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【国際】トルコ政変の裏には建国以来の対立があった…クーデター未遂への報復で溝さらに深く

1 :ニカワ ★:2016/08/08(月) 02:05:34.61 ID:CAP_USER9.net
クーデター未遂を受けて非常事態宣言を発令したトルコのエルドアン大統領(写真: ロイター/Umit Bektas)
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7月15日にトルコで起きたクーデター未遂事件は、同国の社会に衝撃を与えた。エルドアン大統領は報復という大義名分を盾に権威主義の道をひた走るのか。あるいは敵と和解し、亀裂を修復しようとするのか。結論は見えていない。

トルコの歴史を振り返れば、権威主義政権を揺るがす政変が起こった際、次期政権はさらなる基盤強化に動きだし、権威主義を軟化させることはなかった。今回も未遂事件発生後、エルドアン大統領は兵士や裁判官、警察官、教師らを大量に検挙し、その追放を発表するなど、強権的な動きを見せている。

しかしエルドアン大統領の特徴だけからトルコ情勢全体を推し量ることは難しいだろう。大局的に見れば、エルドアン大統領と彼が事実上率いている公正発展党も、同国の政治構造の変化を反映しているだけなのだ。そして同様の事態はほかの中東諸国でも発生している。

◆押し付けられた“世俗主義”

トルコ建国の父、ムスタファ・ケマルは建国当初、世俗主義を掲げた。しかし実際には、ケマルへの個人崇拝を中心とする強権体制が1950年代まで続き、国民はその実態を看過してしまった。

ケマルが主導した“世俗主義”は、大衆の支持を反映したものでなく、軍部やインテリなどの少数派エリートが伝統的な生活を営んでいた民衆に押し付けたものだった。

たとえばケマルは歴史的にも文化的にもつながりの薄いアルファベットをトルコ語体系に導入したり、伝統的な衣装を禁止して洋服の着用を強要したりした。また名字がアラビア系であれば、トルコ風に変えることも強制したのだ。

◆クーデター未遂が浮き彫りにした対立構造

欧州でこれほどまでにトップダウンの文化改革を経験した国は少ない。欧州諸国の多くは、民衆への啓蒙活動を続けたことで草の根から醸成された民主主義国家である。しかしトルコやイラン、イラク、エジプトやチュニジア、シリアといった国々では、そのようにして民衆が政治の主導権を握ったことはない。

公正発展党が2002年以来、選挙で勝利し続けたのは、そうした抑圧への反動だったのかもしれない。ケマル主義体制が徐々に影響力を減らし、他政党の活動も許容されたことで、抑圧されていた保守勢力が影響力を増していったのだ。

同時にトルコ経済の近代化により、新タイプのブルジョアジーが現れるようになった。彼らは元来の宗教的価値観を信奉しており、ケマル主義者を軍部、官僚、法曹界などの利権に群がる抑圧者と見なしていた。公正発展党の支持層の多くはこうしたブルジョアジーであり、同党の選挙での勝利、政権奪取が実現したのは彼らのおかげといえる。

◆権威主義がさらに強まる恐れ

トルコではクーデターが過去60年間ですでに3度起こったが、今回のクーデターはトルコが抱える世俗主義対民主主義という対立構造をあらためて浮き彫りにしたのである。

とはいえエルドアン大統領の外交政策は失敗続きだった。彼は当初「近隣諸国との紛争をゼロにする」との公約を掲げたが、実際には関係を悪化させた。そのうえシリア内戦が波及し国内でもテロが頻発するなど、政情は不安定化している。

それでもクーデター未遂事件後、国民はエルドアン大統領を支持し、欧米も彼を支持している。欧州諸国としては移民、難民の流入を防ぐため、米国としてはイスラム国との戦闘を有利に運ぶため、トルコの安定は不可欠な要素なのだ。

今回の事件に関与したとされるイスラム教指導者ギュレン氏の仲間たちへの粛清など、エルドアン大統領の徹底した対応は、トルコ社会に横たわる溝を今後さらに深めるだろう。クーデター未遂がエルドアン政権による民主主義の抑圧を招き、今後も言論の自由などが制限されかねない。そうなると権威主義への反動がさらなる権威主義を招くという歴史が繰り返されてしまう。

文/シュロモ・アヴィネリ(ヘブライ大学(エルサレム)政治学教授)

http://toyokeizai.net/articles/-/129603

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