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【歴史】西本願寺、朝廷そんたく 大政奉還の際、「慶喜と親密」隠す新資料

1 :泥ン ★:2017/12/05(火) 00:39:32.36 ID:CAP_USER9.net
毎日新聞 2017年12月4日 西部夕刊
https://mainichi.jp/articles/20171204/ddg/041/040/005000c

 浄土真宗本願寺派本山・西本願寺が、1867年の大政奉還の際、将軍・徳川慶喜への対応に苦慮したことを示す記録が京都市下京区の同寺で見つかった。本願寺史料研究所が発表した。権力が移った朝廷側をおもんぱかり、慶喜と親密と見られないよう指示した記述があり、専門家は「当時の政治状況を生々しく伝える貴重な資料だ」としている。研究所が資料整理中に複数の文書を発見。慶喜に関する記述は、西本願寺から大坂の直属寺院「津村御坊」(現津村別院)への指示内容などを記した「大坂諸記」にあった。

 慶喜は大政奉還後、武力衝突を避けるため京都・二条城から大坂城に移った。文書は奉還2カ月後の慶応3年12月14日付で、慶喜へのあいさつについて「不取敢、当節柄為御見舞御内々、御品被相調、御使可被相勤候(とりあえず、このような事態なので見舞いとして内々に品をそろえ、お使いを勤められますよう)」と記載。見舞いの手紙を出す際は「従来御懇親之御趣意不相見候趣、心配程克御取計(従来のように親しく交際するような趣意が見えないように心配りの程、取り計らってください)」と指示している。

 西本願寺の門主が慶喜を接待した記録が残るなど両者は従来親しかったとみられ、大喜(だいき)直彦・上級研究員は「朝廷などから親しいと見られれば西本願寺が不利な立場になりかねないという思惑が透けてみえる」と話す。【宮川佐知子】

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