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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金

19 :名無しさん@1周年:2017/12/09(土) 18:24:04.73 ID:t4Ov53AM0.net
>>1
だ・か・ら
纏向遺跡を発掘して、出土した土器の分析を行った纏向研究の権威が
「ここは4世紀の遺跡だから邪馬台国じゃない」
って言ってるのにゴッドハンドするなっての

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku280.htm
>定形化された壺は庄内期の遺構からは出土しない。布留期に制作されたものである。
>
>箸墓古墳とホケノ山古墳を比べると、土器形式の範疇ではほぼ同じである。古墳の型式としては、
>ホケノ山古墳は竪穴式石室ではないので、箸墓よりは古い要素を残しているが、築造年代については、
>小型丸型土器が出ているので、布留式の中で考えなければならない。
>
>結論的にいうと、箸墓もホケノ山古墳も布留式の古い時期(布留1式)の前期古墳であり、これより古くはできない。


http://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
> ■ ホケノ山古墳の年代
>
> 石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の小型丸底土器が
> 出土したことを述べている。
> 小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
>
> ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、それよりも新しい布留T式土器が出土したことになるので、
> 考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は布留T式の時代と言うことになる。
> 石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
>
> 報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちてきたのではないかと、
> 苦し紛れに書いている。
>
> これについて橿原考古学研究所の関川尚好氏に問い合わせたら「そんな馬鹿なことは絶対にありません。」ということであった。
>
> また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)のついた銅鏃が出土したことも述べている。
> このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、前期古墳の後半で布留T式以降と考えられている。
>
> 箟被(のかつぎ)つきの銅鏃が発見されたことにより、発掘当初から、ホケノ山古墳は新しいのではないかと見る専門家もいて
> 問題になっていた。

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