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【都構想】投票権なし、在日コリアンの憂い「大事な決定に参加できないのは残念だ」

40 :名無しさん@13周年:2015/05/14(木) 01:06:11.02 ID:bw1ry5BBa
 承前。「三国人」という言葉の歴史的事実と時代の背景を検証しておきたい。
この言葉は、使われはじめたころのニュアンスとしては、軽蔑(べつ)や嘲
(ちよう)笑でなく、畏怖や敬遠に近い。むしろ恐怖の対象であった
▼「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者を
さす俗称で、約九十万人の朝鮮人と約四万人の中国人をいう。二十年十一月三日、
占領軍総司令部はこの人たちを「解放国民」と指定した。それは「治外法権」と
同義語だった
▼解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったのである。東京焼け
跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると
「彼らは民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」
▼どぶろく、カストリ、ばくだんなどの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けた
が警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して対抗させた。「警視庁年表」
をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の朝鮮人を
奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した
▼同じ年の十二月には朝鮮人二千人の首相官邸乱入事件というのも記録されている。
だからといって、外国人だけが悪かったのではないのはもちろんである。社会全体が
混乱と騒擾(そうじよう)のただなかにあった。それは敗戦日本の責任なのだった
▼重ねて書くが「三国人」という言葉は現代では“死語”であって、使うべきではない。
しかしそれが生まれた時代の背景には、そんな昭和史の一ページがあったことは忘れ
たくない。関東大震災などを引き合いに出すのは筋が違うのである。
「産經抄」、産經新聞4月15日付朝刊。

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