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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

1 :泥ン ★:2017/12/09(土) 17:13:37.52 ID:CAP_USER9.net
2009年に大型建物跡が発見された際に柱跡に建てられた目印。
今回の丸太のイメージだ=奈良県桜井市の纒向遺跡で2009年11月10日、貝塚太一撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010051000p/9.jpg
現在の大型建物跡。それと分かる目印は何もない=奈良県桜井市辻で2017年12月6日、山本和良撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/08/20171208oog00m010052000p/9.jpg

 女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地の一つとされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡(国史跡)で、「卑弥呼の宮殿跡」と注目された大型建物跡などの建物遺構について、市は位置が分かるように丸太を設置することを決め、インターネットで寄付を募るクラウドファンディングによる資金集めを始めた。事業費の4分の3に相当する900万円を目標に、来年2月末まで協力を呼び掛ける。【山本和良】

 纒向遺跡は、3世紀代を中心に営まれた大規模集落遺跡で東西約2キロ、南北約1・5キロの範囲に及ぶ。2009年に見つかった大型建物跡は3世紀前半のものとみられ、同時期のものとして国内最大規模。前方後円墳の箸墓(はしはか)古墳は卑弥呼の墓の説もある。

 周辺は、他にも弥生時代末期〜古墳時代初めの古墳など貴重な史跡が豊富で、年間を通じて考古学ファンら多くの見学者が訪れる。しかし、纒向遺跡を紹介する施設はなく、大型建物跡に至っては埋め戻されている。このため、「様子が分かるようにしてほしい」などと訴える声が盛んに市に寄せられていた。

 そこで市は、今年度中に大型建物跡などの柱の跡に、目印になる杉の丸太(直径15〜32センチ、地表の高さ1メートル)を設置することを決めた。木材は、桜井木材協同組合の協力で無償で提供してもらえるが、全部で65本を設置する費用などに約1200万円が必要。文化財関連の財源確保に頭を悩ませる市は、ネットのふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」を活用することにした。寄付はふるさと納税制度の対象となり、税控除が受けられる。

 協力者には、市纒向学研究センターが発行する機関紙「纒向考古学通信」を3年間送付し、遺跡の調査や保存整備の状況などを随時知らせる。

 市教委総務課は「建物の柱を目に見えるようにすることで、古代史最大の謎解きを体感してもらいたい」としている。

毎日新聞 2017年12月8日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171208/ddl/k29/040/544000c?inb=ra

55 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:10:44.34 ID:ll0dFuOJ0.net
>>49
石野君はまじめやから絶対へんねんもそんなに無茶してないよ?
まーamsだとふる0は410年くらいのが正解になってまうけど^^

56 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:12:17.09 ID:BsCwfo+o0.net
>>46
他所のスレで見かけたが、こう考えれば全部繋がる


> 545 :名無しさん@1周年 :2017/12/04(月) 02:14:38.27 ID:4cl54xw70
> 前スレのこの説が気になる
>
> > 782 :名無しさん@1周年 :2017/12/03(日) 17:53:52.11 ID:fA8bB4/z0
> > >>758
> > 磐井の一族のほうが本家筋で、神武天皇は分家だったと考えればすんなり説明がつく
> > 早くから開発されていた九州は分家の神武が治める土地がないので新天地を求めて近畿へ移住し成功する
> > やがて九州に残った本家を凌ぐほどの力をつけた神武の子孫、つまり皇室が本家筋の磐井を滅ぼし九州を掌握した
> > こういうストーリーは充分成り立ち得る
>
> 新唐書によれば、皇室は神武天皇の代までは筑紫城に住んでいたことになってる
> それが事実かどうかは分からないが、少なくとも当時の倭人が中国にそう説明していたのは間違いないだろう
> そして神武天皇は4人兄弟の末っ子なんだよな
> 案外正解なんじゃねこれ
>
>
> 新唐書日本伝
>  其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
>  皆以「尊」為號、居筑紫城。
>
> (訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
>    初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

57 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:12:37.64 ID:amMWLA2q0.net
水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りとするだけで、魏志倭人伝は全て矛盾なく解読することができます。

邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。

58 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:13:13.19 ID:amMWLA2q0.net
世有王

@ 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有搗ケ。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載) 魏の世には増減があったの意味

A 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。

B 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
現在、貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についている、つまりこれも魏の世には冠をつける役職についているの意味

C 三国志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十
>而公孫淵、仍父祖三世有遼東。
父祖三代に渡って遼東を領有した。(189〜238)

D 三国志蜀書黃李呂馬王張傳第十三
>當世有聲名
当時は名声が高かった。

C は三世(三代)の意味、Dは当世(当時)の意味で、世有の用例ではない。
@ は代々の意だが、魏代ではある。Bも代々の意だが、魏代ではある。Aは一般的な言葉を引用しているのでこの世の中の意、用例としては不適切

以上からは、世有王は、特別な使用でない限り魏の世の王が、と訳すのが適当。

59 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:13:34.86 ID:Zy/T/5sc0.net
魏志倭人伝書記官「ターシェシェ、東に水行20日を南に水行20日と書き間違えた(聞き間違えた)ばっかりに
            こんな論争を巻き起こしてスマン。でもさあ常識的に考えて奴国は北九州市あたり、不弥国は行橋あたり、
            投馬国は岡山と兵庫あたり、邪馬台国=ヤマト朝廷って分かるだろ?常識的に考えてさあwww」

60 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:13:48.58 ID:amMWLA2q0.net
2か所目は「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」の文である。
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた 。
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では、「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」の意味となる。

全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた。
皆とは倭の国々を指しているのであって、皆が絶対に伊都国を指さなければならない理由はない。
だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし、伊都国に付いては特に詳しく説明されているにも関わらずそれらし記述も一人の王名ない。

伊都国は郡使が滞在するところで、伊都国に付いては特に詳しく記されている
「官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚」と官、副官の名前は記されているのに、伊都国の王の名前は一人も記されていない
また倭人伝は張政が持ち帰った情報を最新として張政が帰国した時点で書かれていて
既に倭王が魏より任命されているのに、伊都国の首長を王と呼ぶこと事態がおかしい
伊都国の王は伊都国には居なかった、伊都国に居た王は伊都国の王ではなく、倭王の卑弥呼や壹與としか考えられない。

61 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:13:59.10 ID:/OQQE65+0.net
>>23
そんなこと言ったら渡来系とか言い出す奴も出るぞ

まぁそれは置いといて鬼島津という時は単純に島津家ではなく島津家中全体を指すと考えられるが
狗奴国→熊襲はおおまかに言えるが熊襲は人吉盆地から鹿児島県北部と勢力圏が縮まっている
これは狗奴国が文明化したためと考えている
残された熊襲も大和朝廷の討伐後に隼人に吸収され消滅
あまり熊襲と鬼島津は関係ないかな

62 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:14:29.93 ID:amMWLA2q0.net
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼である。
それ以外が主語の場合には「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。

治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。

では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、自女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率を使い支配したのである。

女王国が伊都国より東にあったら、この文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
即ち自女王国以北は奴国から北であり、自女王国とは女王国の中で最大の国邑の奴国を指している。

「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官

「奴国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い奴国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。

63 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:15:23.93 ID:amMWLA2q0.net
奴国までの行程を合計すると12000里となり女王国までの12000里と同じであるので奴国が女王国の中心国邑である
(古田氏の説に基づき對馬國の方可四百餘里と一大國の方可三百里を距離とし従来の説に1400里加える)
女王国までが12000里と書いてあるので各行程距離を合計したものが12000里に達しない読み方は誤読である
奴国までで女王国に着いているので里数での行程の説明は不弥国で終了する
次の日数の行程は里数の行程と同じ行程を時間で再度説明したもので
郡の中心地から女王国の中心地まで何里であり、日数だと何日掛かると説明している
続けて読むから意味不明の文章になっていたのである
報告者は軍人であり、正確に報告している
水行二十日は郡から狗邪韓國までに掛かる日数に当たり
水行十日は狗邪韓國から末盧國に当たる
すると陸行一月は末盧國から奴國までに当たることとなる
しかし末盧國から奴國までは陸行一月は掛からない
陸行一日あれば十分なので、陸行一月は陸行一日の誤記だと判明する。

64 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:19:26.44 ID:/OQQE65+0.net
>>29
大和が奈良全体ではなく盆地の一部を指したということを知れば
九州からの移民例えばニギハヤヒの一派が故郷の名を新天地に名づけたと考えられるよね
大和はヤマトとは読めないし倭だったんじゃないの

65 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:20:24.50 ID:bxEjj45x0.net
>>1>>39
邪馬台は普通にヤマトとよむ。中国人が漢字を当てただけだから

66 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:22:09.46 ID:bxEjj45x0.net
>>25
天孫降臨
神武東征

67 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:26:29.84 ID:bxEjj45x0.net
>>1>>50>>52
(1)渡来系の弥生人の特徴として確定しているのは以下の事項

 ・寒冷地適応済みの民族だった
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった


(2)日本人のルーツは大雑把に分けて二つ

 @寒冷地適応する前の縄文人 
 A寒冷地適応後の弥生人   

http://i.imgur.com/Hjda9Zb.jpg
http://i.imgur.com/UP7p4av.jpg

http://i.imgur.com/Y8kjqha.png
http://i.imgur.com/XQjCpao.jpg
http://i.imgur.com/9FvfuLf.jpg

http://i.imgur.com/vRyau9H.jpg
http://i.imgur.com/tMQfzub.jpg
http://i.imgur.com/cMudd4H.jpg

68 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:29:52.72 ID:BsCwfo+o0.net
>>46
そうなるとあるいは先行して派遣されていたニギハヤヒという可能性もあるんじゃね?
十種神宝にも鏡が2つ含まれているし

69 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:33:15.05 ID:c2M1bupH0.net
初代神武天皇の和風諡号である「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は
「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味
なんとサマリアからやってきて日本を征服したのです

70 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:33:34.63 ID:lw/KtKI40.net
>>66
それ紀元前の出来事だからね

71 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:34:50.51 ID:SRwEtwdg0.net
纒向は卑弥呼がいた集落であり、ヤマト征伐の証であり、初期ヤマト政権誕生の証であり、全国平定の先駆けにして全国平定の原動力となった遺跡である。

伊勢遺跡は当時最先端の技術を投入された遺跡であり、各地の首長が集っていた証左である。技術的にも政治的にも最先端を示す遺跡である。
また倭国大乱前の倭国が存在した証であり、倭国が首長連合であったことを示唆するものであり、神無月の伝承や高天原のモチーフとなった遺跡である。

どちらも国宝にして、国費で維持すべきもの。

72 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:37:28.63 ID:OMw2KALL0.net
>>71
こうやってデタラメ並べて国からカネを引っ張るのが目的のゴッドハンドなんだな
>>19を読めば纏向が卑弥呼の都はあり得ないとはっきり分かるのに

73 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:38:51.62 ID:p+GmslNs0.net
>>65
あちらが当てた漢字は邪馬壹  どんな音からこの字を当てたかは未解明

邪馬臺(台)国ではない

74 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:39:35.50 ID:fYwNKVI60.net
邪馬台国は九州。

魏志倭人伝に邪馬台国から真珠数千個献上という
記載があった。
昔も今も機内から真珠は採れない。
九州の貝塚からは多数の真珠貝が見つかっている。
出典:真珠の世界史(中公新書)

関西人は、町おこしのために史実を捻じ曲げんなよ。

75 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:41:32.67 ID:fTmjYwb00.net
>>66
そんなの反論になってねーよ。
おまえの負け。

76 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:41:42.75 ID:F4GWzoZz0.net
お金を募って委託業者らと市の職員らがばっくれたりしてなw

77 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:41:52.80 ID:1jPSrIOp0.net
邪馬台国って七万戸の都市ですぞ
人口、都市の規模に相応する遺跡って九州にあんの?
直径100歩規模の古墳も

78 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:42:13.30 ID:whcYB7lM0.net
参考

◯『魏志倭人伝』記載の遺物
(大略西暦300年以前 弥生時代の遺物)
・弥生時代の鉄鏃 福岡398個 奈良4個
・鉄刀 福岡17本 奈良0本
・素環頭大刀・素環頭鉄剣 福岡16本 奈良0本
・鉄剣 福岡46本 奈良1本
・鉄矛 福岡7本 奈良0本
・鉄戈 福岡16本 奈良0本
・素環頭刀子・刀子 福岡210個 奈良0個
・絹製品出土地 福岡15地点 奈良2地点
・10種の魏晋鏡 福岡37面 奈良2面
・主要ガラス勾玉出土遺跡 福岡8例 奈良1例
・硬玉勾玉・ガラス製勾玉 福岡22例 奈良0例
 
◯古墳時代の遺物
(大略西暦300年以後)
・三角縁神獣鏡 福岡49面 奈良100面
・前方後円墳(80m以上) 福岡23基 奈良88基
・前方後円墳(100m以上) 福岡6基 奈良72基

79 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:42:57.32 ID:fYwNKVI60.net
自己レス

機内ちゃうわ畿内や。

80 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:43:46.65 ID:psv4rSaL0.net
九州だろ。
奈良は別の国。

81 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:44:56.68 ID:J0JWFv120.net
■神社本庁「女性宮司そのものを認めないわけではない。ただ大神社の宮司に女性はふさわしくないというだけ」」 [533895477]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1512810803/

82 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:45:50.26 ID:c2M1bupH0.net
どうみても大和朝廷の遺跡

83 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:46:33.52 ID:q7M5lifP0.net
市の商売になり得る物にクラウドファンディングって何かおかしくないか?

84 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:46:48.21 ID:1wbsEKxl0.net
>>78
やっぱり奈良が発達したのは4世紀以降のようだな
>>19で纏向を発掘した先生が言ってることと見事に一致している

85 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:48:05.43 ID:SRUUyLGj0.net
>>30
京都市にある古い文献を見せてもらって
いるので、近畿説にせざるをえないのですよ。
たとえ強弁であっても。

86 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:48:07.03 ID:BXTAKeBP0.net
邪馬台は九州。奈良は山賊が作ったんだよ。

87 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:49:26.91 ID:fTmjYwb00.net
>>74
他国の2千年前の文献に信頼性はない。
九州説に根拠なし。
はい論破

88 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:50:00.29 ID:psv4rSaL0.net
>>54
「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条

89 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:50:14.58 ID:rqCN8Ljk0.net
日本書紀の神功皇后に敗れた北九州の田油津媛が卑弥呼

90 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:50:23.68 ID:SRUUyLGj0.net
>>31
>>○ンコを箸で刺し殺されたヒモソ姫=卑弥呼

覚え易いエピソードだ

91 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:52:19.38 ID:kmDhg/Yc0.net
邪馬台国は渡来人の国
卑弥呼は在日

事実が発覚すると偏狭なナショナリズムのジャップがヘイトクライムに走るので、ひたすら情報統制がなされている。

92 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:55:13.89 ID:SRUUyLGj0.net
>>74
>>魏志倭人伝に邪馬台国から真珠数千個献上という記載があった。

そんな記述あったか?。有力な情報じゃん。
真珠の産地は、今も昔も伊勢志摩が有力。
邪馬台国がそんなところにあるとは思えないが、九州説が有利だな。

93 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:55:40.91 ID:fYwNKVI60.net
>>87
魏志を否定することは、邪馬台国を否定することなんだが。
お前は相当の馬鹿だな。

94 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 19:57:01.96 ID:ll0dFuOJ0.net
>>32
畿内及び北陸東海です(きっぱり

95 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:00:14.35 ID:fYwNKVI60.net
>>92
三重県で真珠の養殖が盛んになったのは明治以降。

96 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:00:38.98 ID:ll0dFuOJ0.net
>>57
ダックここはにゅーそく+や!
ながいぶんしょーよむひといてへんわ^^

97 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:09:29.52 ID:SRUUyLGj0.net
>>95
とよ(または いよ)の魏志倭人伝のところを
みてみた。

男女生口三十人を献上すると共に白珠五千孔、大勾珠二枚および異文雑錦二十匹を貢いだ。

奴隷に続いて、まっさきに、真珠が献上品として
挙げられている。5000個といえば相当多い。つづいて
ヒスイの勾玉。2個か。これは交易で入手したのかもしれん。
ヒスイの産地に邪馬台国がある必要はないだろう。2個ではね。

真珠は海の産物なので、邪馬台国は
九州にあるぽいな。

98 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:13:00.08 ID:ll0dFuOJ0.net
>>57
邪馬壹の王たるいよちゃんは晋の時代や(都は引っ越した
そのころ伊都は文献でも考古でも衰退しとる(やりなおし

99 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:19:49.46 ID:fYwNKVI60.net
>>97
暇なときに
真珠の世界史 - 富と野望の五千年 (中公新書)
を読んで下さい。
魏志倭人伝よりは読みやすいよ。

100 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:19:53.52 ID:AcniBkGX0.net
>>97
大勾珠は翡翠ではなかったかもしれない
魏志倭人伝では倭国の産物として「青玉」と記されているが、中国語で翡翠は単に「玉」と表現するのが一般的だ
下記にあるように九州産の別の石だった可能性がある

「新潟産ヒスイ」地元の石だった 交易史の書き換えも必要?
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706060182.html
> 今まで研究者が「新潟産のヒスイでできている」と報告してきた九州の縄文時代後期の首飾りを分析したところ、
>ほとんどが地元産の石だった――。新潟産のヒスイの分布から語られてきた、交易史の書き換えにさえつながりかねない「再発見」。
>その背景には、考古学への新しい分析技術の導入がある。

> 九州全域を回って、これまでの出土資料約900点を借り、06年から福岡市埋蔵文化財センター、
>北九州市立自然史・歴史博物館、九州大の協力を得て、蛍光X線分析装置などを使った分析を進めた。
> その結果、従来「(新潟県糸魚川の)ヒスイ」「蛇紋岩」などと報告されてきた緑色の石材の7割がクロムを大量に含む白雲母
>(含クロム白雲母片岩)であることを確認したという。
>
> 「製作遺跡の分布などから、南九州ではなく、おそらく中九州の熊本県南部あたりで採取された可能性が高い」と大坪さんはみる。
> 石材の大半が地元の石で、かつ九州内での地産地消――。となれば、これまで研究者が想定していた、縄文後―晩期における、
>本州・糸魚川から九州へのヒスイ交易、などの歴史像は大きく変更を迫られる。
>
> それどころか、この九州産の石製品が本州へ“輸出”されていることもわかってきた。大坪さんによれば、島根県、石川県、
>新潟県などの縄文後―晩期の十数遺跡で、九州に特有な形の含クロム白雲母の小玉が出土しているという。

101 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:20:37.50 ID:ATdNcUVl0.net
>>17 確かに2000年前は今の平和な日本と違って弱肉強食の時代だよね?当時圧倒的な軍事力を持ってた九州の軍隊が東に進行して出雲人や畿内人を皆殺しにして滅ぼして関西で大和政権を作ったって言うのが自然だよ

102 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:23:17.96 ID:1jPSrIOp0.net
よしんば巻向遺跡が邪馬台国でなかったにしろ
邪馬台国より巨大な中央集権国家が桜井市にあった訳で
強国が発祥地の祖国を捨てるようなことはない

103 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:23:44.23 ID:SRwEtwdg0.net
倭国大乱

◎吉備が少しずつ瀬戸内海の支配を進める。
2世紀末までに播磨、淡路島と吉備に落とされていく。

◎九州南東部の投馬国。吉備などの西瀬戸内海の海人と手を組み、九州北部を征圧。
伊都国に一大卒、苅田にも拠点を構える。

◎伊勢尾張の勢力
打倒畿内のクナを目指し、西征。
甲賀、伊賀と兵を進め、南近江を征圧。
さらに伊賀→宇陀方面からヤマトに進軍。

大きく分けて、この3つの勢力が卑弥呼共立で手を組んだんだな。

104 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:33:05.41 ID:ycWxxH8a0.net
>>77
逆に7万戸の人口を支えられるような生産力が畿内には無い
九州の場合5万戸の投馬国を筑後平野の久留米周辺、7万戸の女王国を熊本平野に比定すれば
食料生産力的に何も問題ない
沖積平野は土砂で深く埋まるので相当掘らないと出てこない

>直径100歩規模の古墳も
1里=300歩
魏志倭人伝は1里約78メートルの周代の里で書かれているので100歩は小さい
畿内の遺跡は大き過ぎて記述から外れる

105 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 20:46:28.34 ID:SRUUyLGj0.net
>>100
魏では真珠は産しないのだから、魏の時代の
遺跡から真珠を見つけてそれを
蛍光X線分析装置で産地を調べれば、
邪馬台国の位置がわかるんじゃね?

106 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:15:18.75 ID:Zy/T/5sc0.net
日 秘
百 モモ=腿=股=○ンコのこと
襲 襲われる

→ 箸墓古墳の伝説
ヒモソ姫→卑弥呼姫
日本の記録も中国の記録もどっちも「当て字」だから本当の呼び名とずれてるんだろう

107 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:19:06.90 ID:eMDwIE7n0.net
>>105
確かにそれができれば確定するな
他にも九州の石で出来た勾玉とか出てきたらもう確定でいいだろう

108 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:21:48.75 ID:SRUUyLGj0.net
>>99 その本、アマゾンで注文してみた

109 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:25:25.64 ID:99rmND+J0.net
>>100
今まで緑っぽい古代の石は何でもかんでもヒスイにしてたのか
これはとんだ落とし穴だな

110 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:26:14.49 ID:SRUUyLGj0.net
>>107 古代中国の遺跡から出土した
真珠は、伊勢志摩と九州沿岸の分布に
大きく分けられると予想できるが、
量的に九州産が圧勝だろうなあ。分析たぶん
いやがられるぞ。

111 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:30:14.51 ID:SRUUyLGj0.net
>>109 四国説には
えひめ翡翠 というものもあるそうだ。
http://www.halex.co.jp/blog/ochi/20170908-12634.html
緑っぽい古代の石は何でもかんでもヒスイにしてたんだろうな。
でも、黒曜石などは産地をかなり特定できて
いるから、魏に奉納されたヒスイがもし現存して
あるなら、それも産地を分析すれば
邪馬台国の位置特定に役立つね。

112 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:46:21.88 ID:99rmND+J0.net
>>111
ほうほう、こんなものもあるのか
何れにせよ、これまで大して根拠もなくヒスイだと思いこんでいた石は一度調べなおさなきゃダメだなこれは

113 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:47:45.20 ID:iJ2XqdzW0.net
>>74
なんで全ての献上品を畿内で揃える必要があると考えるのか?
邪馬台国の領域は北九州から畿内を含む広大な範囲だ。
その領内で産した物は全て邪馬台国からの献上品さ。

114 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:49:33.26 ID:iJ2XqdzW0.net
>>77
九州論者が反論出来ない一番の急所ですな。

115 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:51:16.08 ID:iJ2XqdzW0.net
>>82
大和朝廷=邪馬台国

116 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 21:55:23.95 ID:SRwEtwdg0.net
纒向は凄い遺跡だよ。

卑弥呼がいただけでなく、神武東征(実態は伊勢西征&吉備東征だが)に始まり、四道将軍に終わる遺跡。
古墳時代、纒向の民が兵として、全国平定に向かう。

117 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:00:52.53 ID:wDtMr51J0.net
>>115
元々邪馬壱国表記だけどヤマトとは読まないしヤマイチコクって読むのが自然だと思うけどね

118 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:09:38.93 ID:p+GmslNs0.net
かつては琵琶湖も真珠の一大産地だった

119 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:10:00.95 ID:mdpm+/3q0.net
翡翠の翡は赤
翡翠の翠は緑
翡翠には赤いのと緑色のとがあったんだぜw

120 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:16:00.74 ID:wup+gZUy0.net
>>114
>>104でとっくに反論されてるわけだが

121 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:17:22.40 ID:tbEnFoBB0.net
>>116
はいはい>>19>>19
ゴッドハンド畿内論者にはうんざりだ

122 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:20:12.72 ID:tbEnFoBB0.net
>>113
畿内の遺跡からは九州の土器はほとんど出土しない
九州との繋がりはなかったか、あるいは支配者層が九州の人間だったかのいずれかしかない
(土器を焼くのは身分の低い者の仕事なので、畿内の支配者が九州勢の場合には九州式の土器は作られない)

123 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:22:09.14 ID:GVVODA/K0.net
田布施システム(歴史捏造)

124 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:22:59.06 ID:sPJKQUu50.net
>>50
政治感情を抜きにしたら韓国だと思う
特に韓国の南西部の勢力(馬韓)が九州を経て瀬戸内海沿岸界隈に進出し、
ヤマトやキビの勢力となったのだろう

いっぽう韓国南東部にいた勢力は日本海側に進出し、イズモやタジマの勢力になった

なお、特に韓国南西部の人たちは、
元々北から朝鮮半島に進出したのではなく、
山東半島の南側の辺りから稲作と漁労をする集団が、
対岸の朝鮮半島に進出したのがルーツだろう

後に、北から進出してきた扶余系の集団に侵略され、滅亡した

125 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:24:40.61 ID:SRwEtwdg0.net
>>121
悪質。

纒向が4世紀と言っている学者はいない。

古墳からなぜより新しい土器が出たか?
それはまた面白い話だけどね。

126 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:24:58.42 ID:9+BPOjL50.net
>>123
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ

127 ::2017/12/09(土) 22:31:04.65 ID:RS6vUPXR0.net
>>124
> いっぽう韓国南東部にいた勢力は日本海側に進出し、イズモやタジマの勢力になった

ここ最近の北朝鮮船の漂着や渤海使なんかを見たらもう少し北の
ような気もするけど、おおむね合意。事実、近江あたりには新羅系の
神社が今でも多く残っているよね。

128 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:31:10.08 ID:tbEnFoBB0.net
>>125
悪質なのはお前
纏向を発掘調査した纏向研究の権威である関川尚功氏が4世紀だと>>19のリンク先ではっきり述べている
こんな大学者が明言してるのにすぐバレるウソをつくんじゃないよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F
> 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
> 1971年(昭和46年)から奈良県立橿原考古学研究所の所員として奈良県桜井市の纒向遺跡の調査に携わった。
> 石野博信とともに報告書『纒向』(1976年)を著したが、とくに外部から搬入された土器の分析と整理は関川がおこない、
> 古墳時代の考古学的な研究において、きわめて重要で画期的な資料となった。

129 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:32:33.37 ID:iJ2XqdzW0.net
>>122
既に支配下にある地域からは献上品は少ないだろう。
東海方面の土器が多いのは新たに支配下に入った地域が忠誠を誓うために沢山の献上品を贈ったため。

130 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:34:09.26 ID:j6tS5i480.net
>>56
なんかすっきりした。

131 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:34:36.43 ID:x8xE6UjS0.net
古代の遺跡って復元してもなかなか人が来ないよ。
吉野ヶ里遺跡もガラガラだった。観光資源にはなりえない。

元々あった古墳とか、神社や寺みたいなご利益がありそうな宗教施設なら
復元すれば観光客がわんさか来るだろうけど。

132 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:37:00.82 ID:tbEnFoBB0.net
>>129
土器は普段使いの道具であって献上品ではない
それを焼く工人は身分も低く支配者層はこれを手作りしない
九州より近い吉備の土器の出土は多い
よって一番出土しない九州の人間が支配者層と考えられる

133 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:39:12.31 ID:n775jTaY0.net
>>128
発掘だけじゃなくて土器の分析をやった本人なのか
その人が言うんじゃ4世紀と見るしかないな

134 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:42:24.20 ID:wDtMr51J0.net
>>130
亡くなられた古田さんの説ですよね
一番スッキリするし、文献、時代考証とか歴史家と言える方でしたね。

再評価されて然るべき説だと思います

135 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:44:08.21 ID:tbEnFoBB0.net
>>133
その通り、関川氏ほど纏向の土器に精通した学者はいないと言える
その関川氏が4世紀だと言ってるのに「4世紀と言ってる学者はいない」等と堂々と捏造するのだから
畿内説はゴッドハンドとしか言いようがない

136 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:46:06.31 ID:j0zOy0bH0.net
>>33
ヤは神って意味だよ
ヤ(神)を纏う地

137 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:47:03.82 ID:iJ2XqdzW0.net
>>132
土器は献上品の入れ物だよ。

138 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:48:46.71 ID:tbEnFoBB0.net
>>137
根拠は?

139 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:50:26.77 ID:zr6WN6Qo0.net
>>131
客が減ったのは開業から10年以上経過したころから
それまでは客がかなり来てた

140 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 22:56:03.92 ID:SRwEtwdg0.net
古墳は古墳。

纒向遺跡の集落跡は集落跡だ。

それを意図的に混同して、纒向遺跡があたかも4世紀以降の遺跡と主張するのは悪質以外何者でもない。

纒向は明らかに2世紀末に始まる遺跡。

141 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:02:40.07 ID:tbEnFoBB0.net
>>140
つまり王権ができたのは古墳の作られた4世紀で、それまでは王のない集落があったと言いたいわけか
それはどう見ても邪馬台国じゃないな

142 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:11:23.12 ID:BriCJZnS0.net
またキチガイが暴れまわってるのか
畿内九州どっちも決定打がないのによく九州だと言い切れるな
そもそもそのどちらでもない可能性も高いというのに

143 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:11:36.69 ID:LwXvjyxA0.net
九州派と畿内派でジャンケンで決めろよ
多分どっちでもないけどね

144 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:14:02.70 ID:bxEjj45x0.net
>>142>>143
新唐書日本伝
 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
 皆以「尊」為號、居筑紫城。

(訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
   初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

145 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:14:17.46 ID:BriCJZnS0.net
とりあえず卑弥呼抜きにしてもこの遺跡は同年代を代表する貴重な遺跡の一つ
きっちり保存維持していってもらいたい

146 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:15:12.44 ID:u5Tay4Ns0.net
鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
vhんっkっmっっkっっぉ

147 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:18:38.85 ID:p+GmslNs0.net
邪馬壹国と桜井ヤマトとは別物と主張する学者はいてないんかい?

148 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:21:18.24 ID:amMWLA2q0.net
>>142
九州だと言い切れる決定打はある。

149 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:23:19.59 ID:T+yk2foyO.net
同じ話が九州くらいループしているのによくあ畿内ね

150 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:24:01.33 ID:sPJKQUu50.net
>>148
民間史家の決定打とやらよりも、
学者の話で決めるわ
認められるためにはまず、証拠と論文を学会に提出しよう

151 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:26:28.92 ID:whcYB7lM0.net
参考

旧石器捏造事件
藤村新一は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、石器を事前に埋めている姿を2000年11月5日の毎日新聞朝刊にスクープされ、不正が発覚した。
これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の醜聞となり、海外でも報じられた。
考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。

152 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:27:11.47 ID:amMWLA2q0.net
>>150
何処に出したらいいんでしょうか?
まともな学会ってあるの?

153 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:28:11.13 ID:sPJKQUu50.net
まあ3世紀にはもう邪馬台国は畿内だろうね
その前の中心勢力は九州かもしれないが
2世紀の終わりに畿内の銅鐸文化が突然、終了しているんだよね
そのときに後の卑弥呼に連なる集団が畿内を制圧し、新政権を建てたのでは?

154 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 23:32:32.46 ID:tbEnFoBB0.net
>>153
九州の勢力が畿内に進出したのは可能性が高いが、古代中国との交易で富を得ていたことから考えると
九州から遷都するのは蓋然性が低いだろう
魏志倭人伝で魏の使者が九州に上陸したことを考えても、卑弥呼の頃はまだ九州が都だったと考えるのが自然
都が畿内なのに佐賀で船を降りて歩くのは著しく不自然な行為だ

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