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【沖縄にモノ申す】「安倍首相は第二の加害者!」熱狂県民大会、シールズ女子大生が絶叫した…「オール沖縄」も巧妙に演出=m07/05]

2 :ちゅら猫φ ★:2016/07/05(火) 16:41:24.54 ID:???
>>1より

大会の最後には米海兵隊の撤退を求める決議をし、参加者たちが開会前にも掲げた「海兵隊は−」などのメ
ッセージボードを再び、頭上にかざした。

■極左集団の機関紙配布

県民大会で違和感を覚えたのは、登壇者たちのあいさつ内容だけではない。

まずは参加者の人数。主催者発表では6万5千人だった。会場は事件の被害者の遺体遺棄現場や被害者宅から
ほど遠い那覇市内。ある自民県連関係者は「競技場に6万人以上の収容能力はなく、大げさなのは明白。
県外からも動員しやすい会場にしたのだろう。しかし、あれだけ集めたのはさすが」と話していた。

実際、会場の内外では、労働組合など100を超える全国各地の団体の旗があちこちでみられた。「沖教祖」
(沖縄県教職員組合)や「沖縄タイムス労組」などに加え、「山梨県平和センター」「千葉労連」「北関東9条連」
といった国会前デモでよく見かける県外の団体も目立った。

中には、治安当局が極左暴力集団・過激派と認定している「革マル派」の文字が入った黄色の服を着た人もいた。
各団体は会場の外で機関紙や集会の告知ビラを熱心に配っていた。革マル派と同じ極左集団の「中核派」の
機関誌「前進」には、会場で1万部を参加者に手渡したことがリポートされている。

オール沖縄とはかけ離れた実態をかいま見たが、巧妙な演出≠烽った。開会直前、団体の旗を降ろすよう
求める場内放送が流れると、事前に示し合わせたように一様に旗が降ろされたのだ。

大会に参加しなかった人だけでなく、団体の旗が写り込んでいないメディアの報道を見ただけの人はこう思ったに
違いない。「会場を埋めたのは県民ばかり。米軍基地撤去は沖縄県民の総意なのか」と。

■超党派ならず…「オール沖縄とは呼べない」

沖縄で米軍に対する大規模な抗議集会が開かれたのは今回に限らない。

沖縄が米施政権下に置かれていた60年前の昭和31年、沖縄の軍用地政策をめぐる米側の姿勢に住民が
怒りを示した「島ぐるみ闘争」の抗議集会が始まりとされる。同47年の沖縄本土復帰後は下火になったが、
平成7年に起きた米兵による少女暴行事件が再び、県民感情を逆なでした。

事件の起きた宜野湾市内で「県民総決起大会」が行われ、主催者発表で約8万5千人(県警発表は約5万8千人)
が集まり、米軍基地の整理・縮小を求めた。この大会が日米両政府による翌8年の米軍普天間飛行場の返還合意に
影響したともいわれる。今回との大きな違いは、政治色を排した超党派での開催を心がけたことだった。

当時、県議会議長として実行委員長を務めた元衆院議員、嘉数知賢(かかず・ちけん)さん(75)は
「本当に実のある抗議にするため、党派の枠を超えた大会にする以外なかった」と振り返る。
当時は事前に各党の集会などに出向き、政治色の強いのぼりやちらし、デモの禁止、政党関係者は舞台に
上げないことを触れて回るなど超党派に向けて尽力した。

今回の県民大会では、オール沖縄会議は当初、超党派での開催を目指したが、
自民・公明両党などは革新色が強いことを懸念して参加を見送った。県内の市町村長の大半も欠席した。

嘉数さんは「特定の主張を持つ人だけが集まる大会に何の意味があるのか。海兵隊撤退という具体的要求に
踏み込んだ時点で超党派がかなわないのは分かっていたが、主催側が超党派への努力をどれだけしたのか疑問だ」
と批判する。その上で「いろんな色の人が集まって初めて県民大会といえる。今回はオール沖縄とはとても呼べない内容だ」と切り捨てた。

>>3

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