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【さらば石原慎太郎氏】引退会見詳報(1) 「晴れ晴れと政界去れる」

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2014/12/16(火) 16:31:13.69 ID:???
★【さらば石原慎太郎氏】引退会見詳報(1) 「晴れ晴れと政界去れる」
2014.12.16 15:15

石原慎太郎前衆院議員(次世代の党最高顧問)は16日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、
「今度の選挙で(落選という)結果になって、私は引退を決心した」と述べ、政治活動からの引退を表明した。
政治家人生を振り返った石原氏は「歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは
政治家としても物書きとしてもありがたい経験だった」と語り、「欣快(きんかい)として、
わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と語った。会見の詳細は以下の通り。

「皆さん、こんにちは。僭越(せんえつ)でございますが、大してニュースバリューもないこの私が
個人の資格で皆さんにこうやって大がかりな記者会見を申し込んだ理由は、私も延べ50年以上政治に
携わってきたが、結局、今度の選挙でああいう結果になって、私は引退を決心した。
ただ、(衆院選の)開票日に、いってはいけないが、自宅にまで浅薄なメディアの先兵が押しかけて、
歩く途中もマイクを突きつけて『一言、二言』と(コメントを求められた)。そこで、後にゆっくり
話させてくれということで、日本記者クラブにご厚意いただいて、この機会を設けさせていただいた。
私が申し上げたいことを端的に申し上げて、皆さんに批判をいただきたい」

■見回せば、国会議員最高齢

「結論から言えば、かねがね私はこの解散が決まったときに、選挙をきっかけに引退をするつもりだった。
私自身も肉体的にひびが入ったりもして、見回してみると国会議員の中の最高齢者になった。
これ非常に皮肉な話だ。かつては奥野誠亮さんという尊敬していた大先輩が、90歳を過ぎるまで
かくしゃくとして国会議員を務められたそうだが、とても私にはその自信も能力もないので、
これをきっかけに引退ということを声明しようと思った」

「限られた仲間が『今引退されると党、選挙の趨勢(すうせい)に悪い影響を与えるから思いとどまってほしい』
ということだった。特に若い議員からは連判状などもいただいた。いろいろ勘案して、選挙の事前に私が
引退を声明することは仲間のためにもよろしくない、と判断した。それならば皆さんと、とにかく戦うと決心した」

「いずれにしても私は引退を覚悟で戦いをするわけだから、討ち死にを覚悟の出陣ということで、
東京比例のランキングは一番最後してほしいことを、党の方も受け入れてくれた。ある意味で結論が知れている
ことだったので、空いている時間に仲間の応援に駆け回った。残念ながら風邪をひいたりして肝心の名古屋の
大きな大会には出席できなかったが、仲間に対する義理だけは最低限、果たせたな、と思っている」

■落選で討ち死には1つの宿命

「私の実家の石原家は、武田武士の残党だった。武田家は(織田)信長に滅ばされて雲散霧消した。
武田の赤備えというのは戦国時代有名だったそうで、武田武士を争って3つの藩が抱えたそうだ。
1つは毛利藩、1つは井伊藩、もう1つは伊予藩だった。私の先祖は甲州から追われて伊予藩に抱えられたそうだ」

「かつての時代に弓矢の武功で禄を食(は)んでおって、家の家紋は黄金分立のきかない『7つ矢』だ。珍しい家紋だ。
正月に赤塗りのお膳で家族そろって雑煮を食べたりするときに、据えられたお膳に7つの紋が記されているな、と印象深く覚えている」

「母の方の略紋は三ツ矢サイダーに似た3つの紋だったが、7つの紋はなかなか日本に珍しい家紋で、
私もいわれを聞かされて子供心にプライドを持っていた。石原家の弓で勝ち取ったわが家の家訓は、
『明日の戦 己はむなしと心得べし』という。これは武士の家訓としてもなかなかいい家訓だなと思った」

「それを受けて私は討ち死に覚悟というか、本当なら引退を声明して退くべきだと思ったが、やっぱり仲間の若い
武士たちのために自分も一緒に戦って、恥ずかしいことだが落選という形の討ち死にすることは 自分の1つの宿命かな、
と思って決心をした。私からこの選挙についてのかかわりについて申し上げることはそれだけだ」 >>2へ続く

http://www.sankei.com/politics/news/141216/plt1412160039-n1.html

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