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【社会】戦後、伊藤忠の会長となった「昭和の参謀」瀬島龍三氏 日本兵シベリア売り渡し説の真偽 [09/02]

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/09/02(水) 13:09:36.03 ID:???
★「昭和の参謀」瀬島龍三氏 日本兵シベリア売り渡し説の真偽
2015.09.01 07:00

戦後、繊維商社だった伊藤忠商事の会長に就き、同社を世界規模の総合商社に発展させた
瀬島龍三氏は昭和を代表する実業家として知られている。中曽根康弘・元首相のブレーン
として政財界に大きな影響力を持ち「昭和の参謀」とも呼ばれた人物だ。

明治44年(1911)生まれの瀬島氏は陸軍士官学校を首席で卒業後、関東軍参謀本部で
太平洋戦争の指揮にかかわり、無数の日本兵が餓死したガダルカナル島の撤退作戦では
立案主任を務めた。

戦後は11年間にわたりシベリアに抑留されたが、その瀬島氏こそが「日本兵をソ連に
売り渡した張本人」だとする説がある。いわゆる“シベリア抑留密約説”だ。

瀬島氏は終戦直後の1945年8月19日、関東軍とソ連極東軍による停戦交渉に出席。
この席上で「ソ連への国家賠償として、日本軍将兵らの労務提供を認める」ことを
申し出たというものである。

戦後、作家の保阪正康氏や「全国戦後強制抑留補償要求推進協議会」などは、
日本側がソ連に示したとされる『対ソ和平交渉の要綱(案)』に「賠償として一部の
労力を提供することには同意す」との文言があったことなどを根拠に、密約があった
のではないかと疑問を呈した。

瀬島氏はこの密約説を「根拠のない虚構」と一蹴したが、彼を“隠れ共産主義者”と
目する向きは少なくなかった。瀬島氏の帰国後、警視庁外事課ソ連欧米担当第一係長を
務めていた佐々淳行氏が振り返る。

「瀬島氏は抑留中、KGBに最後まで屈服しなかった大本営参謀と評されたが、
我々は違う見方をしていた。帰国後、瀬島氏がソ連大使館員と神社仏閣などで
接触していた事実を外事課は確認していた」

後に、「シベリア抑留中の瀬島が日本人抑留者を前に『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』
と拳を突き上げ絶叫していた」というソ連の元対日工作員の証言や「瀬島らはウランバートルで
特殊工作員として訓練された」とするソ連の元書記官が現れたことも疑惑を深める一因となった。

関東軍将兵ら約60万人が連行され、約6万人が強制労働などで死亡したシベリアの悲劇について、
瀬島氏は多くを語ることなく2007年にこの世を去った。

※SAPIO2015年9月号
http://www.news-postseven.com/archives/20150901_341012.html

2 :名無しさん@13周年:2015/09/02(水) 13:26:38.62 ID:vCNgf/sHh
今度の経済危機で中凶がつぶれて、伊藤忠もつぶれたら
真相が明らかになるかな?

3 :名無しさん@13周年:2015/09/03(木) 00:16:48.80 ID:EyiY1YSGa
すでにソ連がお亡くなりだからなぁ。

4 :名無しさん@13周年:2015/09/03(木) 00:37:28.35 ID:YlOljzml5
伊藤忠は今でも反日企業の筆頭だからな。

5 :名無しさん@13周年:2015/09/03(木) 05:00:15.67 ID:BnZEeYvOK
共産主義者

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