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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

1 :泥ン ★:2017/12/09(土) 17:13:37.52 ID:CAP_USER9.net
2009年に大型建物跡が発見された際に柱跡に建てられた目印。
今回の丸太のイメージだ=奈良県桜井市の纒向遺跡で2009年11月10日、貝塚太一撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010051000p/9.jpg
現在の大型建物跡。それと分かる目印は何もない=奈良県桜井市辻で2017年12月6日、山本和良撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010052000p/9.jpg

 女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地の一つとされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡(国史跡)で、「卑弥呼の宮殿跡」と注目された大型建物跡などの建物遺構について、市は位置が分かるように丸太を設置することを決め、インターネットで寄付を募るクラウドファンディングによる資金集めを始めた。事業費の4分の3に相当する900万円を目標に、来年2月末まで協力を呼び掛ける。【山本和良】

 纒向遺跡は、3世紀代を中心に営まれた大規模集落遺跡で東西約2キロ、南北約1・5キロの範囲に及ぶ。2009年に見つかった大型建物跡は3世紀前半のものとみられ、同時期のものとして国内最大規模。前方後円墳の箸墓(はしはか)古墳は卑弥呼の墓の説もある。

 周辺は、他にも弥生時代末期〜古墳時代初めの古墳など貴重な史跡が豊富で、年間を通じて考古学ファンら多くの見学者が訪れる。しかし、纒向遺跡を紹介する施設はなく、大型建物跡に至っては埋め戻されている。このため、「様子が分かるようにしてほしい」などと訴える声が盛んに市に寄せられていた。

 そこで市は、今年度中に大型建物跡などの柱の跡に、目印になる杉の丸太(直径15〜32センチ、地表の高さ1メートル)を設置することを決めた。木材は、桜井木材協同組合の協力で無償で提供してもらえるが、全部で65本を設置する費用などに約1200万円が必要。文化財関連の財源確保に頭を悩ませる市は、ネットのふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」を活用することにした。寄付はふるさと納税制度の対象となり、税控除が受けられる。

 協力者には、市纒向学研究センターが発行する機関紙「纒向考古学通信」を3年間送付し、遺跡の調査や保存整備の状況などを随時知らせる。

 市教委総務課は「建物の柱を目に見えるようにすることで、古代史最大の謎解きを体感してもらいたい」としている。

毎日新聞 2017年12月8日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171208/ddl/k29/040/544000c?inb=ra

714 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:50:28.63 ID:O6Z+NOoi0.net
結局九州の可能性が高いがどこかは分からない
畿内の可能性は低く少なくとも纏向ではない
ってことか

715 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:52:08.31 ID:bWcsSoQI0.net
勘違いを脱せ

・邪馬台国が当時の日本最高の国だった
・邪馬台国から大和朝廷になった
・神武天皇は日本を統治した初代天皇
・神武東征は大規模な侵略遠征戦争

これ全部思い込みだから
んで何でこんな思い込みになるかっていうと
「天皇が昔から日本を統治していた」という教育の賜物だろうな

716 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:52:29.20 ID:0Er6OWdt0.net
魏志倭人伝の主役は邪馬台国じゃなくて伊都国なんだ
伊都国については詳しく書かれてるけど邪馬台国は1回だけなんだよな。

717 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:54:16.75 ID:YXoJbKgE0.net
邪馬台が九州だと何かと歴史が紐解かれた様に繋がるが、近畿だと苦しいよな。

718 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:55:13.00 ID:0Er6OWdt0.net
繰り返し伊都国に卑弥呼が居たと説明してあるんだけど
曲解して魏志倭人伝の内容を滅茶苦茶に解釈してたんだな。

719 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:01:00.96 ID:0Er6OWdt0.net
>>714
北部九州一帯であることは確かだが
何処までかの範囲はよく分からないな
最大で福岡、佐賀、長崎、熊本、大分の範囲だな。

720 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:02:18.52 ID:bWcsSoQI0.net
イメージ
・邪馬台国が日本最大の国
・その邪馬台国から大和朝廷になった
・邪馬台国の女王卑弥呼の血族が天皇になったのが神武天皇
・神武天皇が東に遠征をして東日本も支配して日本を統一した=神武東征

事実
・神武天皇が畿内に集団移住した=神武東征
・畿内に神武天皇の子孫が国を作った
・神武天皇の子孫が作った国が大和朝廷になった
・大和朝廷が邪馬台国を併合した

どうよ

721 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:02:57.19 ID:7ID6TBUr0.net
>>718

憲法9条と同じで解釈が妄想の域に達しているんだよね。

憲法9条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これを字をそのまま読めば集団的自衛権ですら放棄してる。

722 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:05:49.35 ID:bWcsSoQI0.net
中国の書物に出てくる邪馬台国を日本最大の国と勘違いし
大和朝廷の礎が邪馬台国だったに違いないと勘違いし
大和朝廷の礎があった場所が邪馬台国だと勘違いした

723 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:07:14.65 ID:0zn7kORU0.net
×見える化
〇可視化

日本語は正しく使いましょう。

724 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:12:15.24 ID:0Er6OWdt0.net
>>721
日本国憲法では日本は何をされても無抵抗でいろですね
自衛隊があっても軍隊ではなくただの飾り。

725 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:12:45.97 ID:7ID6TBUr0.net
>>720

事実
・出雲族が山陰〜畿内〜東海を統一。瀬戸内海には別勢力、北九州に後漢の冊封国家が存在。
・これを卑弥呼が共立され邪馬台国に統一。都は奈良のマキムクに置かれる。
・この時に出雲族の銅鐸の副葬を止め前方後円墳の三種の神器の墓制に移行する。
・邪馬台国の門下になった国には三角縁神獣鏡と銅剣を配布。
・瀬戸内勢力とくっついたため、卑弥呼は瀬戸内か北九州から来た可能性も
・ここで、瀬戸内海を航海できるようになる
・淡路島に出雲族の製鉄所があった。淡路島には前方後円墳は一つもない。

726 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:16:10.58 ID:jpesRAsm0.net
捏造大好き、ジコチュウの中国人が書いた魏志倭人伝を信用し過ぎ。

727 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:19:31.30 ID:nuM6eepr0.net
>>688
記紀と違い関東に半島系が入った軌跡がある文献ってないでしょ。
関西に在日が圧倒的に多いのは【事実】だし。

728 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:23:42.87 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

千葉県出土の埴輪
http://www.town.shibayama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1838/10hime05.jpg

729 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:29:19.29 ID:0Er6OWdt0.net
>>725
それも根拠の無い妄想
畿内説と一緒。

730 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:33:45.84 ID:WR/EEub8O.net
>>720
邪馬台国が当時は確かに最大だったかもしれんが、大和朝廷との関係性は不明だぞ

731 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:40:46.63 ID:jQZw0mzh0.net
纏向で大量の桃の種が出土したことがスルーされているよいだが。

考古学者は神仙思想の不老長寿のおまじないとか言っているが。

桃の種は、桃仁という漢方薬の原料になる。
桃仁は後漢の時代の神農本草経に記載されているし、後漢時代の傷寒雑病論(金き要略として現存)にも、桂枝茯苓丸の原料として記載されている。

効能は生理痛、肩こりなどの婦人病。

つまり、纏向には婦人病にお悩みの身分の高い女性がいた、ということ。

732 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:42:10.63 ID:Wu57yun80.net
日本書紀には中国との通交が出てないし、纏向からは九州や中国の文物が殆ど出ていない
纏向は三世紀にいきなり現れた都で、卑弥呼以前からあったはずの邪馬台国という感じでもない
倭人伝の方角で行けば、女王国は伊都国の南(行程の時の方角だけでなく、一大率の配置についても)
日本書紀には纏向近辺に都を置いた天皇が何人か連続して(崇神、垂仁、景行)出てるし
彼らの時代に西日本への進出が記載されてる(四道将軍やら景行天皇の九州征伐やら)
前方後円墳も、纏向の石塚古墳あたりが一番古く(下手したら二世紀末期〜三世紀前半)、九州の那珂八幡や石塚山、赤塚古墳等はその後(三世紀中盤から後半)
それまでの墓制は九州は畿内とは違う独自形式
ちょうど卑弥呼(死んだのは248年あたり)の後の台与の時代かその後くらいに
畿内のヤマト政権から征服されたんじゃないか、なんて思える

733 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:44:26.01 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

主なできごとを列挙すると、次のような出来事が記録されている。

●666年(天智5年)……「百済人男女2千余人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。

734 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:57:45.99 ID:Kq5Ctisr0.net
>>728
半島の帽子は先がとがっていないし、アッシリア中東の臭いがするが、ズボンは遮光土偶と同型の和式、服も和式っぽい。当時の流行?

735 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 14:42:13.47 ID:3qefU0zA0.net
九州論者の大半は古田信者だから信用できん

736 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:02:45.04 ID:mCoNbkUz0.net
>>732
畿内からは弥生中期の時点で
貨泉に鏡も出てるのに全く論外だよ。
視野が狭すぎ、畿内は巻向だけじゃないんだからな。

737 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:14:27.65 ID:4LYfC+Fd0.net
遷都して同じ名前の都市なし
九州説なら邪馬壹国(壱)以外有り得ない

対外国名:倭
国内国号:やまと

都市の名前は何だ?

738 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:16:38.11 ID:mCoNbkUz0.net
そもそも現在の九州説なんて倭人伝の記述を全く無視してるからな。
倭人伝を邪馬台国伝と混同してしまうのが
そもそもバカな話だろう。

邪馬台国に関する情報は卑弥呼が都とする、相当遠方にあって倭で最大戸数の国、それだけだからな。
しかも南方にそんな北部九州より遥かに
最大級の国がどこに存在出来るんだよ?
というだけの話。
方角を除いて畿内以外に該当する場所なんて
ないから。

739 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:42:27.83 ID:Ty+kHWf20.net
>>731
あ〜、張魯の五斗米道につながっていくやつな

740 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:50:31.98 ID:dxsB3xOC0.net
神武が奈良に行って先遣隊の開拓地を継ぎ大和としたと書いてあるじゃん。
近畿説とかありえんだろ

741 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:22:12.65 ID:0Er6OWdt0.net
倭人伝を邪馬台国伝と混同しているのが畿内説で
畿内説は倭人伝の記述を全く無視してる
そもそも邪馬台国なんて1回しか倭人伝に出てこない
倭人伝の主役は伊都国であり詳しく説明されてる
当然のことながら卑弥呼も伊都国に居た
邪馬台国とは単に当時の伊都国を含む北部九州一帯の呼び名にすぎない。

742 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:45:32.48 ID:xsqjfQz40.net
>方角を除いて畿内以外に該当する場所なんてないから

そんなご都合主義 それがいかんちゅうねん 

743 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:01:16.23 ID:RAmM59NSO.net
>>738
こうやって嘘を100回繰り返して既成事実にしようとするのがゴッドハンド畿内論者なんだよな
実際は帯方郡から1万2000里と明記されていて九州以外は有り得ないのに

744 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:07:52.75 ID:euPEw5Y40.net
これ、
水抜くの拒否ったところ?

745 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:12:22.13 ID:0Er6OWdt0.net
>>743
對馬國の方可四百餘里と一大國の方可三百里を距離として算入しないと萬二千餘里に達しないから
方可四百餘里と方可三百里は距離に入れるべきなんだ
合計と内訳が合わないなんてことはないからな。

746 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:48:56.87 ID:VthXIZ8Y0.net
>>738 博多というか福岡というか、
北部九州は九州の中でも最も人口が多い地域だからな。
それを上回る国は、熊本あたりにあるとは
思いづらい。
昔は人口は多くても、現代では人口が少ない地域や県という
のもあるから(出雲や新潟県、奈良など)、
現代の熊本平野の様子で判断するわけにもいかないが。

747 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:55:58.67 ID:Wu57yun80.net
前方後円墳の分布から見れば
畿内勢力が九州にまで伸びて来るのは三世紀終わり近くから四世紀くらいだから
ヤマト勢力がその頃に九州の土着勢力を滅ぼしていったって考えてる方が理屈に合う気がする

糸島半島については、平原遺跡の1号墳が弥生時代後期の墓でありながら
畿内方式の割竹式の木棺や、八咫鏡と言ってもいい鏡が出土してる
(弥生時代後期なので、邪馬台国以前だが)
もしかしたらだが、神武辺りの故地がこの辺りで、東遷の拠点だったのかも
まあ記紀に無理に合わせる事も無いけど

748 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:56:51.42 ID:9L9m5bjU0.net
そもそも邪馬台国なんて実在しないっつーのw
いつまでやってんだか

749 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:00:22.53 ID:c4qUtqSR0.net
もし魏志倭人伝に名前があがっている30の国が
全部九州所在なら、北九州の話だなあで終わるし
この30に出雲や吉備や奈良が含まれているのなら
こんなに早くから連合王国が成立していたんだなあと思うし
まあどっちでもいいかな

750 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:23:30.96 ID:8wIHTyet0.net
>>749
魏志倭人伝に列挙されている国は卑弥呼を共立した30ヶ国ではない。
女王国の傍国。
境界の外にあり境界をなす国。

751 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:37:20.80 ID:mCoNbkUz0.net
九州説は結局戸数を無視せざるを得ないんだよね、それと丹山の存在。
どちらも倭人伝にしっかり書かれている
重要事項なのにな。
苦し紛れに九州にも丹山はある!と主張
した所で巻向の背後が丹山鉱山だという
事実には勝てないんだからな。

752 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:14.59 ID:LHOslSVB0.net
奴国が倭の果てである事は、
魏志倭人伝と後漢書東夷伝にハッキリ明記されている事なんで、
漢倭奴國の金印が本物である事が確定した今、
倭国の範囲が九州を出ない事は、
歴史の事実として確定している。

753 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:26.54 ID:jpesRAsm0.net
>>744
そう、拒否したところ。

754 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:47:53.86 ID:EKR3XmBa0.net
>>188
まぁ阿蘇山だろうなw

755 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:03.35 ID:LHOslSVB0.net
ハッキリ言って、魏志倭人伝に書かれた事は、
北部九州の狭い範囲の歴史の記述だと解釈して、
それに従った発掘を行った方が、
発掘成果は上がってくるし、
纏向は魏志倭人伝の記述とは
全く関係の無い地域として、
発掘した方が、発掘成果は
上がってくる。

756 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:44.76 ID:EKR3XmBa0.net
>>753
なにきれいごとのべて水抜くの拒否ったくせに
自分たちは思いっきりねつ造して詐欺ろうとしてんのかw

水抜くのよりねつ造の方が罪が大きいとか、とんだ糞都市だなw

757 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:53:18.86 ID:8wIHTyet0.net
>>752
嘘。
後漢書は、倭奴国は倭国の極南界也とある。
倭奴国は倭国の南の境界の果て。
倭奴国は倭国と別の国なのが分かる。

金印では委奴国。
倭奴国=委奴国=伊都国。

奴国は魏志倭人伝で、女王国の傍国として挙げられている。
傍国は境界の外にあり境界をなす国。奴国は女王国ではない。
邪馬台国は奴国より東、つまり奴国より西にある伊都国も女王国ではない。

九州北部の伊都国が倭国に含まれていた時代ない。倭国と伊都国は全く別の国。

758 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:57:56.59 ID:LHOslSVB0.net
まだ伊都国とか言ってるヴァカがいるのか。
なんの根拠もなくでたらめを振り回すな。

759 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:01:38.55 ID:LHOslSVB0.net
後漢書の方が魏志倭人伝よりも、
成立は遅い。
伊都国なら伊都国とハッキリ書かれている。
倭の奴国は伊都国や奴国があったという事を十分認識した上で、
奴国に金印を授けたと記述しているのだよ。
バカは黙ってろ。

760 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:02:26.71 ID:s9pTyy7+0.net
とにかく朝鮮人のような九州人をなんとかしろよ
こいつらの奈良に対する酷言い方とか
日本人とは思えない死ねよ

761 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:19:46.20 ID:YdKKxDCQ0.net
金印がホンモノである事の根拠の一つに、
漢の委の奴国王という記述の仕方がある訳で、
委奴国が伊都国など、
とんでもないデタラメだ。

762 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:21:29.52 ID:q4p/0h1B0.net
九州論者は古田信者

763 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:22:33.44 ID:GyUZgZXt0.net
>>760
熊襲を中心とする九州が朝鮮だと?
バカじゃね?

764 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:26:40.97 ID:HLs70bPQ0.net
また喧嘩が始まった┐('〜`;)┌

765 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:30:08.15 ID:8wIHTyet0.net
九州説者は、結局倭国や倭人に憧れているんですよ。

記紀で皆イザナギの子孫になりたがったのも、同じ。

766 :卑弥呼:2017/12/11(月) 19:33:53.38 ID:nuM6eepr0.net
畿内に邪馬台国はありません。
そう目立った発掘品もありません。
出てくるのは桃の種だけです。

767 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:42:02.96 ID:q4p/0h1B0.net
>>766
北九州からは色々出てくると言いたいのだろうけど
その北九州も広大な邪馬台国の版図の一部だったのさ
北九州は大陸への外交窓口だったのだから当然だろう
そして邪馬台国の中枢部は奈良盆地
鉄製武器が山ほど出土するのは海外に対する防衛のため
平和な大和には無縁の存在

768 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:57:37.15 ID:0Er6OWdt0.net
>>767
九州古墳からは豪華な副葬品が出るのに畿内の古墳からは出ないのはなんでだろ〜

769 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:59:15.96 ID:xsqjfQz40.net
>>767
平和な畿内ヤマトに鉄製武器が少ないのはわかるが
農耕用の鉄製農具の出土は平和で人口も圧倒的に多いとされる畿内ヤマトより
北部九州のほうが圧倒的に多い (約100倍)
「北部九州は軍事拠点だから鉄製剣の出土」が多いと矛盾してるんだよね

770 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:19.77 ID:c4qUtqSR0.net
畿内の古墳は盗掘されまくっているから

771 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:54.32 ID:dxsB3xOC0.net
奈良などという古代の樹海に忽然と近畿を制圧する王権が沸く訳ねえだろ。
海からは遠方だしどっから巨大出雲を制圧できる軍備が湧いてくんだよ。
近畿説とか盲信にも程がある。

772 ::2017/12/11(月) 20:06:56.67 ID:DKWr7EIF0.net
>>780
奈良は「あおに(丹)よし」と歌われた栄光の時代があるんだから、
上古は九州に譲ってくれてもいいじゃんか、ケチw

さておき枕詞だが、奈良は上述の「あおによし」、飛鳥は「飛ぶ鳥の」、
伊勢は「神風の」だし、出雲は「八雲たつ」だ。
んで、筑紫は何かというと、なぜか「しらぬいの」なんだなw

773 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:08:10.29 ID:c4qUtqSR0.net
>>771
どちらかというと出雲が奈良に乗り込んだように見える

774 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:10:36.57 ID:UeSdAvnA0.net
>>725
出雲族はおそらく黎明期に畿内に進出した
しかし紀元前2〜1世紀頃に淡路まで進出した東九州〜瀬戸内系の銅鐸族(物部氏の先祖か)に畿内から追い出された

おそらく、出雲族と銅鐸族は言語が微妙に異なっていた

前者は朝鮮語に繋がる新羅語系を、
後者は日本語に繋がる百済基層言語(百済語ではない)系統の言葉を話していた

双方とも稲作と漁労を生業とし、金属を持っていた

1世紀までに銅鐸族の一派は東海地方にまで進出
やがて畿内の銅鐸族と尾張の銅鐸族が激しく争い、畿内派が勝利する
畿内派は勢いに乗って出雲族を征服する(国譲り)

ますます繁栄を極めた畿内銅鐸族だが、
東九州から登場した銅鏡ヤマト族(銅鐸族と同じ言語)に2世紀末に突然攻められあっけなく滅亡する

これが邪馬台国(ヤマト国)、のちの大和朝廷
なお、ヤマト(ジャモト)とはヒモトの訛り、もしくは古い言い方で、
「日本」の語源である

775 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:12:39.22 ID:Zo/Sgd5H0.net
3世紀末一番のお宝は水銀朱なのにね。
黒塚に桜井茶臼山古墳なんか見れば普通に判る。
そりゃ都を巻向辺りにするよ。
だから三世紀以降に鏡と水銀朱が奈良盆地へ集中した事位いい加減理解しろよ。
邪馬台国は畿内で確定済み。

776 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:13:43.71 ID:Kq5Ctisr0.net
古事記とか読むと纏向の宮殿には「出雲の語り部」と「大和の語り部」(中身は南九州っぽい)の2つが同居してたように感じる。

777 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:17:23.41 ID:xsqjfQz40.net
>>770
盗掘か  それはあるなあ
桜井なんか開発で上に土を盛られることも無く現代まで殆ど田園地帯だし
遺跡はほぼ露出してるもんなあ

778 ::2017/12/11(月) 20:17:58.03 ID:DKWr7EIF0.net
>>774
松前健「日本の神々」(中公新書)によると、各地に出雲神話が
広がっているのは、もう少し遅い時代(記紀を編纂していた頃)、
出雲は大陸由来の医療技術の先進地で、その巫ゲキ集団(ゲキは巫偏に見)
が技術と神話セットで広めたためらしい。
例えば白兎のエピソードはもろに医療だし、スサノオにも治癒神の
面があって、中世には薬師如来と習合するし。

779 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:20:44.04 ID:8wIHTyet0.net
>>774
銅鐸を作っていた人々が九州から来た根拠はない。九州と全く風習が違う。

倭国は倭人の国。
倭人は呉の末裔を自ら名乗っている。
つまり中国南部から春秋時代以降に渡来した集団。

中国南部に由来する可能性が高いもの。
銅鐸、下戸遺伝子、国生み島生み神話のモチーフなど。
これらは大阪湾に分布の中心を示す。

春秋時代と同時代の弥生時代前期末、環大阪湾の風習は一変する。

淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。
銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認めるようになる。

方形周溝墓、木棺も畿内中心に広がっていく。

九州を素通りし、倭人が中国大陸から畿内に直接渡来したと考えられる。

780 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:22:15.27 ID:8ujb5y+D0.net
卑弥呼の時代より200年前にローマ帝国は30mあるネロ巨像や
5万人収容のコロッセオ作ってたんだから凄いな

781 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:24.92 ID:GyUZgZXt0.net
>>773
う〜ん
奈良に出雲の国があったのだと思うよ
三輪山の大物主は大国主
神武東征で今の島根(出雲)に追いやられて戦う剣を埋めた
神武に国譲りしたので反発した一部の民は長野に向かった
奈良には今も出雲という地名が残っている

782 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:59.10 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>777
それどころか平城京や藤原京も遺跡や古墳を潰して出来たんだけどね。

783 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:24:18.16 ID:OVoGr2aK0.net
弥生時代に奈良県で出た丹は二箇所のみ。
その一つが桜井茶臼山古墳だが
塗料として使うことを知らないのか
棺に丹だけが詰めてあった。

九州では古墳はもちろん、集落でも
多くの丹の使用痕跡が発見されている。

784 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:26:09.66 ID:13nEdC2u0.net
邪馬台国は九州だと思うね

なぜなら吉野ヶ里遺跡の近くに住んでるから^^

785 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:28:21.10 ID:dxsB3xOC0.net
出雲は制圧というより開拓民じゃね。
分布域が湿地帯か漁労が潤う湾内が多い気がするし。
大黒天と蛇の象徴からして呉越の南方大陸人。
鈴鹿山系の古代のアマゾンの様な秘境を越えてまで奈良盆地を目指し南下しただろうか。
否、琵琶湖がある近江から飛騨の下流域水源がある濃尾を目指しただろ。

786 ::2017/12/11(月) 20:29:34.52 ID:DKWr7EIF0.net
>>784
吉野ヶ里遺跡は素晴らしいよね。
まさに弥生時代のテーマパークだ。

なんといっても、公園の中に立つと周囲のビルなどが
全く見えないのが素晴らしい。さすがは佐賀w

787 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:31:33.04 ID:c4qUtqSR0.net
>>781
奈良の遺跡が面白いのは、纏向にしても唐古にしても
いろんな地方から人が集まっていたようなんだよね
市もあったし、後世の采女の制度でも
いろんな地方から女性を集めている
だから、争いや裏切りなどもあっただろうけど
話し合いや、それこそ天皇と呼ばれる人たちの神宝や
巫女の占いの力で平和に連合した部分も
あるのではないだろうか

788 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:33:53.95 ID:c4qUtqSR0.net
>>785
飛騨には、飛騨は雪深すぎるから奈良を
連合王国の都に決めたという伝承がある
渡来人系の九州勢に対抗するために
諸国が一致団結する必要があったとか

789 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:34:18.61 ID:8wIHTyet0.net
>>781
出雲に大国主の伝承はない。

幸神とクナトの神、その子サルタヒコ。
その後はオオナムチ。

790 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:35:49.53 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>783
無知にもほどがある。弥生中期以降は紀伊半島には吉野や
宇陀、伊勢周辺に水銀朱精製跡が沢山あり、奈良盆地の
鍵唐古ですら精製跡があるのに。
つまり倭人伝にある丹山有りとは紀伊半島や四国東南部でしか
有り得ないのだ。

791 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:36:04.52 ID:ipPn5VKZ0.net
古代朝鮮語なんて一つも解明されていないのに
なにが新羅語系百済語系だよ
笑わせるな

792 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:39:36.27 ID:8wIHTyet0.net
倭国大乱前の倭国や倭国王の事績を、出雲や伊勢の勢力がパクったんだよ。


九州南部投馬国出身の神武さんが、伊都国やニニギの血統伝承をパクったのと同じ。

793 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:50:13.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>671
ヤマト系の遺跡を渡来系だとしたり、一部の高句麗系遺跡をもってして渡来系が支配したとか
いつも言っている奴か?

794 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:51:45.92 ID:dxsB3xOC0.net
奈良盆地は九州邪馬台からの開拓民、物部の祖先であるニギハヤヒが先遣隊として入り込んだのが始まりだろ。
調査結果として丹資源の豊富な鉱脈を発見し本国日向から神武を筆頭とする調査兵団が派遣されたんだよ。
海運輸送の後に温暖で天災も少ない奈良盆地へ遷都されたんだよ。

795 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:52:35.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>672
その倭地は別倭や黒歯国なども含むのか?

796 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:00:53.30 ID:8wIHTyet0.net
>>794
弥生時代に、九州の民が畿内に入植した痕跡はない。

九州と畿内は全く風習が違う。

797 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:08:24.19 ID:c4qUtqSR0.net
物部、ニギハヤヒは出雲の系列だろ

798 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:09:12.77 ID:O8Pbsbf90.net
伊都の読みはイツだし、
いとしまとはカンケーないし。

799 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:14:31.98 ID:KsqbHSZg0.net
>>790
ゴッドハンドしても無駄無駄
九州にも丹はある
逆に九州に山ほど出土する金製品などの大陸系遺物は畿内では一切出土しない


482 :名無しさん@1周年 :2017/12/05(火) 21:24:40.13 ID:s8pq7koV0
>>449
水銀も別に九州説を否定するようなものじゃないけどな
砂金のように川から取っていれば採掘跡は残らんし、九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301923635-1
>神崎町から南西50Kmの嬉野温泉の近くに虚空蔵山がある。この山を源として流れる丹生川は、嬉野町を通り嬉野川、
>塩田町で塩田川となり、有明海に流れ込んでいる。この川筋に7社の丹生神社がある。
>虚空蔵山の長崎県側の山麓には、波佐見水銀鉱山がある。丹生川は丹砂に関係ある川であった。
>
>私はマレーシアの第三の都市イポーを訪れた事がある。イポーの空港に飛行機が着陸する時、眼下に青色した
>小さな池を沢山見た。これらの池は錫鉱石を採掘した跡だそうだ。イポーは錫の産地として有名で、山には錫鉱山が存在するが、
>平地にも、河川が運んだ錫鉱石(錫石)が堆積した所があり、それを採掘している。
>丹砂の比重は約8で岩石の2.5倍重い、錫石と同様に河川に流された丹砂は集中して堆積する。
>古代においては丹砂の鉱脈を山中で探すより、河川で丹砂を採取する方が簡単だったと思われる。
>丹生川は丹砂が採取出来た河川の事であろう。
>
>景初3年に邪馬台国の女王卑弥呼が、魏に献上した丹(朱・丹砂)は、伊都国の丹生川(嬉野町)で採取したものと考える。
>末盧国(唐津)から伊都国(吉野ヶ里)に至る陸行の途中、佐賀県多久市の辺りから南西30キロメートルに
>丹の取れる虚空蔵山がある。魏志倭人伝の「その山には丹あり」の文章のままである。
>
>近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。
>イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。
>中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値(+8〜+20)を示すが、日本の水銀鉱山
>(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。
>虚空蔵山の長崎県側にある波佐見水銀鉱山は、日本では珍しいプラス(+22)の値である。
>出雲および福岡の弥生遺跡の朱の値にはプラス(+5〜15)の値を示すものがあり、中国からもたらされた朱と考えられているが、
>波佐見水銀鉱系の朱である可能性を残している。今後より多くのデータが蓄積されれば明らかになるだろう。

800 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:16:28.50 ID:TE2BhbnG0.net
>>796
当時の畿内の風習なんて記録残ってないだろ
適当なこと言うなよ
九州の土器が極端に少ないのは九州からの移民は支配者階級で
自分で泥をこねて土器を焼いたりはしなかったせいだよ

801 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:46.95 ID:8wIHTyet0.net
>>800

遺跡や墓にも風習の跡はあるが?

802 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:58.20 ID:kO1K7mKz0.net
>>677
もしかして、漢文はかならずSVOになると思っているの?
「其余旁国遠絶不可得詳」はなんて書き下すのかな?

803 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:20:34.88 ID:TE2BhbnG0.net
>>767
北九州が畿内に支配されてたなら何で金銀財宝は北九州が独占して
畿内は鉄すらろくに手に入らなかったんですかねぇw

畿内説は完全に破綻してるのに無理矢理取り繕おうとするから無茶苦茶

804 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:21:04.06 ID:TE2BhbnG0.net
>>801
例えば?

805 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:54:27.40 ID:8wIHTyet0.net
>>772
枕詞は面白いね。

難波は、押し照るや。
天照国照の地にぴったり。

なにわのニワは、庭だったかもしれないね。

806 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:01:30.30 ID:8wIHTyet0.net
天照国照饒速日命

海と大地の民を結んだ王。

倭国王に相応しい称号。

807 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:13:18.32 ID:cpRTNEVE0.net
やっぱりこの辺りが本物なんだろうね

808 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:15:42.46 ID:0Er6OWdt0.net
>>795
別倭や黒歯国などはですから女王國東渡海千餘里
別倭や黒歯国などは含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

809 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:16:41.46 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国は奈良にあったと考えている古代史オンチはネット募金に金を出せよ。
俺は邪馬台国九州論者だから一円も出す気は無い。

810 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:17:36.89 ID:0Er6OWdt0.net
訂正
>>795
別倭や黒歯国などは女王國東渡海千餘里ですから含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

811 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:21:15.93 ID:0Er6OWdt0.net
>>772
「あおによし」という枕詞は平城京建設(710年)以前に使用された例があり、「奈良の都」とは無関係にそれ以前に成立していたんだよ。

久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎(くやしかも かくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを)万5-797

812 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:25:06.22 ID:0Er6OWdt0.net
>>805
天平5年(733年)神社老麻呂が草香山を超えた時に作った次の歌は、上町台の「難波」が難波の枕詞「押し照る」から700年頃に人為的に名づけられたことを窺わせている。

直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思裳「ただこえの このみちにして おしてるや なにはのうみと なづけけらしも
(真っ直ぐに“草香山を”越えて来るこの道から見ると“夕日に大阪湾一面が”照れされ輝いている なるほどこれを見て難波の海と“30年前に”名付けたのだなあ)」
(万6-977)

813 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:27:59.85 ID:8wIHTyet0.net
 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇

814 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:29:13.80 ID:0Er6OWdt0.net
>>799
>九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

全て大陸産と考えられていた九州の遺跡がら沢山出土している水銀朱が九州産の物も含まれてたってことですね。

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