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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

427 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 17:57:07.16 ID:37TbM8+P0.net
>>409
魏志倭人伝はここで詳しく読まれてるが畿内説でぴったりくる
ぎゃくに九州説だとおかしくなる

http://www.eonet.ne.jp/~temb/1/wajinden_2.htm

428 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:00:31.05 ID:I/6qKFtj0.net
>>345
それでは「女王之所都」とは本来どういう形で記述されていたのか復元してくれないか?

429 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:05:20.97 ID:TSqIMp350.net
金印が出ない限り決着は無理

430 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:06:04.08 ID:UK8q8yBg0.net
>>412
最近シナでも見つかったよ
http://nazo108.sblo.jp/s/article/114620213.html

431 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:06:21.10 ID:RIgfdiqV0.net
桜井市には山田寺跡があるじゃない
邪馬台国よりもよっぽどロマンがある

432 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:10:34.17 ID:ODxWO5gE0.net
>>420
それはゴッドハンドでしかない

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku270.htm
> 箸墓の年代に関する歴博の矛盾点
>
> 項目2の発表のレジュメに次のように記述してある。
> 「定型化した最古の前方後円墳である箸墓古墳の布留0式に付着する炭化物などを測定したところ、1800BP年頃に集中する結果を得た。
> (中略)日本産樹木年輪資料の炭素14年代から構築した較正曲線と照合すると、箸墓古墳の布留0式は3世紀中頃と考えるのが
> 合理的である。」
>
> しかし、掲載図の日本産樹木年輪資料の炭素14年代から構築した較正曲線を拡大して目盛り線を引いてみると、
> 1800C14BP年は較正曲線と4カ所で交わり、3世紀中頃〜4世紀中頃にしか絞れない。
> 歴博が3世紀中頃の1ポイントに絞るのはまったく根拠がない(下図)。
> http://yamatai.cside.com/katudou/image/270-2.gif
>
> 項目3の発表で、歴博準教授の藤尾慎一郎氏は次のように述べる。
> 「日本産樹木の炭素14年代は、BC2世紀以降については未だデータも少なくそのグラフも上下に暴れる不安定な状態である。
>
> つまり、BC2世紀以降については、未だ実用の段階ではなく、現時点では、炭素14AMS法で箸墓の年代を推定することは
> できないことを意味している。
>
> 歴博は、いっぽうでは較正曲線が未完成なので、弥生終末期〜古墳時代開始期も実年代を決められる状況ではないことを
> 認めていながら、片方においては、まさにその較正曲線を根拠にして古墳時代開始期の箸墓古墳の年代発表をするという
> 矛盾した行為を行ったのである。
>
> これらの点について、歴博との質疑応答で質問した。しかし、歴博からいろいろ説明された内容は、質問に正面から答える形のものではなく、
> 納得できる回答ではなかった。
>
> ■ 箸墓古墳の年代についての安本先生のコメント
>
> 歴博の研究者は、240年から350年までの幅を持った値しか推定できないデータなのに、3世紀中頃というピンポイントで
> 決めてしまい、それを新聞発表した。
>
> 歴博の発表は、箸墓古墳が3世紀中ごろの卑弥呼の墓という前提条件をもって行われた。研究自体は科学的方法を用いているが、
> 発表はまったく科学的ではない。自分たちの先入観の確認のためにデータを都合良く利用しているだけだ。
>
> 畿内説の学者は、新聞発表に持ち込めば成功と考えている人が多い。新聞発表では証明したことにならないので、
> 証明は別に行なわねばならない。
>
> 世間一般の人は国立機関の歴博ともあろうものが、いい加減な発表をするはずがないと思う。
> しかし、実体はそうではなく、かなりいかがわしい発表をしている。
>
> 前々回に講演して頂いた韓国慶尚大学招聘教授の新井宏氏も歴博の発表について次のように述べている。
> 今回の問題だけでなく、弥生中期や、弥生前期の板付Ua期の位置づけに関しても、歴博の発表に自己矛盾が数多くあり、
> 歴博の論理性について、強い疑義を抱いている。
>
> ここに言う自己矛盾とは、歴博の発表した前提条件や資料からは、歴博の主張する結論は得られないという
> 極めて単純なことであり、考古学上の議論とは無関係な論理的な問題である。
>
> 土器付着炭化物と、炭化米やくるみの炭素14年代を比較すると、土器付着炭化物のほうが、炭素14の年代が古く出ることも
> 注意が必要。これは、西田茂氏が江別市対雁2遺跡の例として土器付着炭化物では600年も古く出ると問題提起したものであるが、
> まだ、明快な解決に至っていない。

> 旧石器捏造事件の時と同じように、研究費を配分する人と、研究費を使用する人たちが同じグループに入っている。
> 旧石器捏造事件では、研究費を配分する人があらかじめ自分の説を持っていて、自分の説を支持するところへ
> どんどんお金をつぎ込むということをやった。研究者は配分者の説に沿うように成果を出さないと研究費がもらえなくなるので、
> ますます捏造が拡大し、とんでもないことになった経緯がある。
>
> 歴博の研究は、これとほとんど同じ構造になっている。

433 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:14:32.40 ID:j4xu+TwV0.net
堺の港から箸墓古墳までの直線距離は約36km

地図で見てもわかる通り、堺から上へ登っていくと簡単に橿原市方面(箸墓)方面に行ける。
https://www.google.co.jp/maps/@34.561741,135.252033,45582a,35y,90h,35.9t/data=!3m1!1e3

434 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:15:12.73 ID:ODxWO5gE0.net
>>421
関川氏は調査技師などではなく、纏向遺跡に精通した考古学者だが?
>>128を見れば分かる通り、纏向遺跡において関川氏より詳しい人間などいないと言っていい存在

>いずれにしても三〜四世紀は畿内や吉備が優勢であって、卑弥呼が奴国にいたとすれば、征服される直前の風前の灯火だったに違いない
どこから湧いた妄想だそれは
こうやって妄想と嘘で塗り固めただけのゴッドハンド
それが畿内説なんだな

435 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:17:56.66 ID:37TbM8+P0.net
>>432
「でしかない」って、じゃあ九州説の確固たる証拠を見せてよ。

436 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:20:37.89 ID:ODxWO5gE0.net
>>427
妄想を書き連ねてるだけじゃん
>>435
例えば>>413だけでも九州なのは確定だな

437 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:22:37.55 ID:C/CKyRf50.net
>>416
同じ箇所に同じ傷があるから日本で複製された物って事になったんじゃなかったっけ?

438 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:23:48.63 ID:gSmQ/WYh0.net
>>430
本当だ
割れててもきれいだね
でも中国産だからもっとあってもおかしくないのに
中国は不思議な国だ

439 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:24:26.92 ID:ODxWO5gE0.net
>>422
こうやってゴッドハンドするのが畿内説
でも実際は>>19にあるようにホケノ山からも布留1式の土器が出ていて
4世紀の古墳というのが事実

440 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:24:57.11 ID:f0H1K6ol0.net
>>433
河内和泉が女王国である根拠はない。
神武東征の話でも、河内は敵対勢力がいた場所。
大阪湾方面からヤマト入りできた根拠は?

441 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:27:06.60 ID:ZIrGGZmv0.net
>>427
九州説だと全て矛盾が無く説明できる。
>>57>>58>>60>>62>>63

442 ::2017/12/10(日) 18:32:19.30 ID:YH1EBVH00.net
>>440
ナガスネヒコ萌えの俺としては、生駒山地の東麓の富雄は聖地。
いつか巡礼したいものですじゃ。

443 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:33:18.91 ID:f0H1K6ol0.net
九州説は邪馬台国の候補地すらあげられない。

魏の使者のルート。

往路
博多→周防灘→大隅半島→黒潮→紀伊半島→ヤマト

復路は記述がないので、不明。恐らく、
ヤマト→紀ノ川沿い→紀伊→淡路島→阿波→土佐→周防灘→博多

太平洋側+周防灘が魏の使者が通った海路。
周旋可とは、瀬戸内海を通れば、一周できるということだろう。

444 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:36:19.95 ID:JLdhdueA0.net
>>443
それなら太平洋沿いの水行てことかな?
瀬戸内海があるのにわざわざ太平洋にでるかな?

445 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:38:54.89 ID:ZIrGGZmv0.net
>>443
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
>>57>>58>>60>>62>>63

446 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:40:25.81 ID:37TbM8+P0.net
>>441
距離と方向がぜんぜん違うでしょ
仮にそうだとしてそれは現在のどこですか?
そこから何が出てきましたか?

447 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:41:40.06 ID:j4xu+TwV0.net
>>440
>大阪湾方面からヤマト入りできた根拠は?

大阪府と奈良県の県境のうち非常に低い山々なので、誰でも気軽に県境を越える事が出来る
//www.google.co.jp/maps/@34.561741,135.252033,45582a,35y,90h,35.9t/data=!3m1!1e3

448 ::2017/12/10(日) 18:45:23.68 ID:YH1EBVH00.net
>>444
横からすまんが、瀬戸内海はいつもどっちかに流れているし、島や岩礁が多くて
潮目も複雑で初心者にはけっこう厳しい海なのだ。
慣れたらその複雑な潮目を使って超便利な海なんだけども。

だけど、さすがに太平洋はない気がする。
日本海の対馬海流の方が使い勝手は良いよね。

449 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:45:53.45 ID:JLdhdueA0.net
河内湖の端から上陸したら精々二日もあれば桜井天理に着く
そこでなくとも大阪湾のどこから上陸しても記録にあるような陸行1月もかかりません
桜井天理説は無いわ

450 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:46:16.81 ID:ZIrGGZmv0.net
>>446
距離も方向も合ってるでしょ何処が違うと言ってるの?
糸島市付近
糸島市には奈良県の半分以上の数の遺跡がある。

451 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:47:17.20 ID:f0H1K6ol0.net
>>444
瀬戸内海を平定していた根拠がないからね。
瀬戸内海は四道将軍の派遣先でもある。
敵対勢力や海賊の攻撃を受けず、安全に航行できなかった可能性が高い。

何より不弥国から南に20日、投馬国から南に10日が瀬戸内海では説明出来ない。
陸を目視できる瀬戸内海で南と東を間違う可能性はゼロだな。

黒潮が流れているのは、大隅半島の南沖。
黒潮の流れに乗ると、陸を目視できないし流されている方角を把握するのは不可能。
黒潮の流れから外れない様に舳先を南に向けていたのかもね。

452 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:50:08.60 ID:lBZ11qmz0.net
>>400
その下の行に書いてあるだろ

453 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:51:45.25 ID:lBZ11qmz0.net
>>422
卑弥呼の時代の墓は円形墳だし

454 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:51:47.39 ID:j4xu+TwV0.net
堺から一級河川の大和川と言う河を船で上って行けば
箸墓古墳、ホケノ山古墳に簡単に水行できる。

455 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:52:26.68 ID:lBZ11qmz0.net
>>424
何がダウトなのか書けよあほ

456 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:52:56.46 ID:lBZ11qmz0.net
>>454
簡単じゃだめ 10日かからないと

457 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:53:19.49 ID:JLdhdueA0.net
紀伊半島上陸説 あるかも  それなら陸行1月も納得できる
神武の東征も紀伊半島から上陸 なにか関連があるかも

458 :subo:2017/12/10(日) 18:53:22.60 ID:kpc/hGau0.net
>>451
黒潮厨がきたな

459 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:54:30.27 ID:f0H1K6ol0.net
>>450
伊都国には名無しの王がいる。
一つの国に王は1人は、常識。
女王国の王は、卑弥呼。
しかも伊都国は一大卒の監視下で、女王国に服属している。属国だな。
邪馬台国へは、さらに行程が続くしね。

女王国まで12,000里。不弥国と投馬国の境界辺り。
女王国の北、投馬国より北が一大卒の管轄。

460 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:54:49.41 ID:ZIrGGZmv0.net
>>457
すると邪馬台国は東北?

461 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:56:16.75 ID:lBZ11qmz0.net
畿内説は精神疾患の一種なのかな?

462 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 18:57:11.22 ID:lBZ11qmz0.net
ほら 欧米でも 「私はナポレオンの生まれ変わりだ」 つう精神病があるじゃん

畿内説も同じような精神病じゃないかな? 

463 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:57:48.74 ID:ODxWO5gE0.net
>>414
その人は中国のゴッドハンド藤村なんだが

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/sanka-china.htm
> 1 今年(2015)の春三月になって、またしても洛陽付近から出土したという由緒不明で怪しげな「三角縁神獣鏡」が話題になっている。
> これを日本で報じたのが朝日新聞(2015年3月2日)で、例の言い方、すなわち、「卑弥呼の鏡」三角縁神獣鏡、
> 「同型を中国で発見」と題する記事が掲載された。研究誌に掲載の論文を書いたのは河南省在住の銅鏡コレクターの王趁意氏で、
> 当該鏡(「伝14鏡」と仮にいう)について
> 「2009年ごろに、当時、洛陽最大の骨董市で、市郊外の白馬寺付近の農民から譲り受けた」と説明しており、
> 正確な出土地点はわからないという。
>  
> 2 「王趁意」なる人物には、注意しなければならない前歴がある。彼は、「研究者」と紹介されることもあり、
> 中国銅鏡研究会の理事の一人でもあり、『中国東漢竜虎交媾鏡』(2002年刊。副題が「一个青銅鏡收蔵愛好者的発現」
> 〔一人の青銅鏡收蔵愛好者の発見〕)、『中原蔵鏡聚英』(2011年刊)という著書もあるが、本職を別にもつ
> 古鏡愛好者・マニアといったほうが実態に正確そうである。本格的な学究と受けとめるには、問題があろう。
>  
> 3 実は、2006年末ごろに王趁意氏が絡む洛陽付近出土という「三角縁神獣鏡」が問題になったことがある。
> このときの鏡(「伝06鏡」と仮にいう)についての状況報告は、安本美典氏により『季刊邪馬台国』第95号(2007年6月刊)に
> 詳細に記述されており、安本氏も岡村秀典氏(京大教授)も、これが日本出土の三角縁神獣鏡とは異なるものと評価されている。
> このときも、中国では陜西師範大学の張ボウ鎔氏が『中国文物報』(2006年12月22日刊。国家文物局が週2回、出版する雑誌)の
> 「試論洛陽発現的三角縁神獣鏡」という論考(日本語訳が『博古研究』第33号や『季刊邪馬台国』第95号に掲載)で、
> 日本で出土した三角縁神獣鏡の形態に最も近いと判断された。
> この『中国文物報』の同年11月15日刊では、当の王趁意氏による「同向式三角縁神獣鏡」という記事が先行しており
> (このときも朝日新聞が2007年1月24日付けで、同じ塚本和人記者が報じたが、「疑問も」という標題がついてあった)、
> この鏡が王趁意氏所有とされる。
> これも、出土や入手の経緯は明確にされない。その3年後に異なる大きさ(伝06鏡は直径が21.5センチで、
> 今回の伝14鏡は18.3センチ)で、異なる銘文(伝06鏡は「吾作明竟幽三商……」、伝14鏡は「吾作明竟真大好……」)をもつ、
> 今回の鏡を入手し、それが王趁意氏によって、なぜか入手6年後も経ってから論考(『中原文物』2014年6期〔12月号〕に
> 「洛陽三角縁神獣鏡笠松紋神獣鏡初探」という標題)が発表されたということになる。
>  中国では、まだ発見されていないとされる三角縁神獣鏡らしき鏡が、なぜか特定の古鏡愛好者のもとで2枚も見つかり、
> それが発表されては大騒ぎをする。これは、はたして偶然なのか、古鏡愛好者の熱意(5年の歳月をかけて
> 中国の大半を歩き回ったという)のなせる業なのか。
> 伝14鏡も伝06鏡も、ともに実際の発掘調査で見つかった鏡ではなく、入手経緯などはまるで曖昧にされたままである。
> だから、洛陽付近で出土したというのも、王趁意氏の言い分にすぎず、まったくの証拠がないから、
> この言い分を鵜呑みすることには学問的に大きな疑問がある。

464 ::2017/12/10(日) 18:57:56.31 ID:YH1EBVH00.net
今回のココ電球はノッてるなあw

465 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:58:31.33 ID:JLdhdueA0.net
>>460
違う  
紀伊半島から上陸して奈良に入るまでの途中はずーっと険しい山岳地帯を抜けないとな
優に1月はかかるだろ

466 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:58:59.40 ID:ZIrGGZmv0.net
>>459
>>60>>62にあるように
一大卒が監視していたのは女王国の北側の諸国であり
伊都国で卑弥呼が治めていたんだよ。

467 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 18:59:36.22 ID:ODxWO5gE0.net
>>443
女王国は帯方郡から万二千里なので畿内へはどう頑張っても行けない
九州までしか範囲に入らない

468 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:00:04.63 ID:PEnu+ATn0.net
魏志倭人伝書いた人連れてこないと場所なんかわからない
存在自体も

469 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:00:37.83 ID:I/6qKFtj0.net
>>413
それは「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」に続いている文章にあるものだろ。
しかも東に四千里行ったところから更に東南に「船行一年可至」とある場所だ。
九州は女王国から海を東にはるか遠くに渡った絶海にあるのか?w

470 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:01:06.14 ID:ZIrGGZmv0.net
>>465
昔から紀伊半島から上陸して奈良に入るのに1月もは掛からんよ
記録が多くあるから調べてみて。

471 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 19:01:37.36 ID:lBZ11qmz0.net
次の畿内の古墳調査でも 「これこそ本物の卑弥呼の墓だ」 ッて言い出すんだろうな。

死後、体を分割されて畿内に埋葬された説がでてくるのかな?
 

472 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:01:39.93 ID:f0H1K6ol0.net
>>457
神武東征の記述もそうだけど、
まず河内が敵対勢力だったんじゃないかな。
邪馬台国とその南の狗奴国が何回も戦闘しているとあるしね。

日本書紀に琵琶湖北部、伊吹山に荒ぶる神ありとある。琵琶湖北部北陸は四道将軍の派遣先でもある。
日本海側からヤマト入りするのも危険だったんじゃないかな。

そう考えると、卑弥呼側が必死で魏に朝貢していたのも納得がいく。
倭国王としての魏のお墨付きが必要だったんだろうね。

473 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:03:03.94 ID:I/6qKFtj0.net
>>455
「白村江の戦争中なのに 遣唐使おくってる」

これは違うということを時系列で解説しているだろ?

474 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:04:15.94 ID:f0H1K6ol0.net
>>470
まだ当時街道は整備されていない。道なき道を行くのは、1日5km位じゃないかな。

475 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:04:51.91 ID:ZIrGGZmv0.net
>>469
別にこの文は行程を説明しているのではないから
九州は女王国から海を東にはるか遠くに渡った絶海
とかにはならないですよ
頭狂ってないですか?

476 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 19:05:08.52 ID:lBZ11qmz0.net
>>473
あほ

477 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:06:02.59 ID:f0H1K6ol0.net
>>467
女王国は広大なエリアに広がっているとある。
1番近い境界の国まで12,000里、投馬国までだな。
何処にも邪馬台国まで12,000里とは書いていない。

478 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:06:17.11 ID:ODxWO5gE0.net
>>469
アホ?
「參問倭地」と書かれているのが分からんのか
倭地について書かれた文なんだから裸国や黒歯国について書かれた前段とは文章は繋がってないんだよ

479 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:07:28.24 ID:WPgZb4g30.net
おおよその日本史ベストナインを決めると
卑弥呼
蘇我馬子
厩戸王子
源義経
足利義満
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
おれ

480 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:07:35.68 ID:ZIrGGZmv0.net
>>474
ジャングルの道なき道を重い荷物を担いで険しい山越えしたインパール作戦でも1日15q以上は進めたよ。

481 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:08:35.20 ID:ODxWO5gE0.net
>>477
残念賞
倭のサイズそのものも>>413のように明記されている
九州島からは出られない

482 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:08:43.67 ID:d+m1Pv240.net
畿内説はこじつけばかり

483 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:09:51.75 ID:S4w69tHm0.net
モンゴル力士の八百長が話題になってますが、野球界にたくさんいる在日韓国人が
これをやってないと思いますか?

しかも彼らはモンゴル力士と違って日本人に成りすましているのでさらに巧妙に
八百長がしやすい状況です。

作られたヒーローがどれだけ野球界には多いことか、想像するだけで思い当たりますね。
まともな日本人の野球選手で実力が本当にある選手はみなメジャーに行くんですよ。
  
日本人選手のメジャー移籍に批判的なのは、八百長をやってる在日韓国人のインチキ野郎。
彼らがやってきた欺瞞に満ちた記録とその正体がバレるのを恐れているんですね。
    
なんのことはない、自分たちの薄汚い利権のために日本という裏社会を掌握したいだけという
本音だけがそこにあったわけです。昔からこういう連中の存在が日本社会の病巣だった。

なぜ、野球賭博は禁止されてきたのか。  
そこに在日韓国人による八百長インチキが存在しているから、ということだったと。

484 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:10:14.24 ID:WPgZb4g30.net
おおよその世界史ベストナインを決めると
アレクサンダー大王
シーザー
クレオパトラ
キリスト
マホメット
チンギスハーン
ナポレオン
ヒトラー(要審査)
おれ

485 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:10:43.60 ID:ZIrGGZmv0.net
>>477
12,000里は帯方郡の郡治から女王国の中心までです
7000里の狗邪韓国に着いた時点で女王国には入国済

486 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:12:57.45 ID:I/6qKFtj0.net
>>475
なあ、「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」の話の段落に出てくるんだぞ。
行程がどうとかではないんだよ。
お前は九州は「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」だと言っているんだよ。

487 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:13:10.32 ID:f0H1K6ol0.net
>>480
軍の強行と比べてどうする。

登山道でも1日8km程度。
野営の準備や食事もしないといけないし、10km以上は難しいのではないかな。

488 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:13:56.57 ID:I/6qKFtj0.net
>>476
そうやって都合が悪くなると罵声しかしなくなるのは白馬鹿らと同じだな。

489 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:14:46.46 ID:f0H1K6ol0.net
>>485
そんなことは魏志倭人伝に書いてない。
嘘ばかり。

490 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:15:10.01 ID:ZIrGGZmv0.net
>>481
女王国は韓の地にある投馬国と倭の地にある邪馬台国で構成されており
女王の都は邪馬台国にあった
投馬国の中心国邑は狗邪韓国であり
邪馬台国の中心国邑は奴国であった
卑弥呼は伊都国に都を置いていた。

491 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:15:59.57 ID:ZIrGGZmv0.net
>>489
それが書いてあるんだよ。

492 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:20:39.56 ID:JLdhdueA0.net
仮にヤマトが桜井天理として
紀伊半島の何処かを上陸地点とすると直線距離でも120Km〜
瀬戸内沿岸沿いを通らない限りどのコースを通っても山岳地帯
1月かかっても不思議じゃない

493 ::2017/12/10(日) 19:21:06.12 ID:YH1EBVH00.net
>>487
うむ。作戦行動じゃなくて出張だもんな。
 魏の使者「うーん、まだ日が高いから、あの峠まで超えようかなあ…」
 村人  「今日はここに泊まりなさいってば。こっちの方が酒はおいしいし、宿代ちょっと割引きしてあげるよ」
 魏の使者「そうか。じゃあ泊まろうかなあw」
みたいな感じで、急ぐ理由がないw

494 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:22:29.05 ID:I/6qKFtj0.net
>>478
「参問」は「交えて問う」「照らし合わせて問う」ならば、「倭地と比較してどうなんだ?」となるのではないか。

495 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:22:38.36 ID:JLdhdueA0.net
突っ込まれる前に訂正
×瀬戸内沿岸沿い
〇沿岸沿い

496 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:22:46.54 ID:f0H1K6ol0.net
>>490
根拠は?
魏志の何処にもそんなこと書いてないが。

学問に妄想はいらない。

君が倭人になりたい気持ちは痛いほど分かるが。

497 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:24:50.22 ID:ZIrGGZmv0.net
>>487
わざわざそんな道通らないよw

498 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:25:10.96 ID:37TbM8+P0.net
>>450
糸島の古墳はぜんぜん大きさが違うでしょ

499 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:27:04.01 ID:ZIrGGZmv0.net
>>496
説明は>>57>>58>>60>>62>>63

500 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:27:10.48 ID:JLdhdueA0.net
>>497
当時はそんな道しかないんだけどな

501 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:27:45.46 ID:ZIrGGZmv0.net
>>498
大きさは関係ないでしょう。

502 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:28:26.49 ID:5LS098TN0.net
こういうのこそAR(拡張現実感)で見せるべきなんじゃないの?

503 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:33:57.66 ID:ODxWO5gE0.net
>>494
参問は「質問する」の意だぞ
比較なんて勝手な意味を付けないように
そういうことをするから畿内説はゴッドハンドと言われる

http://marihouse.biz/kokoro/rinzai/rinzaiR5.htm
> 首座云、曾參問也無。師云、不曾參問。不知問箇什麼。
> 首座は、これまで黄檗和尚になにか質問したことはありますか? というと、師は質問したことはありませんし、
> なにを問えばいいのかもわからない、と言います。

504 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:38:39.37 ID:ODxWO5gE0.net
>>480
古代中国においては一日の平均的な行軍距離を一舎と言い、一舎=三十里(約15km)とされる
平地でこれなのだから、道なき道ではその半分以下も充分有り得る

http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/KanjirinHB6i.html
> 【舍】
> C軍隊の一日の行軍距離の単位、一舎は三十里(約15km)、「一舎ごとに一宿する」ことから

505 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:40:47.74 ID:ODxWO5gE0.net
> 自郡至女王國 萬二千餘里(魏志倭人伝)
帯方郡から女王国までが一万二千里余り
これではどう頑張っても畿内には辿り着けない
九州にしか行けない

506 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:40:58.13 ID:gudFGNr20.net
>>449

おそらく、敦賀あたりで上陸し琵琶湖を南下、東海道を通って、甲賀、伊賀などの忍者の里を
通りマキムク入りでしょう。
当時から渡来人の通り道であり、忍者の里があるのも偶然ではない。近江商人もこのルートにある。
今の天皇家の祖先も滋賀北部〜福井あたりの出身。

507 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:45:36.26 ID:gudFGNr20.net
北九州論者の反論で三角縁神獣鏡は国産鏡というのがある。しかし、三角縁神獣鏡に
描かれている絵は明らかに中国の神仙思想に基づく絵が描かれており中国の影響は無視
できません。中国の神仙思想がなぜ3世紀の畿内にあるのでしょう?

508 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:46:33.36 ID:gJMqBpYV0.net
魏志倭人伝に書いていることが、絶対に正しい訳じゃない。

実際に日本に来た時のことを書いた訳じゃなく
人から聞いた話をまとめただけ。

509 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:47:59.43 ID:JLdhdueA0.net
水行に琵琶湖、可能性としてあると思います
が、水行の後の陸行1月がネックになりますね 

510 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:49:01.95 ID:gudFGNr20.net
>>508

魏志倭人伝には、正始8年(247年)に帯方郡から塞曹掾史張政が派遣されたと書いてある。

511 ::2017/12/10(日) 19:51:18.61 ID:YH1EBVH00.net
>.504
この手の問題の大部分は、「地図で」里程を確認していることに
起因すると思う。フラクタル理論によると、ある二つの点を結ぶ歩行距離は、
地図の倍率が上がるにしたがって増大する。

現代の自動車道で言えば、実際の道程と直線距離との比は最大でも
π/2か√2程度だが、踏み分け道だと5くらいはザラにあるのだ。

512 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:51:33.52 ID:gudFGNr20.net
>>509

琵琶湖は水行ではなく陸行でしょう。平地が続いているので歩けたはず。水運を使ったかもしれないけれど。
出雲から敦賀あたりまでが水行10日でしょう。

513 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:54:27.98 ID:CzFBjr+Q0.net
>>317
その事象が起こったのは2世紀末と考えたほうが辻褄が合う

514 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:55:17.75 ID:ODxWO5gE0.net
>>507
こらこらゴッドハンドするな
三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀の古墳からだ

三角縁神獣鏡は中国では出土しないが、揚子江流域の平縁神獣鏡と三角縁画像鏡を足しあわせた特徴を持つとされる
どちらも魏ではなくその敵国だった呉の形式の鏡だ
呉の滅亡(280年)以降に呉の職人が銅鏡の需要が高い日本に流れてきたという説はある
いずれにせよ魏に朝貢した邪馬台国の鏡ではない

515 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:56:43.44 ID:ODxWO5gE0.net
>>513
どちらも合わない
畿内が発達するのは4世紀以降だから邪馬台国よりも後の時代になってから

516 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 19:57:17.39 ID:lBZ11qmz0.net
>>511
水行のほうはどうすんの?

517 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 19:59:58.69 ID:gJMqBpYV0.net
>>510
書いてあるだけ。
実際には日本に行ったかは不明。
普通なら日本から献上品等を持ち帰ってくるはずなんだけど
その辺のことが不明。

518 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 20:00:32.91 ID:lBZ11qmz0.net
>>513

記紀にかいてあることは99%作り話だろう

519 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:00:50.86 ID:pIIvnAbO0.net
♪いまにみていろ 邪魔大王国

全滅だ!

520 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:01:02.01 ID:f0H1K6ol0.net
>>512
日本海ルートは方角がおかしいのと、わざわざ九州に上陸する必要がない。
更に出雲が女王国だった、或いは友好国だった根拠がない。出雲は独自の墓制を保っているし、まだ国譲りしていない可能性が高い。

琵琶湖北部、伊吹山周辺。日本書紀には荒ぶる神がいるとある。北陸は四道将軍の派遣先でもある。
彦根の稲部遺跡は在来系の土器が中心。
南に3kmの斗西遺跡は、吉備など纒向に似た外来系土器が多数。
この辺りに女王国の境界があった可能性がある。

521 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:01:12.73 ID:gSmQ/WYh0.net
>>512
それはほぼ鯖街道だよね
若狭から飛鳥まで、琵琶湖や川の水路を駆使して
3日で着いたそうだから、敦賀からでも
陸行20日にはならないんじゃないかな

522 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:03:05.50 ID:gudFGNr20.net
>>514

魏とか呉とかは為政者の話であり、一般民衆はそんなことは関係なしに行き来していたことでしょう。
そもそも、三角縁神獣鏡に呉で作ったと書いてある。

523 ::2017/12/10(日) 20:03:11.02 ID:YH1EBVH00.net
>>516
水行はあれだ。
沿岸舟行や内水面航行に加えて、湿地帯の歩行も加える。
陸行の「陸」の字義は堅固な大地だから、湿地帯は陸ではないのだ。

魏使の御一行様は、筑後川下流域の湿地帯で苦労したんんだなあ。

524 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:05:18.84 ID:ODxWO5gE0.net
>>522
魏と呉は敵対国家だったんだぞ
公孫淵が滅ぼされたのも呉と密かに通じたりしていたせい
魏に朝貢して金印をもらうなら呉とは断絶せざるを得ない

525 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:07:16.93 ID:gudFGNr20.net
>>520

九州に上陸するのは、かつて北部九州勢力が後漢と行き来していたルートを踏襲したものでしょう。
まだ、ルートが確立されてなかったので昔からの迷わないルートを選んだのと、食料や物資、休憩のためでしょう。

人力で船をこぐのは大変ですから。

526 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:09:01.33 ID:je9c8F0V0.net
邪馬台国の時代、文字なくてどうやって統治したんだ?
王の命令は、馬を走らせて王家の旗か印ろうでも持った役人が口で伝えたのか。

527 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:09:24.57 ID:ODxWO5gE0.net
>>525
休憩が目的なのに道なき道を佐賀から福岡まで歩いたとな?

本当に畿内説って馬鹿しかいないんだな

528 ::2017/12/10(日) 20:11:52.09 ID:YH1EBVH00.net
>>526
「粗忽の使者」という落語でもわかるように、識字率が庶民も含めて
90%を超えた近世においてもなお、使者に「口上」を述べさせる
文化があったのだ。

529 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:12:01.64 ID:gudFGNr20.net
>>527

神功皇后の朝鮮出兵も九州から出てるし、豊臣秀吉も九州に拠点作ってたし九州から
出入りするのがデフォだったんでしょう。

530 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:13:02.16 ID:erb2XwOd0.net
邪馬台が畿内へ遷都したのは後ろ盾の魏が滅亡したからだよ。
そもそも邪馬台が何故近場の呉ではなく魏へ朝貢したのか、魏が邪馬台を倭王に認可したかは共通の敵が呉勢力だったからだよ。
亡命した魏の王族武人達は紀伊半島の山中に隠れるように里を開き、濃尾の出雲伊勢勢力と婚姻し新王朝を建てたのが始まりだろ。
当時神無月に納税を迫られる遠方の伊勢出雲は大国主に反発してたんだよ。

531 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:15:39.56 ID:f0H1K6ol0.net
>>530
時系列が無茶苦茶だし全く根拠がない

532 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:16:10.99 ID:XDpJH56D0.net
東遷説、九州王朝説、畿内説は3大馬鹿

533 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:18:17.98 ID:gSmQ/WYh0.net
>>526
卑弥呼が骨ト占いをしていたということは
少なくとも甲骨文字の読み書きはできたはず
と聞いた

534 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:23:03.82 ID:I/6qKFtj0.net
>>503
「参問」で検索するとその禅宗のページが出てくるよなw
つまり、お前は岩波文庫の魏志倭人伝すら読んだことがないということか。
アカデミックなものではなく在野の書き物だけで論じてきたのだね。

535 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:28:57.08 ID:ODxWO5gE0.net
>>534
岩波がどう言おうが、漢文において参問が質問の意であることは>>503の引用部で明白
お前のゴッドハンドは失敗に終わったんだよ

536 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:36:34.57 ID:I/6qKFtj0.net
>>535
「参」は「交わる」「比べあわせる」「調べる」「謀る」「目通りする」「集まる」だ。
>>503で「参」はどこに行ったんだ?
因みに、曹洞宗の用語では「参問」は「参師問法」のことな。
http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%B2%CC%E4
>参問
>【定義】
>参師問法のこと。師家に就いて、仏法の奥義を尋ねること。
> 薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて、江西大寂禅師に参問す。 『正法眼蔵』「有時」巻

537 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:41:05.28 ID:/2p5Jx/20.net
纏向は単なる近畿地方の豪族の存在がいたことの証明にはなるが

魏との交易交流があった邪馬台国とは無関係。
魏の役人は伊都国(今の糸島半島)に駐在し筑後地方に存在した邪馬台国及び
磐井のような強力豪族との窓口となっていた。
近畿地方なんか遠い東の一地方豪族でしかない。

538 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:44:55.14 ID:vx+xReAd0.net
>>536
「調べる」が含まれているじゃないか
問うのは当然答えを調べるためだ
倭地について調べるために問うたとお前自身が答えを出してしまったなw

539 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:49:31.96 ID:ODxWO5gE0.net
>>536
>因みに、曹洞宗の用語では「参問」は「参師問法」のことな。
だから何?
照らし合わせるの意でないのはそちらの用法でも明らかだろう
お前のゴッドハンドは失敗に終わったんだよ

540 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:52:39.29 ID:ODxWO5gE0.net
>>538
そちらの訳の方が文意に沿うな
ID:I/6qKFtj0 はゴッドハンド失敗どころか自爆したか

541 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:53:19.54 ID:I/6qKFtj0.net
>>538
なあ、字義の変遷、派生というのを考えたことはないのか?
複数ある字義が全く独立して発生するわけがないだろ。
先行する「交わる」「比べあわせる」を踏まえた上で「調べる」があるでしょ。
これはそういう意味の「調べる」なんだよ。
「しらべる」の訓を持つ漢字は「按」「査」「検」「調」「覈」とあるぞ。

542 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:55:58.80 ID:vx+xReAd0.net
>>541
>先行する「交わる」「比べあわせる」を踏まえた上で「調べる」があるでしょ。
いや、それらが先行するというソースが全く無いんだが

>これはそういう意味の「調べる」なんだよ
お前の妄想はいらないよ
ソースを出せ

543 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:57:49.00 ID:zbZ/lJzC0.net
>>501
関係あるだろ
魏志倭人伝に書かれてるんだから

544 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 20:59:01.19 ID:I/6qKFtj0.net
>>539
参師問法は「師と交わり法を問う」だろ。
そして、それを省略したのが禅宗の「参問」だ。
魏志の参問は禅宗用語なのか?
違うだろw
古典漢文を読む時に後世の熟語と似たものがあるとそう読んでしまう人がいる。
注意しないといけない点だ。

545 ::2017/12/10(日) 21:00:23.74 ID:YH1EBVH00.net
>>541
関係ないが、こうして見ると、やまとことばってのはホントに
シンプルな体系だよな。
立つも発つも断つも絶つもぜんぶ「たつ」だし。

546 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:01:34.35 ID:ODxWO5gE0.net
>>543
1里=300歩
魏志倭人伝は1里約78メートルの周代の里で書かれているので100歩は小さい
畿内の遺跡は大き過ぎて記述から外れる

547 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:04:36.39 ID:ODxWO5gE0.net
>>544
お前がどう足掻こうと、参問を比較の意で使ってる実例が無い以上
>>494のゴッドハンドは成り立たない
残念だったな

548 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:05:36.75 ID:zbZ/lJzC0.net
>>546
あそこに奴隷100人が埋められていたとは到底思えないし出てきてもない

549 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:09:57.53 ID:ODxWO5gE0.net
>>548
お前がどう思おうと、魏志倭人伝が1里=300歩が約78メートルで書かれている以上、
100歩はその1/3、約26メートルにしかなりようがない

550 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:10:43.19 ID:I/6qKFtj0.net
>>542
白川静の「字統」では
『参は簪(かんざし)飾り三本を中央に集め、左右の高低がそろわず、参差不斉(さんしふせい)となるので、
参差のを生ずる。また、集めるの意より、参稽比較する義となり、〔荀子、解蔽〕に「治乱を参稽す」という。
参詣とは集まり至ること。わが国では社寺に参拝する意に用いる』
とあるな。

551 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:10:55.17 ID:f0H1K6ol0.net
卑弥呼の治世の長い間、2世紀末〜3世紀中頃までヤマト盆地の墓制は前方後円墳ではなかった。
卑弥呼が亡くなるのに前後して、前方後円墳に変わるのは不思議だ。

ヤマト政権の墓制がいつから前方後円墳になったか調べる必要があるが。

卑弥呼の墓、壊された、後世に作り変えられた可能性も考えないといけない。

552 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:11:25.31 ID:I/6qKFtj0.net
>>550
参差のを生ずる → 参差の意を生ずる

553 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:12:33.13 ID:vx+xReAd0.net
しかし畿内キチガイは往生際が悪いな
九州北部では多量の金銀財宝が出土しているのに、畿内では全く出土しない
もうこの時点で畿内勢が九州北部を支配していたとかは全くありえないのは明白だろう
逆はありえるとしても

554 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:15:17.41 ID:vx+xReAd0.net
>>550
集まり至ると比べ合わせるには全く関連性がないな
無意味なレスを並べても何の根拠にもなってない

555 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:15:37.49 ID:I/6qKFtj0.net
>>547
だから、「参問」という熟語じゃないんだよw
ここは「参(まじ)えて問う」と書き下す部分だよ。

556 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:17:28.68 ID:ODxWO5gE0.net
>>551
畿内最古とされる箸墓古墳は>>19の通り布留1式の4世紀築造
日本最古の古墳は那珂八幡古墳で庄内期の3世紀築造

九州から伝わった文化が畿内で発展したというのはその他の文化と全く同様の流れだな

557 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:18:55.24 ID:ODxWO5gE0.net
>>555
現地に行った人間を交えて問うでもいいが、結局「倭地と比べて」等というお前のゴッドハンドは成り立たないことに変わりはない
残念だったな

558 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:19:10.39 ID:toBY3qKh0.net
邪馬台国論争ほど、相手を罵倒することだけが目的となる論争も珍しい

559 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:19:28.88 ID:I/6qKFtj0.net
>>555
「参究」という熟語があるが、意味は「比べ合わせて研究する」だ。
この「参」は「比べる」ではないと言うのかな?
どの辞書でも「参」の解説では似たことしか書いてないよ。

560 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:19:50.82 ID:f0H1K6ol0.net
>>556
そんな単純な話ではない。

561 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:20:24.62 ID:I/6qKFtj0.net
>>557
倭地に掛かっているのに、どこに人物が入るんだ?w

562 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:23:06.56 ID:ODxWO5gE0.net
>>561
倭地について問える人物は、そこに行った人間しかあり得ないだろう
倭から送られた生口という可能性も無いではないが

563 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:23:46.91 ID:V1CLDa4V0.net
魏志倭人伝ってB級資料だろ、韓国の歴史教科書レヴェル

564 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:24:05.19 ID:ODxWO5gE0.net
>>560
都合が悪いことには目をつぶるのか
それじゃいつまでたっても正解にたどり着かないわけだ

565 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:24:58.63 ID:zbZ/lJzC0.net
>>549
だったら奴隷100が出てこないとおかしいだろ
3,4人しか出ていない

566 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:25:16.81 ID:vx+xReAd0.net
>>559
ソースは?

567 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:25:43.78 ID:ODxWO5gE0.net
>>565
どこの話をしているんだ?

568 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:26:32.21 ID:I/6qKFtj0.net
>>554
「参差不斉」は「参差錯落」と同義で「不ぞろい」だ。
http://yoji.jitenon.jp/yojij/4553.html
>参差錯落
>様々な不揃いなものが入り混じっている様子。
>「参差」は大きさや長さが揃っていない。
>「錯落」は色々のものがごちゃごちゃと交ざっていること。

髪飾りを集めると不ぞろいで様々なものが交じっているということだよ。
つまり、比較をしているわけだ。

569 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:27:34.32 ID:I/6qKFtj0.net
>>566
お前は漢文を論じているのに漢和辞典も持っていないのか?

570 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:28:47.05 ID:vx+xReAd0.net
>>568
集まり至ると比べ合わせるには全く関連性がないことの言い訳になってないぞ
無意味なレスを並べても何の根拠にもなってない

571 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:28:51.39 ID:zbZ/lJzC0.net
>>567
平原の古墳

572 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:30:01.10 ID:vx+xReAd0.net
>>569
なんだ捏造かよ

参究(さんきゅう)の意味
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/90404/meaning/m0u/
>仏語。仏前に静座し、悟りを求め、真理を究明すること。

573 ::2017/12/10(日) 21:32:50.19 ID:YH1EBVH00.net
>>572
サンキューというのは英語で「ありがとう」の意味だから、
フランス語では「メルシー」ではなかろうか。

いや、すまん。

574 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:33:06.03 ID:I/6qKFtj0.net
>>570
おいおい、>>550を読んでいないのか?
最初にかんざし三本を中央に集めということが書かれているだろw
そこから集めるという意よりとなるんだ。
文章を読むのが苦手なのか?

575 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:34:02.88 ID:I/6qKFtj0.net
>>572
それは「国語辞典」な。
俺は「漢和辞典」と言った。

576 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:35:29.84 ID:71WR4qCE0.net
学生ですが、勉強すればするほど吉野ケ里で決まりですね

577 ::2017/12/10(日) 21:37:13.64 ID:YH1EBVH00.net
>>576
勉強すればいいってもんじゃないぞ。

578 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/10(日) 21:37:19.25 ID:lBZ11qmz0.net
>>576
なんで名前が違うの?

579 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:37:32.86 ID:vx+xReAd0.net
>>574
バカだなお前
集めるという意は比べるという意味とは独立した字義だってことだろ
集めるの意なら邪馬台国への使者や生口などの情報を持つものを集めて問うたと読める

580 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:38:00.37 ID:iwYac4fB0.net
見える化→可視化

581 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:38:24.13 ID:vx+xReAd0.net
>>575
お前はソースを出せないから捏造ってことだな
やはり畿内説論者は捏造するしかないようだ

582 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:42:24.57 ID:ODxWO5gE0.net
>>571
平原の全てが掘り返されたわけじゃないし、魏の使者は埋葬後に来たので誇張もあるだろう
むしろ畿内には殉葬の風習自体が見られずノーチャンス

https://www.nagaitoshiya.com/ja/2010/queen-himiko-tomb-hirabaru/
> 2.3 : 殉葬の有無による比較
> 『三国志』魏書東夷伝倭人条には「徇葬する者、奴婢百余人」とある。卑弥呼の墓かどうかを判定するもう一つの条件は、
> 殉死した奴婢百余人を埋葬した形跡があるかどうかである。箸墓古墳の場合、内部は調査が禁止されているので、
> これに関しても不明であるが、周辺にある同時代の、内部が調査された古墳からは、殉葬が行われた証拠が見つかっていない。
> したがって、箸墓古墳の内部に殉葬墓が設けられている可能性は低い。
>
> これに対して、1965年より発掘調査を行った原田が早くから指摘しているように、平原遺跡1号墓の内部と周辺には、
> 殉葬墓と思われる墓がいくつかある。特に平原遺跡2号墓は、その可能性が高い。
>
> 殉葬墓(殉死者の墓)と考えられる土壙が、墓域内および排水溝の内部に見受けられた。墓域内のは、主人公の方形土壙の
> 南側に土城壁を切ってと、二の鳥居の南側で墳墓の前面のほぼ中央とにひとつづつあり、どちらも楕円形で内部に積石が認められた。
> 排水溝内には殉葬墓と陪葬墓の両者が入り組んでいるらしいが、東部と南部では不整形の大土壙が掘られていて、
> 一緒に数人を埋葬したもののようである。[30]
>
> 原田とともに発掘調査に従事した柳田も、「周溝底には四基以上の土壙墓があり、確実に同時埋葬と考えられる土壙墓が
> あることから、殉葬墓の可能性が強い」[31]と言い、1998年に再調査を行った前原市教育委員会も
> 「1号墓と2号墓は接するようにして造られており、さらに周溝の一部を共有していることから造られた年代が近いと考えられ、
> それぞれに 埋葬された人物は深い関係にあったと考えられます」[32]と言っている。
>
> もちろん、本当に平原遺跡に奴婢を百余人も殉葬することができたのかどうかに関しては疑問の余地がある。
> 複数の被葬者を同じ方形周溝墓に埋葬する例は、九州では数多く見られるものの、平原遺跡全体の広さから考えて、
> 百余人も殉葬しようとすると、かなり窮屈になったことだろう。
> ともあれ、殉葬の痕跡があったということで、平原遺跡が卑弥呼の墓である蓋然性は、高くなった。

583 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:42:45.05 ID:I/6qKFtj0.net
>>579
そうやって>>550>>568に書かれていることをわざとブチ切りにして別々だから違うというのは詭弁でしかないぞ。

>情報を持つものを

「参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」のどこにそれが入っているんだ?

584 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:46:14.60 ID:I/6qKFtj0.net
>>581
今手元にあるのは角川の新字源だよ。
お前は歴史をやる為の必需品のひとつである辞書を持っていないのだな。

585 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:56:03.74 ID:vx+xReAd0.net
>>583
>そうやって>>550>>568に書かれていることをわざとブチ切りにして別々だから違うというのは詭弁でしかないぞ。
いや全く
お前が貼った>>550で「また、集めるの意より」と書いてあるだろ
また、というのは並列であることを示す語だ
つまり前の行の参差云々とは別個の字義だと明記されている
お前の読解力が低いから気づかないだけだ

>参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」のどこにそれが入っているんだ?
アホかお前
問いというのは問うものと問われるものが必然的に存在するものだろうが
問うのは編者の陳寿でいいとして、じゃあお前は誰に問うたと思ってるんだ?
倭への使いと倭からの生口以外にその問いに答えうる人間がいないだろう

586 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:56:50.88 ID:vx+xReAd0.net
>>584
お前のように誤読ばかりじゃ宝の持ち腐れだなw

587 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 21:59:38.45 ID:IkSEvJcw0.net
>>7
人口に関しては、そもそも不自然なんで
狭義と広義の人口がごっちゃに
説明されてるんじゃないかと。

たとえば、東村山市から東京に入った際に
人口を聞いたら、地元民がうっかり
東京全体の人口を答えちゃったんで。
その後に聞いた、練馬区よりも
東村山市のが人口が多い表記になっちゃった……的な。
http://up2.cache.kouploader.jp/koups21565.png

588 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:00:22.62 ID:vx+xReAd0.net
ちなみに中国語の参問を日本語訳しても尋ねるとしか出てこない
原義がどうのと屁理屈をこね回しても無駄なこと

https://translate.google.co.jp/?num=50&lr=lang_ja&dcr=0&um=1&ie=UTF-8&hl=ja&client=tw-ob#auto/ja/%E5%8F%82%E5%95%8F

589 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:07:12.15 ID:ZIrGGZmv0.net
「参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」
倭地について情報を集めると、海中の洲島の上に絶して在あり、絶したり連なったりしている、周旋すると可五千餘里である。
魏使が倭人に倭地の地理について質問して集めた情報。

590 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:11:30.22 ID:ODxWO5gE0.net
>>588
ニュアンスの確認のために英訳してみたけどAskとしか出てこないな
やはり比較がどうのなんて意味は全く無いようだ

591 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:15:30.54 ID:1scE+lC30.net
5ちゃんの議論を見るといつも九州説が勝ってるんだよね
学会じゃ畿内説が多いって言うけど、偉い教授とかに忖度した結果なんだろうな

592 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:19:48.09 ID:ZIrGGZmv0.net
>>591
学会でも畿内説を正確に説明出来る人は誰もいないようだ
単に雰囲気だけで中身の無い議論をしている。

593 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:22:18.89 ID:+2TfEUsp0.net
マキモキムクムク
プルルンかんしょく
擬音はある意味、恋の呪文〜

594 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:24:06.80 ID:TlVHwsYi0.net
行程序盤、海を渡るときはその旨明記してるんだよね。
関門海峡を渡るときも書きそうなもんだけどな。
狭いから書かなかったのかな?

595 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:24:40.44 ID:R+hdW6N80.net
奈良自体が日本ではないことが分かる。関東以北九州以南に残ったのが比較的に純度の高い日本土人だぞえ。奈良って響きも外来語っぽいし。

596 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:25:19.36 ID:ZIrGGZmv0.net
>>589
不弥国から先の情報を集めたんだな
最後に奴国が出てくるのは倭地を周旋して奴国に戻って来たんだ
つまり奴国から倭地を周旋して奴国に戻ってくるに五千餘里くらい
途中に海を超えたりする
周旋は有明海岸を一回りすることだな。

597 ::2017/12/10(日) 22:26:10.64 ID:YH1EBVH00.net
>>591
バカ言ってんじゃねえぞ。
九州じゃなく八女だっつの。
だがしかし、九頭竜は八又のオロチでよろしいから、
上古は侮れん。

598 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:27:10.24 ID:Qqxn329/0.net
中大兄皇子がガチの天皇なんだろ

599 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:28:37.27 ID:f0H1K6ol0.net
印象操作はいらないよ。

九州説は邪馬台国の位置も比定できない。

魏志倭人伝にも九州北部は女王国の属国、属領と書かれている。全滅だな。

考古学的にも、可能性ゼロだ。

あり得ないので、誰も九州に邪馬台国があったと考えない。九州の考古学者ですら畿内説。

一部の何でも朝鮮半島と結びつけたがる人が、大声虚しく九州説を叫んでいるだけ。

嘘を広められると、鬱陶しいので暇な畿内説者が相手しているだけだ。

600 :subo:2017/12/10(日) 22:30:09.01 ID:kpc/hGau0.net
>>599
邪馬台国は佐賀の田んぼだよ

601 :subo:2017/12/10(日) 22:31:08.92 ID:kpc/hGau0.net
>>576
吉野ヶ里は女王国の所都ですね

602 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:31:22.37 ID:ZIrGGZmv0.net
>>599
中身の無い話ばかりして印象操作してるのは畿内説の人でしょ
畿内説の具体的な説明は全くない。

603 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:31:29.93 ID:JLdhdueA0.net
>魏志倭人伝にも九州北部は女王国の属国、属領と書かれている

ですが、畿内が邪馬臺國とも書かれてないです

604 :subo:2017/12/10(日) 22:31:56.00 ID:kpc/hGau0.net
邪馬台国の所都は八女

605 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:33:47.03 ID:ZIrGGZmv0.net
>>596
>>601
八女も吉野ヶ里も不弥国から先の周旋の道中にあるから
傍ら国のどれかですね。

606 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:38:36.14 ID:JLdhdueA0.net
西田が200萬、一徳さんで100萬ぐらいかな

607 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:40:36.65 ID:JLdhdueA0.net
606
比定地を盛大に間違ったわ すんまそ

608 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 22:48:19.14 ID:ZIrGGZmv0.net
>>526
魏志倭人伝には倭人は文書で情報を確認しているとの記述があるから邪馬台国では文字が使われていたんだよ。

609 ::2017/12/10(日) 22:50:36.68 ID:YH1EBVH00.net
>>607
上手いなw

610 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:03:29.98 ID:37TbM8+P0.net
そもそも仮に九州説だとしても九州内だけのしょぼいもの。
国家といえるものでない。また九州が西日本を支配下に置いた
痕跡もない。畿内だとそれがある。その後の歴史とも繋がる。
九州が西に移動したというのも否定されている。
そもそも九州をそれだけ力説する意味がわからない。
分かるのはなんでも起源だと称するあの国と似てるということ。
あの国と同じだね。

611 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:07:52.74 ID:twwWju/G0.net
王権の移管は、出雲→北九州→機内だろう。

612 ::2017/12/10(日) 23:08:25.19 ID:YH1EBVH00.net
>>610
我々はまず、邪馬台国が偉大なものだという幻想を
捨てる必要があるな。諸般の事情でフカしているけど、
実は邪馬台国はショボいのよ。

613 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:14:27.45 ID:O+8JiGQ50.net
>>553
金銀財宝の他、伊都に外国人迎え入れ施設があり、硯が複数出てくるような文化度の高い北部九州が
なんで外国との接点もロクになく引きこもってチマチマやってる畿内に支配されるのか疑問だよ

614 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:14:36.44 ID:7uFZ0dcG0.net
奴國の位置が金印により福岡県で確定しているので、
ここが女王国のつきる所であるから、
魏志倭人伝の倭は、北部九州一帯で間違いないだろう。
それを二十日だの、水行十日、陸行一月だの、会稽の東だの書いてあるのは、
伊都国以降は、地理を知らない事を露呈したにしか過ぎない。
マキムクは当時の日本最大の集落であったかもしれないが、
魏の使者は、北九州の地理すらおぼつかない事が分かっているので、
魏の使者には知り得ない土地と言い切っていい。

615 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:17:31.22 ID:twwWju/G0.net
漢委奴国王⇒かんのいどこくおう=伊都国

倭人伝
伊都国には王様がいる。

616 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:19:31.52 ID:f0H1K6ol0.net
>>614
金印は委奴国=伊都国。
奴国は関係ない

617 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:20:16.17 ID:7uFZ0dcG0.net
奴国は奴国、伊都国は関係ない。

618 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:20:21.27 ID:AY4SDDpr0.net
やまとは
鉄が欲しいから対朝鮮(帯方郡の南、狗奴国)に対して挟み撃ちを晋に打診したり
北九州に軍備を集中させたのであって

武器の出土が多い北九州は軍事拠点
鏡や銅鐸が同じのは政治拠点の畿内

出雲は鋳づ物で生産拠点
当然鉄は北九州にまわされるだけ

619 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:20:27.20 ID:IkSEvJcw0.net
>>526
邪馬台国で文字は使われてたらしい
(一大卒のところに書いてある)

とかく、記紀では熊襲が野蛮人に描かれてるけど。
文字や技術は西から入ってくる事を考えると
むしろ、当時は熊襲のが
大和より先進的だった可能性がある訳だ。

大和が文明国で、その他の地方が野蛮って見方は
あくまで記紀のトリックに過ぎない。

620 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:23:46.11 ID:twwWju/G0.net
奴国が特別な国であった文献は一つもない。

621 ::2017/12/10(日) 23:28:31.85 ID:YH1EBVH00.net
>>616
金印が発見されたのは志賀島、安曇氏の故地じゃんか。

さておき、筑前国風土記で、怡土県主の祖五十跡手が
「高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十跡手是なり」と
自己紹介する記述がある。つまり伊都・怡土(イト)はアメノヒボコが
住みついた出石(イズシ)の音が転じたものだと。

622 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:29:27.79 ID:7uFZ0dcG0.net
建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う。
コレを見ても、奴国が倭国の端であったことが分かるし、奴国は倭奴国ではなく倭の奴国である事が分かる。

623 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:29:28.60 ID:0uZPJTla0.net
九州説は観光
観光目的だから九州各地が我田引水して我こそは邪馬台国やってる
各地の綱引きで大雑把な九州という場所から特定できないし、特定できないから進展もない
観光だから特定してなくても進展してなくてもどうでもいい感じで、ただ漠然とした九州を連呼してるだけ
邪馬台国は九州にあるって、邪馬台国は日本にあると変わらないぐらい大雑把な話

624 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:37:12.00 ID:O3U4EA3A0.net
文献通りなら邪馬台国の外観は吉野ヶ里遺跡とほぼ一緒

625 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:42:14.84 ID:iADlnO/K0.net
畿内説は捏造
ゴッドハンドだから畿内の遺跡から邪馬台国の産物も大陸からの文物も一切出ないのに我こそは邪馬台国やってる
年代のゴッドハンドしまくりでどの遺跡か特定出来ないし、特定出来ないから進展もない
ゴッドハンドだから特定してなくても進展してなくてもどうでもいい感じで、ただ素人騙してカネ集めしたいだけ
邪馬台国は畿内にあるって、邪馬台国はブラジルにあると変わらないぐらい荒唐無稽な話

626 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:42:21.62 ID:I/6qKFtj0.net
>>585
だからさ、「参は簪飾り三本を中央に集め」とあるだろ。それを受けての「また、集めるの意より参稽比較する義となり」だよ。
国語の成績どうだったの?
大学受験できるレベルなら、これくらい問題なく理解できるよ。

627 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:46:50.91 ID:cy6Yu5w10.net
まあこれを見ただけで畿内はあり得ないって分かるよな

http://y-ta.net/gishi-wajinden-2/
”女王国より以北には、とくに一大率(ひとりの身分の高い統率者)をおいて、諸国を検察させている。諸国はこれを畏れ憚っている。
(一大率は)つねに伊都国に(おいて)治めている。国中において、(その権勢は、中国の)刺史(郡国の政績、状況を報告する官吏。
州の長官をさすばあいもある)のごとき(もの)である。”
▲ そして、こちらの文章。

難しく書かれていますが、要約すると、「女王国(これは邪馬台国の意味だと思われます)より北側の国は
伊都国から派遣された調査員が各国を監視している」という内容のようです。

http://y-ta.net/wordpress/wp-content/uploads/2014/04/321.jpg
▲ もし近畿地方に邪馬台国があったとするとこんな感じになります。これだと、どうしても違和感を感じます。
すぐ近くの奴国(なこく)や末盧国(まつろこく、もしくは まつらこく)は伊都国(いとこく)の調査員が監視をしていないということになってしまいます。

http://y-ta.net/wordpress/wp-content/uploads/2014/04/419.jpg
▲ もしこのレイアウトだとしたら自然だと思います。

628 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:48:32.38 ID:37TbM8+P0.net
>>612
九州内だったら国家じゃないじゃない
現に畿内にそれ以上の国家的都市があったのに

629 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:48:55.64 ID:YO9qYNZi0.net
>>624
復元された楼閣なんかは鍵唐古の土器の絵とか参考にしてるのだが。

630 ::2017/12/10(日) 23:50:48.58 ID:YH1EBVH00.net
>>626
そもそも魏志倭人伝の記述に「国家」とか出てこないっつの。

631 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:50:51.61 ID:0uZPJTla0.net
具体的に九州のどこか特定させてから纒向と比較すればいいのに、
漠然とした九州から進展していかないからなあ
吉野ケ里ですら文献とあわないと九州各地で堂々巡り
比較しようがない

632 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:51:06.07 ID:T76O5BsZ0.net
>>5
え?成功時の見返りなにも無いの?コレ?

633 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:51:46.82 ID:f0H1K6ol0.net
>>627
九州に一つだけ卑弥呼を共立した国、女王国に含まれる国があるんだよ。

九州南部の投馬国。神武さんの本貫。
大分から北が一大卒の管轄。

634 :名無しさん@1周年:2017/12/10(日) 23:56:43.66 ID:cy6Yu5w10.net
>>633
一大率の管轄は「自女王國以北」
なのでそんな言い訳は通用しない
女王国が畿内だったらこうなってしまう

http://y-ta.net/wordpress/wp-content/uploads/2014/04/321.jpg

635 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:00:01.83 ID:kO1K7mKz0.net
>>557
黒歯国などの話からの「参問倭地」だから、文法としては「(Aを)Bと参えて問う」になる。
Aは黒歯国などでBは倭地だ。

636 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:00:23.42 ID:0Wx1gUqP0.net
>>629
吉野ケ里を見た人が焼いた土器だろw
別に唐古・鍵遺跡で焼かれたという証拠があるわけでなし

畿内論者は都合のいいときは「全国から土器が集まってきてた!」って力説するくせに
楼閣の描かれた土器は何故か畿内で焼かれたと勝手に脳内変換してるんだよなw

637 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:01:18.72 ID:0Wx1gUqP0.net
>>635
いつまでも見苦しいぞ
>>588

638 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:02:44.21 ID:wEpQLMs00.net
>>636
ゴッドハンド畿内の本領発揮だな

639 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:04:12.69 ID:CwItiMoL0.net
>>636
ああそうか、大陸と交流のあった九州や出雲の土器かも知れんわけね
それじゃ何の根拠にもならんわなぁ

640 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:04:55.05 ID:p3yaM1Q80.net
直接つながる発掘物て金印と鏡だけだろ
畿内のほうが可能性高いと思うけどね

641 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:06:52.53 ID:CwItiMoL0.net
>>640
大陸系の出土物が畿内には極端に少ない時点であり得ないな
一方九州は大陸系のお宝イパーイ

http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif

642 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:13:33.64 ID:B9N98HK40.net
>>640
金印の偽物説がなければなあ
以前の2chで本物の立場で反論してたけど、結構信憑性あるんだよね
そもそも倭と委を間違うのは
当時は知らんが現代に委はワと読めないんだよな

643 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:14:14.32 ID:kO1K7mKz0.net
>>588
現代中国語は古典漢文とは違うぞw
古代においてだって英語とプログラム言語くらいの差があったんだから。
漢文だって元明を境に変容している。
古代黄河集団の言語と現代中国語はラテン語とロシア語くらいに違うんだ。

644 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:15:31.10 ID:9SZAa4TK0.net
>>641
九州はこんなに豊かだったのに、畿内からは金銀どころか鉄さえわずかしか出土しないんだよなぁ
これじゃ畿内が九州を支配してたなんて夢のまた夢やで

645 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:17:38.82 ID:LtMIOkLe0.net
>>627,634
ワロタw
九州以外あり得ない事がよーく分かった
畿内はゴッドハンド藤村の再来、これでいいね?

646 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:20:19.32 ID:ZBkrdTdu0.net
>>592
ここに引用されたソースを見ても畿内のはまず結論ありきで無理矢理それに当てはめようとしてるだけなんだよね
だから九州説の学者に突っ込まれても全く反論出来ない

647 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:23:23.09 ID:bpnvK1uL0.net
>>641
それ見ると熊本あたりまでは邪馬台国の勢力圏だったっぽいな
狗奴国は親魏倭王の敵だから交易出来てないだろうし

648 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:29:26.80 ID:xsqjfQz40.net
>畿内のはまず結論ありきで無理矢理それに当てはめようとしてるだけ
その通り
邪馬臺國を写し間違えだととんでも説で邪馬臺國(邪馬台国)と言い張る
どうしても諸事情で邪馬台国=畿内ヤマトにしたいらしい
諸事情は言わなくてもここの皆さんにはわかるでしょう

649 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:30:49.57 ID:cgUdXhSj0.net
九州に入れ墨の民族がいたなら滅ぼされてない限りある時期まで絶対文化が残ってるはずなんだよな
でもそんな文化日本のどこにも感じさせない

650 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:33:34.48 ID:xsqjfQz40.net
お歯黒
今はそんな文化は欠片も残ってない
百数十年前だよ 無くなるのはあっというま

651 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 00:36:17.25 ID:dRBSpcw90.net
>>648
だよな、だから>>641みたいに
「金銀財宝を九州が独占してて畿内からは全くでてこないのはなぜ?」
という根本的な問いにさえ答えられない
畿内が九州を支配してたならあり得ない現象なのに

652 :卑弥呼:2017/12/11(月) 00:38:06.75 ID:MoXJl8Go0.net
邪馬台国は畿内にはなかった。

653 :卑弥呼:2017/12/11(月) 00:38:51.04 ID:MoXJl8Go0.net
春成秀爾氏はよを惑わしている。

654 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 01:06:38.76 ID:7ID6TBUr0.net
>>651

黒塚古墳 3世紀
http://livedoor.blogimg.jp/dottimodaizi2/imgs/7/f/7f7fe779.jpg
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/04/25/20170425oog00m010109000p/6.jpg

655 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 01:15:05.69 ID:260NWjRJ0.net
南方の島じゃ入れ墨文化は今でもあるしなぁ

656 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 01:17:20.18 ID:AHWYGWvk0.net
>>654
金銀財宝は??

657 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 03:11:39.54 ID:dZsecbZl0.net
このスレを公平に見る限りだと
九州説が圧勝だなあ

俺個人はどっちでもいいんだが
畿内説支持者あまりに弱すぎないか?

658 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 05:49:40.95 ID:c4qUtqSR0.net
>>636
土器の産地の特定は、土の種類や土器の特徴でわかるので
全く難しいことではない
唐古からは東は静岡から、西は吉備、北九州の
土器が出土しているが、絵画土器は唐古で
焼かれたもの
なんせ絵画土器の半分は唐古周辺で出土しているからね
当然自分の集落にある建物の絵を描いていると思われる

659 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 06:51:21.46 ID:dxsB3xOC0.net
畿内から出て来る物は出雲系しか出てこないからな。
まあ九州邪馬台の変遷を奈良大和に繋げてしまうと伊勢神宮すら否定することになるから畿内説には金銭的利権が絡んでんのがよく分かる。
そういうの無しに探求すんのが学会だと思うんだが。

660 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 06:52:08.79 ID:jpesRAsm0.net
>>657
魏志倭人伝を重視してないからだと思うよ。

661 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 07:09:23.71 ID:c4qUtqSR0.net
畿内-出雲のラインはかたいよね
九州は渡来人の系譜でしか見えてこない
それは色々と都合が悪いから黙殺されているのかもね

662 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 07:32:13.76 ID:/Hgu9Olq0.net
>>649
神武の従者にも顔に刺青してる奴がいたけど
残ってなかったな

663 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 07:56:44.86 ID:oHmhW5oJ0.net
>>658
全く難しいことではないと言いつつ、楼閣の描かれた土器が分析されたという話は聞かないんだよな
だから畿内説はゴッドハンドと言われる

664 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 07:57:20.71 ID:dxsB3xOC0.net
当時邪馬台や縄文人は身体中に刺青を入れ爬虫類的異形の姿と特殊な衣装に着飾る今で言うコスプレして異形の存在をアピールしてたんだろうな。
卑弥呼のシャーマニズムや従属する文化が、動詞を前面に置き結論から意思を伝える漢文から、へりくだり動詞を最後に置く日本語へ文法変化した寧ろ朝貢奴隷言葉になった訳か。

665 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:02:06.31 ID:J089zdR20.net
>>651
まあどう考えても九州と畿内の間に密接な関係は無かったとしか言えないわな
そうなれば邪馬台国は大陸との玄関口である九州側にあったのは明白だが

666 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:10:38.34 ID:6MBK6pgg0.net
邪馬台国が北部九州にあったとすると
短期間でそれを上回る強大な国が近畿に現れたことになる
普通に考えればありえない

667 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:17:08.14 ID:9tsN8Xki0.net
九州説は邪馬台国の比定地、候補となる遺跡すら挙げられない。
印象操作だけだよ。

668 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:22:01.73 ID:nuM6eepr0.net
畿内には半島の人達が沢山流入してた。
今でも関西は在日の坩堝。

669 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:26:10.18 ID:TGKhdNuu0.net
>>668
5世紀以降、大量の半島人が関東を開拓して住み着いている
とくに埼玉あたり
東北以北、中部、九州南部以外は軒並み半島人の血が混じってる

670 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:31:18.51 ID:nuM6eepr0.net
>>669
文献は何を根拠としてそのような事言ってるの?

671 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:36:12.24 ID:TGKhdNuu0.net
>>670
発掘調査
自分で調べてみ?

672 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:38:16.89 ID:0Er6OWdt0.net
>>635
この文では問が動詞ではなく参が動詞です
倭地について問を集める。

673 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:39:28.94 ID:Kq5Ctisr0.net
>>551
出雲の国譲り、2つの国が対等合併して国内覇権に乗り出した古代の一大イベントだった。

●二つの本(出雲と大和)が一つに→ニ本、日本
●前方後円墳→鏡と銅鐸のドッキング
●鳥居の構造→縦に2本、横に2本の柱
●しめ縄→外見的には2本のロープが絡み合ってる
●二拝二拍手一拝 大和の神と出雲の神に二拝二拍手後一礼

ただ途中のクーデターで出雲派が劣勢になり、古事記が編纂された。

という事だと思ってる(年代に疑義のある人は多いだろうけど)

674 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:39:59.92 ID:2vEDWFj00.net
中国にもカタイとか云われてた時代もあったらしいし
チンギスハーンの流れだろう

675 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:42:06.30 ID:2vEDWFj00.net
でマルタイてお墨付きの企業は九州にあるし
だから何かとタイてつけたいんだよ使いの坊ちゃんだから
だから偽れざる領域てのはトゥルーなんだよ

676 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:46:07.37 ID:nuM6eepr0.net
>>671
発掘調査ってのは当てにならない。
記紀には畿内には3世紀には半島から渡来人が入っている事は書かれている。

677 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:57:24.02 ID:0Er6OWdt0.net
>>635
問を動詞とすると
「参は倭地を問う」となります
黒歯国の話とは繋がりませんね。

678 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 08:59:58.60 ID:0Er6OWdt0.net
>>676
記紀が書かれたのは8世紀ですから500年も前の
3世紀に付いての記述は信憑性が極めて低い。

679 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:01:53.11 ID:8iEeRYcD0.net
>>10
今のチャンコロと、三國志の英雄は別の民俗です

680 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:07:14.36 ID:2LeYk/pR0.net
>>679
ペルシャ系だっけ?

681 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:07:41.45 ID:0Er6OWdt0.net
>>627
その訳だと一大率は女王国より以北に居たのか伊都国に常に居たのか分からない変な訳だな
一大率は女王国より以北に居たんだから
伊都国で常に治めていたのは別の人物だすよ
普通に考えて国を治めているのは伊都国に居たとされる王ですね。

682 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:07:47.94 ID:nuM6eepr0.net
>>678
>>669はいつ見つかったの?3世紀頃?
天皇が編纂している記紀は信憑性がないとか言うのは反日だから?

683 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:12:32.54 ID:0Er6OWdt0.net
>>682
5世紀以降、大量の半島人が関東を開拓して住み着いている
とかも信憑性なんてない
信憑性がないのは自分で自分の出を書いたものだから
どのようにも好きなように書けるな。

684 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:47:54.22 ID:uZQPuwOs0.net
トヨの時代は邪馬台国が大分というのは信憑性があるが
卑弥呼の時代は記述が当てはまらない

685 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:50:38.28 ID:nuM6eepr0.net
>>683
>>669はいつ出たの?答えになってないよ?
最近でしょ?
記紀の編纂より1200年以上後なのに何言ってんだこいつ。

686 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:51:53.44 ID:nuM6eepr0.net
畿内は半島系渡来人の坩堝。現在も関西は在日が一番国内で多くハングルが飛び交う。

687 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:53:16.76 ID:RAmM59NSO.net
>>666
畿内が発達したのは4世紀以降なのは>>19などの発掘調査結果により明らか
100年もあったら近畿一帯くらい統一出来たって何も不思議は無い

九州の大陸系遺物が3世紀の畿内から全く出土しないのだから
邪馬台国は九州以外には有り得ない

688 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 09:55:36.01 ID:0Er6OWdt0.net
>>685
それは別の人が書き込んだことだからね。

689 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:07:39.43 ID:0Er6OWdt0.net
近畿地方で古墳文化が興ったりヤマト朝廷が興ったりしたのは
その都度九州から新しい植民者が東征して来た結果なんだよな。

690 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:18:00.29 ID:7ID6TBUr0.net
>>666

江戸幕府は?

691 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:19:25.41 ID:7ID6TBUr0.net
>>687

九州の大陸系遺物は2世紀の後漢の物。邪馬台国は魏の3世紀。

692 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:21:58.15 ID:7ID6TBUr0.net
中国で出土した三角縁神獣鏡
http://washiyamataikoku.my.coocan.jp/im/washi2.jpg

中国の神仙思想の紋様が描かれているのに日本製と言い張る九州説論者。仮に日本製だとしたら
畿内には漢字を理解し魏の影響下の文化が存在したことになる。

693 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:36:14.08 ID:p3yaM1Q80.net
漢字理解しないで複製した可能性あるんじゃない?
それでも魏→畿内→複製→勢力圏に配布なので畿内説の大きな根拠になるけど
ところで鏡て削って銅の産出地調べることできんのかな

694 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:45:27.00 ID:PQi6hASu0.net
魏志倭人伝の分析を放棄し、九州の数々の出土品を無視し、
誤差があると言われる土器の付着物の年代測定と、
出所の怪しい三角縁神獣鏡を駆使して、
屁理屈こねてマスコミと国民を惑わし、
邪馬台国が畿内にあったかように見せかける作業は、
たしかにロマンがあるわなw

695 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:45:34.98 ID:O8Pbsbf90.net
邪馬台(ヤマト)国とは文化圏が違う東鯷国だろ。
どして邪馬台国として金を集めんだ。
いい加減にしろ、海も見えないレプリカまほろば県のくせにw。

696 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 10:53:29.68 ID:YXoJbKgE0.net
三種の神器は宗主国からの御免状だろ。
沖縄が宗主国から王の認可を受けていたように古代九州邪馬台も同じ。
大和がそれを踏襲してんのは融合された証拠だよ。
一時は周辺の出雲勢力と結託したが、後々王権争いで物部や蘇我の内乱に繋がるんだろ。

697 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:08:28.85 ID:2DqgWbyX0.net
少なくともこの時代は鏡が祭祀の象徴だったんだな
少し後には剣が配布されるようになるが、こっちは政の象徴か

698 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:10:53.75 ID:2Bds7clv0.net
>>693
魏 九州(マスター)、複製(1世代)が近畿、近畿で複製(2世代)、邪馬台国衰退、大和台頭で勢力圏へ

699 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:12:05.59 ID:UnV4VuOr0.net
九州には邪馬台国の比定地がない。
卑弥呼がいた集落の遺跡もない。

大声虚しく主張するだけで、具体的内容がない。

700 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:34:39.57 ID:0Er6OWdt0.net
>>692
中国で出土したんじゃなくて骨董市で売られていた三角縁神獣鏡だな
今の時代は飛行機で中国まで直ぐに行けるから日本から持ち込まれた可能性がたかいな。

701 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:37:10.63 ID:0Er6OWdt0.net
>>699
卑弥呼の都は伊都国(糸島市付近)で
俗に邪馬台国と呼ばれている地域は北部九州一帯です
集落の遺跡も在りますね。

702 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:38:52.44 ID:0Er6OWdt0.net
>>666
ヤマト朝廷は8世紀ですから十分な時間がありますよ。

703 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:40:46.10 ID:Ty+kHWf20.net
今夜の歴史鑑定は邪馬台国だな
NHKBSのグランドマスターとどっち録るかw

704 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:45:55.05 ID:RAmM59NSO.net
>>692
神獣鏡は呉の鏡だって散々指摘されているのにゴッドハンドを続ける畿内論者って朝鮮人そっくり

705 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:47:09.41 ID:UnV4VuOr0.net
>>701
卑弥呼が都を置いたところは、邪馬台国と魏志倭人伝に書かれている。
伊都国とは、何処にも書かれていない。

更に伊都国の官と邪馬台国の官は、全く違う。

706 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 11:54:14.48 ID:7ID6TBUr0.net
>>701

伊都国は倭奴国。後漢と繋がってた国。

707 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:11:18.77 ID:2rg9v4fu0.net
やっぱり 邪馬台国はみんなの心の中にある じゃ駄目なんだな

708 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:19:53.86 ID:0Er6OWdt0.net
>>705
女王の支配下の北部九州の邪馬台国と朝鮮半島南岸の投馬国のうちの邪馬台国側に卑弥呼は都を置いてると書かれてる。
伊都国の官は都の行政官で邪馬台国の官は邪馬台国全体の行政官
>>706
後漢の倭奴国が魏代には都の伊都国と庶民の都市の奴国に分かれた。

709 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:23:10.43 ID:0Er6OWdt0.net
>>691
九州での大陸系遺物は3世紀以後の物も普通に出ますし畿内より豊富。

710 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:24:19.46 ID:UnV4VuOr0.net
>>708
投馬国が朝鮮半島にあるなど何処にも書いていない。

倭奴国が伊都国と奴国に別れたと書かれた文献は何処にもない。

庶民の奴国とは何?

奴国が博多の地であることを示した文献はない。

嘘まみれ。

711 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:41:29.71 ID:0Er6OWdt0.net
>>710
女王国までが12000里と書かれているから行程を合計すると12000里になる場所があるはずで
壱岐対馬の外寸を行程に加えると奴国までで12000里となるから
女王国までの12000里は奴国までのこと
距離の説明が終わってるんだから日での説明は同じ行程を何処くらいの時間が掛かるか説明したもの
だとすると狗邪韓国は投馬国の中の国邑となり朝鮮半島に在ったことになる。

712 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:44:45.35 ID:Ty+kHWf20.net
47都道府県すべてにあったってことで

713 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:45:56.33 ID:bWcsSoQI0.net
邪馬台国ではないけど邪馬台国以上の大国

でいいじゃんか何で邪馬台国にこだわるんだよ

714 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:50:28.63 ID:O6Z+NOoi0.net
結局九州の可能性が高いがどこかは分からない
畿内の可能性は低く少なくとも纏向ではない
ってことか

715 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:52:08.31 ID:bWcsSoQI0.net
勘違いを脱せ

・邪馬台国が当時の日本最高の国だった
・邪馬台国から大和朝廷になった
・神武天皇は日本を統治した初代天皇
・神武東征は大規模な侵略遠征戦争

これ全部思い込みだから
んで何でこんな思い込みになるかっていうと
「天皇が昔から日本を統治していた」という教育の賜物だろうな

716 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:52:29.20 ID:0Er6OWdt0.net
魏志倭人伝の主役は邪馬台国じゃなくて伊都国なんだ
伊都国については詳しく書かれてるけど邪馬台国は1回だけなんだよな。

717 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:54:16.75 ID:YXoJbKgE0.net
邪馬台が九州だと何かと歴史が紐解かれた様に繋がるが、近畿だと苦しいよな。

718 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 12:55:13.00 ID:0Er6OWdt0.net
繰り返し伊都国に卑弥呼が居たと説明してあるんだけど
曲解して魏志倭人伝の内容を滅茶苦茶に解釈してたんだな。

719 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:01:00.96 ID:0Er6OWdt0.net
>>714
北部九州一帯であることは確かだが
何処までかの範囲はよく分からないな
最大で福岡、佐賀、長崎、熊本、大分の範囲だな。

720 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:02:18.52 ID:bWcsSoQI0.net
イメージ
・邪馬台国が日本最大の国
・その邪馬台国から大和朝廷になった
・邪馬台国の女王卑弥呼の血族が天皇になったのが神武天皇
・神武天皇が東に遠征をして東日本も支配して日本を統一した=神武東征

事実
・神武天皇が畿内に集団移住した=神武東征
・畿内に神武天皇の子孫が国を作った
・神武天皇の子孫が作った国が大和朝廷になった
・大和朝廷が邪馬台国を併合した

どうよ

721 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:02:57.19 ID:7ID6TBUr0.net
>>718

憲法9条と同じで解釈が妄想の域に達しているんだよね。

憲法9条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これを字をそのまま読めば集団的自衛権ですら放棄してる。

722 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:05:49.35 ID:bWcsSoQI0.net
中国の書物に出てくる邪馬台国を日本最大の国と勘違いし
大和朝廷の礎が邪馬台国だったに違いないと勘違いし
大和朝廷の礎があった場所が邪馬台国だと勘違いした

723 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:07:14.65 ID:0zn7kORU0.net
×見える化
〇可視化

日本語は正しく使いましょう。

724 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:12:15.24 ID:0Er6OWdt0.net
>>721
日本国憲法では日本は何をされても無抵抗でいろですね
自衛隊があっても軍隊ではなくただの飾り。

725 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:12:45.97 ID:7ID6TBUr0.net
>>720

事実
・出雲族が山陰〜畿内〜東海を統一。瀬戸内海には別勢力、北九州に後漢の冊封国家が存在。
・これを卑弥呼が共立され邪馬台国に統一。都は奈良のマキムクに置かれる。
・この時に出雲族の銅鐸の副葬を止め前方後円墳の三種の神器の墓制に移行する。
・邪馬台国の門下になった国には三角縁神獣鏡と銅剣を配布。
・瀬戸内勢力とくっついたため、卑弥呼は瀬戸内か北九州から来た可能性も
・ここで、瀬戸内海を航海できるようになる
・淡路島に出雲族の製鉄所があった。淡路島には前方後円墳は一つもない。

726 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:16:10.58 ID:jpesRAsm0.net
捏造大好き、ジコチュウの中国人が書いた魏志倭人伝を信用し過ぎ。

727 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:19:31.30 ID:nuM6eepr0.net
>>688
記紀と違い関東に半島系が入った軌跡がある文献ってないでしょ。
関西に在日が圧倒的に多いのは【事実】だし。

728 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:23:42.87 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

千葉県出土の埴輪
http://www.town.shibayama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1838/10hime05.jpg

729 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:29:19.29 ID:0Er6OWdt0.net
>>725
それも根拠の無い妄想
畿内説と一緒。

730 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:33:45.84 ID:WR/EEub8O.net
>>720
邪馬台国が当時は確かに最大だったかもしれんが、大和朝廷との関係性は不明だぞ

731 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:40:46.63 ID:jQZw0mzh0.net
纏向で大量の桃の種が出土したことがスルーされているよいだが。

考古学者は神仙思想の不老長寿のおまじないとか言っているが。

桃の種は、桃仁という漢方薬の原料になる。
桃仁は後漢の時代の神農本草経に記載されているし、後漢時代の傷寒雑病論(金き要略として現存)にも、桂枝茯苓丸の原料として記載されている。

効能は生理痛、肩こりなどの婦人病。

つまり、纏向には婦人病にお悩みの身分の高い女性がいた、ということ。

732 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:42:10.63 ID:Wu57yun80.net
日本書紀には中国との通交が出てないし、纏向からは九州や中国の文物が殆ど出ていない
纏向は三世紀にいきなり現れた都で、卑弥呼以前からあったはずの邪馬台国という感じでもない
倭人伝の方角で行けば、女王国は伊都国の南(行程の時の方角だけでなく、一大率の配置についても)
日本書紀には纏向近辺に都を置いた天皇が何人か連続して(崇神、垂仁、景行)出てるし
彼らの時代に西日本への進出が記載されてる(四道将軍やら景行天皇の九州征伐やら)
前方後円墳も、纏向の石塚古墳あたりが一番古く(下手したら二世紀末期〜三世紀前半)、九州の那珂八幡や石塚山、赤塚古墳等はその後(三世紀中盤から後半)
それまでの墓制は九州は畿内とは違う独自形式
ちょうど卑弥呼(死んだのは248年あたり)の後の台与の時代かその後くらいに
畿内のヤマト政権から征服されたんじゃないか、なんて思える

733 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:44:26.01 ID:7ID6TBUr0.net
>>727

主なできごとを列挙すると、次のような出来事が記録されている。

●666年(天智5年)……「百済人男女2千余人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。

734 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 13:57:45.99 ID:Kq5Ctisr0.net
>>728
半島の帽子は先がとがっていないし、アッシリア中東の臭いがするが、ズボンは遮光土偶と同型の和式、服も和式っぽい。当時の流行?

735 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 14:42:13.47 ID:3qefU0zA0.net
九州論者の大半は古田信者だから信用できん

736 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:02:45.04 ID:mCoNbkUz0.net
>>732
畿内からは弥生中期の時点で
貨泉に鏡も出てるのに全く論外だよ。
視野が狭すぎ、畿内は巻向だけじゃないんだからな。

737 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:14:27.65 ID:4LYfC+Fd0.net
遷都して同じ名前の都市なし
九州説なら邪馬壹国(壱)以外有り得ない

対外国名:倭
国内国号:やまと

都市の名前は何だ?

738 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:16:38.11 ID:mCoNbkUz0.net
そもそも現在の九州説なんて倭人伝の記述を全く無視してるからな。
倭人伝を邪馬台国伝と混同してしまうのが
そもそもバカな話だろう。

邪馬台国に関する情報は卑弥呼が都とする、相当遠方にあって倭で最大戸数の国、それだけだからな。
しかも南方にそんな北部九州より遥かに
最大級の国がどこに存在出来るんだよ?
というだけの話。
方角を除いて畿内以外に該当する場所なんて
ないから。

739 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:42:27.83 ID:Ty+kHWf20.net
>>731
あ〜、張魯の五斗米道につながっていくやつな

740 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 15:50:31.98 ID:dxsB3xOC0.net
神武が奈良に行って先遣隊の開拓地を継ぎ大和としたと書いてあるじゃん。
近畿説とかありえんだろ

741 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:22:12.65 ID:0Er6OWdt0.net
倭人伝を邪馬台国伝と混同しているのが畿内説で
畿内説は倭人伝の記述を全く無視してる
そもそも邪馬台国なんて1回しか倭人伝に出てこない
倭人伝の主役は伊都国であり詳しく説明されてる
当然のことながら卑弥呼も伊都国に居た
邪馬台国とは単に当時の伊都国を含む北部九州一帯の呼び名にすぎない。

742 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 16:45:32.48 ID:xsqjfQz40.net
>方角を除いて畿内以外に該当する場所なんてないから

そんなご都合主義 それがいかんちゅうねん 

743 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:01:16.23 ID:RAmM59NSO.net
>>738
こうやって嘘を100回繰り返して既成事実にしようとするのがゴッドハンド畿内論者なんだよな
実際は帯方郡から1万2000里と明記されていて九州以外は有り得ないのに

744 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:07:52.75 ID:euPEw5Y40.net
これ、
水抜くの拒否ったところ?

745 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:12:22.13 ID:0Er6OWdt0.net
>>743
對馬國の方可四百餘里と一大國の方可三百里を距離として算入しないと萬二千餘里に達しないから
方可四百餘里と方可三百里は距離に入れるべきなんだ
合計と内訳が合わないなんてことはないからな。

746 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:48:56.87 ID:VthXIZ8Y0.net
>>738 博多というか福岡というか、
北部九州は九州の中でも最も人口が多い地域だからな。
それを上回る国は、熊本あたりにあるとは
思いづらい。
昔は人口は多くても、現代では人口が少ない地域や県という
のもあるから(出雲や新潟県、奈良など)、
現代の熊本平野の様子で判断するわけにもいかないが。

747 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:55:58.67 ID:Wu57yun80.net
前方後円墳の分布から見れば
畿内勢力が九州にまで伸びて来るのは三世紀終わり近くから四世紀くらいだから
ヤマト勢力がその頃に九州の土着勢力を滅ぼしていったって考えてる方が理屈に合う気がする

糸島半島については、平原遺跡の1号墳が弥生時代後期の墓でありながら
畿内方式の割竹式の木棺や、八咫鏡と言ってもいい鏡が出土してる
(弥生時代後期なので、邪馬台国以前だが)
もしかしたらだが、神武辺りの故地がこの辺りで、東遷の拠点だったのかも
まあ記紀に無理に合わせる事も無いけど

748 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 17:56:51.42 ID:9L9m5bjU0.net
そもそも邪馬台国なんて実在しないっつーのw
いつまでやってんだか

749 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:00:22.53 ID:c4qUtqSR0.net
もし魏志倭人伝に名前があがっている30の国が
全部九州所在なら、北九州の話だなあで終わるし
この30に出雲や吉備や奈良が含まれているのなら
こんなに早くから連合王国が成立していたんだなあと思うし
まあどっちでもいいかな

750 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:23:30.96 ID:8wIHTyet0.net
>>749
魏志倭人伝に列挙されている国は卑弥呼を共立した30ヶ国ではない。
女王国の傍国。
境界の外にあり境界をなす国。

751 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:37:20.80 ID:mCoNbkUz0.net
九州説は結局戸数を無視せざるを得ないんだよね、それと丹山の存在。
どちらも倭人伝にしっかり書かれている
重要事項なのにな。
苦し紛れに九州にも丹山はある!と主張
した所で巻向の背後が丹山鉱山だという
事実には勝てないんだからな。

752 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:14.59 ID:LHOslSVB0.net
奴国が倭の果てである事は、
魏志倭人伝と後漢書東夷伝にハッキリ明記されている事なんで、
漢倭奴國の金印が本物である事が確定した今、
倭国の範囲が九州を出ない事は、
歴史の事実として確定している。

753 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:40:26.54 ID:jpesRAsm0.net
>>744
そう、拒否したところ。

754 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:47:53.86 ID:EKR3XmBa0.net
>>188
まぁ阿蘇山だろうなw

755 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:03.35 ID:LHOslSVB0.net
ハッキリ言って、魏志倭人伝に書かれた事は、
北部九州の狭い範囲の歴史の記述だと解釈して、
それに従った発掘を行った方が、
発掘成果は上がってくるし、
纏向は魏志倭人伝の記述とは
全く関係の無い地域として、
発掘した方が、発掘成果は
上がってくる。

756 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:52:44.76 ID:EKR3XmBa0.net
>>753
なにきれいごとのべて水抜くの拒否ったくせに
自分たちは思いっきりねつ造して詐欺ろうとしてんのかw

水抜くのよりねつ造の方が罪が大きいとか、とんだ糞都市だなw

757 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:53:18.86 ID:8wIHTyet0.net
>>752
嘘。
後漢書は、倭奴国は倭国の極南界也とある。
倭奴国は倭国の南の境界の果て。
倭奴国は倭国と別の国なのが分かる。

金印では委奴国。
倭奴国=委奴国=伊都国。

奴国は魏志倭人伝で、女王国の傍国として挙げられている。
傍国は境界の外にあり境界をなす国。奴国は女王国ではない。
邪馬台国は奴国より東、つまり奴国より西にある伊都国も女王国ではない。

九州北部の伊都国が倭国に含まれていた時代ない。倭国と伊都国は全く別の国。

758 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 18:57:56.59 ID:LHOslSVB0.net
まだ伊都国とか言ってるヴァカがいるのか。
なんの根拠もなくでたらめを振り回すな。

759 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:01:38.55 ID:LHOslSVB0.net
後漢書の方が魏志倭人伝よりも、
成立は遅い。
伊都国なら伊都国とハッキリ書かれている。
倭の奴国は伊都国や奴国があったという事を十分認識した上で、
奴国に金印を授けたと記述しているのだよ。
バカは黙ってろ。

760 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:02:26.71 ID:s9pTyy7+0.net
とにかく朝鮮人のような九州人をなんとかしろよ
こいつらの奈良に対する酷言い方とか
日本人とは思えない死ねよ

761 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:19:46.20 ID:YdKKxDCQ0.net
金印がホンモノである事の根拠の一つに、
漢の委の奴国王という記述の仕方がある訳で、
委奴国が伊都国など、
とんでもないデタラメだ。

762 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:21:29.52 ID:q4p/0h1B0.net
九州論者は古田信者

763 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:22:33.44 ID:GyUZgZXt0.net
>>760
熊襲を中心とする九州が朝鮮だと?
バカじゃね?

764 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:26:40.97 ID:HLs70bPQ0.net
また喧嘩が始まった┐('〜`;)┌

765 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:30:08.15 ID:8wIHTyet0.net
九州説者は、結局倭国や倭人に憧れているんですよ。

記紀で皆イザナギの子孫になりたがったのも、同じ。

766 :卑弥呼:2017/12/11(月) 19:33:53.38 ID:nuM6eepr0.net
畿内に邪馬台国はありません。
そう目立った発掘品もありません。
出てくるのは桃の種だけです。

767 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:42:02.96 ID:q4p/0h1B0.net
>>766
北九州からは色々出てくると言いたいのだろうけど
その北九州も広大な邪馬台国の版図の一部だったのさ
北九州は大陸への外交窓口だったのだから当然だろう
そして邪馬台国の中枢部は奈良盆地
鉄製武器が山ほど出土するのは海外に対する防衛のため
平和な大和には無縁の存在

768 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:57:37.15 ID:0Er6OWdt0.net
>>767
九州古墳からは豪華な副葬品が出るのに畿内の古墳からは出ないのはなんでだろ〜

769 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 19:59:15.96 ID:xsqjfQz40.net
>>767
平和な畿内ヤマトに鉄製武器が少ないのはわかるが
農耕用の鉄製農具の出土は平和で人口も圧倒的に多いとされる畿内ヤマトより
北部九州のほうが圧倒的に多い (約100倍)
「北部九州は軍事拠点だから鉄製剣の出土」が多いと矛盾してるんだよね

770 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:19.77 ID:c4qUtqSR0.net
畿内の古墳は盗掘されまくっているから

771 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:01:54.32 ID:dxsB3xOC0.net
奈良などという古代の樹海に忽然と近畿を制圧する王権が沸く訳ねえだろ。
海からは遠方だしどっから巨大出雲を制圧できる軍備が湧いてくんだよ。
近畿説とか盲信にも程がある。

772 ::2017/12/11(月) 20:06:56.67 ID:DKWr7EIF0.net
>>780
奈良は「あおに(丹)よし」と歌われた栄光の時代があるんだから、
上古は九州に譲ってくれてもいいじゃんか、ケチw

さておき枕詞だが、奈良は上述の「あおによし」、飛鳥は「飛ぶ鳥の」、
伊勢は「神風の」だし、出雲は「八雲たつ」だ。
んで、筑紫は何かというと、なぜか「しらぬいの」なんだなw

773 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:08:10.29 ID:c4qUtqSR0.net
>>771
どちらかというと出雲が奈良に乗り込んだように見える

774 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:10:36.57 ID:UeSdAvnA0.net
>>725
出雲族はおそらく黎明期に畿内に進出した
しかし紀元前2〜1世紀頃に淡路まで進出した東九州〜瀬戸内系の銅鐸族(物部氏の先祖か)に畿内から追い出された

おそらく、出雲族と銅鐸族は言語が微妙に異なっていた

前者は朝鮮語に繋がる新羅語系を、
後者は日本語に繋がる百済基層言語(百済語ではない)系統の言葉を話していた

双方とも稲作と漁労を生業とし、金属を持っていた

1世紀までに銅鐸族の一派は東海地方にまで進出
やがて畿内の銅鐸族と尾張の銅鐸族が激しく争い、畿内派が勝利する
畿内派は勢いに乗って出雲族を征服する(国譲り)

ますます繁栄を極めた畿内銅鐸族だが、
東九州から登場した銅鏡ヤマト族(銅鐸族と同じ言語)に2世紀末に突然攻められあっけなく滅亡する

これが邪馬台国(ヤマト国)、のちの大和朝廷
なお、ヤマト(ジャモト)とはヒモトの訛り、もしくは古い言い方で、
「日本」の語源である

775 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:12:39.22 ID:Zo/Sgd5H0.net
3世紀末一番のお宝は水銀朱なのにね。
黒塚に桜井茶臼山古墳なんか見れば普通に判る。
そりゃ都を巻向辺りにするよ。
だから三世紀以降に鏡と水銀朱が奈良盆地へ集中した事位いい加減理解しろよ。
邪馬台国は畿内で確定済み。

776 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:13:43.71 ID:Kq5Ctisr0.net
古事記とか読むと纏向の宮殿には「出雲の語り部」と「大和の語り部」(中身は南九州っぽい)の2つが同居してたように感じる。

777 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:17:23.41 ID:xsqjfQz40.net
>>770
盗掘か  それはあるなあ
桜井なんか開発で上に土を盛られることも無く現代まで殆ど田園地帯だし
遺跡はほぼ露出してるもんなあ

778 ::2017/12/11(月) 20:17:58.03 ID:DKWr7EIF0.net
>>774
松前健「日本の神々」(中公新書)によると、各地に出雲神話が
広がっているのは、もう少し遅い時代(記紀を編纂していた頃)、
出雲は大陸由来の医療技術の先進地で、その巫ゲキ集団(ゲキは巫偏に見)
が技術と神話セットで広めたためらしい。
例えば白兎のエピソードはもろに医療だし、スサノオにも治癒神の
面があって、中世には薬師如来と習合するし。

779 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:20:44.04 ID:8wIHTyet0.net
>>774
銅鐸を作っていた人々が九州から来た根拠はない。九州と全く風習が違う。

倭国は倭人の国。
倭人は呉の末裔を自ら名乗っている。
つまり中国南部から春秋時代以降に渡来した集団。

中国南部に由来する可能性が高いもの。
銅鐸、下戸遺伝子、国生み島生み神話のモチーフなど。
これらは大阪湾に分布の中心を示す。

春秋時代と同時代の弥生時代前期末、環大阪湾の風習は一変する。

淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。
銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認めるようになる。

方形周溝墓、木棺も畿内中心に広がっていく。

九州を素通りし、倭人が中国大陸から畿内に直接渡来したと考えられる。

780 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:22:15.27 ID:8ujb5y+D0.net
卑弥呼の時代より200年前にローマ帝国は30mあるネロ巨像や
5万人収容のコロッセオ作ってたんだから凄いな

781 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:24.92 ID:GyUZgZXt0.net
>>773
う〜ん
奈良に出雲の国があったのだと思うよ
三輪山の大物主は大国主
神武東征で今の島根(出雲)に追いやられて戦う剣を埋めた
神武に国譲りしたので反発した一部の民は長野に向かった
奈良には今も出雲という地名が残っている

782 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:23:59.10 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>777
それどころか平城京や藤原京も遺跡や古墳を潰して出来たんだけどね。

783 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:24:18.16 ID:OVoGr2aK0.net
弥生時代に奈良県で出た丹は二箇所のみ。
その一つが桜井茶臼山古墳だが
塗料として使うことを知らないのか
棺に丹だけが詰めてあった。

九州では古墳はもちろん、集落でも
多くの丹の使用痕跡が発見されている。

784 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:26:09.66 ID:13nEdC2u0.net
邪馬台国は九州だと思うね

なぜなら吉野ヶ里遺跡の近くに住んでるから^^

785 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:28:21.10 ID:dxsB3xOC0.net
出雲は制圧というより開拓民じゃね。
分布域が湿地帯か漁労が潤う湾内が多い気がするし。
大黒天と蛇の象徴からして呉越の南方大陸人。
鈴鹿山系の古代のアマゾンの様な秘境を越えてまで奈良盆地を目指し南下しただろうか。
否、琵琶湖がある近江から飛騨の下流域水源がある濃尾を目指しただろ。

786 ::2017/12/11(月) 20:29:34.52 ID:DKWr7EIF0.net
>>784
吉野ヶ里遺跡は素晴らしいよね。
まさに弥生時代のテーマパークだ。

なんといっても、公園の中に立つと周囲のビルなどが
全く見えないのが素晴らしい。さすがは佐賀w

787 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:31:33.04 ID:c4qUtqSR0.net
>>781
奈良の遺跡が面白いのは、纏向にしても唐古にしても
いろんな地方から人が集まっていたようなんだよね
市もあったし、後世の采女の制度でも
いろんな地方から女性を集めている
だから、争いや裏切りなどもあっただろうけど
話し合いや、それこそ天皇と呼ばれる人たちの神宝や
巫女の占いの力で平和に連合した部分も
あるのではないだろうか

788 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:33:53.95 ID:c4qUtqSR0.net
>>785
飛騨には、飛騨は雪深すぎるから奈良を
連合王国の都に決めたという伝承がある
渡来人系の九州勢に対抗するために
諸国が一致団結する必要があったとか

789 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:34:18.61 ID:8wIHTyet0.net
>>781
出雲に大国主の伝承はない。

幸神とクナトの神、その子サルタヒコ。
その後はオオナムチ。

790 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:35:49.53 ID:Zo/Sgd5H0.net
>>783
無知にもほどがある。弥生中期以降は紀伊半島には吉野や
宇陀、伊勢周辺に水銀朱精製跡が沢山あり、奈良盆地の
鍵唐古ですら精製跡があるのに。
つまり倭人伝にある丹山有りとは紀伊半島や四国東南部でしか
有り得ないのだ。

791 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:36:04.52 ID:ipPn5VKZ0.net
古代朝鮮語なんて一つも解明されていないのに
なにが新羅語系百済語系だよ
笑わせるな

792 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:39:36.27 ID:8wIHTyet0.net
倭国大乱前の倭国や倭国王の事績を、出雲や伊勢の勢力がパクったんだよ。


九州南部投馬国出身の神武さんが、伊都国やニニギの血統伝承をパクったのと同じ。

793 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:50:13.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>671
ヤマト系の遺跡を渡来系だとしたり、一部の高句麗系遺跡をもってして渡来系が支配したとか
いつも言っている奴か?

794 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:51:45.92 ID:dxsB3xOC0.net
奈良盆地は九州邪馬台からの開拓民、物部の祖先であるニギハヤヒが先遣隊として入り込んだのが始まりだろ。
調査結果として丹資源の豊富な鉱脈を発見し本国日向から神武を筆頭とする調査兵団が派遣されたんだよ。
海運輸送の後に温暖で天災も少ない奈良盆地へ遷都されたんだよ。

795 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 20:52:35.69 ID:kO1K7mKz0.net
>>672
その倭地は別倭や黒歯国なども含むのか?

796 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:00:53.30 ID:8wIHTyet0.net
>>794
弥生時代に、九州の民が畿内に入植した痕跡はない。

九州と畿内は全く風習が違う。

797 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:08:24.19 ID:c4qUtqSR0.net
物部、ニギハヤヒは出雲の系列だろ

798 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:09:12.77 ID:O8Pbsbf90.net
伊都の読みはイツだし、
いとしまとはカンケーないし。

799 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:14:31.98 ID:KsqbHSZg0.net
>>790
ゴッドハンドしても無駄無駄
九州にも丹はある
逆に九州に山ほど出土する金製品などの大陸系遺物は畿内では一切出土しない


482 :名無しさん@1周年 :2017/12/05(火) 21:24:40.13 ID:s8pq7koV0
>>449
水銀も別に九州説を否定するようなものじゃないけどな
砂金のように川から取っていれば採掘跡は残らんし、九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301923635-1
>神崎町から南西50Kmの嬉野温泉の近くに虚空蔵山がある。この山を源として流れる丹生川は、嬉野町を通り嬉野川、
>塩田町で塩田川となり、有明海に流れ込んでいる。この川筋に7社の丹生神社がある。
>虚空蔵山の長崎県側の山麓には、波佐見水銀鉱山がある。丹生川は丹砂に関係ある川であった。
>
>私はマレーシアの第三の都市イポーを訪れた事がある。イポーの空港に飛行機が着陸する時、眼下に青色した
>小さな池を沢山見た。これらの池は錫鉱石を採掘した跡だそうだ。イポーは錫の産地として有名で、山には錫鉱山が存在するが、
>平地にも、河川が運んだ錫鉱石(錫石)が堆積した所があり、それを採掘している。
>丹砂の比重は約8で岩石の2.5倍重い、錫石と同様に河川に流された丹砂は集中して堆積する。
>古代においては丹砂の鉱脈を山中で探すより、河川で丹砂を採取する方が簡単だったと思われる。
>丹生川は丹砂が採取出来た河川の事であろう。
>
>景初3年に邪馬台国の女王卑弥呼が、魏に献上した丹(朱・丹砂)は、伊都国の丹生川(嬉野町)で採取したものと考える。
>末盧国(唐津)から伊都国(吉野ヶ里)に至る陸行の途中、佐賀県多久市の辺りから南西30キロメートルに
>丹の取れる虚空蔵山がある。魏志倭人伝の「その山には丹あり」の文章のままである。
>
>近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。
>イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。
>中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値(+8〜+20)を示すが、日本の水銀鉱山
>(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。
>虚空蔵山の長崎県側にある波佐見水銀鉱山は、日本では珍しいプラス(+22)の値である。
>出雲および福岡の弥生遺跡の朱の値にはプラス(+5〜15)の値を示すものがあり、中国からもたらされた朱と考えられているが、
>波佐見水銀鉱系の朱である可能性を残している。今後より多くのデータが蓄積されれば明らかになるだろう。

800 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:16:28.50 ID:TE2BhbnG0.net
>>796
当時の畿内の風習なんて記録残ってないだろ
適当なこと言うなよ
九州の土器が極端に少ないのは九州からの移民は支配者階級で
自分で泥をこねて土器を焼いたりはしなかったせいだよ

801 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:46.95 ID:8wIHTyet0.net
>>800

遺跡や墓にも風習の跡はあるが?

802 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:18:58.20 ID:kO1K7mKz0.net
>>677
もしかして、漢文はかならずSVOになると思っているの?
「其余旁国遠絶不可得詳」はなんて書き下すのかな?

803 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:20:34.88 ID:TE2BhbnG0.net
>>767
北九州が畿内に支配されてたなら何で金銀財宝は北九州が独占して
畿内は鉄すらろくに手に入らなかったんですかねぇw

畿内説は完全に破綻してるのに無理矢理取り繕おうとするから無茶苦茶

804 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:21:04.06 ID:TE2BhbnG0.net
>>801
例えば?

805 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 21:54:27.40 ID:8wIHTyet0.net
>>772
枕詞は面白いね。

難波は、押し照るや。
天照国照の地にぴったり。

なにわのニワは、庭だったかもしれないね。

806 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:01:30.30 ID:8wIHTyet0.net
天照国照饒速日命

海と大地の民を結んだ王。

倭国王に相応しい称号。

807 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:13:18.32 ID:cpRTNEVE0.net
やっぱりこの辺りが本物なんだろうね

808 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:15:42.46 ID:0Er6OWdt0.net
>>795
別倭や黒歯国などはですから女王國東渡海千餘里
別倭や黒歯国などは含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

809 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:16:41.46 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国は奈良にあったと考えている古代史オンチはネット募金に金を出せよ。
俺は邪馬台国九州論者だから一円も出す気は無い。

810 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:17:36.89 ID:0Er6OWdt0.net
訂正
>>795
別倭や黒歯国などは女王國東渡海千餘里ですから含みませんよ
倭地は女王國内を指しています。
>>802
漢文が必ずSVOになるなんて決まってませんよ
その余の旁国は遠く絶していて詳を得るが不可

811 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:21:15.93 ID:0Er6OWdt0.net
>>772
「あおによし」という枕詞は平城京建設(710年)以前に使用された例があり、「奈良の都」とは無関係にそれ以前に成立していたんだよ。

久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎(くやしかも かくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを)万5-797

812 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:25:06.22 ID:0Er6OWdt0.net
>>805
天平5年(733年)神社老麻呂が草香山を超えた時に作った次の歌は、上町台の「難波」が難波の枕詞「押し照る」から700年頃に人為的に名づけられたことを窺わせている。

直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思裳「ただこえの このみちにして おしてるや なにはのうみと なづけけらしも
(真っ直ぐに“草香山を”越えて来るこの道から見ると“夕日に大阪湾一面が”照れされ輝いている なるほどこれを見て難波の海と“30年前に”名付けたのだなあ)」
(万6-977)

813 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:27:59.85 ID:8wIHTyet0.net
 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇

814 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:29:13.80 ID:0Er6OWdt0.net
>>799
>九州の水銀に含まれる硫黄同位体は大陸産と同じ傾向にある

全て大陸産と考えられていた九州の遺跡がら沢山出土している水銀朱が九州産の物も含まれてたってことですね。

815 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:30:37.44 ID:0Er6OWdt0.net
>>813
仁徳天皇等を大阪に持って来る為に小細工をしたんですね。

816 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:35:15.14 ID:kO1K7mKz0.net
>>808
書き下しなんだから「不可」はないだろw
誤魔化すなよw

817 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:36:34.75 ID:0Er6OWdt0.net
仁徳天皇は大阪付近には居なかったんですよ、別の場所に居たのを大阪付近居たように地名を移設したんですよ
仁徳紀に記された「難波の堀江」は、人工的に建設されたものとされるが、上町台地の北端、現在の大阪城の北の水路は自然に形成されたもので、弥生時代には存在していたことが確認されており、人工的に掘削されたものではないんですよ。

818 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:16.36 ID:0Er6OWdt0.net
>>816
では
その余の旁国は遠く絶していて詳を得ることができない。

819 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:39:46.59 ID:kO1K7mKz0.net
>>818
書き下しって知らないの?
それは意訳だぞw

820 ::2017/12/11(月) 22:42:36.72 ID:DKWr7EIF0.net
>>817
奥さんが怖いから別居してたんだなw

821 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:46:46.78 ID:8wIHTyet0.net
八十島祭。

天皇即位の儀式の一つ。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀。
倭国の王権を正式に引き継ぎましたと明らかにする儀式。
正に国譲りの儀式。

難波で行われたのも納得。

822 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:17.74 ID:8wIHTyet0.net
庭。 祭祀の場。

朝庭。

823 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:49:56.42 ID:jr/1JzcN0.net
>>821
なあ、いつになったら>>804に回答できるんだ?
またゴッドハンドするだけして逃亡か?

824 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:53:04.98 ID:jr/1JzcN0.net
>>815
仁徳天皇は福岡の小呂島を見て詠んだんだろうな

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
> この口語訳は「古事記(講談社学術文庫)」によると以下のとおりになります。
> 『(おしてるや)難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島や島、また檳榔の島も見える。佐気都島も見える。』
> 注釈には「おしてるや」は難波の枕詞、「淡島はイザナミ・イザナギの二神が国産みの最初に産んだとされる産み損じの島」であり、
>オノゴロ島は「神話上の島」、檳榔の島は「空想上の島」であるらしい、さけつ島も「実在の島ではあるまい」としています。
> 檳榔とはビロウの古名であり、ビロウは熱帯性のヤシ科の植物なので、南九州や四国太平洋岸には自生していても、
>淡路島周辺の瀬戸内海には見ることができない植物です。これがネックとなり淡路島周辺のどこを見た風景なのか
>わからなくなってしまい、結果「オノゴロ島」も「淡島」も「さけつ島」も全て「実在ではない島」となってしまっています。
> ところが、この詩がそもそも淡路島から見て詠われたものではないと仮定して、淤能碁呂嶋候補と言われている島の中から、
>自生ビロウが存在する島に絞って考えてみると、以外にこの詩のなぞが解けてくるのです。
>淤能碁呂島候補でビロウが自生している島とは、唯一『小呂島』しかありません。

825 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:54:06.35 ID:8wIHTyet0.net
>>823
九州と畿内は、墓制一つとっても全く違う。

九州の何処に邪馬台国があるんだ?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

826 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:31.52 ID:gmvgtSjM0.net
ゴッドハンダー畿内

827 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:56:38.24 ID:kO1K7mKz0.net
「不可」は「すべからず」だよ。
漢文の書き下し(読み下し)の初歩じゃないか。

828 ::2017/12/11(月) 22:58:11.64 ID:DKWr7EIF0.net
>>822
審神者(さにわ)。
仲哀天皇が筑紫の香椎で神の怒りに触れたのは、
沙庭で審神者してた時だった(ややこしいw)。

829 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 22:58:23.34 ID:gmvgtSjM0.net
>>825
>>212>>219の通り、九州生まれの前方後円墳が畿内で大流行したんだよな

830 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:15.30 ID:TxY1iT/k0.net
邪馬台国奈良説を信じている者は多いと思うからネット募金は簡単に成就出来るはずだよ

831 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:09:56.96 ID:FW8smCsl0.net
邪馬台国近江説を唱える守山市

832 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:43.60 ID:a3xkexb40.net
>>824
読んだ、中々面白いな
まあ流石に仁徳天皇の頃には都は畿内に移ってただろうが、だからといって瀬戸内海を見て詠んだとは限らないしな

それよりここが気になったな
http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>八女の岩戸山古墳の「大神宮」は中世の創建いらい「今伊勢」と呼ばれて、もとは古墳後円部の頂きに鎮座していた。
>大正十四年現在地に動坐して以来「大神宮」と呼ばれている。「今伊勢社」時代の天文二十四年四月二十五日、
>八女地方の二十四名の豪族の百首の歌を兼松城主豊饒美濃守が書いて一巻にし奉納した。
>八女市は文化財専門委員会の答申にもとづき平成七年一月二十五日付でこれを有形文化財に指定した。
>指定名称は「天文二十四年源鑑述ら今伊勢奉納百首和歌」。

岩戸山古墳と言えば、筑紫君磐井の墓とされるけど、朝廷にとっては反逆者のはずなのに今伊勢なんて
伊勢神宮との関わりを思わせる名前の神社なんだな
>>56の説の信憑性が増したわ

833 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:12:45.77 ID:Mq6cm2uR0.net
大和はない。大和に女王の国など無かったと記紀が証明してる

834 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:14:35.16 ID:Mq6cm2uR0.net
有るとしたら伊勢斎宮

835 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:23:10.39 ID:8wIHTyet0.net
>>832
卑弥呼を共立した国は30ヶ国。
卑弥呼がいたのは、邪馬台国。
神武さんは本国から派遣されたくらいだろう。
普通本国に残る方が本家筋だな。
ヤマト征伐の主力は伊勢と吉備だな。

時代を経て、本家筋が征伐対象になることはあちこちであっただろうね。

丹後半島なんかも本家筋が征伐対象になったんじゃないかな。

836 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:25:10.57 ID:8wIHTyet0.net
政権内で、権力闘争を何百年も続けたんだろう。

837 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:30:50.72 ID:8wIHTyet0.net
征伐した後は、背乗り。
そんなのばっかり。

838 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:31:43.67 ID:TxY1iT/k0.net
銅剣文化の近畿が鉄剣文化の北部九州勢力に大した戦いもせずに支配された、
一部の住民は、先祖が暮らしていた出雲の地に逃げ帰りこれからは
銅剣の時代では無いと荒神谷遺跡に銅剣を埋めた、そして砂鉄を使って
鉄文化を発展させた訳だ。国生み伝説や国譲り伝説もある出雲国。
敗者を徹底的には追い詰めなかったのが九州勢力(ヤマト勢力)
北部九州では頻繁に地域紛争を起こしていたから戦いのマナーを
判っていた訳だ。

839 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:33:19.51 ID:8wIHTyet0.net
>>838
出雲に国生み伝説などない。

840 :ココ電球 _/ o-ν :2017/12/11(月) 23:35:50.57 ID:90Ufn/i00.net
記紀は歴史検証の証拠にならない

歴史検証のルールね

841 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:36:49.57 ID:mCoNbkUz0.net
>>799
もっともらしい事言ってもだめだぞ。
倭人伝の書かれたのは三世紀末だから。
その直前どこで一番水銀朱が確認出来るかが
重要事項だから。

倭人伝の時代の採掘跡は四国東南部、
精製跡は紀伊半島を中心に確認できる。
また実際に丹生神社はこの辺りに集中してるだろ。それにこの辺りは海人の根拠地でもある。
まぁ無駄な足掻きするのはみっともないぞ。

842 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:12.88 ID:a3xkexb40.net
>>219
特殊器台に着目すると、九州は古墳時代に入ってからも5世紀まで独自性を保ち続けていたのが見えてくるな
あと吉備式特殊器台に描かれる「弧文」は主に九州の首長が宝としていたゴホウラ貝の断面を図案化したものと言われている
やはり邪馬台国の時代にはまだ九州北部が文化の中心だったと考えるしかないだろう

843 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:40:53.62 ID:NA5Fj06q0.net
天孫降臨が宮崎の高千穂でそこから神武東征して日本建国したんだから
どう考えたって邪馬台国と大和王朝の起源は九州だろ。

844 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:43:06.83 ID:RaOetmn50.net
>>842
九州説しか採りようがないよなぁこれじゃ
畿内説の人残念でした

845 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:06.91 ID:mCoNbkUz0.net
>>843
神武天皇や東征が邪馬台国と何の関係があるのかとw
そんな記述は何処にも存在しない、しかもあれは一応紀元前の話だ。

846 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:22.00 ID:8wIHTyet0.net
あくまで魏志倭人伝だからね。
倭人の話。

当時九州に倭人の国は一つもないんじゃないかな。

847 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:45:40.39 ID:a3xkexb40.net
>>841
別に量は関係ないだろうに
九州でも丹が取れたというだけで、倭人伝の記述には合致するのだから
無駄なあがきをしているのは君にしか見えない

848 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:09.54 ID:XV80etCc0.net
>>846
魏志倭人伝で魏の使者は明らかに九州に上陸してるのに何言ってんだこいつ
これが畿内説特有のゴッドハンドってやつか

849 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:48:50.96 ID:V7Vo4UFv0.net
九州から近畿に大規模に引っ越してくる理由ってなんだったの?

850 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:49:03.54 ID:eFjgZzig0.net
高千穂とか後で付けられた
地名が証拠だとw

851 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:06.08 ID:XV80etCc0.net
>>824
ビロウに目をつけるとはなかなか鋭い考察だな
たしかにその点では瀬戸内海説は非常に苦しい

852 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:50:15.70 ID:GyUZgZXt0.net
>>849
津波

853 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:51:56.12 ID:mCoNbkUz0.net
量もそうだが九州説は年代の一致を無視してる時点で話にならんよ。
三世紀の文献で丹山があるとするなら当然
同年代の分布を見ないとダメな事位
誰でも判るだろ。

854 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:20.61 ID:MI+xh1R70.net
>>849
そんなに大規模でもなかったんじゃないか
記紀でも神武天皇のお供は少人数だったようだし

855 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:54:48.28 ID:8wIHTyet0.net
>>851
福岡と瀬戸内海どちらが温暖か?

瀬戸内海に決まっているだろう。

856 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:56:38.11 ID:GyUZgZXt0.net
>>854
高知大の調査で20mを超える津波がきている
もちろん高知も来ただろうけど

857 :名無しさん@1周年:2017/12/11(月) 23:57:31.28 ID:8wIHTyet0.net
>>848
九州は通り道。
九州に倭人の国は一つもない。

中国江南から広がった下戸遺伝子。

中国南部の文化である銅鐸。

島生み神話は、中国南部に多い神話のモチーフ。

日本に於ける下戸遺伝子分布の中心は、大阪湾と伊勢湾。

淡路島から紀元前4世紀の銅鐸が出土。
国生み神話で最初に生まれる淡路島。
イザナギの宮があったとされる淡路島。


唐古鍵遺跡の弥生時代中期の木棺墓から出土した頭蓋骨は大陸系の特徴が強かった。

呉の末裔を名乗る倭人とは、中国南部から渡来した人々、下戸遺伝子をもたらした人々と考えるのが妥当。
中国南部から銅鐸文化をもたらした人々(倭人)が渡来したのは、紀元前4〜5世紀。春秋時代末期。

弥生時代中期には、ヤマトで拠点集落を作れるぐらいに勢力を拡大していた。

倭人の分布は畿内や伊勢尾張、美濃、吉備中心。

858 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:00:37.87 ID:qST83mrq0.net
北部九州より瀬戸内海から四国東南部や
紀伊半島南部の方がずっと温暖だしな。
倭人伝に描かれた風俗なら丹もあるし倭の海人の里はこの辺りだろう。

邪馬台国の可能性が一番低いのは北部九州説、
奴国なんだから当たり前だろw

859 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:06:07.21 ID:QrMBSxEI0.net
>>855
どう頑張ってゴッドハンドしても、瀬戸内海にビロウが自生しないという事実は覆らないぞw

860 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:08:05.20 ID:ZsBPJ3rL0.net
>>857
魏志倭人伝で九州に来た魏使が倭人の風俗として現地人の風習を記録してるのに、
それガン無視して倭人じゃなかったとかキチガイかよw
もう畿内説ってのは狂人しか信じてないんだな

861 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:09:47.88 ID:Ak51dlld0.net
>>857
九州どころか朝鮮半島南部まで倭人が進出支配してたのに何をトチ狂ってるんだコイツ

862 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:32.36 ID:ZdOUU02H0.net
>>813>>824
>おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 
>あはしま おのごろ島 あぢまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ

前から思ってたんだけど、その歌は無理に
一望させようとするからわかりにくいんであって。

思うに、「難波の崎よ 出で立ちて」の時点で
当人が西を向いてるのを示唆し。
「我が国見れば」で東に向き直ってる事を示唆してる。
(「あじまさの島」で南を経由して。西→南→東と)

だから、あわしまは四国の事であり。おのごろ島は沼島の事だろう。

日本神話で、「あわしまがヒルコと共に流された」とされるのは
阿波(粟)と「泡となって消えた」をひっかけた神話上のダジャレ(言霊)で。
おそらく、阿波の国を含む四国を
あわしまとも古くから呼んでいて、
実際は消えてもいないんだろう。
(あえて言うなら、そういう呼び名の方だけ消えた)

というか、ヒルコのヒルは「屁をひる」のヒルで。
それがアワとなってブクブクと海面に出ちゃった。
……ってオチな気がする。イザナミが島を産むつもりで
海の中に下半身をつけてイキんでたら、オナラが出ちゃった。
だから、おならであるヒルコとアワシマは子供に含めないってネタで。

863 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:44.39 ID:5BenmTjZ0.net
>>858
四国や紀伊半島に行くのに佐賀で船から降りてしまうバカはいませんwwww
目的地が九州の中にあるから船から降りたんですよっと

864 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:11:52.39 ID:A1hRTbET0.net
>>860
九州北部は吉備の支配下だな。
博多の那珂地区。播磨の土器が大量に出土。
吉備の倭人が乗り込んでいる。
だからと言って、元々九州が倭人の国だったわけではない。

865 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:12:53.40 ID:A1hRTbET0.net
>>863
関門海峡が船で通れないので陸路で迂回するしかない。

866 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:15:52.90 ID:5BenmTjZ0.net
>>842
九州の前方後円墳から特殊器台が出ないというのは、>>212が言うように
九州こそ前方後円墳の発祥の地で、東に伝わる過程で特殊器台が付け加えられたと考えるしかない
箸墓や纏向が4世紀という>>19の関川氏の分析どおりだな

867 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:17:36.59 ID:5BenmTjZ0.net
>>865
だったら海路で九州を迂回するだろw
畿内説の妄想はもう詰んでるんだよ

868 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:43.67 ID:vCTLAtBu0.net
>北限は福岡県宗像市の沖ノ島。
>ビロウにちなむ地名として、枇榔島(宮崎県門川町、鹿児島県志布志市、南大隅町)、蒲葵島(高知県大月町)などがある。

出でたって眺めたのなら、瀬戸内海を通る船旅だな。
「幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く」だから、
仁徳天皇自身が実際に船旅しなくてもいいけどね。誰かが船旅で見ている景色ということで。

869 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:19:47.84 ID:5BenmTjZ0.net
>>864
残念だったな
>>219が言うように、3〜4世紀の九州の古墳からは吉備式の特殊器台が出土しない
吉備の支配下でないのは確実
むしろ九州発祥の前方後円墳が伝わっているのだから九州が吉備を支配したのだろう

870 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:22:59.88 ID:A1hRTbET0.net
>>862
以下の二つの歌を合わせると面白い。

後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇


オノコロ島。
字の如くじゃないかな。
自ら固まって島になる。洲。

昔、大阪城のすぐ北を淀川の本流が流れていたんだよ。現在、中之島があるところ。
オノコロ島は中洲のことじゃないかな。

倭人は大阪湾に渡来して、初めは中洲に住み始めた。そして間も無く淡路島に拠点を移した。
そして、本土の先住民と交わり、次第に内陸にも勢力を広げた。

871 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:39.29 ID:A1hRTbET0.net
>>867
昔から飯塚市から行橋市に抜ける道があって、関門海峡が開通していない当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だったんだよ。

872 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:25:52.73 ID:2Dsbu8BA0.net
>>864
魏志倭人伝では九州の国邑までが一番詳しく記録されているわけだが
目的地が畿内ならどうして目的地に着いてからのことが詳しく記録されていないのかね?

もう畿内説は完全に崩壊したんだよ、諦めなさい

873 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:26:19.77 ID:byiG8+n20.net
関西の人達四国の石で出来た矢じりで弥生人にいっぱい殺されているけど
なんで四国の石なんだろう

874 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:28:27.29 ID:vCTLAtBu0.net
古事記の文章から歌だけ取り出して論じてもしょうがなかろう。

>ここに天皇、その黒日賣(くろひめ)を恋ひたまひて、大后(おほきさき)を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲(おも)ふ。」
>とのりたまひて、幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く、
>おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば  淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の 
>島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ とうたひたまひき

875 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:31:40.51 ID:qST83mrq0.net
>>867
無駄だよ、七万戸の国が九州南部に存在した形跡すらないからな。
それに倭人伝には火山の記述が皆無だぞ。
温泉の記述もない、そんな特徴的な事が描かれてない以上は九州なんて北部を通過した位だな。

876 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:32:37.83 ID:A1hRTbET0.net
>>872
邪馬台国の比定地は?
卑弥呼がいた集落の遺跡の名前は?

877 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:33:12.17 ID:jJRgrDxG0.net
>>871
ソースは?

878 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:14.05 ID:A1hRTbET0.net
>>873
畿内も伊勢と吉備に征伐されたんだよ。
阿波は吉備の子分。

ヤマトの地も卑弥呼を共立する伊勢と吉備に征伐。
征伐後のヤマトの地を卑弥呼が都としただけ。

九州北部もヤマトも征伐されたことには変わりない。

879 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:36:36.52 ID:arhLddYz0.net
>>875
九州にはまだ発掘されていない場所が山ほどあるわけだが
火山だって常時噴火してるわけでなし、噴煙が上がってなければただの山だ
畿内からは九州にある金銀財宝が全く出土しない時点で畿内説はもう無理

880 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:37:11.34 ID:byiG8+n20.net
倭人は火山を崇拝しているとかの記述があった覚えがある
物凄い火山

881 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:38:26.46 ID:DtI0J9He0.net
>>878
>>869

882 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:39:56.53 ID:A1hRTbET0.net
ヤマトは征伐され、卑弥呼が都を置いた。

九州北部も征伐され、博多に一大卒が置かれた。

大して変わらない。

883 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:44:39.62 ID:qST83mrq0.net
>>879
もはや支離滅裂だぞ。倭人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
それが現実だよ、中国人の興味は丹にあった
と言う事。三輪山の背後は水銀朱の山だからな。そりゃそっちに行くよ、中国人は。

金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは
水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。

884 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:02.31 ID:SUp/O3YV0.net
金印が出るのをまて
それしかない

885 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:45:06.13 ID:dhoZJrEz0.net
>>879
大陸や日本中の金銀財宝が畿内に集結!これなら日本の中心として納得するが、
日本中の土器が畿内に集結!と言われたら、
そりゃ今でいう共同出資を各地から集め、畿内の田舎に新しく住宅街作りましょうみたいなノリにしか思えんわな
そのときリーダー格だった九州の名前が畿内中についたんだろうなと

886 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:49:05.23 ID:A1hRTbET0.net
九州北部もヤマト同じ征伐された側。

ヤマトには卑弥呼がいて、博多には一大卒がいた。

887 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:51:50.17 ID:MoO+fHXU0.net
>>886
畿内説では一大卒は琵琶湖を突き抜けた海辺りになるんじゃねーの?

888 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:54:38.23 ID:XT2pVayx0.net
>>883
支離滅裂はお前だろゴッドハンド君

>人伝には火山等の記述はなく筆頭で丹山ありと書いてある。
はいゴッドハンド
実際の記述は
「出真珠青玉其山有丹其木有{木冉}杼豫樟?櫪投橿烏號楓香其竹篠幹桃支有薑橘椒襄荷不知以爲滋味有爾猴黒雉」
訳文
  真珠、青玉を産出する。山には「丹」を産出する。樹木には、くす、とち、くすのき、ぼけ、くぬぎ、すぎ、かし、やまぐわ、楓などがあり、
  竹類には、ささ、やたけ、かづらだけなどがある。
  生姜、橘、山椒、茗荷もあるが、滋味ある食物として利用することを知らない。猿や黒雉もいる。

別に宝物だけの記述でもないし、筆頭は真珠、次いで青玉

>金銀お宝と言っても当時のなら価値とすれは水銀朱が最上位だよ、抱朴子によるとな。
「以朱丹塗其身體如中國用粉也」
倭国では白粉程度の扱いだったようだがw

889 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 00:59:28.42 ID:bOlaASOn0.net
九州筑紫にしらぬいの枕詞があるの?
しらぬいは邪馬壹国の根拠のひとつじゃん
その他大勢の事実とも合致して九州で結論だな
奈良は新しい都と

890 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:00:15.31 ID:EUUuDPQm0.net
>>885
当時から既にクラウドファンディングが!(笑)
まあ普通に考えりゃ被支配地域が財宝独り占めとかあるわけないし、九州が支配側だったんだろうな

891 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:00.58 ID:XGETgkpD0.net
>>843
眠いのでコピペだけ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

892 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:04:39.32 ID:byiG8+n20.net
>>889
枕詞とか知らんが不知火海なら熊本にある

893 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:09:56.62 ID:wW9hKSHL0.net
もともと古墳時代の成立が四世紀という前提があって、
古墳が近畿から地方に拡がったといってもそれ以前だから邪馬台国は九州にあっても不思議じゃない、って説だから、
古墳時代が繰り上がっちまえば三世紀とかになれば、
卑弥呼の時代には既に古墳時代が成立していた。

近畿の強い国が九州まで勢力を伸ばして大陸と交易していた、って流れが主流になったんだよな。

今もう考古学で邪馬台国、九州説を唱えている奴はその前提をぶっ壊して新たな理屈をひねり出した奴しか支持していない、って話だぜ。

894 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:15:24.26 ID:byiG8+n20.net
出土物を盗んであちこちに散りばめる考古学者なんか信用できない
魏志倭人伝の文献がすべて

895 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:26:56.96 ID:pttSjWmO0.net
魏志倭人伝をきちんと読めば海の真ん中に出ちゃうよな
九州はありえない
あれは方角を間違えただけ

896 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:29:05.07 ID:EUUuDPQm0.net
>>893
違う違う
畿内で一番古い前方後円墳とされる纏向が布留1式期の四世紀築造(>>19
一方九州で一番古い前方後円墳とされる那珂八幡古墳は庄内期の三世紀の築造とわかったので
九州で生まれた前方後円墳が瀬戸内海→畿内へと東へ東へ広まっていったのが明らかになった

このことは>>219にあるように、吉備で生まれた特殊器台が九州の3〜4世紀の古墳から出土しないことからも確認される
卑弥呼の時代は文化の中心は九州であり、そこから東へ一方通行に伝わっていったのが明確になっている

897 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:31:09.65 ID:Zra1ZrIx0.net
>>895
いや対馬→壱岐→唐津とちゃんと九州へのルートが書かれてるんだが
ありえないのはお前の頭だよ

898 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:48:36.49 ID:kqdQ+Z6t0.net
>>19
知らんかった
マスゴミもしっかりと伝えろよな
関西人に騙されるとこだったわ

899 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:54:49.10 ID:byiG8+n20.net
元朝日新聞の記者が奈良より福岡が古い時代から栄えた真実を
記事に書こうとしても全部没にされたと言ってた
朝鮮人にとっては邪馬台国は奈良でないと困るのだろう

900 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 01:57:45.94 ID:vCTLAtBu0.net
記述されている方角なんて、結構大雑把で主観的だよね。対馬から壱岐に行く方角は魏志は南で隋書は東。
現代の地図だと対馬から見て壱岐は東南だね。http://tsu-com515.my.coocan.jp/ikiTsushimaisle1.jpg

三国志魏書倭人条
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。始度一海、千餘里至對馬國。
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國

隋書倭国伝
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望耽羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、
又至竹斯國、又東至秦王國

筑紫国から秦王国(周防国)も東じゃなく北東よりだよね。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201401/23/29/b0173629_12592050.jpg

901 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:03:09.65 ID:qST83mrq0.net
>>888
馬鹿だね、倭人では白粉に使うように使うから特筆してんだよ。
ちなみに真珠青玉ときて山に丹だぞ?
普通にお宝扱いだな。し

902 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:08:49.20 ID:byiG8+n20.net
短里説なら九州で治まるらしいね
古代中国では短里を使ってたらしいし

903 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:09:40.94 ID:Qvn788X20.net
神武天皇の出身地は古事記や日本書紀にも書かれているように宮崎県高原町
皇子原と言われる場所があり、そこで生まれたとされる
神武天皇の幼名は狭野命といいますが、その地に狭野神社というのがあり
神武天皇を祀っている
BC667年に45歳で東征に出発し、BC660年に即位

904 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:12:32.10 ID:pttSjWmO0.net
>>897
不弥国から水行20日および水行 10日陸行一月
どう考えても九州に収まるわけ無いだろ馬鹿か

905 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:16:42.98 ID:byiG8+n20.net
>>904
短里は陸路で使っているはず

あの武田邦彦先生が邪馬台国は九州と言っている
https://youtu.be/lUdy6TMt9IY?t=139

906 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:19:23.13 ID:pttSjWmO0.net
>>905
短里以前に日数でぜんぜん収まらないから

907 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:22:28.55 ID:byiG8+n20.net
>>906
対馬海流に逆らって進むのがどんだけ大変か知っているのか
角川春樹が体育会系の大学生を使って木船で実験したが
救助しなければならない羽目になった

908 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:27:39.16 ID:qST83mrq0.net
>>907
流れに乗れば当然東へ流されるから。
つまり南と思って本州側に向かったんだよ。

909 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:42:13.16 ID:byiG8+n20.net
>>908
どうやって奈良県に流されるのか???

910 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 02:42:46.57 ID:PwXw3Cpo0.net
 倭人伝にあるのは邪馬壹国へは、帯方郡を出発地とし、
一万二千余里を水行十日、陸行一月の合計約四十日間の行程。
四十日には悪天候で航海できずに陸で待機する日も含まれる。

船旅に不慣れな魏の役人を、当時の船で安全に九州に届けるには
四十日を要したのだろう。

911 :ドクターEX:2017/12/12(火) 02:59:18.99 ID:r/I17HVk0.net
邪馬台国は温暖な国となってるのに、奈良が温暖だって?wwwwwww

912 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:16:08.13 ID:2fsuVYUD0.net
畿内説って、前の戦争のため
万世一系をでっちあげるには最適の地域だったんだろ。
おかげで神話だの架空の天皇だの古代ロマンだのと
ごまかすのに一所懸命。
北部九州ならすべてが実在。
ごまかす必要もないからね。菊池出身の神武さんが北部九州を
平定して邪馬台(ヤマト)国の元年。

913 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:20:34.64 ID:pttSjWmO0.net
>910
九州の不弥国から水行二十日および水行十日陸行一月だ
嘘ばかり言うな

914 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:22:12.92 ID:pttSjWmO0.net
これだけみても九州説なんかありえないんだよ

915 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:25:42.97 ID:byiG8+n20.net
>>912
やっと菊池家を語る人がでてきた(泣
西郷さんも実は菊池の豪族
後醍醐天皇まで菊池の血筋だった
長州と手を組んだのはワケワカラン北朝から
南朝に戻す為

916 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:34:40.69 ID:qST83mrq0.net
行程で投馬国もスルーしてる時点で既に
終わってるからな、九州説なんて所詮にはファンタジー。邪馬台国より近い投馬でさえ五万戸の国だぞ、九州のどこに存在するんだよw
邪馬台国は卑弥呼が都とさだめた国にすぎない。畿内しか有り得ないわ。

917 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:34:59.76 ID:K/Hu7NswO.net
ナイチャーは本当にバカさねー
邪馬台国は沖縄じゃろね

918 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 03:44:05.91 ID:weZ2xyIj0.net
大和 これがどうしたらヤマトになるんだぜ

919 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:14:30.67 ID:dHr7aPUF0.net
>>914
かっと言って、近畿もない。

920 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:17:28.70 ID:mf3Z9iWc0.net
卑弥呼のころの建物の跡が残っているなんて、
単純にすごいな。

921 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 05:43:23.61 ID:pttSjWmO0.net
>>919
九州がないことは明らか
畿内はほぼ確定だよ
愛郷心で歴史をみれば間違える

922 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 06:03:39.48 ID:G1CuYQi/0.net
魏志倭人伝に
計其道里、當在會稽東冶之東。
その(倭国の)位置を計ってみると、ちょうど會稽や東冶の東にある。

とある
当時の人でも文字通りに読むと倭国は沖縄や台湾のあたりに
なってしまうから、やはりどこか記述がおかしいんだよね

923 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:27:22.66 ID:zGoaxOHs0.net
>>790
逆ですよ
奈良だけが不思議なくらい弥生時代に
丹がないんですよ。

さすがに古墳時代に入れば
いくつか丹の使用痕跡が出てきますけどね。

924 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:31:15.53 ID:uc6jNlKe0.net
こんだけ探しても確証が得られないのだから
場所は日本以外とすれば、朝鮮半島じゃね?
当時倭国とやらはそこまで存在してただろ
縄文土器も朝鮮半島にまで伸びているのだから

925 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:53:02.92 ID:gx+Jhr0K0.net
ざっと読んだけど九州説論者の畿内説への中傷ひどいな
学者や研究者が揃ってゴッドハンドやってるとか何の証拠もないのによくこんなこと言うわ
あと関川編年なんて学会で一人も支持者がいないんだから説としては死んでる
邪馬台国がどうこうとか関係なく日本の古代史の年代観として誰にも支持されてない
そんなのを持ち出して来ても無意味

926 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:53:25.24 ID:FK64fOJA0.net
邪馬台国は佐賀だろ

927 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 07:57:32.18 ID:pttSjWmO0.net
>>924
やっぱり朝鮮人がまぎれこんでるな

928 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:05.16 ID:g+U5Hr1r0.net
>>926
んだな

929 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:18.10 ID:wQLvLiT70.net
もう気にするのはやめなさい
巻向クラスの痕跡なんて
あの辺掘り返せばあちこちあるんですよ
知名度アップのために過剰な喧伝しただけ

930 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:02:33.55 ID:gx+Jhr0K0.net
学会での邪馬台国論争の争点は3世紀中頃の時点で畿内ヤマトの進出が北部九州まで到達しているかどうかであった
北部九州の各地で庄内式土器が出土しており畿内ヤマトの勢力は北部九州まで及んでいることが判明して
学者や研究者の間での邪馬台国論争は決着した
そういう専門知識のないやつらが先入観でいまだに九州説を主張してるだけ

931 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:06:51.73 ID:zGoaxOHs0.net
北部九州では庄内式なんて
多くのバリエーションの一つに過ぎない。
北部九州で庄内式が出るのは狭い範囲だけ。
ごく小規模の集団が九州に移住しただけだろう。

932 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:08:28.88 ID:Mhc7sOYx0.net
ここって、市街地のど真ん中やんw
住宅建てた方がええんちゃうの?w

933 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:08:47.08 ID:zGoaxOHs0.net
あるなし、だけじゃなく量や範囲にも
注意したほうがいいですね。
ごく少量しか見つからないと
あるなししかわかりませんが。

934 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:09:23.49 ID:7eAe50Lx0.net
九州だと小国ってことになるからつまらん
奈良だと大和政権につながるロマンになるけど

935 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:13:26.09 ID:r/se7nQE0.net
まぁ邪馬台国はほぼ纏向で間違いないんじゃないかな
吉野ヶ里は政治的中心の都市としては不十分な気がする

936 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:17:06.97 ID:zGoaxOHs0.net
吉野ヶ里は小国の一つでしょうね。
小国としてはちょっと大きめだけど。

たまたま大きく広く掘れたから
大きい遺跡に見えるだけ。

大体10〜15q低度の間隔で
小国の中心集落っぽい遺跡がある。
国邑ってやつだね。

937 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:19:17.57 ID:eqWsXpZ60.net
>>932
あそこのどこが市街地だよw

隣は小学校で、周りは田んぼ時々古墳しかない。

938 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:23:30.20 ID:gx+Jhr0K0.net
>>931>>933
例えば奴国
戸数2万戸と書かれており北部九州最大の国
3世紀後半になると奴国の中枢部から出土する土器の過半数が畿内系土器になる
首長層の祭祀も畿内系土器に変わる
纒向型前方後円墳も造られる
ここまでくると植民地同然
3世紀前半ではそこまで畿内系土器は流入してないが畿内ヤマトの影響を受けていたのは確実
日本列島の盟主の国がそこまで進出していて奴国でさえも畿内ヤマトの傘下に入っていたんだから
他の九州の雑魚みたいな国は出る幕がないということ

939 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:23:50.52 ID:rt2PEOHF0.net
卑弥呼はオレの嫁だった

940 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:24:28.40 ID:Zn6TO6bC0.net
見える化って何かテキトーに使われる言葉だな

941 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:24:31.40 ID:qST83mrq0.net
>>923
何言ってんの?奈良って何処の話だよ。
紀伊半島に沢山確認されてる精製跡は
何?

942 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:26:42.62 ID:zGoaxOHs0.net
>>941
そっちは三重県でしかも縄文時代。
再び採掘されるのは奈良時代だそうですよ。

943 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:28:30.05 ID:ENfR9HoZ0.net
つーか小規模の王国なら本州中にあっただろ
なぜ古代人の目線でみれば広大な日本で奈良だの北九州だの
一点に絞りたがってるのかわからんww
もっと複雑に決まってるw

944 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:30:41.66 ID:zGoaxOHs0.net
>>938
ないない、畿内から九州へ
文物が運ばれてきていただけでしょう。
いくらか移住してきた人もいるようですが。

一方九州から畿内へは
あまり物は運ばれていませんね。
鉄で1/40、銅で1/20しかありません。

945 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:32:09.78 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説の人がよくやる間違い
魏志倭人伝を魏志邪馬台国伝だと勘違いして、倭国倭人一般の風習が畿内には不一致と批判する
魏志倭人伝を邪馬台国旅行記だと勘違いして、瀬戸内や畿内のことが書かれてないと批判する

946 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:36:00.86 ID:wunWjOYJ0.net
奈良がまほろばなのは理由がある
実際にどこでもなく奈良から日本の政治は始まった
北九州を主張するのはいいが
ではなぜ日本の歴史の中心が九州でないのか
のちに日本で天皇と呼ばれる一族の仕事がなんだったのか
世界でそのような地位にある王の仕事はなんだったのか
必ず天皇と同じ権能を持っていた
軍事中心になるのはその後だ

947 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:39:40.35 ID:gx+Jhr0K0.net
>>944
4世紀になると畿内ヤマトの九州への進出はもっと活発になる
3世紀前半、3世紀後半、4世紀と基本的に全く同じ流れで量や範囲が増えて行くだけ
3世紀の畿内ヤマトの進出を否定することは4世紀以降の進出も否定するのと全く同じ
つまり日本の古代史の全否定、教科書に書かれてることさえも否定してる
そこまでぶっ飛んだトンデモ言いたいなら好きにすればいいよ

948 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:39:58.42 ID:qST83mrq0.net
>>942
だから無知なんだよ、歴史やるなら地勢も勉強しなさい。
山に丹なら当然奈良盆地ではなくその周辺の山、吉野から伊勢は当然三重だし。
紀伊半島は弥生中期以降にも精製跡なんて多数
確認されてるよ。

949 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:46:42.64 ID:x2iEAUqR0.net
>>947
より交流が活発になるのは否定しないけどね
古墳時代に至っても、それどころか7世紀まで
鉄や銅の出土量で畿内が九州を上回った事はありません。

6〜7世紀には糸島で製鉄高炉群が作られて
60トンの遺物が確認されています。
このあたりになるとケタが違いますね。

950 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:49:40.21 ID:wW9hKSHL0.net
>>943
当時の技術では九州を経由しなければ大陸と交易できなかったから。

だから古墳時代が四世紀ごろ始まったとされる旧説では、
邪馬台国は九州にあり大陸と交易できた、卑弥呼から古墳時代が始まったって解釈が有力だった。

しかし最近、古墳時代の年代が三世紀前半にまで繰り上がったことで九州説は歪んできた。
なぜなら三世紀には既に古墳を作るだけの権力と国力を持つ国ができあがっていたこと。
さらに九州から関東地域の広い地域までの交流を示す証拠、大陸製と思われる銅鏡が一度に三十枚くらい見つかった事。

これによって、三世紀には既に畿内の国が大陸と交易していた、という証拠が出たことになり、
大陸と交易するのには九州を経由するしかない。
よって畿内から九州まで広域な支配権を持つ「国」が畿内にはあった、という説が有力になった。

951 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:49:48.91 ID:x2iEAUqR0.net
>>948

それが弥生期の奈良の古墳で二箇所でしか
使われなかったのはなぜでしょうか?

弥生時代には九州は朝鮮半島に鉄を採りに
行っていたそうなので
三重や阿波の丹も九州に運ばれていたのでしょう。

九州では丹の豊富な使用例がありますからね。

952 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:53:37.43 ID:MJ5+bYcw0.net
>>827
そんなことはどうでもいいことw

953 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:56:16.49 ID:MJ5+bYcw0.net
>>938
3世紀後半には畿内が奴国の植民地になりそこから貢物の容器や税として九州に運ばれたってことだな

954 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 08:58:40.83 ID:98USUHs90.net
魏志倭人伝には、卑弥呼を滅ぼしたのは狛奴国だと書いてある。
中国の属国の印である金印を貰って志賀島に捨てた倭奴国だよ。

新唐書卷220 列傳第145 東夷
【現代訳】
日本は古の倭奴国(いどこく)である。都長安から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中にある島国である。その国土の広さは歩いて東西は五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
国都には城郭がなく、材木を並べて木柵とし、草で屋根をふいている。周辺には五十余りの小島があり、それぞれ勝手に国と号し、日本国に臣下として服従している。王は統轄者を一人置いて、諸地方を監督させている。
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

955 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:02:20.08 ID:pttSjWmO0.net
>>953
墓まで畿内風にされてるんだから
逆だろ

956 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:03:14.15 ID:g+U5Hr1r0.net
纒向を邪馬台国にしてしまいたい勢力がいる
ここは魏志倭人伝を離れて纒向王朝を研究する姿勢が正しい

957 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:06:02.58 ID:i4ov6ImN0.net
>>954
結局、畿内は「遷都先」でしかないんだよな

958 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:06:26.58 ID:Hjq41Vq00.net
地政学的に九州が日本のコアになりえないんだよなあ、北海道だって同じ。九州説は魏志倭人伝が唯一のよりどころなんだろうけれど、あれは方向距離トンチンカンのB級資料だし、それをB級C級の分析をして、合わせてD級。学問研究的には価値なし。発掘調査が全てです。

959 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:07:26.27 ID:98USUHs90.net
日数には滞在期間も含まれてる。
天候による遅延や要人との面会に要する日数を含んでいる。

960 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:08:50.64 ID:g+U5Hr1r0.net
>>958
北部九州宝物ザクザク
纒向は全国の地味な土器片ばかり

961 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:08:53.94 ID:gx+Jhr0K0.net
>>949>>953
鉄の量で争うつもりはない
鉄貧乏の奈良から日本の国は統一されたというのが日本史の通説、いや定説だな
その定説さえも否定するのなら議論が噛み合うわけがない
日本の歴史を全否定したいなら好きにやってくれ

962 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:09:21.51 ID:MJ5+bYcw0.net
>>950
古墳とか各く地域レベルの豪族でも十分に造れるから
広域な支配権を持つ必要なんてありません
広域な支配権を持つ「国」を統治するには文字が不可欠ですが
3世紀に文字使用が認められる地域は北部九州と出雲くらい
畿内に国家の成立なんて無理。

963 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:10:32.97 ID:MJ5+bYcw0.net
>>961
妄想の日本史ですねw

964 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:11:42.97 ID:g+U5Hr1r0.net
>>961
大和王権以前の日本にも目を向けないと

965 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:12:01.33 ID:qST83mrq0.net
>>951
豊富な使用例なんてな

966 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:13:42.60 ID:MJ5+bYcw0.net
>>930
妄想が支配する学会かw
学問として死んでるな

967 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:00.69 ID:Hjq41Vq00.net
鉄はあれでしょ、鋳造と鍛造。鍛造はずっと後の時代。鋳造の鉄の武器なんて使い物にならないと思われ。鍛造の技術は出雲じゃないの。

968 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:22.84 ID:i4ov6ImN0.net
>>961
だから九州から畿内に遷都し全国支配したんだろう?

969 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:15:24.14 ID:MJ5+bYcw0.net
>>965
資料を調べれば朱に付いては九州の優位性が分かるはずだよ。

970 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:17:21.11 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説がよくやる詐欺の手口
弥生時代の全期間を合算して九州は出土品が豊富だと騙す(例>>78
古墳時代の出土品も含めて九州は金銀財宝いっぱいだと騙す(例>>641

971 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:18:26.97 ID:qST83mrq0.net
>>951
九州にも豊富な使用例なんてないよ、大半が
ベンガラにあってもわずかな水銀朱は大陸産。
倭人伝を読んでみたら?
山に丹があって普段体にも着けたりしてるだけなんだよね。精製跡が残ってるのは
紀伊半島中心で問題ないから。

972 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:20:07.71 ID:g+U5Hr1r0.net
統一にどれ程の意味があったのか

973 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:21:01.43 ID:qST83mrq0.net
>>969
何の資料かな?
30年前とか何とかの会なら無意味だぞ、
あそこは九州説広報だしな。

974 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:25.39 ID:g+U5Hr1r0.net
気候風土
自然災害の有無がミヤコを決める

縄文中期のミヤコは青森だったかもしれないし

975 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:25.40 ID:LDGyZCQp0.net
>>1
邪馬台国は九州じゃないの

976 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:24:52.48 ID:i4ov6ImN0.net
魏志倭人伝も長崎県北の松浦、佐賀の唐津あたりに上陸してるとされてるのに古い博多説持ち出して混乱招いてるしな

977 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:31:07.12 ID:wunWjOYJ0.net
北九州はありえないよ
左翼が天皇の権威を失墜させたいだけ

978 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:47:10.29 ID:JsJc+BIB0.net
クナ国との戦争時に魏の援軍も来てるんだから、九州だろ。
奈良までの派兵は距離が有りすぎ。

979 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:48:04.46 ID:+4rZrDVE0.net
いらないよ。

980 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 09:51:10.43 ID:fKXQBVp30.net
>>978
戦線が九州なだけだから。卑弥呼は鬼道使いだよ。

981 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:02:42.72 ID:gx+Jhr0K0.net
九州説の主張はある程度パターン化できるな
・日本史の定説を全否定して、古代の九州にはヤマト王権さえもその支配下に置いていた強大な王国があったとトンデモ主張
・学問を否定し学会はゴッドハンドをやってると決めつけ
・全く違った時代のデータを示して九州はこんなに凄いのだから邪馬台国は九州だと騙す
・知識不足から魏志倭人伝の珍解釈で九州だと思い込む
・短里とかいう度量衡の捏造や距離の不一致や戸数の不一致を一致だと強弁し黒を白だとゴリ押し

982 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:13:45.64 ID:loTC3Ly20.net
>>930
メイドイン台湾の土鍋が北海道で使われてたら台湾に占領されてたことになると思っているバカ発見

983 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:19:52.02 ID:9UibpyeN0.net
>>1
ド田舎の草ぼうぼうの空き地の整備に金出したいと思う奴いないだろ?
やりたいなら町内会費でやれって感じなんだが

984 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:20:43.02 ID:Hun/qIec0.net
次から次に考古学的根拠を積み上げていく九州説に対して
それを根拠もなく否定するだけの畿内説。

ところで、畿内説の根拠がないよ?

985 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:24:33.99 ID:gx+Jhr0K0.net
>>982
九州説はこうやって考古学者をバカ扱いするだけ

986 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:24:50.20 ID:wunWjOYJ0.net
九州説のどこに考古学的証拠があるんだ
どれも九州はありえないと解釈できるものばかりじゃないか

987 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:11.35 ID:Hun/qIec0.net
畿内説は個人を避難するだけで
畿内説の根拠を出すのはアレヤコレヤで逃げ回るからな

988 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:34.09 ID:enmLaVMf0.net
>>968
定説ですね
古事記に記載されていますし

989 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:26:55.28 ID:wunWjOYJ0.net
>>983
奈良はその空き地を掘ると次から次と出てくるんだよ

990 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:29:03.62 ID:pttSjWmO0.net
九州人はやってることは朝鮮人と同じ
嘘も100回言えば本当になると思ってる馬鹿

991 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:30:52.64 ID:wunWjOYJ0.net
北九州説の最も弱いところ
食料どうしてたんだ
大した人口養えないだろ

992 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:32:49.05 ID:enmLaVMf0.net
考古学、考古学と連呼している人がいますが、個人的に最も学問的な熟成が遅れている分野ではないかと感じています
ゴッドハンドを見抜けなかった件で国民多くが呆れたのではないでしょうか

993 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:34:12.67 ID:Hun/qIec0.net
延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城 424,070
  大和 554,600
  河内 400,954
  和泉 227,500
  摂津 480,000

西海道 5,990,581
  筑前 790,063
  筑後 623,581
  豊前 609,828
  豊後 743,842
  肥前 692,589
  肥後 1,579,117
  日向 373,101
  大隅 242,040
  薩摩 242,500
  壱岐 90,000
  対馬 3920

994 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:34:24.89 ID:wunWjOYJ0.net
>>992
他も大して変わらん
おぼこがいただろ

995 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:01.81 ID:+noByONT0.net
900万で済むんだ
面白いな
俺も一口募金しようかな

996 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:29.86 ID:2+6NBA0xO.net
>>991
筑紫平野も熊本平野も大穀倉地帯だが

997 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:35:56.65 ID:enmLaVMf0.net
お金集めもいいですが、まずは職員の方がボランティア活動で草むしりや周辺のゴミ拾いをすることから始めてみてはいかがでしょうか

998 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:36:50.78 ID:wunWjOYJ0.net
>>993
いつの時代の話だw
作田技術もなかった時代の話だぞ

999 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:37:30.10 ID:2+6NBA0xO.net
畿内説=ゴッドハンド

1000 :名無しさん@1周年:2017/12/12(火) 10:37:57.77 ID:enmLaVMf0.net
募金不要

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