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【池田信夫】「ナチスを模範にせよ」と主張した笠信太郎が戦後、朝日の論説主幹に…朝日新聞こそ「戦後70年謝罪談話」を出すべき

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/31(日) 13:26:59.65 ID:???
★朝日新聞は「戦後70年謝罪談話」を出せ
池田 信夫

朝日新聞が、また北岡伸一氏に「侵略」を語らせている。
彼の論旨は「謝罪より未来の話をしよう」ということなのに、朝日はまた侵略の
謝罪の方向にもっていく。それなら侵略のお先棒をかついだ朝日が謝罪談話を出すべきだ。

大政翼賛会を設立した「新体制準備委員会」の幹部は朝日新聞主筆の緒方竹虎であり、
そのイデオローグとして「ナチスを模範にせよ」という論陣を張ったのは、
論説委員の笠信太郎だった。彼が1937年に公刊した『日本経済の再編成』は、
大政翼賛会の経済計画を示してベストセラーになった。

笠は「自由主義的な経済運営は限界に来ている」と論じ、当時世界を席巻していた
ナチスの国家社会主義を日本も取り入れるべきだと主張した。彼は「利潤第一主義に
代り得るためには、その社会的倫理的構造が個人主義を離れ、国家生活の社会性
と全体性を拠り所としなければならない」と論じ、これは忠誠と服従を重視する
日本の伝統的な国体とも調和するとのべた。

それは具体的には、産業別・地域別のカルテルやトラストによる再編成だった。
株主資本主義をやめて「資本と経営の分離」を行ない、各産業ごとに業界団体をつくり、
それを都道府県ごとに組織して国の経済政策協議会が統制し、軍需産業の強化を目的
とする資金配分を国家の管理する銀行が行なう――これが「革新官僚」のバイブルとなり、
1938年の国家総動員法の基本理念となった。

ところが笠の提案はあまりに過激だったために「赤」とみなされ、のちに革新官僚は
企画院事件で逮捕される。緒方はそれを察知して1940年に笠をベルリン特派員として
避難させ、笠はドイツでダレス米国務長官の終戦工作に協力した。
そして1948年に帰国すると東京本社論説主幹となり、「全面講和」の論陣を張った。

ドイツでは、ナチスに協力した新聞社はすべて占領軍によって解散されたが、
1945年8月14日の社説で本土決戦を主張した朝日新聞は、その翌週から「平和国家」
の建設をとなえる論調に転向し、GHQの情報操作に協力することで解散を逃れた。

政権に入った緒方はA級戦犯容疑者として公職追放されたが、のちに自民党に復帰して
副総理になった。そして国家総動員法の発案者だった笠はアメリカの工作員となって
生き延び、1962年まで論説主幹をつとめた。この侵略新聞からGHQ新聞への転向が、
朝日の空想的平和主義の原点である。

朝日は自分こそファシズムの指導者だった黒歴史を隠蔽するために、それを追及した
GHQの立場を守っているのだ。朝日がこのような過去を謝罪することなしに安倍首相に
謝罪を求めるのは、盗っ人猛々しいというしかない。

2015年05月30日10:51
http://agora-web.jp/archives/1643471.html

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/02(火) 13:02:00.38 ID:???
@別ソース

★朝日新聞は日本を戦争に引きずり込んだA級戦犯だ 戦時体制の中枢がGHQに迎合して生き延びた
2015.6.2(火) 池田 信夫

安倍首相が8月15日に出す予定の「戦後70年談話」が、さまざまな論議を呼んでいる。
1995年に村山首相が出した戦後50年談話の「植民地支配と侵略によってアジア諸国の
人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という文言を変えるかどうかに、
マスコミの関心が集まっている。

とりわけ熱心なのが朝日新聞で、「侵略を謝罪せよ」というキャンペーンを張っている。
慰安婦騒動の失敗を挽回しようとしているのだろうが、ここには慰安婦問題よりはるかに
大きな欺瞞がある。かつての戦時体制を立案したのは、朝日新聞なのだ。

■朝日新聞は単なる共犯者ではない

戦時中に新聞が戦争をあおったことはよく知られているが、これは治安維持法や検閲で
取り締まられたためではなく、新聞を売るためだった。1931年の満州事変をきっかけに
新聞はそろって主戦論に転換し、各社は多くの従軍記者を派遣して号外を出し、
戦争報道を競った。

東京朝日新聞も主筆の緒方竹虎の指導のもと「事変容認・満蒙独立」に舵を切り、
最後まで残った大阪朝日も反軍派が処分されて容認派に転向した。
このとき朝日の主導権を握ったのは、論説委員の笠信太郎などの「革新派」で、
彼らは岸信介などの革新官僚と連携して、日本を国家社会主義に導いた。

陸軍の中でも、東條英機をはじめとする統制派は計画経済を志向していたので、
緒方や笠などの「リベラル」は彼らと連携し、革新官僚や陸軍統制派を通じて
近衛文麿との関係が強まった。

政権基盤の弱かった近衛は、新聞を味方につけたかったので朝日に情報をリークした。
朝日は「一国一党型新党で日本を革新すべきだ」と主張し、緒方は大政翼賛会の
設立委員になった。近衛新体制のイデオローグとして「ナチスを模範にして経済を
国家統制せよ」という論陣を張ったのは笠だった。

14年にわたる長期の戦争を、軍部だけで続けることはできない。膨大な人員と資源の
動員を可能にしたのは、革新官僚のつくった国家総動員法に代表される戦時体制であり、
それを立案したのは笠だった。彼を先頭にしてナチスを模範とする総動員体制を
立案した朝日新聞は、軍国主義の中枢だったのだ。

■昭和研究会に集まった「革新派」

近衛新体制の理論的支柱になったのは、1933年に近衛の友人だった後藤隆之助の
設立した国策研究機関、「昭和研究会」である。ここには著名な学者や官僚や
ジャーナリストが集まり、最盛期には300名にのぼった。

主要メンバーには蝋山政道、高橋亀吉、三木清、勝間田清一、有沢弘巳、
清水幾太郎などがおり、彼らはヨーロッパで勃興していたファシズムを日本にも
取り入れようとした。近衛内閣が「東亜新秩序」を唱えたとき、昭和研究会は
列強の植民地支配に対してアジアが団結し、中国の国民党政権を倒して「新政府」を
日本の支配下に置き、英米ブロックに対抗するため、アジアをブロック経済化して
ナチスと連携すべきだと主張した。

昭和研究会の経済部門の中心だった笠は、ナチスの国家社会主義が社会民主主義より
進んだ思想だと考え、統制経済を主張する『日本経済の再編成』を1939年に発表し、
ベストセラーになった。彼は三木の「協同主義」の影響を受け、英米の個人主義を
超える協同体(ゲマインシャフト)が必要だとして、次のように書いた。

今回の歴史的な大事業を遂行するために、その兵站部を強化するということに出発して、
いわゆる統制強化の一途を辿って来た戦時経済はもう単なる「統制」の強化という形で
は来るところまで来て、それはもはや一つの新しい経済体制に結晶しなければどうにもお
さまらないというところまで来た(『日本経済の再編成』序文。強調は引用者)。

その新しい経済体制とは、資本家が利潤を追求するのではなく、低価格で大量生産して
国策に奉仕することであり、「職能的活動が建前として利潤第一主義に代り得るためには、
その社会的倫理が個人主義を離れ、国家生活の社会性と全体性を拠り所としなければならない」
とし、これは忠誠と服従を重視する日本の国体とも調和すると笠は論じた。

 >>2へ続く

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43932

3 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/02(火) 13:02:11.09 ID:???
>>1より

新体制は具体的には、ナチスのような「強制トラスト並に強制カルテル」によって
企業を再編成し、「資本と経営の分離」によって経営権を国家に集中することだった。
この構想は革新官僚に強い影響を与え、1940年に「経済新体制確立要綱」として国策になり、
総動員体制を実行する企画院がつくられた。

各業界ごとに「統制会」を組織して国の経済政策協議会が統括し、軍需産業の強化を目的と
する資金配分を国家の管理する銀行が行うことが、総動員体制の基本理念となった。
このとき統制会を統轄するためにつくられた「重要産業統制団体懇談会」が、経団連の前身である。
戦時体制は、今も生きているのだ。

■軍国新聞が戦後は一転して「平和勢力」に

しかしファシストが政権を取ったドイツやイタリアとは違い、日本の「革新派」は挫折した。
大政翼賛会は近衛が失脚すると無力化し、財閥は革新官僚の一部に「赤」がいるとして、
政府に治安維持法による取り締まりを求めた。これを察知した緒方は、1940年に笠をドイツに
特派員として派遣した。

その予想どおり、勝間田などの革新官僚は1941年に企画院事件で検挙されたが、笠は当局の
追及を逃れ、ヨーロッパ各地から軍に情報を提供する一方、アメリカのOSS(のちのCIA)の
工作員となってアレン・ダレス(のちの米国務長官)の和平工作に協力した。

緒方は情報局総裁として内閣に入ったため、戦後はA級戦犯として公職追放されたが、
笠は1948年に帰国し、東京本社論説主幹となった。その10年前には戦時体制のブレーンだった
彼が、戦後は一転して「平和憲法と中立を守れ」と主張し、1962年まで全面講和や安保反対の
論陣を張ったのだ。

ドイツでは、ナチスに協力した新聞社はすべて占領軍に解体されたが、朝日新聞は「平和国家」
の建設を唱え、GHQ(連合国軍総司令部)の情報操作に協力することで解体を逃れた。
緒方も自民党に復帰して、副総理になった。

ここで重要なのは、太平洋戦争は日本の侵略戦争であり、日本国民は世界に謝罪し続けなければ
ならないという占領統治イデオロギーを朝日が国民に刷り込んだことだ。他方で20万人の
非戦闘員を殺した原爆についての情報はGHQに検閲され、ほとんど報道しなかった。

あの戦争が愚かであり、日本軍がアジアで無意味な大量虐殺をしたことはまぎれもない事実だが、
戦争に「正義の戦争」と「侵略戦争」の区別はない。すべての国は正義だと思って戦争を始めるが、
結果としてはすべての戦争は悪なのだ。戦後70年もたって、日本が謝罪を繰り返す必要はない。

それより大事なことは、軍部だけを悪者にするのではなく、あの悲劇をもたらしたメカニズムを
理解することだ。総動員体制を立案し、国民が戦争に喝采する「空気」をつくったのは朝日新聞であり、
緒方は岸と同じぐらい重大な戦犯だったのだ。

しかし戦争に負けると朝日は一転して、GHQのつくった憲法を守る「平和勢力」になって生き延びた。
このように時の権力に迎合する政治的機会主義が、朝日の一貫した体質である。今度また朝鮮半島や
尖閣諸島で軍事衝突が起こったら、一転して「日米が連携して中国を撃滅せよ」という論陣を張るだろう。

朝日新聞は慰安婦問題でも、訂正はしたが謝罪はしなかった。戦後70年の節目に、
今までの犯罪的な報道を総括して謝罪してはどうだろうか。(了)

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