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【「北朝鮮経済史」を読む】創氏改名は「朝鮮が希望、日本は反対」 「左翼」が作った北朝鮮史は欺瞞に満ちていた… [01/11]

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2017/01/11(水) 12:01:08.79 ID:???
2017.1.6 12:00
★【「北朝鮮経済史」を読む】創氏改名は「朝鮮が希望、日本は反対」 「左翼」が作った北朝鮮史は欺瞞に満ちていた…

平成28年11月、知泉書館(東京都文京区)という学術専門出版社から
『北朝鮮経済史 1910−60』が出版された。著者の木村光彦・青山学院大教授は、
ソ連の崩壊後、ロシア公文書館で公開された1946〜65年の北朝鮮に関する資料を翻訳し、
6年前に『旧ソ連の北朝鮮経済資料集』を出版した経済学者だ。

本書の主なデータは、戦前は、朝鮮総督府の統計年報、戦後は北朝鮮や旧ソ連の
経済資料などに依拠している。木村教授はもともと、アジアの開発経済が出発点。
マクロとミクロ双方の視点から、データを基にコツコツと北朝鮮経済を研究するが、
「本に書いたことがすべて」という。

そこで、代わりに木村教授との共著『北朝鮮の軍事工業化』がある、元通産省技官で、
日本統治時代の北朝鮮の産業遺産に詳しい安部桂司さん(77)=ペンネーム、
安部南牛=に、『北朝鮮経済史−』とその時代背景について、解説してもらった。

木村教授は本書で、日本統治時代の朝鮮半島の北半分(咸鏡道=北鮮▽平安道、
黄海道=西鮮)を「北部」に分類。1910年以前の自然や産業などの初期条件を述べた後、
農業、鉱工業、初等教育、防疫についてそれぞれ半世紀の変化を分析する。

例えば、農業の分野では「日本が朝鮮半島の物資を収奪したために住民が飢え、流民になった」
などとされる。しかし、統計では、1920〜30年代には米の作付面積が大きく増え、1人当たり
生産量で南部を上回る地域もあった。一方で、雑穀などの生産量も減っていない。
木村教授は本書で《全食糧作物の1人当り生産量は、1920年代から朝鮮北部が南部を上回った》
と述べ、住民の消費量を1938年に限って輸出入を調整して推計すると、0・28トン(穀物のみ)。
《この量なら飢餓は起こらない》と結論づける。

朝鮮北部の米作発展を促進したのは、日本の東北地方から導入された寒冷地向けの品種だ。

安部さんは「もともと北部で米は常食されていなかった。日本の水利事業が成功したことで米を
生産できる土地が増え、平壌は日本一の日本酒の産地になった。日本酒を造った理由は満州
への需要が大きかったのと、米の消費先として最も収益がいいから。物資を奪ったわけではなく、
農民には当然代金が支払われた」と説明する。



日本統治時代のできごとは、徴用(賃金を払っての動員)が強制連行(奴隷労働)になり、
資本主義に基づいた貿易が、「収奪」と言い換えられている。なぜ、このようなことが起きてきたのだろうか。

「資本主義は悪で、社会主義が善という考えで歴史をみてきたからだ」と安部さん。
また、第2次大戦の敗戦後、朝鮮研究を熱心に担ったのは朝鮮半島出身の在日の学者や、
贖罪(しょくざい)意識を持つ日本人研究者らの“左翼”で、帝国や総督府が発表した公式資料を
「官の歴史として信用せず、一般人からの聞き書き、証言に資料価値を置いた」(安部さん)という。
その結果、在日朝鮮・韓国人の間で語られた流言を含め、「飢餓輸出」や「強制連行」、
「創氏改名の強制」「従軍慰安婦」などが“史実”として一人歩きを始めた可能性がある。

「戦前、朝鮮半島から日本に来るとき多くの人が日本名を名乗った。そのほうが便利だからだ。
戦後、米国に移民した多く朝鮮人が米国風に名前を変えたのと同じだ。ところが、日本名を
名乗るのは恥辱になり『強制された』となった。『創氏改名』は朝鮮側からの希望であり、
実際は治安上や従業員管理の問題により日本側からは反対が多かった」と安部さんは憤る。

※4ページから抜粋、全文はソースで

http://www.sankei.com/premium/news/170106/prm1701060004-n1.html

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