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【社会】戸籍の性別変更を認めた特例法〜会社から帰宅した父は「女の子になるため家を出る」と宣言 突然の告白に涙が流れて来たと娘

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/26(火) 00:21:03.07 ID:???
★私はここに?性的マイノリティーの今(4) 父の決断 全力で支える (5/22 11:00)

性同一性障害者にとって、心の性に合わせた戸籍の性別変更を認めた特例法(2004年施行)は、
その後の人生を自分で決められる大きな転機になった。一方で、施行時すでに結婚していた人は
「性別変更か、家族か」という二者択一を迫られた。とりわけ子どもに障害を隠し続け、突然の告白に
ならざるを得ないケースは多かった。そんな中で、親の決断を受け入れて全力で支える子がいる。

「女の子の格好でおいで」。浜松市出身の女子大学生楓さん(18)は、連れ立っての買い物や友達に
紹介する折には、父かずみさん(65)=同市、いずれも仮名=にそう提案する。女子トイレにも堂々と誘う。
父は女性への性別変更を目指す性同一性障害者。昨年性別適合手術の一部を終えた。
「ちょっと変わっているけれど、変だと思ったことは一度もない」と楓さんは言う。

◇抑えられない思い
おととしの4月末、会社から帰宅した父は、スーツ姿のまま「女の子になるために今日、家を出る」
と宣言した。「『こういうとき泣いた方がいいのかな』と冷静な自分が心の中でつぶやいた。
でもそのうち本当に涙が出てきて」。楓さんは泣きながら「もう『お父さん』とは呼ばない。
これから何て呼んでほしい?」と尋ねた。

おっとりと優しい父が好きだった。毎日一緒に夕飯を食べて遊び、深夜から残務に取りかかる姿を
尊敬していた。幼いころに家族の絵を描いた時、父は服の色を「ピンクにして」と言った。
「そういうことだったんだ」。思い出を手繰りながら、あるじのいなくなった書斎や寝床を写真に撮った。
母の物と思っていた洋服が半分ほどなくなったのは、父の物だったからと気付いた。

かずみさんは終戦直後に生まれた。幼少期から女性への憧れがあったが、性的マイノリティーという
言葉もない時代。「おちんちんがある女の子」と自覚するしかなかった。

自分を解放できたのが女装だった。部屋で一人、スカートをはくとほっとした。
同時に「変態の女装者」と自ら罵倒した。妻は結婚前から女装を黙認してくれていたが、
「子どもには絶対に知られたくない」と常々話し、夫婦だけの秘め事とした。

50歳を超えた2001年、テレビドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さんが演じた生徒から
「性同一性障害」という言葉を知った。特例法で女性になれる選択が現実となった以上、
募る思いは止められない。子どもたちは思春期を迎え、妻から女装をやめるよう懇願された。
「妻を限界に追い込み、家族の中に私がいることが不自然になった。離婚するしかなかった」

◇理解の輪広げたい
楓さんは家族の秘密を誰にも明かさずに1年を過ごしたが、つらくなって女友達に告白した。
すると「会ってみたい」と言われ、3人で食事に行った。スカートをはいた父ははつらつとして見え、
友達は心のままに生きようとする姿を好意的に受け止めた。

「身近にいると関心を持ってくれる」と実感した時、性的マイノリティーを親に持つ子として、
すべきことが見えてきた。楓さんは友達との旅行で父に送迎を頼むなど、事あるごとに友達の輪に
引き込んだ。「お父さん」と呼ばない皆の気配りがかずみさんにはくすぐったい。

紹介した友達の数だけ、理解者は増えていった。「私はこれからも、父の話を友達にし続ける」。
楓さんは心に誓っている。

<メモ>性同一性障害者の戸籍の性別変更は(1)結婚していないこと(2)未成年の子がいないこと―が要件。
既婚者が離婚を望まない場合は、身体の性別適合手術までが“上限”となり、その先の戸籍変更はできない。
かずみさんは離婚したが(2)の条件を満たさないため、子ども全員が成人するまで戸籍変更できない。

http://www.at-s.com/news/detail/1174197633.html

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