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【社会】革マル派議長の本名、警察が特定 神奈川の団地捜索

377 :名無しさん@1周年:2017/01/10(火) 19:44:09.69 ID:mtIxtVsS0.net
>>339
片岡鉄哉「日本永久占領」(講談社+α文庫) P.245-246

しかし吉田学校がライシャワーのイデオロギーの価値を発見するのは、
もっと後になってからである。国務省の肝煎りで近代化の学者たち(*1)は、
日米交流の主役になる。そのフォーラムとして箱根会議という国際会議が登場する。
彼らは、丸山真男と大塚史学の独壇場だった東大を敬遠して京都大学に目をつけた。
そして京都大学の政治学者、高坂正堯が日本側代表として指名される。

猪木正道の弟子である高坂は、仲間を糾合して「リアリスト」という一派を形成し、
徐々に日本の論壇を席巻していく。彼らは「天皇制ファッショ」しか眼中にない
マル系学者を尻目に、華やかなアメリカの学会に出席し、弟子を米国留学に
派遣するようになる。この弟子たちはアングロサクソンの経験主義の社会科学(*2)を
身につけて、数年のうちに帰国する。ノン・ポリである。数と統計をふんだんに使う。
こういう学者がじわじわと増えていくことになる。

この一派が「モラトリアム国家」や「吉田ドクトリン」を礼賛して、吉田の外務省の
応援団になるのである。リアリストの興隆はマルクス主義の猖獗を鎮静化させる。
東大における丸山真男の時代は安保騒動で終わりになる。

しかし「近代化」と「リアリズム」にも明確な政治的使命が与えられていたのである。
経験主義は一見無色透明に見えたが、そこが「リアリズム」の政治性なのであった。
そのポイントは憲法改正のような「政治的」争点を避けることであった。

引用者註 *1:エドウィン・O・ライシャワー(のちに駐日大使)などの日本研究学者のグループ
引用者註 *2:統計学、計量経済学、心理学、社会学などに代表される


P.240-241

ことのはじめはジョン・フォスター・ダレスである。

ダレスは講和条約の締結で男をあげ、民主党政権から降りる。
しかし彼は東部エスタブリッシメントのエリートであり、アメリカのための
パブリック・サーヴィスには一肌脱ぐのをいとわなかった。

彼は、条約交渉の過程で知り合った日本のエリートについて考えるところが
あったらしい。日本人はあまりに平和主義的で、中立志向だった。
マッカーサーと吉田が、これに政治的に一枚かんでいるのをダレスは承知していた。
しかし、それと別にイデオロギーとしての問題がある、とダレスは考えたのである。
(中略)
マッカーサーが占領初期にまいたマルクス主義の種が、占領後期になって
反米的なナショナリズムと結びついて、日本の世論を支配していた。
猫も杓子もマルクスだった。論壇では「進歩的文化人」、文壇では「近代文学」、
社会科学では「民主主義科学者協会」、東大では丸山真男と大塚久雄といった具合だった。
ダレスは、E・H・ノーマンとマルクスに対抗するために、日本人に新しいイデオロギー
をつくって与えようと決意することになる。マッカーサーもさることながら、ダレスも傲慢なものである(注1)。

彼は一九五二年にこの話を国務省に持ち込んだ。マッカーシーの全盛期であり、
中国からは「洗脳」という言葉が輸入されていた。フロイトの心理分析もアメリカの
上流階級の頼みの杖になる時代だった。国務省は心理戦争の一角として
ダレスの企画に援助を約束する。ダレスが探していたものは、共産主義に
対抗するイデオロギーである。これにはナショナリズムがもっとも頼りになる。
しかし、彼がナショナリズムのリヴァイヴァルをやれと国務省に提案したのかどうかはわからない。

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