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【日航機墜落32年】「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」 小6次男しのぶ両親 ★3

775 :名無しさん@1周年:2017/08/13(日) 23:29:38.89 ID:Uqzs8o5M0.net
>>720
>なぜ?帰還しようとしなかったのか?
>あの場所からなら横田に着陸出来た。

>>424>>432>>434にあるように、実際に現役パイロットが行った検証の分析記事を見る限り、
機長は全力を尽くしたが、どうやっても墜落を避けることは不可能だったろう。
机上の空論ではなんとでも言えるだろうが。
以下の記事の抜粋を読んでみたら?

>生還は可能だったか

 復元データを元に実際に飛行機を制御して空港まで戻れたかを検証したのが、全日空機長だった高野開さん(78)だ。当時は新型機試験などを行うセクションに勤務しており、フライトシミュレーターによる再現実験を事故調から依頼された。
この実験の担当を日本航空も望んだが、調査の中立性に配慮した事故調側は全日空を選んだ。

 実はこの再現実験に先立つ事故3日後の8月15日に、川幡さんは別の検証実験に取り組んでいた。尾翼には、飛行姿勢を安定させるとともに、方向を変える重要な役割がある。
「尾翼を失っても帰還は可能だったのか」という質問が政府などから出るのを想定し、NALにあるVSRA機(飛行特性を変えられる飛行機)を「尾翼が50%失われた」という条件にして、
相模湾上空で実際にテスト飛行を実施していたのだ。結果は、参加した2人のテストパイロットは全く操縦できなかった。

 フライトシミュレーターによる再現実験では、NTSBからボーイング社のテストパイロットも派遣され、プログラムも飛行特性を変えた5種類が作られた。
高野さんは最も123便の飛行特性に近いと思われる1種類のプログラムを選び、ボーイング社のパイロットと共に約1カ月間さまざまな操縦法を試した。

 最初は、意に反して同じ場所を旋回したり、宙返りに近い姿勢に入ったりして「墜落」を繰り返した。だが、油圧系統を喪失した場合も電気で動かせるフラップ(着陸時などにおろす羽根)を使ったり、
左右のエンジン推力に5%以内の幅で差をつけたりすると、方向変更などはある程度可能になると分かってきた。123便でも最終段階ではフラップを使った制御を試みていた。

 川幡さんもこの試験を見学した。前日「墜落」したボーイング社のパイロットが翌日、ジャンボ機の主翼に4基備わったエンジンを、外側の2基を止めて内側2基で操縦しているのを見て、
「空力的に推力を中心線近くに集めれば、操縦の特性はよくなる」と感心した。高野さんは「ボーイング社のパイロットは、操縦を終えるごとに本社の技術陣に連絡してアドバイスを受けていたと思う。
生存可能性が出れば、パイロットミスの部分が強調でき、補償交渉にも影響を与えられるという計算もあったかもしれない」と振り返る。

 シミュレーション実験では、最終的には相模湾への「海面着水」には成功した。だが、飛行速度は全く制御できず、時速180ノット(約330キロ)で海面に突っ込む結果に終わった。
「その速度ではコンクリートに突っ込むのと同じで、搭乗した人間の生存可能性は厳しいものになるだろう」(高野さん)。尾翼が壊れた状態で、安定性を維持しながら速度まで制御するのは不可能だった。

 その後、高野さんは全日空のジャンボ機パイロット8人をシミュレーターに乗せ、123便と同じ状況で操縦できるかも試みた。8人は飛行時間が異なるよう新人からベテランまでを選んだ。
目的は告げなかったが、全員が123便の検証と気づいていた。実験では、全員がエンジン出力を調整するなどして飛行制御を図ったが、急激な出力変化によりバランスを崩し、宙返りに近い状態などに陥って「墜落」した。

 高野さんは判断した。「予測して臨んでも制御できないのに、何が起きたか知らなかった123便のクルーが機体を制御するのは不可能だったといわざるを得ない」。
ボーイング社のパイロットも操縦の困難さに同意せざるを得なかった。事故調は「123便の飛行は制御できなかった」と結論づけ、NTSB、ボーイング社も受け入れた。

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