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【鹿児島】鹿屋特攻隊員が、最後に機内で食べた菓子 海軍御用達の老舗が再現「彼らが最後に口にした菓子を遺族も味わって」 ★3

355 :名無しさん@1周年:2017/06/09(金) 08:23:17.74 ID:ANdE80rz0.net
>>337
>>349
全ての事例において、 連合軍の戦死者 1 名に対して
2〜3 名の兵士が負傷のため戦列を離れその多くが生涯残る障害を負った。
ルソン島と沖縄ではアメリカ軍戦闘要員の約 50%が死傷したのである。
硫黄島では、アメリカ軍死傷者の総計が日本軍のそれを上回っていた。
こうした死傷者の規模と比率は重要であった。
なぜなら、1944 年後半以降、日本 軍の戦略策定者たちは、
どれほど一方的な戦いで国民に重い代償を課すとしても、
人員 1 名の損失と引き換えにアメリカ人の意志を打ち砕くという新しい戦略を研究していたからである。
彼らの狙いは、アメリカ政府に、天皇制と国体の護持、
さらにおそらく一部の海外領土の領有を認める条件付き和平を受け入れさせることであった。
この戦略を実現するには、アメリカが日本に侵攻し、信じがたいほどの大損害を蒙って攻撃が頓挫し、
一方日本は継戦能力を誇示する、ということが必要であった。

http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf

日本軍の米軍に出血を強いる“新しい戦術”は結果的に最低限の『国体の護持』に成功した
しかし東西で一方的惨敗だった陸軍国(笑)ナチには何も残らず、ベルリン娘らはイワンの性の餌食となった

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