣(くろひめ)を恋ひたまひて、大后(おほきさき)を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲(おも)ふ。」
>とのりたまひて、幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く、
>おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば  淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の 
>島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ とうたひたまひき

875 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:31:40.51 ID:qST83mrq0.net
>>867
無駄だよ、七万戸の国が九州南部に存在した形跡すらないからな。
それに倭人伝には火山の記述が皆無だぞ。
温泉の記述もない、そんな特徴的な事が描かれてない以上は九州なんて北部を通過した位だな。

876 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:32:37.83 ID:A1hRTbET0.net
>>872
邪馬台国の比定地は?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

877 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:33:12.17 ID:jJRgrDxG0.net
>>871
ソースは?

878 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:14.05 ID:A1hRTbET0.net
>>873
畿内も伊勢と吉備に征伐されたんだよ。
阿波は吉備の子分。

ヤマトの地も卑弥呼を共立する伊勢と吉備に征伐。
征伐後のヤマトの地を卑弥呼が都としただけ。

九州北部もヤマトも征伐されたことには変わりない。

879 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:36.52 ID:arhLddYz0.net
>>875
九州にはまだ発掘されていない場所が山ほどあるわけだが
火山だって常時噴火してるわけでなし、噴煙が上がってなければただの山だ
畿内からは九州にある金銀財宝が全く出土しない時点で畿内説はもう無理

880 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:37:11.34 ID:byiG8+n20.net
倭人は火山を崇拝しているとかの記述があった覚えがある
物凄い火山

881 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:38:26.46 ID:DtI0J9He0.net
>>878
>>869

882 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:39:56.53 ID:A1hRTbET0.net
ヤマトは征伐され、卑弥呼が都を置いた。

九州北部も征伐され、博多に一大卒が置かれた。

大して変わらない。

883 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:44:39.62 ID:qST83mrq0.net
>>879
もはや支離滅裂だぞ。倭人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
それが現実だよ、中国人の興味は丹にあった
と言う事。三輪山の背後は水銀朱の山だからな。そりゃそっちに行くよ、中国人は。

金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは
水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。

884 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:02.31 ID:SUp/O3YV0.net
金印が出るのをまて
それしかない

885 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:06.13 ID:dhoZJrEz0.net
>>879
大陸や日本中の金銀財宝が畿内に集結!これなら日本の中心として納得するが、
日本中の土器が畿内に集結!と言われたら、
そりゃ今でいう共同出資を各地から集め、畿内の田舎に新しく住宅街作りましょうみたいなノリにしか思えんわな
そのときリーダー格だった九州の名前が畿内中についたんだろうなと

886 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:49:05.23 ID:A1hRTbET0.net
九州北部もヤマト同じ征伐された側。

ヤマトには卑弥呼がいて、博多には一大卒がいた。

887 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:51:50.17 ID:MoO+fHXU0.net
>>886
畿内説では一大卒は琵琶湖を突き抜けた海辺りになるんじゃねーの?

888 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:54:38.23 ID:XT2pVayx0.net
>>883
支離滅裂はお前だろゴッドハンド君

>人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
はいゴッドハンド
実際の記述は
「出真珠青玉其山有丹其木有{木冉}杼豫樟?櫪投橿烏號楓香其竹篠幹桃支有薑橘椒襄荷不知以爲滋味有爾猴黒雉」
訳文
  真珠、青玉を産出する。山には「丹」を産出する。樹木には、くす、とち、くすのき、ぼけ、くぬぎ、すぎ、かし、やまぐわ、楓などがあり、
  竹類には、ささ、やたけ、かづらだけなどがある。
  生姜、橘、山椒、茗荷もあるが、滋味ある食物として利用することを知らない。猿や黒雉もいる。

別に宝物だけの記述でもないし、筆頭は真珠、次いで青玉

>金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。
「以朱丹塗其身體如中國用粉也」
倭国では白粉程度の扱いだったようだがw

889 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:59:28.42 ID:bOlaASOn0.net
九州筑紫にしらぬいの枕詞があるの?
しらぬいは邪馬壹国の根拠のひとつじゃん
その他大勢の事実とも合致して九州で結論だな
奈良は新しい都と

890 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:00:15.31 ID:EUUuDPQm0.net
>>885
当時から既にクラウドファンディングが!(笑)
まあ普通に考えりゃ被支配地域が財宝独り占めとかあるわけないし、九州が支配側だったんだろうな

891 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:00.58 ID:XGETgkpD0.net
>>843
眠いのでコピペだけ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

892 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:39.32 ID:byiG8+n20.net
>>889
枕詞とか知らんが不知火海なら熊本にある

893 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:09:56.62 ID:wW9hKSHL0.net
もともと古墳時代の成立が四世紀という前提があって、
古墳が近畿から地方に拡がったといってもそれ以前だから邪馬台国は九州にあっても不思議じゃない、って説だから、
古墳時代が繰り上がっちまえば三世紀とかになれば、
卑弥呼の時代には既に古墳時代が成立していた。

近畿の強い国が九州まで勢力を伸ばして大陸と交易していた、って流れが主流になったんだよな。

今もう考古学で邪馬台国、九州説を唱えている奴はその前提をぶっ壊して新たな理屈をひねり出した奴しか支持していない、って話だぜ。

894 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:15:24.26 ID:byiG8+n20.net
出土物を盗んであちこちに散りばめる考古学者なんか信用できない
魏志倭人伝の文献がすべて

895 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:26:56.96 ID:pttSjWmO0.net
魏志倭人伝をきちんと読めば海の真ん中に出ちゃうよな
九州はありえない
あれは方角を間違えただけ

896 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:29:05.07 ID:EUUuDPQm0.net
>>893
違う違う
畿内で一番古い前方後円墳とされる纏向が布留1式期の四世紀築造(>>19
一方九州で一番古い前方後円墳とされる那珂八幡古墳は庄内期の三世紀の築造とわかったので
九州で生まれた前方後円墳が瀬戸内海→畿内へと東へ東へ広まっていったのが明らかになった

このことは>>219にあるように、吉備で生まれた特殊器台が九州の3〜4世紀の古墳から出土しないことからも確認される
卑弥呼の時代は文化の中心は九州であり、そこから東へ一方通行に伝わっていったのが明確になっている

897 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:31:09.65 ID:Zra1ZrIx0.net
>>895
いや対馬→壱岐→唐津とちゃんと九州へのルートが書かれてるんだが
ありえないのはお前の頭だよ

898 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:48:36.49 ID:kqdQ+Z6t0.net
>>19
知らんかった
マスゴミもしっかりと伝えろよな
関西人に騙されるとこだったわ

899 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:54:49.10 ID:byiG8+n20.net
元朝日新聞の記者が奈良より福岡が古い時代から栄えた真実を
記事に書こうとしても全部没にされたと言ってた
朝鮮人にとっては邪馬台国は奈良でないと困るのだろう

900 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:57:45.94 ID:vCTLAtBu0.net
記述されている方角なんて、結構大雑把で主観的だよね。対馬から壱岐に行く方角は魏志は南で隋書は東。
現代の地図だと対馬から見て壱岐は東南だね。http://tsu-com515.my.coocan.jp/ikiTsushimaisle1.jpg

三国志魏書倭人条
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。始度一海、千餘里至對馬國。
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國

隋書倭国伝
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望耽羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、
又至竹斯國、又東至秦王國

筑紫国から秦王国(周防国)も東じゃなく北東よりだよね。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201401/23/29/b0173629_12592050.jpg

901 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:03:09.65 ID:qST83mrq0.net
>>888
馬鹿だね、倭人では白粉に使うように使うから特筆してんだよ。
ちなみに真珠青玉ときて山に丹だぞ?
普通にお宝扱いだな。し

902 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:08:49.20 ID:byiG8+n20.net
短里説なら九州で治まるらしいね
古代中国では短里を使ってたらしいし

903 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:09:40.94 ID:Qvn788X20.net
神武天皇の出身地は古事記や日本書紀にも書かれているように宮崎県高原町
皇子原と言われる場所があり、そこで生まれたとされる
神武天皇の幼名は狭野命といいますが、その地に狭野神社というのがあり
神武天皇を祀っている
BC667年に45歳で東征に出発し、BC660年に即位

904 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:12:32.10 ID:pttSjWmO0.net
>>897
不弥国から水行20日および水行 10日陸行一月
どう考えても九州に収まるわけ無いだろ馬鹿か

905 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:16:42.98 ID:byiG8+n20.net
>>904
短里は陸路で使っているはず

あの武田邦彦先生が邪馬台国は九州と言っている
https://youtu.be/lUdy6TMt9IY?t=139

906 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:19:23.13 ID:pttSjWmO0.net
>>905
短里以前に日数でぜんぜん収まらないから

907 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:22:28.55 ID:byiG8+n20.net
>>906
対馬海流に逆らって進むのがどんだけ大変か知っているのか
角川春樹が体育会系の大学生を使って木船で実験したが
救助しなければならない羽目になった

908 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:27:39.16 ID:qST83mrq0.net
>>907
流れに乗れば当然東へ流されるから。
つまり南と思って本州側に向かったんだよ。

909 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:42:13.16 ID:byiG8+n20.net
>>908
どうやって奈良県に流されるのか???

910 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:42:46.57 ID:PwXw3Cpo0.net
 倭人伝にあるのは邪馬壹国へは、帯方郡を出発地とし、
一万二千余里を水行十日、陸行一月の合計約四十日間の行程。
四十日には悪天候で航海できずに陸で待機する日も含まれる。

船旅に不慣れな魏の役人を、当時の船で安全に九州に届けるには
四十日を要したのだろう。

911 :ドクターEX:2017/12/12(火) 02:59:18.99 ID:r/I17HVk0.net
邪馬台国は温暖な国となってるのに、奈良が温暖だって?wwwwwww

912 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:16:08.13 ID:2fsuVYUD0.net
畿内説って、前の戦争のため
万世一系をでっちあげるには最適の地域だったんだろ。
おかげで神話だの架空の天皇だの古代ロマンだのと
ごまかすのに一所懸命。
北部九州ならすべてが実在。
ごまかす必要もないからね。菊池出身の神武さんが北部九州を
平定して邪馬台(ヤマト)国の元年。

913 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:20:34.64 ID:pttSjWmO0.net
>910
九州の不弥国から水行二十日および水行十日陸行一月だ
嘘ばかり言うな

914 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:22:12.92 ID:pttSjWmO0.net
これだけみても九州説なんかありえないんだよ

915 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:25:42.97 ID:byiG8+n20.net
>>912
やっと菊池家を語る人がでてきた(泣
西郷さんも実は菊池の豪族
後醍醐天皇まで菊池の血筋だった
長州と手を組んだのはワケワカラン北朝から
南朝に戻す為

916 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:34:40.69 ID:qST83mrq0.net
行程で投馬国もスルーしてる時点で既に
終わってるからな、九州説なんて所詮にはファンタジー。邪馬台国より近い投馬でさえ五万戸の国だぞ、九州のどこに存在するんだよw
邪馬台国は卑弥呼が都とさだめた国にすぎない。畿内しか有り得ないわ。

917 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:34:59.76 ID:K/Hu7NswO.net
ナイチャーは本当にバカさねー
邪馬台国は沖縄じゃろね

918 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:44:05.91 ID:weZ2xyIj0.net
大和 これがどうしたらヤマトになるんだぜ

919 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:14:30.67 ID:dHr7aPUF0.net
>>914
かっと言って、近畿もない。

920 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:17:28.70 ID:mf3Z9iWc0.net
卑弥呼のころの建物の跡が残っているなんて、
単純にすごいな。

921 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:43:23.61 ID:pttSjWmO0.net
>>919
九州がないことは明らか
畿内はほぼ確定だよ
愛郷心で歴史をみれば間違える

922 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 06:03:39.48 ID:G1CuYQi/0.net
魏志倭人伝に
計其道里、當在會稽東冶之東。
その(倭国の)位置を計ってみると、ちょうど會稽や東冶の東にある。

とある
当時の人でも文字通りに読むと倭国は沖縄や台湾のあたりに
なってしまうから、やはりどこか記述がおかしいんだよね

923 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:27:22.66 ID:zGoaxOHs0.net
>>790
逆ですよ
奈良だけが不思議なくらい弥生時代に
丹がないんですよ。

さすがに古墳時代に入れば
いくつか丹の使用痕跡が出てきますけどね。

924 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:31:15.53 ID:uc6jNlKe0.net
こんだけ探しても確証が得られないのだから
場所は日本以外とすれば、朝鮮半島じゃね?
当時倭国とやらはそこまで存在してただろ
縄文土器も朝鮮半島にまで伸びているのだから

925 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:53:02.92 ID:gx+Jhr0K0.net
ざっと読んだけど九州説論者の畿内説への中傷ひどいな
学者や研究者が揃ってゴッドハンドやってるとか何の証拠もないのによくこんなこと言うわ
あと関川編年なんて学会で一人も支持者がいないんだから説としては死んでる
邪馬台国がどうこうとか関係なく日本の古代史の年代観として誰にも支持されてない
そんなのを持ち出して来ても無意味

926 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:53:25.24 ID:FK64fOJA0.net
邪馬台国は佐賀だろ

927 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:57:32.18 ID:pttSjWmO0.net
>>924
やっぱり朝鮮人がまぎれこんでるな

928 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:05.16 ID:g+U5Hr1r0.net
>>926
んだな

929 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:18.10 ID:wQLvLiT70.net
もう気にするのはやめなさい
巻向クラスの痕跡なんて
あの辺掘り返せばあちこちあるんですよ
知名度アップのために過剰な喧伝しただけ

930 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:33.55 ID:gx+Jhr0K0.net
学会での邪馬台国論争の争点は3世紀中頃の時点で畿内ヤマトの進出が北部九州まで到達しているかどうかであった
北部九州の各地で庄内式土器が出土しており畿内ヤマトの勢力は北部九州まで及んでいることが判明して
学者や研究者の間での邪馬台国論争は決着した
そういう専門知識のないやつらが先入観でいまだに九州説を主張してるだけ

931 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:06:51.73 ID:zGoaxOHs0.net
北部九州では庄内式なんて
多くのバリエーションの一つに過ぎない。
北部九州で庄内式が出るのは狭い範囲だけ。
ごく小規模の集団が九州に移住しただけだろう。

932 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:08:28.88 ID:Mhc7sOYx0.net
ここって、市街地のど真ん中やんw
住宅建てた方がええんちゃうの?w

933 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:08:47.08 ID:zGoaxOHs0.net
あるなし、だけじゃなく量や範囲にも
注意したほうがいいですね。
ごく少量しか見つからないと
あるなししかわかりませんが。

934 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:09:23.49 ID:7eAe50Lx0.net
九州だと小国ってことになるからつまらん
奈良だと大和政権につながるロマンになるけど

935 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:13:26.09 ID:r/se7nQE0.net
まぁ邪馬台国はほぼ纏向で間違いないんじゃないかな
吉野ヶ里は政治的中心の都市としては不十分な気がする

936 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:17:06.97 ID:zGoaxOHs0.net
吉野ヶ里は小国の一つでしょうね。
小国としてはちょっと大きめだけど。

たまたま大きく広く掘れたから
大きい遺跡に見えるだけ。

大体10〜15q低度の間隔で
小国の中心集落っぽい遺跡がある。
国邑ってやつだね。

937 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:19:17.57 ID:eqWsXpZ60.net
>>932
あそこのどこが市街地だよw

隣は小学校で、周りは田んぼ時々古墳しかない。

938 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:23:30.20 ID:gx+Jhr0K0.net
>>931>>933
例えば奴国
戸数2万戸と書かれており北部九州最大の国
3世紀後半になると奴国の中枢部から出土する土器の過半数が畿内系土器になる
首長層の祭祀も畿内系土器に変わる
纒向型前方後円墳も造られる
ここまでくると植民地同然
3世紀前半ではそこまで畿内系土器は流入してないが畿内ヤマトの影響を受けていたのは確実
日本列島の盟主の国がそこまで進出していて奴国でさえも畿内ヤマトの傘下に入っていたんだから
他の九州の雑魚みたいな国は出る幕がないということ

939 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:23:50.52 ID:rt2PEOHF0.net
卑弥呼はオレの嫁だった

940 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:24:28.40 ID:Zn6TO6bC0.net
見える化って何かテキトーに使われる言葉だな

941 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:24:31.40 ID:qST83mrq0.net
>>923
何言ってんの?奈良って何処の話だよ。
紀伊半島に沢山確認されてる精製跡は
何?

942 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:26:42.62 ID:zGoaxOHs0.net
>>941
そっちは三重県でしかも縄文時代。
再び採掘されるのは奈良時代だそうですよ。

943 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:28:30.05 ID:ENfR9HoZ0.net
つーか小規模の王国なら本州中にあっただろ
なぜ古代人の目線でみれば広大な日本で奈良だの北九州だの
一点に絞りたがってるのかわからんww
もっと複雑に決まってるw

944 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:30:41.66 ID:zGoaxOHs0.net
>>938
ないない、畿内から九州へ
文物が運ばれてきていただけでしょう。
いくらか移住してきた人もいるようですが。

一方九州から畿内へは
あまり物は運ばれていませんね。
鉄で1/40、銅で1/20しかありません。

945 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:32:09.78 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説の人がよくやる間違い
魏志倭人伝を魏志邪馬台国伝だと勘違いして、倭国倭人一般の風習が畿内には不一致と批判する
魏志倭人伝を邪馬台国旅行記だと勘違いして、瀬戸内や畿内のことが書かれてないと批判する

946 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:36:00.86 ID:wunWjOYJ0.net
奈良がまほろばなのは理由がある
実際にどこでもなく奈良から日本の政治は始まった
北九州を主張するのはいいが
ではなぜ日本の歴史の中心が九州でないのか
のちに日本で天皇と呼ばれる一族の仕事がなんだったのか
世界でそのような地位にある王の仕事はなんだったのか
必ず天皇と同じ権能を持っていた
軍事中心になるのはその後だ

947 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:39:40.35 ID:gx+Jhr0K0.net
>>944
4世紀になると畿内ヤマトの九州への進出はもっと活発になる
3世紀前半、3世紀後半、4世紀と基本的に全く同じ流れで量や範囲が増えて行くだけ
3世紀の畿内ヤマトの進出を否定することは4世紀以降の進出も否定するのと全く同じ
つまり日本の古代史の全否定、教科書に書かれてることさえも否定してる
そこまでぶっ飛んだトンデモ言いたいなら好きにすればいいよ

948 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:39:58.42 ID:qST83mrq0.net
>>942
だから無知なんだよ、歴史やるなら地勢も勉強しなさい。
山に丹なら当然奈良盆地ではなくその周辺の山、吉野から伊勢は当然三重だし。
紀伊半島は弥生中期以降にも精製跡なんて多数
確認されてるよ。

949 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:46:42.64 ID:x2iEAUqR0.net
>>947
より交流が活発になるのは否定しないけどね
古墳時代に至っても、それどころか7世紀まで
鉄や銅の出土量で畿内が九州を上回った事はありません。

6〜7世紀には糸島で製鉄高炉群が作られて
60トンの遺物が確認されています。
このあたりになるとケタが違いますね。

950 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:49:40.21 ID:wW9hKSHL0.net
>>943
当時の技術では九州を経由しなければ大陸と交易できなかったから。

だから古墳時代が四世紀ごろ始まったとされる旧説では、
邪馬台国は九州にあり大陸と交易できた、卑弥呼から古墳時代が始まったって解釈が有力だった。

しかし最近、古墳時代の年代が三世紀前半にまで繰り上がったことで九州説は歪んできた。
なぜなら三世紀には既に古墳を作るだけの権力と国力を持つ国ができあがっていたこと。
さらに九州から関東地域の広い地域までの交流を示す証拠、大陸製と思われる銅鏡が一度に三十枚くらい見つかった事。

これによって、三世紀には既に畿内の国が大陸と交易していた、という証拠が出たことになり、
大陸と交易するのには九州を経由するしかない。
よって畿内から九州まで広域な支配権を持つ「国」が畿内にはあった、という説が有力になった。

951 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:49:48.91 ID:x2iEAUqR0.net
>>948

それが弥生期の奈良の古墳で二箇所でしか
使われなかったのはなぜでしょうか?

弥生時代には九州は朝鮮半島に鉄を採りに
行っていたそうなので
三重や阿波の丹も九州に運ばれていたのでしょう。

九州では丹の豊富な使用例がありますからね。

952 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:53:37.43 ID:MJ5+bYcw0.net
>>827
そんなことはどうでもいいことw

953 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:56:16.49 ID:MJ5+bYcw0.net
>>938
3世紀後半には畿内が奴国の植民地になりそこから貢物の容器や税として九州に運ばれたってことだな

954 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:58:40.83 ID:98USUHs90.net
魏志倭人伝には、卑弥呼を滅ぼしたのは狛奴国だと書いてある。
中国の属国の印である金印を貰って志賀島に捨てた倭奴国だよ。

新唐書卷220 列傳第145 東夷
【現代訳】
日本は古の倭奴国(いどこく)である。都長安から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中にある島国である。その国土の広さは歩いて東西は五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
国都には城郭がなく、材木を並べて木柵とし、草で屋根をふいている。周辺には五十余りの小島があり、それぞれ勝手に国と号し、日本国に臣下として服従している。王は統轄者を一人置いて、諸地方を監督させている。
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

955 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:02:20.08 ID:pttSjWmO0.net
>>953
墓まで畿内風にされてるんだから
逆だろ

956 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:03:14.15 ID:g+U5Hr1r0.net
纒向を邪馬台国にしてしまいたい勢力がいる
ここは魏志倭人伝を離れて纒向王朝を研究する姿勢が正しい

957 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:06:02.58 ID:i4ov6ImN0.net
>>954
結局、畿内は「遷都先」でしかないんだよな

958 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:06:26.58 ID:Hjq41Vq00.net
地政学的に九州が日本のコアになりえないんだよなあ、北海道だって同じ。九州説は魏志倭人伝が唯一のよりどころなんだろうけれど、あれは方向距離トンチンカンのB級資料だし、それをB級C級の分析をして、合わせてD級。学問研究的には価値なし。発掘調査が全てです。

959 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:07:26.27 ID:98USUHs90.net
日数には滞在期間も含まれてる。
天候による遅延や要人との面会に要する日数を含んでいる。

960 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:08:50.64 ID:g+U5Hr1r0.net
>>958
北部九州宝物ザクザク
纒向は全国の地味な土器片ばかり

961 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:08:53.94 ID:gx+Jhr0K0.net
>>949>>953
鉄の量で争うつもりはない
鉄貧乏の奈良から日本の国は統一されたというのが日本史の通説、いや定説だな
その定説さえも否定するのなら議論が噛み合うわけがない
日本の歴史を全否定したいなら好きにやってくれ

962 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:09:21.51 ID:MJ5+bYcw0.net
>>950
古墳とか各く地域レベルの豪族でも十分に造れるから
広域な支配権を持つ必要なんてありません
広域な支配権を持つ「国」を統治するには文字が不可欠ですが
3世紀に文字使用が認められる地域は北部九州と出雲くらい
畿内に国家の成立なんて無理。

963 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:10:32.97 ID:MJ5+bYcw0.net
>>961
妄想の日本史ですねw

964 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:11:42.97 ID:g+U5Hr1r0.net
>>961
大和王権以前の日本にも目を向けないと

965 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:12:01.33 ID:qST83mrq0.net
>>951
豊富な使用例なんてな

966 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:13:42.60 ID:MJ5+bYcw0.net
>>930
妄想が支配する学会かw
学問として死んでるな

967 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:00.69 ID:Hjq41Vq00.net
鉄はあれでしょ、鋳造と鍛造。鍛造はずっと後の時代。鋳造の鉄の武器なんて使い物にならないと思われ。鍛造の技術は出雲じゃないの。

968 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:22.84 ID:i4ov6ImN0.net
>>961
だから九州から畿内に遷都し全国支配したんだろう?

969 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:24.14 ID:MJ5+bYcw0.net
>>965
資料を調べれば朱に付いては九州の優位性が分かるはずだよ。

970 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:17:21.11 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説がよくやる詐欺の手口
弥生時代の全期間を合算して九州は出土品が豊富だと騙す(例>>78
古墳時代の出土品も含めて九州は金銀財宝いっぱいだと騙す(例>>641

971 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:18:26.97 ID:qST83mrq0.net
>>951
九州にも豊富な使用例なんてないよ、大半が
ベンガラにあってもわずかな水銀朱は大陸産。
倭人伝を読んでみたら?
山に丹があって普段体にも着けたりしてるだけなんだよね。精製跡が残ってるのは
紀伊半島中心で問題ないから。

972 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:20:07.71 ID:g+U5Hr1r0.net
統一にどれ程の意味があったのか

973 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:21:01.43 ID:qST83mrq0.net
>>969
何の資料かな?
30年前とか何とかの会なら無意味だぞ、
あそこは九州説広報だしな。

974 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:25.39 ID:g+U5Hr1r0.net
気候風土
自然災害の有無がミヤコを決める

縄文中期のミヤコは青森だったかもしれないし

975 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:25.40 ID:LDGyZCQp0.net
>>1
邪馬台国は九州じゃないの

976 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:52.48 ID:i4ov6ImN0.net
魏志倭人伝も長崎県北の松浦、佐賀の唐津あたりに上陸してるとされてるのに古い博多説持ち出して混乱招いてるしな

977 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:31:07.12 ID:wunWjOYJ0.net
北九州はありえないよ
左翼が天皇の権威を失墜させたいだけ

978 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:47:10.29 ID:JsJc+BIB0.net
クナ国との戦争時に魏の援軍も来てるんだから、九州だろ。
奈良までの派兵は距離が有りすぎ。

979 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:48:04.46 ID:+4rZrDVE0.net
いらないよ。

980 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:51:10.43 ID:fKXQBVp30.net
>>978
戦線が九州なだけだから。卑弥呼は鬼道使いだよ。

981 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:02:42.72 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説の主張はある程度パターン化できるな
・日本史の定説を全否定して、古代の九州にはヤマト王権さえもその支配下に置いていた強大な王国があったとトンデモ主張
・学問を否定し学会はゴッドハンドをやってると決めつけ
・全く違った時代のデータを示して九州はこんなに凄いのだから邪馬台国は九州だと騙す
・知識不足から魏志倭人伝の珍解釈で九州だと思い込む
・短里とかいう度量衡の捏造や距離の不一致や戸数の不一致を一致だと強弁し黒を白だとゴリ押し

982 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:13:45.64 ID:loTC3Ly20.net
>>930
メイドイン台湾の土鍋が北海道で使われてたら台湾に占領されてたことになると思っているバカ発見

983 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:19:52.02 ID:9UibpyeN0.net
>>1
ド田舎の草ぼうぼうの空き地の整備に金出したいと思う奴いないだろ?
やりたいなら町内会費でやれって感じなんだが

984 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:20:43.02 ID:Hun/qIec0.net
次から次に考古学的根拠を積み上げていく九州説に対して
それを根拠もなく否定するだけの畿内説。

ところで、畿内説の根拠がないよ?

985 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:24:33.99 ID:gx+Jhr0K0.net
>>982
九州説はこうやって考古学者をバカ扱いするだけ

986 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:24:50.20 ID:wunWjOYJ0.net
九州説のどこに考古学的証拠があるんだ
どれも九州はありえないと解釈できるものばかりじゃないか

987 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:11.35 ID:Hun/qIec0.net
畿内説は個人を避難するだけで
畿内説の根拠を出すのはアレヤコレヤで逃げ回るからな

988 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:34.09 ID:enmLaVMf0.net
>>968
定説ですね
古事記に記載されていますし

989 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:55.28 ID:wunWjOYJ0.net
>>983
奈良はその空き地を掘ると次から次と出てくるんだよ

990 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:29:03.62 ID:pttSjWmO0.net
九州人はやってることは朝鮮人と同じ
嘘も100回言えば本当になると思ってる馬鹿

991 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:30:52.64 ID:wunWjOYJ0.net
北九州説の最も弱いところ
食料どうしてたんだ
大した人口養えないだろ

992 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:32:49.05 ID:enmLaVMf0.net
考古学、考古学と連呼している人がいますが、個人的に最も学問的な熟成が遅れている分野ではないかと感じています
ゴッドハンドを見抜けなかった件で国民多くが呆れたのではないでしょうか

993 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:34:12.67 ID:Hun/qIec0.net
延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城 424,070
  大和 554,600
  河内 400,954
  和泉 227,500
  摂津 480,000

西海道 5,990,581
  筑前 790,063
  筑後 623,581
  豊前 609,828
  豊後 743,842
  肥前 692,589
  肥後 1,579,117
  日向 373,101
  大隅 242,040
  薩摩 242,500
  壱岐 90,000
  対馬 3920

994 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:34:24.89 ID:wunWjOYJ0.net
>>992
他も大して変わらん
おぼこがいただろ

995 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:01.81 ID:+noByONT0.net
900万で済むんだ
面白いな
俺も一口募金しようかな

996 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:29.86 ID:2+6NBA0xO.net
>>991
筑紫平野も熊本平野も大穀倉地帯だが

997 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:56.65 ID:enmLaVMf0.net
お金集めもいいですが、まずは職員の方がボランティア活動で草むしりや周辺のゴミ拾いをすることから始めてみてはいかがでしょうか

998 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:36:50.78 ID:wunWjOYJ0.net
>>993
いつの時代の話だw
作田技術もなかった時代の話だぞ

999 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:37:30.10 ID:2+6NBA0xO.net
畿内説=ゴッドハンド

1000 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:37:57.77 ID:enmLaVMf0.net
募金不要

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