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【米国】「1944年に尋問しても、自分たちは単なる売春婦であって強制連行されてないと証言した」…慰安婦問題で異色経歴の援軍登場

672 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/06(木) 15:34:24.80 ID:3RSV0hU30.net
>>658
軍属や看護婦が月給100円以上もらっていた>>635(ネトウヨ本では教えてくれない日本史)


■騙されたという証言例(2)看護婦といって騙されたパターン
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○陸軍の山砲兵第四十八連隊に所属していたという旧日本軍兵士の老人は、慰安婦問題の立法解決を考える集会の新聞記事を読んで連絡してきた。
・・・彼女たちの大半は、看護婦や女給の仕事と誘拐まがいに騙され、慰安婦として狩り出された境遇がほとんどだったという。
http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-44/hirao%2044.htm

○『ある軍属の物語』日本図書センター、1992年発行(初版本、1967年発行)。
河東は、昭和18年6月、海軍に徴用され、231設営隊の一員として、同年8月、インド洋・カールニコバル島に到着し、飛行場建設にあたる。
「かの女ら慰安婦の多くは、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされてきたのだそうだ。かの女らは看護婦になるつもりで、戦地に従軍してきたらしい。
http://homepage3.nifty.com/tetuh/901.html

○『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年
東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も……
(一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。
一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。
これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/

○1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、
シンガポールの後方基地勤務で基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊(原文では、"WAC" organizations )の募集を始めた。 ※WAC = Women's Army Corps 陸軍婦人部隊
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/523.html

○テキサス爺さん文書
1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。
この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n185650

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