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【歴史】新選組や会津藩士の動向を記録した豪農の日記が発見される 蛤御門の変「鉄砲打合」―京都

1 :シャチ ★:2017/07/18(火) 21:58:54.84 ID:CAP_USER9.net
7/18(火) 21:08配信 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000137-jij-soci
 幕末の1864年に京都で長州藩と薩摩・会津両藩が戦った「蛤御門の変(禁門の変)」の頃、
新選組や会津藩士の動向を記録した豪農の日記が発見された。

 新選組の宿営地や出陣状況、当時の京都近郊の村の様子などが書かれている。
国登録有形文化財の長谷川家住宅(京都市南区)を管理する財団が18日、発表した。

 日記は幕末の豪農、長谷川家当主が1871年に亡くなるまで27年間の出来事を記録している。
2015年に発見され、京都女子大非常勤講師の中村武生氏が調査した。

 日記によると、元治元(1864)年6月、長州勢から御所を警護するため、
京都の南の玄関口に当たる旧東九条村に展開した会津藩士と新選組が、
長谷川家と村内の農家に1カ月ほど滞在した。

 日記には「会津様御下宿」「壬生浪士組御下宿」などと書かれ、村内の寺や農家が滞在先になったことや、
混雑で村の行事が中止されたことが記録されている。
蛤御門の変が起きた同年7月19日の項には「新選組立向ひ鉄砲打合」など、
村内で長州勢と戦った様子も記されていた。 

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