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【政治】戦後70年談話に「お詫び」はいらない 重要なのは東アジアの「力の均衡」を守ることだ 池田信夫 [08/06]

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/08/06(木) 14:19:37.03 ID:???
>>1より

第1次大戦の反省から、アメリカのウィルソン大統領は軍事力の均衡ではなく国際協調で
平和を実現する理想主義を実現する機関として国際連盟を提唱した。だが、肝心のアメリカ
議会が連盟加入を批准しなかったため、機能しなかった。1928年には「国際紛争解決のために
戦争に訴えることを非難し、国策の手段として戦争を放棄する」という不戦条約が結ばれたが、
これも1931年に日本が満州事変で公然と破ったため、空文化した。

侵略の厳密な定義はないが、不戦条約で他国の領土を侵犯する戦争は違法とされたので、
日本が起こした満州事変や日中戦争は侵略と呼ばれる。しかし当時、ヨーロッパ諸国は
軍事力でアジア・アフリカ諸国を植民地支配していたが、それは不戦条約の前なので
侵略とは呼ばれない。

このように侵略とはヨーロッパの既得権を守る言葉だから、日中戦争が侵略と呼ばれ、
イギリスのインド支配がそう呼ばれないのは、いわば路上駐車が禁止になってから
駐車した車と、そういうルールがなかったとき駐車した車の違いのようなもので、
前者だけが道徳的に悪いわけではない。

■平和を守るのは平和主義ではなく「力の均衡」

ヨーロッパではこの500年以上ずっと戦争が続いており、20世紀後半以降の70年は、
近世以降で最長の平和な期間だった。その原因は不戦条約や日本国憲法(その第1項は
不戦条約と同じ)の平和主義ではなく、皮肉なことに核戦争によって史上最大に
なった戦争の破壊力だった。

ホッブズ以来の近代政治哲学が指摘するのは、戦争を抑止するのは死の恐怖だと
いうことだ。キリスト教徒は死んだら天国に行けると信じていたので、中世には
宗教戦争が際限なく繰り返されたが、科学や産業の進歩で社会が世俗化してくると、
人々は死を恐れるようになった。

第2次大戦までは戦争は兵士の行うものであり、その結果として政治家や資本家は
領土を獲得できるので、彼らは戦争を好んだ。しかし核戦争では双方の全国民が
殺されるので、この相互確証破壊による恐怖の均衡が、結果的には戦争を決定する
者と戦場で殺される者の区別をなくし、戦争を抑止する力になった。

他方、通常戦争は多様化し、国家とゲリラやパルチザンの戦いが増えた。アルカイダや
「イスラム国」のようなテロリストとの戦争には、ウェストファリア条約以来の戦争の
ルールがない。中国や北朝鮮のような独裁国家に対しても、こういうヨーロッパ的な
抑止戦略は必ずしも有効ではない。

こういう非合理的な国を抑止するために必要なのは、現代の戦争はどちらの利益にも
ならないという価値観の共有である。北朝鮮は絶望的だが、中国や韓国とは
(価値観が一致することはないとしても)協調の余地はあろう。

このような「ソフトパワー」も含めた力の均衡を東アジアで実現し、欧米との国際協調を
実現することが日本の役割であり、この意味で日本の地政学的な重要性はかつてなく大きい。
戦後70年を機に日本が考えるべきなのは、後ろ向きの「歴史問題」ではなく、
このような21世紀の東アジアの秩序をいかに構築するかという問題である。(了)

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