2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【福岡】識者「邪馬台国の時代のクニがあった可能」 弥生時代後期の装飾品、国内3例目「連玉」22点出土…久留米・高三潴遺跡

1 :彈 ★:2017/02/17(金) 23:03:28.33 ID:CAP_USER9.net
福岡県久留米市の「高三潴遺跡」から出土した連玉
http://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20170217/201702170003_000.jpg

 久留米市は16日、同市三潴町の高三潴遺跡から弥生時代後期(約2000〜1800年前)の装飾品「連玉(れんだま)」が出土したと発表した。
弥生時代の出土は糸島市で2例あり、全国で3例目となる。専門家によると、邪馬台国の時代の小国が存在した可能性があるという。

 連玉は鉛を混ぜたガラス製で、直径約4ミリの球を厚さ1〜1・5ミリにつぶして連ねた形。
2015年6〜10月の調査で発掘された甕棺(かめかん)内部で計22点が見つかった。
中は直径1、2ミリの空洞で、糸を通し首飾りなどとして使われたとみられる。風化し白くなっているが、緑色だったと推定されている。

 糸島市では、当時の大国・伊都国の王や高い階層の人物の墓とみられる平原、井原ヤリミゾ遺跡から出土。
今回の発見は大規模集落があったと考えられる三潴地方と、大陸への窓口・糸島地方との交流をうかがわせる。
埋葬されたのは有力者と考えられるという。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「出土が希少な連玉が見つかったことは、
高三潴が伊都国ほどではないものの国として存在したことの裏付けではないか」と話している。【上田泰嗣】

http://mainichi.jp/articles/20170217/ddl/k40/040/479000c

 福岡県久留米市は16日、「高三潴遺跡」(同市三潴町高三潴)の弥生時代後期(1〜2世紀)の甕棺(かめかん)墓から、
小さな玉を蛇腹状に連結した装飾品「連玉(れんだま)」が出土したと発表した。国内3例目で最古級とみられるという。
連玉は「伊都国」の王墓もしくは王族クラスの墓とみられる同県糸島市の2遺跡からしか発見されておらず、
識者は「相当な権力者が存在していたと考えられる」としている。

 久留米市文化財保護課によると、2015年6月から10月にかけて発掘調査をした。
連玉は直径4ミリの鉛ガラス製で計22点。表面は白色だが本来は緑色だったとみられる。
長さが1・5ミリ程度のガラス玉を溶かして複数接着しており、
糸島市の井原(いわら)鑓溝(やりみぞ)遺跡の甕棺墓で見つかったものと似ているという。
高三潴遺跡の甕棺内には多量の赤色顔料やガラス小玉もあった。

 高三潴遺跡ではこれまでに、小銅鐸(どうたく)などの青銅器が見つかっており、有力者が存在していたと考えられていた。
西谷正九州大名誉教授は「これまで連玉が見つかった平原遺跡(糸島市)は伊都国の王墓だというのが定説。
伊都国ほどの規模ではないだろうが、三潴にもクニが存在していた可能性がある」と話している。

=2017/02/17付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/308593

2 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:04:15.50 ID:wt0x0Xt00.net
そんなもん
あったかのう

3 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:04:15.86 ID:2BDFDHom0.net
何がクニだよ
クンニしろオラァ

4 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:04:47.01 ID:g3T0vZor0.net
そうかのう

5 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:05:02.93 ID:Mt/Vl/Fd0.net
>>3
同じことを書きにきたw

6 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:06:09.07 ID:IJkp+GHD0.net
セイ!セイ!セイ!セイ!

7 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:06:20.92 ID:UewL7ZV40.net
これか・・
ttp://livedoor.blogimg.jp/doles/imgs/2/4/24806028.jpg

8 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:06:37.58 ID:MKFT+ikF0.net
日本語でお願いします

9 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:07:09.62 ID:RkEmGGMZ0.net
>>7
それだわ・・・間違いない・・・

10 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:07:24.95 ID:8/YN8+Jb0.net
日本人に聞けよ。

11 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:07:42.87 ID:+d5dQ6Qz0.net
ニクに見えた

12 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:08:01.18 ID:4arvkZ7N0.net
中国の歴史書で、単なる水行は河川交通で、それが海上交通を意味する例は1つもありません。
海を行くときは、必ず文には「海」と明示します。

これで、九州であることが明らかな不弥国から南へ河川交通を利用してたどり着く邪馬台国は、
九州島内であることは明らかです。

★畿内説論者が、海を水行する例として出てきた文

>沢散王属大秦、其治在海中央。北至驢分、水行半歳、風疾時一月到。最与安息安谷城相近。(魏志注魏略西域)
「海」の明示あり

>赤土国、扶南之別種也。在南海中、水行百余日而達所都。土色多赤、因以為号。(隋書南蛮)
「海」あり

>流求国、居海島之中,当建安郡東、水行五日而至。(隋書東夷)
「海」の明示あり

>注輦国東距海五里、西至天竺千五百里、南至羅蘭二千五百里、北至頓田三千里。
>自古不通中国、水行至広州約四十一万一千四百里。(宋史外国)
>(※数字からして明らかに海)
「海」の明示あり

>佛逝国東水行四五日、至訶陵国。(新唐諸蛮)
>(※シュリヴィジャヤから東なので当然ながら海)

これだけないように省いてるけど、実は、
「又五日行至海^、蕃人謂之質、南北百里、北岸則羅越国、南岸則佛逝国、佛逝国東水行四五日」で、
「海」の明示あり

13 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:08:12.61 ID:d29SAHKY0.net
九州王朝説ですね

14 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:08:49.34 ID:4arvkZ7N0.net
93 名前:日本@名無史さん [sage] :2016/03/19(土) 17:37:58.37
10 遥か南に広がる倭の世界

 筑紫平野から入ってくる情報は筑後川流域が含まれた可能性が極めて高い事がわかります。筑後川
を挟んだ南北には支流も多く、玄界灘と有明海の移動は竹で組んだ筏で川を移動した可能性を考慮す
ると、御笠川と宝満川(筑後川支流)によってほぼ陸を歩く必要はありません。
 また筑後川は東西にも長く伸びており、現在でも日田では三隈川、玖珠では玖珠川と名前を変え続
いています。三隈川と玖珠川は、やはり山国川・駅館川の上流と接近し周防灘(すおうなだ)と接近
しています。
 つまり玄界灘と有明海そして周防灘は、筏か船かを使い川を移動してよいという条件付であれば、
ほとんど川の移動だけでつながっているのです。もちろん、かなりの重量の荷物も簡単に運ぶ事がで
きました。
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/a10_minami_hirogaru/photo/minami_sekai.jpg
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/a10_minami_hirogaru/a10_minami_hirogaru.html

15 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:09:18.20 ID:4arvkZ7N0.net
畿内説には説明できない弱点が多いのですが、
その中でも以下の3点は決定的です。

・邪馬台国のライバル国である南の狗奴国の説明
・東の海を渡った所にさらに倭種の国
・邪馬台国に属する国は30ヶ国

畿内説邪馬台国は畿内から九州までを含む全域を支配しているのに、
そのような大国に対抗できるライバル国が存在するのでしょうか。
また、東の海を渡るとはどこの海を指しているのでしょうか。
さらに、伊都国、奴国、不弥国と現代の市町村レベルサイズで
既に5-6ヶ国の記載があるのに、西日本全体で30ヶ国を想定するのは無理です。

それが九州説であれば、狗奴国は熊本の事、
東の海を渡るとは当然、豊後水道でさらに倭種の国は四国、中国。
邪馬台国が福岡県サイズとすれば、30ヶ国の数は適正。(現代の自治体数)
全てが違和感なくすっきり説明できます。

何より、当時の中国人・日本人が東も南も分からない愚か者の集まり
とするならば、そのような質の低い当時の日本人が、すでに3世紀に
西日本全域を支配している国家を形成していたと信じる方が支離滅裂なことだと思います。

16 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:09:53.96 ID:4arvkZ7N0.net
名前:日本@名無史さん [sage] :2016/03/28(月) 23:34:32.77

卑弥呼の墓が前方後円墳ということはない。絶対にない。
まず、その墓は径100余歩とされており、円墳と考えられること、
次に、倭国の墓は棺はあっても、槨はないとされていること。
郭のない前方後円墳はあるだろうか。卑弥呼の墓は粗末なものなのである。
張政は卑弥呼の死後までおり、その後に書かれた魏志倭人伝には卑弥呼の墓の記述もあるが、
倭の墓には槨がないと述べており、卑弥呼の墓だけ特別とは考えられない。

>朱丹塗其身體如中國用粉也
顔に赤い粉を塗っていること。文脈から、これは男女を問わない。
顔が赤い者は畿内では猿扱い、すなわち非人とされているが(埴輪)、宮崎県、鹿児島県では違った。

徳島県の犬山天神古墳からは、顔の赤い女酋長が見つかっている。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国の東の海の向こう、すなわち四国には倭種がいた。
同じような種族であり、それはやはり顔が赤く、墓には槨がなかった。

なお、犬山天神山古墳も、油津、串間市西方同様、海に突き出る土地だったことも見逃せない。
(埋め立て前の地図による)

隼人の墓は、目ぼしい円墳、特に台与がいた油津周辺の円墳が暴かれたため、邪馬台国の有力者たち
が止むを得ず掘ったものなのである。
その時代においても、顔に朱を塗る習慣は残っていた。

地下式横穴墓が多く出る地域に★を振った。
(西都原は無視して結構。油津と串間市は台与、卑弥呼の居処として★を振った。)
http://i.imgur.com/XXMRo4Q.jpg
また、東西南北は夏至の日の出を基準としているという有力な説があるとのことで、
この地図は、それに合わせてやや傾けてある。

地下式横穴墓が、邪馬台国の軍団のいた地域であり、明らかに都城付近を中心に、熊本を攻め、
油津から串間の海岸を守る配置になっている。

17 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:10:24.75 ID:dRDUrcM20.net
>>7
ジャストミート!

18 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:11:17.72 ID:Zvp827Q70.net
往生際が悪いの〜こっちには卑弥呼の墓があのに

19 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:11:50.25 ID:hkYZWCNY0.net
魏に派遣された難升米=雉の鳴女の故国がここ(躬臣国)ですよ。

20 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:11:53.88 ID:Nq3zu8/80.net
こうさんいのしし?

21 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:12:36.94 ID:e4gtWwXN0.net
どうしても邪馬台国を九州にしたい輩がいるな

22 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:14:16.69 ID:Hfe4fFgW0.net
>鉛を混ぜたガラス製

2000年前のクリスタルガラス?

23 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:16:29.44 ID:d3toQlC40.net
どうでもいいよ

24 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:17:39.91 ID:j078vIfDO.net
邪馬台国は畿内ちゃうん

25 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:21:05.47 ID:xSRuGSOc0.net
クンニと誤読した俺は、もう駄目なのかもしれないと思ったが、そうでもないようだとスレを見て。

26 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:22:01.52 ID:t/++hhAW0.net
邪馬台国は九州にあった東征して大和へ

27 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:22:22.81 ID:rOuGFRty0.net
二世紀の墓だけでwwwww
纏向の足下にも及ばない。
こんなんでいちいち邪馬台国出してると九州説の説得力が無くなる。
この記者は間違いなく近畿説支持者だ。

28 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:24:18.15 ID:sL8VzJ/L0.net
箸墓古墳の遺物を放射性炭素測定したら卑弥呼の時代と一致した。

29 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:25:04.30 ID:+awH/PXIO.net
>>21
九州に有ったんだろう
畿内に有ったとするより整合性が有るからな
畿内に邪馬台国が有ったとするなら、もう既に東日本に及ぶ地域を邪馬台国が支配していた事になる
そんな荒唐無稽な話を信じられるかよ

30 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:25:28.46 ID:SEuFjcQ2O.net
>>7
これ思い出すからカタカナ表記やめて本当

31 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:25:46.30 ID:sL8VzJ/L0.net
箸墓古墳に埋納されている土器を調べたら庄内式土器だった。

32 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:25:53.62 ID:63sGynaF0.net
昔は海岸線が今よりずっと山側にあった
その事を無視した議論が多いと思う

33 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:26:15.19 ID:rOuGFRty0.net
>>19 躬臣国←仮名を振ってみ。

34 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:27:32.12 ID:KDIH8ZleO.net
放射性炭素測定はスタップ臭すんだよなぁ
マキムク関連は産経ばっかだしさ

35 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:27:34.39 ID:LFJrPlJj0.net
縄文人追いやった弥生人きらい

36 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:30:22.05 ID:rOuGFRty0.net
>>35 あほな先生から学んだんだね。追い出されてないよ、流行が替わっただけ。
和服を今の日本人は殆ど着ないけど、洋服着ても日本人でしょ。

37 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:31:09.09 ID:sL8VzJ/L0.net
箸墓古墳に隣接する黒塚古墳から魏より卑弥呼に贈られた「黄幢」が出土した。

38 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:33:25.15 ID:PIaB7RSh0.net
また無駄な邪馬台国論争が始まるなw

もう徳島説か徳之島説でいいやw

39 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:33:30.13 ID:0fYtkZcm0.net
天にまします 我らの父よ 願わくばみなを
あがめさせたまえ みくにをきたらせたまえ
みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日もあたえたまえ 我らを
試みにあわせず悪より救い出したまえ 我らに
罪を犯すものを我らが許すごとく我らの罪を
も許し給え 国と力と栄えとは限りなく汝のもの
なればなり アーメン
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(
閉店後、同列系統サンメリー)に
天罰あらぬ事を
(全バージョン転載可)
創価学会の行っている非人道行為が
なくなりますように悔い改めよ創価学会
海外の政府の方 日本の闇を暴くのだ
日本では俗称 集団ストーカーなるものが
行われている
ドトールコーヒーは創価学会だ
倫理もなし タックスヘイブン 創価学会
不幸が起こって創価を信じると収まる 野蛮人のやるような行為 だれか英訳して海外掲示板に貼ってくれ
創価学会脱会方法 http://park5.wakwak.com/~soka/dakkai.htm
人間やめますか 創価学会やめますか
TBS 川田アナ自殺 ネットで調べてみな
創価学会 お前らは地獄に落ちろ
ドトールコーヒーが何も法的措置を
取らないのは事実だからです
赤羽は大松あきらのポスターで一杯
yっgtyhtっっghyt

40 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:35:31.45 ID:sL8VzJ/L0.net
箸墓古墳に隣接する下池山古墳から卑弥呼が魏に贈った「班布」と同じ絹製品が出土した。

41 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:36:04.72 ID:Kf/EPXPs0.net
素朴な疑問。中国の使者ってさ、当時の日本語を話せたの? 当時の日本には
もう漢字ってあったの? もし無かったなら、卑弥呼って音を当て字にしただ
けじゃないの? 日の巫女っていう役職だったんじゃないの?

42 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:36:30.40 ID:jVtVzTnX0.net
邪馬台国なんて絶対に無い
3世紀には既に帝がおられた

43 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:36:47.85 ID:qZHz0jwq0.net
なに連玉って?
アナルパールの事?

44 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:37:13.98 ID:sL8VzJ/L0.net
魏使倭人伝の行程を正確にたどると南大東島沖の太平洋にドボン!である。

45 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:37:24.55 ID:yltdxCD10.net
>三潴にもクニが存在していた可能性がある
クニが存在というか、
このあたりの旧名は妻=投馬でしょ魏志倭人伝でいうところの。
つまり、投馬国

46 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:38:51.97 ID:sL8VzJ/L0.net
伊都国と奴国の距離は100里、測定したら短里がウソだとバレてしまった。

47 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:39:38.40 ID:BnDQJ87i0.net
何がクニだよ
クンニしろオラァァァ

48 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:39:42.33 ID:py7/vfl20.net
福岡市で生まれて育った。

別に邪馬台国が九州福岡でなくてもよい。
ただ弥生時代の頃から、ここで文明が育っていたという事実があればいい。

100年後も邪馬台国がどこにあったかなんて判明していないでしょ?
ならば、太古の昔から自分が生まれ育ったところが栄えていたというだけで嬉しい。

49 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:39:59.35 ID:sL8VzJ/L0.net
中国の歴史学者に放射説を笑われた。

50 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:42:04.84 ID:sL8VzJ/L0.net
九州北部に邪馬台国の勢力圏、戸数20万戸・人口100万人は入らない。

51 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:42:23.48 ID:nOXtqfhm0.net
>>3
くっそ

52 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:42:27.68 ID:u17l50ku0.net
人口的に有明海沿岸の平野以外は考え難いしな。

53 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:44:07.90 ID:sL8VzJ/L0.net
世界文化遺産の沖島には九州産の遺物が1個もない。

54 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:44:58.63 ID:sL8VzJ/L0.net
纒向遺跡から卑弥呼の神殿が出土した。

55 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:45:40.91 ID:34WXWEjx0.net
変態新聞か 全部嘘だな

56 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:45:42.60 ID:yEQVKoe20.net
ワイヌ人(´・ω・`)

57 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:46:32.70 ID:sL8VzJ/L0.net
奈良県の人に「高天原はどこですか?」と尋ねると「葛城山です」と答える。

58 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:47:31.98 ID:hkYZWCNY0.net
>>33
躬臣国=クジ国。
文句あるなら何か言うてみ。

59 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:47:32.25 ID:sL8VzJ/L0.net
古墳時代の皇后に九州出身者は1人もいない。

60 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:48:38.78 ID:sL8VzJ/L0.net
九州には宮内庁治定の古墳が1個もない。

61 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:49:30.22 ID:sL8VzJ/L0.net
九州には古墳時代最初期の古墳が1個もない。

62 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:50:49.80 ID:sL8VzJ/L0.net
古墳には「槨」と言うが九州の埋葬方法は「甕棺」である。

63 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:52:14.17 ID:sL8VzJ/L0.net
古墳には「水銀朱」と言うが九州のは汚い「ベンガラ」である。

64 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:52:43.05 ID:QiJjnGDN0.net
弥生時代からクンニは存在していたのであろうか?
非常に興味深い事柄である

65 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:53:10.21 ID:sL8VzJ/L0.net
卑弥呼の時代には吉野ヶ里遺跡は衰退していた。

66 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:53:14.90 ID:mDkP0C5u0.net
なんで皆、魏史倭人伝ばかりああだこうだ言うのかね。
他の中国の文献に倭国と日本は別の国で、倭国の真ん中に大きな火山があったってハッキリ書いてあるのにさ。

67 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:53:35.18 ID:XbmrE1wl0.net
男: ヒコ(日子)  ・ヒミコ(日御子)
女: ヒメコ(日女子)・ヒメミコ(日女御子)

卑弥呼 = 日女子 (or 日御子)

68 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:53:39.85 ID:V4KH4dqV0.net
どうしてエレクチオンしないのよー!

69 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:54:28.31 ID:sL8VzJ/L0.net
鉄器で武装した九州は青銅器で武装した畿内に敗北した。

70 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:55:37.05 ID:sL8VzJ/L0.net
中国の洛陽近郊から三角縁神獣鏡が出土した。

71 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:56:55.20 ID:r8MoTlcX0.net
>>7
これが貼られたのをきっかけに漫画喫茶で全巻読んだ。
ラスト手前までは結構楽しんで読めたが、とんだ糞漫画だったわ

72 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:57:22.96 ID:sL8VzJ/L0.net
三角縁神獣鏡を光加速器「SPring−8」で分析したら中国製だった。

73 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:57:32.97 ID:nDY5rHVC0.net
この頃の 天皇家は大王家の一つに過ぎない存在

74 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:57:39.09 ID:IuuXGNFA0.net
このスレは近畿全然関係ないのにw
アスペなの?www

75 :名無しさん@1周年:2017/02/17(金) 23:59:27.92 ID:UqQ5HAIk0.net
というか卑弥呼の前の時代に那国が福岡にあって漢の倭の那国王の金印貰ってるんだから福岡周辺で決定でしょ

76 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:01:21.60 ID:h+jdT1wS0.net
任那日本府が存在したことがいよいよ現実味を帯びてきたな

77 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:02:29.72 ID:7cHj98IL0.net
なぜ国と書かん

78 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:03:22.62 ID:POwjiPNX0.net
福岡県の桂川町にある王塚古墳周辺あたりに存在したのだと思う。
以外と王塚古墳の直下に卑弥呼の墓があったりしてな。

79 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:03:37.95 ID:Uss1TZO50.net
吉野ケ里と邪馬台国は何の関係もないのに、まるで関連してるみたいに宣伝したのは本当に上手かった
工業団地になる所が、あれだけの設備になったのは凄いけど、あの空調絶対に必要な陵墓は維持できるんだろうか

80 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:07:24.11 ID:Tg5UUFqv0.net
>>66
旧唐書だっけ

81 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:08:56.90 ID:JarXqqZB0.net
>>78
肥後系の装飾古墳文化が博多湾沿岸に根を下ろさず遠賀川流域に勢力を伸ばしているということは
当時の博多湾沿岸には大きな手ごわい勢力があったということでしょう。
王塚古墳の被葬者は博多湾沿岸の国家に戦いを挑み敗れた、もしくはそこへの進出を断念した王でしょう。
この古墳は本当に素晴らしく、この王の治めた国家の文化性の高さをこれでもかと見せつけてきます。
この謎の被葬者、その名も伝わらないこの王には非常に興味をかきたてられます。

82 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:11:08.69 ID:rck7awgY0.net
地殻変動など史学的にどうなのかな
ゴールドジパング諸島とか
奇跡の土玉 埼玉とか、日本を耕すとか
最近、江戸史学とか、リアルを求めて
国際的にも開示が行われてたり

83 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:12:34.36 ID:vCDTYJbA0.net
>>64
弥生時代の女性って、あまり風呂にも入らんかっただろうしな
あそこはものすごいことになっていたような気がするな
それがいいって変わり者が、クンニしてたんじゃないか?

84 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:21:54.29 ID:K9qUKO950.net
もはや九州にあったのは確定で問題は九州のどこにあったのかってことだけでしょ

85 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:29:27.94 ID:XEScx+2Q0.net
倭人伝の記載から考えても邪馬台国は福岡県南部の山門地域にあったと
考えていたよ、当時の人たちは方角だけは絶対に間違うはずが無い訳なので
突き詰めていくと魏使は福岡県南部の山門地域に行ったと考えるのが正しい。

86 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:30:03.71 ID:lU48EwT80.net
俺の先祖はこの時代に生きてる

87 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:31:44.39 ID:IW+Gpy6b0.net
韓国では、飛んでも説が相変わらずひどいけど、最近では、百済の王族が
日向へ移住して、そいつらが神武天皇として東征したという話を言い出してる
その内本当にされちゃうかもな

88 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:33:43.58 ID:IW+Gpy6b0.net
>>75
中国人達が、金印返してくれないかなって本気で議論してる中国のウェイボーには
笑った
その内言い出すかもよ

89 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:34:24.82 ID:sCMdaZW50.net
クンニ かとおもた

90 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:34:46.83 ID:sBE4phwQ0.net
百済の王族なら百済消滅後に長野行ったりしてる

91 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:35:58.76 ID:XEScx+2Q0.net
中国人の性格を知れば分かるが数字を大きく言う性癖が昔からある。
しかし方角に関しては非常に細かい。この事から邪馬台国が九州地方
福岡県南部にあったのは間違いない。邪馬台国は新井白石も唱えているように
福岡県山門郡(現みやま市)にあった訳だよ。あの地域は古墳の宝庫だが
住民がうるさいから簡単に調査は出来ん。

92 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:36:54.03 ID:J20dR+/P0.net
>>0090
詳しく

93 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:36:57.69 ID:MBIZZX4U0.net
>>26
邪馬台国が大和朝廷の前身なら
その存在が抹消されたりしないはず
同じ倭人の国だろうけど系統が違うと思う

94 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:40:03.26 ID:P+TiVHWc0.net
邪馬台国四国説が最近元気ないんだよね 何でもいいから掘り当てろよ

95 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:40:08.13 ID:IW+Gpy6b0.net
>>92
そんな話はどこにでもあるよ
東京の調布の深大寺には、白銅仏があるけど、この本尊は百済の貨幣を鋳つぶして
つくったのではないかと言われている。

96 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:40:38.00 ID:91IRbgIc0.net
最新の学説だとほぼほぼ北部九州らしい

97 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:41:29.61 ID:sBE4phwQ0.net
>>92
仏教伝来の歴史

98 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 00:42:08.63 ID:yHmgrBsT0.net
>>1
谷川健一先生歓喜!

99 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:42:52.81 ID:MkKTmSXn0.net
九州に邪馬台国があるっていってるのはもれなく関東出身の学者なんだってさw
関東にはないのわかってるから九州だと主張してる
とにかく関西が嫌いなんだろうね

100 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:43:17.12 ID:MBIZZX4U0.net
古墳は九州の倭人が畿内や朝鮮半島を侵略し
原住民を奴隷にしてつくらせた
古墳ブームは奴隷の労働力を使い果たして終わった

101 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:43:22.90 ID:e87DnuhM0.net
しょぼ

102 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:43:53.21 ID:ZOa4Obl7O.net
狗奴国が邪馬台国に勝って吸収合併したんだよ

これを記念して九州になったんだ

103 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:44:34.87 ID:gR7OEAyd0.net
ミヌの国

日の巫女様の故郷だった可能性は高い

104 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:45:57.50 ID:DuH/chBe0.net
キーワード:クンニ
抽出レス数:5

まーこんなもんか

105 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:46:07.40 ID:HNljeB3CO.net
>>100
古墳ブームが終わったのは代わりに大伽藍の寺を建てるようになったからだろ。

106 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:49:06.74 ID:xCDWL0Zz0.net
邪馬台国の時代から男達はクンニしてたんだな

107 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 00:50:11.93 ID:yHmgrBsT0.net
日本書紀の水沼君がアップはじめました。

108 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:50:18.85 ID:w6nFDc9v0.net
邪馬台国は筑後にあったことが確定したな

109 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:51:43.48 ID:zCylh2r10.net
初めは九州に有ったがシナ朝鮮の脅威から逃れる為と、本島の真ん中に国を据える
事で日本列島全体を支配する為に東遷した、って事でFA

110 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:52:29.13 ID:S54zeA6L0.net
邪馬台国と同時期に近畿にあった王朝はどうなったん?

111 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:52:50.58 ID:zCylh2r10.net
>>100
奴隷じゃなく公共事業として給料を払ってる
今と同じ

112 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:54:43.54 ID:XDtx5ML50.net
『朝鮮半島産のものとよく似た』の枕詞はつけないのか

113 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 00:56:19.42 ID:xCDWL0Zz0.net
クンニしてたなんてどうやって解ったのだろ?

114 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:00:18.37 ID:JibvFc/p0.net
甕棺(なぜか変換できた)

115 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:03:12.77 ID:s/muqjYP0.net
>>110
邪馬台国と吸収合併じゃないかな。
天皇家の三種の神器って3つの王朝の家宝を持ち寄った物のような気がする。
鏡(邪馬台国)剣(出雲)勾玉(大和)

116 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:08:30.16 ID:A9qLkJpT0.net
邪馬台国はどこでもいいよ。出雲と大和(巻向)の繋がりの方が重要でしょ。

117 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:11:09.59 ID:HHcj3DTA0.net
不確定要素だらけで妄想して歴史を作って
もうええわ

118 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:15:18.60 ID:vetTCA7p0.net
21世紀に邪馬台国かよ、バカじゃね、いい加減にしろい

119 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:17:19.37 ID:SH4hVXOd0.net
>>3
スレのタイトルにもうカタカナ表記だったし これを待ってたんだろスレ建てたヤツ

120 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:18:34.93 ID:ahu7mB6v0.net
北部九州に存在したのは奴国。菜の鼎や那の津などの名称で今でも残っている。
つまり、北部九州には邪馬台国は存在しえません。なんせ、奴国から水行30日陸行1月の場所に存在するのだから。

121 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:19:17.87 ID:05wENPsh0.net
邪馬台国 東久留米説

122 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:32:37.28 ID:wTAe8wFq0.net
>>120
その後に書いてあるいろんな国のことをみれば、
当時の地理感覚をまともに受け入れるのは、どうかなと思う。

123 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:35:55.75 ID:4kSlt/JT0.net
ぼくのかんがえたこだいのにっぽん
識者って言えば信用すると思うな

124 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:37:35.59 ID:keGQsyvI0.net
奴国の居心地がいいんでそこから先は聞きかじりをでまかせで報告したんじゃね?役人が。

125 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:40:40.51 ID:DX3AaHln0.net
埴輪原人全滅だっ

126 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:44:43.96 ID:U85DiMYZ0.net
邪馬台国はその文字に答えがあって、大和国に読み方が近い。

中国が大和なんて呼び方を認めず、日本を馬鹿にして当て字を付けたんだろ。
中国は当時、周辺国を野蛮人とみなし、酷い当て字で呼んでたからな。

とーぜん、大和の国があったとこだよ。

127 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 01:53:32.47 ID:yHmgrBsT0.net
>>126
案外、その語源は「山田」と関係したりしてな。

128 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 01:58:23.31 ID:nYz2tVPz0.net
邪馬台国は畿内説で結論出てるんでしょ

129 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 01:58:33.57 ID:yHmgrBsT0.net
>>127
つまり、

「 YMD に子音の近い何らかの国号」が先にあり、

それが 邪馬台 で推測される音に転訛し、
その一方で 山田 に近い音に転訛した、と考える。

山田というのは実は古くからある言葉で、
たとえば「山田のそほど」という言葉がある。
久延毘古(くえびこ)つまり案山子(かかし)のことで、
蛇(または龍蛇)の信仰と関係するのだろう。

130 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:00:10.55 ID:2GOCKpr70.net
>>128
まさか
邪馬台国は筑紫島の福岡

131 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:05:00.06 ID:czcXQU4x0.net
素直に考えれば九州だわな

132 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:11:34.09 ID:u5EG5zGb0.net
クンニ = クニ

フェラ = ムラ

133 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:18:37.31 ID:SrYmrEPf0.net
この時代のクニ≒村 だからな
そりゃまぁあちこちにあるだろう

134 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:23:22.61 ID:20+qmjBJ0.net
邪馬台国=ヤマト国じゃなかったんか

135 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:25:22.73 ID:2GOCKpr70.net
邪馬壹国だろ
やまいち
やまたいとは読まないなず

136 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:32:35.92 ID:pbrACngT0.net
やっぱり俺も卑弥呼は九州だと思うよ

137 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:33:00.97 ID:L5MukLlM0.net
>4世代100年説<
継体天皇以降の万世一系を否定する人は稀だろうが その継体の治世が6世紀初めだったことはほぼ確定している
その5代前の応神が15代天皇だから継体と神武はほぼ20世代離れていることになる
(名は神武ではないし日向の族長一族だったかも定かではないが20代前の先祖は存在した)
20世代は500年だから 継体の500年前に行なわれた宮崎から奈良への移住は紀元前後
神武天皇はキリストと同じ時代の人だったことになる(100年単位でズレても弥生時代)
ところで応神天皇だが 継体の5代前なら4世紀末ごろの人となり
その200年(8代)前の7代孝霊天皇は2世紀末の人であり 
その娘の倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼と同じ時を生きたと推測できる
箸墓が卑弥呼の墓だと言うのは根拠のない話ではない

138 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:37:35.27 ID:2GOCKpr70.net
中国に残っている古い文献は魏志倭人伝だけではない
そもそも魏志倭人伝は三国志の中の一部
倭国とか倭人は九州と九州人のことだ
ちゃんと文献に残っている

139 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:42:07.05 ID:A6s7beiG0.net
箸墓って卑弥呼の時代とは200年くらい
隔たりがあったのに
いつの間にか、同時代にしてて笑う

140 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:46:33.97 ID:DX3AaHln0.net
卑弥呼のAVって、どこのメーカーから出てたんだっけ

141 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 02:58:15.65 ID:pbrACngT0.net
三国志なんて結構適当に書かれてるからな
しかも倭人についてなんかほんのちょっと書いてあるだけ それを元に考えたらそりゃ行き詰まるよ
地質学とか考古学とかでもっとちゃんと調べてほしい

142 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 03:00:57.55 ID:WMFRvmJ70.net
クンニの人この発言の直後に死んでるんだよね

143 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 03:21:15.69 ID:0NxqfFK1O.net
>>135
ヤマイチとも読まない。
魏の使者が聞いた音の又聞きを当時の魏の発音に当てただけ。

自分達の集団は『ワン』ですって伝えられたアメリカ人が本国で彼等は『ワン』という集団ですって記録する際に『one 』と書いたのを後から日本語で『オネ』と読んでる様なモン。

144 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 03:32:51.80 ID:mrtFHENd0.net
>>3
赤くなれw

145 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 04:08:43.77 ID:4micOp3W0.net
邪馬台国とは言ってない

146 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 04:16:53.98 ID:ENCdpa5k0.net
天孫降臨や神武東征とか考えたらやっぱり九州説だよな

147 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 04:27:43.23 ID:yHmgrBsT0.net
>>143
一人称が「わ」説だね?

われ
わら
わし
わたし
あたし
あっし
あれ
おれ
おら
おい

これらの一人称の元の形か「わ (wa)」に近いとする説。
魏「おまえは何者だ?」
YMD「wa はYMDの国のHMKの使者なり」
魏「wa ・・・・・・なんだって?」
YMD「wa はYMDの国のHMKの使者なり」
魏「おっけー。おまえら今日から wa ね。」

その後。
魏の学者A「wa って漢字どうする?」
学者B「こいつら、大昔の委奴(いど)国のやつらだろ?」
学者A「はぁ?YMD国とかいってなかった?」
学者C「つーか、wa じゃねぇの?」
学者B「なにそれ、マジ意味わかんねー」
学者A「じゃぁいっそのこと、倭ってのはどうだろ?こいつら顔に刺青(←委)してるじゃん。」
学者C「あ!それいいね、矮小なやつらだし、ちょうどええやん」
学者B「委奴国の委にも通ずるし、それでいこう!」

かくして、親魏倭王の印が送られた、ってのはどうだろ?

148 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 04:41:39.08 ID:dWzzXk5G0.net
邪馬台国なんてどうでも良いから箸墓掘って調査しろや

149 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 04:45:26.50 ID:yHmgrBsT0.net
ちなみに俺の仮説によると
八岐大蛇(やまたのおろち)も
本来は YMDの大蛇 だったと考える。
むろん、神話のオリジナルはヒッタイトなどの海外にあり、
日本に伝来したときに、限定用法的に YMD を冠したと考える。

その YMD も 弥+MD と解する、かも?
牟田という地名はたくさんあるし。

150 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 04:54:56.88 ID:YeATxDMf0.net
ヤマタイ国の語源はマルタイラーメン
だから博多がヤマタイが国

151 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 05:08:33.81 ID:XEScx+2Q0.net
俺はヤマタイ国のマルタイラーメンよりも狗奴国の五木食品の棒ラーメンの
方が好き。

152 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 05:19:43.59 ID:cBhFImTG0.net
「れんだま」って小学生の間で新しいブームになりそうな響き

153 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 05:29:00.57 ID:XEScx+2Q0.net
奈良のような狭い地域に七万戸の家は無理、広大な筑後平野なら余裕だな。

154 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 05:40:54.36 ID:sn2TS3CV0.net
>>149
YMD説、面白いですね。
でも、元はYMTだったんじゃないかな?

山戸、山手とか

「田」の字も、本来は「た」としか読まないので、「山田」は「やまた」だったのが、
いつの間にか濁ったのではないかな?
例えば「茨城県」や「茨木市」はどちらも「いばらき」なのに、なぜか「いばらぎ」と読みたくなる、日本語の不思議。

これって、韓国・朝鮮語の影響だと思う。
ハングル文字には濁音と清音の区別がないけど、
発音するときは、2文字の単語の後ろの文字の最初の一音が濁音で発音する規則があるらしい。
日本語でも、「海側」(うみがわ)、「火山」(かざん)など、ハングルの影響がみてとれる。

155 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 06:35:37.21 ID:q39ELj+G0.net
>>71
なんつー漫画?

156 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:28:24.61 ID:HSJnnP5a0.net
>>137
日向をただ宮崎と取るとあぁこの人は知識が足りない人だなと思われるぞ
神武天皇の出身地は阿多つまり鹿児島だ

日向だから宮崎というのは素人
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

ついでに隼人族は大和朝廷に近習として仕え
その名は官職名として後の世まで残っている
だいたい大和朝廷の付けた土蜘蛛という名と隼人という名ではその差歴然

157 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:31:51.05 ID:n0/3jcxp0.net
>>126
当時の日本に漢字で国名を表示する習慣があったと思ってるのか?

158 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:49:26.03 ID:XEScx+2Q0.net
日向というのは「ひゅうが」とは呼ばんよ素直に「ひむか」と呼ぶ
宮崎の事を指している訳では無くて伊都国と奴国の間にある日向峠を
指している、日向峠から伊都国側に下れば有名な平原遺跡や三雲南小路遺跡
などがある伊都国の中心地に辿り着く。

159 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:52:37.50 ID:XEScx+2Q0.net
>>158は間違っていたから以下のように訂正する
日向というのは「ひゅうが」とは呼ばんよ、素直に「ひなた」と呼ぶ
宮崎の事を指している訳では無くて伊都国と奴国の間にある
日向峠(ひなたとうげ)を指している、日向峠から伊都国側に下れば
有名な平原遺跡や三雲南小路遺跡などがある伊都国の中心地に辿り着く

160 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:53:45.06 ID:HSJnnP5a0.net
>>158
日向峠という定点の地名を記紀で記述するわけがないだろ

161 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:56:41.48 ID:/M7kBbmD0.net
九州王朝というのが奈良王権とは別にあったのが証明されたな。纒向出土物は地味。九州北部出土物は絢爛豪華。

162 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 07:59:16.97 ID:jtwwW+Qz0.net
逆に考えよう
奈良や九州は田舎だから遺跡が残ってるだけで
本当の都は別にあったのだと

163 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:01:52.89 ID:keGQsyvI0.net
北九州市の八幡(やはた)も音が似てるが歴史的にはどうなんだろ。

164 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:03:54.14 ID:/M7kBbmD0.net
九州は欧州各国、大和は米国みたいなもんで強大な軍備と経済力で覇権を握ったが洗練された文化は持たなかった。後年三角縁神獣鏡みたいなまがい物を量産して各地に配りまた壺型墳墓を流行らせた

165 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:09:46.92 ID:qKW0ME2+0.net
九州やら畿内やらあっちこっちにクニと称する集落があって、大陸側の使者はめんどくせーからまとめて報告してただけじゃないんだろーか。

166 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:21:25.27 ID:KZsfmp9F0.net
クニというものがよくわからない
何がクニだよ
クンニしろオラァ

167 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:25:14.07 ID:+87UZTkp0.net
>>163
ヤハヴェでしょ
ムーで読んだ

168 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 08:25:16.00 ID:yHmgrBsT0.net
>>154
レスありがと。

そうだね。 YMT が先でも論は成り立つよね。
山門 山都 地名の多さからはみて、YMT が先かも。

静音 濁音 は人名地名でも分布に隔たりがあるよね。
そこからもなにかわかるのかな。

169 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:30:34.82 ID:YYnHnB4S0.net
弥生時代は、東京大学が創った捏造
九州地方のゴミ捨て場から、何が見つかったんだって?

170 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:33:20.45 ID:7dKnskV10.net
>>71
「漂流教室」の基本設定を借りて今風のエロ描写満載でエンタメ路線を目指して頑張っては見たが、
御都合主義のエピソードばかりで破綻を来たし、伏線をほとんど回収しきれず、有耶無耶のまま打ち切りEND。


>>155
「エデンの檻」
http://m-uroko.com/edennoori-netabare/
http://someoneone.blog116.fc2.com/blog-entry-3635.html

171 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:34:29.54 ID:VbWsb+Zt0.net
>>2
ワラタ

172 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 08:36:14.87 ID:yHmgrBsT0.net
YAMATO をど真ん中で分けると
YAM ATO になるよね。

その分け方にはあまり根拠がないのでそれを主張するわけじゃないけど
仮にそう分けた場合、後半に ATO がでてくる。

阿蘇 阿曽 浅間 あたりと関係したりして。
あるいは 阿田 吾田 八咫 などと関係したり?

173 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:38:30.69 ID:HARDS3Ay0.net
あぁ、月読(ツクヨミ)が統治する九州〜朝鮮にかけて存在した月支国(つくしの国)な

174 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:39:42.77 ID:Xcoq2JYKO.net
>>167
ヤプーじゃなかったか?

175 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:39:52.67 ID:6MbpyvSS0.net
福岡は邪馬台国の属国だというのに。(´・ω・`)
支那を通して大陸と交易するための貿易地だから
出土品がバラバラに出てくるのは当然。

176 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:41:39.37 ID:6MbpyvSS0.net
翡翠の装飾品が出土するだけではなwそれだけでは根拠にならんよw

177 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:44:08.42 ID:fUwKI4lm0.net
近畿説で確定て聞いたで

178 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:46:08.72 ID:n0/3jcxp0.net
>>165
畿内にはそんなに数はない
唐古・鍵みたいな巨大環濠集落があって
それが消滅すると
多くの国が点在発展する期間なく
古墳時代が始まって
巨大設備を伴う集落が出来てる

弥生時代後期においては
九州北部は長く小国家が群雄割拠してたのに対し
奈良盆地は争いの影響か環濠を作って集まる傾向があった

179 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:47:53.44 ID:uOk81Uhz0.net
地名を観ると謎が解けるよ

九州の地名が ほぼその位置関係を残したまま

畿内にも 存在してる

つまり 九州ー>大和 に 遷都してる

>>1 遷都前の遺跡が 九州から出てる

180 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:54:05.89 ID:n0/3jcxp0.net
>>175
邪馬台国の時代は九州はもちろん広島山口の辺りも
大和政権の傘下になかったことが確定してる
三角縁神獣鏡を大量に配りだした頃から徐々に傘下になってる
同地域内でどうやって配布したかも分かってきているので

広島以西の西日本各地では既存勢力優勢だったところより
新勢力優勢な地域にまず配布している
つまり配りだした頃はまだ支配下になく
各地域内の対立を利用して支配を進めたと思われる
それにより権力交代があった事も判明してる
岡山ではこういうことがなく
古墳時代当初から友好な関係と考えられる

181 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:56:22.14 ID:HARDS3Ay0.net
>>179
その地名の一致は、首都大和から地方九州に赴任した役人が故郷を思って付けたものだぞw
防人など、古代から北九州は外敵を警戒して派遣されてきた場所

182 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:58:17.76 ID:naxLtkfc0.net
>>119
クニをクニと表記するのはそういう問題じゃない

183 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 08:58:46.61 ID:sTfZTVUr0.net
邪馬台国は文献や伝承的には九州、考古学的には畿内って感じ?
中国が昔に倭国と読んでたのが九州の国群をさして、ヤマトはそれとは別に畿内で発達してた大王権って気がする。
後に九州が畿内の支配下に入って、それを正当化するために神武東征の神話が作られたんだろうと思ってる。

184 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 09:01:02.37 ID:cdmIYU770.net
>>163
ハタは旗だとか言うけど、長崎あたりじゃ凧がハタなんだよね。
肥前国風土記に、筑前の国宗像の郡の人、珂是古が幡(ハタ)を飛ばして
どこに落ちたかで占いをした話が載っている。
ちなみに、これが小郡市の七夕神社の由来なのだった。

185 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:02:30.73 ID:b4MBHRTw0.net
日本を支配していた古代韓国人達の遺物だな。

186 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:07:06.59 ID:U7ra8fa80.net
>>185

それはない。

187 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:08:00.44 ID:UEa9wN7m0.net
>>185
古代韓国人なんて居ない

188 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:10:14.29 ID:SrYmrEPf0.net
>>180
王権がある程度確立した倭の五王の時代には日本国内がある程度安定していてたんだろうな
卑弥呼時代はそのはるか前段階だから、祭祀でむすびついてる緩やかな国家連合だったんだろう

189 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:10:40.24 ID:JFH66J5D0.net
>>185
その通り

ていうか当時大韓は、まあ今でもそうだが世界最新鋭のテクノロジーを持った
地上最強国だし、日本はといえば文明以前の野蛮国なわけだ。
そして国際法も国内法も平和主義の倫理もない以上、何が起こるかなんて知れたことだよな

190 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:10:54.70 ID:keGQsyvI0.net
高三潴(タカミズマ)

191 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:12:28.68 ID:q39ELj+G0.net
>>170
サンキュー

192 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:13:29.88 ID:UEa9wN7m0.net
韓国って呼び名は日清戦争終結以後だろ

193 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 09:15:29.74 ID:cdmIYU770.net
>>190
やっぱり三潴=水沼なのかしらん。
筑後川下流域の沼沢地帯。

魏志倭人伝に出てくる「水行」とは(以下略

194 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:19:38.44 ID:MGMIiEi10.net
九州説を支持したいが、畿内にでかい大和国集落があったという説もとりたいので
九州は大和国の一自治体という説をとりたい 卑弥呼は市役所のおばちゃん

195 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:30:12.63 ID:UEa9wN7m0.net
邪馬台国は島原だよ竹中直人が言ってただろ

196 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 09:33:53.08 ID:yHmgrBsT0.net
>>193
そんでもって節分(追儺)の起源は
三潴(水沼)至近の大善寺玉垂宮の
桜桃沈輪(ゆすらちんりん)伝説まで遡ったりして。

197 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 09:43:35.48 ID:cdmIYU770.net
>>196
そりゃ何ですな? と思って調べたら面白いな。
仁徳の時代と言うのが中途半端で、信憑性があるっぽいw

198 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:44:24.36 ID:4Ce/FAcY0.net
邪馬台国が九州だと、その後近畿が短期間に西日本を征服できたことと整合が取れない

199 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:44:55.18 ID:pVXMausy0.net
>>3
仕事早いなw

200 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:45:36.79 ID:n0/3jcxp0.net
>>189
大韓なんて概念は当時はない
もちろん国もない
当時は魏の配下の楽浪郡、帯方郡が朝鮮半島を支配してた
中国の植民地のようなもの
辰韓、弁韓も中国流民が作った国家
ずっと北部には鮮卑や夫余がいたが
朝鮮半島独自の国である百済との関係が濃くなるのはもっと後の時代

ただし古墳は朝鮮半島の影響を受けた可能性は残る
フラットな視点での研究が待たれるところ

201 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 09:47:10.00 ID:S0Ib99Gz0.net
>>198
はい?w

202 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 10:13:08.35 ID:clH5VTP00.net
使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王とかこれを本当に受けてたら屈辱過ぎる

203 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 10:20:34.74 ID:yHmgrBsT0.net
>>197
敢えて具体的な年代をほのめかすことで
199X年、世界は核の炎につつまれた!みたいな
リアリティがあるやろ?

204 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 10:39:14.59 ID:ms22ABxI0.net
ヤマトは山門で単に山の取次ぎ口の意味

205 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 10:44:37.49 ID:cdmIYU770.net
>>203
なるほど。

さておき、ヤマトタケルや景行天皇や神功皇后なんかの九州征伐や、
継体朝の磐井の乱、それにこの桜桃沈輪やら何やら、
大和王権は執拗に九州を攻めてるよな。

206 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 10:49:16.55 ID:YgFttbLx0.net
>伊都国ほどの規模ではないだろうが

学者が伊都国の規模を推定してる時点で日本の考古学は終わっている。
邪馬台国は九州であり、伊都国は吉野が里でも糸島でもここでも良い。
それが当然の魏志の読み方。

207 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 10:49:42.49 ID:ZhHY0u2b0.net
戦いで死んだ偉いさんから略奪したかもしれんやんか

208 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 10:52:24.43 ID:WxCmTs6i0.net
>>120
地形が今と同じなわけ無いだろ
去年陥没した博多駅周辺だけでも調べてみろ
河口の地形とかぜんぜん違う

>>128
公式に認められた論文は無い
ずっとまえから一部の人間が騒ぎ続けているだけだよ

209 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:10:58.41 ID:nmvJ619s0.net
安倍晋三記念小学校
https://pbs.twimg.com/media/C4nuHucVUAA2YS8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C4nuHucVUAA2YS8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C4nuHucVUAA2YS8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C4nuHucVUAA2YS8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C4nuHucVUAA2YS8.jpg

【実質0円】「森友学園」に9億5300万円の国有地が実質タダで払下げ・・・国費から1億3千万+土地売却額から8億円以上差し引き★20 [無断転載禁止]©2ch.
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1487379165/

210 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:12:15.55 ID:YgFttbLx0.net
大和王権って、なんだよ? こいつ等にとっては
江戸時代以前の日本の宝物は全部朝鮮半島から略奪したものだろwww
日本列島の王権は開闢以来大和朝廷しか無いぞ。

中国の歴史書は日本人は普通に読める訳で
九州平定以降、AD600年までの本土日本人にとっての半島は
四国や北海道と大差ない地域だったってのが理解できるだろ?

350年以降、百済が植民地として開拓された日本の保護国だったのは明瞭だろが。
東亜の標準語は漢字だった訳で、韓国人学者も日本の半韓国人学者も漢字読めよ。

211 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/18(土) 11:18:11.64 ID:yHmgrBsT0.net
>>205
>大和王権は執拗に九州を攻めてるよな。

攻めてるね。それゆえ反抗心をむき出しにした武内宿禰が逆に際立っている。
彼は仲哀天皇の熊襲征伐を阻止し、神話ながらも戦力を半島に向けさせている。
「住吉大社神代記」の記述をそのままに受け止めれば応神以降の皇統は彼の流れをくむ。
また武内宿禰は全国の「高良社」の祭神で、三瀦至近の高良大社も彼の出生にかかわるのかもしれない。

212 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:18:30.41 ID:WxCmTs6i0.net
>>205
九州征伐というより一部地域の暴動鎮圧だろな
ヤマトタケルは熊襲
神宮皇后は熊鷲

熊鷲にいたってはほとんど名前が挙がらないほどだから
九州征伐などというほど大げさではなかったのだろ

213 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:20:22.94 ID:0nSOSNGVO.net
あ…しゅ…ら…

214 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:21:29.22 ID:i5B0K/c70.net
遺跡の場所は当時は沿岸だった辺りだな。
九州南方方面の玄関口として栄えたクニだったかもしれんな。

215 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:23:08.97 ID:aZ0EoOBG0.net
多分久留米近くの浮羽が正解。
昔から卑弥呼の墓と言われている丘があって、長年地主の許可が出なかったけど、
この夏から某大学による発掘作業が始まる。

216 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:28:46.22 ID:i5B0K/c70.net
>>210
>江戸時代以前の日本の宝物は全部朝鮮半島から略奪したものだろwww

保守のふりをしてこういうことを入れてくる破廉恥漢め。

217 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:34:29.22 ID:YgFttbLx0.net
卑弥呼の墓って言うのは倭人伝に記述有るだろ?
九州の滅亡勢力の墓なんて残す必要有るか? 異教徒だしwww

おそらく400年〜500年位の前方後円墳の下になってると思うぞ。
筑紫の君磐井の古墳とかの造成の下だな。

218 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:36:35.53 ID:WnXc3PDH0.net
このクニにはどんなフレンズがすんでいたんだろうね!

219 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 11:56:13.16 ID:SrYmrEPf0.net
>>212
肥前風土記をみると、大和王権と友好関係にある協力的な土蜘蛛と、山賊レベルの敵対的土蜘蛛とかいろいろいたみたいだな
征伐といっても大規模な侵略ではなく、大和王権に地元の友好的な勢力と協力して敵対勢力を服従させた程度の話なんだろう

220 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:05:49.34 ID:ai9LmIs60.net
>>218
そりゃ、美少女のけもの(フライ版)だろw

221 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:13:46.22 ID:0AyGtbcI0.net
>>205
日本書記が書かれている頃、隼人の乱が起きてる

つまり日本書記は『大昔から九州は天皇家の支配下にあった』と言いたいだけ
ほとんど創作だよ
海幸山幸の話も本質はそう

222 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:17:40.68 ID:2/t48K0T0.net
戦後ずっと弥生時代の日本人は土人ですべての文化は朝鮮が教えたと教えられてきたから勘違いしてる人多いけど
当時の日本は後漢の洛陽に200人規模で朝貢するくらいの国力があった
邪馬台国から100年で日本を統一し朝鮮半島南部を支配するくらいの強国に成長

223 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:17:43.59 ID:czcXQU4x0.net
大昔には東日本に人がいて
西日本には人がほとんどいなかったんでしょ

224 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:18:51.15 ID:HSJnnP5a0.net
>>221
しかしそれでは日向神話が南方海洋民族の説話を元にしたということが説明できない

225 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:22:40.60 ID:2/t48K0T0.net
ちなみに魏志倭人伝の南は今の東な
これは魏が倭は呉の東にあると思ってたから朝鮮半島からは南にあるという思い込みから

226 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:43:36.23 ID:TwsOVCHZ0.net
クンニがあったに見えた…orz

227 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:44:55.91 ID:OO2tGuLN0.net
>>116
それな
物部の動静が大和成立のキーポイント

228 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:46:34.92 ID:OO2tGuLN0.net
>>128
結論は出てないけど、ほぼ畿内説

と言うより、邪馬台国の位置なんか古代史の謎の極々一部であまり重要じゃない

229 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:48:11.84 ID:4ZEDzluH0.net
なにがクニだよクンニしろオラァ!

230 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 12:52:54.53 ID:wudE/T4M0.net
>>185
ソウル以南は日本の支配下

231 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 13:50:06.56 ID:4ZK0m6Eh0.net
>>228
畿内は無いって纏向研究の第一人者が言ってる


> 48 :名無しさん@1周年 :2016/10/13(木) 02:15:52.43 ID:+Rq52/p50
> 畿内を研究している学者は邪馬台国畿内説の人ばかりかと思っていたが実は違うらしい
> 纏向遺跡の発掘調査に関わって、出土した土器の分析をした学者さんは九州説なんだと
> やっぱり本物の学者は下らないしがらみよりも学問的真実を追求するものなんだな
>
>
> http://www.bell.jp/pancho/k_diary-15/2015_01_18.htm
> >こうして『魏志倭人伝』に記された邪馬台国と魏およびその出先機関である帯方郡との外交関係を概括しただけでも、
> >かなり煩雑に彼我の交流が行われたことが分かる。したがって、纒向遺跡が邪馬台国の王都だったならば、
> >学術的な発掘調査によってそうした交流の証拠品が出土しなければならない。
> >
> > ■ ところが、関川氏は今回の講演で、そうした遺物がほとんど出土していない、と指摘された。
> >その上で、考古学者の立場から「邪馬台国大和説」に対して疑問を呈された。関川氏は纒向遺跡の発掘調査に従事された考古学者である。
> >それどころか、纒向遺跡から出土した土器を調査して、国内各地方からの搬入状況を分析・整理された張本人である。
>
> 中略
>
> >■ 上記に示したように卑弥呼の時代に帯方郡や魏と盛んに交流していたのなら、邪馬台国の女王の都があったとされる纒向遺跡からは、
> >もう少し様々な遺物が出土していておかしくない。それがない以上、、「邪馬台国=大和説」は成り立たないと、関川氏は言われる。
> >邪馬台国は大和ではなく、やはり北九州に存在した国であると考古学的遺物は語っているようだ。
> >
> >■ さらに、関川氏は邪馬台国の位置について興味深い指摘をされた。『魏志倭人伝』によれば、伊都国は帯方郡の使者が往来して、
> >ここに常にとどまる場所とされていて、その場所は福岡県の糸島市付近に比定されている。
> >伊都国と邪馬台国の位置関係は、後の飛鳥時代の難波津と飛鳥との関係に近かったのではないか、と言われる。
> >
> >■ 飛鳥時代、朝鮮半島の百済・新羅・高句麗から使節が来朝した場合、まず難波津に上陸してそれぞれの迎賓館で宿泊し、
> >それから旅装を整えて飛鳥に入った。つまり難波津と飛鳥は一日で行けるような至近距離にある。
> >同様なことが伊都国と邪馬台国にも言えるのではないか・・・と。大和に邪馬台国があったのでは、伊都国から余りに離れすぎている。

232 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 13:58:03.91 ID:Ju9BGcI00.net
何を言いたいんだかわからんが、そーゆー意味での「クニ」ならその時代どこにでもあったろ。
共同体と読み替えられるんだからな。

233 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 14:17:12.16 ID:ai9LmIs60.net
>>231
関川氏の言うとおり、奈良には纏向遺跡の祖型となる遺跡がないのは確かで、
纏向遺跡を作ったのは吉備の勢力+東海の勢力であって、北部九州の勢力でないことだけは確かなんだよ
あとはこれが3世紀の遺跡なのか、4世紀の遺跡かというだけ

234 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 14:37:13.62 ID:6FJCq1TV0.net
めきにめきニヌダラダラメキニメキニヌダラダラ〜

235 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 14:41:04.62 ID:5HtmhysZ0.net
>>233
関川氏は4世紀と考えているようだね

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-15/2015_01_18.htm
■ 宮内庁は昭和43年(1968)に墳丘の遺構保護を目的とした現状調査を実施して、後円部の最上段付近と前方部の頂きで
  特殊器台形埴輪や特殊壷を採集した。また、平成10年(1998)には台風7号によって後円部最上段付近や前方部上面で29本の
  樹木がなぎ倒されたが、その復旧工事の際に二重口縁壷や二重口縁壷形埴輪の採集を行っている。
  採集された箸墓古墳の出土品は、現在書陵部の庁舎の中にある出土品収蔵庫に一括保管されている。

■ 関川氏は、これらの遺物こそ築造直後に供えられた土器であり、周濠から出てきた土器ではなく、墳丘上から出土した
  これらの遺物で築造時期を判断すべきだ言われる。
  埴輪による関川編年論によれば、その第1期は特殊埴輪とその近似形態の埴輪や二重口縁を持つ壷形土器、
  および布留式土器が出現する時期で、推定年代を4世紀中頃とし、代表的な古墳として箸墓古墳を当てておられる。

■ そして、箸墓古墳は布留式の古い時期(布留1式)の前期古墳であり、これより古くはできないと言われる。

236 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 14:43:07.53 ID:BHHVM8SE0.net
最近は、反日サヨクの歴史研究家による
捏造とか改ざんとかでうんざり

237 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:20:37.16 ID:XEScx+2Q0.net
最古の前方後円墳は博多区竹下にある那珂八幡古墳で次に志免町の
光正寺古墳が造られてそれから奈良の箸墓古墳が造られた訳だよ。
まず北部九州で小型の前方後円墳を造る技術を身に付けた集団が
東征に従って畿内に進出して大型の前方後円墳を造り始めた訳だよ。

238 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:21:29.57 ID:4d0dBPnE0.net
そりゃ、人が住んでりゃ国ぐらいあるだろ。なんだこの記事。

239 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:29:25.05 ID:1jyXaASN0.net
>>237
九州からきた倭人が
畿内の原住民を奴隷にして作らせたんだよね
だから畿内の古墳は巨大

240 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:33:46.93 ID:6FJCq1TV0.net
ハニワ幻人全滅だ

241 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:39:28.26 ID:4OdDRq8B0.net
>>183

遺跡的に、奈良が邪馬台国。九州説なら宮崎しかない。
北部九州は奴国と確定している。

242 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:51:11.39 ID:MsobT6Fm0.net
>>241
考証古すぎ

243 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 16:58:59.86 ID:Aqup6kCj0.net
邪馬台国論争を終わらせるゴッドハンド早く。

244 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:04:52.26 ID:+2k0M+wI0.net
普通に考えたら邪馬台=ヤマト=大和で終わりだろ。

245 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:19:51.03 ID:MsobT6Fm0.net
>>244
それが終わらんかったんや

246 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:20:29.15 ID:MsobT6Fm0.net
>>225
あれへんあれへん

247 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:21:42.29 ID:kEK9gH0UO.net
原文には邪馬台国とは書かれてないからな

248 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:22:10.66 ID:WtTKfPt20.net
今の人類は3回目らしいよ

249 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:22:13.70 ID:nlBaYyYx0.net
じゃあなんで九州から金印が出たの?

250 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:24:01.60 ID:rITkohTW0.net
>>170
なんだかんだストーリーたたみ切った楳図はやはり天才だったのか

251 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:25:07.21 ID:JaQZt9L/0.net
まあ九州だろうな

252 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:28:04.82 ID:XEScx+2Q0.net
宮崎が歴史にのぼるのは大和朝廷が成立してからの事
宮崎からは弥生時代の遺跡は何も無い。

253 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:29:01.25 ID:YQ/GWm6H0.net
>>3
ぼくもクンニに見えたよ

254 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:30:13.56 ID:MUJxD3PE0.net
邪馬台国と大和朝廷が同一にしては記紀と辻褄が合わないように思えるが

255 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:46:48.70 ID:1jyXaASN0.net
部落の起源は
九州倭人に征服された畿内先住民の生き残り

256 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:48:33.25 ID:3+a08Zcl0.net
まじかよ

【福岡】識者「邪馬台国の時代のクンニがあった可能」©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1487340208/

257 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 17:50:36.32 ID:tJRkJm+2O.net
>>247 写本ばかりで原本がないのに何を言ってるんだ?

258 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 18:13:07.65 ID:sn2TS3CV0.net
>>249
それは「漢委奴国王」の金印で、後漢の光武帝が西暦57年に奴国へ贈ったとされるもの。
卑弥呼に贈られたとされるのは西暦238年「親魏倭王」の金印で、未発見。

259 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 18:23:38.39 ID:sn2TS3CV0.net
>>244
仮にそうだとしても、大和朝廷(王権)が3世紀に九州にあって、
その後、畿内に遷都した可能性もあるわけで、邪馬台国がどこにあったのかは依然謎のまま。
論争は続きますよ。

260 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 20:09:05.08 ID:6FJCq1TV0.net
火山の火口の下だよ。

261 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 20:35:20.99 ID:/Lk+M1/d0.net
>>235
これは決定的だな
やっぱり畿内はあり得ない、九州だよ

262 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:18:36.95 ID:XEScx+2Q0.net
>>237を書いた者だが光正寺古墳は志免町では無くて宇美町(不弥国)だった
志免町と宇美町の境界付近にあるので勘違いをしていた。
宇美町は宇美八幡宮があり応神天皇(八幡神)の生誕地と言われている。

263 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:20:27.11 ID:XfQ44MQO0.net
ムラとかクニとかなんでカタカナで書くの?

264 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:22:56.76 ID:ReNBTK/r0.net
九州説が有力なの?

265 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:27:57.37 ID:FbYi05BR0.net
稲荷山鉄剣みたいのが出てこない限り場所を確定するのは無理。
近畿説も九州説も発掘の予算が欲しくて宣伝のために言ってるだけ。

266 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:31:00.15 ID:Fpqc32T30.net
勾玉ってガラスでしょ?

どうしてその後の日本でガラスの加工技術は失われたの?

267 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 21:32:08.79 ID:cdmIYU770.net
>>262
八幡といえば八幡製鉄所だが、宇美町もまた製鉄ゆかりの地なんだよね。

磐井の乱に勝った継体天皇が手に入れた糟屋の屯倉は今の糟屋郡で、
砂鉄の採取を示す「多々良(タタラ)川」が流れている。その支流の宇美川は
広大な三郡山地に源を発していて、そこには製鉄に不可欠の「炭焼」という
地名があるのだ。

268 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:35:58.63 ID:+X3gw+eW0.net
>>218
怪奇刺青男

269 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:38:46.01 ID:LbHCgzYI0.net
朝鮮から来た渡来人の国かw

270 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:40:45.53 ID:LaWsGbiN0.net
修羅の国の原型がここに

271 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 21:42:39.26 ID:hCwpKtjY0.net
邪馬台国は九州でFAか
少数派の畿内説の声がでかくてここまで長引いちまったよ

272 :◆HKZsYRUkck :2017/02/18(土) 21:42:51.03 ID:cdmIYU770.net
>>266
ガラス製もあるけど、大多数は石だと思う。
糸魚川市の姫川で採れる翡翠ね。

273 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 22:39:10.07 ID:kEK9gH0UO.net
>>263
現代の村や国とはちょっと意味あいが異なるからかな?

274 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 23:22:39.99 ID:JarXqqZB0.net
>>205
景行天皇や神功皇后=タラシ系の王族は
朝鮮半島南部の多羅から日本を侵攻した一族だったでしょうね。
日本生まれのイザサワケこそが瀬戸内海を東進した王です。
彼は東進するにあたって宇佐に居た邪馬台王族=の血筋(神夏磯姫)と婚姻関係を結びました。
あるいはイザサワケ、ホムタワケと2代にわたる侵攻だったのかもしれません。
大仙陵古墳の被葬者はこの2名のうちのどちらかでしょう。

ちなみにタラシ系の王族はエベンキ族を起源とする現韓国人とはいっさい関係がありません。
朝鮮半島南部にいた倭人です。当時、倭人は対馬海峡をはさんだ朝鮮半島南部と九州北部の両方に居住していた民族です。

275 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 23:24:21.70 ID:S54zeA6L0.net
邪馬台国が九州だとして
纏向にあった王朝はその後大和朝廷になった?
それとも邪馬台国系子孫の神武天皇が東征して大和朝廷?
あと出雲の国譲りとの関係は?

この辺りを矛盾なく説明できる説はあるの?

276 :名無しさん@1周年:2017/02/18(土) 23:31:42.60 ID:2GOCKpr70.net
>>275
宮崎神宮のサイトから神武天皇の東征ルート
http://miyazakijingu.jp/uploads/fckeditor/uid000001_20090310233843c7250082.jpg

橿原神宮のサイトより抜粋
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命かむやまといわれびこのみこと(後の神武天皇)が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。
http://www.kashiharajingu.or.jp/about/

一致する

277 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 02:36:53.19 ID:+FuRqIut0.net
>>276
やれやれ
面倒なのでコピペ

日向だから宮崎というのは素人
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

ついでに隼人族は大和朝廷に近習として仕え
その名は官職名として後の世まで残っている
だいたい大和朝廷の付けた土蜘蛛という名と隼人という名ではその差歴然

278 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:19:14.44 ID:+FuRqIut0.net
>>275
矛盾は生じないことは言えるけど証明するに足りてないね

纏向にあった王朝はその後大和朝廷になった?
Yes

それとも邪馬台国系子孫の神武天皇が東征して大和朝廷?
神武天皇ことワカミケヌは鹿児島の阿多出身
邪馬台国とは無関係

あと出雲の国譲りとの関係は?
国譲りで九州勢力に敗れた出雲からは信州などあちこちに避難民が出た
その中に奈良に逃れた集団もいて神武天皇の皇后を出すことになる


>>276
おまけじゃ
宇佐神宮はろくな事しないな
反って宮崎県民は不幸になる

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

279 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:20:08.18 ID:At1W44uN0.net
全然面白くね

280 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:22:46.23 ID:jdY/lg4H0.net
♪いまにみていろ 邪魔大王国

全滅だ!

281 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:23:16.55 ID:At1W44uN0.net
東征とか称する強姦ハイキングを日常やっていたので

女を釣るガラス玉とか 方々に落っこちてる

可能性は大きい

282 :◆HKZsYRUkck :2017/02/19(日) 07:31:14.40 ID:vIR0eTaW0.net
隼人というと、ぐるぐるS字渦巻き模様が好き。
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9A%BC%E4%BA%BA+%E6%B8%A6%E5%B7%BB&client=firefox-b&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwizvdnC0prSAhVHzbwKHWjOAlMQsAQIGw&biw=1224&bih=825

直接関係ないはずの九州北部の装飾古墳にも似たような模様が見られるあたり、
交易とかでやってくる隼人の舟に模様が描いてあって、「あれカッコいいなあ」と
マネしたのかも知れんw

283 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:41:21.18 ID:+FuRqIut0.net
>>282
隼人族は五島列島まで行ってたらしいし海で繋がるのかも

284 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 07:47:27.05 ID:7wiF/7H80.net
邪馬台国なんてなかったんじゃないかな?
当時、日本で最も繁栄してたのは「伊都国」で、伊都国人はそれが自慢だった。
そこに中国から使者がやってきて「ここが倭国の首都か? なんてみすぼらしい所なんだ」と酷評。

ショックを受けた伊都国の役人は、
「いいえ、ここはただの玄関口です。首都はもっと南の邪馬台国にあって、女王卑弥呼の宮殿があります」と
つい、見栄を張って嘘をついてしまった。

それを聞いた中国の使者が、「是非、お会いしたい」と申し出たので、
伊都国の役人は、「邪馬台国までは水行十日、陸行一月。それでも行きますか?」と、またまた嘘。
中国の使者も諦めて帰ったとさ。

めでたしめでたし。

285 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 08:11:17.36 ID:7wiF/7H80.net
邪馬台国はなかったというか、
九州北部一帯が、緩い連合国家・邪馬台連合国家で、その中心地が伊都国だったが、
中国が戦乱の時代に入り、日本も統一国家を作る必要性に迫られ、
九州、出雲、東海などと協定を結び、統一国家の中心地に畿内が選ばれた。

286 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 09:35:56.20 ID:lT0J8Ixc0.net
>>282
鹿児島は本当に南方文化だよね
それ見て鹿児島硫黄島のメンドン思い出した
メンドンを画像検索一覧で見てたら悪石のボゼまで紛れてて
ふわぁぁってなったわ、この辺りは日本離れ感しすぎw

287 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 10:52:34.80 ID:Bi3mwZPg0.net
>>285
邪馬台国は無かったなど寝言は寝て言え、邪馬台国までの道のりは極めて
あやふやだが、邪馬台国がどんな政治体制で卑弥呼が暮らしていた住まいも
きちんと書いているから邪馬台国はあったのは間違いない。

288 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:03:00.74 ID:7wiF/7H80.net
伊都って、古語の「いと」かな?
つまり、伊都国ってのは「大国」って意味じゃなかろうか?

289 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:07:41.01 ID:iWkLpZDP0.net
別に九州だろうと畿内だろうと、
そこにそれがあったからって今住んでる人が偉くなるわけでもないのに

290 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:14:36.56 ID:Bi3mwZPg0.net
奴国が漢に朝貢して貰った金印が「漢委奴国王」と言われているが
俺は間違いだと思っている。漢に朝貢したのは奴国では無く伊都国
委奴国は伊都国の事だと思う弥生時代初期から伊都国の方が繁栄していたはず。

291 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:20:12.66 ID:OVHw663r0.net
>>71>>155>>170
パンツ漫画と思って楽しめたけど最後のオチが酷すぎて
いきなり、俺達の戦いは続くみたいな終らせ方には怒りを覚えた
21巻まで読ませといてそれはないだろと
ストーリー性は悪いことはなかったのに最後でやられた

292 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:22:52.01 ID:OwYsGMf/0.net
なに?畿内説の学者がヤバイヤバイってビビってんの?w

293 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:35:14.74 ID:5zz4lEz70.net
>>290
>奴国が漢に朝貢して貰った金印が「漢委奴国王」と言われている

あれ、インチキらしい
あんなに長く埋まっていたのに綺麗すぎるからね

294 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:37:03.36 ID:a4N/26SM0.net
邪馬台国時代のクニバックってなに?

295 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:39:05.01 ID:F3cUxX9y0.net
都合の悪いことはインチキ扱い。キチンと調べて本物だと結果は出ている
畿内説論者は大川みたいな奴の集まりww

296 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 11:42:37.63 ID:3DqFajQQ0.net
邪馬台国ってUKまたはEUまたはアメリカ合衆国やロシア連邦みたいな連合国家群だったんじゃないの?

297 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:06:15.65 ID:9QIfWj1O0.net
たまたま記録が残ってるだけで邪馬台国だけを特別視するのもな
同時代やもっと前の時代にもっと大きな国があった可能性もあるのに

298 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:06:55.08 ID:+FuRqIut0.net
>>286
ボゼは昔は蓑をまとっていてメンドンの胴体と似た感じだったのが
蓑を作らなくなって更に南方ぽくなったらしい
悪石島だと今は米作って無さそうだしわらは貴重かな

299 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:09:28.35 ID:7wiF/7H80.net
>>293
金は腐食しない。
銀や銅は錆びるが、金は錆びない。

300 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:10:53.15 ID:2eZHQPYNO.net
>>297
遺跡などで見つかったら話題になるよ。吉野ヶ里みたいにね
見つかるまでは邪馬台国が話題の中心になるのはしかたないね

301 :◆HKZsYRUkck :2017/02/19(日) 12:11:41.99 ID:vIR0eTaW0.net
>>293
綺麗すぎるってあんたw
それが金というものなのだ。

302 :◆HKZsYRUkck :2017/02/19(日) 12:12:25.35 ID:vIR0eTaW0.net
>>299
しまった、リロードせずに書いちった。

303 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:24:14.27 ID:h8ptR54j0.net
当時は東韓という韓人国家だったんだよね。

304 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:26:00.91 ID:nSijpbcEO.net
シナの歴史なんていい加減なのに
そんなもんに振り回されて真面目に研究してアホらしい

305 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:27:23.93 ID:1VuD675Z0.net
>>296
倭人が自分たちをヤマ(ト?ダ?)と呼称してたのを魏の使者が
書物に記す時に邪馬台国と当て字で書いただけの話だからな
大和になるまで日本書紀なんかでは夜摩苔と当て字で書かれてある

それからずっと日ノ本=大和の国だったのに江戸時代の新井白石ら
が邪馬台国と音読して広めてからおかしくなったんだよ

邪馬台国というのは連合国家とか日本に昔あった一部の国を指すものじゃなく
今でいう日本と同義と考えるべき

女王の施政が及んでない小国が別にあってもそれだってヤマトの一部にすぎない

306 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:28:11.95 ID:rOs2gWc50.net
奈良から金印出てくる

307 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:36:18.30 ID:9QIfWj1O0.net
>>305
邪馬台国=大和=奈良
って実は何も意味ないって分かってない主張が多すぎて萎えるよなあ

308 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:47:32.29 ID:OwYsGMf/0.net
邪馬台国=大和 普通に面白くないよね。
それならこんなに盛り上がる必要もないしね
畿内論者はあんまり賢くないw

309 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 12:57:42.70 ID:1VuD675Z0.net
>>308
面白くないとかくだらん意見はどうでもいい
浪漫や見栄で歴史を捏造するのは隣国だけで十分

310 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:05:32.64 ID:ifRWuSIQ0.net
理論的に見れば、近畿に邪馬台国があって、
一大卒をはけんするぐらい、
九州北部までを支配していたならば、
魏の公式な使者が伊都国に留まる訳が無い。
現実には、伊都国以降は魑魅魍魎の世界が広がっていた、
少なくとも、日本を統一している様な政権は存在しなかったのは間違いない。
魏としては、あくまで、邪馬台国と言う大きな統一政権が、
魏になびいて朝貢していたという政治宣伝を、
記紀に残したかったと言うだけの事で、
九州のどこかにも、北九州まで勢力を伸ばす統一政権は存在せず、
邪馬台国があったとしても、大きな国程度のものだろう。
だから、先ず、この時代の考古学は、伊都国が、
日本でもっとも発達した地域として、集中して、
考古学的成果を上げるべきだろう。

311 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:10:09.55 ID:bHoIYdprO.net
倭国、邪馬台国、女王国を使い分けてる

何らかの意図がある

312 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:12:32.10 ID:pindm+Xm0.net
>>309
うむ
単に史料を素直に読めば九州しかありえない
ただそれだけのこと

313 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:22:07.85 ID:A6Wa1I/70.net
問題は中国の歴史書が中国製だということ

314 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:26:27.49 ID:OUCPxRHw0.net
>>311
「日本国(倭国)の政府機関のある場所は東京都(邪馬台国)、東京は関東圏(女王国)
に含まれるぐらい」の意味でしょ
女王国は、倭国の中での女王の勢力範囲圏ということね
もちろん、陳寿がなんらかの意図をもってかき分けた可能性も否定できないけど、その
場合は意図を解明する必要があるね

315 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:37:43.60 ID:7wiF/7H80.net
中国に限らず、歴史ってのは勝者によって作られるものだし、その分、差し引いて勘案する必要があるよね。
それと、金石文が重要。

316 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:51:11.48 ID:FRc5uty10.net
祇園山から卑弥呼の人骨が発見されている(知らなかっただろ

317 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 13:54:18.94 ID:bHoIYdprO.net
>>314

だから陳寿が女王にも会えたか邪馬台国にも行けたか不明なのに
そういう構成で何で書いたか不可解すぎる

318 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:40:28.25 ID:7E7NGjYN0.net
>>316
マジ?

319 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:43:23.91 ID:nv8aT0WF0.net
邪馬台国は朝鮮にあったんだってさ。九州説は完全否定。残念。

320 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:45:15.08 ID:7E7NGjYN0.net
久留米の人に聞きたいんやけど久留米の語源て米なん?

321 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:45:58.27 ID:7E7NGjYN0.net
あーぎゃくか?
米の語源がくるめなん?

322 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:50:22.52 ID:sKmSob3B0.net
クンニが可能?

323 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 14:53:31.66 ID:u6YNqO6V0.net
俺は旧三潴郡三潴町の出身だけど三潴町のニュースが出たのは初めてのような気がする。

324 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 15:04:13.57 ID:ChDN/jY10.net
元々九州説が有力だったの。んで近畿がイチャモン。
んで、九州説が有力。

結果専門家が火病。

325 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 15:05:54.38 ID:28uxhSUX0.net
近畿には長脛彦のクニが既にあったんだろ?

326 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 15:16:02.14 ID:nv8aT0WF0.net
日本に国なんかなかった

327 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 16:03:16.55 ID:BBHV7oBJ0.net
>>326
弥生時代の環濠集落を見てみろ
あの規模でクニと言えないというのか

328 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 16:29:01.88 ID:ObaWrasW0.net
おまえら、偉そうに語ってるけど、「高三潴遺跡」読めないだろ

329 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 16:33:58.66 ID:YUtLp0FA0.net
ん?邪馬台国は九州確定で決着ついたん?
それともまた適当なこじつけでこっちですアピール?

330 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 16:40:13.05 ID:FRc5uty10.net
たかみずまと読むのか、小銅鐸を壷代わりにチンチロリンでもやってたのか

331 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/19(日) 16:58:09.61 ID:I49HXGkL0.net
>>325
そう。長髄彦。アイヌ語に訳すと
i si kir または ar si kir

前者は神武東征で敗北する神で石切神社の本来の祭神とする説が有力。
後者は大国主の国譲りで敗北する側の神で最近提唱されている説。アズキ神社の祭神と考え、神話では アジスキタカヒコネ とある。

出雲の国譲りと神武東征は、同じ国の物語とする説がある。要するに大国主系の大国だな。

332 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 17:05:42.86 ID:cuZAYXRP0.net
最初の畿内説提唱者である新井白石も、のちに九州説に変更してる
史料を普通に読めば九州なんだよな

333 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 17:27:55.04 ID:nv8aT0WF0.net
>>327
いえんな。日本にクニはなかったし、邪馬台国は朝鮮半島の国。

334 :◆HKZsYRUkck :2017/02/19(日) 17:49:17.85 ID:vIR0eTaW0.net
>>325,
ナガスネヒコというか、妹婿のニギハヤイの国だよね。
でも俺もナガスネヒコさん好き。

>>331
そういう説もあるのか。

俺が読んだのは、ナガスネヒコの本拠地の奈良の富雄の話。
ながいことここの神社には神社にナガスネヒコが祀られていたらしい。
が、明治政府が「皇室に弓引いた極悪人が神とかとんでもない」と
消しちゃったそうな(村井康彦「出雲と大和」岩波)。

335 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/19(日) 19:35:38.43 ID:I49HXGkL0.net
>>334
「とみの長髄彦」の「とみ」の比定地は色々あるけれど、
石切神社と登弥神社は生駒山をはさんですぐ近くという点から、富雄が有利かな?
それにしても明治まで長髄彦が祀られていたとは。
教えてくれてありがとう。さっそくその本、予約しました。

ちなみに先程の説は成書でなくて web ページだけど、
http://www.dai3gen.net/hahaya.htm
このあたりに書かれたのが初出だとおもう。饒速日と天稚彦が同じとする展開は楽しいかも。
石切=i si kir 説は進藤治が最初に言い出したけど、さらなる分析は大山元により深められているようだ。

336 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 19:57:15.13 ID:7wiF/7H80.net
卑弥呼が生きたのは3世紀、記紀が編纂されたのは8世紀で、500年近くもの隔たりがある。
卑弥呼のことを記紀の編者が知っていたとはとうてい考えられず、三国志を読んで知ったのは明白。

また、蘇我氏の「国記」「天皇記」にも、卑弥呼の記述は多分なかったであろう。
つまり、卑弥呼はアマテラスでも倭迹迹日百襲媛命でもない。

可能性があるとしたら、箸墓古墳は「台与」の墓くらいか。

337 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 20:36:34.08 ID:88psDTBk0.net
アホちゃうか福岡土人w

338 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 20:38:42.87 ID:cuZAYXRP0.net
近代から現在までの畿内説の主流派の代表格内藤湖南は戊辰戦争で薩長ら西国諸藩と激しく戦った南部藩士内藤家の出身
畿内説にこだわったのは個人的怨恨

339 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 20:59:50.62 ID:ZbwN4QU80.net
マキムクが出土し、きちんと調査されたのは畿内説論者どもにとっては悲劇的なことでした。
調べれば調べるほど邪馬台国とは関係の無いことが明らかになってしまいましたしね。

現在40代50代の研究者たちのうちこの期に及んで畿内説を指示する連中の狙いが何であるかわかりますか?
見かけだけでも畿内説を指示するフリをしておかないとウダツが上がらないからですよ。
今の60代70代の老人どもがあっちの世界に去ってしまえば畿内説など跡形もなく消え去ることになります。
そもそもこの平成の現代に、畿内説を支持するなどマトモな研修者ならば絶対にやらないことですしね。

340 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/19(日) 21:06:02.91 ID:I49HXGkL0.net
>>336
500年といえば現代からみて室町幕府の終わる頃、
文字の記録が無ければ専門の歴史家でなければ
細かい人物の記憶は残らないかもね。

ただ、かなり古いであろう神話の数々が各地に残っている中で
卑弥呼の記録のみが意図せず欠落するのは
少々解せないところはある。

341 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:08:02.31 ID:9QIfWj1O0.net
畿内説はもう厳しいけど、一生かけて畿内説唱えてきたベテランがいまさら自説を曲げられなくて、
変な方向に行っちゃってるんだよな

老人が一線引いてからじゃないと難しい問題ではある

342 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:15:25.94 ID:bHoIYdprO.net
>>341

確かにこれ世代問題だとは思ったわ

343 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:20:21.56 ID:bHoIYdprO.net
>>339

それとなぜか産経が畿内説に前のめりだったよなぁ

344 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/19(日) 21:32:18.93 ID:I49HXGkL0.net
>>341
大いにありうる。
現在の歴史系の学会は神話を傍証にするどころか
キーワードにすら入れたがらないよね。
あれは世代まるごと津田史学の後遺症なのかね?

どうしても神話の考察をしたいとなると
安本美典の情報考古学とか
宗教・民俗学系の雑誌くらいしか
受け入れ先がないようにおもう。

345 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/19(日) 21:39:35.14 ID:I49HXGkL0.net
>>339
どこの世界も老害や権威の弊害ってありますよねー。

346 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:40:42.11 ID:9QIfWj1O0.net
本当は邪馬台国機内説は捨てて、出雲王朝とかとの絡みの流れを解き明かしていくほうが
古代日本史の解明には繋がるはずなんだがね・・・

畿内説があると240年ごろに西日本統一してたって、どうしても無理がある前提の話になるしね

347 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:43:51.53 ID:nr7KAGTm0.net
>>3
「邪馬台国の時代にすでにクンニの習慣があった」に俺も見えました。

348 :名無しさん@1周年:2017/02/19(日) 21:47:55.83 ID:OwYsGMf/0.net
分かってるじゃん。畿内説は無理がある。その無理の帳尻を合わせる為に無理をする。その作業の繰り返し。

349 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 02:31:34.38 ID:NeoMjJeW0.net
>>340
>卑弥呼の記録のみが意図せず欠落するのは

エジプトのツタンカーメン王を思い出した。
中国に助けを求めた、あるいは中国に朝貢したということで、王名表から削られた…
なんて想像も掻き立てられちゃうねwktk

350 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 03:05:42.37 ID:jzzfAsYD0.net
小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)

351 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 06:03:30.16 ID:mwrKCVJg0.net
今の天皇が滅ぼした国は?

352 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 06:23:24.78 ID:VYGquFgq0.net
とにかく渡来人による王朝のもと、原住民は支配されたのは間違いない
倭国六十六州は天帝より下賜されたもの
在日米軍を追い出して本来の支配者を受け入れるべき

353 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 06:48:43.89 ID:ch5MqqWw0.net
大麻解禁派の馬鹿どもの主張によれば、より大麻の製造に適した土地を求めて北九州から畿内に東漸したんだと
ヤマタイとは退魔を為す者の治めるクニ、という意味だそうな
要は大麻利権の一手掌握で大儲けした卑弥呼一派による国内統治の完成らしい
と、ここまで法螺を吹いたら腹減ったのでオシマイな

354 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 06:58:45.29 ID:jHy0OGxS0.net
>>320
俺は久留米人じゃないけれど、中国呉からの渡来人が移住してきたときの地名が
「呉部」になって「くれべ」が訛った「くるめ」に「久留米」が充てられたって説があるよ

355 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 07:52:52.39 ID:vsCCS/9C0.net
>>352
奈良時代に墾田永年私財法制定にまでなっちゃったからな

356 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/20(月) 08:50:51.80 ID:I6ezSVYr0.net
>>349
つまり、
魏に助けを求めた、あるいは魏に朝貢したということで、神話から削られた・・・
ってことか!

案外、その仮説もアリなのかも。

357 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 09:09:36.56 ID:tBBDFGxD0.net
まあ事実上死に体の九州説に一発逆転のネタになるとしたら
その連玉が出た墓が「王墓」だった場合かな?

まあ人によっては副葬品の豪華さのみで王墓という場合もあるが
大概はそれにプラスして他から隔絶された個人墓であることが条件になる

まあ多くなクニが一つ増えたとて九州説が息を吹き返すことは先ず無いだろうな

358 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 09:13:01.97 ID:uz3y/gZT0.net
この地区はDQNの巣窟

359 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 10:06:02.55 ID:06x31Kvy0.net
邪馬台国とか卑弥呼とかどこ情報?
中国?

360 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 10:48:27.52 ID:E8lDgBVL0.net
魏志倭人伝の卑弥呼系二十数か国のひとつであることは、良しだろ。
邪馬台は倭人の口上を魏訳したものだが、
女王の居所であって、これらの国とは別の概念の国だろ?

ならこれらの国が、九州北部にあった事は肯定される。
隋書、唐書でも、魏志の倭国と大和朝廷の日本国は別の国って修正されてるし。

倭国に派遣された魏の官吏には、本州四国の存在を否定していないから
これらが、卑弥呼の勢力の範囲外であった事も当然だろ。
畿内説なんて、文献だけ読めば終わってんじゃんw

まあ、遣隋使時代に三国志程度の知識の隋の官吏を九州に留めたのは
対高句麗から白村江海戦に向かう時代の軍事的背景を読むのに面白味は有るね。
隋の特使は推古天皇が女帝である事すら知らされていない。

361 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 11:31:08.19 ID:KH7GcH2z0.net
150年〜200年頃、出雲が大和を中心に西日本を統一。200年前半北九州から卑弥呼を共立され、
奈良の大神神社のふもとで邪馬台国が成立。これが大国主の国譲り。
出雲は三輪山へ封印され、出雲へ引っ込んだ。
そして、台与の次の男王の時代に、宮崎の西都原から出てきた天皇家の祖先に侵略され
邪馬台国を乗っ取られる。天皇家は故郷に錦を飾るため西都原古墳群を作る。
その後5世紀に倭の五王の時代がくる。
その後、6世紀前半に福井から継体天皇が招かれ大阪の茨木に宮を構える。奈良には入れなかった。
このときに、九州で新羅と結んだ磐井によって磐井の乱が起き、大和の支配地域は混乱していた。
その後、平定し奈良に都を移した。
そして、飛鳥時代、聖徳太子の時代が始まる。

362 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 12:38:53.80 ID:QfORIPZo0.net
部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する

363 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 12:55:39.75 ID:E8lDgBVL0.net
古事記、日本書紀の神話は中国の史記を読んだ後に帳尻合わせで作ってるよ。
どんなに早くても大伴金村の任那割譲で五経博士招来の520年、仏教公伝530年、以降だね。
無価値な半島利権を放棄して、南北朝の戦乱の解消から
600年以降で遣隋使にした方針は正しかったと思うネ。

中国と九州の交流を知って九州発祥の神話にしてるけど
600年以前に伊勢系の神社なんて無いよ。
地神、呪術系、自然神はともかく、
建築様式からしても仏教寺院の普及と神社の普及はほぼ同列だよ。

だから道教儒教的信仰の古墳時代な訳で・・・
薄葬令はともかく銅鐸祭祀の廃止は多分出雲の国譲りだけど、興味深いね。

364 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:05:28.51 ID:9G466PmD0.net
>>339
>>341
だからといって、九州には3〜4世紀のまともな遺跡がないのがね〜
結局、考古学的には邪馬台国は吉備で、吉備が3世紀〜4世紀にかけて大和に移ってきたという結論になる

365 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:10:10.24 ID:KH7GcH2z0.net
>>363

それが、出雲から荒神谷遺跡が出てきて神話が現実になったんだよね

366 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:12:41.80 ID:25v1ZXdo0.net
銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27
臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

それまで、日本の有名大学の古代史専門家による縄文→弥生→古墳時代への“平和的、友好的、自然的”
発展変化という‘上品で理想的’な皇室尊重的な伝統史学を徹ッ底的に破壊、否定、駁論する内容である。
まぁハッキリ言ってよく言ったと思う。自分も伝応神・仁徳天皇陵を何度か訪れたが、アレをブルドーザーや
トラックもない古代に、粗末な鍬や鋤だけで作れと言うのだから、命令する人はどれ程の「仁」と「徳」が
備わっているか推して知るべしである。しかも、前方後円墳だけで大中小合わせれば日本全国に5000基
(円墳含めると20万)あるといわれるので、古代の大和朝廷なるものがどれ程「博愛的」であったかは、
著者ならずとも推して知るべきである。エジプトのピラミッドもそうだが、あんなものを単なる失業対策で
‘嬉々として’積み上げるバカが何処にいると言うのか?最近流行の人道主義的歴史学者は、一度、自分で
その石を背中に積んで頂上まで登ってみろと言いたい。

367 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:18:28.88 ID:QfORIPZo0.net
邪馬台国は伊豆半島にあった
延喜式式内社数 伊豆国 90社
なんと武蔵国よりはるかに多かった

368 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:20:33.97 ID:M7mB6yP60.net
ところで、両方にあった、移動した説はないんか?
遷都というか、初期に北九州にあって、後に畿内に移ったとか、
その逆とか。邪馬台国が不動だった保証はなかろうに。

369 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:33:38.68 ID:dXz0FRVT0.net
>>368
元も子もない話だが、邪馬台国の位置論争なんて大和成立の謎に比べたら些細なことなんで
どっちでもいいよ

いくつものクニ、何人もの王が存在していた
邪馬台国と卑弥呼はその1つに過ぎない、ってのが事実

たまたま魏に認知されたってだけ

370 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 13:40:35.64 ID:nc2IhI/v0.net
>>369
そういうのは
大和朝廷一元史観の学界にとって受け入れ難いものなのでは

371 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 14:23:37.57 ID:/xB0qran0.net
>>364
倭国大乱と重なってたら遺跡になるようなの作ってる暇ないだろあほか

372 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 14:41:44.09 ID:E8lDgBVL0.net
昔より祖でい自ら甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、寧処にいとまあらず。
東は毛人を征すること五十五国、
西は衆夷を服すること六十六国、
渡りて海北を平ぐること九十五国。

大和朝廷が400年までに日本国を平定した、という以外の考え方は不可能。
0年〜250年に九州に有り対馬貿易を独占した小国は300年には朝廷に平定され、
半島や海神族として未開部の多い信州、北関東、東北に配流された。

朝廷は半島貿易確保によって3〜400年までに馬と青銅器、鉄の国内生産を完了した。
500年には百済新羅を保護国化したが、開口土王との交戦などを経て
独立支援に切り替え半島利権外交での戦乱の中国との交渉も止めた。

この大和朝廷は600年推古天皇による遣隋使に至る歴史としての時系列が問題無く継続している。
0年〜500年の神話による九州族=天孫族というのは
神話を正当化させるゴリ押しであり、
大和朝廷一元史観における中国史記との帳尻合わせだ。はずしてるしw

歴史に神話=過去の政治、は持ち出す必要は無い。

373 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:02:48.31 ID:9G466PmD0.net
>>371
戦争が起こると、集落の守りを強化したり、弓や石器(鉄器)などの武器が増えたり、墓がそれ以前と比較して急増するなどしてその痕跡は残るし、
戦争中でも人は生きていかないといけないので、生活や経済活動(交易)は継続されるので、その結果としても遺跡は存在する
そもそも倭国大乱(2世紀後半頃とされる)が、どれくらいの期間どの地域同士が争ったのか、それはどの程度の規模だったのかもわかっていない
また、倭国大乱後の3〜4世紀に、ある地域にはまともな遺跡が存在し、別の地域には何故ないのかを考えないといけないね
もっと勉強しなさい

374 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:07:21.68 ID:1/HhvXAP0.net
>>221
そんな理由ならばアマテラスを含む三貴神や神武を九州生まれに設定する必要が無い


イザナミ・イザナギ・カグツチやそれ以前が畿内であったとしても

九州生まれのアマテラスが天皇家の皇祖神で有る理由が重要

簡単な話アマテラス系はもとは分家だという事だ
本州の本家のほうが古いが、そこが壊滅状態に陥ったから、九州分家にその地位を譲った

だから、皇室の「祖」はイザナギでもカグツチでもなく「アマテラス」なのである

九州は格下ではないぞ

375 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:19:36.91 ID:L6hJdbb/0.net
また畿内派と九州派の喧嘩かww

376 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/20(月) 15:36:16.68 ID:H3W83i8A0.net
>>365
さらに付け加えるならば伊勢遺跡だな。

この遺跡からは心御柱(しんのみはしら)の跡も検出され
現代にまで伝わる伊勢神宮の建築様式が少なくとも
紀元1〜2世紀に遡る可能性が示唆されている。
神話にいう「天安河原」を連想させる野洲の至近であり
野洲からは日本最大の銅鐸が出土し、
しかも近隣に建つ御神神社こそ京都のカモの社の祖神を祀るであろうことも無視できない。(御蔭祭や葵祭)
ちなみに、伊勢遺跡は下鴨神社の真東にあり、
元伊勢の分布の中心付近であることも興味深い。

ともあれ、600年より古くから伊勢系の神社があったとしても俺は驚かない。

377 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:37:24.33 ID:Hw+Mf11w0.net
>>336
日本書紀は卑弥呼の事は書いてる
出典もきちんと明記して
その上で神功皇后に比定してる

378 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/20(月) 15:44:34.57 ID:H3W83i8A0.net
>>368
あるよ〜!
神武東征ではなくて神武東遷とかいわれたりする。
あるいは饒速日が邪馬台国を東に移したとか、いろいろ説がある。

個人的には、この系統の解釈が最も合理的に感じられる。

379 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:50:10.19 ID:q/RTKQAK0.net
もう九州発祥、近畿繁栄って事で良いんじゃないの?(鼻ほじほじ)

380 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 15:58:48.22 ID:t1TCmFal0.net
記紀では九州に行った筈なのに
四国に伝承が残ってるのはどういうトリックなの?

381 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 16:23:54.05 ID:/xB0qran0.net
>>373
それは何処のトンデモ学者の受け売りなのか自己妄想なのか

大乱中であれば大半の原資が戦に消費され戦場にばら撒かれ
将であっても敗軍であれば屍を戦場に晒すことになる
敗軍は敵軍に物資を残さぬよう遠方へと輸送し、叶わぬ時は全て敵軍に奪われ消費または破壊される
勝軍は略奪と破壊の限りを尽くす
大乱であればあるほど荒廃し、戦前の生活レベルに戻るには半世紀〜1世紀以上の時がかかる
木や鉄であれば良い条件がかさならなければ腐食してしまい現代まで残ることもない

それ以前に連続的に遺跡から土器の破片や石器等の遺物は出土してんのになにを持って遺跡が存在しないと考えられるのか?
頭大丈夫?

382 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 16:40:36.80 ID:uuY/ciqXO.net
そんなに荒廃したんなら地層調査などでわかると思うけどね、それまでとは、そしてそのあとの時代とは明らかに違うんだから
◯年の地震のさい津波はここまできてたことが地層からわかるみたいに何かあればその痕跡は残るよ

383 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 17:12:41.55 ID:9G466PmD0.net
>>381
2〜6行目も、歴史時代の戦争と混同した君の勝手な自己妄想だと思うけど?
それと、戦争中だから遺跡を作る暇がないと書いたのは君なのだけど、大学出てる?
そもそも3〜4世紀のある地域には(都城レベルの)まともな遺跡があり、別の地域にはそれがない
という話をしているのに、2世紀後半の倭国大乱なんか関係がないことくらい理解できないものかね?

384 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 17:40:31.30 ID:/xB0qran0.net
>>382-383
何処の遺跡が忘れたが、大量の木の燃えカスが出土して倭国大乱の痕跡ではないか、と推測される遺跡があったはずだが

385 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 17:42:37.88 ID:/xB0qran0.net
>>382-383
はっきり言って支離滅裂すぎて何言ってるかわからない

386 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 17:49:31.01 ID:kjHRxWIr0.net
三国史記新羅本紀
「脱解本多婆那国所生也。其国在倭国東北一千里」

脱解はそもそもタバナ国の生まれです。その国は倭国の東北一千里(凡そ435〜500km)にあります。

福岡大阪間の距離が500km圏
「三國史記」の「其國在倭國東北一千里」の解釈で倭国の首都邪馬台国が北部九州にあったとした場合の方角、距離からして、タバナ国は「出雲国」「但馬国」「丹波国」「丹後国」あたりにあったとするのが有力とされている

387 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 18:02:40.99 ID:t1TCmFal0.net
唐と新羅は同盟を組んでいたらしいが
なぜ新羅に敗戦国と同様の都督府が設置されたのか不思議だ

388 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/20(月) 18:03:24.96 ID:I6ezSVYr0.net
>>386
そんでもって魏志倭人伝の
「女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種」
だな。

389 :名無しさん@1周年:2017/02/20(月) 21:00:36.77 ID:yLnf5NIU0.net
>>380
途中で何十年か休憩したんじゃないの?

390 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 00:50:05.05 ID:4hZLiTIT0.net
>>1
神代の日本て妙な魅力があるよね
幻想郷みたいな

391 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 06:24:10.67 ID:F68Q2fC00.net
新蘿の成立は任那以降。博多に北東は無いよ。
タバナは北朝鮮域の部族たろ。

392 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 06:34:34.35 ID:QfG07qp80.net
日本書紀に書いていることを鵜呑みにするのは無意味
完全に大陸との繋がり絶つ目的で書かれている
支那に朝貢していたとしたら、貿易しやすい九州に国があり
そこから畿内まで勢力を伸ばしたと考えるのが自然

393 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 09:23:53.26 ID:6KbNmsod0.net
奈良っつーか纒向あたりは、吉備やら九州やら出雲やら機内東海やら各地の豪族が神殿を共立した場所でしょ
王がそこに集まったからいつの間にかそこが中心の王権に発展した訳で

394 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 11:33:12.26 ID:ieV6njbF0.net
神社の6割以上が北部九州発祥でありそれら神職家系も九州にルーツを持つ性が多いことから
稲作の品種改良と国力増大と共に、その勢力が北東へ広がっていったのは自然なことだと思う

395 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 12:29:26.95 ID:4hZLiTIT0.net
稲作は韓国から伝わったんだっけ?

396 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 13:10:08.33 ID:3kTTK3Od0.net
稲作の伝播経路|写真http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.jpg

稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.html

397 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 13:10:52.95 ID:CCQyqKC10.net
>>393
銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27
臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

それまで、日本の有名大学の古代史専門家による縄文→弥生→古墳時代への“平和的、友好的、自然的”
発展変化という‘上品で理想的’な皇室尊重的な伝統史学を徹ッ底的に破壊、否定、駁論する内容である。
まぁハッキリ言ってよく言ったと思う。自分も伝応神・仁徳天皇陵を何度か訪れたが、アレをブルドーザーや
トラックもない古代に、粗末な鍬や鋤だけで作れと言うのだから、命令する人はどれ程の「仁」と「徳」が
備わっているか推して知るべしである。しかも、前方後円墳だけで大中小合わせれば日本全国に5000基
(円墳含めると20万)あるといわれるので、古代の大和朝廷なるものがどれ程「博愛的」であったかは、
著者ならずとも推して知るべきである。エジプトのピラミッドもそうだが、あんなものを単なる失業対策で
‘嬉々として’積み上げるバカが何処にいると言うのか?最近流行の人道主義的歴史学者は、一度、自分で
その石を背中に積んで頂上まで登ってみろと言いたい。

398 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 13:50:19.71 ID:UyJlIfgi0.net
>>394
神社なんて稲作到来よりずっと後だよ
古墳時代開始時には痕跡すらない
中期になると出てくる家型埴輪が神社の可能性はあるが

399 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 14:49:42.77 ID:rdTBfmPe0.net
>>395
当時韓国という国はありません
朝鮮半島経由で他の民族が持ってきたと思われます

400 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 15:41:33.32 ID:6KbNmsod0.net
韓国=からくに
古代では半島だけじゃなく中国大陸をさす言葉だからな

401 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 15:59:32.72 ID:JQwPyjovO.net
おまえら詳しいな。
何かの役にたつのか?

402 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 16:54:53.03 ID:WanLC3f20.net
エベンキ族が嫌いなだけです

403 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 17:08:29.50 ID:04EfQqOa0.net
エベンキ、アドレスは貼れません
日本人はエベンキ族を検索して
よく覚えておいてください

404 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 17:44:49.18 ID:ki6KwhCB0.net
http://ksmworld.blog.jp/archives/1057925767.html

405 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 18:15:23.05 ID:3ZeB5uU70.net
>>395
>>396
中国から日本へ稲作が直接伝来し、その後、遅れて半島の環境に適した稲が日本を経て半島に伝わった。
そもそも半島では稲作は広がらなかった。それは気候が適さないのが一番の理由。

稲のDNAの解析から、中国では90品種を調べた結果、61品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島では、55品種調べてもRM1-b遺伝子を持つ稲は見付からなかった。
なお現在の日本に存在する稲の遺伝子は、RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類

中国の稲にはRM1-a〜hの8種類があり、bが最も多く、aがそれに続く。半島にはaが最も多く、bの種類は見つからない。
RM1-bは九州を中心に西日本、RM1-aは東北を含めた日本全域でみられる。

炭素14年代測定法という年代測定法の成果で朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきている
日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している

これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない点、九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に中国から入った米の遺伝子が交雑した米が多いことなどから、
水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は中国から朝鮮半島へ伝わったことが判明した。中国政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論が出ている

406 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 18:44:39.07 ID:ki6KwhCB0.net
沖縄から九州ルートはどうだろうか?

407 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 20:14:32.81 ID:Oz/TmDd/0.net
どこで読んだか聞いたか忘れたけど、中国南部はコメが主で、北は小麦だとか。
北は麺類や餃子、饅頭など、小麦粉を使った食文化らしい。
コレだけ物流が発達した現代でもそうなんだから、2000年前は言わずもがな

408 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 20:32:34.01 ID:jmXmD1YW0.net
そもそも米は南方植物だしな
北からのルートで伝わったってのは考えにくいし、
DNA解析されて朝鮮の米とは遺伝グループが違うって結果でてるしねえ

409 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/21(火) 20:42:13.92 ID:ERqHyEWO0.net
>>398 高床式倉庫が神社の祖形なんじゃないのか?

もちろん、ヒモロギや磐座(いわくら)祭祀の原始的な宗教を神道に加えるならば更に遡り、
ひょっとすると三内丸山遺跡の大型掘立柱建造物跡も諏訪の御柱と起源をもつかもしれないし、
有名どころでは縄文中期〜後期のストーンサークルも関係するかもしれない。

しかし、たとえそれらを除外したとしても、>>376 に書いた伊勢遺跡に検出される心御柱(しんのみはしら)の跡は、神社が
>古墳時代開始時には痕跡すらない
とする指摘と単純には対立する。

ただし、複雑に考察すると、 果たして
>神社の6割以上が北部九州発祥であり
とする根拠がいかがなものかともいえるため
>>398 の指摘もあながち見当はずれではないかもしれない。

なお、宗教・民俗学的に伊勢神宮の祭神を猿田彦の龍蛇神まで遡らせると、
結局、そのおおもとは糸島(夫婦岩)や宗像といった九州北部まで源流がもどってしまうため、
やっぱりなんのことはない、 >>394 のいっていることと同調せざるをえない。

410 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 20:49:12.46 ID:A0OJvFqd0.net
神社の原形っていろいろありそうだけどな
後に巨大化する小さな祠から
役所や倉庫っぽいものまで

411 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/21(火) 20:57:16.47 ID:ERqHyEWO0.net
>>398
ちなみに、神社のいくつかは古墳の拝殿や関連施設との見方があるんだよ。だから
>古墳時代開始時には痕跡すらない
とするのは実は必ずしも正しくなくて、例えば、

嵐のCMでおなじみの「光の道」は宮地嶽神社から沖合にある相島を目指した参道のことで、
相島には相島積石塚群(4世紀代〜7世紀代)があるし、
そもそも宮地嶽神社には宮地嶽古墳(6世紀)がある。

また、「君が代」のフレーズでおなじみの細石(さざれいし)神社は三雲南小路遺跡の拝殿と考えられており、
その墳丘墓の甕棺は弥生時代中期中頃と考えられている。

古墳が築かれた当時の宮地嶽神社や細石神社が、果たして現在の神社と同じかどうかは不明だが、
>>394 の主張する所の「神社の6割以上が北部九州発祥」のうちの一例であることは否定し難い。

412 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 20:57:40.59 ID:v2ZQDz8u0.net
>>378 個人的には、この系統の解釈が最も合理的に感じられる。

ていうか、京都大学考古学教室の「茶の巨塔の支配」から自由な知性はみなそうだよ
かの和辻哲郎をはじめとして

ただ、この京都大学考古学教室が考古学関係のほとんどの人事を握っている
駅弁大学の考古学教職、新聞の考古学記者、各地の考古学博物館の学芸員・・・

吉野が里の発掘でシュンとしていた彼らも、マキムクの発掘で元気100倍で
、一見、畿内説が優勢に見えたが、マキムクも発掘すればするほど・・・w


ただ、この問題の決着は表向きはつけないまま、畿内説にかかわった連中に恥をかかかせない形で畿内説は自然消滅していくのだろう

特に、マキムクの発掘材料をもとに畿内説を強引に牽強付会していたやつらも退官、
それを受けて畿内説を宣伝していたNHK,大新聞の科学記者も退職で
世の中の大勢の潮目は変わるだろう

413 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/21(火) 21:03:22.04 ID:ERqHyEWO0.net
>>412

>ていうか、京都大学考古学教室の「茶の巨塔の支配」から自由な知性はみなそうだよ

まぁ、そうだよな。

>ただ、この問題の決着は表向きはつけないまま、畿内説にかかわった連中に恥をかかかせない形で畿内説は自然消滅していくのだろう

まったくそのとおりなんだろうな。

>特に、マキムクの発掘材料をもとに畿内説を強引に牽強付会していたやつらも退官、

うん。ただ、俺の予想では、葛城周辺の発掘が完了するまでは、まだ何回か報道のピークがあるとおもう。

414 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 21:09:22.43 ID:jLBo00CR0.net
スレ見ずにいうが

どうせ現状では見る価値のない邪馬台国論争が繰り広げられてるんだろ?

415 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 21:20:56.92 ID:gl9sB+ru0.net
邪馬台国論争って学閥もあるんだっけ?

416 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/21(火) 21:23:33.33 ID:ERqHyEWO0.net
>>415
いままさに >>412 が補足説明したところやでー。

>>414
まいどおなじみの、情報の再確認です。

417 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 21:59:24.53 ID:0dvasw+t0.net
邪馬台国は一ヶ所にずーっと在ったわけではなくて
動乱時の中国の都みたいに戦闘によって短期であちこち移動しているから
九州も畿内も両方間違いではない

418 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:00:21.72 ID:l3v9tkvT0.net
かーちゃんが三瀦出身だが自分が子供の頃に聞いた話しで
J( 'ー`)しかーちゃんが子供の頃甕から出てきたお殿様が発掘(?)されて
見事に綺麗なミイラで勾玉とか衣装とか凄かった
みたいな話しを思い出した(´・ω・`)

419 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:02:27.28 ID:0dvasw+t0.net
邪馬台国といわゆる大和朝廷とは同時期に別々にあった

420 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:05:25.53 ID:gcnrsXb/0.net
まさかの邪馬台国九州説確定なのか

421 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:24:50.04 ID:LWXKb7tQ0.net
なぜ昔のモノは地中に埋まるのか?
なぜ貴重な品々(だったもの)が地中に埋もれてしまって顧みられることもなくなるのか?

敵国か何かにことごとく滅ぼされて、かつその地は何百年も人が住まなくなる、
ということでも起こらない限り、人々の生活した空間が土砂に埋もれてしまうことは
考えられないわけだが、詳しい人はいないだろうか?

422 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:34:02.93 ID:AEvCfVG70.net
>>421
火山灰じゃね?

423 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:37:08.88 ID:jmXmD1YW0.net
>>421
日本は木材とか植物で住居つくるからね
人がいなくなれば数年で跡形も無いよ
うちの田舎の家も半年人がいなくなっただけで草が人の身長ぐらいまでぼうぼうになってて、
3年放置も放置すれば人が住んでたって分からなくなりそうだわw

424 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:40:03.86 ID:s4Gj3BID0.net
邪馬台国は九州から畿内にまたがる一つの連合国だろ

425 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:43:54.71 ID:Oz/TmDd/0.net
日本は元来、自然崇拝だから、大きな岩や大木を御神体として注連縄(しめなわ)を巻いて祀っていた。
これは縄文文化の名残だろうね。

その後、弥生時代になって、銅鐸を祀るようになった。
銅鐸を吊るしておく場所は、櫓(やぐら)のような建造物だった。

卑弥呼の時代に、新しい祭器としての銅鏡が伝わり、銅鐸は打ち捨てられた。
そして銅鏡を祀っておく場所も、櫓ではなく、建物になった。それが今の神社。

みたいな感じかな。

426 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:44:07.95 ID:SR53zd760.net
糸島の遺跡や佐賀の吉野ヶ里遺跡には鳥居の立っていた穴があると
書いてあったな、当時は村の入り口に鳥居を立てていたようだ。

427 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:49:06.12 ID:3lh+hyCS0.net
>>400
唐=から
韓=から

唐揚げ、唐芋、唐獅子、唐土、唐蜀黍、唐黍

韓から入ってきたものなんてほとんどない

428 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 22:54:05.83 ID:VAG5F9Ra0.net
山笠のあるけん博多たいの国
略して やまたいこく

429 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 23:10:20.18 ID:Oz/TmDd/0.net
神社には鈴がある。
寺には梵鐘(かね)がある。
その起源をネットで検索したところ、ハッキリしないそうだ。

で、思ったんだけど、銅鐸が起源って事はないかな?
銅鏡文化に押されて消滅したかのようにみえたけど、実はヒッソリと銅鏡文化を守っていた集団があったんじゃないかな?
丹波国とか、あるいは諏訪や東北に逃れた大国主命の子孫とか?

430 :◆HKZsYRUkck :2017/02/21(火) 23:20:16.96 ID:ZSgFDGt00.net
>>429
そういうのは、ありそうな気がする。
ただ、銅鐸vs銅鏡の対立でとらえると、天津神の神社にも普通に
鈴があるのが矛盾するような気がしないでもない。

431 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 23:27:34.21 ID:B8hrEe6n0.net
>>421
廃村行けば分かる
あとは河川の氾濫とか新しいものを作るときに埋めちゃうとか

432 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 23:33:35.01 ID:Oz/TmDd/0.net
>>430
一旦忘れ去られたので、それが国津神(あるいは別の神)の神器(祭器)だとは知らなかったんじゃないかな?

433 :名無しさん@1周年:2017/02/21(火) 23:40:02.84 ID:v2ZQDz8u0.net
>>415 邪馬台国論争って学閥もあるんだっけ?

発掘場所が近畿地方なので京都大学が覇権を握っている
東大は場所上、近畿の発掘はほとんどできないので発言力はない

だから、京大対東大という図式ではない

京大が畿内説にご執心なのは、ただただ、大正時代に彼らの先輩ががおかしたトンでもなフライング「近畿で見つかったある鏡(三角縁神獣鏡)が卑弥呼が魏からもらった鏡らしい だから、卑弥呼は近畿にいた」を何が何でも擁護するためだけ

先輩のやったことの正当性を死守する、これは組織に付き物
たとえば、司法の世界では、明らかに無罪がわかっていても、検察は、被告に有利な証拠は隠したり、被告に不利な証拠を後付けで捏造することまでして粘りに粘る

検察に悪い人が多いというわけではない
検察の世界も考古学の世界も同じ
みんな、その世界で飯を食っていかなければならない そして、その世界で偉くなりたい

434 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 01:11:32.77 ID:dYvNx5Jr0.net
>>424
それだと中国地方にも何らかの逸話がないとおかしい

435 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 08:14:09.02 ID:G3HA1pXW0.net
>>429
梵鐘は中国伝来だからともかく、神社の鈴は関係あるかもね

436 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/22(水) 10:27:03.60 ID:UeCnq+uo0.net
>>435
鐸なんだろうね、本来は。
お水送りで有名な若狭神宮寺の住職にいたっては
祖神の金鈴を銅鐸と断言して憚るところがない。

437 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:17:19.62 ID:83ztV/zZ0.net
諏訪大社にも昔の鉄鐸が伝わってるしな

438 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:20:07.38 ID:ZmueuKAv0.net
西日本に多い銅鐸が九州で見つかる場所でもあるからここが西日本の影響の強い場所だと推察できるな

439 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:22:01.53 ID:83ztV/zZ0.net
諏訪は元々出雲から逃げていったところだしな

440 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:43:44.00 ID:bGXHaQ0H0.net
>>12
ウソを書かないように。
魏志倭人伝では朝鮮半島を回って日本へ来るのに水行と言っている。

從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
「郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、たちまち南し、たちまち東し、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。」







 

441 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:44:38.23 ID:bGXHaQ0H0.net
>>424
違う。
久留米の御井周辺だよ。




 

442 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:44:38.95 ID:ZmueuKAv0.net
神社の鈴は歴史が浅い
広く使われ出したのはかなり最近
江戸時代辺りからだそうだ
何で結びつけるのは危険

443 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:45:20.99 ID:ecJILvpO0.net
>>433
邪馬台国は素直に解釈したら沖縄か台湾あたりの国だろ

444 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:45:38.21 ID:bGXHaQ0H0.net
>>417
畿内は間違い。
筑紫平野内部を移動した。



 

445 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:46:34.51 ID:bGXHaQ0H0.net
>>420
アホw
近畿説がまさかだ。

446 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:47:31.07 ID:bGXHaQ0H0.net
>>438
何言ってるか分かんね。

447 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:48:15.66 ID:bGXHaQ0H0.net
>>434
は?
出雲は中国地方だろ?

448 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:48:27.72 ID:qk5QNwLR0.net
旧満州と呼ばれる吉林省や黒竜江省などの田舎では
家屋の軒先にお守りとして小さな鈴をぶらさげているのを見ることがありますが、これが銅鐸によく似ています。
銅鐸文化は日本海を渡って出雲、但馬、越の敦賀あたりに伝わった文化でしょう。
九州とは別系統の民族であり、その造形などを見ても九州よりも遥かに文化的で平和的な国家を築いていたと思われます。

邪馬台国は倭人条にもあるように恐怖政治を背景とした軍事国家。
ヤマタノオロチがスサノオに対峙された日本の神話は狗奴国の狗古智卑狗が卑弥呼の邪馬台国を滅ぼしたことを暗示しているのかもしれません。

449 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:49:00.91 ID:bGXHaQ0H0.net
>>414
レス見て言うが、
お前のレスが意味が無いだけ。

450 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:50:01.27 ID:Nygjae6v0.net
クニというのは現代の集落程度のものだろ?

451 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:50:12.90 ID:bGXHaQ0H0.net
>>378
東征も東遷も考古学的に否定された。
考古学的に否定されたものを合理的に感じるのはキチガイw

452 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:52:00.42 ID:bGXHaQ0H0.net
卑弥呼の墓は、久留米の御井の祇園山古墳。
これは確定事項。
だから卑弥呼の時代の邪馬台国は自動的に御井周辺と言うことになる。



 

453 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:52:45.89 ID:ZmueuKAv0.net
>>450
そうだね
弥生時代の中期から後期にかけて西日本では地方規模の「国」が多く誕生しているが、九州は最後まで前時代的な集落規模の「クニ」のままだった

この記事も「相当な富を持つ権力者がいる場所」だと推察されてるいるにもかかわらず、その規模はクニのレベルのままだった
この時代の九州がどういう場所だったのか理解する一つの手掛かりとなり得るよね

454 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/22(水) 11:53:16.39 ID:UeCnq+uo0.net
>>446
たぶん、吉野ヶ里遺跡のことをいっているのだとおもうよ。
銅鐸が九州でみつかるとこ、といえば、吉野ヶ里遺跡。

455 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:53:27.34 ID:bGXHaQ0H0.net
邪馬台国の謎は解けているわけね。
問題は、解けた謎の答えを受け入れる気があるか無いかだけね。

456 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:53:39.35 ID:NPKKtf9iO.net
多分古代の日本人は集落を「クニ」と呼んでたのだろう

457 :◆XQ1.DNtgrY :2017/02/22(水) 11:55:02.92 ID:UeCnq+uo0.net
>>442
なるほど。
そういうのが伝統色あふれる分野に多いから
攻めるにしても慎重にせめなくてはならないな。

458 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 11:58:50.17 ID:ZmueuKAv0.net
銅鐸については奈良時代にはもう謎の物体になってる
「続日本紀」で銅鐸が見つかった記事があるけど、なんだかわからないので「アショーカの王の鐘です」とか古老が答えてるくらい
適当な事を答えるジジイw

だから銅鐸から鈴に移行したと考えるのは難しいかな?
そもそも銅鐸も鳴らして使用したのは初期の頃だし
神社の鈴は仏教とかの文化の変化した物なんじゃないかとおもう

459 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:00:21.78 ID:bGXHaQ0H0.net
魏志倭人伝は伊都国を基点とする放射読み。
水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。

卑弥呼の墓は祇園山古墳。

東征も東遷も無い。考古学的に否定されてしまった。
神武は東征したのでは無く、近畿日本に招かれて行った雇われ店長。

記紀は神武の旅行譚を征服劇に脚色捏造するためにかかれた。

中国は九州邪馬台国を正統と考えており、近畿日本は認めていないから、
九州邪馬台国が近畿日本を征服したと言うウソ話しが当時のアジアのスーパーパワーである対中国用にどうしても必要だった。

こういうこと。




 

460 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:00:40.50 ID:xgOHVFKo0.net
中国の史書に書いてあることが適当で日本かどうかすら怪しいという説はないの?

461 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:02:26.80 ID:4igFkZfr0.net
中国の文献に出てくる邪馬台国は北九州で間違いないだろうな。
この頃に既に畿内に大規模な集落があったが、九州と比べると大陸由来の遺物が非常に少ない。
中国は邪馬台国とそれなりに活発に交流したようだから、中国の文献に出てくる邪馬台国が北九州にあったのはほぼ間違いない。
ただ、古墳の伝播などの考古学的な見地からは日本列島の政治的宗教的な中心地は畿内で、そこから支配域が日本全国(一部朝鮮)に拡がっていったのもほぼ間違いないから
この頃既に北九州の邪馬台国は畿内ヤマトの実質的支配下にあって、それでヤマタイと名乗ったのかもしれない。

462 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:03:01.55 ID:bGXHaQ0H0.net
邪馬台国の謎はほぼ完全に解けている。
問題は、解けた謎の答えを受け入れる気があるか無いかだけ。


魏志倭人伝は伊都国を基点とする放射読み。
水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。
卑弥呼の墓は久留米の御井の祇園山古墳。

東征も東遷も無い。考古学的に否定されてしまった。
神武は東征したのでは無く、近畿日本に招かれて行った雇われ店長。
記紀は神武の旅行譚を征服劇に脚色捏造するためにかかれた。
中国は九州邪馬台国を正統と考えており、近畿日本は認めていないから、
九州邪馬台国が近畿日本を征服したと言うウソ話しが当時のアジアのスーパーパワーである対中国用にどうしても必要だった。


これで謎はほぼ全部キレイに解けてしまっている。
問題は受け入れられるかどうか。
気持ちの問題があるだけ。



 

463 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:03:34.20 ID:bGXHaQ0H0.net
>>460
あなたの心の中にあります。

464 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:05:31.88 ID:uOYC11jz0.net
歴史を改竄してきた支那の文書を鵜呑みにするとはね

465 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:06:35.19 ID:bGXHaQ0H0.net
歴史を改竄してきた記紀の文書を鵜呑みにするとはね

466 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:13:24.61 ID:D1Xummms0.net
これが魏志倭人伝以降、ずっとシナが持ってた倭国のイメージな。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Da-ming-hun-yi-tu.jpg
西がインドを超えて欧州まで描かれることから、
東端もこれがシナから見た東の果てだった

この地図の上に魏志倭人伝の行程を辿って行けば、なんの矛盾も起きない

467 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:15:48.07 ID:aLB0b2lY0.net
シナチョンパヨ顔面キムチレッド

468 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:20:48.06 ID:ZmueuKAv0.net
この記事でもう一つ重要なのは「伊都国以外にもそれに互するくらいの権威が並列的に存在してた」と言う事

上で書いたように九州は弥生時代末期になっても規模の小さい集落単位のクニのままだった
その上、その中でも特筆する副葬品を誇っていた伊都国に並ぶほどの権力者が他にもいたという事実に注目すべき

つまり、九州は名実ともに小さな勢力のままで、中心も確たるものでなく弱弱しい勢力しかいなかったという事が分かる

469 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:22:07.66 ID:dzAkue+n0.net
>>458
鈴はともかく、諏訪大社の鉄鐸もあるし何らかの形で残ってる可能性はある

470 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:22:56.37 ID:bGXHaQ0H0.net
 

心ここに在らざれば、視れども見えず、
聴けども聞えず、食えども其の味を知らず。

大学


 

471 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:24:11.29 ID:dzAkue+n0.net
>>468 そう考えると
投馬国=出雲
邪馬台国=大和
実にシンプル

472 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:27:41.76 ID:YTj+guok0.net
>>433
なんか、笑えるわ
何十年以上も前の知識が未だに通用すると思ってるんだなあw

473 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:28:17.16 ID:+YAU3lE70.net
結論の出ない話でよくそんな盛り上がれるなw

474 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:37:21.68 ID:90OUv9Q20.net
糞チョン思考が脱却しろ

475 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:49:32.13 ID:5XqwplBD0.net
>>473
だからこそ百家争鳴で盛り上がる

476 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 12:55:15.91 ID:WJugrcxW0.net
邪馬台国時代のクンニって浪漫だなー

477 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 13:35:16.82 ID:MN9SffSc0.net
大和国の御子だしそりゃあるだろ

478 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 13:57:24.71 ID:yW8pheRJ0.net
この時代は佐賀の神崎やら小城まで「クニ」だからな
実態はどっちかというと村

479 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:10:52.22 ID:1Q94sRQ60.net
>>461
大陸と交流薄い集団が
いきなり漢字使い始めて
中国みたいに史書を編纂するか?

どう考えても神武東征で
近畿が支配されたんだよ。
近畿は豊かな何かがあったんだ。
だから征服された。

480 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:34:43.71 ID:Ov4U4Pp10.net
結局久留米だったのか

481 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:36:55.07 ID:tpYl/B+N0.net
>>119
恥ずかしいやつw

482 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:37:43.63 ID:LlqthkDJ0.net
中国人「大和国?いきった名前つけやがって邪馬台国にしたろ」

日本人「邪馬台国すげえええ」

483 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:41:12.23 ID:ESojyprG0.net
高三潴遺跡が有力な国だったとしたら翡翠製品が出土しているかで判断出来る
北部九州からは糸魚川産出の翡翠製品が大量に出土している。安曇族が
新潟まで行って物々交換で翡翠製品を持ってきてそれを地方の有力な
国に分けたと思う。要するに安曇族の住んでいた地域が北部九州を統括していた
証拠でもある。

484 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:44:46.82 ID:6PfyaO2f0.net
>>466
お前は「明」の字が読めないのか?

485 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:47:19.13 ID:z+XApNEK0.net
邪馬台国って言ってる時点でクニはあっただろう。

486 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:47:32.44 ID:woH2IPrv0.net
>>368
専門家の間では存在しない。
2chとか市井の歴史家とかいうあやしいのは主張してるが。

487 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:51:45.26 ID:6PfyaO2f0.net
魏志倭人伝に書かれている倭国は三十ヶ国ぐらい詳細不明なので、
調査して書いたのは案内された数ヶ国だけとわかる。

あれだけ滞在しといて数ヶ国しか調査できないというのは、
使者は自由に調査する事ができなかった、
即ち、重要都市などの情報は隠蔽されたり改竄されたりしていた、
と考えるべきだよ。

つまり、現在の発掘調査で重要都市だった事がわかった場所は、
魏志倭人伝には書かれていない可能性が高いわけだよ。
発掘調査の内容で魏志倭人伝の国と比定するのは愚の骨頂と言える。

488 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:53:19.60 ID:woH2IPrv0.net
>>157
当時は「広大な筑紫平野」なんて存在しない。
吉野ケ里のすぐそばまで海だ。

489 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 14:57:05.83 ID:5byaBiFx0.net
そもそも邪馬台国自体がフィクションだろw
卑弥呼神社すら一向に痕跡なし
いつまでやってんだよ

490 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 15:06:17.17 ID:ZmueuKAv0.net
よく見たらスレタイが「クニがあった可能」になってるなw

491 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 15:22:32.84 ID:ZmueuKAv0.net
あーちょっと記事を見落としてた
甕棺から見つかったのか
1〜2世紀の頃だから邪馬台国とだいぶズレてるな
この土地が中心だった時代が以前にあったと言うだけの話だな
土器の分布から考えても前時代の話か

492 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 15:33:52.77 ID:woH2IPrv0.net
>>231
纏向研究の第一人者は他にもいるんだよw
合わせて4人の内3人は畿内だな。

493 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 15:39:09.62 ID:woH2IPrv0.net
しかし、おもろいな。
考古学的にはとっくの昔に終わってる「九州説」を頑固に言い張る素人が
山のように湧いてくるんだなw
騎馬民族征服王朝説も未だに信じているのかい?
手塚治虫も罪だな。

494 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 15:47:22.82 ID:ZmueuKAv0.net
考古学系は何でも邪馬台国に結び付けるから困るな
この時代ならむしろこの土地に九州の有力なクニが存在してて、後に伊都国方面の勢力が主体になったという流れを想像させる発見じゃないのかね?

495 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 16:21:27.65 ID:4WjfHM6y0.net
九州説論者のしつこさはチョンそのものだな

496 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 16:31:12.53 ID:1AAvYn9P0.net
しかし、九州論者や阿波がいないと盛り上がらないからスレがあっさり落ちてしまうという

497 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 16:33:25.15 ID:woH2IPrv0.net
九州は早くから大陸との交流も多いし、クニもいくつも出来て栄えていたんだろうな。
青銅製品や鉄も弥生中期までは九州が圧倒している。

だけど、不思議な事に弥生後期には変わってくる。
近畿方面が、墓といい鉄といい、ガラスとか相対的に優位になってくる。
200年前後の墓で言えば、丹後の赤坂今井古墳が最強だ。
大量の朱やガラス製品が出て、近隣の古墳も青いガラスの水晶が出る。
吉備の古墳も大きくなる。
王莽の貨泉も瀬戸内や近畿に出土する。
紀元前後から200年ごろにかけて、近畿・中四が豊かになったというか、
人口が増加している。

九州は狭い平野に小さなクニが出来、国人同士が争っていて、近畿方面は
争いの後に戦国大名に群雄割拠が起きて信長の死後の力比べのようだ。
出雲は、丹後を飛び越えて越と同盟を結んだが、何らかの事件が起きて
丹後とも同盟を結ぶようになる。
出雲の墓に、参列した丹後の王のお供えの土器が出てくる。
出雲から丹波、越、近江、東海にかけて土器の交流が見られ、阿波、摂津
讃岐も影響している。大和ももちろんだ。

498 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 16:45:13.14 ID:woH2IPrv0.net
奈良は、意外と発掘は少ないんだよ。
多いのは明日香村だ。
弥生時代のものは、地中深く埋まっていて、大きな工事がないと発掘されないが、
工業団地とか出来ないし、新幹線は来ていないし、ニュータウンは山の上にしか
作られない。おまけに、弥生遺跡が出たらそこで掘るのを止めてしまう。
昔は特にそうだったらしい。
飛鳥は今もそうかもしれん。わからんけどw
高速道路(京名和道)の工事で、たくさんの縄文遺跡が出てきた。
弥生初期・中期の遺跡も最近は出てる。
だけど、ニュータウンは出来ないし大規模店舗も他地域に比べたら少ない。
なんせ、大半が田んぼだからな。

まあ、俺は奈良よりも近江や丹後の方が面白いと思うけどな。
だけど、難しいだろ。有力な土地は今も集落が上に乗ってるからな。

499 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 17:32:35.25 ID:ZmueuKAv0.net
福井とかあの辺は異質で存在感あるな
日本海側を制した出雲勢力に与さず畿内や吉備と密接に繋がって後の邪馬台国や大和朝廷で大きな影響力を見せている
邪馬台国、並びに大和朝廷を作り出した最初の段階でかなりの活躍をしてると思われるな

500 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 17:39:14.77 ID:pYzmmR650.net
大和朝廷は九州征伐まで対馬貿易を知らなかった。
ただし、銅鏡、銅鐸の原料となる青銅は大陸産である。

この意味するところは
九州平定以前に朝廷内部に九州勢力、おそらく吉野が里と
通じた勢力、おそらく荒神谷遺跡、が有った。

銅鐸祭祀の廃止はこの勢力の粛清=倭国大乱が原因である。
対馬貿易確保の300年以降、朝廷は馬と鉄を国内生産し、
この勢力を朝鮮半島平定と開拓に配流した。

この一連の歴史の隠蔽を決めたのが、天智天皇の白村江海戦の敗戦であり、
百済豪族の帰国、神道、仏教の普及、墳墓薄葬礼、天武天皇の記紀の編纂である。

漢〜唐までの史書読むだけで明瞭だろ。
日本の歴史学者は漢字読めないのか?

501 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 18:08:12.35 ID:ESojyprG0.net
祇園山古墳が復活したようだな、これからの邪馬台国論争が面白くなりそう

502 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 18:14:39.83 ID:QS6io2ew0.net
>>479
何か考古学的な形跡があるならその説も説得力があるんだけどね。
邪馬台国が記述される3世紀前半には既に畿内に都市型の集落があった。
そしてそこからは九州や朝鮮半島を含む全国からの貢物若しくは宗教的な奉納物と思われる遺物が出土している。
そしてそれ以前から畿内様式の古墳が畿内を中心として放射状に伝播していく。九州や朝鮮の古墳の方が新しい。
反対に九州が畿内を制服したという証拠は今のところない。

503 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 18:18:11.60 ID:DAGuOlMS0.net
どうして「古事記」「日本書紀」には
邪馬台国のことが書いてないの?

504 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 18:24:59.00 ID:pYzmmR650.net
記紀編纂の400年以上前に滅びた九州の小国だからだろ。
魏と交流があったから、魏書の倭人条にのこってただけだよ。
祈祷師の卑弥呼を倭王と呼んだのは魏だけじゃね?

505 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 19:11:38.61 ID:YvBoZ9lY0.net
機内邪馬台国の出先機関だろ。

506 :◆HKZsYRUkck :2017/02/22(水) 19:21:41.97 ID:3KO2sddH0.net
>>491
たぶん、その頃が北部九州のピークだった気がする。
漢委奴国王の金印もらった頃ね。

卑弥呼の頃は、出雲や機内のクニグニも帯方郡と勝手にやり取り始めるし、
言うこと聞かない狗奴国とかも出てくるし、斜陽の時期なんかなと。

507 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 19:44:36.38 ID:UgKuCUkr0.net
なんてこった・・日本の起源は修羅の国なのかよ。絶望した!
もうこうなったら明太子買ってくるわ・・。
そんでホカホカのご飯に乗っけて泣きながら食べるわ。

508 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 20:03:11.25 ID:yLzLqoTa0.net
大和朝廷と邪馬台国は無関係でいいと思う

509 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 20:04:24.09 ID:Q69bFO170.net
そんな昔からクンニあったのか

510 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 20:25:44.66 ID:8fHrx/DJ0.net
まあどうでもいいけど、このころもそうだし、もうちょっと後になると顕著になるんだけど
東国でも大規模な古墳とか珍奇な出土物とか結構出てるんすけどね
まあさすがに東国に邪馬台国があったとは言わんけどさ
そんないうほど蛮地でもないってことね

まあ縄文人の交易とかそういうので教科書的にもよく東国でて来るから
なにもないわけないってことは容易に想像できると思うけど

511 :◆HKZsYRUkck :2017/02/22(水) 20:28:28.31 ID:3KO2sddH0.net
>>500
この九州征伐って、いつの話なん?

大陸とのルートといえば、糸島から博多湾岸までは邪馬台国派だけど、
志賀島より東の宗像の民は、古くから大和王権と仲良しだったっぽいよね。

512 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 22:41:25.67 ID:+/e7AZhD0.net
>>503
舎人親王らが、アマテラス天皇家の祖先が中華様に親魏倭王の金印を与えられたなんて歴史を認めることが出来なかったから。

513 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 22:42:05.47 ID:BjQcdsSD0.net
>>497
よくもまあそんな嘘八百を並べられるもんだ
関西人=朝鮮人ってのは本当らしい

実際は近畿の弥生遺跡からは鉄器さえほとんど出てこない
http://inoues.net/9shumapnew15.gif

514 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 22:44:23.37 ID:BjQcdsSD0.net
いっぽう九州では金銀財宝がザクザク出てくるのであった

344 :名無しさん@1周年 :2016/09/14(水) 01:58:26.16 ID:ylZGO6lJ0
魏志倭人伝によれば、女王国の南には狗奴国があり、女王と敵対していたという
つまり女王国の所在地は邪馬臺国連合の南端付近であると分かる
卑弥呼は魏から親魏倭王と認められたのだから、その敵対国である狗奴国は
魏との交流を持っていないと考えられる
ゆえに、邪馬臺国がどこであったかは出土品の分布を見れば一目瞭然

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif

金銀細工や硬玉やガラス製の勾玉など、大陸産のものが
佐賀、福岡、熊本にかけて大量に出土していることが分かる
そしてそれは熊本県八代市あたりでぷっつりと途切れている
ここが邪馬臺国と狗奴国の勢力境界線である


ここから考えれば配置は下図となる
http://i.imgur.com/HUOosIP.gif

515 :名無しさん@1周年:2017/02/22(水) 22:50:52.30 ID:BjQcdsSD0.net
こんなのも

679 :名無しさん@1周年 :2016/10/01(土) 10:47:48.97 ID:8et5jwIn0
弥生時代の銅鏡分布は北部九州が圧倒的
畿内とかはクソ雑魚

http://inoues.net/9shumapnew21.gif

総レス数 515
150 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★