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【東京】「タイヤに人が挟まって…」警官20メートル引きずり友人はねる 歌舞伎町で職質中に急発進 友人死亡 30代の男逮捕 ★2

782 :名無しさん@1周年:2017/08/20(日) 06:07:39.97 ID:ZeDHgMxA0.net
>>717

大宮も福岡も東北から凄いのが集まったようですw




福岡県に多いのは、東北地方の蝦夷を移配して太宰府のある重要な
土地の警備をさせたことによるのではないかとする考察があった。
「どういう意味かわかりませんが、私たちの部落は『フシュ』と呼ばれていました」。
田川市川宮の汐井川町で生まれた木下姓の女性の発言。

「フシュ」は東北地方から移配された蝦夷の「俘囚(ふしゅう)」からか。
『稿本明治前期福岡県町村字名分類索引 9(筑前篇 5)』には宮若市金丸の
小字として向浮州の記載がある。

フリガナはムカイノフシュウ。

伝承によると、福岡市の千代部落は黒田藩主によって姫路から
連れて来られた皮なめし工の集落に起源を持つ。

中間市には寿町や浄花町など同和地区が5ヶ所あり、このうち最も一番人口の多い
のが寿町で約600人。この地区以外は、約70人、50人、40人、30人となっている。

かつて「泥棒部落」として知られた川崎町には同和地区が13ヶ所あり、1975年6月
当時、世帯数で約1600戸、人口で約4800人を数えた。1971年4月21日に青森県警
に逮捕された瀬川徳次郎は通称「藤ケ瀬グループ」の頭領であり、藤ケ瀬は現在の
川崎町田原西田原に属する(1882年頃の段階では、大字田原と大字池尻のそれぞ
れに小字「藤ケ瀬」があった)。伝承によると、藤ケ瀬グループは明治時代中期に大
分県の山奥から移り住んだ竹細工師の子孫といわれ、茶筅系の穢多、もしくは山窩
の系譜に連なることを窺わせる。開祖の苗字は三種類ある(『実録泥棒大家族』には
谷川、原中、馬上とあるが241頁によると全て仮名である。現地に多い苗字には山野
、岸野、原などがあるが、前記の仮名がそれぞれどれに対応しているのかは不明)。

また開祖のひとり富田銀三の本籍地は大分市勢家170であり、やはり部落である。
1928年ごろ現地で刑事をしていた柴田長男は、福岡県警の記録にこう記している。

この泥棒部落では、180戸のうちスリ万引の前歴者123名、前科合計310犯を数え、
年商2億円といわれた。因みに、大分県別府市で山窩の部落が焼き払われた的ケ
浜事件(1922年)の被害者の一人は瀬川姓で本籍は福岡県田川郡田川町(現・福
岡県田川市)だったが、瀬川徳次郎の一族かどうかは不明である。『読売新聞』1971
年4月23日付朝刊によると、藤ケ瀬グループは「明治末期以来、世襲的に"家業"と
して万引きを続けている」という。同記事によると、指名手配犯の氏名は山野誠治、
林秀夫、田中安吉、田中菊春、田中芳子、早田義則、坂口秀人、宮本勝次、田中春
行、大谷博文であり、田中姓が最多である。田川水平社結成時の田川郡川崎町に
おける参加者の姓も大森、田中(2人)、中野、西川、政時(まさとき。福岡県が最多
の稀姓)、矢野であり田中姓が最多である。山野姓は部落解放同盟池尻支部初代
支部長にもあり、上杉佐一郎の妻(部落出身)も旧姓は山野であり、福岡県内では
田川郡川崎町川崎に最多である。田川郡川崎町田原にも多い。

1972年12月、『女性自身』が「ドロボウ村の獄中・犯行中・更生中の親と子供たち」

という記事を掲載した時は、西田原部落の住民が出版社に抗議すると共に、「子供た
ちの幸せのためにも泥棒をやめること」「学習会を持つこと」を決め、この学習会を通
じて部落解放同盟西田原支部に加入する者も出た。
https://xn--dkrxs6lh1g.com/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C

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