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【岡山】旧日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」約70年ぶり帰国
- 731 :名無しさん@1周年:2017/12/03(日) 17:23:04.74 ID:d/fAaFKr0.net
- >>718
五式戦いいですよね゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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生野大尉が「飛燕」戦闘機から五式戦闘機に乗り替えた昭和20年5月のことだ。
B29の迎撃戦の帰り、厚木上空で米軍戦闘機P51「ムスタング」の8機編隊が南に向かうのを発見した。
P51は、第二次大戦中、“最強の戦闘機”と賞賛された戦闘機だ。生野大尉は、
「帰る前にひとつ攻撃しようと思って」わずか1機で敵編隊の下に潜り攻撃を試みる。
ところがその瞬間、敵編隊の先頭4機が空になった増槽(長距離を飛ぶために追加する燃料タンク)を
捨てて身軽になり、旋回を始めた。戦闘開始の合図だ。気づかれたとわかった生野大尉は自機を旋回させて射撃。
ところが、一撃しただけで弾切れになるという非常事態に陥った。その状態で8対1という格闘戦を行ないながら、
見事に敵の攻撃をかわして帰還したのである。生野氏は言う。
「P51は確かに速度がありましたね。だけどそれだけではね。空中戦の技量、テクニックがなければだめなんです」
かつて雑誌のインタビューにて、P51に墜とされる不安はなかったかと聞かれた生野氏は、
「ないですね。もう絶対に自信があった」と答えている。あとで機体を確認したところ、
このときの戦闘で24発も被弾していたとのことで、その胆力には恐れ入る。
http://www.news-postseven.com/archives/20150530_325273.html
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